昨夜、大きな地震があった。東日本大震災を思い起こさせるゆっくりした横揺れで、結構長く続いた。NHKは番組の途中から地震情報に切り替えて放送していた。このあたりは民法との明らかな違いである。震源地は小笠原近海の深度590km、マグニチュード8.5という大地震だが震源地が深く津波の心配はない、といった情報が最初の15分くらいで報道され、原発も問題がなかったことが報道された。このあたりまではほぼ完ぺきだったと思う。
問題はその先である。それほど大規模な災害はなかったということが分かってくると、震源地に近い小笠原の役場に電話したりして、被害の大きな場所を探す、という動きに出た。新幹線や山手線が止まっていることは報じられたが、成田は動いているという程度で、揺れの大きかった場所を探すとか、被害者を探すという態度だった。
これは本当に大きな地震が来た時の放送メディアの有効性に大きな疑問を感じさせる。最初の20分くらいでそれほど大きな被害はなさそうだということが分かったはずである。しかし、電車はいくつか止まっている。私鉄や地下鉄を含め他の路線はどうなっているかを素早くチェックして報道すべきであると思う。実際大部分の鉄道は一時的に止まった。建物が倒れたなどの実害はそれほどなくても、交通に大きな混乱が生じれば、それが原因で事故が起こったりする。多くの人にとって避難するほどの事態でないことが分かれば次は交通がどうなっているかが問題である。
当時外出していた殆どの人はケータイで情報を確認して、あるいはメールで情報をやり取りして動いたことだろう。自宅にいた人は「たいしたことはなさそうだ」と思っただけだろう。こう考えると、緊急時の情報提供手段として放送メディアは携帯電話に比べてかなり劣ることになる。総務省はこういった実態を確認し調査すべきだと思う。いくら放送が誰にでも情報提供できるといっても、有効な情報が出ないのでは意味がない。
仮に、阪神淡路地震並みの地震が首都圏に来た時に何を報道するべきか、放送界はどれほど大きな災害があったかを報道することを目標にしているようだがそうではない。被災地の人たちの行動に役立つ情報は何かを考えて報道すべきだと思う。沖縄での火山爆発を東京で報じる場合には被害の大きさを報じることで構わない。だが、被災の現場で流すべき情報は大きく異なっている。その切り替えができないようでは「放送メディアが災害時に役立つ」というレッテルを外さなければならないと思う。阪神淡路大震災の時の民放の放送内容はひどいものだったと私は今でも思っている。