ウィトラのつぶやき

コンサルタントのウィトラが日頃感じたことを書いていきます

雪の残る街を歩くと

2018-01-27 16:09:29 | 生活

今週の一番の出来事は、なんといっても月曜日の大雪だった。昼過ぎから雪が降り始めて本降りになってきたのだが17時からウィトラのオフィスで電話会議が予定されていたので、早く帰る訳にはいかなかった。結局オフィスを出たのは18時頃で、既に道には10cmほど積もっていた。それでも数年前よりは浅く、気温が低かったので雪質が良く、それほど歩きにくくはなかった。

火曜日は天気も良く暖かかったのだが朝から都内に出かける用事があり、8時頃に家を出た。思ったほど問題はなく、帰ってきたときにはかなり雪も片づけられていた。しかし、その夜から寒波がやってきたので、日当たりの悪いところでは土曜日の今日でもまだ行くが残っており、カチンカチンに凍っていて滑る。多くの家は自宅の前を片付けるので歩きやすくなるが、2割ほど片づけない家がある。私は朝に2時間ほど歩くのでどういうところが片づけないかが良く分かる。今回で印象的だったのは、あざみ野ガーデンズという最近できた中規模のショッピングエリアである。ここはエリアの中はきれいに片づけているのだが、バス停からショッピングエリアに至る歩道(メインの通り沿いの太い道の歩道)は雪が片づけられておらず、今日でもまだアスファルトが見えていないところがあった。中にいる店の間での自治会のような組織が機能していないのだろうと思った。

歩いていて最近感じるのは「カラスいけいけ」という緑色の組み立て型のごみ箱が普及してきたということである。以前はごみ袋の上にネットをかぶせでいるところが多かったのだが、この方式だとカラスが外からつついて、ごみが外に散乱しているところが多くあった。ここ2-3年で「カラスいけいけ」が急速に普及してきて、これだと高さがあるのでカラスが突けず、ごみが散らかることもなく、カラスの数がかなり少なくなってきた感じがする。まだネットをかぶせているところもあるが、あと2-3年でほぼ「カラスいけいけ」が普及して、カラスがごみを散らかすことはなくなり、カラスを見かけなくなるだろうと思う。ネットが付いた組み立て型のごみ箱に特許性があるのかどうか知らないが、殆どは「カラスいけいけ」を導入しているように思う。「特別な技術があるのだろうか?」などと思っている。

「春は空から」という言葉があるが、空の色は春めいてきたと感じている。これまで「高い青空」という感じだったのが、晴れの日の青空もどこか「ふわっとした青空」のように感じる。この寒波が過ぎると、日も長くなってきて、花の芽も感じられるようになり、「春」を本格的に感じられるのだろうと思う。


大相撲はスポーツではなくなった

2018-01-17 19:49:12 | 生活

私は大相撲はプロ野球やJリーグのようなスポーツではなく、プロレスのようなスポーツ的興行になった感じを受けている。それで相撲中継を見ようという気が急激に下がっている。プロレスのようなショーを見るのが好きな人もいるだろうが、私は真剣勝負でないショーは好きではない。プロレスもほとんど見ない。

なぜ、大相撲が興行になったと思うかと言えば、横綱審議委員会の委員長である北村氏が「白鵬はカチアゲや張り手をするべきではない」などと言ったからである。「横綱にふさわしくない」というのがその理由である。NHKの解説の北の富士まで同じようなことを言っている。

禁じ手でもなんでもない技を特定の人物に「使うな」というのはもはやスポーツではない、興行である、と私は考える。スポーツというのは決められたルールの中で勝つために最善を尽くすものである。そこに真剣勝負の醍醐味がある。見栄えをよくするために特定の人物に違うルールを当てはめようとするのはもはやスポーツとは言わない、と私は考える。

野球でもサッカーでも見栄えのするプレーをして人気が出る人はいる。しかし、公式の場で見栄えが良くなるように圧力をかけるような行動は許されるべきではないと思っている。

背後にはNHKの圧力があると私は思っている。NHKとしては見栄えとか、人気とかが重要なので強いモンゴル人よりも弱い日本人を引き立てようとするし、見栄えの良くない技には否定的である。北村氏も毎日のOBなので同じような感覚なのだろうと思っている。私は横綱審議会はもはや老害でしかないと思っているが、相撲協会自身が受け入れているのだから仕方がない。

日馬富士の暴力問題でも、本来ならちょっとした内輪もめで済むはずのところを大問題にして横綱を引退させてしまった。これもニュースを食い物にするメディアのせいだと思っているが、背景にはモンゴル人が強すぎることに対する、ファンの反感がありそうである。私はむしろモンゴル人の相撲の方が足腰がしっかりしていて好きなのだが、ここにも日本人至上主義のNHKの影を感じている。相撲協会が真剣勝負を捨てて興行に走るなら、もう見る価値はないと思っている。私のように考える人はほとんどいないのだろうか?


アーキテクチャの重要性

2018-01-08 14:37:26 | 社会

私はここ数年、日本の情報通信産業が弱くなったのはソフト開発がうまくないから。日本企業のソフト開発力が低いのはプログラミングが苦手だからではなくアーキテクチャ発想が弱いからだ、と人に語ってきた。この気持ちは今でも変わっておらず、むしろアーキテクチャの弱さは更に広い範囲に及んでいると感じている。

アーキテクチャとは元々は建築の分野からきた言葉で、他の分野では「重要な骨格」のような意味で用いられていると思う。ずいぶん以前になるが、建築関係の本を読んだ時に、日本の建築とヨーロッパの建築の比較が書いてあって、ヨーロッパの都市はきれいに設計されていて美しい、しかし、個々の建物に入ると雑な部分が多く使いにくいところは少なくない。これに対して日本の都市設計は鳥観図はごちゃごちゃしていて自然発生的に作られたように感じるが、個々の建物に入ると細かなところに工夫が為されていて使いやすくできている。どちらが良いということではなく、民族性、文化の違いだろう、というようなことが書かれていた。私はこの見方に同感であるし、多くの方が実感として「そうだな」と思われるだろう。

この全体設計がアーキテクチャだと思う。日本の都市も何も考えずに作っているわけでは無いが、ヨーロッパの都市が数百年先まで使えるようにアーキテクチャを考えているのに対して、日本の都市は数十年先までを考えているということだろうと思う。要するにアーキテクチャとは将来の様々な変化を予測して現在を設計する、ということだと私は認識している。近い将来に最適化すれば、当面は良いが早い時期に再設計が必要になる。遠い将来に焦点を当てると当面の利便性が犠牲にされやすい。実際問題として遠い将来の予測は困難なので「美しい」と感じる構造にしておくと「はずれ」が少ない、というのが都市設計のアーキテクチャではないかと私は思っている。

日本では教育でもこういった将来の変化を見越して何かを考えさせるという場面は殆ど無く、目の前の問題、課題を解かせることばかりを行う。結果としてアーキテクチャ発想が殆ど育成されない、と私は思っている。企業でもアーキテクチャを考えるより、当面の利益を確保できる人が出世する。つまり日本人のアーキテクチャ力を高めるには、仮に政府がその方針を打ち出したとしても数十年かかる、と思う。

ソフトウェアの世界では変化が速いのでアーキテクチャの重要性が高く、これを行なえない日本の企業は長期間利用するソフトウェアプラットフォームの世界では全く存在感を出せていない。考えてみると日本でベンチャー企業が育たないのもアーキテクチャ発想が無いからではないかと私は考えている。つまり、ビジネスモデルには会社を大きくするためのアーキテクチャが重要で、当面のビジネスで形が固まってしまうと、それを世界に展開する、あるいはもっと価値の大きな分野に進出する、と言ったときに会社を作り替えないといけなくなる。これが難しいので、日本のベンチャーはたとえ成功しても、その先に大きな発展することが無く中小企業止まりになってしまう。

日本のアーキテクチャ力を高めるにはどうするか? 日本人でもたまにはアーキテクチャが得意な人が居るので、そういう人を重要視する会社ならばある程度はできる。しかし、層が薄いとそのアーキテクトが孤立しやすく、当面は外国人を雇うしかないだろう。

教育の分野では、問題を解くような教育ではなく、好ましい解が変化するような問題を考えさせる教育が重要だと思う。私が思いつくのは、例えばクラスの運営である。掃除当番が典型例だが、クラスを運営するためには様々な委員が必要で役割分担を決める必要がある。今は教師が委員を定義していて、子供に決めさせるとしてもせいぜい誰を何委員にするかだろう。そこをどういう委員が必要かを子供たちに決めさせる。教師はこんな仕事がある、という例をいくつか示すのに留める。運用を始めるとかならず、「これは誰がやるべきか?」というような課題が出てくる。その都度、話し合いで既に決まっている委員にやらせるか、新しい委員を作るかなどを決める。こういったことを繰り返していけば、アーキテクチャ発想が多少は養わせるのではないかと思っている。そのような経験の上でアーキテクチャを考えておくことの重要性を説明すれば頭に入るのではないだろうか。


2018年を迎えて

2018-01-04 15:48:53 | 生活

あけましておめでとうございます。

皆さんはどのような正月を迎えられただろうか?

私は帰省する先もないので、自宅でゆったりとした正月を迎えた。天気も良い日が続き、のんびりとしたテレビを見て過ごした正月だった。12月の30,31日と、1月1日だけは普段の長時間散歩をしないで、正月の準備と正月の暮らしをして、1月2日からは歩き始めたのだが、この3日間で約1Kg、体重が増えてしまった。

今年の目標などはまだ定めていないのだが、「合同会社ウィトラ」を継続するかどうか、早い段階で判断したいと考えている。個人的にはキャッシュレスでできるだけ現金を使わずにSUICAとクレジットカードを中心に使っていきたいと考えている。これは昨年Alibabaを調査したときに感じた「中国のキャッシュレス社会」に近い感じを自分でも感じてみたいと思ったからである。私自身は購買行動がカード会社などに知られてしまうことには抵抗感はあまりなく、ビッグデータとして使ってもらって良いと感じている。

クレジットカード付PASMOを申請したのだが、その際に自分の身分を証明する資料としてマイナンバーカードが受け付けてもらえなかった点には驚いた。政府発行のカードであるにもかかわらず、「運転免許証でないと受けられません」と言われてしまった。マイナンバーカードは身分証明として使えるのは政府系機関だけで民間にはまだまだ受け入れられていないことを知った。このあたりに日本のIT行政のちぐはぐな面が現れていると思う。

今年は電波利用の話を前に進めていきたいと思っているが、これは私の力で動く話ではない大きな話なので関係者の意識を高めることに引き続き尽力したいと思っている。

最近は無線通信よりも、経済全体、あるいは政治のありかた、価値観のありかたなどに興味を持つようになってきている。折に触れて感じたことを発信していきたいと思う。

今年も、よろしくお願いします。