ウィトラのつぶやき

コンサルタントのウィトラが日頃感じたことを書いていきます

空から見た大阪

2009-01-31 17:49:11 | 生活
今日は大阪の実家に来ている。
普段は新幹線で来るのだが今回は羽田から伊丹への航空機で来た。

乗っている時間は1時間程度と短いが、羽田で待っている間に「天候が不順なため到着できないときは別の空港に降ります」などという条件付きのアナウンスが多々あった。大阪は特に問題なかったが、滑走路に何かが入ったとかで、20分ほど遅れた。羽田前行くのも結構不便だし、やはり大阪までは新幹線のほうが信頼性が高いな、と思った。ただし伊丹空港を下りてから千里までは非常に近く便利である。

空から大阪を眺めたのはずいぶん久しぶりの気がする。伊丹空港というと大阪の大分北のほうにあるイメージだったが、窓から見ていると、大阪城のすぐそばを飛んでいるような感触だった。

空から大阪を見て感じたのは緑が少ないということである。大阪城と淀川をはじめとするいくつかの川を除くと緑がなかなか見当たらない。もっと緑化が必要ではないかと思う。また大阪湾から海のほうも見えるのだが海岸線がうまく活用されずに荒れている感じがする。京浜工業地帯もそうだが昔は海岸沿いに工場ができて海岸線は工業地帯として始まることが多かったのだが、最近はウォーターフロントといって公園になったり観光地になったりしている。しかし、大阪の海はまだほとんど活用されていない感じである。景気が悪く資本投下できないのかもしれないが、30年計画くらいで作りかえることを考えても良いいように思う。

写真は築地と浜離宮の間を流れる川である。

長津田の中華料理屋

2009-01-30 13:31:29 | 生活
今日は外出から帰る途中で長津田の中華料理屋で昼食にした。なかなかおいしかったので報告しておく。

食べたのはAランチ850円である。「四川風揚げ豆腐炒め」という名前だったと思う。揚げ豆腐を細かく切ったものと豚肉、ニンジン、玉ねぎ、ピーマン、タケノコ、キクラゲなどを合わせて炒め、天津丼にかけるような茶色のあんにトウガラシを入れたものをかけた料理である。

外は冷たい雨が降っていたが、あんが炒めた揚げ豆腐のアツアツの状態を保存してくれてピリ辛なので体が温まる。なかなかおいしかった。スープとザーサイ、冷やっこがついている。

店は二人の男性がやっていて一人は調理、一人は接客であるが二人とも言葉の感じから中国人のようだった。また来てみたいと思うような店だった。

店の名前は覚えていないが長津田駅から西側に出て歩いて2分くらい、ラーメン・餃子という看板が出ているのでちょっと見るとラーメン屋かと思うがメニューは中華料理である。広さは典型的吉野家くらいの大きさの狭い店である。4人がけのテーブルとカウンターがある。

写真は中国敦煌の中華料理屋の料理である

本業以外の業務経験

2009-01-29 09:05:58 | 昔話
私は1974年4月にNECに入社して通信研究部に配属になり、私の無線通信の研究者生活が始まるのだが、実際に通信研究部で仕事を開始する前に2カ月ほど現場実習というのがあった。そこでは研究試作部で旋盤を回すことになるのだが、それを含めて大学時代のアルバイト経験などを書いてみようと思う。

研究試作部というところは研究所内の各部門が実験のために特殊な装置を作りたい、という要請に応じて試作品を作る部門である。当然ほとんどが単品料理で、要求される規格も異なる。私のような新入社員に任せられるはずもなく、ほとんどお客様扱いであった。最後の日に一番規格の緩いものだけを実際に使うものとして作らせてもらった記憶がある。

それでも仕事としてはほかの人と同じスタイルでやる。旋盤の仕事は毎日立ってやる仕事である。最初の一週間は午後になると疲れて仕方がなかった。2週間ほどするとずいぶん慣れてきた。体力もついてきたと思うし、食欲も多くなった。やはり立っているだけでかなりエネルギーを消費するものだと思った。

ここの部門の人は人格者が多く、私は感心したものである。後に「現代の名工」として神奈川県から表彰されたような人もいた。しかし、私自身には適正があったとは思えずこの分野を選んでいたら一生芽が出なかっただろう。この経験は後に研究者となって試作をお願いするときには生きた。どういうことを言うと喜ばれて、どういうことを言うと嫌がられるかが相手側の立場でわかったからである。

これ以外の経験として大学時代にアルバイトをいくつかしている。家庭教師はいくつかやったがほとんど中学生相手だった。 最初にやった家庭教師で教えていた中学生がどんどん成績が良くなったので自信を持った。考えてみたらもともと本人に素質がありたまたま先生と相性が良くなかったか何かだったと思う。

最初は英語を教えてほしいと言われた。私の教え方は教科書を声を出して読んでみろ、といって発音がわからないところは教えてあげる。次に訳してみろといって訳させる。やはり判らない単語は教えてあげる。文法もわからないところは教えてあげる。こういうやり方だと学校での教え方の10倍くらいの速度で進む。たちまち、教科書は全部終わってしまった。そこで副読本を買ってきて同じやり方をした。これで本人に英語に自信がついたのではないかと思っている。 このやり方を何人かにしたが、最初の人が一番伸びた。やはり本人の素質だろう。

京都にある会社の幹部に囲碁を教えに行ったこともある。これは回数はそれほどなかったが、えらそうな中年の人に「先生」といわれてくすぐったいような感じだった。

ほかに、万博で「クワス売り」のアルバイトもしたが、これについては以前書いた。

建築現場で働いたこともある。「養生」という塗装の際に変な所にペンキがつかないように囲う作業である。ペンキで服が汚れるのでだぼだぼの作業服を着て行う。素人が建築現場でやぐらの上に登ったりしても事故を起こさないように様々な工夫がしてあったのが印象的だった。

なぜアルバイトをしたかというとあまりお金がほしかったという記憶はなく、どちらかというと経験してみたいという感じだった。その後の人生でどう役に立ったかは明確ではないが、私自身は楽しんでアルバイトをやっていた。

写真は鶴見川下流の京浜急行の鉄橋である。長さ42Km の川にしては豊かな水量である

公務員改革のありかた

2009-01-28 08:34:16 | 社会
公務員改革について最近よく耳にするようになった。渡辺元行政改革担当大臣が自民党を離党していろいろ発言したり、野党も発言している。しかし私にはどうもポイントを外しているように思える。

私の視点では公務員改革でするべきことは大きくいって以下の二つである。
①国政を実質的にリードする官僚の働き方を改善し、国民に実益のある施策が行われるようにする
②全国に何百万人といる公務員の業務効率が民間と比べて相対的に低いのを改善する

現実に良く語られるのは「天下りの禁止」である。これは①を改善する狙いだと思われるが、私は実質的にはほとんど効果がないものと思っている。つまり、実質的効果を狙うよりは大衆の「けしからん」という心に迎合する選挙対策だと思っている。

天下りは主に上級公務員という一握りの人たちが行っているもので、全体に占める割合はそう多くない。更に、「良いところに天下ろう」と思って仕事をしている人たちもいることはいるだろうが、少数派だと思われる。これを全面禁止することによりどれほどの効果が得られるのかが疑問である。

上級公務員は若い時にはものすごく働かされる。それでも頑張るのは将来の安定して生活が約束されていることが一つの要因だろう。天下りを禁止するなら上級公務員の給与値上げと抱き合わせにすべきだと思う。

天下りの抑制は既にかなりの仕組みが出来上がっている。それにもかかわらずなくならないのは受け入れる側にも需要があるからだろう。それが現役官僚とのコネという側面は強いだろうが、必ずしも不当に自分に有利にしてほしいという欲望からきているとは限らないと思う。

あと出てくるのは公務員の給与切り下げである。これは渡辺氏は言っているが野党は言っていない。これは②に対する効果があり誰かが言うべきことなので一定の評価を与えることができるだろう。

しかし、天下り禁止も公務員の給与値下げもネガティブな動きである。こういうものから新しい知恵は出てこない。むしろ出てくるのは抜け道を探す動きだろう。公務員改革を言うならば、公務員がより良く仕事ができて、効率が上がるようになるような方策を考えるべきだろう。

私の意見では、
①に関しては省庁の縦割り行政を崩して全体最適化を図るような仕組みを作ることだろう。例えば縦割りがひどいと思えばそれを訴えることができるようなお目付け機関を総理大臣の下に置くなどである。
②に関して言えば予算の使い方の見直し、人事評価尺度の見直しなどを行い、実質的に役に立った組織が評価され、個人も評価が高くなるような制度を考えることだろうと思っている

「公務員改革」といいながら「天下り対策」くらいしか具体案が出ない政治家は受け狙いの偽物だと思うことにしている。

写真は浜離宮の近くに停泊するオリンピック招致の看板をつけた東京都の船である

東海道踏破計画第4日 三島

2009-01-27 16:41:05 | 旅行
三島の街に入る。駅の近くで昼食にしようと思う。駅まで行く少し手前に三島大社がある。大社というだけあって、建物も立派だし敷地も広い。写真は本殿の一つ手前の建物である。敷地が広いので歩き甲斐がある。屋根の緑も美しく感じた。

箱根では観光客はあまり見なかった(朝早かったからだろう)が三島大社では結構見かけた。

昼食は駅のすぐ前の食堂にした。五目釜めし980円。駅前なので新幹線に乗る旅行客などが多く、13時48分の新幹線に乗ると言っていたのでその位に行こうと思って食事をした。駅に行ってみると48分は下り列車だった。幸運にも上り列車が49分発だったのでほとんど待たずに乗れた。

新幹線に乗ると3日間かけて歩いた距離を1時間足らずで戻ってきてしまった。何か複雑な気分だった。

ともあれ、今回は三島まで行った。国道1号線の道路標識によると日本橋から120Kmくらいなので1日30Km のペースで歩いたことになる。2月3月はスギ花粉の季節なので歩くつもりはなく次は大分暖かくなってからだろう。その頃は日も長くなっているので1日35-40Kmくらい歩けるのではないかと思っている。

東海道踏破計画第4日 三島への道

2009-01-27 16:29:01 | 旅行
今日は三島までだと思っているので気分にゆとりがある。芦ノ湖に別れを告げ箱根峠を越えて三島に向かう。箱根峠までの上りは距離は短いが急坂で汗をいっぱいかいた。三島までの道はところどころ国道1号線を歩き、ところどころ写真のような級銅を歩くようになっている。国道1号線の表示は三島まで18Kmとあったから結構な距離である。

それでも下りなので快調に歩く。早く三島につきすぎたら沼津まで行こうかなどと考える。しかし、10時を過ぎることから次第にくたびれてきてやはり三島までにしようと思う。石畳の下り道は意外に歩きにくい。足の裏への反応が結構強いのである。11時を過ぎると民家が見えてくる。前日まではこのくらいの時間から昼食の場所を探しながら歩いたのだが、この日は11時半頃にイタリアンレストラン、喫茶店に入ってカプチーノを頼んだ。明るい店で壁際や出窓などに一面にワインやオリーブの瓶が置いてあり、種類も違っている。なかなかしゃれた店だった。

東海道踏破計画 第4日 箱根―三島

2009-01-27 16:15:48 | 旅行
昨日書けなかった東海道の続きを書こう。

朝8時に元箱根のホテルをチェックアウトし旧東海道を歩く。石畳と杉並木であるが、箱根の冬の朝は寒い。急ぎ足で歩いた。
夏なら観光客でいっぱいなのだろうがこの季節歩いている人はいない。しばらくすると箱根の関所に出た。

写真は箱根の関所の江戸側の入り口である。私は以前にも来たことがあるのだが、以前は特に何も感じなかった。「たいしたことないな」と思っただけだった。今回しばらく歩いて到着するとやはり感じ方が違う。やっと着いたかという思いと、周りに柵を巡らせて通り抜けられないようにしてひとりひとりチェックされた昔の旅人のイメージが多少感じられた感じがする。

天気はよく、富士山はきれいであるがどういうわけか写真で富士山を撮るときれいに映らない。技術が悪いのだろうか。

東海道踏破計画 第3日

2009-01-25 16:33:49 | 旅行
朝の8時にホテルを出た。

鴨川インはなかなか静かでよいホテルだった。今日は昨日より天気が良く快晴である。しばらく東海道線と平行に歩くと国道1号線に出た。小田原まで21Kmとあった。既に1Km くらい歩いていて、箱根駅伝の平塚―小田原は20Kmを切るくらいだと記憶していたので自分の感覚よりも2-3Km長い感じだった。

間もなくJRのガードをくぐり大磯にでた。平塚と大磯JR駅は意外に近く、「もう大磯か」という感じだったがそこからが長く大磯ロングビーチ、吉田茂邸などを経て大磯から出るまでに1時間くらいかかった。

二宮に入ってしばらくすると小田原湾が見えてきた。その向こうに箱根の山々が見える。随分遠くに見えたが「遠いなー」とも「よし頑張ろう」とも感じず淡々と歩いた。10時半を過ぎたあたりからそろそろ休憩する場所を探しながら歩いていたが、なかなか気に行ったところが見つからず酒匂川東岸のデニーズに入ったのは11時半だった。980円のステーキを食べた。

酒匂川から小田原はすぐの感じで、この時点で、もう一泊して箱根を越えようと心に決めた。小田原城の近くを通ったのは1時前だった。とりあえず箱根湯本まで行こうと思って歩いていたのだが小田原から箱根湯本までが意外に遠く感じた。午後1時を過ぎていたのだが坂を上っていく車が下ってくる車と同じくらい多く、宿が見つかるかどうか心配になってきたので、箱根湯本の旅館斡旋所で探してもらおうと思った。

箱根湯本に着いたのは午後2時頃だった。歩いて箱根を越えるというと、旧街道を行くんでしょう、と言われた。私は箱根駅伝の国道1号線を行こうと思ったのだが確かに旧街道のほうが趣がありそうである。ただし途中にあまり宿はなく、元箱根まで行ったほうが良いと言われた。10Kmくらいだそうである。疲れていたが10Kmくらいなら3時間で行けるかと思い承諾した。

13800円で前金で10000円取られた。歩き始めてすぐに後悔した。上りになると時速2Kmくらいでしか歩けない。平坦なところもありそこは4Kmくらいで歩けるのだが、どうも5時に着くのは厳しそうである。そうすると日が落ちて暗くなってしまう。4Kmくらい行ったところで3時20分である。まだ6Kmある。これは5時半、下手をすると6時に到着することになる。暗いところは歩きたくないな、と思った。

バス停があったので時刻表を見たら5分後にバスが来ることになっている。そこでひよってバスに乗ることにした。バスに乗ると15分くらいで元箱根につき、ホテルバス停の眼の前の湖畔にあった。結局4時前にチェックインしたが、全行程を歩くという計画は途絶えてしまった。ホテルむさしやという、名前はホテルだが内容は典型的な温泉旅館である。

東海道踏破計画 第2日 宿に着くまで 

2009-01-24 19:20:13 | 旅行
藤沢を過ぎると国道1号線が地下にもぐってしまい、歩けなくなった。代わりに30号線沿いに歩いた。藤沢を過ぎて、辻堂、茅ケ崎と来たあたりで疲れてきた。茅ヶ崎を過ぎた団地の喫茶店で休憩してコーヒーを飲んだ。

キリマンジャロが250円と良心的な価格で、店の女性も感じが良かった。写真を撮らせてくださいと言ったが断られた。このあたりで午後3時半、今日の宿泊は平塚に決めた。家を出るときは調子が良ければ大磯くらいまで行こうかと思っていたのだが無理はしないことにした。

午後5時前に平塚の鴨川インにチェックインした。一泊朝食をつけて7700円くらいである。近くにスーパー銭湯はないかと聞いて太古の湯というのを教えてもらった。料金は1500円。地下1300メートルまで掘っているそうなのでコストが高くなっているのだろうが、温泉は大したことがなく、私のいつも行く「ゆけむりの里」550円、のほうが良いくらいだと思った。それでも、温泉のおかげでずいぶん疲れが止めた。夕食はとんかつ屋でロースカツ定食とビールにした。

写真は相模川にかかる湘南大橋からの平塚の町である。

東海道踏破計画 第2日 昼食

2009-01-24 19:10:20 | 旅行
昼食は藤沢の手前のお好み焼屋で食べた。

大阪の梅田のお好み焼屋という看板に惹かれて入ったのだが、出てきたお好み焼は私のイメージとはちょっと違ったものだった。私はイカ葱のお好み焼を注文したのだが、私のイメージでは小麦粉を溶いたボウルと具の入ったボウルが出てきて、具のボウルには卵が入っているのでそれを崩して具をかき混ぜる、そして小麦粉と混ぜ合わせ鉄板の上で焼く、というものである。しかし出てきたのは既に小麦粉まで混ぜ合わせたもので、見たところ殆ど葱の感じだった。さらにスープが出てきてスープにつけて食べてくださいと言われた。鰹節系のスープで上品な味であったが880円もする割にはイカの量が少なく、良心的とは言えないと思った。リピータは少ないだろう。

写真はお好み焼屋の看板である。