このブログで昨年の5月に紹介したトマ・ピケティの「21世紀の資本」が有名になり、国会の議論でも取り上げられるようになった。民主党の長妻議員が「ピケティが富の再配分が重要だと言っている」と質問し、安倍総理が「ピケティも成長は否定してはいない、成長なき再配分はじり貧だ」と返した。このやり取りは新聞でも報じられた。
私は長妻氏も安倍総理もピケティの読み方を完全に誤っている、と思う。私に言わせればピケティはたいした経済学者ではない。「21世紀の資本」一発だけで消えるかもしれない経済学者かもしれないと思っている。「21世紀の資本」は経済の本としては異色のベストセラーとなっているのは事実である。だから、この本に書かれている内容が多くの人の心をとらえたということは間違いない。しかし、それがピケティの言っていることが全て正しいということとは違う。本の中のどの部分が良いかは、自分で判断すべきである。それをあたかもピケティの発言が権威ある発言であるかのように議論する点が誤っていると思う。
私の見方ではこの本が売れた理由は、「21世紀には貧富の差が必然的に拡大していく」という点を皆が当たっていると思ったということだと思っている。つまり、よほど大胆な政策を取らないと、貧富の差が拡大するということである。ピケティはそれに対する対策として、累進課税による富の再配分を提唱している。しかしこの点に対しての考察は甘くそれほど説得力を持っていないと思っている。
対策はいろいろ考えられる。累進課税強化は一つの方法である。しかしこれは国によって方針の大きな違いがあるとうまくいかないことはピケティ自身も認めている。資本主義の有り方を見直し、競争のルールを変更する、という方法もあるだろう。ただ、以前も書いたように個人がつける付加価値の差は拡大していくので、付加価値と年収の関係を比例しないようにする必要がある。消費税を上げて福祉を強化するという方法もあるだろう。ただし、福祉に頼る人が増えることは好ましいことではない。要するに、ピケティのおかげで問題点は皆に共有されたが、解決策は誰も見つけていないというのが実態だと思う。
ヒラリークリントンは数年前に中間層を厚くしないといけない、と言った。民主党も最近同じようなことを言っている。しかし、ピケティによれば中間層の没落が、将来的必然なのである。そしてこの部分は大部分の読者に「説得力がある」と思われている点だと思う。その流れに逆らって中間層を厚くするには、よほど大胆な発想が必要である。方策を持たずに「中間層を厚くしよう」という政治家に対しては、ピケティを引用して、「単なる願望であり、流れに逆らった方向性である。どうやって実現するのか?」と問い詰める。これがピケティの正しい引用の仕方だと思っている。