ウィトラのつぶやき

コンサルタントのウィトラが日頃感じたことを書いていきます

ドイツの高校における政治教育

2016-04-30 09:58:09 | 社会

昨日の夜のNHKでドイツの高校における政治教育の状況を紹介していた。これは今年から選挙権を18歳以下に引き下げたことに対応する特集である。ドイツでは既に18歳以上に選挙権を与えているが若者の投票率は高いという。その秘密が高校教育にあるという。テレビで紹介された場面では、移民問題を扱っていた。移民受け入れの良いところ、問題点を教師が説明し、高校生が様々な意見を述べる。そして教師が政党Aはこっち寄りの意見、政党Bはこっち寄りの意見、といった説明を最後に行う。

この番組を見て、「日本とドイツの差は今後開くだろう」と私は感じた。あのレベルの授業は日本では10年は無理だろうし、下手をするといつまでたっても到達しないかもしれないと思う。まず、教師が教えることができない。まず、日本人の教師はそのような政治的問題に対して教育しないように言われている。そこを変えることが出発点である。こういう政治的に微妙な問題を取り上げて良い、あるいは取り上げるべきだ、となったとしても教師に教育する能力がないと思う。教師に限らず、日本人の大人で、あのような意見が割れている問題に対して、きちんと問題点を把握して分析できている人はごく稀である。自分が分かっていないことを教育テーマとして取り上げることは非常に難しい。

更に日本では「教師は生徒に教えるもの」という上下関係の意識がこういった授業では大きな障害になると思う。このような問題では生徒のほうが教師の視点になかったポイントを指摘することもあり、それは受け入れなくてはならない。一方、生徒が誤解して発言しているときもあり、それは正さなくてはならない。このためには教師の側にかなりに知識と度量が必要である。今から政府が教師を教育したとしても10年はかかると思う。

更に政党の意見もあいまいである。日本で言うとTPP問題や憲法改正問題が大きな問題だと思うが、それぞれに対する政党の意見はあいまいで、同じ政党の中にも色々な意見の人が居て割れている。自民党は安倍総理が全体をまとめているが、民進党は政党の意見そのものがあいまいであり、選挙に勝てそうな意見に流れる、という雰囲気がある。このあたりをきちんと説明するのはよほど政治を深く勉強している人でないと無理だろう。要するに政党に政策の軸がないので、仮に政治問題に対する意見を議論できて高校生が意見を持てたとしても、投票とどうつながるかは不透明である。

更に、私が感心したのはドイツにおける教師の説明仕方が問題の本質を説明し議論している点である。つまり、移民を受け入れるとこういう良いことがある一方で、こういう問題点がある、ということを多面的に説明し、政党の意見はこちらの側面を重視している、という言い方をしていた点である。日本なら池上彰さんのような高いレベルの人でも「こっちの政党がこういう意見、あっちの政党はこういう意見」という紹介の仕方をするように思う。一般的に、日本人で政治的にはっきりした意見を持っている人は大部分が自分で考えた人ではなく、共産党のように集会などで教育されている人だと私は思っている。従って勉強してきた意見を言っているのであって、自分で考えて意見を言っている人はごくまれだという感触を持っている。

私が出ていた技術の国際標準を作る会議などでも、日本人が頑張るのは上司から「この意見を通してこい」と指示された場合で、自分の頭で全体のために何が良いか」、それと自分の企業には何が良いかを自分で考えて調整しているような人はごく稀だったと思っている。人工知能の発展で言うべきことが決まっているような発言にはどんどん人工知能が入ってくるだろう。全体として日本人の地位は下がっていく感じがしている。


セブンイレブンの今後

2016-04-25 09:17:29 | 経済

少し前の話であるが、セブンイレブンの鈴木敏文会長が引退することになった。社長を交代させようとして取締役会で否決されて、引退を決意したものである。裏にはどうも内部の勢力争いがあるらしい。

鈴木会長の引退の弁では現在の社長は事業執行は順調にこなしているものの、CEOとしては物足りない、ということで社長を交代させる、ということだった。これはいかにもありそうなことに思うし、多分鈴木会長の見方が正しいのではないかと私は考えている。その一方で交代して新社長案として出されていた古屋氏は66歳で現社長の井坂氏よりも8歳も年上で、鈴木氏退任報道以後、多くの報道がセブンイレブンに関して出された中にあって影は薄いと感じる。鈴木氏退任の意向を受けて井坂氏がセブン&アイホールディングの社長、古屋氏がセブンイレブンの社長になったことから見て、それなりに力のある人ではあるのだろうが、ぐいぐい引っ張る人という感じはしない。つまり、反対派の「社長交代案はおかしい」という意見も理屈に合っている感じがする。

どちらの意見にも良い点もあれば悪い点もあって決め難い状況ならば、結論を先延ばしにして、議論を継続するのが常道である。それをやらずに強行しようとしたのが鈴木会長で、反対派は創業家まで担ぎ出して阻止に回った結果、否決され、鈴木敏文氏が引退することになった。なぜ鈴木氏はこんなに急いだのだろう? 体調でも悪いのだろうか?と勘ぐってしまう。

今後、セブンイレブンがどうなっていくかであるが、私は次第に落ち目になっていくだろうと予想している。それは鈴木氏の手法がマイクロマネージメントだからだというのが私の考える理由である。報道などを見ると鈴木氏自身がお惣菜の味見をしてOKを出していたのだという。これがセブンイレブンのマイクロマネージメント体質を表していると思う。井坂氏や古屋氏も、味見をして判断する。売れ行きが良くなければ早めに切り替える、といった判断はできる人なのだろう。

しかし、「仮説と検証」をどれだけ幅広くやれるかが、CEOとしての力量だと私は思っている。特に鈴木氏が推進してきたオムニチャネル戦略による、ネット販売と宅配、店舗販売の一体化は今後の世の中の長期的トレンドとなるのは間違いないだろうが、ユーザがまだ十分になじんでいるとはいえず、一気に進むとは思えない。提供側が様々な成功と失敗を繰り返しながら、社会構造の変化に合わせて少しずつユーザの行動パタンを変えていくのをどううまくやるか、がセブン&アイホールディングのミッションだと思うのだが、鈴木会長抜きではこれをうまく進めるのは難しいだろうと私は思っている。

1年くらいは今の延長線上で殆ど影響は出ずに進むと思うが、2年目くらいから変調が見え始め、3年目には成長が止まるという感じになるのではないかと思っている。今後のセブンイレブンの業績に注目していきたい。


囲碁、井山名人、全冠制覇

2016-04-24 15:55:27 | 囲碁

囲碁の十段戦で挑戦者の井山名人が勝ち、3勝1敗で十段位を獲得した。これでテレビ碁などの1手1分で打つ早碁を除く7大タイトルを全て制覇した。内容も圧倒的で他の棋士はちょっとかないそうにない感じがする。日本では圧倒的な強さを示す井山7冠だが、先日アルファ碁に負けた韓国のイ・セドル九段にはかなり負け越していると思う。韓国や中国にはこのクラスが何人もいるので、以前も書いたが井山名人は世界ではテニスの錦織圭レベルとみるのが妥当だろう。

日本のタイトル戦は持ち時間が長く、韓国・中国は短めなので長い勝負になるとどうなるをを見てみたい気はする。日本のタイトル戦には中国・韓国の棋士は出られないことになっているのだが、オープンにして世界戦にするべきだと思う。7大タイトルはそれぞれにスポンサー企業がついているので、どこか1社くらいはオープンな世界戦にしないのかな、といつも思う。どうも日本の囲碁界は閉鎖的な感じがしている。

30年ほど前まではプロ棋士として囲碁を職業として生活できる人は日本にしかいなかったので日本に強い人が集まってきていたのだが、中国や韓国でプロ棋士が成立するようになると勝てなくなってきた。以前も書いたが、日本のプロ棋士が勝てなくなってきたのは勉強方法に原因があると思っている。日本では名人のようなタイトル保持者になると一人で勉強するようになるのだが、中国や韓国では強い人でも頻繁に集まって意見交換をする。オープンイノベーションにはかなわないということだと思う。

私が学生だった40年くらい前は「30歳代以下の名人はあり得ない」などと言われていた。それはノウハウを蓄積するのに時間がかかっていたからである。しかし、今は逆に「40歳代以上の名人はあり得ない」という感じに変わってきている。インターネットの普及などで情報の展開が圧倒的に早まり、体力が重要になってきているからである。日本では中国・韓国と比べるとプロ棋士の平均年齢は高い。これも勉強方法に関係があると思っている。

日本の中にも中国、台湾、韓国人の人は参加している。30年くらい前までは日本のレベルが圧倒的に高く、囲碁が強くなりたい人は日本に来て修行をして、日本のプロ棋士制度でプロ棋士の認定を受けた人たちである。古くは中国の呉清源、私より少し上の世代で台湾の林海鋒、私より若干若い韓国の趙治勲、最近では台湾の張栩などの名棋士がいる。しかし、これらの人を囲碁ファンは外国人とは見ていない。日本で活躍しているので、生まれが日本でなかったとしても日本人棋士とみなしており、中国や韓国を活躍の場としている人たちとは別の眼で見ている。大相撲で北の富士などが「日本人力士に優勝してほしい」という発言を頻繁に行い、モンゴル出身力士を別の眼でみている感じがあるのとはかなり違うと思っている。呉清源は既に100歳を超えた中国出身の名棋士であり、ずいぶん前に引退しているが、今でも「最も尊敬する棋士は呉清源」という人が、プロ・アマを問わず多いと思う。こういった点では囲碁界のほうが相撲界よりも開かれた心を持っていると思う。


熊本地震に対する政府の対応

2016-04-18 09:29:19 | 社会

熊本地震が今でも続いている。今回の地震は14日夜に震度7の大きな地震が来て余震の中で対応に追われていたところ、16日未明に更に大きな地震が来て気象庁はこちらを本震とした。しかし、二つの地震は別々で「、最初に地震の影響で別の断層の弱い部分に刺激が起こり二つ目の地震が起きたというのが一般的な見方のように思う。

今回は2回大きな地震があったために、まだ余震が続いている状態で3回目が来るのではないかという不安感がぬぐえず、救護や被災者の対策にも慎重にならざるを得ない。それで、対策に時間がかかっているのだろう。

今回の地震に対する政府の動きは適切なものだと感じている。これくらいは当然と言えばその通りかもしれないが、神戸の地震の時や、東日本大震災の時と比較すると違いは明らかである。神戸の地震の時には村山総理は問題意識が薄く、一気に大きな災害が出たにもかかわらず、政府の動きは遅かった。総理に大災害に対応する心構えができていなかった印象を持っている。東日本大震災の時の菅総理は対応の必要性は認識していたが、組織を動かすことはできずに一人で動いた感じだった。これが国という組織を把握できていなかったからか、個人のパフォーマンスに走ったからかは良く分からないが、私は両方の要因があったように感じている。

今回の安倍総理は、国の様々な組織に指示を飛ばしており、適切な対応であると思う。本来これくらいはできて当然で、できなかった村山総理、菅総理のレベルが日本の総理大臣としてはレベルが低すぎた、ということだろう。アメリカでトランプ氏が大統領になればこんな感じになるのだろうか? 私は大統領就任とともにレクチャーが行われ、側近もついているので、それほどひどい事態にはならないのではないかと思っている。こういった問題は誰が大統領になろうと言って一定水準の行動は必要であり、自分の思想で「行動しない」というようなことは考えられないからである。日本政府には総理大臣に対するレクチャー、という仕組みができていないのだと思っている。

報道は「大変だ」と騒いで悲惨な状況を映し出すばかりで、現地の救助に有効な情報が少ない感じがしている。トヨタやホンダのカーナビではどこの道路が通れてどこは通れない、というような情報をビッグデータを使って提供しているという。メディアはこういった情報をもっと流すべきだろう。

今朝の新聞1面の見出しで毎日新聞が「避難者20万人」で日経は「避難なお11万人」だった。2倍近くの差がある。中身を読んでみると日経には「日曜日未明の大雨の予報で避難者は一時20万人になったが、雨はたいしたことがなかったので帰宅した人がかなり出て、それでもまだ11万人が避難生活を送っている」という内容だった。つまりどちらも正しいのだが、毎日には災害を大きく見せたいという意識が働いていると思う。

昨日も、テレビを見ていると何度も緊急地震速報が出た。殆どが実態はたいしたことのない小さな余震であった。14日と16日の大きな本震の時に緊急地震速報が出ていたのかどうか、私はその時間はテレビを見ていなかったので知らないが、緊急地震速報の的中率は今でも低いと思う。気象庁に対して改善を求めるべきであると思う。


TPPの交渉経過を開示要求するべきではない

2016-04-14 10:43:44 | 社会

国会でTPP審議が滞っている。民進党がTPPの交渉経過を開示要求し、政府側が出していないからである。

こういった外交交渉の交渉経過は開示すべきものではなく、開示するとすれば何十年もあとになって影響がなくなってから開示すべきものである。妥結点の内容で判断すべきだという安倍総理の言い分に筋が通っていると思う。民進党はなぜ開示しないと議論できないと言っているのか、根拠も薄弱である。

私はおそらく民進党側も承知のうえで「政府は何かを隠している」と印象付けたくてやっていることだと思っている。それだけ民進党が自分の政策を持たずにただ「与党が悪い」と批判するだけの万年野党根性に結成当初から陥っていることを示していると思っている。

民主党政権は失敗して野党になったのだが、野党になった当初は与党を経験したことで実際の政治のかじ取りの困難さを経験しており、それなりに学習効果が出ていたと私は感じていた。しかし、自民党に対する対立軸が打ち出せず、党内をまとめることができなくて選挙でも負けが続き、「与党に反対する」ことしか特徴を打ち出せない、と悟った結果の民主党と維新の会の合併だったと私は思っている。維新の会側は民主党からの出戻りや、みんなの党からの分裂組で職業としての国会議員を継続することに汲々としている連中であると思っている。多少なりとも自らの政策を実行したいと思っている人たちは大阪維新の会側に行って、使えない人たちだけが民主党と合併して民進党になった。私の期待は民主党時代よりもむしろ下がっているのだが与党に対する対抗軸はこれしかないのでまともな政党になってもらわないと困る。

話をTPP問題に移すと、この件に関するメディアの報道は中立的であると感じている。メディアは本来情報開示を求めてそれを国民に知らせることを職業にしているので、情報開示には賛成のはずだが、それが中立的だというのは「無理がある」と感じているからではないだろうか。しかし、「民進党の要求には無理がある」という意見はほとんど出てこない。それは大手メディアの体質によるものだろう。批判されないので民進党は「これで良い」と思ってしまって、ますます反対するだけの政党に成り下がる。民進党を育てる上でももっと多くの人がTPPに対する民進党のやり方を批判すべきだと思う。


昨日のスポーツ関係のニュースに思うこと

2016-04-09 09:13:51 | 生活

オリンピックが近づいてきてスポーツ関連のニュースが増えてきた。

昨夜はリオ五輪出場選手決定の選考会を兼ねた水泳の日本選手権が行われ、オリンピックで連覇していた北島選手が五輪出場を逃し、引退を表明した。200m平泳ぎで優勝した小関選手は世界記録に近いタイムだった。水泳の場合、五輪標準記録を上回って、なおかつ2位以内が五輪出場の条件で北島選手は5位だったのだが、「惜しい!」と思う程度の僅差だった。レース後のインタビューでも「やり切った。悔いはない」という感じが現れていて好ましかった。本気で五輪出場を目指していた感じが伝わってきて、本人も残念だろうか、結果的には良い花道だったと思う。

テレビの水泳中継では最後のほうで五輪標準記録のタイムラインが画面上に表示され、記録との競争をリアルタイムで見ることができる。殆どのレースで、最後の10mあたりで選手のスピードが落ちて標準記録に追い込まれたり、抜かれたりする。これは各選手が余力を残さず、「力を出し切る」泳ぎを目指している証拠だと私は思っている。日本水泳界の近年のレベルアップはこのような「全力を出し切る」姿勢にあるように思う。オリンピック出場の条件をあいまいさのない明確な基準にしていることも好ましく感じる。

一方でバドミントンのオリンピック候補がバカラ賭博をやっていたことが分かって謝罪会見を行ったことが大きく報じられている。世界ランク2位でメダルが期待されていただけに残念である。この種の会見や報道では私はそこに群がる報道陣が「他人の失敗を利用して金を稼ごうとする薄汚い連中」に見えて不快感を感じることが多い。今回もそうである。不祥事を起こした選手の周りに群がってコメントを取ろうとしている報道陣は「見出し」の言葉を求めて、自分の手柄にしたいという姿勢がありありと感じられる。水泳の北島康介選手に対するインタビューでもそうだ。レース終了直後のインタビューの時には「これからどうしますか?」という質問をして「数分前までオリンピックを目指していたのに、これからどうするかと言われても答えられない」と北島選手は回答していた。インタビューアは「引退」という言葉が欲しかったのだと思っている。後で「真剣勝負はこれで終わり?」という質問をして、「そうだ」という回答をもらって各社記事を書いている。記者自身のための取材という感じがここでも強く感じられる。

バドミントン選手のバカラ賭博は、野球賭博と並べて語られることが多いが、私は質的に大きな違いがあると思っている。野球賭博の場合には野球選手が野球賭博をやっていたということで八百長につながる可能性が高く、バカラ賭博よりもかなり悪質である。バカラ賭博の場合には、バドミントンとは関係がなく「痴漢をした」というのと同様に社会的に好ましくない行為を行ったに過ぎない。普通の人でもやる賭けマージャンなどとはレベルが違っており、やるほうも違法性を認識していてやっていた行為なので処罰は仕方ないと思うが、メディアの扱い方は野球賭博とは異なってしかるべきだと思う。

このあたりにもメディア関係者のレベルの低さが伺える。


総務省が実質ゼロ円携帯に是正指導

2016-04-06 09:47:47 | 社会

4月から「ゼロ円携帯」をなくすことにしたのに、ドコモは家族割りなどの条件によって600円で販売、ソフトバンクは乗り換えに実質ゼロ円で販売しているとして総務省が両社に指導を行ったことが報じられている。報道は事実のみを報じている感じだがどちらかと言うと「決まったばかりのルールを数日間で破った」というトーンでドコモとソフトバンクが悪い、という印象を与える報じ方である。

私はオペレータよりも総務省のほうに問題が多いと感じている。以前にも書いたが国が必要以上に細かいことに口出しする「マイクロマネージメント」だと思うからである。このルールは昨年安倍総理が「携帯の料金は高すぎる」と発言したことを受けて総務省内に検討会が立ち上がりその審議結果を受けてルールが決まったものである。内容は明らかにマイクロマネージメントをしようという審議会なのだが、審議開始時及び審議中、審議結果に対して批判的な意見は少なからずみられたが「マイクロマネージメントをするな」という意見は見られなかった。

残念ながら日本では「マイクロマネージメント」という概念自体が定着していないのだろうと思う。全般的に見て日本人はマネージメント力が劣っている。マイクロマネージメントを受け入れるような低賃金の工場労働者に対しては日本のマネージメントスタイルで通用するが、幹部社員の育成は下手である、というのが一般的な日本企業である。最近はユニクロや日本電産、楽天、武田薬品など、この問題に本格的に取り組んでいる企業もみられるが、全体として日本企業は外国人の上級社員を使いこなせない、という感じがあると思う。私はこの根本に「マイクロマネージメントは当然」と考える文化があると思っている。

この私のような意見を持っている人は殆どいないのだろうか? 「マイクロマネージメントはするな」が広がらないと日本のマネージメントは日本国内でしか通用しない状態が続くと思うのだが・・・


オープンソース設計図の時代

2016-04-05 12:52:24 | 経済

日経ビジネスの最新号にクラウドのサーバに関する興味深い記事があった。最近のクラウドはAmazon、Google、Microsoftなどが圧倒しており、サーバ市場ではこれらのクラウド用のサーバが大きな割合を占めている。そのクラウドサーバでは殆どが大手ベンダに発注されず、台湾などの企業のODMになっているという。つまり発注者側が要求仕様を決めて、その仕様に基づいてODMベンダが開発・製造して納入している。実質的には発注者側が設計しているという。

更に恐ろしいことに発注者側のネット企業は設計図を「オープンソース」として公開して誰にでも実現できるようにしているとのことである。こうなると、サーバベンダにとっての競争の軸は製造コストしか残らなくなる。携帯電話の基地局でも同様の動きがあるということだが、記事に載っていたUSのVerizon、AT&T、ドイツのT-Mobile、韓国のSK Telecomにハード設計能力があるとは思えないので、基地局のオープンソースはそう簡単に実現はしないだろう。現在、基地局の発注者側で設計能力があるのは世界でも日本のドコモくらいだと思う。ドコモにとっては「オープンソース」をやることによって基地局のコストダウンを実現できる可能性があるが、他のオペレータにはできないことなので、無償公開よりもっとうまいビジネスモデルがありそうに思う。

クラウドのサーバや、携帯電話の基地局は一般人の眼には触れない装置であり、性能を満足すればよいので、部品が標準化されて、設計が容易になれば「設計図のオープンソース」は起こっても不思議ではない。特に付加価値がソフトウェアに移行して、ハードウェアで差別化が困難になってくると、ネット企業がこのような動きに出るのを止めることは難しくなるだろう。ハードベンダにとっては恐ろしい時代になったものである。インターネットの時代にはこのようにビジネスモデルがどんどん変わる。他社にできないようなコア技術を持たない企業は常にビジネスモデルをチェックしておく必要があると思う。


気が付けばアメリカのサービスを使っている

2016-04-03 14:04:54 | 生活

最近続けてキンドル本を2冊ほど買った。私は3年前に入院していたころにキンドルを買って小説を読んでいたのだが、この2年ほどは殆どキンドルに触れていなかった。元々は江戸川乱歩とか池波正太郎とかいった娯楽の本を読んでいたのだが、日本の出版会はアマゾンが嫌いらしく読める本がないので遠ざかっていたものである。

最近人工知能のようなIT技術の本を買おうとするとむしろキンドル本のほうが良いと感じるようになった。私は無線通信に関しては専門家を自認しておりネットのニュースや解説を読めば理解できるのだがITの技術では知らないことも多い。殆どはウィキペディアやネットに流れている解説で済ませているのだが、ある程度深い内容になると、単行本を一冊読んでからネットの記事などを読むほうが理解できる。この種の本は販売数が少なく、どこの本屋に置いてあるかが不明な一方、たいていはキンドル本が出ておりワンクリックですぐ買うことができる。数式のたくさん入っている専門書ではなく、技術解説書であるのだが、この種の本はキンドルのほうがはるかに便利である。

それでふと考えてみると、「いつの間にか自分もほとんどアメリカのサービスをつかっているな」と感じたものである。スマホはiPhoneだしタブレットはiPadである。パソコンはNEC(レノボ)だがクラウドはMicrosoftとGoogle、だし、WebもメールもGoogle、SNSはFacebookである。LINEやTwitterはやっていない。ネットで物を買うことも増えてきたが殆どアマゾンである。旅行の予約は日本のサイトであるがこれは日本のシステムが海外に対して閉鎖的だからではないかと思っている。

私は、決してITの先進的ユーザではなく、かなり実績のあるものしか使わないことにしている。それでも自然とアメリカのサービスに行きついているのは、それだけ安心感があるからである。好みとしてはGoogleは好きだがAppleは好きではなく、Amazon、Facebookに関しては中立である。Appleのユーザを囲い込もうとする姿勢が好きではないのである。iPhoneを使っていてもAppleのサービスは極力使わないようにしているのだが、それでもiPhoneが安定しているような気がする。FacebookやGmailが使いやすい気がするのである。それはAppleが機種数を非常に絞り込んでおり、機種当たりの販売台数が桁違いに多いからだという気がしている。つまりFacebookやGoogleがiPhone上でのサービスを最適化しやすいということだと思っている。

富士重工もAppleと同様に、車種を厳しく絞り込んで成功している。これからのハードウェアビジネスは、顧客をセグメント化してそれぞれに対応する機種を出すよりも、種類を絞り込んで多くの人がプラットフォームとして使えるようにするのが成功への道ではないかという気がする。世界の市場を見て、プラットフォームに注力する、それがうまくできているのがアメリカの企業(シリコンバレーの企業)だということではないだろうか。