ウィトラのつぶやき

コンサルタントのウィトラが日頃感じたことを書いていきます

清水寺

2009-04-30 10:26:34 | 旅行
和服の女性を撮ればよかったと思うがカメラを向けるのがはばかられて入れなかった。今週末などは人でいっぱいになるのだろう。

久しぶりの京都見物

2009-04-30 09:27:50 | 旅行
28日には昔お世話になったフランス人を案内して京都見物に行った。

時間が限られていたので多くを見ることはできなかったが27日の伏見稲荷とあわせて久しぶりの京都見物であった。妙心寺から二条城、清水寺と行った。

清水寺には和服を着た若い女性が結構いた。レンタルで貸してくれるらしい。やはり日本の古都に和服の女性は良く似合う。見かけは楚々とした日本女性だが中身はキャピキャピのギャルで外国人がカメラを向けると「イェイ」といってVサインを出す。和服を着るほうも見られることを意識しているらしく、楽しそうで見ている方も良い気分だった。服を貸した人、借りた人、それを見ている人、皆が喜ぶ良いビジネスモデルだと思う。

清水から京都駅までタクシーに乗ったのだが、運転手は今日はゴールデンウィークとは思えない客の少なさだと言っていた。やはり不景気が影響しているのだろうか。そういえば新幹線も行きも帰りもずいぶん空いていた。


観光客として京都を見るときに自分が神社仏閣に対して以前よりもかなり強い興味を持っていることを感じる。今度改めてじっくり京都・奈良を見たいものだと思った。

伏見稲荷の山を歩いているときに京都周辺トレイルというハイキングコースを見つけた。伏見稲荷を出発点に、京都の東山を通って比叡山、高尾、嵐山のほうまで歩くコースで全長70Km とある。70Kmというと神戸くらいまで行く距離なので、相当に行ったり来たりして有名な場所を巡るようになっているのだと思う。

これもいつか歩いてみたいと思う。

今回の京都めぐりの写真を何枚かUpしようと思う。

写真は伏見稲荷の本殿である。

現在の政局

2009-04-28 21:36:57 | 社会
現在、豚インフルエンザの話で騒いでいるが政局としては安定してきた感じがある。

麻生総理の支持率も敵失のおかげで最低線を脱して上向いてきた。今は総理がいつ解散に打って出るかが話題になっている。

解散をやるぞやるぞと言いながら国会運営をして、野党が理不尽な動きに出ることを防止することが麻生総理の本来やりたかったことであり国会運営の基本戦略になっていると思う。

ただ、総理が読み違えていたのは国民は国会での議論の内容には興味がなく、毎日バーに飲みに行ったとか、漢字を読み間違えたとかいうことに国会審議の内容よりもはるかに強く反応するということである。

これは国民というよりも、直接的にはマスコミの興味であり、それが私がいつもマスコミに対して否定的見解を持つ理由になっているのだが、マスコミは自分の価値観で動いているというよりも国民の興味のあることを報道してビジネスにしたい、視聴率を稼ぎたい、というのが基本的行動原理であるので、国民にマスコミと同じような傾向があるのは否定できないと思う。

一連の騒動で学んだと思うのでこれからはマスコミ対策ももっと考えたものになると思うが、鳩山総務大臣の発言を聞いていても、国民に受けようという意図が見え透いていて、自民党の(政治家の)国民に対するメッセージというものが本当に政治理念から出ているのか、不安になることはぬぐいきれない。

政治家の発言というものは単純に理念で発言するのではなく多くの要素を考慮してなされるものであることは承知しているつもりであるが、あまりに見え透いた人気取りの発言は却って裏を見透かされるのではないかと思う。

マスコミを、国会の議論の内容を正しく国民に伝えるように誘導すればそれが与党のためになる、というのが現在の国会の実態であると思うので、変に小細工を弄せず正々堂々とやってもらいたいものだと思う

伏見稲荷

2009-04-27 17:02:31 | 旅行

今日は、大阪の実家でこの記事を書いている。同志社の京田辺キャンパスの教授と打ち合わせて、その後千里まで来た。

同志社というと京都御所の隣のキャンパスをイメージしていたのだが京田辺キャンパスは奈良学園都市の近くで、京都と奈良の途中にある。広々としたきれいなキャンパスであった。私が行った時には広々した中で閑散とした静かなキャンパスのイメージだったのだが、昼食時になると、食堂に向かう大量の学生が出てきて「こんなに学生がいたか」と思うほどである。まだ4月なのでまだ真面目に皆授業を受けている、という話だった。

実家からはかなり時間がかかるので前日、京都駅前のホテルに泊って、朝早めに出て伏見稲荷を見てから行った。 私は学生時代に京都に4年間もいたのに伏見稲荷は始めてである。京都駅より南の方にはほとんど行ったことがなく、京都から奈良に向かう電車に乗ったのもこれが初めてだった。

初めての伏見稲荷はなかなか良かった。朝だったので巫女さんや神主さんが支度をしている中を通って山に向かう。話しには聞いていたが圧倒的な数の朱の鳥居をくぐって山に登る途中にいろいろな神様が祀られている。まさに八百万の神、という感じである。

山を下りてくると、能舞台で雅楽を演奏し、巫女さんが舞っていた。横に座っていた信者の人が舞をお願いしたらしいのだが、屋外の能舞台なので誰でも見ることができる。写真は禁止とのことで撮らせてくれなかった。

 歩きながら考えたのだが、同じ神社でも伊勢神宮や熊野大社とは全く趣が異なる。お稲荷さんは五穀豊穣の神なので庶民の神様という感じがする。伊勢神宮や熊野大社は天皇家と結びついて権威ある神になったのだが、稲荷は庶民の神というスタイルを継続してきたのだろう。

どちらも日本神話を出発点にしているが発展の仕方が庶民の裕福になった人や団体が「うちの神様」という感じで次々とつぎ足していった稲荷に対して、権力者が統治の道具として高貴なイメージを作り上げていった神宮とに分化していったのだろう。

そのうち一度日本の神社の系列をきちんと調べてみようと思った


特許を書く訓練

2009-04-24 14:45:04 | 昔話
会社に入社してしばらくすると、研究所に勤務していると特許を出願することを求められる。

私は、以前書いたように理学部上がりであり物事の理解はできていても自分でモノを作るのは得意でもなかったので、特許を書くにはどうすればよいかについては見当もつかなかった。

しかし、上司は部下に特許を書かせるように指導することが求められており、上司と打ち合わせをしてほとんど誘導尋問のような形でアイデアを出してそれを特許に書け、と言われた。内容も今では記憶していないが自分のアイデアというよりは上司が既にアイデアを持っていて練習のために書かせるというような感じだった。

ほとんど貰ったようなアイデアでも、それで特許を一度書いてみるとずいぶん色々なことがわかる。特許は「従来技術の問題点」を明確にして、この特許ではどこを改良するか、というところから入る。ほとんどの特許はこのパタンである。そして、なれてくると、「従来技術の問題点」が明確になれば半分は特許はできたようなものだ、という感覚になる。問題点が分かればそれを解決する工法を考え、実施例を考えて書く。

たいていの場合何らかの解決策を見つけ出すことはできるので、解決策を考えるのが20%実施例で具体的にどうやって解決するかを考えるのが30%という感じになる。 このアイデアを考えて特許としてまとめる、という一連の手法は3回くらい特許を書けば身につけられる。しかしそれで終わりではない。

特許性のあるアイデアであっても実際に使われる有効な特許はきわめてまれである。しかも出願した特許が特許庁の審査を通って登録され、実用化されるには長い年月がかかる。その間に周囲の技術なども変わるので出願当時自分が有効だと思ったのと別の側面が実用上有効になったりすることが良くある。 従って、その特許のメンテナンスというのが極めて重要な仕事である。

しかし、発明者にとってはメンテナンスは苦痛になることが多い。特許を書いて5年もするとたいていその特許のことは忘れてしまっている。仕事も変わっていることが多いだろう。その頃になって特許庁から反論が来たから何とかしろ、と特許部門から依頼がくる。思い出すだけでも時間がかかるし、そう簡単に回答できるものでもない。しかもその時抱えている仕事とは直接関係のない内容である場合がほとんどである。

これをきちんと対応することは、特許を有効にする上では非常に重要である。普段の仕事が忙しいような場合には、私は土曜になどの休日に会社に行って処理をしていた。

もうひとつ重要なポイントは特許部門の人を味方につけることである。大きな会社にはたいてい特許部門というのがあって、特許として通りやすい書き方はなにか、どういう反論をすれば受け入れられるか、どういう状態になったらあきらめざるを得ないかなどに関して様々なノウハウを持っている。

自分で良い特許だと思ったのに「前例がある」などといって特許庁から反論が来たような場合には、この特許部門の人に相談するのが良い。彼らは事務手続きも行っているが特許を良くすることが本来の業務だと思っているので相談に行くとたいていの場合快く相談にのってくれる。そこで、「こういう反論が来たのだが、自分としてはこの部分が少し違うと思うのでもう少し粘りたい。どうやったら粘れるだろう」などと相談する。 そうすると、自分ではあきらめざるを得ないと思っていたようなところまで頑張れるような書き方を教えてくれたりする。

人間関係も構築できて後々役に立つ。 特許のメンテナンスに前向きに取り組むことが特許活動にとっては極めて重要だと思う

大きな政府、小さな政府

2009-04-23 13:39:22 | 社会
最近何度か書いた、「大きな政府か、小さな政府か」に関する私の意見をまとめてみよう。

私は究極的には日本は大きな政府を目指すべきだと思っている。その一方で小さな政府を目指した小泉改革に賛成である。矛盾しているようだが自分の中では以下のような整理になっている。

大きな政府とは税率を高くして政府に資金を集め国全体の運営を行う方式である。実際、スウェーデンでは高所得の人は税金と社会保障の合計が70%にまでなるそうである。

そのような体制を実現し、維持するのに必要不可欠なことは、公務員の生産性が民間と同等以上になることである。現在の私の印象では公務員の生産性は民間の半分くらいではないかと感じている。 従って、大きな政府を目指すには公務員改革とのセットが不可欠だと思っている。

そのポイントは二つあって、一つは予算の考え方、もう一つは業績評価である。 予算は公務員の場合予算どおりに使うことが至上命題になっているが、民間では予算を上回ることが求められる。民間の場合利益という指標があり、利益が予算を上回ればよいのであるが、公務員の場合には利益を求めていないので、サービスの質を低下させて予算を余らせる、というようなことになっては意味がない。

これが業績評価につながるのだが、現在の公務員の業績評価は同じ公務員の上司が行っている。従って組織に貢献した人が評価されす仕組みになっている。しかし、公務員は本質的にはサービス業なので、業績評価は納税者の意見で行うのが本来の筋である。企業でいえば顧客の評価ということになるのだろう。

この仕組みをどうやって実現するかを、予算の考え方とセットで実現する必要がある。 これまで、公務員改革は民営化促進ということで行われてきた。これはコストセンターからプロフィットセンターに移すことにより効率が高まるというものである。しかし民営化は手段であって目的ではない。目的は公務員の生産効率を高めることのはずである。

私が小泉改革に賛成なのは、このような公務員の生産効率を高める方策としては現時点では民営化して公的な予算や規模を縮小することが将来の公務員改革につながると思うからである。

郵政民営化にしても、一度民間にして民間の業績管理の仕組みで動かしてみて、問題が生じれば(必ず問題が出ると思うが)再び公的なサービスの側面を復活させる。しかし、そのときには昔の郵政3事業ではなく、効率を重視する民間の考え方を主体とした公的サービスになるはずである。

そのような意味で一度思い切って公務員の数を減らし、その上で効率のよい公的サービスの在り方を考えるのが筋だと思っている

若葉の季節

2009-04-22 09:27:04 | 生活
ふと気がつくと桜の花も散って若葉がいっぱい出ている。何となく桜ばかりに目が行っていた感じがあるがほかの木にも若葉がいっぱい出ている。

毎日見ているはずなのに注意を払っていないので気付いた時には「いつの間にこんなに葉が出てきたか」と思うような感じになる。私が1年で一番好きな時期である。

元々、私は寒いほうが好きなので早春の桜の季節が一番好きだった。しかし、桜の季節はスギ花粉がまだ残っており、一番好きな季節ではなくなった。私はヒノキには花粉症が出ないのでこの時期が最も好きな季節になっている。

そろそろタケノコの季節である。筍を掘るのはまだ芽が出ないときだが、筍堀りよりも地上に出てきて毎日ぐんぐん伸びるのを見るが好きである。この様子を見ていると自然の生命力を感じる。

自分はもう会社を定年になるような年齢なので専門分野でこれから大きく伸びることは難しいだろうが、新しい分野に首を突っ込んで勉強を始めた時などは、しばらく地中で力を蓄える時期があってあるレベルに達するとそこからぐんぐん伸びるということはまだ可能なような気がしている。

気分的にも新しいことにチャレンジしようという気分にさせてくれる良い季節になったと思う