英国Economist誌の1月18日号に、現在の情報通信技術のめまぐるしい発展が多くの人の職を奪うことに対する警鐘があった。これは日頃、私が感じていることと一致しているので紹介しておきたい。
歴史的に見ても新技術が現れれば古い職業を奪うということは繰り返されてきた。産業革命で動力を手に入れた人類は農業を大幅に効率アップして農業人口を大幅に減らした。しかしその代わりに工業という新しい産業が起きて農業よりもはるかに多くの人が工業で働くようになった。次のステップとして工業に自動化ラインが導入され、工業生産が機械化されて工業人口が減少すると代わりに様々なサービス産業が発展し、多くの人がサービス産業に移ってきた。このような歴史があるので経済学者は心配していないが、果たして次の産業は何だろうか、という問いかけである。
イギリスの経済学者によると、現在の仕事のうち47%は自動化で無くなる可能性があるという。更に厄介なのはこれまでの機械化は単純作業を機械化することだったが、コンピュータシステムはどんどん複雑なこと、あるいは高度な判断で人間にしかできなかったこともできるようになってきているという点である。
ここからは私の考えで(Economist誌に触れてほしかったが触れていなかった点)あるが、日本の製造業が強いのはベルトコンベア式の単純作業時に従事していた工場労働者を多能工化して複雑な作業をさせるようにした点であると考えている。ベルトコンベア式ラインではネジ一本止めてベルトに載せまた次の装置のネジを止める、次の人は別のネジを止めるという作業形態だったのを、組立てのかなりの部分を一人で担当する、そういう人が複数並んで作業をしている、という形態にしたことである。この方式は習熟するのに時間がかかる一方、作業に工夫の余地が出てくる。その工夫をカイゼン提案として皆が共有することにより手順がどんどん洗練されていく、というシステムを作り上げた。日本の工場労働者は世界で一番やりがいがあり、かつ幸せだと思う。
情報システムはこの分野にまで入り込んできていると思う。つまり、作業手順などをモニタして大量のデータとして収集する。それをそれぞれのアウトプットと比較することによりコンピュータシステムがカイゼン提案をするようになる。いわゆるビッグデータであるがこんな時代がすぐそこまで来ている。そうなってきた時に必要とされるのは機械よりも深い洞察力を持つごく一部の人と、全体の流れを統括するような人になっていくだろう。
Economist誌も、コンピュータに仕事を取られて新しい仕事が出てこないとは思っていない。いずれ新しい仕事が出てくるのだろうが、それまでには数十年の時間差がありそうで、これまでのスキルが機械に勝てなくなった人はうまい職場を見つけられすに生活が苦しくなってくる。こういう人たちに対する配慮が政治の仕事だとしている。一時的にかもしれないが貧富の差が広がる。仕事をしない人を社会福祉で生活させるのでは社会の活力が出ないし国際競争にも負けてしまう。この問題は政治が考えるべき大きな問題だと結んでいる。
私も全く同感である。今から20-30年経つと、コンピュータでもできるような仕事をしている人と、次にコンピュータに何を指せるかを考える人とで社会に対してつける付加価値は大きな差がついて、それをそのまま収入差に当てはめると大きな貧富の差になると思う。おそらく経済的付加価値と収入の関係を見直す(付加価値の対数に収入が比例するとか)ことが必要になるだろう。社会は人に何を求めるのかという社会哲学含めた議論が必要になると思う。