ウィトラのつぶやき

コンサルタントのウィトラが日頃感じたことを書いていきます

「いのちをまもりたい」には共感しない

2010-01-30 09:56:57 | 社会
鳩山総理が施政方針演説で「いのちをまもりたい」を強く打ち出し、話題になっている。私は新聞で読んだだけだが、相当に強く強調しているようである。しかし私には心に響くものが感じられない。

私は日本ではすでに命は十分に守られていると思う。平均寿命は世界1である。生命の危険にさらされているような人はほとんどいない。ごくわずかな、自殺者や難病にかかっている人などの対策に全力を尽くすというのが施政方針演説で一番強調しなければならないほど国全体にとって最も大切なことだろうか?

鳩山総理的言い方をするならば「よりよい生活をしたい」というのが、国民全体にとって必要なことだろう。しかし、これを言うと「よりよい生活とは何か」という議論や質問が必ず出てくる。これに対する答えを持っていないために、反論しようがなく、響きのよい「いのちをまもりたい」という言葉を使ったのだろう。

具体的政策との関連はほとんどないと思う。あえて言うなら高福祉の大きな政府を目指す、という全体的方向性があるくらいだろう。 私は、以前にも書いたが、高福祉の大きな政府が日本の究極的なあるべき姿だと思っている。その意味では鳩山総理というか民主党と意見が一致している。

しかし、その実現のためには公務員改革が最低限の条件だと思っている。 現在の、民主党のやろうとしている公務員改革は、私の期待しているところと全く異なっている。現在言われている公務員改革は、高級官僚の天下りを抑えるとかいった、権限を抑えることに注力している。これは小沢幹事長の、高級官僚は自分の権力にとって最大の敵だから彼らをつぶして物を言わない従順な羊をそろえよう、という方針から来ていると思う。

私の考えでは、大きな政府を目指す以上、高級官僚をはじめとした公務員全体が自ら国をより良くするために全力を尽くす、民間に負けないくらい、あるいは民間以上の効率で仕事をするようになる仕組みを整えることが公務員改革である。

そのための問題は、一部の高級官僚よりも膨大な人数になる公務員全体の仕事の目標、評価をどのようにしていくかが課題である。 そのためには小泉元首相が目指したように、一旦小さな政府を作るのが必要だと思っている。

自民党自体が、小さな政府を否定してしまったので、今はこれを言う政党はない。日本が良い方向に向かうのは至難の業だと感じている。

教育の自由化が必要だ

2010-01-29 10:10:59 | 社会
先日、テレビでインドの教育の話をやっていた。日本在住のインド人向けのインド人学校である。

インドの教育は九九を19X19まで暗記させるのが有名だが、それだけでなく、大変進みが早く高度なようである。驚いたことに小学生から落第があって一定レベルに達していないと進級できないそうである。授業は当然すべて英語である。

さらに驚いたことに、日本人の親がインド人学校に子供を入れたいという希望が多く、最近はインド人ではなくても受け入れを始めたそうである。

しかし、この学校は日本政府の教育カリキュラムは無視しているので日本政府からは学校法人として認められていないそうである。従って、日本の義務教育を受けたとみなさせず、高校の受験資格がないそうである。日本人の親に、その点を「気にならないのか」聞いていたが、「日本の高校に入れるより、国際人として育てるほうがずっと大事だ」と答えていた。

インド人学校のカリキュラムは5年生くらいになると日本の小学校より2-3年先に進むそうである。以前、日本在住の中国人の人と話したがやはし日本の学校のカリキュラムは遅いので、子供は北京の祖父母のところに預けて北京の学校に通わせている、ということだった。

日本の義務教育は全員を一定レベルに上げることを目指して、全員が付いてこられるように内容を抑えてカリキュラムが組まれている。これが大きな効果をあげて日本人の識字率はほぼ100%になったが、インドなどではまだ文字を世ねない人がたくさんいる。 しかし、そろそろこのシステムを見直すべき時期に来ているのではないだろうか?

以前、「昔話」のスレッドで書いたが、私は大学に入学して教わる内容が急に10倍くらいになった感じがした。こんなにいろいろあるなら、高校の時に教えてくれていればよかったのに、と思ったものである。今年大学に入学した息子に聞いてみるとやはり同じようなことを言っている。

義務教育は落ちこぼれを出さないことを目的として設計し、高校は大学受験の合格率を上げることを目的に設計する。これが必要最小限のことしか教えないという日本の教育システムを作り上げていると思う。 最低レベルを保つことは必要である。しかし、能力のある子供にはもっとどんどん先のことを教える。文部省が学校に対する縛りを緩めてカリキュラムを大幅に自由化すべきだと思う。これを授業料の高い私立学校だけでなく公立学校にも認めて権限を下すべきだと思う。

私は、野党である自民党にこのような教育再生プログラムをぶち上げてほしいと思っている。これだけでなく教師の質の向上にも手を打つことが不可欠である。こういうことを言うと、まず日教組が反対するだろう。野党である自民党は日教組の影響はあまり受けないと思うので野党であるうちに再生プログラムを発表してどういう反論が出るか様子を見る。それを踏まえて、もし与党になったら思い切って断行する、ということをやってもらいたいと思っている。

教育の抜本的見直しなくして、日本全体としての再活性化はありえないように感じている。

ウィルコムの破たん

2010-01-27 09:24:21 | 経済
PHSの運用事業者であるウィルコムが会社更生法を申請し企業再生支援機構の管理下で、再建を図ることになった。

1995年にサービスを開始して以来、一時は国内で700万の加入者まで増えたが、その後次第に加入者数を減らしてきた。90年代末ころからは中国で導入され、一時は9000万加入に達していたが現在は急激に加入者数を減らしている。中国では正式に認可された方式ではなく、草の根的に広がった方式であった点が大きく影響していると思う。

日本で一時はPHS事業者は3事業者あったのが、現在はウィルコムだけになり、そのウィルコムも結局破綻してしまった。やはり電波が飛ばないのでサービスエリアが限定される通信方式は、長い目で見るよ勝ち抜けないということを意味していると思う。

サービスエリアも現在では世界でのサービスエリアを考える必要がある。世界でどこででも使いえうGSM方式に対抗するにはよほど大きなアドバンテージがないといけないが、そのようなものはこれからも見つからないのではないかという気がする。

ウィルコムの問題はPHSだけにとどまらない。現在UQコミュニケーションがサービスしているワイヤレズブロードバンドで、ウィルコムはXGPという方式を提案して30MHzのバンドを獲得している。

しかし、この分野での世界標準はWiMAX方式であり、ウィルコム以外に導入を表明している会社のないXGP方式に将来はほとんど見込めないだろう。

問題は、世界で孤立することが明らかなXGP方式にどうして政府が電波免許を出したかということである。私の記憶では電波免許が出たのは2007年だったと思うが、その頃にはXGP方式は孤立することは見えていたはずである。

今後、ウィルコムがどのように事業を継続するかはわからないが、仮にWiMAX方式にしておけば、UQコミュニケーションと基地局をお互いに貸し合うなどして投資を抑制することも考えられたはずである。誰がこのような判断をしたのか、責任の所在はどうなっているのか、まさか不透明な金の流れで決定したとは思えないが政府の決定のプロセスの明確化が求められるところである。

技術者の立場として私が感じるのは技術の新しさと事業貢献のバランスである。誰がやったのかは知らないが、XGPという新しい方式を考案して、動作確認を行い、電波免許を貰うところまでこぎつけたのは技術者としては優秀な人物で大きな成果を上げたといえるだろう。

しかし、その一方でその成果が逆に会社を追い込んでしまったという面も少なからずあると思う。 技術者もある一定レベル以上の指導者になれば、新しい技術を開発するだけでなく、開発中止の判断を下す見識も必要だと思う。

技術者は技術だけを考えて、そのような判断は経営者に任すというのでは会社はうまく回っていかないように思う。

園まりの唄う歌

2010-01-26 09:40:39 | 生活
私が中学生の頃だから昭和40年代の初めだと思うが「3人娘」といわれる歌手がいた。伊東ゆかり、中尾ミエ、園まりの3人である。当時私はこの3人が特別好きなわけでもなかったがテレビに良く出ていたので見たことは何度もある。

中でも園まりさんは美人でおしとやかできれいなお姉さん、というイメージだった。 園まりさんについて書く気になったのは最近テレビのインタビューで「あの頃は全然楽しくなかった。いやでいやで仕方がなかった。」と言っていたのを聞いていたからである。しとやかな日本女性を演じるのが大変だったのだろうとその時は漠然と思っていた。

ところがフランスからの帰りのANAの飛行機の中で懐メロチャンネル「青春歌謡グラフィティ」を聞いて少しイメージが変わった。聞いていると、唄い方に非常に神経が行き届いている。一つ一つの言葉の意味に合わせて微妙に声の出し方を変えていることが分かった。

園まりは才気あふれる人ではない。おそらく、各フレーズ毎に「ここはこういう風に歌って」と色々と指導されて、何百回も練習したのではないかと思う。それが自分の気持ちとは関係なく指導されていたので「いやだ」という印象になったのではないかと感じている。

しかし、彼女はその指導を受け入れた。そして出来上がった歌は良い出来栄えに仕上がっていると思う。私の聞いたのは「逢いたくて逢いたくて」という曲だが、歌詞の心をきちんとつかんだ歌い方に仕上がっていると思う。

普通に聞き流しただけでは気づかないような細かい配慮である。私が気付いたのは、ヘッドホンを耳にあてたままうつらうつらして、1時間のアルバムを何度も繰り返し聴くことになったからである。オムニバスのアルバムなので加山雄三や越路吹雪の歌も入っていたが、この人たちは才能で勝負していて自由に歌っていた感じがする。

日本の文化、芸術は、見た目の派手さはないが、緻密な構成と丁寧な仕上がりに特徴があると思う。特別な才能はないが、丁寧に仕上げて飽きのこないものを作り上げることは、日本の工芸品全般に言えることで、これが日本文化の特徴といえるのではないだろうか?

これから世界と戦っていく上で、このような日本の強みを今一度見直しても良いように思う。

悪いことは重なるものだ

2010-01-25 09:32:13 | 生活
土曜日は夕方16時の便でニースを発って、パリ経由で帰ることになっていたので、午前中にニース見物をした。

朝チェックアウトをして、電車でニースまで向かい、駅のコインロッカーに荷物を預けてニース市内を散策した。 シャガール美術館からニースの旧市街のほうに回り、海近くのレストランで生ガキなどを頼んで昼食にした。なかなかおいしかった。 ここまでは順調だったのだが、この後がトラブル続きだった。

まず、駅のコインロッカーから荷物を出そうとすると、コインロッカーのあるところには入れない。ここのコインロッカーは変なものを入れないように、飛行機の荷物チェックのようなことをしてからロッカーのところに行くのだがその検査員が14時から15時までは昼休みとかで鍵を閉めてしまっていて、ロッカーのところに入れなかったのである。コインロッカーから荷物を出せないとは思わなかった。

フライトは16時5分で2時半頃に荷物を出してバスで空港まで行こうとしていたのだが、3時まで待たされて、タクシーで行くことになった。 このフライトには間に合ったのだが、結局そのフライトも出発が遅れて、パリに着いたのは1時間近く遅れていた。

それでも、乗り継ぎ時間は2時間半くらいあったので間に合った。 今回は日曜日に到着だったのでエコノミーからビジネスにアップグレードしてもらった。アップグレードはできたのだが36ユーロのアップグレードTaxというのを取られた。これはヨーロッパの中でもフランスだけで2年ほど前からやっているそうである。マイルを使ってアップグレードして税金を取られたのは初めてである。エコノミークラスはすいていたのでエコノミーにしておけばよかったと思う。

機内のスチュワーデスもあまり感じは良くなかった。そして日本到着は40分ほど遅れた。向かい風とか言っていたが西から東に帰ってくるのに向かい風のわけはないと思う。

日本に着くと荷物が出てこない。どうも、パリで積んだという記録が残っていなかったのだそうである。しかし、私の荷物が今どこにあるかは分からない、とのことだった。後で自宅に送ってもらうように手続きをして出たのだが結構時間を取られた。

成田から多摩プラーザ行きのバスに乗ろうとしたがちょうど出たところで30分待たされた。更にそのバスが途中で事故渋滞にはまり、成田から多摩プラーザまで2時間半かかった。私はこの路線は何度も乗っていて渋滞に引っかかったこともあるが、今回は最悪の記録だと思う。

今回の帰国はニース駅のコインロッカーから始まって小さなアンラッキーが続いたと思う。どれも大きな問題に至らなかったのが不幸中の幸いである。

それにしてもフランスのニース駅やドゴール空港の対応はお役者仕事そのものの感じがする。フランスの国力は今後さらに下がるのではないだろうか。