ウィトラのつぶやき

コンサルタントのウィトラが日頃感じたことを書いていきます

国を引っ張るのは政治家が良いか官僚が良いか?

2018-04-28 16:46:50 | 社会

先日書いたテーマであるが、今日はこの事を掘り下げてみようと思う。

近年の日本では政治家よりも官僚のほうが力が強く、主導権を持っていることが多いと思っている。最近の官僚の相次ぐ不祥事は、政治側が権力を取り戻そうとした結果だと思うが、果たして良い方向なのかと疑問を持っている。

政治家の目指す方向と官僚の目指す方向が一致しているときが一番良いのだが、官僚は自分の組織を最優先に考えるので、全体最適の発想が弱い。それを政治家が適宜正してくれるのが理想である。しかし、政治家には質の低い人も少なくなく、官僚よりもむしろ視野の狭いような人も多い。政治家にはばらつきが大きい(総理大臣になるような人でも)ので私としては官僚のほうが安心感があると考えている。

アメリカは政治家の力が強い国で、大統領が変わると官僚の局長クラスも入れ替える、というのが普通である。このような政治形態では政治家の質が極めて重要で、高級官僚の人選が不安定な現在のトランプ政権では、4年も経てばアメリカの国力は相当大きく低下すると思っている。

これに対して中国は政治家がおらず、全てを官僚が仕切っているような状況だと思っている。これは私の友人などから聞いた話を元に私の理解している中国の仕組みであるが、中国の官僚は全員が共産党員である。日本の公務員試験のような試験を受けて共産党に入党する。そうすると、特に上級試験通過者のような人は地方の役所や企業に派遣され、それなりに責任のある地位を与えられる。中国には国有企業が多く、国有企業では共産党の影響はもちろん非常に強いが、民間企業でも内部に共産党組織を持つのが普通である。党員はそれぞれの組織内の一員として組織がうまく回るように努力する。

共産党員の評価は360度評価のようになっており、上司、同僚、部下など関係者の意見を幅広く聞いて、本当に優秀で人民のために尽くす人が昇進するように作られている。このあたりの仕組みは日本の官僚よりも、あるいは日本の企業よりもしっかりしているという印象を私は持っている。人事異動は結構あり、政府の中枢に入るような人は色々な地方の色々な業務を担当し成果を上げ続けたような人だけが入ってくる。実際、政府の中枢に入る人は優秀な人が多いと私は思っている。

中国の仕組みの問題は共産党がおかしな方向に向かい始めた時に歯止めをかける仕組みが無い点である。文化大革命のときにはこれでかなり危うい状況になったが、鄧小平のリードで経済は自由主義経済、政治は集団指導体制を確立し、中国は1990年以降世界のどの国よりもうまく運営してきたと私は考えている。中国の政治の仕組みは古代ローマ帝国の共和制に似ており、最近の習近平への権力の集中はアウグスツスがローマ帝国を帝政に移行したのと似ていると思う。中国共産党の中央政府には批判勢力がいないので、その力を利用してうまくやろうとする人は必ず出てきて、汚職が避けられないのがこの仕組みの弱点である。習近平がかなり掃除を行ったのだが、しばらくすればまた汚職がはびこることは避けられないだろう。これを仕組みとしてどう作りこむかは習近平自身の大きな課題だと思っている。自分が引退した後の国家主席の暴走を防ぐ仕組みをどう作りこむかは、もっと大きな課題だろう。

日本でこのような中国方式を導入できないものだろうか? 政治家をなくすのではなく、政治家は監査役的な位置づけにする。総理大臣は官僚から選ぶ、大臣級には国全体のことを考えられる人材を官僚から選ぶ、というような仕組みである。必要に応じて民間から高級官僚を招いても良い。

民主主義では政治家は国民から評価される国民を代表する人たちであるので、その人たちが国を運営するのが当然だ、という考え方は確かにある。しかし、民主主義がきちんと根付いていない国(日本もそうだと私は思っている)では選挙で必要な人材が選ばれるとは限らず、むしろ国民が誤った選択をしてしまうリスクのほうが高いのではないかと感じている。

民主主義をきちんと日本に根付かせるというアプローチと官僚の質を高めるというアプローチは同時に並行して進めることができるが、実現するまでの間、どちらが権限を持つほうが良いかという問題はあると思っている。


横浜市と川崎市のゴミの扱いの違い

2018-04-23 09:58:16 | 生活

土曜日はバスで向ヶ丘遊園まで行って、川崎の生田緑地を通ってあざみ野まで歩いて戻ってきた。この緑地は湿原があったりして私の好みの場所で年数回は行っている。いつもは桝形山に登って湿原のほうに歩いて西口から抜けるのだが、この時は民家園の前を通って、プラネタリウムの横を通り、岡本太郎美術館の前を通って西口に出た。いずれも入ってみたくなる施設だが私が行くのはいつも朝の開館前の時間帯なので10年以上中に入ったことは無い。それでも周りの公園や森は歩いていて気持ちが良い。

生田緑地の西口からは聖マリアンナ医大の横を通って川崎北部市場の中を通って戻ってきたのだが、歩いていて、青葉区ではよく見かける「カラスいけいけ」という緑色の組み立て式ゴミ入れをほとんど見かけないことに気が付いた。ゴミ袋の上からネットをかぶせているわけでもなく、金属製の網状のしっかりしたゴミ入れが殆どである。「川崎市は市がごみ入れを配布しているのだろうか?」と不思議に思った。

日曜日には寺家ふるさと村から町田市の三輪に抜けて、王禅寺の横を通って戻ってきた。歩きながら見ていると、全てが金属製のごみ入れというわけでは無く、プラスチック製や手作りの物など色々なタイプがあることが分かったが、やはり「カラスいけいけ」はほとんど見かけない。私が観察した限りでは川崎市では「ゴミ置き場」が決まっている。多分、ごみ置き場を特定するように市が住民に求めており、宅地開発した時点でゴミ置き場を設計上盛り込むので、そこにしっかりしたゴミ入れを作るようになる、ということではないかと思う。

これに対して横浜市はごみ置き場を特定するように求めない。開発業者もごみ置き場の近くだと価値が下がるので設計には盛り込まない。しかし、人が住み始めればゴミ置き場は必要になるので自治会などで「ごみ置き場当番」を決めて、「今月はあそこの家の前がごみ置き場」などと持ち回りにする。そのために、「軽くて持ち運びしやすいネットをゴミ袋の上にかぶせる」という方式が普及したのだが、この方式だとカラスが中の生ごみをつついてまき散らす、という被害がなくならない。そこで軽くて組み立て容易な「カラスいけいけ」が近年発売されて普及してきているというのが実態のようである。

どちらが良いかと言えば、川崎市方式のほうが良いだろう。小さなことだが、行政の姿勢の違いが現在の都市の勢いの違いにつながっているような気がする。町田市は観察した範囲が小さくて良く分からないが横浜方式のように感じた。


横浜市青葉区が男性の長寿全国トップ

2018-04-19 10:18:59 | 生活

日米首脳会談が行われ、今朝共同記者会見があった。私は散歩をしながらラジオで同時通訳を聴いていたのだが、「中身は何もなかった」というという印象である。トランプ政権は安倍政権を「死に体」とみて踏み込んで議論をしなかったのだと思っている。安倍政権に関しては別途振り返るとして今日は青葉区の長寿の話題である。

最近、長寿の市区町村ランキングが発表になり、私が住んでいる横浜市青葉区がトップになった。それだけではなく、2位が川崎市麻生区、3位が東京の世田谷区、4位が横浜市都筑区で、この近辺に長寿地域が集まっている。

麻生区と都筑区は青葉区に隣接しており、いずれも私の散歩の範囲内である。特に港北ニュータウンは、都筑区と青葉区にまたがっているが、散歩道(緑道)が整備されていて、車が通るメインストリートとは立体交差になっていて信号を渡ることなくほとんどの場所に行ける。それも1本だけの道ではなく、かなり網の目のように緑道が広がっているので歩いていても楽しい。

青葉区、麻生区、都筑区は40年前くらいに田園都市線の延長とともに大規模に造成された地域で、団地も一戸建てもあるが、道路が良く整備されているし、田園都市線には踏切は一か所もない。それも街のイメージを良くしていると思う。その頃に40代、50代で家を買った人たちがいま80歳代後半から90歳代になっていて、この人たちの健康状態が良いということだろうと思う。

比較的裕福なサラリーマンで、年金もたっぷりもらえた世代の人たちが、引退して緑豊かな地域で散歩をしたりして穏やかに暮らして居るという様子がうかがえる。畑も多く、逆に路地裏のごちゃごちゃと家が密集しているような場所は殆どない。歓楽街もなく、飲み屋が軒を連ねているような場所もないが、それなりに飲食店はあり、比較的質は高いと思う。

但し、このブログにも何度か書いたように田園都市線が劣化してきているので、20年後にはどうなっているかは分からないという感じはしている(10年は大丈夫だと思う)。これからは都筑区の寿命が次第に延びてきて青葉区は抜かれるように思う。

いずれにせよ、これからのこの地域の寿命には現在の私のような世代がどう活動するかが大きく影響するだろう。私も自由な時間が増えてきているので、地域のありかたにも少しずつかかわりを深めていこうかと思う。



働き方改革は「ゆとり教育」の企業版ではないか

2018-04-18 12:01:57 | 社会

何度か書いているのだが、政府の進めようとしている働き方改革が私にはどうもしっくりこない。私が政府案のうちで一番評価しているのは「高度プロフェッショナル制度」なのだが、これは厚労省の失態と野党の反対でつぶれそうである。結局、残業規制のような労働時間を短くする方向だけが進みそうである。これは私に失敗に終わった「ゆとり教育」を思い起こさせる。

「ゆとり教育」も問題点の捉え方そのものが間違っていたわけではない。それまでの「詰め込み教育」には問題が多いとして、子供に自由に才能を伸ばさせるように「ゆとり」を持たせようという発想だった。だが、目的は「子どもの才能を伸ばす」ことなのにそれを「ゆとりを持たせる」ことを目的に転嫁してしまったために学力が落ちただけに終わってしまった。これには当時の日教組から教師の負荷を下げる方向への圧力が働いていたのだと私は思っている。そして、「ゆとり教育」に問題があったとして廃止された際に、文科省は教師に対する締め付けを強化し、事細かに報告を上げさせるようにして、教えること以外の教師の負荷が増えてしまったと認識している。

現代社会で重要なのは答えのある問題で正解を見つける能力よりも、誰も答えを知らない問題に対して解決のためのアプローチの方法を見つけて少しでも現状を改善することである。最近はそのような能力を高めさせようとして色々試みられているがまだ決定版は見つかっていない。「そのような能力が高い人が一流大学の大学入試に受かる」という仕組みを作れば改善されると思うが、入試方法でそのような工夫が試みられているかどうかは不明である。

働き方改革も同じである。現在の日本の企業労働者の問題は労働生産性が低いことである。それでも成果を出し続けるために長時間労働が行われている。しかし、労働生産性を高める方策は各社で考えて、長時間労働だけを法律で抑えれば、大部分の企業は収益が減って不景気になるのは目に見えている。おそらく給料削減、ということになるだろう。

働き方改革では日本電産の永守重信CEOの考え方に共鳴できる。永守氏は「24時間働く」という態度で日本電産を大きくしてきた人物だが、ここへきて「働き方改革」「残業削減」を強く打ち出している。それは会社の規模が大きくなり、これから成長していくには世界中に支社を持つグローバル企業に脱皮せざるを得ないと考えたからだという。日本電産のライバルにはドイツ企業が多いが、彼らの労働生産性は明らかに日本より高く、少ない労働時間で日本電産に遜色ない成果を上げている。今後ドイツ企業を買収してドイツ人を多数雇用することを考えると、日本人の労働生産性がドイツ人並みに高くないとやっていけないと考えた、とのことである。そして、徹底的に無駄を排除して業務を効率化して、アウトプットを減らさずに労働時間を削減する取り組みを全社的に行っている。

私は工場の働き方などには詳しくないのだが、日本電産でやろうとしていることはトヨタではすでに実践されているのではないかと思っている。だからトヨタは世界中で多くの人たちを雇用しており、最も利益率の高い大手の自動車メーカになっている。トヨタは「トヨタ式改善方法」を隠しているわけではなく、OBが定年後にほかの企業に指導に行ったりしている。私の勤めていた企業も向上などでは指導を受けていた。指導を受けた時には大きく改善するのだが、そのままその企業が一流企業になることは少ない。それは「カイゼン」は絶えず必要で、企業のDNAとして組み込まれない限り、長続きしないからだと認識している。

いずれにせよ、労働生産性を上げる動きはごく一部の企業にしか見られていない。それで長時間残業を規制するようなことをやれば、競争力が落ちて収益が下がるのは間違いないだろう。能力が低いのに人並みの生活をしたければ、長時間働くしかないと思う。政府が労働生産性を高めるように法律で規制することはできない。できるのは規制緩和だけであり、生産性の低い企業には退出してもらうことだけなのだが、それもやる気配はあまり感じられない。


ザ・リアルグループ

2018-04-15 06:20:46 | 生活

日の出の時間が早くなり、私の起床時間も早くなってきた。私は目覚まし時計を使わず、明るになると起きる、という生活をしていて、朝起きてから1時間くらいで朝食を終えて家を出る。冬の間は7時過ぎに家を出ていたのだが、昨日は6時半過ぎに家を出た。

いつも2時間程度の散歩を経てウィトラのオフィスにつく。その間、ラジオを聴いている。7時代は平日はNHK-AMのニュースその他、土曜日はNHK-AMを聴いている。いつもはピーター・バラカンのWeekend Sun Shineを聴いている。この日はNHK-FMにした。土曜日の朝は「ビバ・合唱」という番組をやっており、たまに聴くことがあるのだがいわゆる「合唱コンクール」のようなクラシック系の合唱であまり好きではなかったのだが、ラジオ体操の時間に家を出たので、「ビバ・合唱」にしてみたものである。そこで「ザ・リアルグループ」特集をやっていた。

私は全く知らないグループだったが、素晴らしい歌声だった。丁度「アカペラ in アカプルコ」という曲をやっていた。ジャズの曲で何度も「アカペラ in アカプルコ」を繰り返す。聴いていてこれは「アカペラグループか」と思った。伴奏の打楽器やベースの音のように聞こえていたのも全部人の声のようである。リズム感も、ハーモニーも素晴らしくたちまち好きなった。ジャズだけでなくスウェーデンの子守歌のようなしっとりした歌も歌っていた。

このグループはスウェーデンのアカペラグループで、男女5人の混成グループである。私は全く知らなかったのだが、アカペラの世界では世界的に有名にグループで何度も日本でも公演会をやっているらしい。私は元々ア・カペラは好きなほうでゴスペラーズなどは好きなミュージシャンであるが、特にア・カペラを聴きこもうと思ったことは無かった。しかし、このラジオを聴いて、グーグルホームでザ・リアルグループを聴いてア・カペラを少し聞きこもうと思っている。

ザ・リアルグループはネットで検索すれば簡単に出てくる有名グループだが、検索しようとは思わなかっただろうと思っている。たまたま「ビバ・合唱」で出会わなかったら、一生知らずに過ごしていたのではないだろうか。こういう自分の興味と関係なく様々な情報に触れて、そこから興味が湧いてくるアイテムを見つけるところがラジオ(放送)の良さだと思う。ピーター・バラカンの番組も時々私の知らなかった良いアーティストを教えてくれる。質の良い(自分に合った)放送は大切だ、と改めて思った。

 


春たけなわ

2018-04-12 09:41:28 | 生活

4月も中旬に入り、春たけなわという感じになった。桜は先日の強風で散ってしまったが、他に様々な花が咲いていて眼を楽しませてくれる。私が散歩していて目に付くのはハナミズキの濃いピンク色である。花だけではなく、プラタナスや銀杏といった冬の間は枝だけになっていた街路樹もいつの間にか緑の葉が出てきている。常緑樹も濃い緑の葉の先に黄緑色の新芽が出ていて生命の息吹を感じる。今日、竹林の横を歩いていたら持ち主の家族と思われる人たちが筍を掘っていた。かなり太い筍を多数収穫していたのでおそらく販売するのだろう。もう2週間ほどすると、散歩している私にもわかるような地上に伸びてきた筍を見ることができるだろう。筍の成長は生命力の象徴のような気がして私の好きな風景である。

例年はこの時期になればスギ花粉は終わって私の花粉症はなくなるのだが、今年は症状は軽くなったもののまだくしゃみが出る。私もヒノキの花粉にも花粉症が出始めたのかもしれない。朝の2時間の散歩のときにはゴーグルとマスクをして歩いている。4月に入ったあたりから2時間歩いてウィトラのオフィスに到着するとシャワーを浴びるようになった。真冬でも汗をかくので到着するとシャツを取り換えていたのだが、風呂場の寒さや体を拭いているときの寒さが嫌なのでシャワーを浴びようという気にはならなかった。最近は到着してしばらくは歩いてきた名残りで体が温まっているので裸になるとむしろ気持ちが良い。シャワーを出し始めると最初は冷たい水か出るのだが、その冷たい水を頭にかけ、頭で温まってきたことを感じてから他の部分にシャワーをかけるのが私のやり方である。

シャワーを終えると、軽くストレッチをして冷たい牛乳を一杯飲んでからパソコンを立ち上げて仕事に取り掛かるのがこの時期の私のルーティンである。


国を引っ張るのは政治家か官僚か?

2018-04-11 10:36:31 | 社会

財務省の森友学園関連の文書改竄が明らかになるとともに、防衛省の日報隠し、厚労省の働き方改革関連のいい加減なデータ製作、文科省の前川喜平氏の名古屋の講演に対する不自然な問い合わせなど、多くの省庁で次々と官僚の不祥事が明らかになっている。これらはいずれも政治家からの圧力に屈した官僚が不適切な行動に出たもので、政治家や官僚自身がいくら圧力を否定しても信じる人は極めて少ないだろう。圧力もないのにこれらの行動に出るというのはいかにも不自然だからである。私はこの現象は安倍政権の圧力に対して官僚側が反撃に出たもので安倍政権の末期症状だと感じている。自民党内にもそんな雰囲気が出てきた。

おそらくどこの国でもそうだろうが、政治には官僚と政治家の権力の綱引きが常にあり、ここ数年は政治家側にバランスが偏っていたのだと思っている。今回はこの権力のバランスがどうあるのが望ましいかを考えてみたい。

官僚は同じ省内で長年仕事をする特定分野のプロ集団である。これに対して政治家は全体を俯瞰して官僚を動かす役割を持っている。しかし、日本で政治家がどれだけ全体を俯瞰して動いているかは大いに疑問である。私は官僚には何人か知人がいてその仕事ぶりも知っている。しかし、政治家の知人はおらず、サラリーマンのころは政治家の言動はテレビや新聞で知るばかりだったので、「政治家は選挙に当選するために人脈作りにあくせくしているばかりでろくな見識を持っていない」、と私は感じていた。ウィトラを始めて国会中継をテレビで見るようになって、「結構勉強している政治家もいる」と見直す気持ちにはなっているが、やはり官僚に比べると層が薄く、日本を動かすことは無理だろうと思っている。

会社に例えると官僚は従業員で政治家は取締役である。政治家の取締役はほぼ全員が社外取締役に相当するだろう。ただ、企業の社外取締役は他に本業を持つ非常勤が多いのに対して政治家は常勤に近く、コミットメントは深く、その分権限も大きい。先日紹介した「日本、呪縛の構図」では、著者は権力は政治家側にあるのが良い、という立場だった。実際のところ我が国でも官僚は政治家に「お仕えする」という言い方をしており、制度上は政治家有利になっている。

官僚といえどもサラリーマンなので人事権を握られている相手には弱い。しかし、日本の政治は不安定で長期政権が続くことは少ない。仮に政治家から「これをやれ」と命じられても、「この政権は1年持たない」と思えばやらずにおいて自分が重要だと思うことに注力して、次の大臣が来た時には「これが重要です」とレクチャする。こんな構図で実態としては日本では官僚の影響力が政治家を上回っているのだろうと思っている。長期政権だと命令通りにしていないことがばれてしまうのでやらざるを得ない。大臣側も自分にとって使いやすい人物が明らかになるので、相対的に政治家の力が強くなる。これが現在の安倍政権の実態だろう。

官僚の問題点は自分の組織を第1に考える「ムラ意識」が強い点である。日本人は全体としてこの傾向が強いのだが、官庁は特に「ムラ意識」が強いと思っている。これは若手の官僚が仕事に見合った待遇を受けておらず、高齢になった時の生活を保障するということで補償を受けているからだと思っている。「全体最適のためには自分の居る組織は縮小しても構わない」というような考えの人は組織から浮いてしまい外される、というのが実態だと思われる。これを補正するのが政治家の役割なのだが、政治家のレベルが低いと、自分の都合に合わせるように圧力をかけるような人がどうしても出てくる。

この状況を改善するのに政治家のレベルを上げるような仕組みを考えるか、官僚が全体最適を考えられるようにするか、どちらが良いかが問題だが、私には政治家のレベルを上げる方法は思いつかず、官僚のレベルを上げる方策を考えるほうが良いのではないかと思っている。日本では人事は密室で決められることが多いが、政治家の官僚人事に対する介入に対しては説明責任を求めるというようなアイデアはどうだろうか?


米中の貿易戦争をアメリカ人は支持している

2018-04-08 13:57:32 | 経済

3月下旬からトランプ大統領が仕掛けて米中貿易戦争の様相を示している。最初は鉄鋼とアルミに関税をかけるという話で、これは中国だけでなく世界中が対象となっていた。欧州は対抗措置を発表して反発し、適用除外となったが、日本はそのまま関税対象となっている。この関税は既に実施されている。さらにアメリカは中国が知的財産を侵害しているとして「1300項目の関税5000億ドル相当を検討する」と発表した。実施はまだ先である。これに対して中国は鉄鋼とアルミに対する対抗関税を発表し既に嫉視している。更に1300項目に対する対抗措置として106項目の関税(金額としては同額)を発表している。トランプ大統領はこれを受けて中国に対して「さらに1000億ドルの関税上積みを検討する」と発表しており、中国も対抗措置を発表している。第3ラウンドまで入ってきたのでこのままエスカレートして貿易戦争に突入するリスクがある、と株価は大幅に下がっている。

日本では識者が貿易戦争は「アメリカのためにもならない」と言っている意見が多く報じられているし、アメリカ国内でも、特に経済界はこの措置に反対であると報じられている。私自身もこれはアメリカのためにはならないし、中国と貿易戦争をしたら負けるのはアメリカだと思っている。その理由はアメリカよりも中国のほうがはるかに政府の権限が強く、様々な手を打てるとことである。

本当にアメリカ全体が反対なのかどうかは疑問だと思っている。こういう問題は利益を得る人と損失を被る人が居るので、当然賛成者と反対者の意見が分かれる。日本ではそのうち反対者の意見ばかりが報道されている印象である。これはカエサルの言葉にある「人は見たいものしか見ようとしない」という現象の表れで、日本のメディアのレベルの低さを示しているのではないだろうか。実際、トランプ大統領の支持率は3月下旬から下がるというより上がり気味だという。トランプ氏はアメリカのためを思うよりも支持率を上げるためにやっているのだから、支持率が上がるならもっと激しくやるだろう。実際に中国の反撃を受けて景気が悪化して初めて、反対の声が強くなるのだろうと思っている。それまでの間(おそらく半年ほど)にどこまでエスカレートするかが問題である。

日本政府にしても日本の経済界にしても「貿易戦争はアメリカのためにならない」というのは良いが、実際にトランプ大統領が日本の意見を聞くと思ってはいないだろう。その場合にアメリカが日本にとっては好ましくない行動に出る可能性は高く、その際どういう行動をとるのが良いかはよく考えておく必要があるだろう。日本もヨーロッパのように関税の対抗措置を行なえば、「日本はアメリカには逆らわない」と思っていたアメリカの政府関係者も驚くかもしれない。結果としてアメリカが矛を収めるのが早まるかもしれない。それが日本にとって良いやり方かどうかは自信は無いが、少なくとも「人は見たいものしか見ようとしない」という態度からは脱却してありのままの現実を見つめて対応策を練るべきだと思っている。