ウィトラのつぶやき

コンサルタントのウィトラが日頃感じたことを書いていきます

韓国の友人との話

2011-06-29 08:34:38 | 生活

昨日、韓国の友人が大学に訪ねてきてくれて一緒に飲みに行った。彼はサムスンの代表として日本の標準化委員会に参加していた頃からの知り合いで、一時は3GPPの副議長の勤めていた人である。現在はサムスンを退社して韓国政府の一員となっている。昨日の訪問は個人的なもので、部下を一人連れて夕方大学に来てくれて、一緒に大学の秘書の人が教えてくれた自由が丘の「松田」という小さな小料理屋に行った。鹿児島出身の人がやっているらしく鹿児島直送の魚を扱っている、ということだったがどれも吟味されている感じがしておいしかった。

政府でも通信研究開発関係を担当しているので技術の将来はどうなるかという話から、経済の話、アジアの連携の話までいろいろな話をした。その中で私が知らなかったことで面白く感じたのは韓国でもいよいよ周波数オークションが導入されるという話である。それも来月から始まるらしい。日本でも民主党政権になったときに周波数オークションの話で盛り上がったが、その後、内紛やら東日本大震災やらでこの話はどこかに行ってしまった。直接の関係者がオークションをやりたくない人たちなので、強い外圧が無いと変わらない。日本ではやるとしても4-5年先になりそうな感じがする。

国の研究機関の話も話題に出た。日本ではNICT、韓国ではETRIがその組織に相当するのだが、どうもETRIのほうがうまく機能している、というのが共通の見方である。両者の違いはETRIが実用につながる技術と将来技術の両方を研究しているのに対して、NICTは将来技術ばかりを研究している点にある。NHKが放送で企業名を殆ど出さないことに代表されるように、日本の政府は特定の企業と結び付くことに対して非常に警戒感がある。それで実用化が相当先になりそうなテーマばかりを研究する、という感じがする。批判はあっても日本のためになることならやるべきなのに批判を恐れる面が強く出過ぎている感じがする。

アジアの協力の話も出た。ヨーロッパがアメリカに対抗してまとまりを見せてきているのに対して、アジアの有力国である日本、中国、韓国はまとまる気配を見せていない。中国は自分だけで対立軸になりえると思っているようだが日本と韓国はどうするのか、日中韓の話し合いの場などはあるようだが、実態として進んでいるとは思えない。まず日韓である程度合意ができるようでないと難しいだろう、という点で意見は一致した。

美味しいお酒に、美味しい肴、そして楽しい会話を楽しんだ夕べだった。


発電より蓄電

2011-06-27 08:34:17 | 経済

菅総理は「再生可能エネルギー特別措置法案」の実現に執念を燃やしている。これは国民のためを思ってというよりも、自身の総理に地位の延命策だ、と多くの人が語っているし、私もそう思う。しかし、この法案自体が良いことなのかどうかというコメントはあまり聞かれない。だから議論は上滑りで深まって行かない。ここに日本の報道の問題があると思う。

私の理解ではこの法案は太陽光エネルギーなどの発電を電力会社の強制的に買わせる法案である。そもそも、なぜ「再生可能エネルギー」と呼ぶのかが分からない。太陽エネルギー立って使えばそれまでである。過去に蓄積されたエネルギーである化石燃料ではない、ということのようだが、化石燃料だろうが太陽光エネルギーだろうが一度使えば再利用の可能性は同じなので命名した人は良く分かっていない人だと思っている。

それはともかく、この法案はドイツなどでは大分前から実施されているもので、太陽光発電などを促進するのは有力な手段である。しかし、震災からの復興とは何の関係もない。10年単位の日本の産業政策として捉えるべきである。再生加納エネルギーはそれはそれで進めればよい。ただし拙速におかしなルールにならないことには注意する必要がある。

現在の日本の問題はむしろ原発を再稼働できないことによる停電対策だろう。停電対策としては私はむしろ蓄電機の設置を充実させることだろうと思っている。今、電気自動車などで大容量の蓄電池の普及が始まりかけている。このような蓄電池があれば停電の時の一時的な電源としては助かるし、暗い時には発電できない太陽光発電よりも安心感は強いだろう。

電気自動車は世の中のトレンドであり産業はこの方向に向かっている。家庭に蓄電池を置く家庭が増えることはこうした電気自動車の普及の助けになるはずである。エネルギー税策を論ずるならこういった比較を論じてほしいものである。


想定の範囲内:復興構想会議の答申

2011-06-26 06:05:41 | 社会

復興構想会議の答申が出た。内容を見て「やはり」という思いを禁じ得ない。菅総理に頼まれた御用会議以上のものを感じられない。菅総理がやろうとしたことに対してアリバイを与えたという印象である。

私には、増税とか今菅総理が延命策として騒いでいる再生可能エネルギー買取とかに「国民の支持がある」という印象を与えるために使われるだろう。それ以上のものは感じられない。復興構想は上手く使えば日本の再発展へのシナリオを付けることができたと思うのだが、最初からそういうことを求めていなかったと思われるので仕方がない。

唯一評価できると思うのは、これで終わりになりそうだという点である。こんな会議をだらだら続ける意味は無いので早くやめることには意義がある。

この種の会議は三分の一ぐらいは主催者の息のかかった人、三分の一は人畜無害の人、三分の一はまともな提言をできそうな人で構成され、思惑と違う方向に向かいそうになると、息のかかった人がどんどん発言して違う方向に持っていく。メンバーを見るとまともな議論ができそうに思うが実はそうではない。委員の中には不満の溜まった人が少なくないのではないかと思っている。マスコミがそういう人のコメントを取れれば面白いと思うのだが、どこまで期待できるだろうか。

菅総理の延命策は目に余る。そのうち復興が遅い方がいつまでも首相を辞められなくて良い、などと言い出しかねない、復興を目的としているのではなく延命を目的としているように感じられる。しかし総理を変えるとしてもどう変えるかという構想は誰も持っていない感じがする。自民党の谷垣総裁ですら、自分が次の総理になると思って動いているようには感じられない。

そんな中でも現場は確実に動いていく。復興は進むだろう。私が心配するのはむしろ企業を犠牲にして復興の努力をしているポーズをとる首相の動きが経済に大きな打撃を与えることである。それも仕方のないことかもしれない。失政で経済が大きく悪化することで弱い会社が続々倒れる。その後で焼け野原に新しい芽が出てくる、といった方法でしか日本の再生は実現しないのかもしれないという気持ちも自分の中で膨らみつつあるこの頃である。


富田秀穂さんの思い出

2011-06-24 09:14:40 | 生活

昨夜は、私がNEC時代にお世話になった富田秀穂さんのお通夜に行ってきた。享年64さん、がんで入院されていたそうである。

今日は富田さんの思い出を書いてみたい。富田さんは私が中央研究所で課長だった頃に宇宙開発事業部から人事異動で私の下に入ってきた。私にとっては初めての年上の部下だった。事業部から研究所に来るのも珍しいのに年上の部下である、想像するのは仕事はできるが人間的にあくが強い人である。しかし、実際に会ってみると仕事はできるし、人柄は穏やか、物腰はむしろ低いほうの人である。

こんな人がどうして出世が遅れているのか、富田さんが来られてから分かったのだが、課長試験を受けないからである。当時のNECの課長試験はかなり難しく、経理や経営の座学に加えて、論文審査がある。しかし、富田さんは「あんなものは無駄だ」といって試験を受けようとしない。実力はある人なので試験を受けてもらって管理業務がいやなら専門職の道もある、といって何度は私は話をしたのだが、何度目かに「私はいつまでもNECに居るつもりはなく、いずれ独立して、自分の会社で試作を請け負うようなことをしたいと思っている。そのためには現場から離れたくない。専門職とは言え管理直になった人を見ると現場との関係が希薄になってくる感じがする」と言われて、それ以上強くは勧められなかった。

富田さんはいわゆる職人気質の人である。しかし、技能だけでなく、技術的バックグラウンドも深く、理論もきちんと理解している。理論がどう実際の装置に落とし込まれていくかを分かっている人なので、若い研究者にとっては大変良い指導者だった。後に私が中央研究所から開発研究所に移ったときに、15人ほどいた部下の研究者の中で、富田さんだけ私と一緒に移ってもらった。物を作れる人だからである。開発研究所は元々NECホームエレクトロニクスの研究所が母体だったので、無線の技術が分かる人は殆どいなかった。富田さんがいなければ開発研究所はうまく立ち上がらなかったのではないかと思っている。

10年ほど前に予定通り独立されて、自分の会社を立ち上げた。経営に興味のある人ではないので、高度な試作を請け負う、個人工務店という感じだったが、そうなってからもNECに人は色々相談に行っていた。いわゆる大会社から頼りにされる中小企業の典型である。NECの中には富田さんにお世話になった人はたくさんいるはずである。

数年前、島津製作所の田中さんがノーベル賞を取って「全く予想もしていませんでした」といってテレビに出てきたときに「富田さんとイメージがダブった」と言った人がいる。私も同感である。能力は高く、良い仕事をしているのだが、出世に興味がなく、良いものを作ることにこだわっている、という点が重なって見えるのである。

富田さんは結婚していなかったので、喪主はお母様が勤めておられる。高齢で心労も大変だと思う。面識もなかったので直接声をかけることはできなかったが「あなたの息子さんは多くの人に感謝されていますよ」ということをこのブログを通じて申し上げたい。

合掌

告別式はサンセルモ玉泉院 亀有会館 6月24日10:30-
です。

 


スーパーコンピュータ「京」が世界一を奪還、喜ぶべきか?

2011-06-23 07:51:24 | 経済

理化学研究所と富士通が共同開発しているスーパーコンピュータ「京」は演算速度で中国に奪われていた世界一を取り戻した。日本が世界一となったのは2004年以来7年ぶりである。

この話は事業仕分けで蓮舫委員が「世界1になる必要があるんですか、2位じゃ駄目ですか?」と発言し、理化学研究所の野依所長を始め複数のノーベル賞級の学者が「日本は科学技術をもっと大切にしろ」という声明を発表したりして有名になっていた。理化学研究所としては「どんなもんだい」と見返したいところだろう。マスコミは早速蓮舫議員のコメントを取りに行き、彼女は素直に「おめでとうございます」と言った後で「オンリーワンを目指してください」と言っている。

本件に関する私の意見は蓮舫議員寄りである。つまり政府が大金を投じてスーパーコンピュータを開発するのは疑問、というものである。世界一になった直後にこういうことを言う人は稀だと思うので敢えて言っておきたい。スーパーコンピュータが全く異なった原理の新しいコンピュータなどであれば、投資する価値は十分にあるだろう。しかし、今のスーパーコンピュータは既にあるコンピュータを超並列化することによって処理能力を上げている。超並列といえば、いわゆるクラウド・コンピューティングというのがあり、これは既に数百万台のコンピュータが連結されて、処理を行っており、グーグルの持つコンピュータシステムなどは全体としての処理能力は今回開発された「京」よりもはるかに上だろう。今回の「京」のすごさは一つの処理を複数のプロセッサに分散処理させることにより膨大な規模の処理プログラムを走らせることができる点にある。これで気象とか、医療とか行った分野の膨大な演算を実行することが可能になる。これに対してグーグルのコンピュータシステムは一つ一つの処理は小さいが何千万人分の処理をまとめて行う点に特徴がある。同じ並列コンピュータといっても別物といえる。

スパコンとクラウド、どちらに需要があるかはあきらかである。巨大な処理を必要とするのプログラムはごく稀で、殆どの処理はそれほど大きくない処理を膨大に行うものである。現に世の中はクラウドに向かっており、これは技術のトレンドとして確実に進行している。日本の産業界もこぞってクラウドシフトを表明しているが、この分野ではアメリカに大きく水をあけられており、その差はさらに開きつつある。それはクラウドに対する政府のテコ入れの度合いがアメリカと日本で違うからである。

日本は大きな分野を捨ててニッチな勝てそうな分野に注力していると言える。それでも選んだ、ニッチな分野が将来広がっていくのならまだ良いが、私にはそうは思えない。今、苦労して開発した並列処理のソフトウェアや冷却技術などは、数年すると古くなり、また違った原理のものを考えないといけなくなるだろう。それは半導体技術の進歩により処理方法や、発熱量などが大きく変わってくるからである。つまり、ニッチかつ寿命の短い技術だと思う。さらに量産性も限られるので、出来上がったスーパーコンピュータを使って行われる研究もかなり限られたもので、大部分の研究は違うアーキテクチャのコンピュータでやられることになるだろう。

理化学研究所は、単に最高速度を実現したというだけでなくこのスパコンが日本の科学技術の発展にどれだけ貢献するか、他の手法を取った場合と比べてどれだけ有利かの説明責任があると思う。


梅雨明けか

2011-06-22 08:19:56 | 生活

今日は朝から晴天である。最高気温は32-3度になるらしい。梅雨前線は新潟から東北のほうに上がっており、梅雨明けを思わせる。この夏一番の暑さになり節電で冷房を抑えるとどうなるか、体験して改良する良いチャンスになるだろう。


鶴見川沿いを歩いてきたら既にひまわりが咲いているのを見つけた。一本だけだったので却って目立つ感じがする。季節はまさに夏、という感じがする。気象庁は梅雨入りは6月中旬、梅雨明けは7月中旬という頭があるのだが生活実感としては梅雨入りは5月後半、梅雨明けは6月末、と感じていて気象庁の発表は実感とずれている印象をここ数年持っている。前例主義が色濃く感じられる。

夏は夏で悪くない。じりじり照りつける太陽の下で大汗をかきながら歩いたり何か作業をしたり、運動をしたりすること自体は私は嫌いではない。ただ困るのは夜が暑くて寝苦しいことである。家内が冷房が嫌いなので我が家の寝室には冷房が入っていないのだが、ものすごく暑い時にはなかなか寝付けない。以前このブログにも書いた竹のシーツを敷くとからだと布団の間に空間ができて涼しく感じられるのだが、それも度を越して暑い日には竹の表面が厚くなってしまい、やはり眠れない。こんな日は1年に数回しかないのだが、今年はこんなことが無いことを祈っている。

暑くなると、熱中症予防で長時間暑いところに居ないようにとか、こまめに水分を取るようにとか色々とテレビなどで言うが、あれは体力の無いお年寄りに対しての話で、若い人は多少そのような厳しい状態に体をなじませてストレスを与えるほうが良いと思っている。難しいのは子供に対してだが、子供も基本的には体力があるので多少きびしい状態に身を置かせるほうが良いと私は思っており、今の日本は過保護だと思っている。

昔から日本では父親が厳しく、母親が過保護でバランスを取ってきたのだが、今は母親の勢力が圧倒的に強く全体として過保護になっていると思う。私も60歳、若くはない年齢だが自分の体に気をつけつつも、適度にストレスを与えることはまだ体に良いと思っているので、多少の無理をするくらいでやっていきたいと思っている。


Release'99の完成

2011-06-21 08:00:49 | 昔話

1999年12月、私が3GPPの議長に着任して9カ月で最初の3Gシステムの仕様書である3GPPの仕様書Release'99が完成した。3GPPはこの仕様種を各国の標準化団体に提示し、各国そろって同じ仕様書を世界通信連合ITU-Rに提案することにより各国政府が認める国際的3Gシステム、IMT2000が完成した。

この仕様は技術的な意味だけでなく決定プロセスとしても大きな意味があった。それまでITUが決める仕様書はITUで議論をして決めていたのだが、この時からITU-Rは提案書の内容が3Gにふさわしいかどうかという審査はするが、具体的な技術の詳細は審議せず、3GPPの仕様を参照する、という形にしたのである。これ以降、実質的な世界標準の審議は3GPPに移ることになった。欧州の政府はそのことを良く理解していて必要な場合には政府の官僚自ら3GPPに参加したりしているが、日本の政府は10年以上経過した今でも形式を重んじてITUにしか参加しない。日本の標準化機構も政府の審議する会議などはITUの内容を審議するものになっている。日本国内では移動通信関係者は3GPPが実質の審議の場であることを皆知っているが、それ以外の人はITUで決めていると今でも思っている人が少なくない。

1999年に3Gの仕様を固めることは日本の強い意向であったので私自身、固まるように尽力してきたし、日本のみならず欧州の企業も積極的に協力してくれた。組織設立から1年足らずで標準仕様はまとまるというのは驚くべき早さであり、当初は不安を抱えつつ参加していた各国の標準化団体もこれからは3GPPを軸として標準化活動をしていこうと腹を決めて、3GPPのスコープを「3Gの最初の標準をまとめる」から「3Gの標準を長期的に維持改版する」に変更した。

この仕様を固めるにあたって非常に大きな貢献をしたのはドコモとエリクソンと言えると思う。ドコモは技術面で、エリクソンは技術面とプロジェクトの進め方で貢献した。エリクソンの進め方に対する提案は議長の私にとっては大きな助けとなった。

しかしながら技術内容はまだ不安定要因を数多く残していた。ハードウェアの仕様は固まっていたと言えるがソフトウェアに関してはあいまいな点が多く、仕様書を読めば誰でも同じものを作れるというレベルにはまだほど遠かった、といえる。3GPPでは確定させた仕様書に変更が入る場合にはCR(Change Request)と呼ぶ資料を提出して訂正するのであるが、Release'99はその後1年以上にわたって大量のCRに悩まされることになった。

3GPPは無線分野での安定化作業を行うと同時に、次の大きなターゲット、ネットワークのIP化に向けて走り始めた。


世界経済と日本

2011-06-20 11:05:15 | 経済

日本では震災以来、報道も殆どが震災対応で経済の話もかすんできているようであるが、世界経済は結構危うい状態にあるようである。震災で日本からの輸出が減って輸入が増えるので円安に向かいかと思いきやむしろ円高に振れてきている。これは3月に言われた投機筋の動きとは違って、もっと幅広い動きのようである。なぜ、震災で弱っている円の価値が上がるのだろうか?

そういう目で世界経済を見てみるとかなりの不安定要因が目につく。ヨーロッパは物価高の一方でギリシャやポルトガルと言った不安定な国があり、なかなか景気上向きというところまで行かないようである。ギリシャは一度救済されたのだが再び怪しくなってきている。まだ問題が顕在化していないイタリアやスペインもかなり危うい状態のようである。

アメリカは政府の投資のおかげで危機を乗り切ったように見えるが、まだ回復には至らず、むしろ2番底が懸念されている。投入した資金が投機のほうに流れたのではないかと思っている。

中国はバブルの破裂が具体的な危機として言われているようである。このように世界的に経済の先行きが危うくなってきているため金融引き締めはやりづらい。一方で世界的に物価は上がってきている。物価が上がれば貨幣価値が下がるので、相対的に物価が上がっていない円の価値が上がる。

こんな理由で円高はまだしばらく続くかもしれないと思っている。


ゴスペラーズっていいね

2011-06-19 13:21:36 | 生活

今日は散歩をしながらFM東京を聴いていたのだがゴスペラーズの曲がかかって久しぶりに男声コーラスの良さを感じた気がする。私は元々ダークダックスとかデュークエイセス、ボニージャックスなどが好きだったのだが、彼らがだんだん高齢化してきてテレビなどに出なくなって男声コーラスを耳にすることが少なくなってきた。

ゴスペラーズの歌声を聴いて久々に本格的男声コーラスを聴いた感じがした。彼らは紅白にも出ていたので始めて聞いたわけではないのだがそれほど印象に残っていなかったのだが、今回聞いてハーモニーの良さを改めて感じた。私が聴いていなかっただけで男声コーラスの分野はずっと続いていたようである。

声の高さの違う何人かが同時に歌ってハモるというのは男声のほうが良く合う感じがする。女性の声はあまりハーモニーに向いていないのか女声コーラスはハモるというより一緒に歌うという感じがする。

少し男声コーラスグループを聴いてみようかと思う。


将棋の名人戦と囲碁の本因坊戦

2011-06-18 05:38:39 | 囲碁

将棋の名人戦と、囲碁の本因坊戦が同時進行している。将棋の方は毎日と朝日の共催だが、囲碁は毎日のスポンサーである。こういうタイトル戦は新聞社がスポンサーをするのだが、将棋の方は2紙共催という異例の状態になっている。もともと毎日が主催していたところへ朝日と将棋連盟の幹部が相談して朝日に移ることを画策した。これに毎日が腹を立てて囲碁を申し立て、棋士の中からも「理にかなわない」と反対する人が続出して、共催という方向に落ち着いたものである。

従来私はこういう大きなタイトル戦がある時はその時期だけ、主催者の新聞を買って棋譜を見ていた。しかし、最近はネットで見ることができるので、特に新聞は買わなくなった。ネットでは打った手を一手ずつ見ることができる。新聞紙面で見ると、多くの手数を頭の中で並べる必要があるので大変である。ファンはネットに写るのが当然だろう。ここでも新聞社の収入がネットに食われている。将棋の名人戦は有料であるが普通は無料で見ることができる。今年は息子が将棋の有料サイトに登録したので私も見ている。

無料サイトは、本当に好きな人のためのボランティアという感じで、盤面だけで広告などは一切入ってこない。もう少しうまい使い方がありそうなものだと思う。

内容は将棋の方は羽生名人に森内九段が挑戦しているのだが、森内3連勝のあと羽生が3連勝を返して3対3になっており、次回が最終局である。前半は森内九段の強さが目立って羽生名人に少し精彩が無い感じがしていたが後半、5,6局目などは両者底力を出して、見応えのある応酬となっている。普通は追い上げた方が勝つのだがこの二人は精神力が強く、一局一局で流れを変えられる感じがするので予断を許さない。

囲碁の方は山下本因坊に羽根九段が挑戦していて山下3連勝のあと羽根九段が1勝を返したところである。こちらは力の差がある感じがしていて、普通に行けば次あたりで山下本因坊の防衛となるだろう。山下本因坊が調子を落として弱気になったりすると逆転もあるかもしれない。昔から囲碁の方は3連敗、4連勝がかなりあるが将棋の方は数えるほどしかない。囲碁の方が心理的な影響が強いのだろうか、それとも囲碁の棋士の方が心理的に弱いのだろうか、と思う。

両方の側面があるが私は後者の方が強いのではないかと思う。中国、韓国のトップ棋士はそんなに心理的にぶれない感じがしている。話は違うが少し前に囲碁の井山名人が、中国、韓国のトップと戦う各国一人のトップ戦で優勝した。日本棋士が国際大会で優勝するのは10年ぶりくらいだと思うが、快挙である。中国、韓国の棋士も本当に第1人者だったので本人にとって大きな自信になっただろう。これからの活躍が楽しみである。