前回は民主主義への疑問を書いた。民主主義に関しては疑問を持っている程度だが、資本主義に対しては「このままではいけない」と私は感じている。
現代社会のポピュリズムによる問題の原因は根本には民主主義とペアになっている資本主義の問題があると思うからである。問題は比較的はっきりしていて先進国において貧富の差が拡大していて、以前よりも生活が苦しくなった人が増えており、その人たちが不満を持っているから「私が不満を解消する」という人に人気が集まっている、というのが最近の状況だと私は認識している。しかし、実は誰も有効な解決策は持っておらず、イギリスやアメリカのように実際にやらせてみてもたいした成果は出ない。これは私は資本主義の本質的なところに問題があるからだと思っている。
資本主義の本質的な部分というのは、私の理解では、「競争原理」である。つまり多くの人が互いに競争する社会が活力を生み経済的に豊かになる。競争原理は必然的に勝者と敗者を生む。勝者は豊かになり、敗者は貧しくなる。共産主義はこれを排除して競争原理ではない計画経済を目指したが、活力がなくなり衰退した。現在では共産党支配であっても経済的には競争原理を導入している。今後も競争原理で経済を運用することは必須だと私は考えている。
数年前、トマ・ピケティは「21世紀の資本」でこのことを指摘し、大きな話題となった。ピケティの指摘は経済活動による勝者・敗者の出現なのだが、現代の急速な技術革新が勝者を一層有利にする方向に動いていると思う。
これに対する対策は難しい。難しさは、現代社会を運営する単位が「国」であり、国間でも競争が行われているからである。世界がある程度統一的に管理されていれば、競争を緩めることで敗者の不満を和らげることは可能である。ところが競争を緩めた国と緩めない国があると、競争上は緩めない国が有利になってしまい、国際競争力を失ってしまう。現代の日本はこの状態に入りつつあると私は感じている。それはまずいと考えて国家が競争の前面に出てくると国家間の紛争につながってしまう。
敗者に対する救済策として何があるだろうか?
まず考えられるのは「税を用いた富の再配分」である。基本的な考え方は高所得者ほど税率を高くする累進課税である。ところが、ここ数十年、日本では累進課税はむしろ緩められている。世界的に見ても先進国にはその傾向がみられる。これは、累進税率が高いと投資を呼び込みにくいという事情と、意思決定者自身が富裕者であることが多く自分のにとって都合が良いから、という事情がミックスされていると私は思っている。私が確定申告などで感じるのは、株の配当金(大金持ちはこの比率が高い)などの収入が分離課税になっており、税率が累進制ではなく一律になっている点である。この点には見直しの余地があるように思う。
もう一つは「考え方を見直す」ということである。私は「金が金を生む」というのはいかがなものか、と感じている。この私の考え方はイスラム金融の考えに近いと思っている。イスラム金融では利子を取ることを認めていない。これは金利が不労所得と捉えられているからだろう。それでは住宅ローンは組めないのかというと、銀行が家を買って、それを個人に分割払いで売却する長期契約を結ぶような形で実質的には借金に相当する仕組みはできている。しかしこの仕組みだと、バブルがはじけて住宅価格が暴落したような場合に貸し手責任が明確になるというような効果はあるだろう。現実的な活動はほとんど同じでも、「金が金を生むのは好ましくない」という原理原則があれば金融商品の開発にある程度筋が通ってくるのではないかと思っている。
敗者に保護を与えるのは不可欠である。日本だと富の再配分ばかりが議論される印象だが、むしろ「再チャレンジ」の機会を与える仕組みを整備することが重要だろう。この点では米国の仕組みに学ぶところが多々あると思う。