ウィトラのつぶやき

コンサルタントのウィトラが日頃感じたことを書いていきます

明らかになったミサイル通知システムJ-ALERTの課題

2017-08-29 21:14:26 | 社会

北朝鮮が日本上空を通過するミサイルを発射した。今回の大きな特徴はミサイル発射の情報が日本政府が作成した通知システムJ-ALERTを通じて国民に通知された点であり、多くの課題が明らかになった。

私はテレビを見ながら朝食をとっていた。午前6時2分、画面が突然変わり、アナウンサーが「北朝鮮がミサイルを発射しました」と連呼し始めた。他のチャンネルを見てもどこでも同じニュースをやっている。「これは本物だ」と思った。幸い、首都圏は警報の範囲に入っていなかったので安心したのだが、北関東以北の広い範囲が警報の対象になっていた。

アナウンサーは同じ文言を繰り返すだけで、追加の情報は来ない。6時14分、「ミサイルは北海道沖に落ちた」との追加情報が入った。
これまで、北朝鮮のミサイル発射情報は殆どが韓国メディアの情報を日本のメディアが拾い上げて報道したもので、日本のJ-ALERTシステムが主体的に情報を発信したのは初めてである。関係者にとっては初の全国規模の実施で数多くの反省点が浮かび上がったことだろう。以下、私が感じた問題点を列挙する。

・警報の範囲が広すぎる
ミサイルを撃ち落とそうとしているくらいだから軌道は相当正確に把握されているはずである。それにもかかわらず東日本全体というのはあまりにも広すぎる。J-ALERTを出せば公共交通機関が止まったりして社会的に大きな影響があるのだから、警報の範囲はできるだけ絞ったものにするべきである。あれだけ広い範囲に警報を出すようでは撃ち落とすことなど到底できそうにない、と感じさせられた。

・警報が遅すぎるし情報が少なすぎる
政府の発表によると実際に発射されたのは5時58分だそうである。警報を出したのが6時2分、遅すぎると思う。次の情報は6時14分、北海道の先に落ちたという情報だった。これは初めての本番なので「警報を出す」という判断に時間がかかったものだと思っている。ミサイルの場合には刻々と飛行経路が明らかになってくる。一度の警報で終わらせるのではなく、1分毎くらいに次々と対象地域を絞った情報を出して警報解除を早くすることを心がけるべきである

・報道は貧弱
殆どのテレビ局が、J-ALERTの画面を出して同じ文言を繰り返すだけだった。一番悪いのがNHKで民放は途中から付加情報を入れようとしていた。これはNHKでは現場のキャスターに権限が与えられておらず、現場の判断では何もできないからだろうと思っている。民放のほうが縛りが緩いのだろうと思っている。

・ケータイは鳴らなかった
本来ならJ-ALERTは携帯電話にも通知されるはずである。しかし私のケータイ(AU)には警報は入らなかった。

北朝鮮は、グアム方面に打ち込むとアメリカが強く反応する可能性があるので北海道沖を狙ったものと思われる。次は岩手県上空、その次は福島県上空、と徐々に南下させていくものと思われる。どこまで南下すればアメリカが強く反発するか、またアメリカとの駆け引きがあるだろう。その対応も必要だが、同時にJ-ALERTの通知方法も急速に改善してほしいものだと思っている。



ネットでの買い物が便利

2017-08-24 14:52:59 | 生活

最近、我が家で絨毯を買った。南側のベランダに通じる居間の床板が直射日光でニスが剥げて色が変わってしまったのである。床板を張りなおすのは高くつくので絨毯を敷くことにしたものである。従来なら店に行って柄を見定めて買ったのだが、今回はアマゾンで検索して買った。大きさがぴったりのものだと、実際の店舗にはそれほど種類が無いのだが、アマゾンだとかなりいろいろな種類がある。

エジプト製、トルコ製、中国製があったが中国製は品質が心配なので外すことにした。毛足はあまり長くないものにして、デザインはあまり目立たないものにしようということにした。届いたものを敷いてみると本当に目立たず、何年も前から使っていたもののような感じがして、「良いのを選んだね」と妻と言い合った。品数は多く、注文は簡単、持ってきてくれるので実際に店舗に行くよりはるかに便利であり、これからは一層ネットで買うことが多くなるだろうと思う。

今回は単に商品の写真と説明文を読んで決めたのだが、5年もすれば拡張現実技術で部屋に置くとどんな感じになるかを確かめてから買うこともできるようになるだろう。小売業がアマゾンを脅威と考えるのも無理もない、と思う。最近は私もスーパーで買い物をすることが時々あるのだが、生鮮食料品などはまだ直接買いたいと思うのだが、年に数回しか買わないような、靴、家具、電気製品などは私自身、殆どネットで買うことになるだろう。衣類もネットで買う日がそう遠くない気がする。

インターネットが産業構造を変える、というのを実感した。


民進党は自民党の農業政策を見習うべきだ

2017-08-23 10:18:06 | 社会

民進党の代表選挙が正式に始まったが、今の感じでは前原氏、枝野氏のどちらが勝っても民進党の衰退は避けられず、次回の総選挙では公明党や共産党と同レベルの政党に墜ちていくだろう、と感じている。自民1強が続くのは日本にとって好ましくない。7月28日のブログに書いたように私は民進党の最大の問題点は労働組合票に頼っている点にあると考えている。これを自民党との対比で考えると自民党の農業票との関係と似ていると私は考えている。

戦後の農地改革で、大規模農家の農地が小作民に分散され、農家はそれぞれが個人経営者となり、自民党を支える大きな票田となった。個々の農家は資金力がないので農協を作り、農協が資金を取りまとめて納期を購入したり販売網を作る役割を果たした。そして、自民党にとっては農協が固い組織票の胴元となった。自民党政権は農協を通じて農家に手厚い保護政策を施し、日本の農業は年々競争力を失って問題産業となっていった。

安倍総理は55年体制の終焉を宣言し、農業の産業化のために、企業の農業への参入を強化する方向に出ている。これは見方を変えれば戦前の小作農の復活と近い形になる。農協は自分たちの立場が侵されるので抵抗した。農協を敵に回すことは支持母体を失うことにつながるので、自民党内部でかなり深刻な議論があったはずだと思っている。しかし、「自民党を支えているのは個々の農家であり農協ではない。農家のためになることを行うなら支持率は下がらない」と現在の政府中枢部が押し切ったのだろうと私は想像している。そして日本の農業はこれから改善に向かうだろうと思っている。

自民党にとっての農協に相当するのが民進党にとっての労働組合である。これも戦後の体制で「資本家vs労働者」という対立の構図で作られた組織であるが、現在は対立の構図は資本家対労働者ではなく、国際競争や産業間競争に移っており、本来は労使一体となって如何に競合相手と戦うか、が課題のはずである。しかし、組合の意識は、多少は変わっているものの昔の意識を引きずっていると思う。

私の考えでは組合は働きの悪い正社員の労働環境を保護することに注力するべきではなく、個々の社員の意欲が向上するように会社に働きかける、働きの良い社員を抜擢して若返りを進めるなどを推進するべきである。具体的には給与の増加や、労働時間の削減を求めるよりも、会社側の業務に対する説明責任、個々人の能力向上に関する施策、幹部の若返りなどを求めていくべきだと思っている。しかし、農協と同様に労働組合の意識を変えることは現実的には無理ではないか、とも考えている。それならば民進党は「労働者に楽をさせる職場づくりをめざしのではなく、労働者が生き生きと働ける職場づくりをめざす」と宣言して、組合が抵抗するなら労働組合からの支持を失うことも辞さず、くらいの意気込みが必要だと思う。

現状ではどちらかというと自民党のほうが「生き生きと働ける職場づくり」を推奨している印象ではあるが、うまくいっているとは言い難い。責任政党としての論点にはできるのではないかと思っている。



2040年以降ガソリン車販売禁止はやりすぎではないか

2017-08-15 18:16:39 | 経済

イギリスとフランスが2040年以降はガソリン車(ディーゼル車を含む)を販売禁止にすると発表した。電気自動車に向かう政府の意志を明確に示したものだが、イギリスはともかく、フランスではやりすぎではないかと私は考えている。

それはどうしても電気の供給がままならない場所や場合が出てくると思うからである。停電がしばらく続くと自動車が走れなくなるのでは困る。ヨーロッパではそれほど大きな災害は起こらないのかもしれないが、山奥で電気の通らないところをなくすのも大変だろうと思う。やはり燃料を積んでいない車は停電には弱いと思う。ハイブリッド車が妥当だと思うのだが、ハイブリッド車を締め出そうというヨーロッパ勢の産業政策かもしれないと思う。

トヨタなどは電気自動車の開発には出遅れているので困るのではないかと言われているがが、燃料電池車と電気自動車のハイブリッドを推し進めるチャンスかもしれないと思う。案外フランスで水素ステーションの普及が進むかもしれないという気がする。燃料電池車では日本が進んでいると思うのでこの点では問題は大きくないように思う。

日本の自動車産業の課題は推進力が変わることではなく自動車ソフトウェア化だと思う。自動運転は確実に来るだろうし、この分野では恐らく日本勢は勝てないだろうと思っている。これをトヨタがどう切り抜けるか、うまく切り抜けられないのではないか、と感じている。


「国会が決めること」とは「理由なく決めること」なのか?

2017-08-13 17:20:48 | 社会

先週、国会の閉会中審査が行われた。私は内容にはあまり興味がなかったのだが何となくテレビを付けながら仕事をしていたので耳に入ってきた。野党は稲田前防衛大臣を攻撃しようとしており、メディアの興味もその点に集まっていたのだが、私自身は稲田前防衛大臣を参考人として呼ぶかどうかには興味は持っていない。ただ、小野寺新防衛大臣が逃げを打つときに「国会がお決めになること」を連発していたのが気になった。

これは本会議ではなく理事会で協議するということのようだが、どうも理事会では、理由なく数の論理で決めて良い、という暗黙の了解があるような印象だった。実際、加計学園の理事長や総理夫人を参考人として呼ぶとかいうことも野党が要求しても実現していない。私自身は参考人招致自体はどちらでも良いと思っているのだが、問題はメディアが報じるときに「自民党の反対で実現しませんでした」としか報道されず、理由は問われていない、という点である。「理事会の決定に対しては説明責任はない」というのは誰が決めたのだろうか?

どうも合理的な説明がなく拒否する、ということが国会では認められているようである。本会議でも国税庁長官に昇進した財務省の局長が調査を拒否したことには説明がなかったのに押し通されてしまった。「資料は捨ててしまった」と言われて、経緯が分からないのは仕方ないのだが、「それなら調査してください」と野党議員から言われて理由は言わずに「差し控えさせていただきます」と答弁されて、それ以上押せない野党は情けない、と感じた。こういった一連の動きを国民が見ていて安倍政権の支持率が下がってきたのだが、閣僚を入れ替えて「丁寧に説明する」といった結果が逃げを打つときには「国会がお決めになること」では情けないと思う。

安倍総理が「国会がお決めになること」使うことも少なくない。これは「数の論理で押し切るぞ」という意思表示だと解釈すると、安倍総理の姿勢も見えてくる。私が気づいているのは憲法改正の発議であるが、これは今の文脈からすると「有無を言わさず提案する」ということを意味しているらしい。この場合、提案者は自民党議員、ということになるのだろう。

私はこれまで何度もテレビで国会中継を見ているが、内容はいつも政府の提案に対して国会議員が質問する、という形態だった。制度的には議員提案はできるはずだが、NHKは政府提案の議案しか放映しないことに決めているようである。NHKが中継しないのは議員提案は重要性が低いと判断されているからだろう。政府提案には官僚の多大なエネルギーが入っているが、議員提案ではどうなるのだろうか。さすがに憲法改正案はテレビ中継されると思うので議員提案に対する審議がどのように行われるか、有無を言わさずに投票で決めてしまうのかに注目したいと思う。

筋としては国会はすべての決定に対する説明責任を負うべきだし、メディアはもっと説明責任を問うべきだと思う。

 


日本人はもっと働くべきだ

2017-08-11 14:56:39 | 社会

今日は「山の日」、国民の祝日である。私は国民の祝日をどんどん増やしたり、プレミアムフラーデーを導入したりという政府のやり方を苦々しく思っている。

今年の政府の「骨太の方針」の副題は「人材への投資を通じた生産性向上」であり、改造内閣の主要閣僚も人材育成を重要な方針として語っているが、私にはピンとくる動きがあまり感じられていない。私が最も評価するのが「残業代ゼロ法案」で、最も評価しないのが「長時間労働の是正」であるが、最近は「残業代ゼロ法案」の影は薄く、長時間労働の是正ばかりが言われている。私は政府が長時間労働の是正を叫ぶこと自体が好ましくないと思っている。

残業には大きく分けて3種類ある。

①仕事が面白くて仕方がないのでやる意欲的残業
②特に仕事がないのに帰りにくくてやるダラダラ残業
③期限が迫っていて必要に迫られてやる必要残業

①は多いほうが良く、そのためには「残業代ゼロ法案」が重要になる。②は少ないほうが良いが、国が口を出す必要は無いと私は考えている。②が多い企業は業績が悪化するので、企業自らが減らそうと努力するはずだからである。公的企業の場合には「業績」という概念が薄いので是正されない可能性があるが、残業を減らすよりも「業績」の概念を公的企業に導入するほうが本筋だと思っている。問題は③で、これが量的にも最も多いと思われるので、少し分析して考えてみたい。

必要残業にも自発的にやる場合と、命令されてやる場合とがある。今の政府のやり方は全てを命令されてやる残業と捉え、特定の個人に対する残業命令を制限する方向に動いている。しかし、実態は自発的必要残業のほうが多いのではないだろうか。例えば、私が一時やっていた国際標準化の仕事などでは、会議の日程が予め決まっているのでそれに間に合うように寄書を準備しなくてはならない。しかし、社内の意思決定が遅れたり、予期しない他社の情報が入ってきて変更を余儀なくされたりする場合は少なくなく、残業になる。このような仕事はほとんどの場合、できる人が限られていて、「これは自分がやるしかない」と自覚して残業することになる。営業の顧客対応や、装置の設計でも同様だろう。こういった残業は積極的にやったほうが良いと私は考えている。人がスキルを身に着けるには、特に高度なプロのスキルは「寝ても覚めてもそのことを考え続ける」といった状態を一定期間継続することで身につくことが多い。もちろん、やりすぎて体を壊しては良くないが、自分限界を知るためにも若いうちにそういった「仕事に没頭する」状態を作ったほうが良いと私は考えている。実際、こういった仕事は日本人だけでなく世界中の人が時間構わずやっている。

一方、命令されてやる仕事というのは、実行可能な人が多数いて、その中で誰にやらせるかを上司が判断して決める場合が多い。つまり定型的な業務なのだが、これに関しては個人に負荷が集中しないように配慮するべきだろう。しかし、やれる人がたくさんいるのに個人に作業を集中させるというのはある種のパワハラであり、残業時間を取り締まるというよりパワハラを取り締まるべきだと思う。

難しいのは、人数が少ないのに仕事をたくさん取ってきて、全員が残業せざるを得ない、という状態が慢性化している企業である。一般にはこういった状態が続くと社員のスキルが上がってきて状況は改善されるはずだが、改善されないとすれば、それは経営手法の悪さを長時間労働で補うというブラック企業ということになるのだろう。こういった企業を排除するにも残業規制という文脈ではなく、パワハラという文脈で捉えるべきだと思う。

近年、日本人の能力は世界の中で伸び悩みがひどく、相対的に低下している。能力が低くてもそれなりに良い生活をしたければ、能力を上げるか、人より多く働くしかないことをきちんと認識するべきだと思う。


大学で何を教えるか?

2017-08-09 19:11:37 | 社会

前回、小学校から高校くらいまでのソフトウェア教育について書いたが、今回は大学のソフトウェア教育というか、教育テーマについて書いてみたい。

日本の大学は年々国際ランキングが下がっているが、これは世の中の価値観の変動に大学教育が付いていけていないという面が大きいと私は考えている。最近の大きなテーマとしてはインターネットの利用によるIoT、クラウド、ビッグデータ、人工知能が大きなトレンドになっており、これは将来の産業構造を変えるほどの大きな流れであるとして、政府の「産業構造部会」などでも真剣に取り上げられている。

少し前は「データ分析をする人材が不足している」と言われていたが現在はむしろ「人工知能の人材が不足している」と指摘されている。データ分析人材が満たされたわけではなく、AI人材の不足はさらに深刻だということである。人材についての社会的な要請の変化が明らかであるのに、日本の大学教育の対応は非常に遅い、と感じている。

鍵となる技術として「ディープ・ラーニング」「グラフ・データベース」「ブロックチェーン」などがあると思う。私はこれらの技術を電気・情報系の学生に対しては学部卒業までの必修科目にするくらいしても良いと思うが、いまだに「電磁気学」とか「電気回路理論」とかが必修で、最新の技術に対する授業は貧弱な大学が大部分ではないだろうか?

大学で教える内容は一般教養の範囲を超えるので教える側にかなり深い見識がないと教えることはできない。その意味でアンテナ設計やトランジスタ設計を専門としている教員がソフトウェア系の最新技術を教えるのはかなり困難であり、教員が揃わないという面もあるだろう。こういったカリキュラムの内容を決めるのは学長などの大学の幹部の責任だと思う。教える教員が不足しているのなら、外部から招へいするとか、若手の教員に勉強してもらうとかが必要だろう。学部の授業ならば、大学教授の能力を持つ人ならば1年間の準備期間があれば立ち上げられると思う。但し、自らの研究に最新分野を取り込んでいかないと、次の技術の変化についていけないので、技術を研究テーマとして取り込める人が必要となる。

以前紹介したN高等学校の創始者のひとりであるドワンゴの川上量生氏は「生徒に現代社会を生き抜く武器を与えたい」と語っている。私の感覚では高校の段階ではまだ一般常識でも良いが大学生に対しては「武器を与える」ことが不可欠である。しかし、大学教育で「学生に武器を与える」という感覚は大学側にはかなり弱いように感じる。むしろ「武器を与えるのは専門学校で大学では基礎を教えることが大事」というような反発が強いのではないだろうか? 専門学校の武器はHow-to的な武器で、大学の武器は理解をすることによって使いこなせる武器というのが一般的な解釈だろう。

一方で技術のはやりすたれに大学のカリキュラムが振り回されることは好ましくない。従って大学のカリキュラムを決める幹部は、新しい技術が出てきたときに「将来重要度が一層増す技術かどうか」を判断して決めなくてはならない。「ディープ・ラーニング」「グラフ・データベース」「ブロックチェーン」などは今後も続く技術になるはずだし、さらに発展する技術の基礎となるはずである。日本の大学の現状は教える内容に関して変化が遅すぎる点に問題があると思う。

ちなみに私自身は独学である程度納得できるレベルまでこれらの技術を勉強した。

安倍改造内閣と人材への投資、特にソフトウェア開発能力

2017-08-04 09:22:13 | 社会

安倍改造内閣が成立した。私は今回の顔ぶれがこれまでで一番まともな人事であると考えている。安倍総理は「人材育成と経済対策が目玉」と言っている。これは今年の「骨太の方針」副題が「人材への投資を通じた生産性向上」であり、「未来投資戦略」の副題が「Society 5.0の実現に向けた改革」となっていることから来ているだろう。これらは今年の6月に閣議決定されたものだが、今回の内閣改造は緊急事態が生じたからではなく、支持率低下に対するイメージアップが目的なので基本方針は引き継ぐ、ということだろう。今日はこのうち「人材育成」について感じることを書いてみたい。

人材育成には学校教育と社会人教育がある。学校教育は文部科学省、林芳正大臣の担当、社会人教育は厚生労働省、加藤勝信大臣の担当だが、加藤氏はこれまで働き方改革を担当しており、私から見ると表面的なことばかりいじってきた人物なので全く期待していない。しかし、林大臣には期待している。

メディアは文科省というと天下り問題や特区対応での忖度問題などが重要としているが、私はこれらの問題に対する対応は林氏はどちらかというと不得意だと思っており、安倍総理の期待もその点にはなく、日本の教育レベルが年々下がってきているのを持ち上げる点にあると思っている。政府は2020年から小学校でのプログラミング教育を必須としているが、これに対する対応、あるいは大学の世界におけるランキングの向上などをどうするかに林大臣の手腕を期待したい。以下、日本人のソフトウェア開発能力の強化について書いてみたい。

このブログに何度か書いてきたが、私は日本経済の停滞の大きな原因の一つが、付加価値がソフトウェアシフトしているのに、日本人が質の良いソフトウェアを書けない点にあると思っている。その意味で小学校の教育にプログラミングを取り入れることは、国民全員に「ソフトウェアとはどういうものか」というイメージを持たせるうえで効果があると思っている。しかし、それで日本人のソフトウェア開発能力上がるとは思っていない。

ソフトウェア開発には、どういうプログラムを作るかという要件定義、要件を曖昧性のない形にするアルゴリズム開発、アルゴリズムをコンピュータで実行可能な形にするプログラミング、の3段階がある。日本人はプログラミングやアルゴリズム開発は苦手ではなく、むしろ得意なほうだと思っている。日本人が決定的に苦手なのは要件定義である。作るべき機能が狭い分野で明確な場合は要件定義は殆ど自明だが、何を作ればよいかがあいまいな場合にはこの定義が難しい。そして日本人はあいまいなものを道筋立てて明確にしていく訓練を学校教育ではほとんど受けていない。

例えば「スマート冷蔵庫」を作ろうと考えた場合に、「何がスマートか?」には明確な定義がない。日本人の取るアプローチは「卵は容器が特殊なので在庫数を検知しやすい。卵を買った場合、同じ卵が10日以上残っていたらアラームを出すことにしよう」というのを要件定義にしてプログラム開発を行う。次に牛乳に対して似たようなプログラムを作る。更に生魚、生肉、野菜に対して似たようなプログラムを作る。消費のペースと合わせて更に同じ食品を買いすぎたらアラームを出すようにする。日本人のプログラムは一つずつ追加していくのでどんどん複雑になっていく。ある時、共通性があることに気が付いてプログラム全体を整理する。

これに対して欧米人は最初にプログラムするときに「賞味期限を知らせるには何が必要か?」ということを整理し、最初から「あらゆる食品の賞味期限に対応できるようにするにはどういう構造が良いか?」を検討し、最初の応用例として卵を使う、というアプローチをとる。最初の卵の検知では日本のほうが早く開発できるが、品数が増えるにつれて欧米のほうが開発速度が圧倒的に早くなる。これが日本のソフトウェアが弱い本質的な理由であると思っている。日本企業でこのような手法が根付かないのは、最初にあれこれと「賞味期限を知らせるには何が必要か?」を検討している段階が、幹部から仕事をしていないように見られるという側面もあると思う。

プログラミング教育に話を戻すと、要件定義をする人がプログラミングの経験が全くないとうまくいかないので、小学校でプログラミングの基礎教育を行うことには賛成である。しかし、より重要なことは中学、高校で要件定義に相当する「作業の抽象化」の訓練を行うことだと私は考えている。林芳正大臣は自らはこのようなことを考えないかもしれないが、誰かが指摘したときにそれを理解する能力は備えていると私は思っており、期待している。


独立して10年、この間を振り返る

2017-08-03 10:46:02 | 生活

私が大手電機企業を早期退職して、独立してウィトラというコンサルティングを始めて10年とちょっとが経過した。今日はこの10年間を振り返ってみたいと思う。

早期定年退職して独立しようと考えた動機は、当時の流れだと60歳定年、多少伸ばしても年収を下げた状態で62歳まで、というのが予測されていて、60歳過ぎてから次の仕事を探すより、元気のある早い段階で次の生活パタンを固めたほうが良いと考えたからである。会社に退職を伝えた時には殆どの人が「どこか別の会社に移る」と思ったようだが、会社を変わる選択肢は全く考えなかった。会社を変わっても定年の話は同じで、それならば人脈のできている現在の会社が良いからである。私の目的は自分の好きな時期まで仕事ができる体制を作ることだった。

当時はLTE方式の導入初期で、端末ではAppleのスマートフォンが大きな話題となっていた時期だった。Android端末はまだ出ていなかった。私は無線技術の分野ではそれなりに有名だったので仕事はあるだろうと思っていた。退職時には当時の年収の半額までしか仕事は見えていなかったが、同等程度までは仕事は膨らんだ。実際、LTEは世界唯一の標準方式となり大きく拡大したし、Appleはみるみるうちに売り上げを拡大し、時価総額世界最大の企業になった。いろいろな企業とに付き合いが増え、企業文化にも色々あることを知り、面白かった。

転機になったのは東工大の特任教授の話が来て5年間その仕事を受けた時である。ウィトラの仕事との兼任は可能だったのでウィトラも継続したが、仕事量は大幅に削減し、大学の仕事を入れた。大学の仕事は国際標準化の強化だったのでその分野で授業を持ったり、識者を集めてパネルディスカッションを行ったりした。しかし、修士の学生に標準化のテーマで論文を指導することは難しく、無線技術関係でやることにした。期限が5年間と限られており、実験設備も持っていなかったので、「電波の使い方」を見直すことにして、より有効利用する方式を考えることにした。調べてみると、自分の関わっていた携帯電話以外の分野での電波に利用方法は効率が悪く、大きな改善の余地があることが明らかになり、修士学生の研究テーマには困らなかった。

2015年末に東工大の任期が終わってみると、世の中の無線通信の環境は大きく変わっている。LTEもほぼいきわたり、スマートフォンも飽和感があって、買い替えのモードに入っている。無線技術者は次のステップとして第5世代移動通信に大きな期待をかけており、私も技術内容はフォローしているが、魅力的なサービスは感じられず商業的な成功は難しいと感じている。無線は技術革新で進歩する時代から、有効利用の方法を考える時代に入っていると思っている。10年で無線技術や事業が成熟期に入るとは予測していなかった。

特任教授時代は安定した収入があり経済的には楽だった。しかし、大学の仕事がなくなって、私の収入は大きく減少した。しかし、私も年金をもらえる年齢になっているので、収入を補うためにいろいろ動いて仕事量を増やすよりも、技術革新の中心となってきている、IoT、ビッグデータ、クラウド、AIという大きな流れが実態としてどうなっており、どうなりそうかということを自分の考えで咀嚼することに現在の私の興味は向っている。この分野では過去の蓄積が少ないのでなかなか事業とするには難しいが、新しい技術を勉強することにより、自分なりの技術動向・事業動向はつかみつつあると感じており、他の人とは一味違う観点を示せる感じにはなっている。その意味ではストレスは無い。

結果として「自分の好きな時期まで仕事ができる」ということは実現できており、早期退職は成功だったと前向きにとらえている。


熱意あふれる社員の比率、日本は139か国中132位

2017-08-02 11:11:19 | 社会

日経ビジネスによると、アメリカ、ギャラップ社の調査で表題のような数字が出ているそうである(2014年から2016年にかけての調査)。熱意あふれる人はアメリカは32%に対して日本はわずか6%、逆にやる気のない人はアメリカ51%に対して日本は70%とのことである。もう一点、気づいた点は中国人のやる気のある人の比率が日本と同じくらい低い点である。私のHuaweiや日本企業の現地法人との付き合いから受けていた印象は「中国人は熱意のある人が多い」だった。自分の直感と異なっていると感じている。しかし、考えてみれば中国は共産党国家で、大部分の国営企業では従業員のやる気は低く、私が付き合っていた企業は特殊なのかもしれないと思い、納得した。

それにしても、日本のこの数字はあまりにもさびしいではないか。ギャラップの分析によると日本社員の不満の大部分は組織に対してよりも上司に対してだそうである。つまり、上司のやり方が気に入らなくても自分で状況を変えることができない点が大きいようである。

そうだとすると、私は恵まれていたと思う。会社の中央研究所に在職していた18年間は、今振り返っても殆どの時期で上司に恵まれていたと思えるし、その後の多くの期間では上司は私の好きにやらせてくれていた、と感じている。

ところで現在、日本で進行中の働き方改革はこの問題の解決に向かっていないと私は感じでいる。少なくとも6%しかいないやる気あふれる人を増やす方向の対策には動いておらず、むしろ不満を持つ人たちに対する対策であるように思う。そしてその対策も、根本原因を解決するという方向性ではなく、労働時間を減らす(極端に増やさない)、といった楽をさせる方向に動いている。

これは安倍総理の目指す「頑張る人が報われる社会」に日本社会は向かっていないということだと思う。安倍総理の目指す社会を実現するには、6%の熱意ある人の出世を早くするなどのインセンティブを強化することが不可欠である。しかし、そのような政策は全く見られない。むしろ、残りの94%に楽をさせることにより6%の人にしわ寄せが行って、6%がさらに減る方向ではないかと思っている。これでは日本企業の競争力は上がるどころか下がってしまうだろう。

安倍総理はそのことに気付いていないのだろうか?
気づいているが、労働者に楽をさせることは人気取りの政策なので、支持率を上げるために仕方がないと思っているのだろうか?

それとも私が勘違いをしているのだろうか?

気になるところである。