ウィトラのつぶやき

コンサルタントのウィトラが日頃感じたことを書いていきます

新・御宿かわせみ

2012-07-30 08:17:45 | 生活

何年振りかに「オール読物」を買った。色々な作家の小説が掲載されている月刊誌である。

その中に平岩弓枝氏の「新・御宿かわせみ」があった。連載作品である。「御宿かわせみ」は平岩弓枝氏のライフワークとも言うべき大作である。旅館「かわせみ」の若い女主人【るい】と与力の次男坊で冷や飯食いの【神林東吾】の恋を軸に、東吾の友人で八丁堀の定廻り同心【畝源三郎】を始めとし周りの人の生活を描きながら話が進んでいく、江戸末期の捕り物帳である。

江戸末期のいわゆる江戸情緒にあふれた生活スタイルの中で身分を考えつつ恋し合う【東吾】と【るい】の物語が軸になっているが、武士で剣の達人の東吾が、勝海舟の作った軍艦方に勤めるようになる。その間に源三郎も、東吾も結婚する、といった具合に、雑誌連載の中編の捕り物帳を繰り返しながら時代が江戸から明治に進んでいく様子を描いている。

私は文庫本で「御宿かわせみ」を16巻くらいまで読んでいたのだが(全体では30巻以上出ている)、今回の「新・御宿かわせみ」を読んで驚いた。

時代は明治に変わっている。これは作品の時間の経過からしても当然のことだろう。しかし、【るい】も【東吾】も【源三郎】も出てこない。話はすっかり彼らの子供世代に移っていて、登場人物は彼らの子供である。それもまあ時間の経過からすれば当然か、と思うのだが、話の中に親世代がまったく登場しないのである。旅館「かわせみ」は登場する。

時代が流れたとはいえまだ親たちが死んでしまうほどの時間は経過していないはずである。一体親たちはどうしてしまったのだろう、と気になった。もう一つ感じたのは、いわゆる生活の上でのイベントが出てこないことである。「御宿かわせみ」の楽しみの一つは、ひな祭り、こいのぼり、七夕、といった昔からの風習を小説の中にうまく組み込んでいて、当時の日本人の生活を描き出していたところにある。

今回読んだ「新・御宿かわせみ」では謎解きが中心でそういった生活描写が乏しかった。これが作者の作風の変化なのか、たまたま今回私が読んだ部分だけがそうだったのかは、もう少し読んでみないと分からない。

まだ買っていない残りの部分を買い揃えようと言うほどの情熱は無いので、日本版キンドルが発売されたらそれを買って、「御宿かわせみ」をキンドルで読んでみたいと思っている。


ロンドンオリンピックの開会式

2012-07-28 11:40:10 | 生活

今日からロンドンオリンピックが本格的に始まる。私は朝5時半頃に起きて開会式を見た。開会式は日本時間の5時から始まっていて私がテレビをつけた時はエリザベス女王が着席するところだった。後で録画を見ると、最初の30分が一番良かったようである。考えてみれば当然である。

非常に良い演出だったと思う。私が特に気にいったのは、産業革命を象徴する鉄の輪が空中に浮かんで行って他の4個の輪と合体してオリンピックマークを作るところと、入場式で各国一つずつ持ってきた容器に聖火が点灯され立ちあがって一つになるところである。

北京オリンピックの開会式が中国国民に対して中国の力を示し、団結を呼び掛ける印象だったのに対して、今回は世界に対してイギリスの存在感を示すことを主目的にしていたように思う。産業革命、ピーターパン、ビートルズ、ハリーポッター、世界に知られているものは日本より多いのか、と改めて思った。

日本は、サッカーで順調な滑り出しである。女子は順当勝ちとして、男子は勝てるとは思わなかったスペインに勝った。それもまぐれで勝った感じではなく、内容もかなり押していた。今後に期待が持てる。

これから2週間半、オリンピックを楽しもうと思う。私はタレントをスタジオに呼んで「一緒に応援しましょう」というスタイルの民放の放送の仕方は好きではないので主にNHKで見ようと思っている。


中国の交通大学

2012-07-27 10:40:24 | 東工大

昨日、中国の北京交通大学の幹部が東工大を訪問して中国の鉄道技術に関して講演会を行った。私は外出していてその講演会は聞けなかったのだが、夜の懇親会には出席した。JR東日本寄附講座の特任教授としては知り合いになっておく必要があると思ったし、実際に今年の5月に北京に言った時には北京交通大学の楊教授と面談している。

中国には上海交通大学というのがあって、この大学は私も知っている。それは上海交通大学が中国版デジタルTVの方式を提案して、清華大学と競ったからである。しかし、上海交通大学と北京交通大学は名前は似ていても中身は大きく異なるそうである。上海交通大学は東工大と似ていて工学全般を扱っている。これに対して北京交通大学は7割が交通関係、その中でも鉄道がメインである。こういう本当の意味の交通大学が中国各地に8校あるそうである。

日本では鉄道の研究をメインに上げている大学は無いし、鉄道を研究している教授はいるとしても限られている。大学における鉄道の研究の層の厚さという意味では圧倒的な差である。中国では企業がまだ立ち上がっていないので大学が技術獲得と事業化にかなり重要な地位を占めているようである。大学で行っている研究も実用化に向けた物が多い。

中国では既に新幹線がかなり走っている。最初は輸入していたが次第に中国企業が作るようになってきている。先日の温州の大事故でペースは落ちたが今後も鉄道路線は大幅に伸ばしていく計画がある。市場としては今後世界1伸びが期待できる市場だろう。

それを目指して、世界の企業が売り込みをかけているが、中国国内の企業が着々と伸びつつある。通信と同様な経過をたどっている感じがする。


音楽評論家、吉田秀和氏の追悼番組

2012-07-25 13:18:21 | 生活

昨夜の「クローズアップ現代」で今年5月になくなった、吉田秀和(99歳)氏を特集していた。クラシックの評論家で私はクラシックはあまり聞かないので吉田秀和氏の名前は「聞いたことがあるな」と思う程度でその評論を読んだこともない。だが番組は面白かった。ここで取り上げるのは、このブログを書く上で参考になると思ったからである。

吉田秀和氏は、世の中に流されず、独自の視点で評論を書いていて、新人を発掘したり、有名演奏家を一刀両断に切ったりしていた。これだけなら一流評論家なら良くある話だろうと思う。私が特に感心したのは、高齢で来日したホロビッツの演奏を評論した話である。世間が絶賛した演奏を吉田氏は「ミスタッチが多く、ひび割れた骨董品」と酷評した。これだけなら良くある話で驚きはしない。私が驚いたのはホロビッツが吉田氏に聞かせるために再来日したという話を聞いてである。

普通は酷評されれば不快感を持つ。そんな奴とは付き合いたくないと思うだろう。しかし、吉田氏の評論はホロビッツへの尊敬の念にあふれていたという。それでも、演奏の質が落ちたことは事実で指摘せざるを得ない、という内容だったと解説の人が話していた。音楽は感性のものである。「私はあの演奏を聴いてこう感じた」という言葉が、批判的な言葉であっても相手への批判ではなく、「音楽をより楽しむにはこうあるべきではないか」というスタンスに貫かれていたので、多くの人の共感を呼んだのだろう。

私はこのブログで多くの批判的なことを書いている。批判は政治家に向けられることが多い。私と同じような考えを持っている人は賛同してくれるだろうが、批判された政治家が納得してくれるだろうか? おそらく、そんなことはなく、気に入らない奴だ、と思われるだけだろう。プロでは無いのでそれほど文章を練るつもりはないが、心がけだけは「批判された人も納得してくれる」書き方を目差したいと思う。


福島原発、政府事故調の報告書と国会事故調の違いは?

2012-07-24 10:50:21 | 社会

福島原発に関する政府の事故調査委員会の報告書がまとまり、国会事故調との違いなどが報道されている。しかし、私にはどこに違いがあるのか分からないという印象が強い。

事故の調査は客観的な事実を積み上げて行うものであり、その調査結果を受けた価値判断はまた別のものである。今回報道されている国会事故調との違いは、価値判断のほうの違いばかりで、新事実として何があったのかは何も報道されていない。報道機関の問題なのか報告書自体の問題なのか良く分からないが、どうも事実認定の中身にあまり違いはないような感じがする。

国会事故調の時には、事故が起きた時の政府の対応などに関する聞き取り調査の結果が含まれていて、それは民間の事故調ではできなかったことだったのでまだ新鮮味はあった。今回の政府事故調の報告書は、独自調査を行わなくても、国会事故調の報告書を読んで異なった価値観での判断を示せばそれでできたのではないかと思えてしまう。2つの調査委員会が独立して調査を行うことで信頼性は高まると言えるだろうが、それほど国会事故調の信頼性が低かったとも思えない。

東京電力、民間事故調、国会事故調、政府事故調という4機関が事故調査を行ったにもかかわらず、結果は深まっていない感じがする。民間事故調はボランティアなので限界があって仕方がないと思うが、他の調査委員会にはそれなりに責任があると思う。東電の事故調は社内で今後あのような問題を起こさないために、原発に問題が起こったときの初動から一連の行動体制を見直し、仮に今事故が起こったら、今度は迅速に対応できるという体制ができるための資料になっていればよく、公表はしていないがその意味での事故対応の反省はできているのだと思う(期待)。

問題は政府で、仮に今、テロか何かでどこかの原発の炉心溶融というような事態になったときに、今度は前よりもはるかにうまく対応できるような体制ができているのか、政府事故調の報告はそのようにできているのか、疑問に感じる。事故を起こさないための対策は提案されているだろう。しかし、それでも事故が起きてしまったらどうするかという点はかなり弱い気がする。

総理の資質が違うし、経験してすぐのことなのでましな対応になると思うが、今時点で考えうる最善の対応を政府ができるように提言すべきなのだがどうもそれが感じられない。例えば住民の避難である。避難を判断するためにどういう情報を取るべきなのか、情報は同公開すべきか、どこまで避難させるべきかという、判断基準とタイミングはどうすべきか、などが決まっていなければならない。

アメリカ政府は日本政府よりもはるかに広い地域の住民を避難させたがどちらが正しかったのか、大爆発には至らないという判断は正しかったのか、結果オーライだったのか、少なくとも報道はされていない。こういう点が明快になって、仮にこれから事故が起きてもきちんと対応できるのか、その指針を作ることが目的で、総理が過剰介入だったかどうかはそのための小さなステップでしかないと思う。


危機なのは民主党よりも自民党

2012-07-23 10:55:53 | 社会

民主党から離党者がじりじりと増え続け、民主党は大変な危機にあると連日報じられている。しかし、私は危機意識を持つべきなのは民主党よりもむしろ自民党だと思っている。

仮に衆議院選挙が行われたとして、民主党が前回のように大勝することはありえない。どんなやり方をしたって前回よりは減るだろう。それはここまでの民主党政権のやり方に対する評価で明らかである。問題は民主党と自民党のどちらが第1党になるかだと思う。

現在の野田総理の考え方は自民党と殆ど変らない。今選挙をやれば大きな争点はなく、互いに相手の悪口を言い合うくらいのことしかないだろう。私自身、考え方は自民党に近いので自民党でも民主党(野田党首の前提)でも良いと感じている。問題は党首の資質である。

この3年間、我々は政党(特に民主党)が党としてのしっかりした考え方を持っておらず、誰が党首になるかで党の方針は大きく変わることを見てきた。従って政党選択で最も重要なのは、誰が党首であるか、党首はしっかりした仕事をしそうか、ということである。その意味では野田総理のほうが谷垣総裁よりも上だというのは多くの人が感じることだろう。

私は自民党のほうが党としての安定感があり好きであるが、その私でも、党首比較をすると考えてしまう。自民党は民主党のように党首によって大きくぶれないので大丈夫だ、ということを自民党がこの3年間に示せてきたかというと、そうではないだろう。小泉総理があれほど熱心にやった郵政改革を元に戻すような方向付けをした自民党である。十分な信頼は持たれていないと思う。

自民党は解散・総選挙に追い込みたいと思っているようだが、選挙で勝てるような方策を本当に考えているのか、疑問に思う。200兆円の国土強靭化法案がその対策だとしたら、これは新たなバラマキである。また選挙でバラマキ合戦をやるつもりか、と憂鬱になる。


オスプレイ報道に思う

2012-07-22 09:56:44 | 社会

垂直上昇輸送機オスプレイの日本配備で大騒ぎになっている。配備される側はこぞって反対している。それはオスプレイは世界各地で事故を起こしているからである。しかし、日本政府は日米地位協定に基づいて「これはアメリカが決めること」という立場をとっており、その態度が大きな反発を招いている。

アメリカは日本配備を強行しようとしており、プサン経由で岩国基地に持ち込もうとしている。「オスプレイがプサンまで来た」「プサンを出発した」などと次々と報道されている。しかし重要な情報は殆ど報道されていない、と思っている。

そもそも、日本はオスプレイ配備に対してモノが言えない立場なのか、ということである。そこの仕組みがどうも明らかにされていない。日米地位協定の中身はどういうことなのか、キチンと報道すべきだろう。私が想像するに、日本にあってもアメリカ軍の話であり、どういう配備をするかはアメリカの世界戦略に基づいて決定されるので、日本の指示は受けない、ということなのだろう。非核3原則は例外で、普通は注文はできないということなのだろう。そうは言いながらも、普天間の海兵隊をグアムに移すといった交渉をしている。アメリカが言いだしたことなのだろうが、普天間基地は人口密集地にあって危ないという認識はアメリカも共有している。

オスプレイ配備に関しても、何も言えないのではなく、このくらいのことは言えるのではないか、という報道がどうしてでないのかと思う。さらに言えば、オスプレイが危険だということはアメリカも認識していて、安全が確認されるまでは日本では飛ばさない、と言っている。これはたぶん嘘ではないだろう。それならなぜ、アメリカは日本への配備を急ぐのか、それには何らかの理由があるはずである。アメリカの言い分を聞こう、という姿勢がどうして出ないのかと思う。一切話せないということは無いのではないかと思う。

基地のある町の人たちは、大部分が日本に基地があること自体に反対で、日米同盟自体に反対の人である。共産党のように日米同盟も自衛隊もいらないという立場の人もいるだろう。しかし、現在の日本の政府の立場は日米同盟は必要である、という立場である。その立場にたっても今回のオスプレイの動きはおかしい、それはどこがおかしいかをきちんと報道するのがマスコミの使命だと思う。


なかなかやるね、プロ野球選手会

2012-07-21 08:12:57 | 生活

プロ野球選手会が来年のWBC(World Baseball Classic)に不参加を決めたとして、大きく報じられている。詳しい事情は分からないが私はこの選手会の決断を好感を持って捉えている。

内容は契約条件の話で、アメリカ大リーグに有利過ぎて、日本の野球界には不利だというものである。報道された話を聞く限り、確かにそのように思える。本来なら日本のオーナー会議あたりが文句を言って調整すべき話である。「ビジネス的には損でも、ここは受けた方が得」というビジネス判断があるのかもしれない。それならそれで選手会が納得できるような説明をするべきだろう。今回、選手会がこのような決断をしたのは話を上げたのだが何の反応もないからだと思う。そもそも、大リーグに、日本の選手会の意見は届いていたのか、日本国内で握りつぶされていたかのせいもあると思うが、コメントを聞く限り、大リーグ側も日本の選手会の意向は承知していて無視したようである。

選手は野球だけをやっていればよい、という立場ではなく、経営的問題を含めて、プロ野球界の事を考えるのは良いことだと思うし、不満があってそれに対して対応して貰えないのなら今回のような声明を発表する、というやり方も良いと思う。この時期に発表すればまだ調整機関もある。そういう配慮も感じられる。事なかれ主義の蔓延する日本で「物言う選手会」の態度は、日本の古い殻を破る、ある意味で日本人離れした態度として評価したい。我々一般人にはこういうことでもなければWBCの経営の話などは知る機会が無かったのだが、今回の話でどう決着するかまで報道されるだろう。

マスコミにとっては収益金がどこに流れるかは問題ではないが日本がWBCに参加しないのは問題である。選手たちはマスコミのどういう人たちがどういう発言をするか、を注意深くきいて、誰のことを考えて発言しているのかを知るだろう。そういうマスコミの見方を知るにも良い機会だと思う。

去年の東日本大震災の後のリーグ開始時期に関しても、選手会はオーナー側の言いなりではなく、独自の判断を発表した。あの時も選手会の意見はなかなかのものだと思った。芯の通っていない経営者に対して、芯の通った選手会という感じがする。実は企業も同様で、これは日本の企業の縮図なのかもしれない。ただ、日本の企業の労働者はプロ野球の選手会のように情報発信する場を持たないだけなのかもしれない。


囲碁本因坊戦、井山本因坊誕生

2012-07-19 21:47:25 | 囲碁

囲碁の本因坊戦で挑戦者の井山天元が勝って初の本因坊意を獲得した。3勝3敗の後の第7局目を勝っての本因坊のタイトル獲得だった。

全体を見て、山下現本因坊が押し気味だったと思うが、第5局目のほぼ勝ちを確実にしてからの見損じによる逆転負けが大きく響いたと思う。全体的に両者ともに勝ちにこだわって委縮することなく、自分の信じる手を打って戦い続けた結果であることは感じられる。その意味では全体的に迫力満点の碁が続いたのだが、細かい読みで両者ともにミスが結構多かった気がする。

第5局はその典型だが、井山挑戦者は「取れる」と思って相手の石を取りに行った。正確に打てば取れなかったのだが、山下本因坊の失敗で実際は取られてしまった。この種の間違いが両者ともに結構あったように思う。30年前の挑戦手合いはこういうことが多かったのだが、今でもその傾向は変わっていない感じがする。しかし、世界戦で中国や韓国の棋士はこの種の見損じがかなり少ない。日本のプロが勝てないのはこの辺りの違いのような気がする。

特に今回の両者は時間が無くなると間違える感じがする。時間配分をもっとうまく考えるべきだろう。素人目には大変面白い碁が続いた。それは両者が優勢になったから確実に勝つ方法を選ぶというのではなくとどめをさすまで最善の手を打とうと目指したからだと思う。しかし、最高峰の戦いとしては物足りなさを感じる。

特に井山新本因坊は世界戦を意識していて、優勢になったからと言って戦いを避けて確実に勝とうとするのではなく、戦い抜いて勝とうとする姿勢が見える。それは好ましいことだと思うのだが、持ち時間がなくなればどうしてもミスがでやすくなる。ミスが出ないように時間配分を調整するか、時間が無くなったときにミスが出ないようなやり方を検討する必要があるだろう。

時間が無い時には直観力が物を言う。時間があるときに読みの基本とする直感と、時間がない時に意思決定のベースとする直感の両方を磨く必要があるのだと思う。


熱中症対策を言い過ぎている

2012-07-19 07:47:22 | 生活

梅雨が明けて暑い日が続くようになった。特に一昨日は暑かったし、夜も寝苦しかった。

この時期気になるのはテレビの天気予報の時に必ず言われる熱中症対策である。「明日は暑いので熱中症には十分に注意してください」「水分はこまめに補給し、直射日光の下での運動は避けてください」「冷房や扇風機を使って部屋が暑すぎないようにしましょう」などとほぼ毎回のように言う。私はこれを言い過ぎだと思っている。

確かに、熱中症で病院に運ばれる人もいるし、ひどい場合には亡くなる人もいる。気をつける必要はあるのだがこれは主に幼児や老人などの体力のない人の対策であって、健康な一般人は気にし過ぎないほうが良いと思う。私は医師では無いので根拠があって行っているわけではないのだが、人間の体には環境適応能力があって、苦しい状態に置かれればそれに対応する能力がつくと思うのである。

例えば35度を超えるような強い日差しの中を長時間歩く、これを私は2010年の8月に行った。東海道を東京から京都まで歩く最後の仕上げの段階である。かんかん照りの中を1日8時間ほど歩く。体からは汗が吹き出して腕に水玉ができる。ペットボトルのお茶を飲みながら歩くのだが自動販売機が無い様な区間も少なくない。西に向かって歩くので西日が真正面からあたる。実際疲労困憊した。一応、自分で体力を見計らっており、どうにもだめだと思ったらバスに乗るなどが可能なのが東海道の特徴なので心配はしていなかった。

熱中症対策としては最悪の行動である。更にこういう状態になると血液がドロドロになって体に良くないなどとよくテレビ等で言われている。確かにドロドロになっているのだろう。宿に着いて風呂に入り、休憩して食事を取るとそのドロドロは無くなって回復する、翌日歩くとまたドロドロになる。これを繰り返すと、ドロドロ耐力のようなものが体に作られるのではないかと思っている。筋肉が強くなるのは筋肉に傷がついてそれを修復する時だという。体全般にそういう苦しい状態と回復状態を繰り返すと強くなる機能があるような気がする。

私が高校生の頃は、卓球部だったが、「練習中は水を飲むな」と言われていた。大阪の夏に、冷房のない締めきった体育館で運動をする。大量の汗が出るのは当然である。今から言えば許されないような乱暴な指示である。しかし、特に死亡するような事件は起きなかった。脱水症状を起こして練習から脱落するような人は居たろうが、休憩して治る程度だったと思う。果たして最近になって熱中症は減っているのか、むしろ弱い人が増えて、熱中症は増えているのではないだろうか。

熱中症に気をつける必要はあるが、それに立ち向かうことが人間を強くする、こういうことを言う人がもっといても良いのではないかと思う。