先日書いたテーマであるが、今日はこの事を掘り下げてみようと思う。
近年の日本では政治家よりも官僚のほうが力が強く、主導権を持っていることが多いと思っている。最近の官僚の相次ぐ不祥事は、政治側が権力を取り戻そうとした結果だと思うが、果たして良い方向なのかと疑問を持っている。
政治家の目指す方向と官僚の目指す方向が一致しているときが一番良いのだが、官僚は自分の組織を最優先に考えるので、全体最適の発想が弱い。それを政治家が適宜正してくれるのが理想である。しかし、政治家には質の低い人も少なくなく、官僚よりもむしろ視野の狭いような人も多い。政治家にはばらつきが大きい(総理大臣になるような人でも)ので私としては官僚のほうが安心感があると考えている。
アメリカは政治家の力が強い国で、大統領が変わると官僚の局長クラスも入れ替える、というのが普通である。このような政治形態では政治家の質が極めて重要で、高級官僚の人選が不安定な現在のトランプ政権では、4年も経てばアメリカの国力は相当大きく低下すると思っている。
これに対して中国は政治家がおらず、全てを官僚が仕切っているような状況だと思っている。これは私の友人などから聞いた話を元に私の理解している中国の仕組みであるが、中国の官僚は全員が共産党員である。日本の公務員試験のような試験を受けて共産党に入党する。そうすると、特に上級試験通過者のような人は地方の役所や企業に派遣され、それなりに責任のある地位を与えられる。中国には国有企業が多く、国有企業では共産党の影響はもちろん非常に強いが、民間企業でも内部に共産党組織を持つのが普通である。党員はそれぞれの組織内の一員として組織がうまく回るように努力する。
共産党員の評価は360度評価のようになっており、上司、同僚、部下など関係者の意見を幅広く聞いて、本当に優秀で人民のために尽くす人が昇進するように作られている。このあたりの仕組みは日本の官僚よりも、あるいは日本の企業よりもしっかりしているという印象を私は持っている。人事異動は結構あり、政府の中枢に入るような人は色々な地方の色々な業務を担当し成果を上げ続けたような人だけが入ってくる。実際、政府の中枢に入る人は優秀な人が多いと私は思っている。
中国の仕組みの問題は共産党がおかしな方向に向かい始めた時に歯止めをかける仕組みが無い点である。文化大革命のときにはこれでかなり危うい状況になったが、鄧小平のリードで経済は自由主義経済、政治は集団指導体制を確立し、中国は1990年以降世界のどの国よりもうまく運営してきたと私は考えている。中国の政治の仕組みは古代ローマ帝国の共和制に似ており、最近の習近平への権力の集中はアウグスツスがローマ帝国を帝政に移行したのと似ていると思う。中国共産党の中央政府には批判勢力がいないので、その力を利用してうまくやろうとする人は必ず出てきて、汚職が避けられないのがこの仕組みの弱点である。習近平がかなり掃除を行ったのだが、しばらくすればまた汚職がはびこることは避けられないだろう。これを仕組みとしてどう作りこむかは習近平自身の大きな課題だと思っている。自分が引退した後の国家主席の暴走を防ぐ仕組みをどう作りこむかは、もっと大きな課題だろう。
日本でこのような中国方式を導入できないものだろうか? 政治家をなくすのではなく、政治家は監査役的な位置づけにする。総理大臣は官僚から選ぶ、大臣級には国全体のことを考えられる人材を官僚から選ぶ、というような仕組みである。必要に応じて民間から高級官僚を招いても良い。
民主主義では政治家は国民から評価される国民を代表する人たちであるので、その人たちが国を運営するのが当然だ、という考え方は確かにある。しかし、民主主義がきちんと根付いていない国(日本もそうだと私は思っている)では選挙で必要な人材が選ばれるとは限らず、むしろ国民が誤った選択をしてしまうリスクのほうが高いのではないかと感じている。
民主主義をきちんと日本に根付かせるというアプローチと官僚の質を高めるというアプローチは同時に並行して進めることができるが、実現するまでの間、どちらが権限を持つほうが良いかという問題はあると思っている。