ウィトラのつぶやき

コンサルタントのウィトラが日頃感じたことを書いていきます

ノブレス・オブリージュ

2013-12-31 08:01:45 | 社会

最近、世界的に政治が劣化していると感じるのは私だけだろうか。アメリカ議会は、特に共和党が反対のための反対を繰り返し、予算遂行に支障をきたした。イタリアやギリシャも酷い状況だし、タイやぶらじる、トルコも問題がありそうである。

日本は最悪の民主党政権から脱し、現状は世界的に平均点以上といえるだろう。アメリカ、イタリア、ギリシャでは国民が「政府を信用できる」とする割合が10%を切っているらしい。選挙で選ばれたはずの政治家がどうして国民から離れるような行動をしてしまうのだろうか?

日本でも私が感じるのは国会議員の価値観が国民とずれているのではないかという感覚である。仕事として政治問題を論じているときはそれほどおかしいとは思わないが、党首を選ぶ、といった人事問題となると、個人の都合で動いている感じがする。政治は本来は自治会のように住民の代表が自分たちの生活を改善するために起こす行動だと思うのだが、規模が大きくなり、政治が職業になって、意識が変わってきたのだと思う。政治家の地位は選挙で決まる。そこで地位を守ることが何よりも最優先になる。これが自治会長と感覚がずれる最大の理由ではないだろうか。

そこで今日のタイトルのノブレス・オブリージュである。ここ数十年間でみると政治で最もうまくやっているのは中国ではないかと思う。中国は民主主義ではなく、共産党独占である。中国の政治をノブレスオブリージュと言い切れるかどうか自信はないが、私はそんな感じを持っている。独占というのは汚職などが拡大しやすく、実際中国ではかなりひどい状況のようだが、トップはあまり汚職に手を染めている感じはしない。全体としては日本よりうまく回っているように思う。これから地位を脅かされるようになった時に、カダフィーやサダト、あるいは北朝鮮のような行動に出る可能性がないとは言えないが、今までのところは国全体の最適化を図ってうまくやってきている感じがしている。

ノブレス・オブリージュというのは生活の心配をしなくてよい貴族はその分だけ人民のことを考えないといけない、ということだと理解している。企業でいうと創業一族が世襲を続けるようなものである。私が入社した1970年代から80年代にかけては戦後立ち上げた企業が2代目に代わり、大王製紙で見られたような放漫経営でおかしくなる企業が沢山でた。

しかし、今になって淘汰されて生き残った会社を見ると、創業者一族が社長の企業の方がサラリーマン社長の企業よりもむしろうまくやっているところが少なくない。これもノブレス・オブリージュの典型だろう。人間、自分の地位を守ろうとするときにおかしな行動をとることが多いと思う。おかしな行動に出る必要のない集団を作り、その中から良い人を選び出すという仕組みが、トップの人選方法として良い方法ではないかと最近は思っている。

2013年、ご愛読ありがとうございました。ブログは今後も続けていきます。引き続きご愛読ください。


総理の靖国神社参拝に感じる違和感

2013-12-30 17:18:48 | 社会

年末モードに入って安倍総理が突然靖国神社に参拝し大きな騒ぎになっている。中国や韓国も反発している。

報道は、中国や韓国が怒っている、アメリカも「失望した」と言っているというような話である。これは私に言わせれば電車の中でふざけている子供に対して、「おじさんに叱られるからやめなさい」と言っている親のような印象である。親本人の価値観は述べず、ほかの人に叱られるからやめなさい、と言っている感じである日本人自身はどうなのかをもっと議論すべきではないのか。

総理の靖国神社参拝が問題視されているのはA級戦犯が合祀されているからである。そのA級戦犯に対して日本人はどう思っているのか?
①戦争は 日本人全体が起こした罪であり、A級戦犯は日本人全体を代表して処罰された
②A級戦犯は日本国民にウソの情報を流し国民を誤った方向に引っ張ったから処罰された(日本国民にとっても犯罪者である)

二通りの解釈が可能であり、どちらも一理あると思う。日本人、特に自民党にかかわる人には①の考え方をする人が多く、安倍総理の行動はそういった人たちに対するデモンストレーションだと私は感じている。現在の日本の中枢にいる人にこういう考え方をする人が多いということなのだろう。

私自身は戦後生まれなので正確には理解できていないが、歴史の資料などを読むと②の色彩が強いと考えている。秀吉の朝鮮出兵や、日露戦争と第2次大戦は質が違うと感じている。アメリカは②と考えているのだろう。中国や韓国は戦争被害者なので②でないと日本と付き合えないという(公式的な)立場があるのではないかと思う。

日本人 はどう考えているのか、新聞社で産経新聞以外は②の解釈だと思うのだが、その議論が見えて来ず、「おじさんに叱られるから」的な議論ばかりが出てくるのはどうしてだろうと思う。はっきりさせないほうが良いと考えているのだろうか。ジャーナリズムの意見を聞いてみたいと思っている。


「孫子の兵法」について

2013-12-27 17:03:05 | 生活

最近、「孫子の兵法がわかる本」というのを読んだ。ブックオフで105円だった。孫子の兵法のポイントを読み下し故事の実例を交えて解説している本である。なかなか面白かったので紹介しよう。

孫子の兵法は細かい鶴翼の陣とかいった具体的戦術を述べるのではなく、戦略・戦術の考え方を述べてあるもので、理解してしまえばあとはチェックリスト的に使うものになるだろう。その考え方は、

①正しい目標をもって、②正しい戦略を立て③正しい戦術を実行する

ことにある。この①②③の順番が大事で上下関係にあり戦術から戦略を発想したりしてはいけない。先日書いた囲碁の場合には、目標はそのゲームに勝つことと決まっており、戦略と戦術の使い分けが重要になる。囲碁も戦前は賭け碁で目碁というのがあり、これはどれだけたくさん勝ったかでもらえる金額が変わるので、目標も動く、マージャンに近いゲームになるが、今の囲碁はたくさん勝ってもぎりぎりで勝っても価値は変わらない。孫子の時代には国を大きくすることが目標であり、そのためのシナリオが重要だということなのだが兵法書なので目標についてはそれほど詳しく触れてはいない。

戦略に関しては理想は「戦わずして勝つ」ことでありそのための外交や政治駆け引きをうまくやることが一番である。戦わざるを得ないときには勝てるときに戦い、負ける戦いはしない、そうなるように仕向けるべきだということである。兵力は互角でも相手は薄く広がっていてこちらは一転集中ならば個別の戦いには勝てる。そういう状況を作り出すために偽の情報を流したり、陽動作戦を行ったり、ほかの国と手を組んだり様々なことをするべきだという考えである。

戦術に関しては勝つためにはきれいごとを言わないで何でもするべきだというのが基本姿勢である。基本的にだましあいで相手をうまくだましたほうが勝つ、というのが基本的な考え方である。戦略、目標と上位の概念になってくると正論で信頼を勝ち取るのが重要になってくる。個別の戦闘では兵の力を最大限に出させることで、そのためには勢いをつけることと、死に物狂いで戦うような窮地に陥れることが重要と説く。逆に死に物狂いの相手は人数が少なくても危険なので逃げ道を用意しておいてやったほうが良い、というような考えである。

言われてみれば当たり前のことのようでもあるが、実際にはなかなかできない、感情に駆られて動くことが多い。時々思い出しておくと、戦いに強くなるような気はする。私の買った本は古本で赤線がいっぱい引いてあった。経営の参考にしようという人が読んでいたようだった。


景気回復かミニバブルか

2013-12-25 10:33:02 | 経済

政府の来年度予算が発表された。昨年度よりも3.3兆円増額の95.9兆円であるが、税収が5.9兆円増えるので国債発行額はむしろ減っている。ここまでは安倍総理の読み通りだと言えるだろう。アメリカのFRBがQE3による買い入れを減らすと発表したのに株価がむしろ上がっている点を考えるとあと0.5兆円くらい歳出を減らしても良かったのではないかと思うが、間に合わなかったのだろう。

景気回復は確かなようで様々な指標もそれを示している。9月頃に消費税増税を1%ずつ階段的にすべきだと言っていた人たちも今は文句を言わないだろう。証券会社も「今は株の買い時ですよ」と言ってくる。しかし、これは本物の景気回復だろうか、ミニバブルではないだろうか、という懸念が私の頭を離れない。おそらく両方の側面があるのだろう。どの程度が金融緩和によるバブルっぽい好景気でどの程度が本物の景気回復なのかは良く分からないが、私にはバブル的要素がかなりあると思う。個人としてはバブルであっても破裂する前に手を引けば良いのだが、政府はそうはいかない。バブルに乗ってもう少し財政改善を進めたほうが良いように思うのだが、消費税増税の景気腰折れ不安もあるので簡単には引き締められない。当面は政府を信じておこうと思っている。

バブルっぽいと私が感じているのは、今の日本景気を引っ張っているのは株高と公共工事、それに消費増税前の駆け込み不動産市場だと感じるからである。円安になって日本企業の競争力が相対的に上がったという点がどの程度寄与しているのかが今一つピンとこない。私が携帯電話業界の人間で、この業界では円安で企業競争力が強まったということはなく、むしろ下がり続けていると感じているからかもしれない。駆け込み不動産市場は消費税増税で間違いなく反動が来るだろうが、企業の競争力向上がそれを上回る程度あれば問題はない。不動産市場の反動に対して政府が新たに対策を打たなくてはならないような状況になれば問題だと思っているが、今の感じだとそうはならなさそうである。

バブルは日本で作られるのではなく世界市場で作られる。私は世界市場ではミニバブルができて大きくならないうちにはじける、そして政府が小さな対策を打つ、ということを繰り返しながら全体的に景気が回復して行くのだろうと想像している。それがリーマンショックから人々が学んだことで、資本主義の本質との折り合いをつけるやり方なのではないかと感じている。問題は日本市場でミニバブルがはじけた時に大きな落ち込みが来るのではないかという不安である。現在の公共投資は継続可能なレベルだとはとても思えない。金融緩和も同様である。小さなバブルがはじけただけでも日本政府には打つ手が残されておらず対応不可能になるのではないかという懸念がある。

この懸念を払拭するにはミニバブルのうちに財政支出をうまく抑えて、次の手が打てるように準備をしておくことが必要だと思うのだが、果たしてそこができているのかどうか。長い目で見れば日本企業の国際競争力が強まって行かないと打つ手は出てこない。そのための有効な手立て、第3の矢の成長戦略はうまくいっていないように見えるので、2年後、消費税が10%に上がった時点あたりで日本経済に大きな危機が来るように感じている。


スポーツ観戦三昧の日曜日

2013-12-23 09:11:25 | 生活

昨日の日曜日はテレビでのスポーツ観戦が中心の一日だった。一日の私の過ごし方を書いてみよう。

いつもよりも遅めの朝食を「がっちりマンデー」、「サンデーモーニング」を見ながら食べる。10時頃に家を出てウィトラのオフィスに向かう。その際に昼食にするあり合わせの野菜とパンを持っていく。散歩がてら少し遠回りをしてウィトラのオフィスに着く。テレビのNHK教育チャンネルで将棋のNHK杯を見る。途中でウィトラを出てスーパー銭湯「湯けむりの里」に向かう。十分に温まったところでスーパーの「丸正」に行って1000円程度のワインを買う。

ウィトラに戻るとNHK杯は囲碁に変わっている。囲碁と、高校駅伝を交互に見ながら昼食の野菜炒めを作る。囲碁は山下九段が勝った。形勢は悪そうだったのだが力の差があるのでねじ伏せた印象である。囲碁が終わって高校駅伝のアンカーあたりをじっくり見る。4人が固まってトラックのゲートをくぐる大接戦でラストスパートで山梨学院大学付属が優勝した。私が印象的に思ったのは2位の大牟田の1年生で、タスキを受け取ったときは15秒ほど遅れていたのを追いついて塊の中に入り、最後のラストスパートも一番ついて行った。将来が楽しみだと思う。

高校駅伝が終わると次は有馬記念である。山岳救助隊のドラマと有馬記念を交互に見る。有馬記念はオルフェーブルの圧勝だった。第3コーナー辺りまでは後ろから5頭目くらいに居たのに第3コーナーからスピードを上げて第4コーナーを曲がって直線に入ったときには既にトップに立っていた。その後、後続馬をどんどん離して8馬身差の大差の優勝である。普通の馬だとこういう戦い方をすると最後は疲れて追い込まれて辛くも逃げ切る、という勝ち方なのだが昨日のオルフェーブルは最後まで2位を引き離し続けたところに底知れぬ強さを感じる。ラストランには惜しい気がする。

有馬記念が終わって少しして弟から電話が入る。母のいるケア付きマンションからで、「年賀状がうまく印刷できない」という話しである。実は土曜日には私も行っていてパソコンで年賀状を印刷しようとしたのだがインクの目詰まりのようでうまく色が出ない。エプソンに聞くとノズルの掃除をやってうまくいかない時は一日置いてまたやって見てほしい、という返事である。その日はうまくいかなかったので、私が一応データをコピーして持ってきて、弟が日曜日に再度試してみることにした。結局、日曜日もプリンタはうまくいかなかったとのことで私の自宅のパソコンで母の出す年賀状を印刷することにした。

この時のエプソンの対応は印象が悪かった。エプソンのプリンタは買うまいと思った。ちなみに私の自宅はキャノン、ウィトラはブラザーである。家に帰って年賀状を印刷して、夜はフィギュアスケートである。男子のオリンピック候補が大接戦である。私は羽生と高橋が単なるジャンプの成功・失敗を越えて訴えるという表現力で特別な才能を持っていると思っている。羽生は一度転倒したものの、見ごたえのあるスケートで問題なくトップだった。高橋は手のひらに血を流しながら(どこかで負傷した)頑張ったがジャンプにミスが出て5位だった。オリンピックの日本代表は羽生が決定、町田がほぼ確実で3人目が小塚か高橋かというところらしい。私は個人的にはオリンピックで高橋大輔の演技を見たいと思っている。

高校駅伝と有馬記念が終わると私の気持ちも年末モードに入る。自分の年賀状も出さないといけないし、年始の1月8日の論文締め切りで学生の論文をチェックするのと自分の論文も書かなくてはならない。JRへの年間報告書も必要で、ウィトラの報告書も書かなくてはならず、ゆっくりするどころか忙しい年末年始になりそうである。


100万歩達成

2013-12-21 09:39:49 | 生活

昨日は都内で「あられ」が降ったらしい。私自身は見ていないのだが、そういえば会議中にバラバラという音がした時があったな、と思う。今日は一転して快晴である。朝、家を出て1時間ほど歩いてウィトラのオフィスに来るまでに西のほうを見ると、富士山だけでなく、丹沢山塊にも雪が降っている。

普段は黒々とした丹沢の山々の奥に真っ白な富士山が見えており、そのコントラストから丹沢と富士山の間にかなりの距離を感じるのだが、今日はそれがない。特に丹沢山塊の最高峰である丹沢山にはかなりの雪が降っているので、奥にある富士山が丹沢の一部のように見える。

昨日でスマホの万歩計ソフトをダウンロードして使い始めてから合計で100万歩に到達した。9月29日から83日間で100万歩、一日平均1万2千歩である。最高は京都に行って嵐山、嵯峨野あたりを歩き回った時で2万6千歩である。2万歩を超えたのはこの1回だけで、1万7千歩くらいの日が何日かあった。雨の日は少なく、昨日は6000歩程度だった。私は歩幅が少し狭いような気がしているが、それでも60cmは超えているだろう。少なくとも、600Km、神戸くらいまでは歩いた計算になる。

歩いていると健康に良いだけでなく、街角の小さなことも目に入る。いろんな意味で良いと思うのでできるだけ続けていこうと思う。このペースで歩き続ければ来年中には500万歩、距離にして3000Km くらいはいくことになる。500万歩に到達したら、また報告したい。


囲碁の戦略と政治の駆け引き

2013-12-18 12:47:29 | 社会

私は最近の安倍総理の防空識別圏問題に関する発言を聴いていて過剰反応ではないかという印象を持っている。それを囲碁の戦略になぞらえて書いてみようと思う。

私は、大学に入学してすぐに囲碁部に入ったのだが、入学時に初段くらいだったのが、1年で5段以上になった。しかし、その間に自分の実感として先の手を読む能力は殆ど変らなかったと思っている。なぜ強くなれたかというと、本を読んだり、プロの打った碁を並べたりして大局観が良くなったからである。囲碁の格言で「着眼大局、着手小局」という言葉があるが、いくら読む力があっても「こうなったらどうだろう」という発想がなければ読みはそこには行かない。その発想を与えてくれるのが大局観である。囲碁の場合は地が多いほうが勝ちである。「ここは自分の物」と思ってる所に相手が入ってきたりすると「かっ」となってその石を取りに行く。結果として取れたとしても他のところで損をして負けてしまう。大局観の悪い人が負ける典型例である。大局観が良くなると「ここは自分の陣地のように見えるがまだ完全では無いな」というような勘が働く。そうすると相手が入ってきても「やはり来たか」という感じで冷静に対処できる。具体的には取りに行かないで有利に運ぶ方法を考えたりする。その差が大きいのである。

安倍総理の防空識別圏に対する対応は、大局観の悪い人が対応しているような印象を受ける。対応が間違っているとは思わないが、中国の狙いはどこにあるのか、大局を見ているのか、という感じがするのである。

今の日本外交はアメリカに頼り切っている。それは現時点では正しいやり方だと思う。しかしアメリカから見たら日本は絶対的に頼る相手だろうかというと必ずしもそうではないだろう。日本がアメリカから見放される可能性だって無くはない。そうなったらどうするかを考えているだろうか。中国は日本がアメリカの後ろ盾を失えば途方に暮れることを見抜いている。そして軽いジャブを打ってきた。それに対して日本が過剰に反応して、アメリカが日本のことを「煩わしい」と思うことを狙っているのではないだろうか。アメリカはジャブを打ち返したが、今の日本の対応は軽いジャブに対して全力で応対した、という感じである。これは囲碁で大局観の悪い人が良くやることである。

中国では防空識別圏に関して習近平氏が発言したことはない。かなりレベルの下のほうの人に強い発言をさせて様子を見ている感じがするのに、日本側はトップが全力で対応している感じがする。こういう対応をしているとあちこちにジャブを打たれると対応に矛盾が出たりして国内で反対派が騒ぎ始めたりする。日本もジャブにはジャブで返す、この問題への反応は防衛関係者や、高くても官房長官くらいの対応にとどめるべきだと思う。


半導体技術者の悲哀

2013-12-17 09:52:53 | 経済

日経電子版で特集:半導体「大リストラ時代」というのをやっている。「7割が転職を視野」とか「求人一人に申し込み100人」とかいう状態らしい。一番困っているのは40代から50代前半あたりの人で、家族の状態から背負うものは大きいし、新しいスキルを身に着けるのには時間がない、日本企業では求職はほとんどないので外資系の企業に向かうのだが、IntelやQualcommで働けるような人はごくわずかな人たちなので大部分は韓国か中国の企業を目指すのだろう。これらの企業にとっては完全な買い手市場で能力の高い人だけを採用するという当然のことが起こっているらしい。問題は業務が細分化されて狭い分野だけのノウハウしかない人たちで、そういう人は本当に困っているらしい。

政府が救済に乗り出したルネサスもうまくいっていないし、半導体分野を残している富士通や東芝、ソニー、パナソニックも縮小方向である。私が危惧しているのはこの状況が情報通信、電機全般に広がることである。そうなると社会の不安定さにつながりかねない状況だと思う。政府として何か考える必要があると思う。

農業対策のように無理やり国内需要を作り出して軟着陸させるというのは現実的ではないだろう。転身のための職業訓練の仕組みを整備することと、新たな訓練を受けようという意欲を起こさせるために公的な資金貸し付けの仕組みなどを用意することが重要だと思う。

半導体は設備投資産業なので、政府が本格的に乗り出して設備投資に大量の資金を投入すれば、日本の半導体産業が復活する可能性はある。DRAMのような製造プロセスで勝負するような分野はよいが、半導体も大規模ソフトウェアに似てアーキテクチャが重要になってきているので、CPUのような複雑な半導体は、一度テコ入れしただけで軌道に乗るとは思えない。政府の関与をいつまでも続けることは難しいし、アメリカとの摩擦も問題となるだろう。やはり転職の仕組みを用意することが重要ではないだろうか。

当面、私が心配しているのは情報通信産業全体が今の半導体産業のようになることだが、インターネットの普及は小売りなど幅広い産業に影響を及ぼすので他の産業でも大規模に失業者が出ることは起こるかもしれない。これからの人は20代、30代に確立した職業スキルを40代で見直す必要が出ることを視野に入れて専門性を磨くと同時に、社会もそうしたことができるように作りこんでいくことが重要なのではないだろうか。

大学も問題である。半導体の研究者の転職の道の一つとして大学教授というのがあり、かなりの人が大学教授になっている。半導体分野は技術革新が早く論文もたくさん書けるのでこの分野の大学教授は増えていると思う。しかし、企業が軒並み事業を縮小している分野に学生をたくさん送り出してよいのだろうか。大学としても真剣に考えるべき問題だと思う。


習近平政権への評価

2013-12-15 15:49:55 | 社会

読者諸兄は中国の習近平政権をどう見ておられるだろうか?

改革を謳って腐敗防止などを強く打ち出し、順調に権力掌握を進めてきたが、チベットなどの民族問題で行き詰まり、国民の目をそらすために、防空識別圏などと言って日本との緊張を高める方向に出てきた。内実はかなり困っているのではないかというのが私の印象だった。

それだけに、11月の3中全会で打ち出した習近平政権の方針をイギリスのThe Economist誌が、「小平を超える毛沢東以来最高の中国の将来に対する青写真」と褒めたたえたのには驚いた。日本ではそんな風には報道されておらず、「いろいろ格好良いことを言っているが、どこまでできるの?」というような感じだったと思う。

Economist誌が高く評価しているのは

・経済に対する国の関与を最小限に留め、自由経済の方向にもっていく
・地方の出稼ぎ農民が都市部で戸籍を得られず福祉を受けられない戸籍制度を解決していく

という2点だと思うが、日本ではチベット問題や防空識別圏問題にかき消された感じの報道だったと思う。内容を見てみると日本で騒がれている問題が中国では常に抱えている 数多くの問題の一つ、という感じがする。どこまっできるかはわからないが、上記2点は腐敗防止などよりさらに大きな重要な視点であることは間違いないと思う。

以前、中国人の人と話した時に、現在中国での偉人は独立を勝ち取った毛沢東、経済発展の道筋をつけた小平の二人である。そして3人目の偉人が出るとすれば民主化を実現した人物になるだろう、という意見を紹介したが、習近平が3人目の偉人になる可能性が出てきた感じがする。私は中国の政治を詳しくフォローしているわけではなく、断片的な情報を持っているだけだが、今回のような日本のメディア以外の視点がかなり違う印象を与えてくれているのは間違いない。

私は情報源としてThe Economistを重要視している。英語の単語も難しく、辞書を引かなくてはならないことも結構あるような読みやすいとは言えない雑誌だが、日本のマスコミにはない大きな視点を感じさせてくれるので、今後も愛読していこうと思う。


議論をできない日本人

2013-12-14 12:43:16 | 生活

ここ数回のブログ記事はすべて今日の表題が私にとってのテーマになっていると感じているが今日はより直接的なことである。

今日、NHK-BSの「グローバル・ディベート」という番組で消費税増税の議論を見ていて改めて感じたことである。消費税問題に関して世界の大学教授などがテレビを通して遠隔会議で議論する企画なのだが、その中での話である。各国から出てくるパネラーは専門家なのでしっかりした意見を言うのは当然だが、日本の大学教授はまとめのような発言が多く、自分の意見をあまり言わない印象が強かった。

このブログに書く気になったのはNHKが紹介した、視聴者のコメントが気になったからである。消費全賛成の意見は「福祉予算が増えるのは仕方がなく、政府に原資がないのだがら消費税増税は仕方ない」というもので、反対意見は「安易に増税に走るべきではなく、もっとよく考えるべきだ」というものである。私が問題にしたいのはこの反対意見である。この反対意見は何も言っていない。反対とすらまともに言っていないし、なぜ反対か、の理由は何も言っていない。私には単に「税金を払いたくない」と言っているように聞こえる。

私の感覚では反対意見を言うなら「累進性のある所得税で福祉を賄うべきだ」とか「福祉を増やさずに予算に上限を設けるべきだ」とかいう議論、つまり「自分は消費増税以外の解決法が良いと思う」という言い方をするのが常識である。それを何も言わずに「安易に決めるのはよくない」などという言い方をするのは世界では全く通用しない議論である。私の考えではNHKは上記のような意見は無視して、中身のある反対意見を紹介すべきである。あんな意見を紹介して恥ずかしくないのか、とまで思う。

考えてみるとテレビ局が拾う街の声は大体紹介されたような内容である。「生活が苦しいので増税になると困る」とかいう自分の都合だけを述べる、それが当たり前だとテレビ局は思っているようである。議論ではなく自分の希望を述べているだけである。

希望は国民が何を望んでいるかという意味で重要な情報である。それは反対何割、というような統計情報で扱われるべきものである。どうするべきか、というのは論理の展開であり、デメリットを少なくしてメリットを大きくする方法を探るためのものである。日本社会ではそれができない。

秘密保護法案の議論や報道でも同様のことを感じた。みんなの党の分裂問題でも本質は同じところにあるのではないかと思う。特にマスコミが議論できない体質になっている点が日本の大きな弱点になっていると思う。