ウィトラのつぶやき

コンサルタントのウィトラが日頃感じたことを書いていきます

時間のかかる解体工事

2014-04-29 10:22:01 | 生活

私は時折、三鷹に行く。母がケア付きマンションに住んでいるからである。あざみ野から三鷹まで行くのに、百合丘に出て、よみうりランドの山を越え、鶴川街道を通って調布の電通大の横を通り東八道路に出る。この電通大の横あたりが中央高速の乗り場も近くにあっていつも渋滞する。

調布駅近くに京王線をまたぐ跨線橋があるのだが、昨年末あたりに京王調布駅が地下になったので、この跨線橋の取り外し工事が行われている。

この解体工事に非常に長い時間がかかっている。解体するのだから当然通行禁止になっていて、その状態がすでに3か月くらい経過しているのだが、まだ半分しか取り外されていない。一般的に取り壊しは建設に比べてはるかに短い時間でできるはずだが、3か月で半分というのは遅すぎないだろうか。工事に関して私は素人なのでよくわからないが、異常に長い時間がかかっている感じがする。どうしてこんなに長い時間がかかるのだろうか。

以前、あざみ野から横浜線の中山まで歩いていたころには途中の中山の手前で道路工事が異常に遅いと思うことがあった。あの時は2か月やって3か月休むという感じで、故意に工事期間を延ばしている感じだった。今回の跨線橋解体工事は故意に延ばしているという感じはしないのだが、いったい何をやっているのだろうと不思議に思う。跨線橋の上を大きなトラックも通っていたので頑丈にできているのは事実だが、今の技術なら簡単に取り壊せるのではないかと思う。

下を電車が走らなくなったので跨線橋は不要になったわけだが、別に急いで解体する必要もない。こんなに時間がかかるのなら、もっと違うやり方があったのではないか、工夫が不足しているのではないかと思っている。


私の好きな画家

2014-04-28 11:19:40 | 生活

ゴールデンウェークに入り、美術館に行く人もいることだろう。私は自分で絵を描く趣味は無いのだが美術館などに行くのは結構好きで、海外出張の機会などに色々なところに行っている。欧米の美術館にたくさんある肖像画はあまり好きでは無く、基本的には印象派の絵が好きなのだが、グッゲンハイム美術館の現代絵画なども比較的楽しめる。ただ、現代絵画でのいわゆる抽象画で好きな画家はあまりおらず、この分野で好きな画家はピカソくらいである。但しピカソの絵も抽象画に行く前の赤の時代とか青の時代の絵のほうが好きである。従って美術館としてはパリのオルセー美術館が一番好きである。

個人の画家で最も好きなのはノルウェーの画家エドワルド・ムンクである。ムンクと言うと「叫び」という半分抽象画のような絵を思い浮かべる人が多いと思うが、私のイメージではムンクは印象派である。ずっと以前にムンク展に行って感心して画集を買って帰ってきた。私が好きなのは「叫び」ではなくもっと普通の題材の絵である。「ストーブを焚く少女」の何とも言えぬ温かみ、「走る馬」の春の喜びを息遣いが聞こえるようなまでに表しているダイナミックな絵、「プロムナード」の北欧の静けさが伝わってくるような夏の夜の海岸の風景、などが好きな絵である。

個別の絵画で強く印象に残っているのは唐招提寺にある東山魁夷の壁画で、規模の大きさだけでなく絵全体から来る迫力に圧倒された。東山魁夷は日本画家と分類されると思うが、画面から受ける雰囲気はムンクのプロムナードと良く似た「静けさ」が感じられる。東山魁夷だけでなく、菱田春草などにも「静けさ」を感じさせるのでムンクの絵と言うか北欧の雰囲気が日本画に似ているのだと思う。東山魁夷の絵も北欧を何となく連想させる。この「静かさ」に何か深い精神性を感じるので、そういった精神性をを感じさせてくれる絵画が私は好きである。



ドコモのインド撤退に思うこと

2014-04-25 09:30:53 | 経済

NTTドコモがインドの事業からの撤退を決めた。大分前から撤退の方針を決めていたらしく、今回は最終手続きの発表だと理解している。

ドコモは2009年にインドの財閥タタ・グループの運営する携帯電話事業会社に2600億円を出資して参入し、タタ・ドコモのブランドでサービスを続けてきた。しかし、赤字が続き回復の見通しがつかないとして今回、保有株をタタ・グループに売却して撤退を決めたものである。500億円程度の現存処理と言われている。ドコモは2002年にアメリカのAT&Tに1.2兆円を出資したがこの時も大幅な損失を出して撤退している。今回の撤退で「ドコモには海外事業は無理だ」というイメージが強まったと思う。

この問題を海外での通信オペレーションという観点と、株の売買という資本の有効活用という観点から考えてみたい。海外でのオペレーションを本気でやるにはAT&Tへのケースもタタへの出資もマイナー出資であり中途半端である。これはずっと以前にこのブログにも書いたことがある。「海外展開しないのか」という圧力を周囲から受けるが自信は無い。そこでマイナー出資で友好関係を築くといういかにもサラリーマン社長のやりそうなことをやっているので失敗するのだと私は考えている。ソフトバンクのスプリント買収では孫社長の名前が前面に出てきて、彼が本気で取り組んでいるのとは大きな違いを感じる。歴代のドコモの社長でこうした問題に本気で取り組みそうな感じを受けたのは初代の大星社長だけである。それ以降はNTTから派遣されたサラリーマン社長が務めているのでこういう中途半端なことになるのだと思っている。

投資の失敗は、投資を決めた社長の経営判断が主に責められるのだが、今回は資本効率という観点から撤退が正しかったのか、ということを考えてみたい。AT&Tへの投資の時も大幅な減損処理を行って撤退したのだが、投資したときには1.2兆円を払って16%の株式を握っていた。その後インターネットバブルがはじけてAT&Tの株価が暴落し、業績も悪化したのでドコモは撤退したのだが、今のAT&Tの時価総額は18兆円くらいあり、その16%だとすると2.8兆円になり実は大幅な利益が出ていたはずなのである。ドコモは底値の時に株を売却したことになる。当時の株価に対してはプレミアムを付けて売却したのだが、それでも投資判断が大きく間違えていたことになる。ここにもドコモの経営力のなさが現れている。

今回のタタのケースはどうだろうか?

これは今後の推移を見ないとわからないが、やはり底値で売却したような気がする。インドでは今総選挙が行われている。インドの総選挙は1か月以上かかり現在まだ選挙の最中であるが、与党の国民会議派が負けて野党のBJPが大躍進し、トップになる見通しである。BJP党首のナレンドラ・モディ氏は経済手腕が高いといわれている。不正ライセンスなどで大きく評価が下がったインドの携帯電話業界も持ち直す可能性が高いと思う。

ドコモが出資したときにはドコモの技術を広めるといった狙いもあったと思うが、それがうまくいかなくなった時には純粋な投資効率を考えるべきだと思う。この面でもドコモの動きは素人っぽくみえる。2-3年たたないと結果は見えないが、こうした経営力をチェックする機構がNTTグループには無いのだろうか、と思う。こんな素人が経営していて日本企業の中で有数の利益を上げ続けられるというのは社会の仕組みにおかしいところがあるのではないか、とも思う。


労働規制改革議論は安倍総理の勘違い?

2014-04-23 08:30:08 | 社会

安倍総理が産業競争力会議と経済財政諮問会議からの提案を受けて労働規制の見直しを指示した。マスコミは「残業代がなくなる」と大きく報道している。このニュースを聞いて私は「安倍総理は分かっていないな」と感じた。

話題になっているのはホワイトカラー・エグゼンプションという制度で社員の給与を労働時間ではなく業務内容で決め、給与水準を上げる代わりに残業代を支払わないというものである。この制度はずいぶん前からある。一般的に管理職はこのような給与体系になっていて残業代は支払われない。組合員には残業代が支払われるのだが、ずいぶん前に「裁量労働制度」というのが導入されて時間で成果を計測することがなじまない一部の職種では組合員でも残業代を廃止するという制度である。私がいた研究所などもその適用を受けた。その代わりフレックスタイムと言って出勤時間なども自由に決められるようになっていた。ただし、この制度を使える職種はかなり限定されていたので、この範囲を拡大しようというのが今回の趣旨だと思う。

テレビの安倍総理の発言を聞くと「女性などが働きやすくするために長時間労働で成果を出すのではなく、効率良い労働を促したい」としている。これでは総理の意図と行動は大きく乖離している。

残業を減らしたいのであれば残業代をなくすのではなく、残業代を高くするべきである。例えば残業時間の給与単価は通常業務時間の最低2倍にする、というようなルールを決めれば、企業は残業を減らすために躍起になるだろう。逆にホワイトカラー・エグゼンプションを実施すれば表面上は残業がなくなったように見えるが、実態としては残業が増え事態は悪化するだろう。なぜなら残業代を支払われない社員はできるだけ多く働いてもらうほうが企業にとって得だからである。

残業の本来の趣旨は企業が従業員に命令してやるものである。好景気の時の工場の24時間稼働などはその典型である。しかし、ホワイトカラーの一部には何となく残業している人が少なくなく、そのために残業するのが当たり前のような職場の雰囲気ができているところがたくさんあるのも事実である。全体の2割くらいはありそうだと思う。これを改善するために残業代をなくすというのは本筋ではなく、企業のほうで社員が残業しないように持っていくような制度設計をするのが本筋だと思う。

それでは私が、残業代を上げることに賛成かと言えば、それも反対である。先進国の国際水準に合わせておくべきだと思う。残業代を上げることは人件費を上げるので産業競争力を弱めると思っている。最低賃金を上げることなどにも反対である。従ってホワイトカラー・エグゼンプション自体には賛成である。ただし、それが労働時間短縮にはつながらず、むしろ「隠れ残業」が増えることになるということを意識しておかなくてはならない。

隠れ残業を防ぐためにあれこれと細かいルールを作ることも規制緩和に逆行するので反対である。本来の精神、「社員が仕事を強制されるのではなく、生き生きと働いて会社に貢献すると同時に自らの能力向上をめざして自分の生活実態に合わせる業務を行う」といった趣旨を明確にしておき、違反する企業に対しては巨額の賠償金と罰金を科す、というようなルールを決めておくのが良いのではないかと思っている。そのための紛争受付窓口を用意する。会社から押しつけられた残業で100万円の残業代が支払われなかったら賠償金として1000万円払う、というような仕組みにしておいて裁判の弁護士費用も出せるし、弁護士も頑張る、というような仕組みが良いのではないかと思う。

何が違反かは判例が決める、というアメリカ式のやり方は日本にはなじまないのかもしれないが、今のところ私にはこれより良い方法は思いつかない。



地方教育制度改革法案は正しい方向へ向かっているか

2014-04-19 15:16:07 | 社会

地方の教育制度改革法案が閣議設定され国会に提案されることになった。教育委員会の委員長にあたる教育長を首長が任命することにし、首長が主催し教育長も参加する総合教育会議を作ってその地域の教育の基本方針を決定するというように首長の権限を大幅に強化するものである。

この話は滋賀県のいじめに関する生徒の自殺事件に対して教育委員会の態度が煮え切らず、対応が極めて悪かったことに端を発している。

以前私は「これは権限を他に移すだけで、解決にはならないのではないか」と書いた。その時点では無用の動きだという程度の考えだったのだが、最近は反対したほうが良い、という気持ちになっている。政府が言うように責任者を明確にすることは必要である。だがそれは責任者を主張に移すこととは別の話である。教育方針の責任者として首長の権限を強くするのは問題だと思うようになった。民主党と維新の会は代案を用意しているようだが、それも首長に権限を移す話のようで賛成できない。

教育の効果は表れるのに時間がかかる。失敗だったといわれている「ゆとり教育」だって失敗だとわかるまでには10年以上かかっている。その一方で首長は4年ごとに選挙で変わる可能性がある。首長が変われば教育方針が変わるというのはまずいだろう、というのが私の考えである。いじめのような不祥事を防ぐのは現場の仕事であり、教育委員会でも総合教育会議でも防ぐのは無理だろう。不祥事を少なくするように仕組みを整えることはできると思う。不祥事が発覚したときの対応は責任者を決めておけばよく、誰にするかは別問題だと思う。

問題は「ゆとり教育」のような大きな方針の責任の所在があいまいな点である。以前私は特定秘密管理法に関して、何十年もたってからでもよいから不適切な特定秘密指定が見つかった場合にはさかもぼって指定責任者を罰するべきだと書いた。教育に関しても大きな方針を決めた場合にはその決定責任者を明確にしておいて、定期的に評価しその方針が正しかったのかを評価して決定責任者に責任を取らせる。これが「責任の所在を明確にする」ということだと思う。この場合は罰則には当たらないと思うが不適切な方針を決めたということに対してはそれなりの責任を取らせるべきだろう。

日曜日の朝のFM東京で「未来授業」という番組があり、その中で教育NGOの若い人が、「今の教育は大学入学を目的として行われているので大学入学を適正化するのが重要だ」ということを話していた。政府の教育改革の審議では、理想論ばかりが並んでいるが、私にはこの人の話のほうが実のある話に思えた。その人は大学入学後自分の思いとのミスマッチが生じて中退した人がその後不幸な生活になっているとして、ミスマッチを防ぐために受験前に大学の実態を高校生に知らせるような活動をしている。この話は今回の話とは別物で大学教育はまた別に議論されているのでまた別途書きたいと思うが、大学の教育改革も日本ではあまりうまくいっていないように感じている。



二人掛け座席への座り方

2014-04-18 08:35:55 | 生活

空港へ行くリムジンバスや新幹線の自由席のように二人掛けの座席が進行方向に向かっている座席で自由席の場合にどのように座るか、という話題である。

家族連れのような同伴者は別として、一人で乗る人はまず、誰も座っていない列の窓側に座るのが普通である。ここで自分の手荷物をどうするか

タイプA: 最初から膝の上に載せて隣を開けておく。通勤電車などではこれが普通である

タイプB: 最初は荷物を隣の席に置いておく。一人掛けの席が埋まったあたりで荷物を自分の膝の上に載せる。

タイプC: 最後まで荷物を隣の席に置いておく。座れない人が出始めたり、「そこ、空いてますか」と声をかけられたら荷物を膝に乗せる。通路側の席に座って窓側に荷物を置いている人は大体このパタンである。

私はタイプCの人はマナーが悪い人だと思っていて、こういう人が多いと不愉快な気持ちになる。これまでの観察によると、男性は大部分がタイプBでタイプAもタイプCも少ない。私自身もタイプBである。女性は3タイプ居るように思う。特にタイプCは男性より女性のほうがかなり多いように思う。

昔は若い女性はタイプA、おばちゃんはタイプCというイメージがあったのだが、今は年齢による区別はあまりなく、個人の性格によるほうが多いと感じている。一般的に「女性のほうがマナーが良いはず」、というイメージがあり、女性のほうが「マナーを良くしなければいけない」という社会的なプレッシャーを受けていると思う。タイプCの女性も知り合いと一緒の時はこのような行動はとらないのだろうと思っている。その反動からか、知らない人に対しては無関心が強まっているという感じがする。

他に電車の中で化粧をしている女性を問題視するような話題が時々出るが、私はあれは別にマナーが悪いとは思わない。別に他の人に迷惑をかけているわけではないので好き好きだと思っている。また、「優先席の近くでは携帯電話の電源を切りましょう」というのは過去に問題があったかもしれないが、今では根拠もなくなっていることを、見直しもせずに鉄道会社がマナー化している不自然なルールだと思っている。誰も守っていないこのようなルールをいつまで電車の中のポスターなどで呼びかけ続けるのだろう、と思っている。

マナーというのは知り合いに見せるものではなく、周囲の人への思いやりのようなものだと思う。それをもう少し話し合う機会があっても良いのではないかと思う。



緊迫するウクライナ情勢

2014-04-17 09:05:06 | 社会

ウクライナの問題が緊迫してきている。内戦になりそうな状況である。欧米はロシアがやらせているとしてロシア非難を強めているが、ロシアはウクライナ暫定政府が人民を攻撃することは許されない、と言っている。これはシリアの内戦に比べるとはるかに大きな問題である。背後に欧米対ロシアの戦いがあることが明白だからである。しかし日本のマスコミにとっては小保方さんの研究の仕方のほうが10倍くらい重要と見えているようである。

日本にいると、ロシアが仕掛けているように見えるが、果たしてそうなのか、私は慎重に見ている。事の起こりは今のウクライナ暫定政権のデモ隊を当時のヤヌコビッチ大統領が攻撃し多数の死者が出たことである。あの時は政府側が悪く、今回は政府側が良いということがどの程度はっきりしているのだろうか、と思う。今のウクライナの反政府勢力にロシアが武器供与をしたりして援助していることは間違いないだろう。だが、元の暫定政権が行動を起こした時には西側からの援助は入っていなかったのだろうか。ヤヌコビッチ政権よりも今の暫定政権のほうがかなり良さそうに見えるし、私もそう思っている。しかし、それは情報が偏っているからではないのか、という疑問が心の中に残っている。日本のマスコミが本気で取材しているとは思えず、欧米からの情報を流しているだけだと思うからである。

プーチン大統領はウクライナの東側をロシアに併合する意思はない、と言っている。多分本音だと思う。緊張を高めて、世界の注目をウクライナ東部に集め、クリミア併合を既定事実化することが狙いだと思っている。しかし、ロシア全体がそう思っているかどうかはわからない。ロシアでは「ウクライナ暫定政権というクーデターで政権を取った連中がロシア系住民を攻撃し始めた」と報道されていいてロシア国民はそれを信じているだろう。

こういう時に、軍の統制が切れて一部が暴走し始めて大きな戦争につながる、というのが過去に戦争が始まった大部分の場合だろう。双方の国民が自分たちが正しく相手が悪いと信じ込んでいるからである。各国トップはそのリスクを強く認識していて、アメリカとロシアの大統領間のホットラインなどもできている(事故が起こった時に一部の暴走なのかどうかを確認する)と想像しているが、それでもリスクが高いことは間違いないだろう。

プーチン大統領には問題を拡大させる意思がないと思うのでしばらくすれば収まると思うが、今回の対応は中国の東シナ海、南シナ海の戦略に大きな選択肢を与えるだろう。日本の防衛庁をはじめとする国防関係者は、オバマ大統領のこの問題に対する要請にどう対応するかという検討だけでなく、自分たちがオバマの立場だったらどう対応するかのシミュレーションくらいのことはするべきだろうと思う。



ドコモの新料金体系は世界の大きな流れ

2014-04-14 13:56:49 | 経済

ドコモが新しい料金体系を打ち出した。簡単に言えばファミリー割引を強化したような料金体系なのだが、私はこれがこれからの世界の流れであり、通信事業者だけでなく消費者にも大きな影響を与えることになると思っている。

この考えを最初に導入したのはアメリカのトップオペレータであるベライゾンである。それまで、オペレータは料金を通信加入端末単位で管理し、1端末1個人とみなしてARPU(Average Revenue Per User)という端末あたりの通信料金を収益力の指標としていた。日本でも総務省の統計などではこの数値が出ている。これをベライゾンは数年前にARPA(Average Revenue Per Account)というアカウント単位に変更した。ここで言うアカウントが今回ドコモが打ち出した「家族」に相当するのだが、アカウントは口座のような意味で一人で複数端末や小企業で複数人がまとめて加入する場合も含まれている。1アカウントで10端末まで加入可能で、数が増えるほど割安になる。

ライバルのAT&Tも2-3年遅れで同様の方針を打ち出したが、この遅れが優良顧客の囲い込みの差になっていると私は考えている。ベライゾンがアカウントと言う概念を持ち出したのは家族割と言うより、一人で複数端末契約する場合を想定しての側面が強いと思う。従来型の音声端末に加えて、スマートフォン、そしてタブレット端末が出てきていて複数を使い分けたほうが良いのではないかと考えている人は少なくないと思う。更に最近ではメガネ型端末、腕時計型端末、ブレスレット型端末、イヤホン型端末、シャツやブラジャー、ソックスなどに端末機能を入れた物などのいわゆるウェアラブル端末が雨後のタケノコのように出てきている。これらのうちで大部分は失敗するだろうが一部の物は使いやすい良いものが出てくるだろう。しかし、通信料金が高くては使われない。

ベライゾンのアカウント管理はこういった将来を見据えてのことだろうと思う。ベライゾンのうまいところはこれを一人複数台端末と規定しないで「アカウント」という抽象概念を導入して、家族割のような使い方と合わせた点である。これでまとめててユーザを抱き込むことに成功した。

アカウントベースの料金体系は他のオペレータも遅かれ早かれ導入することになるだろう。ライバルが導入をためらうようだと、ここ数年ユーザを他のオペレータに取られていたドコモが巻き返す強力な武器になると思う。



国立大学でも一芸入試を

2014-04-11 09:43:35 | 生活

昨日の若者の活躍のブログを書いた後で考えたのだが、今、私立大学で行われている一芸入試を国立大学でも行うというのはどうだろうか?

囲碁や将棋の世界では立命館大学が積極的に一芸入試を行っており他の大学は殆ど勝てない状況になってきている。高梨沙羅選手のような世界的に有名になった人とか、広末涼子のような有名女優を一芸入試で入れるのは大学の宣伝のため、という感じが強いが立命館の囲碁将棋の一芸入試は知名度を上げるというよりも、潜在能力に着目しているという感じがする。将棋で高校選手権で優勝したような人でも羽生3冠のようになれる人はごくまれである。しかし潜在能力はあるので教育をすれば他の分野でも能力を発揮するだろうというのが立命館大学の考えだろう。

国立大学が一芸入試を認めるということは、国としてある分野に特化して自らを鍛錬し高い能力を身につけた人は他の分野でも活躍できる存在能力があると国として認めたことになり、幅広い方面での若者の能力開発につながるのではないだろうか。

一芸入試というと何かの大きな大会で優勝する、といったものを連想しがちだが、人をまとめるといった類の動きにもこのような一芸入試的な判断があっても良いのではないかと私は考えている。例えば登山部の人などが「富士山をきれいにするボランティア団体」を立ち上げ全国高校生連盟にまで広げたような場合である。こういう人をまとめて組織化する能力はこれからますます重要になっていくと思う。

国立大学で一芸入試というと公平性を期して国が細かいガイドラインを作りそうに思うが、ルールはできるだけシンプルにしてそれぞれの大学に任せるのが良いと思う。入試の要件を明文化することと、大学関係者が有利になるような恣意的な運用を禁じる程度でよく、恣意的だと感じた場合には不服申し立てができて、不服申し立てがあるレベルを超えたら国が調査に入る、というようなルールにしておく程度で良いのではないだろうか。どこの大学でも優秀な人材に入ってほしいのでいろいろと工夫すると思う。

新しい試みをする時に日本人は失敗しないようなルール作りを目指す傾向があるが、失敗はあってもよく、失敗した場合に修正できるような仕組みを作ることがより重要だと思う。



様々な分野で若者の活躍が目立つ

2014-04-10 09:12:37 | 生活

プロの囲碁界の本因坊戦リーグで20歳の伊田七段が井山6冠への挑戦を決めた。挑戦者になるにはリーグ戦に入り、1年間戦って優勝しなくてはならない。伊田七段は昨年四段でリーグ入りを決め、周囲を驚かせたと同時に、この業績で七段を贈呈された。しかしリーグ戦の第1局で負け、「やはりトップリーグでは苦しいか」と思われた。しかし、残りを全勝し、特に最終局では数々のタイトルを取っている、全勝で来ていた山下九段を破ってプレーオフに持ち込み、プレーオフでも勝って挑戦権を獲得したものである。本因坊戦としては最年少の挑戦者となる。急に頭角を現してきたため井山6冠とはまだ一度も対局していないとのことで、どんな戦いになるかが楽しみである。

囲碁に限らず最近はいろんな分野で若者の台頭が目立つ気がする。ソチオリンピックで話題となったフィギュアスケートの羽生結弦選手(19歳)や、スノーボードの平野歩夢選手(15歳)、平岡卓選手(18歳)、スキージャンプの高梨沙羅選手(17歳)、卓球の平野・伊藤の13歳ペアの世界ツアー優勝、ローザンヌ国際バレーコンクールでのバレーで二山治雄選手(17歳)が優勝、前田紗江選手(15歳)が2位と国際的に活躍する人もどんどん出てきている。

これらの活躍する選手の陰には打ち込んでいるけれど結果が出ない何十倍、何百倍の若者がいるはずである。これだけ芽が出る人が増えたということは親の価値観が変わってきているのではないかと思う。以前は「特別な分野で才能を磨くよりも、勉強して良いところに就職するほうが子供のためだ」と考える親が殆どだったのが、今は「特別な才能を磨くほうが良い」と考える親が増えてきているということだと思う。いわゆるバブル世代あたりから「良い企業に就職しても安泰ではない」ということを体験した親が増えてきていてこのような傾向につながっているのではないだろうか。

問題は芽が出なかった人たちの扱いである。特別な分野で才能を磨こうとすれば普通の意味での勉強はある程度犠牲にせざるを得ない。囲碁界で日本で断トツの井山6冠は高校にも行っていないはずである。それでも彼は人間的に見ても多くのことを学んでいるし、能力も高いはずである。私は囲碁の関係者でプロ棋士を目指して大学受験をあきらめたような人を何人か知っている。彼らがプロになれなければ学歴は高卒ということになる。しかし、こういう人たちの能力が劣っていることは決してなく、むしろ平均よりも高いと思う。

一芸を磨いて打ち込むがプロになりきれず、進む道を見直すような人たちは、リスクを覚悟で打ち込んだ人たちである。このような人たちは別の分野でも高い能力を身に着ける可能性が高い。こういった人たちが能力を発揮できるような企業の採用体制、あるいは社会の仕組みを作り上げていくことが将来の日本の強さにつながるだろう。私を含めた今の50代60代の人たちの責任だと思う。