ウィトラのつぶやき

コンサルタントのウィトラが日頃感じたことを書いていきます

世界の社会哲学、資本主義には見直しが必要

2019-03-16 16:18:18 | 社会

前回は民主主義への疑問を書いた。民主主義に関しては疑問を持っている程度だが、資本主義に対しては「このままではいけない」と私は感じている。

現代社会のポピュリズムによる問題の原因は根本には民主主義とペアになっている資本主義の問題があると思うからである。問題は比較的はっきりしていて先進国において貧富の差が拡大していて、以前よりも生活が苦しくなった人が増えており、その人たちが不満を持っているから「私が不満を解消する」という人に人気が集まっている、というのが最近の状況だと私は認識している。しかし、実は誰も有効な解決策は持っておらず、イギリスやアメリカのように実際にやらせてみてもたいした成果は出ない。これは私は資本主義の本質的なところに問題があるからだと思っている。

資本主義の本質的な部分というのは、私の理解では、「競争原理」である。つまり多くの人が互いに競争する社会が活力を生み経済的に豊かになる。競争原理は必然的に勝者と敗者を生む。勝者は豊かになり、敗者は貧しくなる。共産主義はこれを排除して競争原理ではない計画経済を目指したが、活力がなくなり衰退した。現在では共産党支配であっても経済的には競争原理を導入している。今後も競争原理で経済を運用することは必須だと私は考えている。

数年前、トマ・ピケティは「21世紀の資本」でこのことを指摘し、大きな話題となった。ピケティの指摘は経済活動による勝者・敗者の出現なのだが、現代の急速な技術革新が勝者を一層有利にする方向に動いていると思う。

これに対する対策は難しい。難しさは、現代社会を運営する単位が「国」であり、国間でも競争が行われているからである。世界がある程度統一的に管理されていれば、競争を緩めることで敗者の不満を和らげることは可能である。ところが競争を緩めた国と緩めない国があると、競争上は緩めない国が有利になってしまい、国際競争力を失ってしまう。現代の日本はこの状態に入りつつあると私は感じている。それはまずいと考えて国家が競争の前面に出てくると国家間の紛争につながってしまう。

敗者に対する救済策として何があるだろうか?

まず考えられるのは「税を用いた富の再配分」である。基本的な考え方は高所得者ほど税率を高くする累進課税である。ところが、ここ数十年、日本では累進課税はむしろ緩められている。世界的に見ても先進国にはその傾向がみられる。これは、累進税率が高いと投資を呼び込みにくいという事情と、意思決定者自身が富裕者であることが多く自分のにとって都合が良いから、という事情がミックスされていると私は思っている。私が確定申告などで感じるのは、株の配当金(大金持ちはこの比率が高い)などの収入が分離課税になっており、税率が累進制ではなく一律になっている点である。この点には見直しの余地があるように思う。

もう一つは「考え方を見直す」ということである。私は「金が金を生む」というのはいかがなものか、と感じている。この私の考え方はイスラム金融の考えに近いと思っている。イスラム金融では利子を取ることを認めていない。これは金利が不労所得と捉えられているからだろう。それでは住宅ローンは組めないのかというと、銀行が家を買って、それを個人に分割払いで売却する長期契約を結ぶような形で実質的には借金に相当する仕組みはできている。しかしこの仕組みだと、バブルがはじけて住宅価格が暴落したような場合に貸し手責任が明確になるというような効果はあるだろう。現実的な活動はほとんど同じでも、「金が金を生むのは好ましくない」という原理原則があれば金融商品の開発にある程度筋が通ってくるのではないかと思っている。

敗者に保護を与えるのは不可欠である。日本だと富の再配分ばかりが議論される印象だが、むしろ「再チャレンジ」の機会を与える仕組みを整備することが重要だろう。この点では米国の仕組みに学ぶところが多々あると思う。


世界の社会哲学、「民主主義」は持続可能か

2019-03-09 16:37:50 | 社会

前回、日本の社会哲学について書いたのだが、私は世界の社会哲学に関しても「今のままで良いのか?」と感じている。世界の社会哲学の主流は「民主主義」と「資本主義」だと思っており、この二つは関連しているので本来は一括して論じなければいけないのだが、話が大きくなりすぎるので一応分けて、今回は民主主義に関して書いてみようと思う。

多くの人は民主主義が良いということに疑いを持っていないと思うが、民主主義が定着してまだ200年は経過していないと思う。歴史的に見ると、王制、共和制、民主制があり現在の世界でもこの3方式と言えるだろう。その中で民主主義の歴史は浅い。中国やベトナムは共和制、サウジアラビアや北朝鮮は王制、というのが私の認識である。民主制は統治者を選挙で選ぶのに対して他の二つは選挙を行わない。共和制は統治者の後継者をグループから選ぶのに対して、王制は血のつながりを後継者の条件としている。中国は「共産党独裁」などと言われているが、以前にも書いたように官僚が全権を掌握していて政治家がいないと捉えたほうが分かりやすいように思う。中国の共産党員は6000万人、日本の公務員は350万人なので、人口に占める公務員数は中国が4%、日本が3%で、中国のほうがやや多い。日本の公務員は公僕と言われているが、中国の共産党は国民の上に位置づけられている。しかし、日本でも実態は官僚が国民の上にいる。

問題は「民主主義は持続可能か?」ということである。チャーチルは「民主主義は最悪の方式だが、他のどの方式よりもましである」と言っている。一度民主制になってそれからほかの方式に転換した国はまだない(と思う)ので、やはりチャーチルの言葉は正しいのかもしれない。しかし私が気になっているのはドイツのナチスも選挙で権力を獲得し、その後いろいろと制度を変更して世界大戦に突入したのだし、アメリカのトランプ政権も選挙で勝った後、大臣級のメンバーを次々と取り換えてイエスマンを揃えており、最近は勝手に「国家緊急事態」などと宣言している。現在進んでいるロシアゲートの調査が進んで自分の身が危うくなると何をするか分からない、感じを持っている。つまり、「民主主義は持続可能か?」ということに私はYesとは言い切れないと感じている。

制度がどうであれ、統治者が適切な人物であれば国は発展する。問題は何時も適切な人物がその地位につくとは限らず、能力のない人物が高い地位についてしまったときに、その地位を護ろうとしておかしな行動を起こす。あるいは当初はトップとしての能力があったのだが長期政権が続くうちに能力が落ちてきたにもかかわらず、その地位にしがみつこうとするときに、その組織は暴走する。つまり問題は

①能力のある人物がトップに立つような仕組みになっているか
②適切でない人物がトップになった時の安全装置が用意されているか

の2点が問題となる。①に関しては王制には問題があり、共和制と民主制では大差はないと私は思っているが、最近民主制ではポピュリズムが台頭していて不安である。②に関しては選挙という手段を持っている民主制が最も良いように思うのだが、権力者が在任中にルールを変えてしまうとか、短期間に戦争に突っ走るとかいうリスクは抱えている。

前回書いた日本の「バカ殿を支える」体制は能力に低いトップに対しては有効に働くのだが、「確信犯」で強い意志を持って自分の都合の良いように走ろうとするトップが出てきたとき(例えばトランプ氏のように側近を次々と替えるような人物が出た時)には日本の仕組みはほとんど機能しないように思う。民主主義よりも良い方式も見つかってはいないし、安全装置として何が良いかについてのアイデアは持っていないので問題提起をするだけなのだが、考えておく必要はあるように思う。

当面、私の懸念は①で不適切な人物が選ばれる可能性が高くなっている点にあるのだが、この根本原因は資本主義の問題にあると考えており、この点に関しては別途整理してみたい。