ウィトラのつぶやき

コンサルタントのウィトラが日頃感じたことを書いていきます

ギリシャは立ち直れるか?

2015-02-26 14:59:29 | 社会

財政難に陥っていたギリシャ政府がEUに財政改革案を提出し4ヶ月間の財政支援が決まった。当初は「我々はドイツの子分では無い」等と言って破綻した引き締めを行っていた財政の引き締めを止めると公約して「ギリシャを破たんさせたらそちらにも損ですよ」などといって交渉していたのだが、受け入れられる見込みが無く、

・富裕層の税率をあげる
・脱税を厳しく取り締まる

・貧困層へのサポートは継続

という改革案を提示して受け入れられたものである。社会主義的性格を大幅に強めるという政策と言える。EUとしては緊縮財政でなくとも財政立て直しの努力をする方向性が見えたとのことでサポート継続に舵を切ったのだろう。この方策は、今話題のピケティの富の再分配の方向性であり、ヨーロッパにとっても実験台になるだろう。

この辺りまではギリシャのチプラス首相も想定していたと思うが、本気で財政を建てなおす気があるかどうかは怪しいものだと私は思っている。増税の対象となる富裕層は殆どの資産を既にギリシャ国外に移しているだろうし、脱税がどの程度見つかる化は不透明だと思う。ギリシャには観光以外には殆ど産業が無いので収入が増える道は見込みが薄く、おそらく効果は出ないと予想している。

4カ月後には支出は増えているが収入は増えておらず状況は悪化して再び危機が訪れるだろう。チプラス首相は「努力はしているのだが、そんなに急に収入が増える訳がない」と言って再び延長を依頼し、成功するだろう。その次あたりが本当の危機で欧州各国はその間のギリシャ政府のやり方を見ていて、本当に援助を打ち切るかもしれない、と私は思っている。

うまく行く訳がない経済政策にずるずる援助を続けると、その様子をEU各国は見ており、「ごね得」とわかればスペイン、ポルトガル、イタリア当たりの選挙でシリザと似たような政党が躍進し、EUは崩壊に向かうだろう。チプラス首相が本気で財政改革に取り組んで、格差対策の成果を見ることができればよいのだが・・



パソロボの可能性について

2015-02-21 07:36:01 | 生活

最近、「パーソナル・ロボットの時代は来ないだろうか?」ということを考える。パソコンならぬパソロボである。考えた根拠は3次元印刷やIndustry 4.0によってカスタム生産の能力やコストが飛躍的に高まる気配を感じるからである。

パソロボと言っても、ソフトバンクのペッパーが鉄腕アトムのようになり、それを皆が持つようになるとは思っていない。それはさらに先だろうと思う。私のパソロボのイメージはロボットスーツHALやGoogle Glassのようなものを皆が持ち、日常生活に使うようになるだろう、という感じである。但し、パソコンのように皆が似たようなものを持つのではなく、重いものを持つのが得意な人、早く走るのが得意な人、視力の良い人、計算の早い人、通訳などそれぞれの人が自分の得意な分野をロボットによってさらに強化して常人には思いもよらないような高い能力を発揮する、というイメージである。

ただし、ロボットに仕事を任せるのではなく、ロボットは人間を補助し、最終判断は人間が行う。通訳ロボットならば全部を訳すのではなく、キーワードの訳を提示する、交渉ロボットは相手の声のトーンから感情を類推して提示する、というようなことを行い、人間の能力を高めるのである。こういった生活に結び付いた利用シーンでは様々な状況があるので予めすべてをプログラムすることは現実的ではなく、ロボットの学習機能が不可欠である。学習機能があるということは誤りを犯す可能性があるということと同義語のはずで、ミスをするから学習をする。従って最終判断は利用者である人間がするべきだと思っている。但し経験値は個人の経験だけでなく、クラウドで他の人の経験も併せて収集するので学習スピードは早い。クラウドでどういう経験を集めるかが利用者のノウハウになる。

こういったロボットの使いこなしは結構難しくカスタマイズも必要で時間もかかる。ロボット利用を含めた能力がその人の能力になり就職でも利用される、というイメージを持っている。そのための職業訓練が重要になるだろう。

20世紀前半の人類に最大の影響を与えた技術は、人類が電気を自由に操れるようになったことだと思っている。20世紀後半は半導体技術の進歩による通信とコンピュータの進歩だろう。21世紀前半はインターネットによる情報伝達の革新が社会の隅々にいきわたる、アプリの時代になると思っている。そして21世紀後半がロボットの時代になるだろうと思っている。ロボットは既に産業用ではかなり広く用いられているのでもっと早く広まるかもしれないが、「パソロボ」を持っているのが当たり前のようになるのはまだ相当先だと思っている。

SFのような話だが結構現実味があるのではないかと思っている。


オスマントルコとムガール帝国の歴史の本

2015-02-20 08:39:26 | 生活

今、河出書房の【世界の歴史19「インドと中近東」】というのを読んでいる。最近、イスラム過激派の問題が良く言われるし、インドにも興味があるので読み始めたものである。昔は立派な装丁の単行本だったと思うが文庫本になっていたので買った。

主題はオスマントルコとムガール帝国であり、それ以前のインドと中近東の歴史はごく簡単に触れられている。まだ始めのほうを読んだだけだが、オスマン以前から中近東は中国からヨーロッパまで海路を通じて交易していたとか、アフガニスタンとかトルキスタンとかいう中央アジアの地域は昔からインドやイランと侵略したりされたりしていたとか、ムガール帝国はイスラム教の国だったとか、知らなかったことがたくさん書かれていて面白い。

私は高校で受験科目に世界史を取ったのだが、この辺りの歴史は詳しくは教わらなかったと思う。それでもサラセン帝国とかオスマントルコとかは記憶している。本の中ではイスラム教の創始者はマホメットとなっている。今はムハンマドと言うがいつからムハンマドになったのだろう。この本が発行されたのは1995年なのでこの時にはまだマホメットだったようである。本の中に別人でムハンマドと言う人物は何人も出てくる。区別する意味で違う呼び方を続けていたのだろうか。

教科書のように史実ばかりが並んでいるのかと思ったがそうでもなく、なぜこの王朝は滅びたのか、とかスンニ派とシーア派はどこで分かれたかなども出てきて面白い。こういう書き方なら今度はモンゴル帝国について書いた別の本も読んでみようかと思っている。全部読み終えたらまた感想をこのブログに載せるつもりである。


風刺のあり方について

2015-02-19 08:36:27 | 社会

フランスでイスラム過激派による週刊誌シャルリーエブド社員の殺人事件があり、最近ではデンマークで風刺画家の参加した集会での銃撃事件があった。ヨーロッパでは「表現の自由を護れ」という論調が強く、この動きはマスコミにとって好ましいことなので大々的に報じられたが、最近ぽつぽつと「他の人が大切にしているものを皮肉るのは良くないのではないか」と言う意見を目にするようになった。マスコミが「表現の自由を護れ」と言う立場であるにもかかわらず、こうした意見を目にすることを考えると、これらの意見はかなり根強く、ひょっとすると日本人では「風刺は良くない」と考えている人のほうが多いのかもしれない、と言う気がしている。

私がこの話題を取り上げる気になったのは、私にとって重要なポイントが殆ど指摘されていない、と感じているからである。それは「風刺をすることで金儲けをしている」ということである。アメリカのソニーピクチャーの金正日の風刺に関してもシャルリーエブドに関しても、ビジネスとしてやっている、という側面が強いと思っている。この点に関して私は不快感を感じている。ブログのように単純に自分の意見を述べるだけなら、かなりのレベルまで認められるべきだろう。だが、金もうけの手段として他人の名前やイメージを用いる場合にはより強い制約があって良いと思っている。

週刊誌が芸能人のプライバシーを暴いたり、事実誤認の報道をしたりして訴えられることが良くある。記事が悪い場合には週刊誌に対して賠償金が命じられるのだが大抵は100万円程度である。間違った記事を書いて売り上げが増えた分のほうがはるかに大きいと思う。私はこの種の賠償金は今の100倍の1億円くらいにするべきだと思っている。そうすれば裁判で負けると大変なので週刊誌側はより慎重になるだろう。

表現の自由と相手の傷つける意見を公表することの関係で、どこまで許されるか線引きは難しい。最後は裁判で判断せざるを得なくなると思うのだが、表現の自由と金儲けの関係を議論し、商業主義で他人を傷つける情報を流した場合の罰金は、今よりはるかに大きくて良いと思っている。



若者に必要な能力は?

2015-02-18 08:02:37 | 東工大

大学での後期の授業は大体2月の第1週で終わり、あとは卒業のために発表会とか審査会、卒論提出、入試と言ったプロセスに入る。私はこの春卒業する学生を抱えていないので比較的気楽に過ごしている。

授業の最終回は私は講義ではなく学生とのDiscussionを英語ですることににしている。内容は以下のようなものである。「私が大学を卒業したころには、パソコン、インターネット、ケータイのどれもなかった。今の生活からは考えられないような変化だろう。今や君たちは図書館を手の中に持っているようなものである。君たちがこれから生きていく40年間にはもっと大きな変化が起こるだろう。これからの40年間を考えるときに必要な能力は何だと思うか?」

話のはじめとして「私の若かった時代には知識が極めて重要だった。これからに時代知識は必要なくなるのか?」というような話をする。知識が不要という人はいない。どのような知識が必要かは時代とともに変わってくる。「検索して出てくる知識はたいしたことは無い」、という人がいるが検索しても出てこない知識はなかなかない。自分の中で一つの知識を他のものとどう結び付けるかが重要だ、「理解する」ための知識が重要だ、という方向に話は向かう。では「理解する」とは何か?「他の人に説明できることだ」という学生がいる。「理解していても説明できないこともある」という学生もいる。それでも「教科書に書いてあったから」ということではなく説明しようといろいろトライできることが理解しているということだろう、ということになる。どういう知識が重要かは学生だけでなく社会人全体にとって重要なことだろう。「使える知識」が重要でその知識は単純な知識と何が違うのかを認識する必要があると思う。

必要な能力に関しては「コミュニケーション」「想像力」「創造力」などいろいろ出てくる。いずれも結論が出る問題ではないが、こういった問題に注意を喚起して考えてみるのは重要なのではないかと思っている。



ギリシャと北欧の違い

2015-02-16 09:50:11 | 社会

ギリシャではシリザというポピュリスト系の政党が「緊縮財政を止めて、EUにもっと援助を求める」という公約を掲げて選挙で圧勝し、実際に解雇した公務員の再雇用などを始めているらしい。もちろん財政の裏付けなどなく、ユーロ離脱をちらつかせてEUの支援を獲得することが狙いである。交渉は始まっているようである。

EUの中心となっているドイツのメルケル首相は緊縮財政を続けないと追加支援は行わない、と断言する一方「ギリシャにはユーロに留まってほしい」とも言っている。メルケル首相としては「ギリシャのユーロ離脱はやむなし」と考えていると思うが、「ドイツがギリシャを追い出した」とは言われないようにしたいというところだと思う。ギリシャに対してある程度支援する用意はあるが、ギリシャ国民がシリザを選んだことを後悔させる決着でないとEUとしては失敗になると私は思っている。

私はこのブログで何度か「日本は北欧型の社会を目指してはどうか」と書いているが、ギリシャも北欧も大きな政府の資本主義国であり、政体としては良く似ている。おそらく国民性がギリシャと北欧を分けているのだと思う。日本が大きな政府を目指した場合にギリシャになるか北欧になるかは紙一重だと思っている。北欧になれる見込みが立たないなら大きな政府を目指すべきではなく、今時点ではギリシャのようになるリスクのほうが高いと感じているので、私は小さな政府を志向する安倍政権を容認している。

ギリシャは文明発祥の地なのにどうしてこうなったのだろうか。地中海沿岸を制覇した古代ローマも今は見る影もなく、イタリア人というと遊び好きのジゴロというイメージである。塩野七生氏の「ローマ人の物語」を読むと、古代ローマ人の気質は今のドイツ人のような感じである。どうしてこんなに変わってしまったのか、地球温暖化の影響だろうかなどと考えている。

ギリシャと北欧はどう違うか、日本がギリシャにならずに北欧のようになるようにするにはどうすれば良いかを真剣に検討するべきだと思う。



最近の散歩で見た風景

2015-02-15 14:09:11 | 生活

最近の散歩の写真をいくつか示しておこう。大岡山近辺では大学の南側を歩くようにしている。自由が丘で降りて大岡山まで歩くことは多いのだが、大学の南側はあまり歩くことは無い。しかし歩いてみると洗足池など結構気持ちの良い場所がある。

写真は大音寺という東工大の南西にあるお寺である。後ろのほうに大学の建物が見えている。大岡山の南側は住宅街で一戸建てが多く立ち並んでいる地域である。

写真は田園都市線の藤が丘駅の北のほうにある長谷山祥泉院で曹洞宗のお寺である。結構立派なお寺である。

14日の土曜日には港北ニュータウンのセンター南から田園都市線市ヶ尾駅を経て自宅まで歩いた。

この写真は公園の中にある野外劇場である。ギリシャなどでよくあるもので、円形の階段状にベンチが置いてある。奥のほうに富士山が見えている。写真を近くから取りすぎたので円形劇場の感じが出ていないがなかなか風情のある場所だった。センター南駅の近くの公園の中にある。

同じ日に、駐車場にこんな車を見つけた。子供向けにトラックで機材を運んで演技会をやっているのだろうか。トラックが劇場になる野外劇場タイプではないかと思う。場所は江田高校の南のほうの、民間の駐車場である。


もっとゆっくり生きられないか

2015-02-13 11:14:28 | 社会

ピケティについてこのブログに書いて、コメントを読み、自分で考えているうちに私の頭に浮かんできたのが掲題の言葉である。私が子供のころはテレビ、冷蔵庫、洗濯機を三種の神器と呼んで各家庭がどんどん買い込み、主婦の仕事が楽になってきた。更に掃除機、電子レンジなども出てきて主婦の仕事はますます楽になってきたと思う。それでは主婦はのんびりできているだろうか?

一時的にはのんびりできただろうが、主婦のエネルギーは教育に向かい、受験戦争が激化した。そして若い主婦は仕事に出るようになり、現在の女性は仕事と家事、子育てを抱えて以前より一層忙しくなっている。

男性はどうか? コンピュータや通信の発達、事務処理ソフトの発達などで業務は効率化されたが、その分はアシスタント的仕事をしていた女性の削減につながり、仕事の質が変わっただけで決して楽になっていない。これは世界的に同じ傾向でEconomist誌によると、世界のビジネスマンの業務時間は減るどころか伸びている。あらゆる分野に機械やコンピュータが導入されて、皆がもっとゆったりした生活ができるようになるかと思ったが、それは幻想で実態はかえって忙しくなっている。

理由ははっきりしている。Economist誌はいろいろ理由を挙げているが、根本は競争社会だからである。便利になればその分だけ多くの仕事ができるのでより多くの仕事をする。そうしないと競争に負けてしまう。この流れを抑えるためには世界全体が「ゆっくり生きる」ことを合意しないといけない。現在の先進国だけならひょっとすると合意が取れるかもしれないが、BRICsのような発展中の国はまず合意しないだろう。仮に合意が取れたとしても、抜け駆けをする人や組織が必ず出てくる。それに対する罰則を用意しないといけなくなるだろう。ちょっと現実味がないと思う。

当面は仕事に生きがいを見出して、働くことを苦しいと思わないのが個人にとっては良い方向性だと思う。そうしながら、「人生の目的は金ではない」という哲学を模索する。哲学には当然個人差があるのだろうが、「ある程度成功した人はそれ以上に金を求めず、社会貢献を目指す」という社会の評価、つまり社会哲学を確立する。2050年くらいまでにそれが確立できれば地球は住みやすくなるかもしれないと思っている。


ロシアの苦境

2015-02-12 10:46:57 | 社会

今年初めに出されたアメリカユーラシアグループの世界10大リスクで2番目に位置づけられたロシアリスクが高まっている感じがする。彼らの一番のリスクはEU問題で、ギリシャの選挙などがあってこちらもリスクはあるが、EUは今のところまとまっている感じがする。

ロシアはウクライナ問題でリスクが拡大していることが報じられているが英国Economist誌によると、経済リスクが高いことの表れだという。同誌によるとロシア国営テレビの放映内容はウクライナの戦争(アメリカがたきつけている)、ウクライナ経済の没落、ロシアのスポーツやバレーなどでの成功ばかりが取り上げられており、ロシア経済はほとんど報じられていないそうである。確かにこれは危険な兆候という気がする。その一方で国民はルーブルをドルに換えており、ルーブルは大幅に安くなっている。最近のウクライナでは戦闘が激化しており、問題が拡大している。これにはロシア政府の「国民の眼をウクライナに向けよう」という意図があることは間違いないだろう。

ソビエト連邦時代、ロシアはアメリカには劣るもののアメリカと対立する世界の大勢力であり、宇宙開発などでも優れた技術を持っていた。しかし、ソビエト連邦が崩壊して民主主義国になったロシアには世界で活躍する企業は無く、国営企業の資源貿易に頼ってここまで来ている。中国でHuaweiやLenovoが世界的な企業になり、インドでMital Steelが世界的な企業となったのに対してロシアでは企業が育っていない。1970年代あたりでは間違いなくロシアのほうが中国、インドより技術力が高かったはずなのに、産業として育たなかったのはやはり規制というか社会制度の問題なのかと思う。

欧米と関係が悪化しているロシアから世界企業が出ることは今後も考えにくい。これを変えるにはプーチン大統領では無理で、別の人でないとできないような気がする。中国の小平に相当する人物がロシアに表れない限り、ロシアはじり貧か戦争を始めて負けるかになるだろう。

日本はロシアとどう付き合うべきだろうか? 最近テレビで北方領土問題などを宣伝しているが北方領土をクローズアップするのは疑問だと私は考えている。世界のルールに従うならばロシアに経済援助をするとか、技術協力をするとかいった経済的な関係を強め、日本がロシアにとって大切な隣人になってから北方領土問題を持ち出すべきだと私は考えている。日本は欧米側の立場に立つことは避けられないにしても、欧米と同じことを言うのではなく、隣人として言えることがあるだろうと思う。




私の考える「21世紀の資本」

2015-02-07 18:41:46 | 社会

先日のピケティ論にいろいろとコメントをいただいた。今回は私の考えるピケティの良さと自分の考えを整理してみようと思う。

ピケティの「21世紀の資本」のポイントは「資本主義において格差は拡大する」という点にある。そのことを実証するためにピケティは膨大な資料を集め、ほぼどの時代でも資本収益率が経済成長率を上回ることを示している。つまり「富が富を生む」ほうが「技術革新などによる経済成長」よりも早いので、豊かな人はますます豊かになる、ということを示している。この点が多くの人の共感を得たのだろうし、多くの人が「自分もそう思っていた」ことを明快に示したのだと思う。私もそうである。

次は格差が拡大すると何が起こるか、という点である。まず、トリクルダウン、つまりまず一部の人が豊かになりそれが順番に回って全員が豊かになる、という現象は幻想である、という点がある。更に格差は固定化して、豊かな人の子供は豊かに、貧しい人の子供は貧しいままになる、「アメリカンドリームは起こらなくなる」としている。

このあたりになると大分怪しくなると私は思っている。まずトリクルダウンだが、明治以降資本主義に変えた日本はどうなったかを見てみると、全体が豊になっている。ピケティに言わせると第2次大戦とか財閥解体とかいう異常事態が起こったのでリセットされた、ということだが、日本の戦後だけを見ても貧しい人も底上げされていることは間違いない。アメリカンドリームについても、ビル・ゲイツ、スティーブ・ジョブズ、ラリー・ペイジなどアメリカンドリームは現在でも次々と起こっている。全体として格差が拡大していることは事実であるがピケティが言うほど悪くはなっていないというのが現実だろう。

最後に「格差拡大を防ぐためにどうするべきか」という点がある。この点に関してピケティは累進課税を言っている。これは極めて安直な方法で検討不足だと多くの人が反論しているし、私もそう思う。累進課税は必要だがそれだけでできるわけもない。ピケティ自身もこの点にはそれほど重きを置いておらず、「皆が格差拡大を防ぐためにどうすれば良いか」を考えるきっかけになれば良い、と言っている。

以上が、ピケティの「21世紀の資本」の一般的な見方だろう。私はどう思っているかというと、格差が拡大しても、国民の大部分が「前より良くなった」と思えるなら問題ない、と考えている点が異なっている。金持ちが10倍金持ちになっても貧乏人も2倍金持ちになるならそれでよいと思う。「格差が拡大するからトリクルダウンに期待するのは間違い」ではなく、「格差が拡大してもトリクルダウンにより下層の人達にも恩恵があるなら良い」である。金を儲けすぎることに対する嫉妬心をあおるべきではない、と思っている。資産の継承に関しても同様で、相続税はあってもよいが、金持ちの資産継承を禁じるよりは、貧乏な子供にチャンスを与えることを考えるべきだし、アメリカはその点には注意深く配慮していると思う。但し、金をため込むのは良くないので金持ちはなるべく使うように色々な制度を考えるべきだろう。

問題はこの20年間の日本のように成長せずに格差が拡大する場合である。全体としては生活が悪くなるのに一部の人だけが良くなるような事態は防がなくてはならない。つまり考えるべき指標は格差ではなく、豊かでない一般国民の生活が改善するかどうかだと思う。累進課税や、相続税も必要であるが、それを問題を解決する主要な方法にするべきではないと思う。

私は格差拡大を防止しようとするよりも、このブログに何度も書いたように、「富が富を生む」内容を「投資」と「投機」に分類して精査し、他人を困らせることによって富を生む「投機」に対して高い税率をかけるべきだと思っている。難しいことは重々承知しているが、目指すべき方向性だと思っている。