ウィトラのつぶやき

コンサルタントのウィトラが日頃感じたことを書いていきます

コーヒーの新ビジネス

2013-03-31 14:42:42 | 経済

私はコーヒーが好きでよく飲むのだが最近コーヒー関するビジネスモデルも変わってきていると感じることがある。今日はそれについて書いてみたい。

長い目で見るとコーヒーの味が変わってきた感じがする。昔は、喫茶店があって、モカとかキリマンジャロとかいう銘柄を頼んで飲むことが良くあったが最近はそういう喫茶店はぐっと少なくなり、チェーン店でヨーロッパ風の深く炒った苦みの強いコーヒーを出すところが増えている感じがする。その一方で、コーヒー豆を個別に売る店は増えているという感じがする。

最近感じる新しいことは一つはカルディ(Kaldi)というコーヒー豆のチェーン店である。私の知っていたコーヒー豆を売る店はコーヒー専門店で大体店員は一人で細々と経営していた。ところがこのカルディが私の通ることの多い多摩プラーザと大岡山に相次いで店ができたので、急激に増えているような感じを受けている。普通コーヒー豆を売る店はスーパー以外はコーヒー専門店で豆だけを売っている。しかしカルディーはコーヒーだけではなくお菓子とか梅干しとか色々なものを打っている。店頭では紙コップに入れた無料のコーヒーを配っている。店の中は雑然としていて、ちょっとだけドンキホーテのような感じがする。コーヒー豆を売る店としては新しい業態だと思うが、なかなか面白い形だと思う。

もう一つの新しい動きはテレビで宣伝している「ネスカフェ・アンバサダー」である。これは自分で利用したことは無いのでテレビのコマーシャルを見ただけなのだが、職場のコーヒーを提供する仕組みである。

私の会社員時代、どこの職場でもコーヒーを置いていて社員が時々飲んでいた。私が入社したころには、皆でお金を出し合って、女子社員がネスカフェなどを買っておき、女子社員が入れてくれていたが、しばらくすると各社員が自分で入れるようになった。この職場コーヒーショップの経営は若い社員が持ち回りで行っていたが、誰が後片付けをするかなどルールを決める必要があり、職場コーヒーショップの経営や管理がうまく回っているかどうかで、職場の雰囲気が分かるような感じがしていた。

ネスカフェ・アンバサダーはここに目をつけて、職場コーヒーショップの経営をサポートすることで職場に対する売り上げを伸ばそうというビジネスだと理解している。おそらく富山の薬売り方式ではないかと思うが、なかなか良いところに眼をつけたという感じがする。ビジネスとしてうまくいくのではないかという気がする。

たかがコーヒー、されどコーヒー、考えれば色々なビジネスがあるものだという気がする。


安倍総理、なかなかやるな、という思い

2013-03-30 19:39:31 | 社会

安倍総理がモンゴルを訪問してモンゴルの首相との面談をした様子が報じられている。

総理就任以来、経済政策を打ち出し、日銀人事を決め、外交ではアセアン、アメリカに続いてモンゴルを訪問している。訪問先の決め方にストーリー性が感じられるし、日本の将来を考えて動いている感じがする。ここしばらく総理就任後に支持率が上がるような総理大臣はいなかったが、安倍総理の支持率が上がるのは頷ける気がする。

アベノミクスに関しては批判も多く、私自身も危なっかしさを感じているが、ある程度結果が出るまで文句を言わずについていこうという気持ちになっている。そういう人が国民の70%も居るという状況なので暫くは続くのだろう。

インフレは「レンガのブロックをゴムバンドで引っ張るようなものだ」と言う人が居た。なかなか動かず、動き始めてしまうと制御がきかなくなることを例えたものだが、たとえそうだとしても動き始めるまで引っ張ってみることは意味があるような気分に私はなっている。動き始めるとひずみが出て問題になる可能性がある。ただし、バブルとそのバブルがはじけるような状態になることはあり得る。そのときの自衛策は資産の分散を図るなどして自分で講じることにして、取り敢えず動き始めるまでは応援しようと言う気分である。

一つ私が気になっているのは総理の動きが目立ち過ぎると言う感じである。これはマスコミの報道体質なのかもしれないが、もっと閣僚個々人の動きが見えて、総理は大きなところを指示している、という感じの方が好ましいと思う。何もかもを総理が動かしているような感じがして、長く続けられるのかという持続性に不安を感じている。


携帯電話端末業界の変遷

2013-03-29 11:08:17 | 経済

朝日新聞でNECが携帯電話端末事業から撤退すると報じられている。NECの広報は「まだ何も決定していない」と言っているのでこの件に関するコメントは控えようと思うが、研究畑が長かった私の会社人生で唯一事業に直接かかわった分野なので感慨は禁じえない。

今日は、今広く言われている、携帯電話事業で日本勢がどうして世界で存在感を示せなかったのかについて感じている点を書こうと思う。良く言われることは「日本企業は技術力は高いのだが国内市場に特化したために世界に出られなかった」ということである。だがはたして、「技術力は高い」というのは本当だろうか、という疑問を私は持っている。

携帯電話は最新のシステムは4G LTEと呼ばれているように無線の技術ほ大きく3回変わっており、今4世代目に入りつつある。しかし端末を開発するのに大きく技術が変わったという観点で言えば今が第3世代だと私は考えている。

第1世代はアナログの時代である。この時代のキーテクノロジーは高周波技術である。この時期は日本企業は結構強かった。歴史的に言うと一番強かった時代と言えるだろう。高周波技術はノウハウの固まりで日本の技術者が得意なすり合わせ技術が中心だった。

第2世代はデジタル携帯電話の時代である。無線技術で言うと、2G、3G、そして今の4Gの時代がこれにあたる。この時代のキーワードは「標準化」である。ヨーロッパから始まった標準ベースのデジタル携帯電話は複雑かつ早いペースで進化し、最高伝送速度はどんどん上がって行った。この標準化に対応して最新の機種を出すことと世界市場をにらんで開発することが勝つためのキーワードとなるのだが、日本企業はできなかった。デジタル化の入り口である2Gのシステムで日本独自のシステムを採用したので世界標準となったGSMの開発に出遅れたという面はあるが、それだけでなくGSMを含む複雑かつ早いペースで変化する標準で規定される無線伝送技術のノウハウ獲得に手間取ったという点があげられるだろう。ヨーロッパのノキアがこの点で世界を席巻した。データ伝送速度は上がったが機能の中心は電話であった。

世界標準化が進むと世界市場が一気に拡大する。従って大きく投資して良い機種を作り世界中で売る、ということが重要になるのだが、日本企業における携帯電話部門の位置づけは傍流の事業であり、社長がコミットして思いきり投資することができなかったという点が、韓国サムスンとの差になったと私は思っている。

第3世代はAppleのiPhoneに始まるスマートフォンの時代である。GoogleがAndroidを発表してOSはAndroid、無線部はQualcommチップというパソコンに近いモデルになった。この時期になると無線部はQualcommから買えばよいので(使いこなすのが大変なのでQualcommと良い関係を作ることが極めて重要という条件はあるが)、標準化はもはやキーワードでは無くなっている。ノキアの凋落はこれが本質的な理由だろうと私は考えている。この時期のキーワードは総合力(携帯電話はパソコンより作るのが難しい)、グローバルマーケティングである。機能の中心が電話からインターネットアクセスに変わった点も大きいと思っている。日本企業はAndroidに出遅れた上に、頭の切り替えが遅れたと思っている。

このように大きくKFS(Key for Success)が変わる業界で日本企業の年功序列的体質が大きく成功の妨げになったと思っている。第1世代の鍵が高周波回路だったので高周波に詳しい人が、出世する。その人たちはなかなかデジタル技術やプロトコルと言った第2世代の技術が分からない。やっと分かってきたと思ったら今度は電話は重要ではなく、パソコン系の技術やアプリのノウハウが重要になる。若い人はついて行けるのだが、事業を切り盛りする幹部がなかなか頭の切り替えができなかった、という点が大きいのではないかと思っている。

日本企業は会社としては様々な事業を行っているので、社長レベルが事業を見ていてその時々に全社から選択して最適な人材を配置していればKFSの変動にもかなりついて行けたのではないかと思うが、社長は携帯電話にはそれほど深くコミットしていなかったので適切な人材をなかなか配置できなかったのだと思っている。

最近ソニーが日本企業としては唯一、社長が携帯電話ビジネスに深くコミットしている。これまで富士通やシャープのほうが国内の携帯電話事業では上にいたのだが、私は現在ではソニーが最有力だと考えている。


キプロス再建はなるか

2013-03-28 10:13:24 | 経済

先日書いた、キプロスの預金封鎖は結局、他に方法は無く、キプロス政府はキプロス第2の銀行ライキ銀行の整理と10万ユーロ以上の大口預金の封鎖、課税を条件に100億ユーロの支援をEUから取り付けた。今回は議会の否決ということは無かったらしく、実行の段階に入っている。

ロシアは、現在貸し付けているお金の返済猶予には応じたが、新たな貸出には応じなかった。ロシアへの投資の40%はキプロスからで、これはロシア人の富裕層が税金逃れのためにキプロスに預金していた資金が還流しているとみられている。ロシア政府としてはこの際そのような資金を明確化してマネーロンダリングを制限し資金の流れを明確化するチャンスととらえているらしい。ロシア政府はプーチン大統領が首相になってまた大統領に戻るなどの動きがあり、本当の意味で民主化されているのかと私は疑問の思っていたが、私が思っていたよりはかなり高い透明度を狙っているらしい。もっとも民主主義がロシアにとって最善の政体かどうかは不明なのだが。

キプロスの預金封鎖は解除されて1日300ユーロを上限に下ろせるようになっているらしいが、これがいつまで続くのか、大きな資金需要がある企業などはどうするのか、など不透明感は高い。さらにユーロというキプロス内で閉じない通貨を使っているので資金の国外への逃避をどう抑えるかということも技術的には容易でないらしい。一方ヨーロッパの各銀行ではロシア人富裕層の口座獲得合戦が激化しているという。

ユーロは1ユーロ125円程度だったものが121円くらいまで下がっている。まだ予断を許さないがこれがうまく行けば一つの支援モデルになるだろう。しかし、そのようなことが波及してくることを恐れてイタリアやスペインの銀行から資金がドイツなどに流れていくと別の意味での不安定要因が出てくる。まだ解決には時間がかかりそうである。

日経がFinantial Times記事をネットに良く掲載しているし、Economistを自分で購読しているので、イギリスのマスコミの意見を目にすることが多いのだが、他のことでは感心するこのと多いイギリスのメディアの論調に、ことユーロ問題に関しては偏っているような印象を私は感じている。ドイツのマスコミの記事を翻訳したものが出ていないかな、と感じることが多い。


ついに出た、選挙無効判決

2013-03-26 08:26:49 | 社会

広島高等裁判所で、昨日、違憲状態の定数下で行われた昨年12月の衆議院選挙は無効であるという判決が出た。広島高等裁判所は広島1,2区に対して起こされた訴訟に対する選挙を無効としている。裁判所は無効状態回避に向けての活動が昨年11月26日から行われていることを重視して、議員失職は1年後の今年の11月26日であるとしている。岸田外務大臣は国会議員の職を失うことになる。

3月15日にこのブログで「そろそろ選挙無効判決が出ても良いのではないか」と書いたばかりであり、本当に無効判決が出たので私も驚いている。ただし、良く考えるとこの判決にはおかしな点がいくつかある。

一般的には(判例では)一票の格差が最大で2倍以上の状態を違憲状態としている。しかし、問題の広島1区、2区は一票の重みが最も重い高知3区と比較してそれぞれ0.65,0.52であり、2倍にはなっていない。全国で言えば一票の格差は2.4倍になっており、選挙無効は納得できるが、それで広島地区の選挙が無効ということは納得できない。

また、誰の罪で誰を罰するか、という関係もおかしい。問題の広島の当選者は不利な状態で選挙を戦って、当選したのである。その広島の当選者を失職させるというのはおかしいのではないだろうか。この違憲状態での選挙を行ったことに対する責任は野田前総理大臣にある。彼が違憲状態であることを承知の上で国会を解散したのであり、前総理を「解散権の濫用」ということで罰するのが理にかなっている。あるいは不当に有利な条件で国会議員の立場を得た、高知3区、あるいは同レベルの当選獲得票の少ない議員が職を失うのが妥当だと思う。

筏津〈いかだつ〉順子裁判長はもちろんこれらの矛盾点をすべて承知の上で、判決を下したのであろう。
・無効判決が実施されたとしてもごく一部の選挙区であり大きな混乱は生じない
・被告はほぼ間違いなく上告するだろうから、最高裁で修正された判断が出る可能性は高い
・実施までに時間を与えることで国会の努力を促す

こういった考えが背後にあったものと思われる。そもそも広島で訴えが起きていること自体が不自然であり、このような問題に対する訴訟体系の不備も考えるべき問題である。

この判決の効果は大きく、メディアが大きく取り上げ問題意識が大きく高まった。国会は裁判所の判決に対して高をくくっていたというような論調が多く、それは当たっているのだが問題を解決に向かわせるものではない。

政府与党は既に議決済みの「0増5減案」の実施に向けてこの法案実施のための選挙区の区割り見直しをとりあえず急ぐようである。とりあえず違憲状態を解消するのはそれで良いが、定数削減を含めた抜本的な見直しはどうなるか分からない。このやり方だと、仮に4年後に次回の選挙が行われるとするとその時点では再びどこかで2倍以上の票の重みに対する格差が生じる可能性が高い。

私は選挙制度の見直しに関しては以下の2点を行ってもらいたいと思っている。

1.選挙区の区割り、定数などを決めるのは国会議員ではなく、利害関係のない第3者委員会にすべきである(これは前回も書いた)

2.制度を変えずに区割りを変えて対応する場合、新制度がある程度継続的に使われるようにするために、マージンを持った改定にすべきである。例えば改定時点での最大格差は1.5倍以下になるようにするというような意味である。

テレビの政治番組などでこの問題がこれから議論されるだろうが、コメンテータに上記のようなことを言う人が増えれば、国会に対する圧力になると思う。

最高裁に対しては、地域毎に個別に提訴され、判決が降りている選挙無効裁判を全てまとめて一本として扱って審議することを原告、被告両方に対して提案してもらいたい。その上で判決に上記1,2のような提言が判決に含まれていればありがたいな、と思っている。

裁判というと法律に沿った無味乾燥な判断が下されることを想像しがちだが、今回の判決は世論の盛り上がり、その後の国会の対応などを想定した人間味のある内容で、裁判所を見直した気分である。 


岐阜の印象

2013-03-24 12:40:30 | 生活

先週の木、金と学会で岐阜大学に行ってきた。私は岐阜に行ったのは初めてであるが天気が良かったこともあり印象深い街だった。

木曜日の朝に新幹線で名古屋に行ってそこから東海道線で岐阜に向かう。新幹線の止まる岐阜羽島駅は不便なところで岐阜駅からはかなり距離がある。岐阜大学は岐阜駅からバスで30分ほど、歩いては行けないほど離れている。印象的だったのは岐阜駅から岐阜大学まで家が途絶えることが無かった点である。岐阜市は高層ビルは無いが面積的には相当広い都市だと思った。

以下写真と共に岐阜の様子を紹介する。(写真をクリックすると拡大されます)

これは岐阜大学のキャンパスである。岐阜は横浜よりかなり寒い。おそらく3度以上気温が低かった。岐阜大学で驚いたのは工学部と同じ学部レベルで応用生物学部がある点である。岐阜大学の前身は農業大学なのかと思う。

ケーブルカーで金華山に登りそこから岐阜城に向かう。

岐阜城の天守閣からの眺め。岐阜城は山頂にある山城で以前は稲葉山城と言われていたのが織田信長が岐阜城と改名したものである。織田信長はここで天下統一を目指して「天下布武」の宣言をして都市名を岐阜に改め天下統一の乗り出している。広々とした濃尾平野を見ているとその気持ちが分かるような気がする。中央奥のほうのビル群が岐阜大学である。

また山の上からの長良川の眺めを見ていると高橋治の「春朧」が思いだされる。長良川沿いの老舗旅館を舞台とした小説である。女性を主人公としたしっとりした小説だが高橋治は私の好きな作家である。

ごつごつした岩の上の天守閣。まだ梅が咲いている。岐阜もまたゆっくり来てみたいと思う都市だった。


キプロスの混乱は拡大

2013-03-20 08:48:41 | 社会

キプロス議会は昨夜(3月19日夜)預金課税法案を否決した。反対36、棄権19、欠席1で賛成票はゼロだそうである。既に預金封鎖は始まっており、今後どうなるのだろう、という思いである。

EUが支援の条件としたことを満たさなかったのでEUからの支援は受け入れられないだろう。キプロスは経済規模も小さく、人口も100万人ほどなのでEUとしてはこのまま様子を見ることになり、支援を受けられないキプロス政府がどうするかが注目の的になるだろう。

ユーロから離脱するかもしれないし、ロシアや中国が支援に乗り出すかもしれない。ロシアも中国も何らかの条件をつけるのだろうが、ロシアや中国では支援の条件は明らかにされそうになく、見えない所でも取引がありそうな感じがするので好ましくないと思っている。

イタリアもまだ政府はできておらず不透明な状況のままである。今月はヨーロッパは不安定な状況が続きそうである。

月曜日の大風と雨でスギ花粉は終わりに近づいてきた感じがする。テレビなどでは依然として花粉の量は「非常に多い」だが、私の取っての花粉症は治まってきている。完全になくなったという訳ではなくまだ鼻はむずむずするのだが症状は随分軽くなった。外出するときはまだマスクをつけているが、いつの間にかマスクが要らなくなるというように少しずつ花粉症の症状は消えていくものと思う。


自民党内でのTPPの議論風景の寂しさ

2013-03-19 14:44:01 | 社会

先日、自民党内でのTPP議論で怒鳴りあっている風景がテレビに放映された。ニュースでは尾辻議員と西川委員長が怒鳴りあったということになっているが、怒鳴っているのは尾辻議員で西川委員長はそれに押されまいと立ち上がったというのが正確なところだろう。報道では尾辻議員と西川委員長がやりあったとあるが、私は問題は90%まで尾辻議員にあると感じた。

尾辻議員には論理も何もなく、委員長に「座りなさい」なとと言える立場でもないのに大声を出して自分の意見を通そうとする、理論武装も何もできていない人間が声の大きさで勝とうとするあさましさを感じた。私の父の世代はこういう議論の仕方は結構あったと生前の父から聞いていた。最近は声の大きさで勝とうなどという人は居なくなったと思っていたが、国会議員の中ではまだまかり通っているのかと思うと寂しくなる。流石に、石原環境大臣や林農水大臣の50才台はこういうことをする人はいないと思うが、60台ではまだこういう議論の仕方をする人がちらほらいるかもしれないと思う。70台にはかなり居るのだろう。80台では普通の感覚かもしれない。

議論の態度だけでなく中身も問題である。自民党の中でもかなりの人が米を始めとするいくつかの項目に関税を残すべきと言っている。関税を残すというのも程度問題だと思う。現在のコメの778%の関税などはあり得ない数字である。これだけの関税をかけないと維持できない産業は全く国際競争力がないと言えるだろう。どうしてコストがそんなに高いのか? 作っている人の働き方が機械化の程度を含めて問題にならないほど低いからだろう。これを維持せよというような議論は、働かなくても金をよこせと言っているのに近いと思う。X年後には778%を30%まで関税を下げる。公立を挙げて国際競争力を高めることには合意するが時間がかかる。だから改良のためにX年間の時間を欲しいと言ってそのX年の長さを議論する、といった議論にすべきである。

TPPに参加したら本当に日本にとって得になるのか、アメリカとの直接交渉のほうが良いのではないか、アセアンとの交渉が良いのではないかといったたぐいの議論はいくらでもありえると思う。しかし700%を超える関税を維持すべきという議論はあり得ないと思う。

ともあれ、自民党の国会議員の中に非論理的議論で押し切ろうとする人がたくさんいてそれを抑え込めない状態であるというのは情けない限りである。


キプロスで起こった預金封鎖

2013-03-18 09:28:23 | 経済

今日は円貨ユーロに対して3円弱と大幅に上昇し、対ドルでもそれなりに上昇していることから株価が急落している。この震源地はキプロスで、EUはキプロスに対して財政支援を約束する代わりに、キプロスの預金封鎖をして預金者に対して最大で10%の課税をするという発表を行ったことによる。

全ての預金を封鎖した訳ではなく一部の預金(基準は私には分かっていない)に対する封鎖である。利益に対して課税するのではなく、預金に対して課税するというのは随分乱暴な話だが、EUにも考えがあるようである。キプロスはタックスヘイブンの国として有名で富裕層がマネーロンダリングのために使っている。今回の措置は、詳しいことは不明だが、おそらくこのような脱税口座を狙ったものだろうと思う。

それなら別に悪いことではなさそうに思うのだが為替が乱高下するということは、このようなタックスヘイブンを利用している人たちの世界経済への影響力がそれだけ大きいということだろう。キプロスを利用しているのはロシア人が多いということだが、ロシア人を狙い撃ちにしたのかどうかは良く分からない。

タックスヘイブンというと、ケイマン諸島やバミューダ諸島、マン島などが有名だがこれらはいずれも英国領である。ロンドンのシティは世界の金融センターとして有名だが、イギリスは公式な金融を行うと同時にこのようなタックスヘイブンの仕組みも裏で動かしているのかと思う。こういう仕組みは複雑でイギリスがやっている訳ではないのは確実で、イギリスの財界がやっている訳でもないだろう。それでもイギリス政府に黙認させるほどの影響力を持った勢力が動かしているのだろうとは思う。これをきっかけにタックスヘイブンの仕組みが明らかになれば世界経済にとっては良いことだと思う。

ヨーロッパやアメリカの市場はまだ開いていないが、これらの動きがどうなるかによって今後の展開も変わるだろう。大きな影響はないとは思うが気がかりな動きではある。


音楽の歴史から江戸文化を考える

2013-03-17 09:25:38 | 生活

最近、日の出が早くなってきたので時々、朝に散歩をするようになった。マスクをかけて、花粉防止の眼鏡をかけて、ラジオのイヤホンを耳に入れて歩く。気持ちの良い朝だが、歩く格好はあまり良くない。

朝のNHK-FMに「古楽の楽しみ」という番組があるが、重厚なパイプオルガンの音を聞いていて、ふと「日本の古楽はどうなのだろう」と思った。バッハが生まれたのは17世紀末、ベートーベンが生まれたのは18世紀の初め、日本でいえば江戸時代である。

江戸時代の音楽はお座敷の踊りの伴奏のように、メインではなく座を盛り上げる道具という位置づけであったように思う。他の音楽も能や狂言の伴奏という印象が強いし、虚無僧の尺八や鳥追いの三味線などはストリートパフォーマンスという感じで、音楽で生計を立てるプロの音楽家はいなかったように思う。同時代のヨーロッパと比べて音楽における落差は大きいと思う。

文学の分野では松尾芭蕉に代表される俳句、近松門左衛門の浄瑠璃、滝沢馬琴の里見八犬伝等の作品があるし、絵画の分野ではヨーロッパの印象派に大きな影響を与えた喜多川歌麿、東洲斎写楽、葛飾北斎、歌川広重などの浮世絵がある。数学では関孝和の和算がありそれを使った「天地明察」で有名になった天文学もある。蒸気機関は発明できなかったがからくり技術は相当のものであった。こう考えると音楽の日欧の落差が随分大きいように思う。

どうしてなのだろう?と考えてみた。楽譜のように音楽を記録する手法が見つかっていなかったこともあるだろうが、江戸時代の日本は貧富の差が少ない社会だったことが大きいように思う。江戸時代の日本は富裕層が不在の貧富の差が少ない社会だったことが大きいのではないかというのが私の見方である。

絵画でも肖像画を書くようなビジネスは発達せず、印刷して大量配布できる浮世絵が発達したのだろう。音楽の世界でも、パトロンになれる富裕層が居なかったことがプロの音楽家が出なかった理由だと思う。紀伊国屋文左衛門のような商人の金持ちは出たが、倹約令が出て自宅で音楽界などはできなかったのだろう。音が外に漏れないほどの広大な屋敷を持った人も居なかったのだろうと思う。

江戸時代の貧富の差の少ない社会構成が現在の日本人の意識にも大きな影響を残しているように思う。