ウィトラのつぶやき

コンサルタントのウィトラが日頃感じたことを書いていきます

ウィトラのホームページ

2008-07-31 10:44:10 | 生活
現在、ウィトラのホームページを準備中である。

今週中、遅くとも月曜日にはホームページ開設の連絡を出そうと思う。これに伴ってブログも仕事関連とプライベートを分けるつもりである。

この「ウィトラのつぶやき」は個人の趣味や写真、社会問題に対する意見などを書こうと思っている。 無線業界の動向やニュースに対する感想や考えは「ウィトラの眼」というブログを別途立ち上げて今後はそちらに書いていくことにしたい。

すでに立ち上げて、関連する内容はこのブログのものをのものをコピーしている。日付は全て今日になっているが、今年1月からのものである。 http://blog.goo.ne.jp/padu/ が「ウィトラの眼」のURLである

AndriodとSymbian統合の噂

2008-07-30 09:59:40 | 経済
Googoleが提唱する携帯電話用のOSであるAndroidとNokiaがサポートしているSymbian社が開発している携帯電話用のOSでるSymbian OSが統合されるといううわさが流れている。

http://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/0807/29/news038.html
「本当か?」と眉に唾をつけて聞く思いがすると同時に「ありそうな話だ」とも思う。これは噂の出所であるジャック・ゴールド氏の個人的意見かもしれないし、何か情報をつかんでいるのかも知れないが個人的意見だとしても面白い意見だと思う。

Googleは昨年11月に携帯電話用OSであるAndroidを開発し、皆に無償で配布する、と発表している。これを推進するためにOHA (Open Handset Alliance)を立ち上げ、世界の有力企業を賛同者として受け入れている。この発表から2週間ほどしてSDK (Software Development Kit) (Androidの上で動作する応用ソフトを開発するツール)を発表しているので、構想だけでなくかなり入念に準備されたものであることがわかる。AndroidはOSというがメモリや通信部分などを制御する“いわゆるOS”の部分にはサーバなどで使われているLinuxを使用し、その上で様々な応用ソフトが動くためのミドルウェアを開発するのがGoogleの中心的活動になっている。

Symbianは携帯電話用の“いわゆるOS”を開発する会社で、Nokiaを中心として数社が出資している。現在の高機能携帯電話のOS市場では60%以上のシェアを持っている、有料のOSである。Symbian OSの上のミドルウェアとしてはNokiaが開発したS60、エリクソン系の会社が開発したUIQ、ドコモが開発したMOAP(S)の3種類が出回っている。本年6月、NokiaはSymbianを完全子会社化すると共に、上記3種類のミドルウェアを統合したミドルウェアを開発し無償で提供すると発表している。同時にこれを推進するSymbian Foundationを立ち上げ、現在では世界の有力企業31社の賛同を得ている。

このNokiaの動きをみるとAndroidに対抗しようという意識が明確に見てとれる。その一方で両社が統合すると面白いと思うのはGoogleが得意なのはミドルウェアの部分であり、Nokiaが得意なのは“いわゆるOS”の部分であるからである。さらに、Googleはインターネットアプリに強いが電話にはあまり経験がない。一方のNokiaは電話に非常に強く、インターネットアプリの経験は限定的である。つまり、両社の保有する技術資産は補完関係にあるわけで、組んでもおかしくないと思う。Nokiaが”いわゆるOS“の部分を開発し、Googleがミドルウェアを開発するのである。組んだからと言ってGoogleがLinux用のAndroidの開発をやめるとは思われず、Android LinuxとAndroid Symbianの2種類が出回ることになるだろう。一方のNokiaは統合ミドルウェアの開発を中止して既存のミドルウェアのままとし、Androidに吸収していく道を選ぶかもしれないという気はしている。

携帯電話用のOSとしてはマイクロソフトもWindows Mobileというのを開発している。現在の市場シェアは微々たるものであるが、今後ビジネス用を中心に伸びてくる可能性はあると思う。これらのOSが今後どうなっていくかは業界構造に大きな影響を与えるので注目してみていきたい

美術への興味 ムンクとグッゲンハイム美術館

2008-07-28 08:54:45 | 生活
私は自分で美術製作はしないが見るのは好きである。

最初に美術(絵画)に興味を持ったのは家にあった百科事典をパラパラ見ていたら、アングルの「泉」という絵が目にとまったときである。この絵は今でも好きだが当時はむしろ裸婦に興味を持ったように覚えている。高校生くらいだったと思う。

これをきっかけに画集などをいろいろ見るようになった。 その中で私が好きになったのはノルウェーの画家ムンクの作品である。ムンクというと「叫び」という絵が有名だが、あの絵はこの人の絵を代表していないと思っている。むしろ北欧の風景を心で感じるような絵が多く、北海道育ちの私の気に入ったのだと思う。
夏の海岸の夜、シーンとした音が聞こえてきそうな中での恋人の散歩する姿を描いた絵、
冬、ストーブに薪をくべる少女のピンクのセーターがなんとも言えぬ温かさを感じさせる絵、
春、雪解けの道を体いっぱいの喜びをあふれさせて走る馬の絵、など季節感があふれた絵が多い。

それ以外ではモネやゴッホなどの印象派の絵が好きだった。ピカソは青の時代とか赤の時代とかいう時期の絵は好きだったが、いわゆる抽象画は好きではなかった。

私が抽象画を見るきっかけになったのはニューヨークのグッゲンハイム美術館に行ってからである。この美術館は抽象画専門で、それも学校で習うような大家の絵はほとんどない。ほとんどが若手の絵である。建物がらせん状になっており、真中は空間になっている。らせん状の廊下を登りながら廊下の壁に飾ってある絵を鑑賞する。こうするとそれぞれの絵を2回見ることになる。一度はその絵の直前を通った時で、もう一度は180度回った時に、真中の空間を通してしてみるのである。この時に初めて絵は、特に抽象画の大作は、絵までの距離が違うとずいぶん印象が違うものだということを知った。そして近くで見た時は何も感じなかった絵が、遠くから見ると何かを訴えかけるように感じた。これ以来、抽象画も興味を持ってみるようになった。

この時の体験が後にミロの版画を買う下敷きになっている

私の大学入試

2008-07-26 09:08:47 | 昔話
今回は私の大学入試について記憶に残っていることを書こう。

私の通った北野高校は大阪でも1-2を争う受験校で、当時は京大、阪大にそれぞれ150人くらい毎年入学していたと思う。これは現役と浪人を合わせての数字であり、浪人のほうが多かったので現役はそれぞれ70人くらいずつだったと思う。

私は成績は上のほうだったので行こうと思えばどこの大学へでも行けるといわれていた。従って「どこに入れるか」ではなく「どこが良さそうか」が選択の基準となった。東京の高校に通っていたらたぶん東大を受けたと思うのだが、関西にいると東大は官僚のイメージが強く、なんとなく権力ししがみつくような感じがしていた。これに対して京大は学問中心のイメージが強く、自由と反骨精神という印象があった。阪大は産学共同といった経済界との結びつきがあった。今は経済界との結びつきは良いことのように思うが当時は「金もうけ主義」という感じがしていた。 そんなナイーブな理由で京大を目指すことにした。

今、子供が高校3年生であるが大学の生活というのはどんなものかは入ってみないとわからないので、結構いい加減な理由で皆志望校を決めている気がする。 京大の中では理学部を目指すことにした。当時私は物理が最も得意であり、あまり勉強しなくても良い点を取れていた。高校までの物理は覚えるべきことは最も少なく、理解していて数学を使いこなせれば一番楽な教科だったと思う。工学部は学科別の受験になっており、受験時点で将来の職業を決めてしまうような感じが嫌だったし、医者になる気はしていなかった。

先生からは理学部は就職が少なく、教師くらいしかないかもしれないのでそれを覚悟しておけ、と言われた。私自身、教えること自身は嫌いではなくわかりやすく説明知るにはどうするかなどの授業のテクニックを考えることは好きだったのでそれでも良いと思っていた。しかし、生徒の人生相談に乗ったり、問題を起こした生徒を立ち直らせるために努力するといったことは好きでなないので、結果として教師にならなかったのは正解だったと思っている。

勉強は特別頑張ったというよりは、普通にやっていたという感じである。塾も家庭教師も一切なかったが高校の先生のアドバイスに従い、学内の試験を受けているだけで、「うちの高校の試験でこの程度取れていればどこの大学でも大丈夫」と言ってくれる北野のシステムは大したものだったと今でも思っている。 受験勉強中にラジオを聞いていてジャズに興味を持ったのは前に書いたとおりである。実際の受験も順調にいき、試験が終わった時には「通った」という手ごたえを感じた

羽根本因坊誕生

2008-07-24 09:05:04 | 囲碁
囲碁の本因坊戦で挑戦者の羽根九段が3連敗のあとの4連勝で高尾本因坊を下し新本因坊となった。私の期待とは異なる結果だが素直におめでとうと言いたい。

第7局は挑戦者の完勝だった。序盤からリードしそのまま押し切った。第1局から第3局とちょうど逆の経過である。違いは、高尾本因坊は優勢になると固い手を打って相手が無理してきたところをとっちめるのに対して、羽根挑戦者の場合は優勢でもゆるまずに戦いをしかけ、戦いの中で相手が無理をせざるを得ない形に持ち込んだ、というところである。

私にとって不満なのは二人とも不利な時に局面を複雑化する能力に不足を感じる点である。特に高尾本因坊は第1局から第3局までが自然に有利な形に持ち込めたので、第4局から第6局では優勢ではないのに固い手を打って、その数十手後には「このままでは負け」という局面になり、無理気味に仕掛けて咎められた、という印象である。このように判断がずれているときはスランプに陥ることが多い。今年後半は高尾元本因坊は苦しい戦いを強いられるのではないかという感じがする。

囲碁の場合、ある程度強くなるとその局面での相場の手、というのが見えてくる。その手を打っていれば有利にもならないが不利にもならない。リスクもあまりない、という手である。その相場観の精度が強さによって異なり、私くらいのレベルだと2-3目の損得は相場の範囲内なのだが、プロになると一目でも感覚的に有利‐不利を感じるようである。

相手が自分より弱いときは相場の手を打っていれば自然に有利になり、不利になった相手が無理をしてきたところを咎めればよい。相手が自分より強いときにはその逆である。囲碁の楽しさはやはり相手が同レベルの時である。相場の手を打っていると差がつかない。どこかで少し得をしようとして仕掛けると相手が敏感に反応してくる。仕掛けるときには相手の強さは認識しているのでこちらもある程度裏付けのある仕掛けをするのだが、やはり仕掛けると相手が自分の想定とは異なった反応をしてきて複雑な戦いになる。このあたりの駆け引きが面白く囲碁の醍醐味である。

現在世界では韓国がトップである。韓国のプロ棋士は日本で相場と思われていた局面を徹底的に研究し、「この局面はこの手があるので不利」とかいう結論を出していった。将棋の定跡の研究のようである。その結果は日本の棋士も勉強して知っているのだが、自分で検討して結論を出した人はやはり強く、その研究過程で、形に対する新しい相場観が形成され、それが韓国棋士の強さの一つになっている気がする

ストレス マネージメント

2008-07-23 09:42:21 | 生活
昨日の熱中症問題に続いてストレスの話である。
ストレス・マネージメントという言葉が一般的に使われているのはあまり聞かないが、私は個人の成長にとってストレスとの付き合い方が極めて重要だと思っているので述べてみたい。

ストレスというのは自分が何かしたいときにうまくできなくておこる現象だが、これは個人の能力開発にとって極めて重要なものである。その良い例が運動能力の工場である。クラブ活動などで運動能力を向上させようとしてトレーニングをすると翌日、筋肉痛になることがよくある。これは体に無理な負荷をかけて頑張ろうとするためにストレスがかかって筋肉に傷がつくことからきているといわれている。しかし、この傷を修復するために筋肉が増殖して修復された時には元よりも強化されている。これが筋力を鍛えるときの典型的なプロセスである。筋肉痛が一切なくて鍛える方法もあるのかもしれないが、一般的には多少の無理をして筋肉痛が起こるくらいの練習をするのが良いと思う。

しかし、あまりに負荷をかけすぎると、故障になってしまい回復に長い時間がかかる。これでは逆効果である。故障にならない程度のストレスをかけて適度な休息を取るのが能力向上には最も適している。

どこまでストレスをかけるのがよいか、どこまで行くと故障になってしまうかは個人によって異なり、本人にしかわからない。しかし、どの程度のストレスなら自分は耐えられて、能力向上に役立つかを体得している人は、いろいろな面で強いと思う。これを私はストレスマネージメントと呼んでいる。

ストレスマネージメントを体得する良い機会がクラブ活動である。新人の採用などで、体育会系のクラブに属していてレギュラーだった人などは採用されやすいというが、そのような人は自分でストレスマネージメントができると思うからである。私自身、採用面接をやっていた時には、クラブ活動をやっていたというと、その話を詳しく聞いたものである。その解答によって、お遊びでやっていたレベルなのか、自らの体をどこまでいじめられるかを体得した人かがわかる気がしたからである。

今の世の中は、ストレスをかけないようにという話が多すぎるように感じている。自分で自分にストレスをかけ、制御できるような人が本物だと思う。

大暑と熱中症対策

2008-07-22 08:52:21 | 生活
今日は大暑である。本格的暑さはこれからだろうが、梅雨明け以来暑い日が続いている。テレビの天気予報でも連日熱中症予報を出している。この熱中症予報と対策を連日テレビで放送している点が私には気になっている。

春先には花粉症予報、それを過ぎると紫外線予報、熱くなると熱中症予報と様々な情報を流しているのだが、花粉症や紫外線と熱中症は本質的に異なっていると思うのである。

まず、紫外線は万人に影響するもの、花粉症は一千万から二千万人に影響するものであるのに対して熱中症にかかるのは数十人、年間を通しても一万人はいないのではないかという点である。つまり、これはごく一部の人にしか問題とならない現象だということである。

次に、「こまめに水を飲むように。暑いところは避けて」などと繰り返し放送される熱中症対策である。これは予報よりも問題が多いと感じている。人はそれぞれ体力も遺伝子も異なっており、熱中症にかかりやすさも人によって異なっている。放送される熱中症対策は体力の衰えて熱中症にかかりやすくなっている人にとっての対策である。

私は、個人的には、熱い中で汗を流しながら活動して、体の温度が上がる、耐えられなくなったら木陰で一服して水を飲む、といった繰り返しは体を暑さに慣らすために良いことだと思っている。やりすぎると熱中症という「病気」になってしまうのだが、病気にならない範囲で体にストレスをかけることは、人間の体の調整能力を高める上で必要だと思っている。しかし、テレビを見た主婦などが家族に(特に子供に)ストレスをかけないように指示すると、ひ弱な人間が増えてしまう感じがしている。

前にも書いたが、私は毎日75分くらい歩いて通勤している。かなり速く歩いて75分なので着いた時にはT-シャツの色が変わるくらい汗をかいている。シャワーを浴びて着替えてから仕事に取り掛かる、というのが朝の行動パタンである。歩いている間一切水は飲まない。我慢しているのではなく、水を飲みたいと思わないのである。朝食でたっぷり水分を取るので、歩いている間はまだ体が水分不足を訴えてこないのだろうと思っている。仕事を始めて少し経つと喉が乾いてくるので断続的に水分を取る。放送などで言われている熱中症対策としてはあまり好ましくないのかもしれないが、こうして体に水不足の状態と水がたっぷりの状態を繰り返し作るほうが、体力維持には良いような気がしている。

このことに限らず、マスコミの健康番組はストレスをかけないように、という表現が多すぎると思っている。この点に関してはまたあらためて述べたい

本因坊戦3勝3敗

2008-07-21 08:33:47 | 囲碁
高尾本因坊に羽根九段が挑戦している本因坊戦が3勝3敗のタイになった。高尾本因坊が3連勝した時に「実力の差があるようである」と書いた私としては不明を恥じて羽根九段に謝らなくてはならないところである。

しかし、内容をみると、どうも物足りない。先日、「名人は不利になった碁が面白い」と書いたがどうもそのような巻き返す迫力がどちらにも感じられず、かといって勝敗不明のままぎりぎりの読み比べを続けて最後にどちらかが抜け出す、といった森内-羽生の将棋の名人戦に感じたような迫力も感じられない。どちらかが中盤ではっきりと優勢を築いてしまいそのまま押し切ってしまう。トッププロ同士の戦いである、先を読んで不利になると思えば不利になるほうが避けるはずである。それでも差がついてしまうのは、気付かないような妙手が隠れていた場合のはずだが、そうでも無く差がついてしまう印象である。どうもあっさりしていて物足りないのである。

最終戦、どちらが勝つかわからないが、私としては高尾本因坊に防衛してもらいたいと思う。特に個人的な好みではなく、この「レベルで本因坊になれる」という安心感を持ってほしくないのである。

ところで、本因坊とは江戸時代の囲碁の家元である。本因坊家の跡取りが歴代の名人を輩出してきたのが昭和になってタイトル化したものである。もともとは世襲制だったが、囲碁のような実力の世界で、同じ一族からそうそう才能のある棋士が出るものではない。江戸時代には家元が四家あって互いに覇を競っていたのだが、自分の家を強くするために全国を回って強そうな子供を養子にしていた。この養子縁組と英才教育、というのは囲碁に限らずあらゆる分野で才能あるトップを選び出す上で結構有力な仕組みであるような気がしている

野茂引退

2008-07-19 08:09:23 | 生活
野球の野茂英雄選手が引退した。
口数が少なく、マスコミへの露出はあまりなかったが、彼が日本選手の大リーグでの活躍の道筋をつけたことは間違いなく、その功績は大いに讃えられるだろう。

野茂選手の業績についてはこれから多くのところで語られるだろうから、私が何かを付け加える必要はないと思うが、私が注目したいのは彼の生きざまである。彼の大リーグ生活は最初のほうこそ順調だったが途中からは苦難の山だった。移籍、故障、成功、不調、解雇などを繰り返した。それでも彼は日本に帰ってプレーすることは考えたことはないと思う。

あるとき、野茂選手に対するインタビュー番組で「私はこの大リーグか好きなんです。マウンド、観客の雰囲気、打たれた時のカーンという響きなどすべてが好きです」と語っており、苦労しても日本に帰る意思はないことを明確に宣言していた。これがサッカーの中田英寿選手あたりだったら、オーナーの野球経営に取り組む姿勢、観客の応援の仕方、チームメイトとの付き合いなどともっと分析的表現をしたのだろうが、野茂選手はそれを感覚的に表現したのだと理解している。

考えるべきことは彼がなぜ日本に戻ることを考えなかったかという点である。大リーグが好き、ということは裏返せば日本の野球界に問題があるということのように思える。日本の野球界には彼にとってある種の「居心地の悪さ」を感じさせる部分があり、それが大リーグは日本と比較して良かったというのが彼の行動原理になっていた、という気がする。この際彼にマスコミではない野球関係者がインタビューをして本音を引き出すのが大切だと思う

じぶん銀行

2008-07-18 09:03:10 | 経済
KDDIが三菱東京UFJ銀行と共同で「じぶん銀行」を設立した。携帯電話で様々なお金の決済ができるようにするそうである。

私はかねてから携帯電話事業者がこのような事業をすると成功すると思っていた。その理由は一つには現在の銀行が競争体質になれておらず、脆弱な感じがする点にある。

銀行の難しさはお金を貸すことにあり、「この相手は本当に返してくれるか」という判断をしつつ適正な金利で貸す点にある。この点は素人がやってもうまくいくとは思えず、銀行にかなりのノウハウの蓄積があると思われる。東京都が始めた銀行がうまくいかなかったのもこの点にあると思っている。

その一方で預金者に対するサービスは悪く、大いに改善の寄りがあると思う。銀行の窓口は10時から3時までしか開いていないなどはその典型だと思う。その点に目をつけてセブンイレブンなど何社かがすでに参入している。

しかし、考えてみると携帯電話事業者はこの種の事業をするのに適した資産を持っている。まず、膨大な加入者数を持っており、それぞれの個人から毎月料金を徴収している点である。携帯電話に加入するときには本人確認をするのでその時点で個人の特定ができている。更に毎月料金を徴収していることで、加入者の懐具合もある程度特定できる。

もうひとつ重要な点は3000万人という膨大な顧客データベースを持っている点である。加入者が給与振込先として「じぶん銀行」を指定し日々の支払いはその口座から行う、ある程度預金がたまったら三菱東京UFJに移して運用を行う、というのは便利そうに思える。運用は難しいので三菱東京UFJに任せることになるだろう。しかし、気がついてみると巨大な預金額の銀行が出現しているということになりそうな気がする。

携帯電話の本人確認の仕組み、セキュリティなどはかなり技術が進歩している。さらに今後は電子マネーの普及が進むであろうし携帯電話には常に最先端の技術が搭載されるので、本人確認も通常の預金口座よりもむしろ安心できるものになる可能性がある。ドコモは金融に進出するのにiDというクレジットカードで入ったがこれは不正解で、今回のKDDIのアプローチが正解だと思う。

今後の動きを注目してみていきたい