ウィトラのつぶやき

コンサルタントのウィトラが日頃感じたことを書いていきます

ピケティの読み方

2015-01-31 15:12:59 | 社会

このブログで昨年の5月に紹介したトマ・ピケティの「21世紀の資本」が有名になり、国会の議論でも取り上げられるようになった。民主党の長妻議員が「ピケティが富の再配分が重要だと言っている」と質問し、安倍総理が「ピケティも成長は否定してはいない、成長なき再配分はじり貧だ」と返した。このやり取りは新聞でも報じられた。

私は長妻氏も安倍総理もピケティの読み方を完全に誤っている、と思う。私に言わせればピケティはたいした経済学者ではない。「21世紀の資本」一発だけで消えるかもしれない経済学者かもしれないと思っている。「21世紀の資本」は経済の本としては異色のベストセラーとなっているのは事実である。だから、この本に書かれている内容が多くの人の心をとらえたということは間違いない。しかし、それがピケティの言っていることが全て正しいということとは違う。本の中のどの部分が良いかは、自分で判断すべきである。それをあたかもピケティの発言が権威ある発言であるかのように議論する点が誤っていると思う。

私の見方ではこの本が売れた理由は、「21世紀には貧富の差が必然的に拡大していく」という点を皆が当たっていると思ったということだと思っている。つまり、よほど大胆な政策を取らないと、貧富の差が拡大するということである。ピケティはそれに対する対策として、累進課税による富の再配分を提唱している。しかしこの点に対しての考察は甘くそれほど説得力を持っていないと思っている。

対策はいろいろ考えられる。累進課税強化は一つの方法である。しかしこれは国によって方針の大きな違いがあるとうまくいかないことはピケティ自身も認めている。資本主義の有り方を見直し、競争のルールを変更する、という方法もあるだろう。ただ、以前も書いたように個人がつける付加価値の差は拡大していくので、付加価値と年収の関係を比例しないようにする必要がある。消費税を上げて福祉を強化するという方法もあるだろう。ただし、福祉に頼る人が増えることは好ましいことではない。要するに、ピケティのおかげで問題点は皆に共有されたが、解決策は誰も見つけていないというのが実態だと思う。

ヒラリークリントンは数年前に中間層を厚くしないといけない、と言った。民主党も最近同じようなことを言っている。しかし、ピケティによれば中間層の没落が、将来的必然なのである。そしてこの部分は大部分の読者に「説得力がある」と思われている点だと思う。その流れに逆らって中間層を厚くするには、よほど大胆な発想が必要である。方策を持たずに「中間層を厚くしよう」という政治家に対しては、ピケティを引用して、「単なる願望であり、流れに逆らった方向性である。どうやって実現するのか?」と問い詰める。これがピケティの正しい引用の仕方だと思っている。



将来は個別生産に戻る?

2015-01-30 06:59:42 | 経済

昔、例えば明治時代に日本人が洋服を着るようになったころは、仕立屋という職業があって、一人ひとり採寸して洋服を作っていた。世界的にもこの時代は個別に作っていただろうと思う。それがイージーオーダーというちょっとだけ仕立てる作り方になり、現在はほぼ「既製服」を選んで買うようになった。「既製服」は今では死語になっているが、私が子供の頃にはまだ使われていた。つまり新しい概念だったということである。結果として仕立屋という職業はなくなった。

最近の流れを見ているとその流れが逆流するように感じている。つまりまた仕立ての服のほうに戻っていき、仕立屋という職業が復活する方向に向かっていると感じている。それは昔と同じやり方では無く、情報通信技術を使って、個別設計、個別生産が容易になりコストが大幅に下がると思うからである。IoTや3次元プリンタのような技術が世の中をこの方向に向かわせる。特に消費者向けの嗜好品ではこういった傾向が強まっていくと思う。

効率を重視する企業向け製品や、消耗品などでは大量生産が続くだろう。生産設備などはこれまで単品生産で製造物は大量生産だったのがこれからは生産設備が規格品で量産になり、実際に生産される製造物はソフトウェアで個別に制御された個別品になる、というような逆転現象が起こるかもしれないと思っている。今ドイツで始まっているIndustry 4.0と言う流れはこの方向に向かうものだと思う。

そうなると将来の仕立屋は、衣服のセンスと同時に、情報通信を使いこなす技術が不可欠になる。現状、この二つはかけ離れたスキルだと思われており、両方を教える教育などは少ないと思うが、先進的なデザイナーなどは実際に両方を使う必要が高まっていると思う。今は特殊学校で教えるような内容なのかもしれないが、教育のやり方を見直していく必要があるのではないかと感じている。



感じの悪い横綱審議会委員長の発言

2015-01-28 08:54:59 | 生活

横綱白鵬が、33回目の優勝を全勝で飾り、歴代最多の優勝となった。改めて白鵬の強さには驚かされる。以前も書いたが、白鵬はここ数年間、年間勝率9割を超えている。テニスや、囲碁のように長いゲームの場合には途中で失敗があっても実力が上のほうが盛り返し、最終的には強いほうが勝つということが多い。それでもテニスや囲碁で年間勝率9割は聞いたことがない。まして相撲は力のスポーツで瞬発力が重要である。力だけなら白鵬よりも強そうな人が何人かいる中でこの結果は驚くほかない。

その白鵬が優勝翌日の記者会見で、13日目の取り組みの取直しは「誤審だ。審判部はもっとしっかりやってもらいたい」といった。私もその時のテレビを見ていて、「何で物言いがつくのだろう?」と疑問を持ったがビデオを見て「これは際どい」と感じたので取直しでよいと思った。白鵬は稀勢の里人気を盛り上げるために甘めにとり直しにしたと感じたのであのような発言をしたのだろう。

これに対して、現在の横綱審議委員会の委員長である内山氏が「審判は絶対。白鵬こそ反省すべき」という趣旨の発言をしている。これに私は不快感を感じる。不快感の内容は大横綱に対して上から目線で発言している点にある。内山氏は「自分は横綱より上だ」と思って発言しているようだが、いったい何の根拠があって上だと思っているのか? たまたま依頼されたから審議会の委員長をやっているだけで相撲界への貢献で言えば白鵬の足元にも及ばない人物である。横審が横綱昇進を決めるからと言って、「自分が横綱にしてやった」と思っているなら思い上がりも甚だしい。横審メンバーの発言には今回だけでなく、以前から「思い上がり」があると感じていた。

私自身も感じているが、今回の判定は客観的に見て誤審とは言えないと思う。だがそれは審判部長が言うべきことである。理事長や横審がとやかく言うべきことではないと思う。審判部が反論し、更に白鵬が何か言うようならそこで理事長が乗り出すのが筋というものである。審判も人間だから誤審はあるし、プレーヤーにとっては生活に係る結果を生むこともある。審判部は誤審を最小限にすべく努力すべきで、そのためにビデオ判定が取り入れられている。それでも判定に不満は残る。それは最小限にすべきである。

それよりも問題は横綱審議会である。そもそもこのような組織が必要なのか疑問に感じる。元々、強いだけなら大関止まりで、心、技、体全て揃って初めて横綱に推挙される、というのが横綱の地位だったので、相撲の興行元のように相撲に私財をなげうっているような人が審議するというのなら分かる。しかし今の横綱審議委員は特に相撲界に貢献した人でもなく、横綱昇進も強い人を昇進させるという実力主義になっているので、外部メンバーは必要なく大相撲協会のメンバーで構成すれば良いと思う。外部メンバーを入れるとすれば、社外取締役のような位置づけで経営面のアドバイスに取り入れ、横綱審議会は親方で構成するので良いと思う。

今の横綱審議会のメンバーとその思い上がった態度には古い日本の制度の弱点が凝縮されているように感じている。



ルールは「守る」より「作る」

2015-01-26 09:39:15 | 社会

日経ビジネスの最新号に掲題のタイトルがあり、普段私が問題意識を持っているテーマだったので優先的に読んだ。中身は国際標準化の重要性を説くもので、良く見ると大きな文字で「J-スタンダード」と書いてある。国際標準化は私が授業で教えている分野でもあり、重要性は認識しているが、私はそれよりも【ルールは「守る」より「作る」】のほうを取り上げてほしいと思った。

国際標準化もルールの一種なので外れてはいないのだが、標準化はビジネスツールの一種になってきており、「如何にして自分に有利な標準に導くか」ということが重要なテーマであり、記事もこの視点から書かれていた。経営者が動くためには実利が見えることが重要なので仕方がない面はあるのだが、この視点はちょっとまずいのではないかと感じている。それはルールは本来は場のメンバー全員がうまく行くための物であり、利益を取るための物では無いはずだからである。

私が参加していた国際標準化会議でも、日本、中国、韓国、といったアジアの企業はこの実利主義が強い。アメリカ企業もこの傾向が強い。ヨーロッパの企業は「自分のため」というところをうまく隠して「皆のため」を打ち出してくるように感じている。私の考えでは、あらゆるルール作りで「皆のため」が優先されるべきで、「自分の有利に」を強く打ち出す人は軽蔑されてしかるべきだと思う。それでも人間だから自分に不利になることを提案する人はまずいない。しかし、自分に有利になることはできるだけ表に出さず、「皆のため」を表に出すべきだと思う。

私の参加した標準化会議は新規に作られたものなので、会議運営のルール作りから始めなくてはならなかった。似たような団体のルールを持ってきて運用しながら実態に合わせて変えていく。こういったルール作りで提案する日本人はまずいない。日本人は「ルールは上から与えられるもの」という意識が強く、ヨーロッパ人の「ルールは作るもの」という意識と大きな差があると思っている。

ヨーロッパ人の意識では「ルールは皆のため」なので反対が無ければルール破りでも決議してしまう。「合意」は「ルール」に優先するのである。ルール破りの合意が頻発するようならルールを変えることを考える。これに対して日本人の意識はかなり離れている。成人式の挨拶か何かだったと思うが、学校の先生を目指す若い女性が、「子供に教える以上は、車が全くいなくて、見ている人も誰もいなくても、赤信号なら渡らないような教師になりたい」と語っていた。典型的なルール至上主義である。これをテレビに出るような場面で話すと言うことは、その人が「良いことだ」と信じているからである。

日本の初等教育から自分でルールを作ることを体験させるのは非常に重要だと思う。生活の授業などでクラスの運営をどうやるかを、自分たちで話し合ってルールとして明文化し、まずい点があれば変えていく、というような授業を組み込むべきではないかと思っている。例えば「掃除当番をどうするか」と言うようなルールである。そして、自分たちでルールを作るスキルを身に付け、自分に有利なルールばかりを主張する人は軽蔑されるような社会風土を作っていく。そうすれば、大人になってからの物の決め方もはるかにスムースに進むのではないかと思う。


ニュータウンの変化

2015-01-24 21:39:04 | 生活

今日は港北ニュータウンに散歩に行ってきた。私が会社に入社したのは約40年前、田園都市線もまだ長津田までしか行っておらず沿線も閑散としていた。港北ニュータウンは影も形もなかった。

それが今は田園都市線沿線には中央林間まで住宅が立ち並び、さらにその後で港北ニュータウンが開発され、今は大きな街になっている。このあたりの人口は40年で10倍くらいになったのではないだろうか。

日本の宅地開発は高度成長期の70年代、80年代と、90年台で大きく変わってきたように思う。バブルははじけて景気が悪くなって減速したうえに人口減少が明確になってきた。日本各地で作られたニュータウンも出来上がって30年も経つと住人の高齢化が目立ち活気がなくなってくる。そんなわけでニュータウンの造成は大幅に減った。港北ニュータウンは大規模宅地造成では最後の方に属するだろう。

港北ニュータウンはそのような世の中の変化を反映して千里ニュータウンや多摩ニュータウンとは微妙な違いがあると私は思っている。まず、場所である。郊外ではあるが東京と横浜の間にあって距離的には都会からあまり離れていない。鉄道は横浜地下鉄以外あまりないのだが町が発展してくれば地下鉄を追加することはそんなに難しくないだろう。もう一つは住宅だけでなくオフィスビルが結構ある点である。住宅専用地域というよりは将来の街というイメージを持って構想されたのではないかと思う。港北ニュータウンはまだ発展するのではないかという気がする。

港北ニュータウンは現在も人口が増えていると思う。あざみ野の私の自宅の周辺も人口が増えている。私が引っ越してきて13年ほどであるが近くに小学校が出来た。人口が増えていることは間違いない。今日歩いているとあざみ野駅の南側にはまだ空き地が結構あり、開発の余地が大きい。今、東急は渋谷に続いて二子玉川を精力的に再開発している。次はあざみ野あたりで、武蔵小杉のような大規模開発が起こり、「我が家の地価も上がるか」などと妄想を抱いてしまった。


国王の死で知ったサウジの不思議な体制

2015-01-23 21:06:31 | 社会

サウジアラビアのアブドラ国王が亡くなった。90歳というから天寿を全うしたといってよいだろう。後継はサルマン王子が新国王になるという。王子というが既に78歳だという。そして、第1皇位継承者にはムクリン王子が王子がなったという。この王子は69歳だという。

王子と言っているがアブドラ国王の子供ではなく、皆、アブドラ国王の兄弟である。1932年に即位したビン・サウド国王には24人の妻と45人の息子が45人おり、順番に皇位を継承している。これまでのアブドラ国王は兄弟の中では5番目の皇位継承者だった。

何とも不思議な、日本では考えられないような政治体制がサウジアラビアでは今でも行われている。女性には運転が許されておらず、車を運転した女性がむち打ちの刑にあったというニュースも聞く。サウジアラビアはイスラム教国の中では穏健派で常識的行動をとることで知られているがそれでもこれだけ日本からはかけ離れた体制になっている。

サウジアラビアの王朝はスンニ派であり、イスラム国と同じ派になっている。イラクやシリアの政権はシーア派であり、大幅な原油安の上に世界がイスラム国を敵視している現状で、難しいかじ取りが必要になると思うが、ここでサウジの政権が弱体化したりすると大変なことになる。90歳の国王は実質的には支配していたとは思えず、国王が変わったとしても急な変化はないと期待しているが、改めて自分はサウジアラビアについてほとんど知らないことを認識し、少し勉強してみようかという気になった。


世界の歴代首相数

2015-01-23 08:52:04 | 社会

先日、名前の話を書いたときに、イギリスの首相の名前を調べたのだが、その時に歴代首相の人数がずいぶん少ないな、と思った。そこで改めて各国の歴代首相の人数を調べてみた。

その結果が下のグラフである。

先日の日本の総選挙のように選挙で現職が勝って、安倍総理が継続したような場合には一人、以前の安倍総理が辞職し、数年後に復帰した場合には二人とカウントしている。復帰は安倍総理とプーチン大統領である。グラフから明らかなように日本は先進諸国に比べて群を抜いて多い。経済が不安定になり何度も選挙をしたギリシャでも6人である。ギリシャは2012年に選挙結果で内閣が成立せず、次の選挙のための1か月の暫定政権があったがこれも一人とカウントしている。タイの場合には2006年に3人、2008年に3人の首相が誕生している。軍事クーデターなどで政情不安があったからである。現在も軍人が首相を務めている。なお、タイでは3人が首相が決まらない状態で首相代行を務めている。これらの人はカウントしていない。3人のうち一人は後に正式な首相になっている。

こうしてみると日本の首相10人は異常である。まるで政情不安がずっと続いているかのようである。先進国、新興国を含めて世界中で一番不安定なのではないだろうか。もちろん我々が知っているように政情不安などは無く平和に政権交代が行われているのだが、いかに日本においては総理大臣が軽い存在であるかを示すものだろう。安倍総理は長期政権になりそうだが、総理は安定して政治を行う、そのためにはこの政党に政権が移ったらどうなるか、が予想できるような政党でないと政権を取れないというのが常識になるべきだろう。

今の岡田民主党はそのために極めて重要な位置にいる。昔のような万年野党になるか、政権交代可能な政党になるかの分かれ目である。本来はマスコミが民主党がしっかりするようにガイドしてほしいのだがそれは期待できないので、草の根的にこういった議論を展開することが重要なのではないかと感じている。

 


国による名字のつけ方の違い

2015-01-21 09:23:11 | 生活

最近、名前の由来を考えて面白いと思うことが多い。名前と言っても姓名の姓のほうで家族名である。

日本では明治時代に入って一般人に苗字が許されたというから比較的新しいのだろう。明治時代に一斉に苗字を皆決めたのだろうが、圧倒的に自然にかかわるものが多い。山、川、池、谷、森、木などを取ったものである。自然ではない村、寺、宮、家などもかなり使われているが、建造物も自然の一部というイメージだったのではないだろうか。自然物に形容詞をつけて「大石」などというのが典型的な名前の付け方だと思う。

ところが、英語になると自然物よりも職業などの抽象的なものが多くなる。Cook(料理人)、Taylor(仕立て屋)、Thatcher(屋根ふき)、Clerk(書記)などである。色も結構ある。White(白)、Green(緑)、Brown(茶色)などが代表例だろうか。日本の名前でも黒木とか白石とか色がついている名前は少なくないが、主体は色ではなく、「木」とか「石」とかいったモノにある感じがする。英語の名前は私にとっては意味の分からない名前も多いし、Bush(藪)といった自然物の名前もあるのだが、全体として抽象的な名前が多いように思う。

中国は漢字一文字を取って家族名にするので「習」のように動詞が名前になっている場合もある。これまた中国独特の文化だと思う。韓国は苗字の数が非常に少なく、殆どは過去の王様から取っている感じがする。見栄を張る文化なのかな、と思っている。

いつごろ、一般人が家族名を持つようになったのか、どうやって名前を選択したか、には結構深い文化的背景が含まれている感じがして、調べてみると面白いのではないかと思っている。


岡田民主党新代表に望むこと

2015-01-18 16:58:34 | 社会

民主党の代表選挙は決選投票の結果、岡田克也氏に決まった。岡田氏は海江田代表のように「ただ代表の地位に居たい」ということではなく、「民主党を政権担当可能な政党にしなければ」という意識で立候補したことは疑っていない。どこまで実行できるかは未知数だが・・

先週のウェークアッププラスに3人の候補者が出演し、
・アベノミクスをどう考えるか
・集団的自衛権をどう考えるか

などを議論していた。キャスターの辛坊治郎氏は私としてはマスコミの中でも高く評価している人物だが、質問を聞いて私は舌打ちしたい思いだった。私が聞きたいのはそんな話ではなく

・民主党の経済政策はどうなのか? アメリカ型を目指すのか、北欧型を目指すのか?
 自民党は明らかにアメリカ型の競争政策で、小さな政府を目指している。
 民主党は北欧型を志向しているようだが、北欧型の大きな政府を目指す場合、国際競争力をどうやって維持するのかという考え方を示してほしい。

・民主党の外交政策の基本は何なのか?
 自民党は日米同盟を基軸に、と言っている。アメリカの力が落ちてきたG0の時代に、鳩山元総理が言ったようなアジア重視の外交政策があり得ない訳ではない。しかし、日米同盟を弱めていくならアメリカの軍事力の傘が弱まっていった場合、どうするのか? 私は独自の軍事力強化が不可欠だと思っているが民主党はどう考えているのか?

・財政再建をどうやって実現するのか?
 財政赤字をこのまま放置してよいわけはない。自民党はインフレ政策により、借金の価値を下げようとしている。ヨーロッパは財政規律を高めた緊縮財政で乗り切ろうとしているが、民主党の方針はどうなのか

こういった大きな方針を選挙とは関係なく、民主党の基本方針として示してもらいたいと思っている。上記3点が全て自民党と異なっている必要はないが、3点とも同じなら、対立軸は無いと言えるだろう。これまでの民主党では、こういったレベルでも方針が党内で固まっておらず、誰が党首になるかで大きくぶれていたように思う。残念ながら代表選挙期間中にもこういった話は出ていなかった感じがしている。上記の3点に全体として矛盾のない方針が示されたなら、私は民主党を政権担当可能な政党とみなしてよいと思っている。


円高、株安の原因は何だろう

2015-01-16 11:35:47 | 経済

ここ数日、急激な円高と株安が進行している。一体何が起こっているのだろう、と思う。

日経の解説では、ギリシャのユーロ離脱のリスクによるユーロ安が原因だという。確かに対ユーロのほうが円高は大きいのだが、「なぜ今?」という感じがする。ギリシャの選挙は10日後で、左派が優勢という票読みが出ているからだろうか? またギリシャ危機が来るのだろうか? ドイツは「かなり準備ができているので、救済の必要はない」と言っている。他の国は、ドイツにギリシャ救済を求めるので、議論になりそうだが、それほど大きな問題にはならないのではないかという気がする。

少なくともドイツはギリシャのユーロ離脱を覚悟して準備を進めてきた感じがある。ギリシャ政府がどう出るかわからないが、今回は本当にギリシャのユーロ離脱は起こり得る感じがしており、それでも大きな混乱にはならないような気がしている。もし、ユーロ離脱がうまくいけばユーロにとってはプラスになるだろうと私は思っている。ギリシャにとっては大きなマイナスになるだろうが。

ユーロに不安があるのは事実だろうが、ユーロからのお金の行き先としては円よりもドルのほうが安心なのではないだろうか? 対ドルでも円高になるのはどうも理解できない。ドル高傾向で進んできた円とドルの為替の調整速度が速すぎたということで投機筋が調整に入っているのだろうか。

私の物価感覚としては「$1=¥110」くらいが相場だと思っているので少し円高に振れてもおかしくは無いと思うのだが、金利の動向などを考えると、120円はおかしくなく、2015年中には「$1=¥130」位があってもおかしくないと思っている。今の為替の動きは何か不自然だと思う。