ウィトラのつぶやき

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総理の専権事項とは?

2012-06-15 08:07:18 | 社会

良く、「衆議院解散は総理の専権事項」ということが言われる。解散を決定する権限は総理大臣個人にある、という意味で使われていると思う。このブログにも書いたことがあるが私はこの言葉に違和感を持っている。

調べてみると、解散権限が総理大臣にあるというのはどこにも書かれていない、より厳密に言うと解散の権限は天皇にあるが天皇は政治判断を行わないことになっているので、実際は誰かの進言によって解散を決定する。それが誰かということはどこにも書かれていないということらしい。解釈として解散の権限は内閣にあるというのが(国会では無くて)通説である。内閣不信任案が可決されると内閣総辞職するか衆議院を解散しなければならない、ということは明記されているのでそのあたりから来た解釈だろう。

しかし、解散権は内閣にあって総理大臣個人にあるのではない。解散するときは閣議を開いて閣僚の全員一致で決めることになっているようである。小泉内閣の時には解散に反対した閣僚がいた。そこで小泉総理はその閣僚を罷免して自分がその役職を兼任することによって解散を決定したそうである。

つまり、解散権を総理が持つというのは閣僚の任免権を総理が持つ、というところから来ているようである。衆議院選挙が終わると過半数を握る与党から総理大臣が選出される。そしてその総理大臣が閣僚を任命する。従って閣僚の任免権が総理大臣にあるというのは納得できる。

しかし、閣僚の任免権に関してでも「総理の専権事項」と呼ぶことには私は抵抗感がある。野田総理は最近、内閣改造を行った。国会で野党が「どうしてこの人を変えたのか?」と質問しても「現在の情勢にマッチしているからです」としか回答しない。これで良いのだろうか。

総理が大臣の人事を行うこと自体には問題は感じない。しかし、国会会期中に大臣を変えるとなれば国政の継続性に問題が生じる。それをあえて行うことに対する国民に対しての説明責任はあるはずである。野田総理はその責任を全く果たしていない。解散に関しても同様である。解散を総理が決めること自体には問題は無い。しかし衆議院を解散すれば国政は停滞するし、費用もかかる。国民への説明責任はあるはずである。つまり、「反対派を困らせるための解散」は許されるべきではない。

今の政治家はこの点をはき違えているとしか思えない。昨年菅総理の頃に「菅おろしをするなら解散」といったことが報道された。こんなことも許されるはずがない。政治家が間違えているならマスコミがいうべきだと思うが、マスコミは「解散しそうだ」ということは大々的に報道するが「解散に大義はあるのか」ということは追及しない。

この問題に関しては政治家はほぼ全員がはき違えていると思うので政権交代しても変わりそうにない。国民が声を上げるしかないと思うのである。


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