ウィトラのつぶやき

コンサルタントのウィトラが日頃感じたことを書いていきます

問題を感じた昨夜の地震報道

2015-05-31 08:47:13 | 社会

昨夜、大きな地震があった。東日本大震災を思い起こさせるゆっくりした横揺れで、結構長く続いた。NHKは番組の途中から地震情報に切り替えて放送していた。このあたりは民法との明らかな違いである。震源地は小笠原近海の深度590km、マグニチュード8.5という大地震だが震源地が深く津波の心配はない、といった情報が最初の15分くらいで報道され、原発も問題がなかったことが報道された。このあたりまではほぼ完ぺきだったと思う。

問題はその先である。それほど大規模な災害はなかったということが分かってくると、震源地に近い小笠原の役場に電話したりして、被害の大きな場所を探す、という動きに出た。新幹線や山手線が止まっていることは報じられたが、成田は動いているという程度で、揺れの大きかった場所を探すとか、被害者を探すという態度だった。

これは本当に大きな地震が来た時の放送メディアの有効性に大きな疑問を感じさせる。最初の20分くらいでそれほど大きな被害はなさそうだということが分かったはずである。しかし、電車はいくつか止まっている。私鉄や地下鉄を含め他の路線はどうなっているかを素早くチェックして報道すべきであると思う。実際大部分の鉄道は一時的に止まった。建物が倒れたなどの実害はそれほどなくても、交通に大きな混乱が生じれば、それが原因で事故が起こったりする。多くの人にとって避難するほどの事態でないことが分かれば次は交通がどうなっているかが問題である。

当時外出していた殆どの人はケータイで情報を確認して、あるいはメールで情報をやり取りして動いたことだろう。自宅にいた人は「たいしたことはなさそうだ」と思っただけだろう。こう考えると、緊急時の情報提供手段として放送メディアは携帯電話に比べてかなり劣ることになる。総務省はこういった実態を確認し調査すべきだと思う。いくら放送が誰にでも情報提供できるといっても、有効な情報が出ないのでは意味がない。

仮に、阪神淡路地震並みの地震が首都圏に来た時に何を報道するべきか、放送界はどれほど大きな災害があったかを報道することを目標にしているようだがそうではない。被災地の人たちの行動に役立つ情報は何かを考えて報道すべきだと思う。沖縄での火山爆発を東京で報じる場合には被害の大きさを報じることで構わない。だが、被災の現場で流すべき情報は大きく異なっている。その切り替えができないようでは「放送メディアが災害時に役立つ」というレッテルを外さなければならないと思う。阪神淡路大震災の時の民放の放送内容はひどいものだったと私は今でも思っている。



熱中症予防の呼びかけに感じる違和感

2015-05-27 09:25:30 | 生活

ここ数日、5月としては異例の暑い日が続いている。テレビやラジオでは「熱中症予防のために水分をこまめにとり、直射日光の下での激しい運動は避けてください」と呼びかけている。私はこの呼びかけに違和感を感じている。言うなら頭に「お年寄りは」とつけるべきだろうと思っている。

熱中症予防に呼びかけの対応が効くだろうことには異論はない。しかし、全員が熱中症になるわけではなく、元気な人は問題を起こさない。私はむしろ、元気な人にとってはこの呼びかけはマイナスだと思っているので違和感を覚えるのだ。

人の筋肉が強くなるのは筋肉の繊維に傷がついてそれを修復するときにより強い筋肉ができて強化される。ある程度傷がつくくらいに筋肉を酷使することは筋肉強化に対して必要なことだということは良く知られている。しかし、激しくやりすぎると肉離れのような大規模な筋肉の損傷になり、回復に時間がかかってかえって良くないことになる。これは筋肉だけでなく人体全般に対して言えることだと思っている。つまり暑い中で軽い脱水症状が起こるくらいに活動すると回復したときに暑さ耐力が強まり、空気の薄いところで運動すれば酸素不足耐力が強まる。人間の体を強化するには適度のストレスが必要だと思う。難しいのは「適度」の度合いでありこれは人によって異なる。見極めを誤れば病気になったりするので注意が必要なことは間違いない。

だからと言ってストレスを与えない生活をしていれば軟弱な人間が出来上がる。日本人の母親は「強い子」を育てるよりも「けがをさせない」といったマイナスを防ぐことを重視する傾向があるので、呼びかけは日本人の子供を軟弱にすると思っている。熱中症予防の呼びかけが始まって20年くらいだろうか、かなり日本人を軟弱にしてきたのではないだろうか。

私は医学に通じている訳ではないので上記のことは単なる私の体感であるが、外れていないのではないかと思っている。このようなことを正面から取り上げる健康番組があっても良いのではないかと思っている。

なお、私は人間だけでなくロボットにも同様のことがあり得ると思っている。今、「機械は間違えない物」と思われているが30年後くらいには「間違えるロボットが高級機で間違えないロボットは安物」ということになっているのではないかと思っている。これについては別の機会にきちんと書こうと思う。



昔はこのあたりは海だった?

2015-05-26 09:05:19 | 生活

私の家は横浜市青葉区にある。横浜市の中では海から一番内陸に入ったあたりであり、近くを流れる鶴見川の道標では河口から24-5km程度とある。仮に大地震で津波が来てもまさかここまでは来ないだろうと思っている。

ところがこの付近が昔海岸だったと思われるような地名がいくつかある。例えば私が初詣に行く神社は琴平神社で、これは香川県の金毘羅神社から名前を取っていることは明らかである。金毘羅さんは「♪こんぴらふねふね・・・」という歌でも明らかなように漁師の守り神である。近くには「船頭」という名前の交差点がある。ヨネッティと呼ばれる高台の温水プールの近くには潮見台という地名がある。海ははるか遠くで今ではほとんど見えない。

これらの地名からこのあたりは昔は漁師町であったことが想像される。それもこのような地名が付くということは、漁師がいたということであり、古くても1000年前くらい、それより新しいのではないかと思う。一方、江戸時代の東海道はこのあたりよりはるかに海寄りなので、江戸時代にはすでに漁師が住むような場所ではなくなっていたはずである。この付近の地名はいつできたのだろうか?

川の土砂がそんなに早く堆積するわけはない。おそらく土地が隆起したのではないかと想像しているが、隆起だどすると10m位は上がっている感じで、1000年かけて上がったとしても100年で1mの感じである。それなら50年もあれば明らかな傾向が見えるはずだが、この50年このあたりの標高が上がったという話は聞かない。関東大震災のような大地震の時にかなり上がったのだろうか。

古地図などを探して昔の地形を調べるのも面白いのではないかと思っている。



二子玉川は発展している

2015-05-25 09:08:52 | 生活

今朝、約1年ぶりに二子玉川から大岡山まで歩いた。7時に歩き始めて大学についたのが8時15分と言う感じだった。駅を降りてみると二子玉川の駅前が一年前と大きく変わっている。ビルの4-5回くらいの高さの吹き抜けのアーケードになっている。1年前は工事中だったのが完成していた。

二子玉川は東急が目玉の都市として発展させようとしているらしい。遠くから見た感じでは高層ビルがいくつか立ち並んでいて武蔵小杉と似た感じだが、武蔵小杉よりもデザインが上品な感じで「格が上」と言う感じがする。このあたりは1企業が中心的に動かした地域設計の効果だと思う。

一方弱点は鉄道が少ない点である。東急の半蔵門線と大井町線があるのだが、つながっている大きな拠点と言うと渋谷であり、鉄道路線図から言うと渋谷の子分のような感じである。日本人は鉄道で移動することが中心なので渋谷以外は行くのが不便だとなると発展は限定的だろうと思う。

JR東日本あたりが

新宿ー二子玉川ーセンター北(港北ニュータウン)-新横浜ー横浜

と言ったルートを作れば便利だし、沿線地域も大きく発展するだろう。港北ニュータウンの発展にも大きく役立つと思う。あるいは神奈川県地下鉄で二子玉川から横浜までの上記のルートを作るほうが政治的には現実的かもしれない。いずれにせよ東急の政治力が問われるだろう。

二子玉川には野毛山公園のような緑もあり、多摩川の河原もある。上品なイメージがあり、自然とも触れられる気持ちの良い場所なので成功させてほしいと思っている。



大学教育について考える

2015-05-22 09:08:02 | 東工大

今日は教育について考えてみたい。インターネットの普及によって一般人が情報を獲得することは飛躍的に容易になった。印刷技術の発明に匹敵する、あるいはそれ以上の技術革新だと思う。教育内容はその状況に合わせて変化していくべきだと思うのだが少なくとも日本の教育の変化は非常に遅いと思う。教育は幼稚園から社会人まで全てで行われるが、社会人教育が一番変化に対応していると思う。今日はその中で大学教育、それも私が身を置いている大学院ではなく学部の4年間の教育について考えてみたい。現状の大学までの教育は大学入学を目標としており、ここを変えるのが教育を変える突破口になると思うからである。

大学の教育改革はあちこちで言われ、東大の秋入学が有名だが東工大でも教育改革を唱えている。しかし、今一つ私にはピンと来ていない。私は「どういう人材を育てるか」「何を教えるか」を抜本的に見直すべきだと思う。大学では「国際的リーダシップを取れる人材」を育成する。そのために「英語教育を強化する」などと言っているが何か違うのではないかと感じている。

私は大学4年間の教育として、一般教養は不可欠だと思う。良い例が東工大での池上彰氏の授業である。あのような現代社会を知るための授業は多くの学生が受けるべきだろう。会社の仕組み、司法の仕組み、世界の政治体系(民主主義、共産党一党独裁、北朝鮮やサウジアラビアのような世襲制)、議会の仕組みなど、経済の仕組み、芸術の仕組み(芸術がどのように評価されているか)、などである。大学4年生までは教授が自分の研究分野に関して話すよりも、世の中の仕組みとそれぞれの人たちがどのようにして生活を支えているかを教えることが必要だと思う。これらは「知識として教える」というスタンスで良いと思う。

専門分野に関しては知識教育は大きく絞り込み「スキル育成」に注力すべきだと思う。特に大学では「スキルを獲得するスキル」を身につけさせることが重要だと思う。「スキルを獲得する」という意味でもっともよく機能しているのはクラブ活動、それも本格的なクラブ活動だと思う。いわゆる体育会系の運動部でレギュラーになれば大体スキルを獲得したとみてよいと思う。「スキルを獲得するスキル」を身に着けさせるには複数のスキルを獲得することが良い。従って「少なくとも二つのスキルを卒業までに身に着ける」ことを重要な評価指標とする。

スキルの中身は学問に限る必要はない。空部活動で獲得した運動や芸術でのそれを一つのスキル認定し、それに加えて大学で教えるような内容で一つのスキルが獲得できればよい。私の場合だと囲碁を一つのスキル獲得として認定してもらってよいと思う。スキルを獲得すると言っても自転車に乗れなかったのが乗れるようになった、というレベルではスキルとは言えない。自転車に乗ることでもスキルとして認定するには大会に出てある程度の実績を残すレベルが必要だと思う。

学問にかかわるスキルに関しては「何ができるか」がスキルであるのでそれを規定する必要がある。コンピュータプログラミングでも良いし、電子回路や機械の設計でも良い。数学科などはスキルの認定が難しそうで工夫する必要があると思う。論文は実績であり、スキル獲得の根拠にはなるが、論文自体はスキルではないのできちんと分けて考える必要がある。レベルも重要でどのレベルのスキルかを評価尺度として導入したほうが良いと思う。

最終的には現在の単位認定をスキル認定で置き換えていくのが良いと思うが、移行期間としてスキル認定を授業の単位と同格に扱って、卒業の要件とするのが良いと思う。そしてスキルには特別の名称を与え、就職活動などで「うちの大学ではスキル認定というのをやっていて、これまでにこういうスキルを獲得しました。卒業までにはこれもスキルとして獲得する予定です」と語れるようにすれば就職の助けにもなると思うのだが、いかがだろう?


車の自動運転は意外に早いと思う

2015-05-21 09:26:03 | 経済

最近、車の自動運転が話題になることが多い。Google Carが有名だがAppleも進出を考えているようだ。殆どの人は「10年後の話」と考えていると思うが私は意外に自動運転車の普及は早く、10年後には今のアイサイトなどの運転補助機能と同レベル、つまり自動運転機能がついているかどうかが、車の売れ行きを左右するような状態になると思っている。

自動運転と言っても、無人運転は10年後にはまだで、運転席ではなく、助手席に人が乗っていて運転席は無人、というのが実験中ではないかと想像している。運転席にシートベルトをして運転手が座っていないといけないが、条件は警報が鳴ったら5秒以内に人が運転をするようにできること、という感じで、それまではテレビを見たり、電話を掛けたりしてよい、というのが私の10年後の自動運転のイメージである。20年後には無人運転が普及しているだろうと思っている。

私が自動運転の普及は早いと思う根拠は、自動運転のほうが事故が少なくなると思うからである。Google Car既に200万キロほど公道を走っているが事故はゼロ(止まっているときに追突されたなどの事故はある)だそうである。アメリカではカリフォルニア州で自動運転認可のための法整備の検討が進んでおり、保険なども検討されているので遠からず認可されると思っている。そして認可が出て2-3年すると十分な実績が積み上がり事故率が低いことが公表されて、ヨーロッパ、日本と認可が広がると思っている。

自動運転は当然のことながら速度違反はしないし、制限速度よりもある程度余裕を持って走るだろうから、人が運転するよりも到着までの時間は若干長くなるだろう。しかし、本を読んだり、テレビを見たりしてよく、事故率も低いとなれば運転者にとって十分なメリットがあるだろう。遠距離のバスやトラックの運転もメリットがあると思う。

Googleの最終目的は無人運転で、一般人は自宅に車庫を持たず、どこかの大規模駐車場にある車をスマホで呼び寄せ、目的地まで着いたら車を降りると車は勝手に駐車場に行く、というイメージだそうである。駐車場が各家庭など不要になり、大規模駐車場に集約できるので都市設計も変わってくるだろう。

Googleのイメージする最終形態までには時間がかかると思うが、ショッピングセンターなどの入り口で車を降りると後は車が勝手に駐車スペースまで行く、無人バレーパーキングは早いと思う。駐車場には人は通らなくなるので対人の事故は考えにくいし、パーキングスペースには様々なセンサーを付けることが可能だからである。利用者のメリットも大きくショッピングセンターのセールスポイントにできるだろう。

自動車の変化は情報通信の変化に比べてかなり遅かったが、ここへきて加速の兆しが見える。今の自動車メーカがそれぞれ自動運転技術を開発する可能性もあるが、水平分業になる可能性が高いと思う。つまり、自動運転技術は車メーカー各社がGoogleからライセンスを受けるというパソコンやスマホのようなビジネスモデルになる可能性が高いと思う。また、Appleが自社ブランドの自動車を作り、韓国の自動車メーカーあたりが下請けで製造に徹するというiPhoneモデルも考えられ、業界構造の大きな変化につながるかもしれないと思う。


モバイルオペレータの強みは決済ではないか

2015-05-19 09:13:58 | 経済

今日の日経新聞にソフトバンクがネットで買い物をした時の決裁を携帯電話料金の支払いの仕組みでできるように決済ビジネスに乗り出すとある。

私は以前からモバイルオペレータの強みは決済にあると思っていた。数千万人の顧客から毎月料金を徴収している行為は他の業界にないものであり、口座数や顧客数で銀行や電力会社などを上回る。本人確認もできており、支払履歴から与信情報もあるはずで、オペレータの持つ強い経営資源だと思っている。

2008年にKDDIと東京三菱銀行が共同でじぶん銀行を設立したときには、この方向に走り出す有力なツールだと思ったのだが、じぶん銀行は鳴かず飛ばずである。この場合はAUの契約とは別にじぶん銀行の口座を作る必要があり、その手続きが結構面倒なので加入者が増えないのだと思っている。じぶん銀行の口座数が増えないのは私は親会社の意欲が不足しているのだと思っている。AUウォレットなどを導入するくらいならじぶん銀行の講座に誘導したほうがはるかに良いと思うのだが、そうした手も打っていない。

今回のソフトバンクの発表は決済機能に乗り出し、ソフトバンクユーザなら誰でも利用することができる。こうしたサービスで利便性を高めていって、認知度が高まってから銀行業に乗り出す、というのがより良い方針なのかもしれない。今後の様子を見守るしかないが、ソフトバンクが成功したら慌ててじぶん銀行も強化するが、既に何年もの停滞期を経ていることがじぶん銀行にとってはかえってマイナスになるのではないかという気がしている。

モバイルオペレータはこぞってコンテンツビジネスを強化しているが、コンテンツ事業者との競合よりも金融業界との競合のほうが戦いやすいのではないかと私は思っている。その根拠はりそな銀行を再建した細谷英二氏(故人)の「銀行の常識は世間の非常識」という言葉である。



少し残念、大阪都構想否決

2015-05-18 08:15:46 | 社会

昨日の大阪の住民投票で僅差で大阪都構想が否決された。私はこれを残念に思っている。タイトルに「少し残念」とつけたのはブログに書くほどの強い都構想推進ロジックを私が持っていないからである。

大阪市と大阪府に2重行政があり、非効率を招いているという事実があることは間違いない。しかし、それを変えるにはコストがかかる。金銭的な問題だけでなく、新しい制度や仕組みの整備、それが整わない機関に生じる様々な問題などである。大阪の人たちはそれらを天秤にかけて判断したのだろう。

反対派の意見をテレビなどで見ていて私は消費税導入が訴えられた時の当時社会党の土井たか子氏の街頭演説を思い出した。土井氏は「今は3%と言っているが税率を上げるに決まっている。5%、10%、15%、20%と、どんどん上がる」と言って国民に脅しをかけ、導入直後の消費税廃止を訴えてこの時の選挙で社会党は大勝した。「マドンナ旋風」と言われた選挙である。私はひどいことを言うものだと思っていた。結果として20年経過して消費税は5%になったが土井氏の選挙演説は選挙のための発言だったと今でも思っている。今回の大阪都に対する反対派の発言にはこの種の内容が多かったと感じている。

結局、大阪都構想は実現しなかったわけだが、橋下大阪市長の敗戦の弁は一番重要なポイントを押さえていないと思う。維新の会は2011年11月以来、3年半、大阪市の政治を握ってきた。この間、様々な政策を打ち出してきたが、それで「大阪が良くなった」という実感を大阪市民に与えることができなかった、というのが最大の問題だろう。維新熱も冷めてくる過程にあったという気がしている。

私自身、大阪都にしたからと言って、若干の改善はあるだろうが、それほど劇的な効果は出ないだろうと思っている。それでも残念に思うのは大阪市が長年溜まってきた自治体制の中の「垢」を落とすチャンスを失ったと思うからである。この「垢」の人たちは生活がかかっているので、必死になって都構想を潰そうとする。その動きに負けたということだと思っている。これで「垢」は胸をなでおろし、大阪は地盤沈下が継続すると予想している。

しかし、住民投票を行ったことの意義は大きいと思っている。今回の投票での賛成と反対の差が1万票、投票率が67%だから、棄権した人が投票に行っていたら結果が違っていたことは十分に考えられる。投票することの意義を再確認したことで、結果としては否定されたけれども、住民投票には意義は十分にあったと思っている。



安保法制の趣旨には賛成だが決めることには反対だ

2015-05-17 08:42:28 | 社会

安倍総理が安保法制を閣議決定し、国会審議が始まった。当分、大きな議論がなされるが、結局は強硬採決で成立するだろう。

法案の趣旨自体には私は賛成である。日本は世界の一員として「世界の警察」に参加すべきであり、自分だけが「いやな行為から遠ざかっている」、というのは好ましくない態度だと思っている。しかし、時の政府が判断する権限を拡大し、適切と考えれば武力行使に参加できる、という法律は国の基本姿勢を大きく変える動きであり、やはり憲法改正を行ってから決定するのが筋だと思う。

安倍総理は記者会見で「日本がアメリカの戦争に巻き込まれることは絶対にありません」と言っている。これは安倍総理には全くその意思がない、それを示すために適切な歯止めを法案に盛り込んだ、ということだと認識している。しかし、例えばヘイトスピーチを行っているような人が総理大臣になったらどうだろうか、その場合にも適切な歯止めになっているかどうかは大いに疑問である。記者会見で「安倍総理ではなく将来どんな人が総理になっても戦争に巻き込まれないという保証がどこにあるのか?」という質問をしてほしかったと思う。国会でもこの点を中心に議論してほしいと思っているが、野党はただ引き伸ばしによる期限切れを狙うのではないかと心配である。

安倍総理自身、「先日の選挙に公約として掲げて信任された」といっているが、安保法制に賛成だから自民党に投票した人は少ないだろう。こういうことがあるので、特に経済が悪化したような場合には、経済対策を前面に押し出し、軍事問題は軽く触れて、極端な思想を持った政党が政権をとる可能性は実際にあると思う。戦争を始めるのは経済的に行き詰った国のことが多い。

先日もブログに書いたが日本が第2次大戦がなぜ起こったのか、なぜ早めに手を引けなかったのか、どうすれば防げたのか、という議論を日本政府があいまいにしており、恐らくこの点に関して一般国民とかなり異なる認識を持っている安倍総理がこの種の法律を推進している点に危惧を覚える。


ギリシャのEU離脱は近い

2015-05-14 10:02:34 | 社会

ギリシャ経済はおおむね私の予想した方向に動いている。財政緊縮中止を訴えて選挙で圧勝したシリザの政策がうまくいくわけはなく、一旦は援助を決めたEUが締め付けに入ってギリシャは綱渡りの状況が続いている。いわゆる債務不履行による財政破綻が近いと思う。

ギリシャ政府が立て直すべく努力をしているならEUも援助を続けるだろうが現在のギリシャ政府に「どうせ、財政破綻するなら少しでも多く借金を踏み倒そう」という態度がちらつくようなら金を貸す人はいない。少なくとも今年初めのシリザはそういう態度だったと思っている。

ドイツをはじめとしたEUの中心国は既にギリシャの破綻を織り込んでいると思う。後は情報戦で、「ドイツがギリシャを追い出した」のか「ギリシャが破れかぶれの政策でEUから飛び出した」のか、ギリシャ政府は前者のイメージを周囲に持たせたいし、EUは後者のイメージを持たせたい。実態が後者に近いので、それが暴露してきている、という状況だと思う。

今、ボールはシリザにあると思う。これまでの状況を継続するならギリシャ破綻、EU離脱は間違いないだろう。EUに留まる条件は日本なら衆議院解散-総選挙、で次にどの政党が勝つか、ということで、緊縮を受け入れる政党が勝つ、というのが条件だと思う。ギリシャでは解散がやりにくいのか、緊縮に政策転換を政府が提案し国民投票、というのがささやかれているらしい。緊縮を受け入れればEUは再び支援に転ずると思うが、これは政府のメンバーが変わらないので信用がおけず、うまくいきそうにないシナリオだと思う。このようなシナリオがささやかれるのはヨーロッパでは解散よりも国民投票のほうが良く使われているということだろうか。今回のギリシャに関しては解散総選挙のほうが良いと私は思っているが、私は日本でももっと国民投票を使うべきだと思っている。今話題の安全保障関連の法律に関しても国民投票にするべき問題だと思っている。大阪の住民投票には結果がどうなれ、高い投票率を期待している。

仮にギリシャが国民投票になった場合にはギリシャ問題はかえって長引くと思っている。今のギリシャの財政問題に関して、私が考えるベストのシナリオは解散総選挙、次善のシナリオが破綻してEU離脱、最悪のシナリオが政府は変わらず国民投票で緊縮に移る、ということだと思っている。私のシリザへの不信は強い。