ウィトラのつぶやき

コンサルタントのウィトラが日頃感じたことを書いていきます

事業仕分けと公務員給与2割削減

2010-06-30 12:05:49 | 社会
このタイトルは「非効率をなくすと効率化の違い」とするかどうかで迷った。

事業仕分けは民主党の唯一の評判の良い政策として評価されており、私もそれには同感である。
しかし、事業仕分けによって捻出された財政の無駄使いの金額はたかが知れている。とても子供手当などの出費を賄うには至らない。

私はある意味でこれは当然だと思う。事業仕分けというのは本質的には政府の補助金の使い方をより効率的にしようというならいだと思うが、あのような事業仕分けのやり方で効率化を求める限り、特別に非効率な組織しか問題にならないだろう。そこそこやっている組織は、多少非効率でも「今回は事業仕分けを免れた」と思って一安心、というところだとう。

しかし、これでは全体のごく一部の悪い組織が改善されるにすぎない。改善金額がそれほど積み上がらないのも当然だと思う。

これに対して「公務員給与2割削減」は公務員全体にまたがる問題である。これを実現すると年間6兆円くらい出てくるらしいが、実際にはほとんど手をつけられていない。選挙前ということもあるが、選挙が終わってもおそらく無理だろうと思う。それは特別悪くは無い組織や人に対して待遇を悪化させるということが受け入れられるとは思えないからである。

私は、公務員あるいは準公務員に対しては「業務効率を5年間で20%改善させる」といった目標が適切であると考えている。この目標は、仕事量が同じなら給与を2割削減することを意味している。しかし、同じ給与で2割多いサービスを国民に対して提供するという選択肢も許している。この目標の事業仕分けとの違いは、良くやっている組織に対してもさらなる改善を求める点である。今良くやっているからと言ってそこにとどまってはいけない。常に改善していかなくてはいけない、ということを意味している。これが民間の感覚であり、今回私がアメリカの「国家ブロードバンド計画」を読んで強く感じた点である。

日本の政治家はこの視点が無い。悪いものを改善するというという視点はあるが、良いものをさらに良くする、という視点は決定的に欠けていると思う。

世界はこの視点で動いている。国民全員が「明日は今日よりたくさん仕事をする」という方向に動いていかないと、日本に明るい未来は見えてこないと思う。

TD-LTEのブレイクしそうな予感

2010-06-29 10:27:34 | 経済
今回は私の専門の移動通信の技術的な話である。

現在、日本の移動通信は3Gと呼ばれる方式がほぼ100%である。大手オペレータのKDDIはcdma2000方式を採用しており、ドコモとソフトバンクはWCDMAを採用している。このWCDMAの延長線上にある次世代方式としてLTEという方式が開発されており、ドコモ、KDDI、ソフトバンクの3社ともに次世代方式としてはLTEを採用することを既に発表している。3Gの世界ではWCDMAとcdma2000があるのだが、世界的に見ても次世代方式は全てLTEになりそうな勢いである。それではLTEが世界統一方式になるかというと、ちょっと違う面が含まれている。

違うというのはLTEにTDD方式とFDD方式という2方式が含まれている点である。FDDというのは送信と受信に別の方式を使うもので、TDDというのは送信と受信を同じ周波数で時間を分けて使うものである。現在の3GでもFDDとTDDがあるのだがTDDは世界中で中国移動しか使っておらず、殆どがFDDである。しかし、今後LTEに移っていくときにTDD方式であるTD-LTEが大きく頭角を現すというのが最近の私の印象である。

私がTD-LTEに注目したのはこのブログでも触れたアメリカの「国家ブロードバンド計画」と関係が強い。アメリカではiPhoneをはじめとして次々と新しい端末が出てきており、これからの流れはアメリカからきそうである。政府もこの点に目をつけ、アメリカが移動通信の分野で世界のリーダとなる。そのために移動通信に対する周波数割り当てを急激に増やす、といっているからである。しかし、周波数の配置転換は利権が絡まってなかなか進まない。そこでひとつの周波数を割り当てればよいTDD用の周波数を大幅に増やそうとしているのである。

中国では既に大量の周波数をTDDに割り当てているが、FDDのLTEへの割り当てはまだ見えていない。中国移動はTD-LTEへの移行を急いでいる。更にインドでは先日3Gの周波数オークションが行われたが、FDDの周波数に加えてTDDの周波数も割り当てが行われておりアメリカのQualcommが周波数を獲得してTD-LTEをやると言っている。

アプリの発祥の地アメリカ、成長力第一の中国、そして加入者の増加で中国をも上回るインドでTD-LTEが始まるというのが、私のTD-LTEブレイクの予感の根拠である。LTEの時代にはFDDよりもTDDが主流になるのではないかという感じさえしている。

うまくいくとは思えない菅総理の経済政策

2010-06-28 08:51:58 | 経済
参議院選挙が公布され、新総理の「第3の道」という経済政策のことを耳にする機会が多くなった。
これは、
政府が福祉に投資→就業人口が増える→経済活性化→財政再建
という流れを言っている。

この政策に限らず、一般に政府が100万円投資したらそれ以上の経済効果が無いと財政赤字が膨らむのに対して収入を見込むことができない。子供手当や高速道路無料化、農家の個別補償で国民の手元に残ったお金はその一部しか出回らず、財政赤字を拡大させるだけだと私は思っている。
税収はもろもろ全て入れても所得の50%を超えることは無いので、100万円使えば200万円以上の経済効果が無いと国の赤字は膨らむと見るのが普通だろう。

政府が人を雇って福祉に金を使うとその収入は福祉に携わる人にわたる。その人が全てを生活費として使って100%の効果、貯金に回せばその分目減りする。政府が土木工事を行えばその金が土木業界に回って、それをどれだけ使うかというのと同じことである。問題は土木工事で作った道路などがどの程度の経済効果を生むかということだろう。

菅総理は例えば保育所を作れば女性が働きに出られる点が2次的効果だとしている。しかし、今の日本ははたして人出不足だろうか?今の日本は仕事があるのに人が集まらない状況では無いと思う。問題は雇用を作り出す強い経済を作ることが先であって、働ける人材が増えれば経済が強くなる、というのは順番が逆だと思う。

私は、強い経済のカギは国際競争力を高めることだと思っている。その点に明示的に触れている政党が無いのが残念である。

ブラティスラバの写真(3)

2010-06-27 16:04:22 | 旅行
旧市街に戻ってきた。ピエロの銅像。人気があって人が集まっている。
旧市街のメインの広場。出店が出ている。
旧市街のメインストリート。昼時になったので道端のレストランにも人が入っている。
先ほどの正面の党の下をくぐる道。この先も旧市街の典型的通り。
椅子にもたれかかる兵士の像。この像も人気がありここで記念写真を撮る人が多い。
市民美術館に入った。3.5ユーロ。これは中庭にある銅像。この美術館は静かですいていた。絵葉書をくれて安いのにサービスが良い。
この美術館には木製の像が多い。これもその一例。良くできていると思う。
美術館の絵画の部屋。部屋中にこのような絵画がはめてある。四方を絵画で囲まれる感じ。

ブラティスラバの写真(2)

2010-06-27 15:52:18 | 旅行
橋の途中、ドナウの上から。ここからウィーンへ船が出ている。
橋の向こう側、住宅街の公園。家族連れが小さな子供を遊ばせている。
川下の橋をわたって戻る。船の近くに見える古い橋を渡りたかったのだが通行止めになっていた。奥のほうにはお城の建物が見える。
ショッピングセンターの入り口。ライオンの像の奥がショッピングセンターになっている。日曜日は普通の店は閉まっているがこのショッピングセンターは営業していた。
モールの中。人の数は少ない。
青い教会。色がきれいで環境客が来ている。中では牧師が説教の最中

ブラティスラバの写真

2010-06-27 15:44:46 | 旅行
ブラティスラバの写真を撮ってきた。天気が良いので気持ちが良かった。
ホテルの近く、旧市街の入口にある像。学生かな?
教会。日曜日の午前中だったので信者がどんどん入っていく
お城の城壁。あの城に向かって歩いて行った。
城壁の中の城の建物
城壁の上から見るブラティスラバの街。左手にドナウ川が見える。この辺りは観光街
ドナウにかかる橋。橋の向こうにはマンションが立ち並び、住宅街であることが分かる。
あの橋を渡っていった。
お城の建物の入り口。観光客がたくさんいる。

ブラティスラバにて

2010-06-27 13:59:36 | 旅行
私は今、スロバキアのブラティスラバに来ている。

殆どの日本人には聞いたことのない都市で、私も今回出張で来るまで知らなかったが、スロバキアの首都でウィーンの東南東50Km くらいのところにある。チェコとスロバキアが分かれてスロバキアの首都になったのだがスロバキアの西の端、オーストリアと接するあたりのドナウ河畔にある街である。

普段、月曜日から会議の時には、日曜日に出ればよほど不便なところで無い限り日曜日中に着くので、日曜日に出発しているのだが、最近時差ボケが取れにくくなってきたので、一日前に出発した。これで調子が良いようなら今後ヨーロッパには一日早く出ようかと思っている。

今までのところ順調である。まず飛行機が空いていた。エコノミーの3列の真ん中は人がいないくらいの混み具合だったが、私の列は私ひとりしない無かったので3列の真ん中に座っていた。こうすると前の人が席を倒してくることもないし、寝る時には横になって眠れて、ビジネスよりも良いくらいである。

ウィーンまでの直行便で来て空港からのバスでブラティスラバ駅まで来た。約1時間である。ブブセラを持ったリュックを担いだ若者が何人かバスに乗ってきた。南アフリカからの帰りだろう。イタリアに勝って意気盛んというところだろう。バスは、途中の村に2度ほど止まってブラティスラバに入る。7.7ユーロ。

途中、ヘンゼルとグレーテルの家のようなイメージの民家や、ハーメルンの笛吹き男に出てくるようなイメージの村があったりして、「ドイツ文化圏だなー」と思う。ブラティスラバ駅からホテルまではタクシーで10ユーロ。

いつもよりも疲れが少ない感じがして、ホテルに着いてから散歩に出る。ホテルは旧市街のすぐそばなのでその中を2-30分歩く。到着した日は何も食べないで寝てしまうことが多いのだが少し元気があったので、ピザのスライス一切れを夕食にする。1ユーロで日本の2倍くらいの感じだった。

今日は朝8時頃起きて朝食をホテルで取ってから市内を歩いて今ホテルに戻ってきたところである。歩いてみてスロバキアという町は、都市計画が良くできていると感じた。写真をこれからUpしようと思う。

デンマークに勝った!

2010-06-25 05:24:13 | 生活
私はいつも朝5時ころに起きているのだが、今日は早めに起きた。テレビをつけると、なんと2対0でリードしているではないか。

0-0なら良い方で、0-1くらいかと思っていたら2-0とは、全く意外だった。私が見始めたころはまだしっかり守備ができて安心感があったが観ているうちに次第に守備に穴が開き始めて「危ないな」、と思っていたら一点入れられた。

それにしても3点目の本田には感心した。踵で出した動きも見事だが、その後自分でも打てそうな局面でより確実に決めるために岡崎にパスを出した冷静さ、これは今までの日本人プレーヤには見られなかったものの気がする。

カメルーン戦の得点でも冷静さが目立ったが、それよりも今回の3点目の方が印象的だった。今回の大会は、最後の方まで選手がスタミナを残しているのが大きい感じがする。後半30分くらいでばててくる感じなので、メンバーを入れ替えてリフレッシュして最後までつなぐことができる。その点が一番大きい感じがする。

前半は観ていなかったのだが、ハイライトで観ると1点目の本田のフリーキックも見事なものである。1点目を難しい所から決めた点も日本に大きな力になっただろう。

大会開始前と違って、日本の形を岡田監督が見つけた感じがする。

おめでとう!

少し走るのが速くなった

2010-06-24 08:01:16 | 生活
今日は梅雨の晴れ間というより五月晴れが戻ってきたという感じの気持ちの良い朝である。

そこで走って職場まで来たのだが少し走るのが速くなった感じがする。とはいっても時速8Kmになるかどうかくらいの速さで、普通のランナーから見ればかなり遅い走り方である。今回は前半を抑えて走り、後半余裕があるように感じたので少し速度を上げた。前回は前半速めに入って後半が苦しくなったので速度を落としていた。トータルの所要時間は同じくらいなのだが、今回は「まだ走れそう」という感じが残ったのが大きいと思っている。

こう書くと毎日のように走っているようだが、雨の日は走らないし、前日どこかに外出してノートパソコンを持っていかなくてはならない時も走らない。実際に走る回数はかなり限られている。

休日には以前走っていた自宅から王禅寺のふるさと公園まで走っている。このコースは坂道が多く、鶴見川沿いよりもかなり速度はゆっくりである。かなり以前から、ある時期走っており、何らかの事情で中断するということを繰り返していた。考えてみると、ゴールデンウェークに走り始めて、梅雨の長雨や夏の暑い時期になって走るのを止めるというのを繰り返していたように思う。

片道3Km くらいのコースだが最初は片道の途中で足が痛くなって走るのを止める。それが片道走り続けられるようになり、そのうち往復走り続けられるようになる。更には公園についてから公園内をしばらく走り走って戻ってくるという余裕も出てくる。

この改善の速度が年とともに鈍ってきている感じがする。3年前なら3回目で到達していたレベルに6回目で到達、5回目で到達していたレベルには10回目というように2倍かかっているような感じである。これが年齢による衰えというものだろう。今回は東海道の残りも控えていることだし、できるだけ長く走り続けたいと思う。

パーソナルC&C開発研究所

2010-06-22 08:11:24 | 昔話
1992年、私はNECの中央研究所からパーソナルC&C開発研究所に異動した。入社以来初めての人事異動だった。入社して18年間同じ部署にいたというのは振り返ってみれば長過ぎた感じがする。

パーソナルC&C開発研究所(パーソナル開研)というのはその年にできたパーソナルグループの開発研究所なのだが、実態で言うと業績の悪化していたNECホームエレクトロニクスの救済という側面が少なからずあった。NECホームエレクトロニクスには120人くらいの規模の開発研究所があったのだが、業績が悪化していて開発研究所を維持できなくなっていた。そこでパーソナル開研と2重組織にして全員を兼務とし、費用のかなりの部分を部分をパーソナルグループから出すことにしていた。パソコンと、モバイルという業績の良い事業を抱えていたからできたことであった。

パーソナル開研には3つの部があり、一つがパソコンの仕事をする部、一つが私の部でモバイルの仕事をする部、一つがホームエレクトロニクスの仕事をする部であった。
勤務地は中央研究所のあった田園都市線の宮崎台から溝口のホームエレクトロニクスの事業所に異動になった。「のだめカンタービレ」の撮影にも使われた洗足学園の近くだった。
私の部は40人ほどの構成だったが、中央研究所から私ともう一人ハードウェアに強い人、移動通信事業部から課長クラスが二人、と若い人一人、それ以外はホームエレクトロニクスの開発研究所の人、という陣容だった。言うまでもなく、ホームエレクトロニクスの人達は移動通信の素人である。しかも中堅社員が少なく、新入社員が非常に多かった。事業部からは優秀な人材を出してくれたので、ギャップが非常に大きく慣れるまでは大変だった。

勤務地がホームエレクトロニクスの事業所内だったこともあって、私が中央研究所からホームエレクトロニクスに飛ばされた、という見方をして、「かわいそうに」というような言い方をする人もあった。社外からもお誘いがあったが私自身はやる気満々だったのでもちろん断った。