ウィトラのつぶやき

コンサルタントのウィトラが日頃感じたことを書いていきます

大学教授に男性が多い理由

2013-11-29 08:00:12 | 生活

たびたびの英国Economist誌の引用であるが、大学教授には男性が圧倒的に多いのはなぜか、という話題である。

最近は女子学生のほうが優秀だという話しを良く聞くが、アメリカのNational Science Foundationの調査によると男性の教授数は女性の4倍だそうである。これは理科系であるが、文科系でも圧倒的に男性教授のほうが多いらしい。女性の社会進出が進んでいる現在でもこの現象が続くのはなぜか、という問題に対するある論文を紹介している。

これまでの説は
1.歴史的に男性教授が多く、男性教授が男性を引き上げる
2.女性は子育てなどで途中で脱落することが多い
3.理科系の頭は男性に適している

という3説に集約されるが、紹介された論文は4番目の説を提示している。それは女性は男性よりも自分の論文を引用することが少ない、という点である。そのために著者は1,980年から2006年までの論文を調査して著者が男性ばかりの論文は自分で自分の業績を引用する数が多いという結果を発表している。数字が今一つはっきりしないのだが、事実だとして、論文の引用件数が多いほうが教授への昇進は有利になるのであり得る話だと思う。

しかし私は5番目の説を考えている。

それは、全体的に男性のほうが能力のばらつきが大きいという点である。統計用語で言うと標準偏差が大きいというが、平均値は同じでも優秀な人も多いしダメな人も多い、個人差のばらつきが大きいのだと思っている。これは男性がいわゆる「男らしさ」を本能的に持っており、冒険をして危険な行動をするために天寿を全うしない確率が高い、その分男性のほうが平均寿命が短く出生率が高い、ということにつながっていると思う。女性は「母親になる」という重要な生物学的役割があるので危険を冒さないことが本能的にあるのだと思う。

大学教授には全体の0.1%(もっと少ないかもしれない)くらいの能力の高さが必要だとすると、その範疇に入る人は男性のほうが多くなるというのは統計学的な点からも言えるのではないだろうか。更に、良い論文を書くには改善よりも革新が必要だが、従来と異なる発想をするというのも男性に向いていると思う。

これは企業にも言えるのではないだろうか。企業は顧客対応や社内調整という側面があり、能力だけでは計れないのだが、やはり企業のトップには様々な面で能力の高い人がつくことが自然だと思う。その意味で男性トップのほうが女性トップよりも多いというのは自然だと思う。ノルウェーなどは「取締役の40%以上を女性にすること」、という法律を作っているがあれはやり過ぎだろうと思う。女性の進出を促すにしても法律で縛るのは「20%以上」くらいが妥当だと思うのだが、読者諸氏のお考えはいかがだろう?

 


秘密保護法案の決定プロセスに不満

2013-11-27 09:02:45 | 社会

秘密保護法案が衆議院を通過した。マスコミはこぞって不満を言い立てているが、私は内容よりも決定プロセスやマスコミの報道姿勢に問題を感じている。

私は国会での審議を見聞きしていた訳ではないので正確かどうかは分からないが、国会での審議は殆ど形式的だという印象を持っている。それは国会での審議で出た提案なり意見は殆ど報道されず、「自民党とみんなの党の国会対策委員長がこういう対談をした」、「自民党と維新の会がこういう話しをした」ということで内容が動いているように感じられるからである。実際私が出席していた国際会議でも、実質的には有力企業間の話し合いで決まっており、それが公式の場に出てきた時には大体落とし所が決まっている場合が多いのでそれほど特別では無い。しかし、普通の人はその内容は本会議まで知らず、本会議で始めて知るものである。今回の場合裏の話し合いが殆ど全てリークしているので、本会議での議論に新鮮味がないということもあるだろう。

そうなるのはマスコミが必死で裏の動きを探るからだし、政治家が内容をリークするからだということができる。それで国会本番で決まる話しはないという印象を国民が持つのだが、秘密保護法案では無いが、マスコミがここまで探る必要があるのか、という感じがする。それと、野党側の対案が貧弱だという印象があり、国会の本会議は単なるセレモニーという印象を持ってしまう。

野党側は、みんなの党と維新の会はそれなりに党としての意見をまとめて良ろうにぶつけたようだが、民主党は党内をまとめ切れなかった印象である。みんなの党が自民党と交渉に入ったという報道を聴いてあわてて党としての意見をまとめ始めたが間に合わなかったという感じがする。

今でも秘密の指定はあり、30万件ほどが秘密とされているそうである。これを漏えいすれば、公務員として降格になったり、解雇になったりする。それでは不十分なので刑事罰にしようというのが今回の法案の趣旨だが、本当にそこまでやる必要があるのかを問いかける報道も見当たらない。今の状態では情報漏えいしている公務員が出ているので刑事罰ということにしたのだろうか、そのあたりもはっきりしない。私はCIAの情報を漏らしたスノーデン氏のような人物が日本から出ないようにという予防線だと思っているが、そうではなく現状は情報が漏れているということならその点をマスコミは報道すべきだろう。日本版スノーデン氏を防ぐことは結構だが、この法律が悪用されて日本が戦争に突入することに使われたりしたら大変である。今の安倍政権ではそういう意図は全くないと思っているが、本来は総理大臣に全くふさわしくない人が総理になってしまう実例はあるのだから、その点に対する予防線は十分に張っておくべきで、透明な議論が不可欠だと思う。

それよりも問題なのはマスコミの態度である。この法案はマスコミの活動に大きな影響があるので否定的な報道をしているが、どこも完全否定するわけではなく、恣意的な運用を防ぐべきだという姿勢になっている。しかしながらどこまで対応すれば恣意的な運用はないと判断できるのかということは明言せず、基本的に反対ではないと言いながら実質的にはつぶそうとしているという態度が伺える。

各社が社説で「こういう条件を付けるべきだ」という意見を発表すべきだと思うのだが、あまり厳しすぎる条件を書くと非現実的だと思われるし、ゆるく書くとその意見を採用されてしまうと困る、というような意図があるのではないかと思う。そういう姿勢だからアイデアが何も出てこないのだろう。

今回は報道関係者も利害関係者である。報道関係者に対する批判の場をネット上で作る、というような動きがあっても良いように思う。私が知らないだけでそういう場はあるのかもしれないが・・


週末の箱根

2013-11-25 09:42:27 | 生活

土曜日から一泊で箱根の姥子に行ってきた。囲碁の合宿で、知人の会社の保養所で行った。天気が良く、紅葉が見ごろということで車が大渋滞だった。

まず、ウィトラのオフィスから新百合ヶ丘まで歩く。1時間半くらいかかると思って少し余裕を見て出掛けたが1時間で着いた。時間がかなり余ったので本屋で何か文庫本を探した。結局、ぴったりした本が見つからず何も買わなかったのだが、翻訳ものの文庫本コーナーが極端に小さくなっていることに気がついた。最近翻訳ものを読む人は激減しているということだろう。

小田原までロマンスカーで行って、小田原から乗合バスで姥子まで行ったのだが、小田原から乗って箱根湯本の手前と、大涌谷の手前で大渋滞である。特に大涌谷は車を降りて見物する人たちのために駐車場があるのだが、駐車場から車があふれて道路に連なるために通過する人も通過できないという悲惨な状況である。姥子と大涌谷は近いので渋滞にはまったところでバスから降ろしてもらって歩いた。停留所では無かったが運転手の「気をつけて」と言っただけで降ろしてくれた。予定より1時間以上遅れた。

囲碁は実戦は随分久しぶりだったが5勝1敗でまずまずだった。夜中まで碁を打って、朝も碁を打つ。そしてチェックアウトして帰宅の途に就く。帰りに時間があったので大涌谷まで歩いて登った。ハイキングコースになっており、登り道を30分くらいで結構汗をかいたが歩いている人もなく、林の中を歩いて気持ちが良かった。大涌谷に着くと観光客でいっぱいである。

有名な温泉卵を作っているところ。買って食べようかと思ったが「5個で500円、バラ売りはしません」ということだったので止めた。

大涌谷から望む富士山。気持ちの良い眺め。

帰りもバスは大渋滞しているので、ロープウェイで早雲山まで出る。写真は箱根湯本方面。これは1分刻みに出ておりそれほど混んで居なかった。

早雲山からはケーブルカーがあるが、バス停でバスを待って小田原まで出た。何分の予定のバスか分からないが15分ほど待つと来た。早雲山から小田原までは特に渋滞もなく来た。こういうバスでもパスモが使えるのは便利である。

小田原からはまたロマンスカーである。青いロマンスカーに初めて乗った。久々の囲碁の実践は少しずつ頭が働き始めるようで気持ちが良かった。私は初めての参加だったが年2回やっているそうである。できる限り参加しようと思った。久しぶりの箱根はさすがに1級の観光地という感じである。ただ、ベストシーズンの箱根は混みあうので休暇を取るなどして混みあう時間を外していくのが良いと改めて思った。

 


日本ではなぜベンチャーが育ちにくいか

2013-11-22 16:14:52 | 経済

最近はシュンペーターの経済理論、大企業は安泰ではなく革新的新興企業に足元を掬われやすくなってきている、という感覚は世界的に強まっていると思う。しかし、日本ではなかなか質の高いベンチャー企業が出てこない。最近読んだ情報通信白書でもその問題意識が表れており、うまくベンチャーを育成しようと思っても、なかなか質の高い企業が出てこずに結局、ベンチャー支援は無駄金に終わってしまうことが多い、という雰囲気がにじみ出ている。日経電子版の経営者ブログで宮内義彦氏はトップレベルの人材がベンチャーを目指さないからだ、と指摘している。

ベンチャーはリスクの高い仕事である。成功の果実と失敗のペナルティを見比べ、成功確率が低く失敗のペナルティが大きければ優秀な人は踏み込まないのは当然と言える。私はこれは日本の社会風土に深く関係していて簡単には変えられないと思う。戦後の焼け野原でこれ以上失うものがない、という状態からは多くの企業が大企業に育ってきた。しかし社会が安定して失敗で失うものが大きくなってくるとなかなかリスクを取れなくなる。

私が企業に勤めていた時にはベンチャー企業に技術に対する窓口のような仕事をしていたこともある。ベンチャーの話しを聞いて「面白い」と思ったものは設計部門や購買部門に紹介する。しかし、最終判断する人たちは非常に慎重である。結局、「実績がない」というようなことで見送りになるのが殆どである。彼らが慎重になるのは新しい部品を採用して不具合を出したりすると、顧客からのクレームがすごいからである。私の場合の顧客は通信事業者だったのだが、通信事業者がなぜ失敗に非常に慎重かといえば問題を起こした時の一般消費者やマスコミの反応が非常に大きく、失敗コストが非常に大きくつくからである。

もちろん失敗はしないほうが良い。しかしどうしても失敗してしまうことは出る。その場合の失敗に対する叩き方が日本は国際標準よりもはるかに上なので、日本で事業をするときには極力失敗をしないようにする。その結果、コストは高くつくのだがそのことは許される、という社会文化が日本にあるように思う。こういう国では本質的にベンチャー企業は育ちにくくなるのは仕方がないと思う。失敗がない、事故がない社会というのは中に居て快適なものだが、国際競争力がどんどん下がっていくのは問題である。ではどうするか?

ベンチャー企業を支援するのに必ずしも日本で起業しなくても世界のどこで起業しても良い、日本人が世界で活躍することを助けるような仕組みを作るのが良いのではないかと思う。モデルはユダヤ社会や華僑の社会である。国が直接こういった援助を行うのは難しいかもしれないが、優遇税制くらいは考えられるのではないかと思う。

 


特定秘密保護法案の議論について感じること

2013-11-20 09:40:40 | 社会

特定秘密保護法案の議論が盛り上がっている。マスコミに大きく関係する話題なので報道も盛り上がっている。首相が関与する権利を盛り込むとか、特定秘密の分野を制限するとか、ある時期が来たら公開するとか色々なことが与野党で協議されているが、私には重要なポイントの議論が抜けていると思う。それは権限と責任の明確化である。

首相が関与するというのは権限の拡大であって明確化では無い。私が言うのは一つ一つの秘密に対して「これを特定秘密と最終決定した人物は誰か」を明記すべきだということである。この法案は情報を漏えいしたらその人物に刑事罰を与えるという重い内容を含んでいる。そして議論の中心はそれだけ重い内容を恣意的に決定しないようにすべきということである。恣意的決定を避けるべきというのは与野党ともに合意している。私の考えでは恣意的な決定を避けるために不可欠なのは「特定秘密」と決定した人物に責任を負わせることである。仮に個人の利益のためにある情報を特定秘密にしていするようなことがあれば、その行為に対して刑事罰を与えるということを明確にすべきだと思う。そのためには指定した責任者の特定が不可欠である。

内容によっては60年後に公開という方向に議論は進んでいるらしい。60年後に判断して恣意的だと決定された場合に被疑者は既に死亡していることが殆どだろう。それでも被疑者死亡ということで罪に問う、という体制を作っておくことは重要だと思う。自分の死後のこととはいえ「これは犯罪になるかもしれない」という気持ちがあればかなりの抑止力になると思う。全てが60年後に公開では無いから、実際に責任を問うて罰を与えるケースも出てくると思う。何が罰に値するかは裁判所の判断に任せればよい。

国家秘密には色々あると思うので、分野を特定するようなことなかなか難しいと思う。特定秘密の判断は「秘密にしていたほうが国益にかなう」ということで決めるのだろうが、何が国益かの判断は人によって異なる。そこを予め決めておくことは難しいと思う。ただ、「これは国益に反する特定秘密だ」とその時の政府が判断したら、その内容を特定秘密として指定した人物に対して裁判を起こす権限を総理に与えることは必要だろう。これは随時で構わないと思う。それとは別に一定期間(60年で良いと思う)経過後に全ての特定秘密に対して妥当性を検証する作業を規定するのも必要だろうと思う。

こうすれば恣意的な特定秘密の指定はかなり避けられると思うのだが、こういう意見は残念ながら野党からも出ていないように思う。


ミステリードラマを見て思うこと

2013-11-18 07:59:52 | 生活

私はいわゆる探偵もの、刑事もののミステリードラマが好きで良くテレビで見ている。山村美紗、西村京太郎、内田康夫などの作品だけでなく「相棒」「踊る大捜査線」等も好きだし、松本清張の作品の再放送なども見る。最近多くなってきた科学捜査版、検事や弁護士、法医学士などが主人公の物も見る。これらの作品は大抵観光地とリンクしていて事件は観光地で起こることが多い。私はタレントが旅行に行く旅行ものの番組も好きなのでそれも影響しているかもしれない。

見ていてわずかだが気になる点が二つある。一つは犯罪の動機として復讐が非常に多い点である。もう一つは被害者が悪い人で犯人が良い人というパタンが最近目立って多くなってきた点である。後者について、推理物で結末に意外感を出すために必要なのだろうが、ちょっと単純すぎるように思う。松本清張なども善人が犯罪を犯すストーリーはかなりあるが、彼の場合は良い人が犯罪の道に踏み込んでいくプロセスを克明に描いた点に特徴があると思っている。そういう点に社会の問題が反映していて、社会派作家などと呼ばれていたのだが、最近の作品はそこの点が粗雑だと思う。「事情はどうあれ法律は守るもの」というイメージが強く出過ぎていて気になっている。

テレビのドラマは面白ければ良いので、目くじら立てて「問題だ」というような話では無いことは分かっている。毎週1話完結で次々とストーリーを作らないといけないのに、そんなに手間をかけられないという事情もあるだろう。それでも、もう少ししっかりしたストーリーが欲しいと思うのは贅沢だろうか。最近はバラエティを見る人とドラマを見る人は分かれてきているように思う。私のようにバラエティ番組が好きでない人には、一話完結ではなく、2話完結のようなもっと味のあるミステリードラマがあっても良いと思うのだが・・。


苦い唾

2013-11-14 21:41:00 | 生活

最近、朝起きると口の中に苦い唾が溜まっていることがある。うがいをしてもすっきりせずしばらくは口の中が苦い感じがする。前の晩に酒を飲むとそうなりやすいと聞いたことがあり、確かに飲んだ翌朝はそうなりやすい。しかし、昨夜は都内で宴会だったが今朝は問題なかった。先日、京都で同窓会があった時もかなり飲んだのだが、新幹線で帰ってきて翌朝は問題なかった。どうも自宅で寝酒を飲むと苦い唾が出やすいらしい。それに対して遠くで飲んで帰ってきたときは問題ない。夜に飲まなくても苦い唾が出ることもある。

肝臓のアルコールの分解機能が影響しているのかと思ったが、どうもそうではなく消化器系の不調からきているのではないかと最近では思っている。食べてから少し体を動かしてエネルギーを使うと良いが、食べてすぐに寝ると良くないのではないかと思う。いずれにせよ、何らかの警報が体から出ているのだと思うので、そうならないように気を付けた方がよいのだと思う。

ところで、昨夜は企業に勤めていたころのOB会のような感じでいろいろな懐かしい人たちと顔を合わせた。最高齢は93歳の人だったが元気なことには驚かされた。70歳を過ぎたあたりからは、個人差が非常に大きくなるように思う。私もその予備軍の年齢に差し掛かっているので、k体力が落ちないように継続的に体を動かしていこうと思う。


インターネットの社会への影響

2013-11-13 08:27:50 | 社会

総務省が発行した情報通信白書を読んで、改めてインターネットの社会全般に対する影響の大きさを思った。それはNTTやソフトバンク、あるいはソニーやNEC,富士通、楽天などインターネットに関わる企業の成功や失敗をはるかに超えて我々の生活全般に対する影響のことである。

インターネットは情報伝達ツールである。文字の発明、紙の発明、印刷技術の発明、電話の発明に次ぐ大きな情報伝達手法の改革である。そしてインターネットは情報伝達だけでなく情報蓄積に関しても大きな変革を起こしている。私が子供の頃にはまだインターネットは無かったので情報の入手はテレビ、ラジオと言った放送か本を読むという行動だった。放送の情報は限られた数の放送局に牛耳られているので多様な情報に触れるには本を読むことが主な手段だった。インテリの親は殆どが子供に「本を読め」と言っていたと思う。

その本はインターネットにとって代わられつつある。それでは我々は子供に「インターネットを読め」と言っているだろうか? 私を含め殆どの人が言っていないと思う。むしろ子供が勝手にインターネットにアクセスするようになって、むしろ子供が変なサイトにアクセスすることを気にしているというのが実態だろう。自分の子供時代を振り返っても、親が期待するような本ばかりを読むとは限らず、漫画やエッチ本なども読んだりしていた。そうして雑多な本に触れながら疑似体験をして成長の助けにしていたのだと思う。

本という情報源を思うと、当時でも既に情報は有り余るほどあり、親あるいは教師は自分の読んだ上質な本を子供に勧めていた。今の大人は子供にインターネットから上質の情報を入手する方法を教えているだろうか? おそらくしていないだろう。親のネットから情報を入手する技術はむしろ子供よりも劣っているかもしれない。親のほうが情報の質を判断する判断力は備わっているのだが、実際に入手する手法は劣っている。それで親から子供へ、あるいは上の世代から次の世代への情報を入手、整理する手法の伝達は切れているような気がする。

これは多分、世界中で起こっていることだと思う。そしてその情報を整理するノウハウを確立し伝達し始めた国が様々な面で大きく伸びてくる感じがする。アメリカの「国家ブロードバンド計画」を読むとそのことを意識しているように感じる。あるいは中国は政府が必死になってインターネットの情報を制限することを行っているが、情報の制限には失敗してもここから情報の整理のノウハウが生まれてくるかもしれないという気はする。

日本電産の永守社長は社員全員に週報を書かせ、上位者は下位者の週報を取りまとめた形での週報を書く。そして社長自身は全世界からの230通の週報に毎週目を通し世界の動向と自社の動向を把握しているという。230通という膨大な数の週報に目を通すのはそこに生の声が入っているからだという。週報を読んで社長が行動を起こすので、社員も力を入れて書く。最先端では無いだろうが、良質な情報を得るためのインターネットを活用した経営の例だと思う。

日本では「世界最先端IT国家創造宣言」を発行したりしているが、上記のような良質の情報を掬いあげるような問題意識は感じられない。情報通信白書をまとめた部門の人にはここに書いたような「インターネットを有効に使う」ことへの問題意識は感じられるが、内閣官房等の上部組織には目先の産業政策と、犯罪防止にばかり目が行っているというのが私の印象である。永守社長の読む週報には英語の物も数多く入っているだろう。それを面倒と思わずに読める英語力もこれからの社会では必須の条件だと思う。


赤信号、車がいなければ渡りますか?

2013-11-11 09:26:26 | 生活

あまり広くない片側一車線の交差点で、前の信号は赤だがあたりに車は全く見えない、というような状況で、あなたは交差点を渡りますか?

状況によってどちらもあるが70%くらいは渡る、というのが自分の行動である。他に待っている人がいると渡らないことが多いがそれでも渡ることもある。子供が待っているとまず渡らない。

世界的に見ると日本人は渡らない人が非常に多いと思う。おそらく渡らない人の比率が世界で一番高いのではないだろうか。なぜ渡らないかといえば「それがルールだから」である。ニューヨークなどでは車が見えていても自分の判断で渡る人が少なからずいて交通の邪魔になっている。だから日本のほうが安全だと言える。それでも車を運転しているときには赤信号でも渡る人はまずいない。罰則があるからだろう。

世界では、赤信号でも車が進む場合もある。私が国際会議の議長をしていた頃、フランスのニースで会議があり翌週にはイタリアのトリノで会議があったことがあった。フランス人の人がアルプス越えで車で行くというので同乗させてもらった。特に観光する訳ではなく、曲がりくねった山道を越えてイタリアに入る。その人は慎重な運転をする人で、信号が黄色だと私が「自分なら行くな」と思うようなタイミングでもまず止まる。イタリアに入って車の居ない田舎道で赤信号で止まっていると後ろから「プッ」やられた。運転していたフランス人は「そうか、ここはイタリアだった」といって発進した。「イタリアでは赤信号でも明らかに問題ない時は進んで良いんだ」と説明してくれた。

総体的に、日本人は「ルールは与えられるもので、理屈なく守るべきだ」と考えている人が多いように思われる。日本人以外はアジアの人も含めて、「ルールは他人との摩擦を回避するための物で、摩擦が起きない時は自分の判断で行動すれば良い」と考えているように思う。皆がルールを守っていると摩擦が起こることはずっと少なくなる半面、個人の判断力が鍛えられないのではないかと思う。国際標準化団体、それもできたばかりの国際標準化に参加していてそれを感じることは少なからずあった。

国会の審議などを見ていても、日本人のルールの決め方はあまりうまくないように思う。もっと子供の頃から自分でルールを考える訓練が必要なのではないかと思う。


万歩計、延べ50万歩

2013-11-10 20:33:48 | 生活

今日、万歩計を見たら合計が51万歩程度だった。昨日、50万歩に達したと思う。9月29日からだから42日間で50万歩に達したことになる。一歩70cmとして350km程度歩いたことになる。一日1万2千歩程度で、年内には100万歩に達っするだろう。

歩き始めた時はまだ暑かったが最近、急に寒くなってきた。そのせいで急に紅葉が進んだ気がする。

写真は近くの団地だがきれいな紅葉である。

これは最近見つけた鉄地蔵尊。

こんな色々なお地蔵さまが無造作に置いてある。

今週あたり、大山へ登ろうかと思っていたが天候が今一つで登る気になれなかった。来週、再来週の週末は用事が入っているので、今年は無理そうである。それでも近くでも十分に秋を感じる。