ウィトラのつぶやき

コンサルタントのウィトラが日頃感じたことを書いていきます

釣り方を教えないで魚を与えようとする日本政府

2017-06-19 15:41:46 | 社会

「魚を与えるより、魚の釣り方を教えよ」というのは老子の言葉だそうだが、困っている人を助けるときの重要な教訓として良く知られている。これは個人に対する対応でも当てはまることであるが、大きな組織、特に国のような大きな組織にとって重要なことだと私は考えている。しかし、日本政府は釣り方を教えるのではなく魚を与えるほうに走っている感じがしている。特に、世界の政府の中で日本政府にその傾向が強いと私は感じている。

老人の生活が苦しくなれば年金を与える。保育所が不足だと言われれば保育所を作る。IoTで出遅れていると言えばIoTに研究開発予算を付ける、といったように国民や日本の業界で困っていることがあれば直接的にその解決策を与えようとする。国民が求めるのは直接的な解決なので、それを与えるには予算がかかる。アベノミクスでも金融政策でお金を供給するとか、公共投資を増やすとかいった直接お金を出すことはうまくやるが、成長戦略はうまくいかない。日本政府の借金が世界一積み上がっているのもこの姿勢の結果ではないかと考えている。

例えば保育所不足を例にとると、保育所に補助金を出すというのは「魚を与える」ことに相当していると私は考える。「釣り方を教える」とは保育所が工夫すれば利益を出せるように規制緩和をすることだと思う。例えば主婦同士での子供の一時預かりをビジネスとして成り立つようにする、というようなことである。このようなことを許可すると、素人が参入するのでトラブルが出やすい。それが出ないようにするために保育所に関して様々な条件を付けている。それが保育所が増えない理由になっていると言いたいのである。これを規制緩和しようとすると一番反対するのは既存の保育園である。「自分たちは規制をクリアして苦しい条件でやっているのに、それを緩めるのはけしからん」というわけである。こういうことを書くとこの提案に反論を言う人が出てくるが、例として出しただけで私は主婦同士の子供の一時預かりを強く主張しているわけでは無い。

ほとんどすべての分野で新しい方式で効率よくやろうとすると、既存の業界が反対する。それで政府は規制緩和に向かわずに補助金を付けるという方向に向かうのだろうと思っている。しかしこれを繰り返していては、本質的な問題解決にはならず、財政赤字が増加するだけである。

こういった政策を決めるのに政治家は国民に直接的な効果を見せたいので「魚を与える」方向に走りやすいと私は考えている。それを「釣り方を教える」方向に向かわせるのは官僚の仕事だろうと私は考えている。最近、この官僚の質が下がってきている感じがしている。私はこれは権力の亡者である小沢一郎氏が「政治を官僚から国民の手に取り戻す」といって、人事権を振りかざして素人である政治家が官僚を圧迫したことが影響しており、その姿勢は自民党に政権が戻ってからも続いていると感じている。

官僚に中には骨のある人もいる。しかしどういう人を出世させるかで官僚の意識は変わる。官僚が「自分たちが国を動かす」という意識が持てなくなり、政治家の顔色を窺うようになっては国は劣化するばかりだと思う。重い責任を負わされて大変な激務であるにもかかわらず、給料はたいしたことは無い(そこそこ高いが大手の社長よりはかなり安い)。定年後の天下りなどを楽しみにしていたのだが、それは厳しく禁止されている。これでは官僚という仕事に魅力がなくなり「国を背負っておこう」というような意識のある人が官僚から離れてしまうと思う。

以前にも書いたことがあるが、私は世間全体が官僚に厳しすぎると感じている。もっと官僚を魅力のある職業にして行かないと「税金を使って魚を与える」官僚ばかりになって国はますます劣化していくのではないかと危惧している。私の比較的接点の多い総務省の通信行政に関する官僚に関していうと、21世紀に入ったあたりからどんどん小粒になってきている感じがしており、先々はますます心配な状況になってきている。

優秀な官僚をどうやったら育成できるかという議論が必要な時期に来ていると思う。

 


共謀罪と加計学園問題の扱いで急激に悪化した安倍政権のイメージ

2017-06-15 16:55:14 | 社会

最近の国会の動きを見ていて、私の安倍政権へのイメージは急激に悪化している。最初は加計学園問題に対する対応である。最初の文科省の調査はいかにもおざなりで、「無い」ということを示すために条件を区切って調査した結果を報告した。

更に、文部科学省の前川前次官の発言に対する菅官房長官の個人攻撃である。本題とは関係のない話を持ち出して「前川氏は悪人だ」というイメージ操作をやろうとした。安倍総理は国会で良く野党に対して「イメージ操作だ」という発言をするが、これほどひどいことは野党はやっていないと思う。記者会見と国会という違いはあるにしても、である。文科省内にこれに反発する職員が続出して続々と情報が流出し隠しきれなくなった。安倍総理の周辺から支持があったことは多分間違いないだろうと思う。それで文科省は判断をゆがめた、と私は思っている。

判断のゆがみは京都産業大学と加計学園が争っていたとき「近くに獣医学部がない地域に認める」という判断を最後の段階で強く打ち出した点にある。このような条件は地理的条件なので条件を付けるなら最初から言うべきである。この条件は判断を曲げるために打ち出した方針だと私は考えている。この点を野党があまり言わないのはどうしてだろう、と思っている。

共謀罪の採決もひどいものだと思う。野党の質問にまともに答えないで一定時間審議したからと言って強行採決に持ち込む、という国会軽視の姿勢が明らかに見えている。私は法案自体にはそれほど強い反対ではないのだが、進め方は「有無を言わさず」に数の論理だけで押し切った感じがしている。私個人の感覚で言えば、自民党が言うようにテロを防ぐために「テロ準備罪」を作ること自体はあってよいのだが、政府はテロ『等』準備罪と『等』を入れており、これを決して外そうとしない。これは危険だと言って野党が色々質問をするのに対しては曖昧な答えしかせずに強行採決に踏み切った、という印象を持っている。

要するに今のやり方だと政府がやろうと思えば何でもできてしまうという感じが強い。以前から日本の国会にはこのような傾向があったのだが、今回は特にひどいと感じている。野党側が「聞く耳持たず」という態度なので、与党だけが悪いとは言い切れないが、今回は与党のひどさが目立った感じがしている。


若手の成長が著しい日本の卓球

2017-06-05 17:26:30 | 生活

世界卓球がドイツのデュッセルドルフで行われているが、今回は日本勢の活躍が目立つ。テレビ東京が特集番組を組んでいるので私は結構見ている。混合ダブルスで石川・吉村ペアが優勝したのをはじめとして、女子シングルスでは平野が銅メダル、男子ダブルスでは森園・大島ペアが準優勝と大活躍である。中国1強の卓球界を崩しつつある感じがする。

内容的には一番印象的なのは張本のプレーだった。張本のプレーを見るのはこれが初めてだが、中学2年生とのことだが体格的には高校生並みだった。日本のエースである水谷に完勝だった。中国の選手には負けたが、完敗という感じではなく手が届くところまで来ているが負けた、という感じだった。パワーは不足しているが(少し不足という程度)、反射神経が非常に良いのと、コースの取り方などで頭が良い感じがする。中学生であのコース取りができるのは天性のセンスの良さだろうと思う。何の競技でもそうだが、強いほうが必ず勝つとは限らず、実力が近ければ勝ったり負けたりする。張本は中国選手に対しても勝ったり負けたりのレベルに来ていると感じた。まだ体が成長してパワーが上がるだろうから、中国選手と対等あるいはそれ以上になる可能性は十分にある。

4月に世界チャンピオンの丁寧に勝った女子の平野は今回は丁寧に完敗だった。丁寧の側が対平野対策を徹底してきたということだが、張本よりも「勝つのは大変だろうな」という印象だった。これからの平野がどう伸びていくか、一回り伸びないと苦しいだろうという印象だった。優勝した石川・吉村の試合の内容は私から見るといまいちだった。準決勝が中国とドイツの国際ペア、決勝が台湾ペアが相手だったので、中国勢が力を入れていないのかと思った。中国勢が勝ちに来たらとても勝てないだろう、という印象だった。

女子ダブルスはまだ残っている。

いずれにせよ、今大会は日本選手が30年ぶりとか40年ぶりの好成績を収めており、さらに10代の選手が頑張っているので将来が楽しみである。

 


日本の「忖度社会」の元凶はメディア企業だと思う

2017-06-04 17:20:22 | 社会

最近、NHKの夕方7時のニュースに続いて「日本社会は忖度が過ぎるのではないか」といった特集番組をやっていた。最近、官僚の官邸に対する忖度が色々報道されているが、企業にも忖度がたくさんあるという。企業で上司が部下に「業績をもっと上げろ」と何度も指示して具体的な指示はない。聞くと「自分で考えろ」と言われる。部下は色々考えてもうまくいく方法は見つからないし、見つかりそうにない感じがする。そこで「これは多少ごまかしてでも業績を良く見せろということなのか」と考えて多少のごまかしを入れてしまう。上司は業績は良くなって満足するが、不正があったことが分かると「不正をやれとは言っていない。お前の忖度だ」と言うという。

東芝などではこんなことが多かったのかな、と想像する。しかし、これは忖度の問題というよりももっと別の上司の資質や昇進のさせ方などの問題の気がする。私は日頃「忖度」を最も感じるのはNHKをはじめとするメディアの報道に対してである。

例えば小池百合子氏が自民党に利用届を出して都民ファーストの会の代表に就任すると「小池氏の狙いは何なのか?」を記者や評論家に語らせる。安倍総理が「憲法改正を目指す」といえば「総理の狙いは何なのか」とやる。北朝鮮がミサイルを発射すれば「北朝鮮の狙いは何なのか」とやる。これらは全て「忖度」であり、意思決定者の本音を探ろうとして必死に探っている上目遣いの姿勢に不快感を私は感じている。

海外のテレビ報道などではこういった報道の仕方はめったに見ない。小池氏の決断にしても小池氏の意図を探るのではなく、発言者本人の意見として「その決断は良いのか悪いのか」両方の意見を紹介する。「狙いは何なのか」を問うのは日本のメディアが圧倒的に多い感じがする。

こういった報道は昔からあったのだが、21世紀に入ったあたりから急増している感じがする。そしてこのメディアの報道姿勢は「意思決定者の言葉上の意味だけでなく裏に隠れた本音を探ることが大事だ」という日本社会の「忖度文化」を作り上げていると私は感じている。私の印象では「日本に忖度文化があるからメディアがこのような報道をする」というよりも「メディアが忖度文化を育てている」という側面が強いと感じている。もちろん白黒をはっきり決められる問題ではないが・・

私はこのブログに「・・・の狙いは何か」という報道に対する不快感を何度か書いているが、世間ではそのような傾向はみられない。このように感じるのは私だけなのだろうか?