ウィトラのつぶやき

コンサルタントのウィトラが日頃感じたことを書いていきます

不自然に広い道

2017-05-28 17:02:45 | 生活

その道は片側2車線くらいあるのだが、端のほうに車線を引いて1車線で運用している。中央には植込みのある幅1m位のしっかりした中央分離帯があり、道の両側にそれぞれ幅2.5mくらいのゆったりした歩道がある。明らかに幹線道路の設計である。

私の家の近くにある道路だが、この道路は桐蔭学園の近くの横浜総合病院から元石川高校までの1.5km程度しかなく、先は行き止まりのような感じになって普通の片側1車線になってしまう。明らかに不自然である。同じような道が田奈高校の近くにもある。たまプラーザの団地にもある。たまプラーザの道はほんの100mくらいしかないのだが、歩道橋が架けられている。

どうも、こどもの国あたりから鴨志田団地を通ってあざみ野、たまプラーザを抜けて東名川崎に出る幹線道路を計画していたようなのだが、途中で用地買収がうまくいかなかったか何かで中止になったものと思われる。鴨志田団地のあたりはやや距離も長く2車線道路で運用しているのでそれほど不自然さはないのだが、他のところは交通量も少ないのに明らかに不自然である。そしてそれらをつないで幹線道路にしようという動きは全く感じられない。

何があったのかは知らないが、工事を始めて一部が出来上がってから中止するのはやはり問題があると感じさせられる。私は港北ニュータウンに関しては造成を始めたころから見ていたが、最初は「こんなところにこんな広い道を作ってどうするのだろう」と思うような感じだったが、今になってみるとむしろ幹線道路は狭かったような感じにまでなっている。

あざみ野のあたりはおそらく計画ができたのが1950年代、実際の都市化が実行されたのが1970年代だったが、港北ニュータウンの場合は計画が1960年代後半、造成が始まったのが1980年代なので、あざみ野の時の失敗が経験になっていたのか、港北ニュータウンでは中途半端な道路は見られない。あざみ野地域は東急田園都市線の鉄道構想がベースになっていたのに対して、港北ニュータウンは道路計画が都市計画のベースとなっていたからかもしれない。

都市計画は計画から実行までに何十年もかかり、その間に社会や経済も変わるので難しいが、最初に筋の良い計画を作ることの重要さを特に強く感じる。


メキシコ国境の壁 vs 一帯一路

2017-05-19 09:58:36 | 社会

アメリカがトランプ大統領になって半年近くが経過し、大分トランプ流のやり方が分かってきた感じがする。メキシコとの国境に壁を作る、不法移民を取り締まるためにビザの発給を制限する、企業減税などを大統領令として出したが、実態としては滞っている。今はまた、ロシアとのやり取りの関係でCIAに圧力をかけたとか不当に情報を流したとか言われて弾劾されるリスクが高まっている。選挙中に不正があったのかどうか真実は分からないが、CIA長官の解雇のやり方から見てかなり怪しいが私は考えているが、相当長い期間結論は出ずに、今のトランプ体制が続いて今後とうなりそうかについて書いてみたい。

私は、トランプ大統領が就任したあたりでは赤字国債を乱発してアメリカがバブル景気になると予想していたのだが、共和党は大きな政府を嫌っていて、アメリカの財政悪化はそれほど一気に進まない感じが見えてきた。トランプ氏の経済政策は穴だらけで、アメリカの財界や共和党は、トランプ氏の政策をそのまま受け入れるのではなく、考えにある程度沿うようにして、自分たちに利益が向かう筋道を模索しているのだと思う。従って実体経済的に動き始めるには徐幹がかかるだろうし、動き始める前に大統領の弾劾や辞任が起こるかもしれないとも思う。動きが遅いことはアメリカ経済にとっては良いことだ言えるだろう。

一方で、中国は「一帯一路」構想を大きく打ち出して存在感を広げている。「米中もし戦わば」という本の中にも出ていたのだが、中国が恐れているのは何か問題が起きた時の経済封鎖であり、アメリカは日本などの同盟国と結んで、中国を海上封鎖できる体制を整えようとしているし、中国が南シナ海の利権を主張しているのは、資源の話もあるが封鎖をできなくする狙いが大きいという。「一帯一路」構想は経済構想であるが海上封鎖による中国に対する経済封鎖を避けるという軍事的狙いもある。

政策としてみた場合「メキシコの壁」と「一帯一路」でどちらが良い響きを持つか、どちらが建設的かは言うまでもない。世界の眼が「アメリカ中心」から「中国中心」に向かう、着実な一歩を踏み出したと私は考えている。つまり中国が成功しつつあるということだが、半年でこれだけの雰囲気の変化はかなり早いと私は感じている。

トランプ大統領は、習近平国家主席との会談中にシリアを攻撃し、北朝鮮問題で中国に強い圧力をかけた。シリア攻撃がタイミングを狙ったものか、偶然あのタイミングで行われたのかは私には分からないが、習主席はかなり押し込まれた形で北朝鮮に圧力をかけ、北朝鮮が孤立を深めているのは事実である。かなり危険な動き方ではあるが、私は一連の軍事戦略はトランプ大統領の打った手として唯一評価できるものだと思っている。但し、北朝鮮が数か月核実験を遅らせたからと言って問題が解決するわけでもなく、結論を出すにはまだ早いだろう。

軍事の話があるので、中国がアメリカに押されているような印象を受けるが、全体としてみれば「トランプ政権の期間中に中国が世界の中心国家になる」という中国のシナリオは着々と進んでいるように見える。


「あの人は技術に関しては外さない」

2017-05-14 17:17:13 | 東工大

20年くらい前に私が会社勤めをしていたころ「あの人は技術に関しては外さないからねー」というような話を同僚としたことがある。最近、企業内でこういう話がされているのだろうかと感じている。

どういう場面でこの話をしたかというと、これを言ったのは同僚で「ある人」の意見が今一つ腹落ちしていないのだけれど、過去の実績から外れていることは少ない、という意味合いで使われていた。私も同意した。私自身の専門技術分野からは若干ずれた分野だったので自分では判断できなかったが「あの人」の言うことは信用してよいだろうと感じていた。自分の専門分野では周囲の人にこう言われたいものだと思っていた。

何気ない言葉だが結構重要な意味合いを含んでいると思う。まず、「外さない」というのは「詳しい」というのとは違う。「技術に詳しい」人は結構たくさんいるのだが、大部分の人たちは現状どうなっているかについて詳しいのであって、将来どうなっていくかについてはあまり読めない。「外さない」というのは先が読めて、その読みが当たるだろうと信用されているということである。

「技術に関しては」というのも重要だと思う。できる人だが、その人の意見を全面的に受け入れるわけでは無い。技術的洞察力が優れていると評価していて、その部分を信用している、ということである。日本社会では「誰かに付いて行く」と決めるとその人の言うことを何でも受け入れる、というような風土があるが、万能の人はめったにいない。優れている部分を見つけ出し、その分野では信用する、というような姿勢が重要だと思う。

カリスマ経営者と言われる人はこういった人の能力を見抜く眼が優れていて、「この分野ではこの人」と決めて、意見を聞き、判断をしているので短時間に次々と決断をしていくことができるのだろうと思っている。CTOとかCFOとかいう言葉は、そういった人物を探し出して任命することを意味していると思うが、日本では組織として探し出す仕組みはできておらず、適任者がいなくても役職の一つとなって、誰かをその業務に割り当てるということになっていると思う。

洞察力のある人を見抜くことも重要だが育成することも重要である。そのためには、普段から将来どうなるかについて意見を戦わせることが大切である。意見を言いにくいような企業風土は論外だが、言いやすい風土でも目先の議論はしても少し遠い先のことになるとあまり議論しないし、議論したとしても後になると忘れてしまうことが多い。日本では部下が上司の見識を知る機会は結構あるが上司が部下の見識を知るチャンスは少ないように思う。これを意識して引き出すようにする必要があるだろうと思っている。

現状では個人の経営者で部下の能力を見抜く眼を持っている人がたまにいて、その時はうまく機能するが、経営者が変わるとCTOなどは形骸化することが多い様に感じている。



フェイク・ニュースの扱いについて

2017-05-11 15:01:35 | 東工大

最近、フェイク・ニュースという言葉を時々聞く。端的な例は「アメリカの大統領選挙でローマ法王がトランプ候補を支持した」というのがある。私はこれは所謂ロシアのサーバーテロ的な政治的意味合いを含んだものかと思っていたが、どうもそうではないらしい。政治的フェイク・ニュースもあるが、どうも大部分は怪しげな人物の小遣い稼ぎのようである。先日、テレビでその小遣い稼ぎの連中に取材した番組があって、興味深かった。日本で言えば「大谷翔平のけがは重大で再起不能」といった類の情報を根拠なく流すのだがキーワードが有名人で重大な影響がありそうだと、転送されて読者がどんどん増える。それで広告がついて結構よい収入になるらしい。

フランスやドイツ政府ではこのようなフェイク・ニュースを探し出してプロバイダーに連絡するなどを始めているが、フェイク・ニュースを探すのは作るよりもはるかに手間がかかるため焼け石に水だそうである。各国政府は頭を痛めているらしいが、小遣い稼ぎの商業的フェイク・ニュースならば対応はそれほど難しくないように思う。広告費を払うということはプロバイダーが口座を管理しているので、フェイク・ニュースを作成している講座を突き止めることは可能で、支払いを止めるとか、警察に連絡するとかいうことは可能だと思う。ある程度実績のあるサイト(口座)でないと広告費は支払われないので、毎回別の人物に成りすますことも難しいだろう。問題は経済的な意図はなく、偽情報の拡散そのものを狙っている場合である。これは政治的な意図がある可能性が高いだろう。

私は4年ほど前に「「サイバー交番」のススメ」という記事を書いた。街中にあるリアル交番の1割程度を減らし「サイバー交番」という組織を作って、ネット上の様々な問題点に対応してはどうか、という提案である。このブログ上でも特に反応はなく、その中もそのような組織を作る動きは無いが、4年間経過してサイバー交番の必要性は増していると思う。あの時の気持ちはますます強くなってきている。インターネット上の様々な問題に関して、政府は問題が起こるたびに対応策を考える「モグラたたき」をしているように感じる。ネット上の問題に関して包括的に対応する体制を考えるべきではないかと思う。


音楽の趣味、ロックの良さが分からない

2017-05-09 16:38:20 | 生活

ゴールデンウィークも終わって通常の生活パタンに戻りつつあるが、先週、音楽を聴く時間が多少長くなり、私自身の音楽の好み見ついて振り返ってみた。私は20代のころはジャズ喫茶に行ったりコンサートに行ったりしてジャズをよく聞いていた。レコードも結構持っていた。テレビではベストテンのような歌謡曲の番組をよく見ていた。それが、仕事が忙しくなってきた30代後半から音楽を聴くことはめっきり減り、聴くのは飛行機でアメリカやヨーロッパと往復する機内のオーディオサービスだけになった。この5年くらい、自営業的になり、歩きながらラジオを聴くことが増えて、少しずつまた音楽を聴くようになった。

LPレコードは20年ほど前にプレーヤが壊れた時に捨ててしまったが、CDはそれなりに持っている。多いのはジャズで40%くらいだろうか。クラシックが15%くらい、歌謡曲やフォークソングといった日本の歌ものが30%くらい。残りは民族音楽的な、佐渡の大太鼓とか、三味線、フラメンコギター、パンフルート、シタールなどの演奏である。ロックのCDは殆どない。

歌を聴く場合には大勢で歌っているのはあまり好きではなく、ソロのほうが好きである。大勢で歌っている場合には、ダークダックス、デュークエイセス、ボニージャックスといった合唱団や、赤軍合唱団、ミッチミラー合唱団などは好きなのだが、SMAPや嵐などは好きではない。

ラジオを聴いているとロックが好きだという人がたくさんいるのだが、私はロックが「良い」と思ったことは殆どない。昨年亡くなったプリンスなども良いと思ったことは一度もないし、ビートルズでさえ良いとは思っていない。ビートルズの場合には曲は良いと思うので、時々聴くのだが、「歌が良い」と思ったことは無い。なぜロックが好きでないかは自分でもわかっていない。クラシックの場合には、飛行機の中で聴いて、「良い」と思ったことが何度かあり、CDを買ったりしているのだが、続けて聞くとすぐに飽きてしまう。

ロックに関してはこれだけ「好き」という人が多く、それも熱狂的に好きになる人が多いのに自分がそれを理解できないのは人生の楽しみの一つが分かっていない気がして残念に思うのだが、心に触れてこないのだからどうしようもない。最近は好きな音楽を買って聴く、ということは殆どなく、ラジオから流れてきた音楽で自分の気に入ったものを「良いな」と思う程度なので、ロックを耳にすることも少なくない。何かの拍子に良さが感じられて、それ以降は好きになることが起こらないかな、とかすかに期待している。


10代の若者の活躍

2017-05-05 15:34:38 | 生活

この頃10代の若者の活躍が目立っている。

先日、このブログでも取り上げた平野みうは17歳になったばかりだが卓球で世界ランキング1位の丁寧を破り、その時点で綿はブログに書いたのだが続いて中国選手二人を準決勝、決勝で連続撃破して優勝した。中国のコーチは「まぐれではない。今後に向けて対策を考えないといけない」と語っていたそうである。卓球男子では張本智和という中学生(13歳)が昨年の世界ジュニア大会(18歳以下)で優勝した。男子で18歳と13歳では体力的に大きな差があるので13歳で優勝というのは大変なことだと思う。但し私はまだ彼のプレーを見たことは無い。

今、話題で盛り上がっているのは中学生で将棋のプロ棋士になっている藤井総太四段である。昨年末にプロ入りして以来、負けなしの16連勝で大きな話題となっている。公式戦とは別にAmema TVの特別企画として、「藤井総太、炎の7番勝負」というのがあり、この中で将棋連盟理事長で先日NHK杯で優勝した佐藤康光九段や、深浦浩一九段、羽生善治3冠にも勝っている。実はこの7番勝負は6勝1敗で、永瀬拓也六段に負けているのだが、佐藤、深浦、羽生を連破するということは一流棋士とそん色のない実力を持っていると言って良いだろう(この3人とは公式戦ではあたっていない)。中学生でこの成績は本当に驚きである。

私の趣味である囲碁の世界では藤沢里奈三段(18歳)に注目している。11歳でプロ入りし、現在は女流本因坊、女流名人を併せ持っている。普通は女流名人とはいっても男性棋士に比べればかなりレベルが落ちて、あまり棋譜を見る気も起らないのだが、藤沢里奈の場合は従来の女流棋士の枠を超えていると私は感じている。最近の実績を見ると団塊の同世代の名棋士、林海鋒、大竹英雄、石田芳夫、武宮正樹、小林光一などでは彼女にかなわないと思う。趙治勲は良い勝負をすると思うが、それでもどちらかというと藤沢乗りである。彼女の棋譜を見ると大胆で読みが深く、見ていて面白い碁を打つので私は藤沢里奈の名前を見ると並べてみようという気になる。。現在、日本の棋士で一番見たいのは井山裕太6冠の碁であるが、それに続く高尾名人、山下九段などと同レベルに若手の伊田八段、一力七段などがおり、私にとって藤沢三段はこれらの人に並ぶレベルである。そのうち男性棋士を含む棋戦でタイトルを取るのではないかと期待している。

水泳では池江璃花子(16歳)が目立っている。リオ5輪の時は「急に伸びてきた若手」というイメージだったが今は第一人者の貫録を感じる。

こうしてみると10台で活躍するのは女子が多い。特にスポーツでは女子は瞬発力や敏捷性では10台でピークを迎えるような気がする。子供のころから才能を見出して厳しいトレーニングを積めば若くてトップに立てるということだろう。以前にも書いたが、一つの道にあまりに深く打ち込むことは人生全体で見ればリスクとなる(例えば藤沢里奈は学歴で言えば中卒)のだがそれを認める親が増えているということだと思う。

子供の日に才能を開花させた若手を改めて応援したいと思う。


「のらぼう菜」と近隣散歩

2017-05-04 13:47:52 | 生活

世の中はゴールデンウィークで今週は全部休みという人も少なくないだろう。我がウィトラは国民の祝日は休みにしないことにしており、土、日だけを休みにしているので今週も毎日ウィトラのオフィスに通っている。しかし、世間が休みなので私の気持ちにも半分休みのような気分があり、朝の散歩がてらの通勤にいつもより時間をかけて通っている。

そうして見つけた一つが「のらぼう菜」である。これは道端にある無人の野菜販売所に置かれていたものだが、一束100円で、川崎特産の野菜でおひたしにするとおいしいと説明が書かれていた。一つ買っておひたしにしてみた。葉の感じはほうれん草と似ているが今一つ味が薄いと感じた。翌日は炒め物にすると味が濃く、「これはいける」という印象だった。茹でると味が逃げてしまうのだろうと思っている(茹ですぎかな?)。スーパーでも見たことが無かったのだが、売っていればまた買ってみたいと思った。

今日は以前住んでいた若葉台団地まで行ってきた。自宅から藤が丘駅の、青葉台駅の近くを歩いて十日市場駅前経由で若葉台団地に向かう。途中の十日市場の駅の近くに大きな団地ができていて道が分からなくなったが、新治市民の森の外周を見つけて、そこから三保市民の森の外周を通って若葉台団地に至る。団地の中央にある商店街で一服してコーヒーを飲んだのだが、通りかかる人に老人が目立つと感じた。私がこの探知に住んでいたのは15年前くらいまでなのだが、その後の住民の入れ替わりが殆ど無いということだろう。

そこから以前住んでいた4-29号棟のほうに回った。建物の正面に市営のプールとテニスコートがあり、どちらも良く利用していた。その隣には若葉台西小学校と中学校があったのだが、子供が減ったので閉校になり、若葉台東小学校、中学校と統合したと聞いていた。今日行ってみると、星槎高等学校と中学校になっていた。知らない学校だったが、ネットで調べると2011年に若葉台に移ったとあるから、2度くらいはこの前を通ったはずである。今回気づいたのは「ボウリング部全国大会出場」という大きな垂れ幕があったからである。全体的に子供の数が減っている中でよほどの特徴が無いと維持できないだろうと気になった。

そこから東工大のすずかけ台キャンパスの中を通り、つくし野駅から田園都市線であざみ野まで出てすすき野に来た。ちょっとしたハイキングで気候も良く、気持ちよかった。


日本の大学を強化するには

2017-05-03 16:14:41 | 東工大

大学の今後の強化のための考え方について私の考えを整理してみたい。

コメントにも入っているように、大学の教授というか研究室の評価はほとんどなされていないのが実態である。それは教授会が大学の意思決定機関になっていて、教授の身分は保証されているから、という点から来ていると私は考えている。従って、企業のように「人事考課」のような仕組みを取り入れることは大学の構造を根本から変えることになり、私立大学ではできても公立大学では現実的ではないと思う。

現在、大学教授に対する「人事考課」が存在しない(教授になるときには評価される)、からと言って大学教授に業績に関するフィードバックが機能していないわけでは無い。殆どの大学では教授は給料はもらえるが研究費は自動的にはもらえない。「研究費は自分で稼いでこい」というのが大学のスタンスであり、教授たちは様々なプロポーザルを書いて国または企業から研究費を稼いでくる。その意味で大学教授は中小企業の社長と言える状況であり、大学の教員は(教授だけでなく)自分の研究成果をうまくプレゼンする能力は開発される。これは黙々と仕事をやっていれば上司が評価してくれる企業とは異なった環境で、企業より良い面もあると思う。研究費の大部分は科研費と呼ばれる文部科学省の研究費であり、これは各大学からのプロポーザルを他の大学の同じ分野の教授たちが評価していると言える。

現在、文部科学省はこれまでの一般的予算を徐々に減らして、学長裁量を増やしたり、競争的資金というのを増やしたりしている。競争的資金というのは個別の教授の研究資金ではなく、ある程度まとまった複数の研究を一つの大きな流れにまとめ上げるもので、5年間くらいの期間で、企業や地域を巻き込んで行うことが求められる。大学間の提案でコンペを行い、審査に通った案が資金を得られるので、大学では教授たちが集まってストーリーを作っている。このやり方は一定の効果を生みそうに思う。大学内でも社会の役に立つ有力な研究をやっていて中心的に動けるのは誰か、という点が明確になる。実態としてどのような案が高く評価されるのか、研究はうまくまとまっていくのか、等に問題はあっても方向性は良いと思う。

私が最近の動きで「良いな」と思った例はStanford大学のCARSという組織である。これは自動運転に関して、技術開発から、法整備、保険の考え方など自動運転に関わる幅広い分野を総合的に研究する組織で、Stanford大学の教授たちが核となって組織を作り、多くの自動運転に参入しようとする企業が賛同して研究員を送り込むような組織に発展している。私の居た東工大では「環境エネルギー協創教育院」という組織ができていて省エネ技術などを研究する組織となっているので似たような性格だと思う。だが、地球温暖化を巡る先進国と新興国の対立をどう解くか、とかCO2の取引価格のビジネスモデルはどうするべきか、とかいった技術以外の分野に関する取り組みは弱く、技術的内容が殆どであったように思う。この組織から気候変動を議論する国際会議の日本案が出てくるような位置づけになれば面白かったのに、と思う。このような、技術と経済、法律を合わせたイノベーションが求められている分野は少なからずあると思っている。

政府はそれなりに工夫している状況がみられるので、大学がどういう動き方をするべきかについて考えてみたい。大学の意思決定が教授会をベースとしているという仕組みを変えるのは抵抗も大きいしうまくいくかを見通すのが難しいので継続するべきだと思う。教授会が各教授の評価をするのは現実的ではないので、准教授以下を評価するべきだろうと思う。准教授や助教の評価は今より時間をかけて行い、何年間かの評価の結果としてその人の成長を見定めて昇進を決めるべきだと思う。

教授の評価を大学内でどうするかは難しく、私も良いアイデアを持っていない。教授の業績を評価するよりも大学としてのブランド価値構築にその教授や学科がどれだけ貢献しているかを評価して、新組織を立ち上げるときの参考にするなどが良いのではないだろうか。これは教授会の上の理事会で行うのが良いと思う。一般的には「あの大学のあの分野は強い」といった認識がある。これを戦略的に「強いところを一層強くする」のが大学が取るべき戦略だと思う。

これまでは主に「研究」について書いてきた。大学のもう一つの大きな役割は「教育」であり、どういう人材を育成するべきか、は大きな問題であるか、この点に関しては別途気の付いたときに書くことにしたい。