ウィトラのつぶやき

コンサルタントのウィトラが日頃感じたことを書いていきます

道州制論議への疑問

2008-05-30 00:38:19 | 社会

道州制の論議が時々出てきて、今回は本格的論議になったようである。しかし、私には今一つ道州制の意義が理解できない。

道州制論議の本質は地方を大きく括って権限を委譲しようというものである。それで何が良くなるのだろうか?何となく権限を移譲すると地方が活性化するように思われているようだが私はこの点に大きな疑問を感じている。

道州制を導入して成功するための条件はそれぞれの州できちんと運営できるだけの人材がいることである。しかし私には日本全体でもきちんと運営できる人材が不足していると感じているので、これを分割するとますます人材が不足すると思う。

最近、官僚批判が強いが、私はそれぞれの分野で官僚は国家運営に不可欠の組織であり、彼らは一所懸命仕事をしていると思っている。問題は官僚の価値観が省益につながる側面が多く、国家全体の最適化に向かって動いていない傾向があるので、批判されているのだと思っている。この価値観を変えない限りうまくいかない。

問題の本質は世界の中で日本がいかに国際競争力を高めていくかであり、地域に分化るすると、分野毎の利益に加えて地域ごとの利益を考えるようになり、さらに視野が狭くなるのではないかと思っている。むしろ、日本が強くなるためにどうするかを考えるべきであろうと思う。その意味では消費者庁構想の方が効果があると思っている。

公務員改革の話も出ているがこちらは公務員の働きが民間に比べて悪いのをいかに改善するか、というのが課題のはずである。公務員はつぶれることがなく、安泰な上に業績評価がほとんどないために効率が悪くなっている。また、予算は使い切らないと翌年の予算獲得に不利になるので無駄遣いをするなどが問題であると思っている。しかし、最近提案された公務員改革もどの程度本質的改革に迫っているのか疑問に思う。

結局、どちらも官僚のポジション作りに利用されているような気がする


中学時代 今市中学校

2008-05-29 14:22:35 | 昔話

小学校を卒業して私は大阪市旭区の今市中学校に入学した。

中学校に入る頃には大阪弁もマスターしていたので特に困ることもなく、普通に友達もできて生活していた。

当時私たちは父が勤めていた会社の社宅に住んでいたのだが、中学校は社宅の目の前で通学は校庭を歩くだけ、というような状況で大変便利だった。 社宅の近くに会社の独身寮があってそこに卓球台があった。昼間は社員は会社に行っているので社宅の子供は卓球台で遊ばせてもらっていた。私は同じ社宅の子供や弟とよく卓球をしていた。

それである程度卓球に自信ができたので卓球部に入った。 後で考えると、中学時代の卓球部はほとんどクラブと呼べるレベルのものではなく、同好会レベルのお遊びであった。顧問の先生はいたのだがほとんど練習には関与しておらず、生徒同士で練習を決めていた。メンバーも全体で7-8人で、学年当たりは2-3人だった。大会にも殆ど出ていなかった。私は小学校時代は体育が苦手だったのでこのようなレベルの低いクラブがちょうど良かったように思う。それでも淀川の堤防を走ったりしていたので、それなりの鍛錬にはなった。

中学校に入ってから本を読むようになった。この時期よく読んだのは吉川栄治の「宮本武蔵」「私本太平記」、山岡宗八の「徳川家康」、海音寺潮五郎の「西郷隆盛」といった歴史大河ドラマであった。特に歴史に興味があったわけではなく、ただ面白いので読んでいたという感じだったと思う。

父は夏目漱石をずいぶん勧めたのだが、いくつか読んでみたがこれと言って印象深いものはなかった。まだ夏目漱石を読みこなせる感性が育っていなかったのだと思う。母は推理小説が好きだった。推理小説には犯罪者の心理をストーリーとして構成するサスペンス系と、謎解きに力を入れるミステリー系があるのだが私はミステリー系が好きだった。海外ものから国内ものまでいろいろ読んだ。大人になるにつれて、松本清張のようなサスペンス系が好きになっていった


プラハ到着

2008-05-27 14:16:47 | 旅行
現在、チェコのプラハに来ている。 昨夜到着して、少し仕事をしてそのまま寝てしまったので街はまだ見ていないが、空港からホテルまでのタクシーの中からも美しい街ということが感じられた。上空から見た時も畑の緑が広がっていて美しかった。街並みだけではなく、田園風景も美しい。

今回到着するまでは楽ではなかった。まず、多摩プラーザから成田までの高速バスが満席で乗れなかった。日曜日の朝は出発する人が多いのでチケットが買いにくいが、月曜日出発なら大丈夫でと思っていた。しかし、誤算であった。仕方がないので電車で箱崎まで出た。月曜の朝なので混んでいた。

飛行機の中も混んでいた。フランクフルト経由で入って、私はエコノミーの後ろの方の席であったのだが完全に満席であった。ツアーのような団体旅行者が多かった。この時期には団体旅行が多いのだろうか。飛び立つとすぐに前の席の人がシートを倒したのでパソコンなどはやりにくいほど前の座席との間隔が狭くなってしまった。映画を見るにも圧迫感があるので自分もシートを倒した。経験上、エコノミーではリクライニングといってもたかが知れているので、むしろ倒さないできちんと座っている方が疲れないのだが、今回は疲れてしまった。

機内のクルーもあまりよくなかったように思う。どこがどうということはないのだが、「仕事だからやっている」というような印象があり、親切とは言い難いような感じだった。良く揺れてサービスが中断したことも関係しているかもしれない。

来週の木曜日までプラハにいる。今回は写真を撮って報告しようと思っている

敗者の扱いの名人 ユリウス・カエサル

2008-05-25 17:01:58 | 社会
日本の戦いでは敗者を味方につけて戦力化したようだ、ということを囲碁・将棋のルールから推測したが実際歴史的にそうであったと思う。日本国内では人種も同じだし、言葉も通じるのでやりやすかったということもあるだろう。 ヨーロッパの街などを見ると、山の上に城壁で囲われた街を作ったり、街全体を壁で囲ったりして如何に外敵を恐れていたかがわかる。日本の城は戦争の拠点であり街全体を囲うようなものは見られない。

しかし、ヨーロッパの歴史でも敗者を味方につけて戦力化するのに天才的能力を発揮した人物がいる。古代ローマの初代皇帝ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)である。彼は「ガリア戦記」という本を書いているが、人生のかなりの部分をガリア地方(現代のフランスからドイツにかけて)の征服に費やした。 このカエサルで特徴的なのは征服したガリア人をローマ人の仲間として扱い、積極的に戦力化したことである。彼の生涯の終りの方はガリア人の部隊がローマ最強の戦力になった。

均質的文化の日本ではなく人種も言葉も違うヨーロッパでこれを実現したのは大変な能力だと思う。彼が暗殺されなかったら世界の歴史が変わっていたかもしれないと感じる。 なお、私自身で「ガリア戦記」を読んだことはなく、塩野七生さんの「ローマ人の物語」を読んで仕入れた知識である

囲碁・将棋と日本文化

2008-05-24 11:18:46 | 囲碁
私は囲碁だけでなく将棋、麻雀、トランプ、人生ゲーム、モノポリーなどゲームの類はみな好きである。その中でも囲碁と将棋が運の要素が少なくて好きである。

囲碁も将棋も戦争のシミュレーションゲームであり、囲碁はアジア地域で広まっており、将棋は日本だけであるがチェスなどの類似のゲームが世界各地で広がっている。いずれも中国を経て輸入されたものと思うがルールに対して日本独自の改良が施されている。 それは捕虜を殺さず生かして味方につける、という発想である。この発想は日本以外ではほとんど見られない。

将棋は取った駒を自由な場所に打ち込める、というルールのおかげでゲームの複雑さが格段に増し、趣を深めている。囲碁は取った石をお皿に入れておいて最後に相手の土地を埋めるのに使う。つまりとった石の分だけ相手の土地が狭くなる、というルールになっている。中国ではとった石は死んだものとみなしてその場で相手に返してしまう。このように違ったコンセプトでありながら日本ルールと中国ルールでの勝敗はほぼ一致しているので、日本のプロ棋士と中国のプロ棋士が対戦して日本でやるときは日本ルール、中国でやるときは中国ルールというようなことが可能になる。

捕虜を生かしておいて味方につけるということは、言い換えると捕虜になるとすぐに裏切る、というのが日本の常識であったということだろう。武士道、ハラキリなどのように命をかけてまでも主君に尽くすのが日本の特徴のように言われているが、私はこれは江戸時代以降のことであって、戦国時代までは裏切るのが常識であったのではないか、という印象を持っている。徳川幕府が下克上の風潮をなくすために教育をしたり忠臣蔵のような話を盛り上げたりして主君に命をささげるのを美談として祭り上げたのではないかと思う。

主君を変えるということは自分の力でのし上がっていかなくてはならないということである。江戸時代以前の日本人はそういう活力も十分に持ち合わせていたのではないかと思う。終身雇用が崩れて中途採用が増えても日本人は十分対応していけると思っている

趣味 囲碁

2008-05-23 07:14:28 | 囲碁

私は「趣味は何ですか」と聞かれると「囲碁」と答えることにしている。
これは私は大学の囲碁部で1部リーグのレギュラーであり、社会人になっても各種大会に出場して実績を持っているからである。

しかし、最近では囲碁に余暇の時間を費やすことはあまり多くなく、余暇の時間をどう使っているかで趣味を計るならば「歩くこと」といえるかもしれない。徒歩通勤を別としても、休日に2時間ほど歩きまわることは珍しくない。
囲碁に関してはテレビを見るのと新聞を読むこと、寝る前に本を読むことくらいである。それでも趣味という言葉から連想されるのはやはり囲碁である。

私はいつ囲碁を覚えたか記憶にない。室蘭にいたころで3-4歳ではないかと思っている。父が囲碁が好きで囲碁の本をいろいろ持っていたのだが、私が囲碁の本を選んで落書きをするので囲碁に興味を持っていると思って教えたそうである。

プロ棋士でも小学校1年のときに覚えたとかいう人が多いのでこの点ではトッププロ並みである。子供のころに近所のオジサンと打ったりしたのだが、それほど才能がなかったので「ある程度強い」というレベルで止まってしまった。大学に入るまでは父以外の人とはほとんど打ったことはなく、本も読んでいなかった。

それでもアマチュアの初段くらいはいっていたと思う。大学で囲碁部に入り、毎日実戦をやり、数年分の雑誌を読み、詰め碁や手筋の本を読んで1年で5-6段になった。このとき面白いと思うのは自分では知識は増えたが読みの力はほとんど変わっていないと感じている点である。

囲碁での読みは頭の中で「ああいく、こうくる、・・・」と何手か先までを想定するのだが、当然のように先の方になるとイメージがぼやけてくる。実際に並べてみると優勢ではないのに優勢に思えたり、相手のうまい手があるのに気がつかなかったりする。このイメージ力が読みの基本だと思っており、この能力は大学入学以降ほとんど変わっていないと感じる。プロ棋士は子供のころに修行しないと一定レベルより上に行けない、という理由はこれであると思う。それでも周りの人から見ると読みが深まったように見えるし、実際にそれまで読めなかったような手が読めるようになっている。これは頭の中に知識が蓄積され、形を見ただけで「何かありそうだ」という勘が働くようになっているからである。この「勘」は「読み」と同じくらい重要な要素であり、こちらは年齢に関係なく強化できる。

囲碁には多くの諺があるが「着眼大局、着手小局」という言葉が私の最も好きな言葉である。囲碁に限らず、戦略的思考の本質を表していると思っている。


地球温暖化について

2008-05-20 16:36:33 | 社会
最近地球温暖化は大きな問題として取り上げられている。

地球温暖化は大気中に2酸化炭素が増えることが温室効果を招いて問題だといわれている。しかし、私にはどうもピンとこない。どうして窒素には温室効果がなくて2酸化炭素には温室効果があるのかが納得できないからである。

それはさておき、みなが言っているのだから2酸化炭素に温室効果があるとしよう。2酸化炭素増加の原因は化石燃料を使うからだといわれている。地球上の生物、特に植物が大気中に含まれていたものを何十億年もかけて固定化し地中に埋めたものを人間が掘り起こして2酸化炭素に還元しているのだから、大気中の2酸化炭素が増えるのは当然である。これを減らす方法としては大気中の2酸化炭素を減らす方法と、化石燃料の使用を抑える方法とがあると思うのだが後者ばかり取り上げられるのはどうしてだろうと不思議に思っている。

特に最近話題になっているバイオエタノールなどは植物が固定化した2酸化炭素を空中に還元するという意味ではガソリンを燃やすのとまったく同じことだと思っている。特にエネルギー効率が高まるわけでもない。一体どうしてバイオエタノールが地球温暖化に効果があると考えられているのか、不思議でならない。

今まで砂漠であった所に植物を植えてバイオエタノールを栽培しているのならその分固定化が進んでいるので効果があるといえるが、もともと畑だったところで栽培されたものを使っているのだから効果があるとは思えない。アマゾンの砂漠化を食い止めたり、砂漠の緑化を進めたりする方がよほど効果があると思っている。

原子力発電は2酸化炭素を増やさないので見直されている。確かに2酸化炭素の増加を抑えるという意味では効果があるのだろうが、原子の中に閉じ込められていたエネルギーを熱エネルギーに変えるのだから、これも地球温暖化に寄与することは間違いないと思う。はたしてどのくらい原子力発電は温暖化効果が少ないのか定量的な評価をするべきであると思っている。

私は、地球温暖化対策は省エネと砂漠の緑化が本筋であり、それ以外の方策は何となくムードに踊らされているのではないかと感じている

大阪時代 太子橋小学校

2008-05-19 10:04:56 | 昔話

小学校6年生の秋に大阪市旭区に引っ越しをし、私は太子橋小学校に通うことになった。私にとって4つ目の小学校である。北海道と大阪はかなり文化が異なり、引っ越しに慣れていた私にもカルチャーショックはかなりあった

 私は、今でもそうだが、話すこと自体は苦手ではないのだが、いわゆる「雑談」というのは苦手である。何か話題が決まるとそのことについて意見を言ったり話したりすることはできるのだが、場の空気を読んで話題を皆が興味を持っていそうな方向へ持っていくというのはどうも苦手である。従って話しかけられると応ずるのはできるのだがこちらから話しかけるのはどうも苦手であった

大阪には大阪弁という独特の言い回しがあり、これに慣れるのにも時間がかかった。向こうから話しかけられることもあまりなく、軽いいじめにもあった。しかし、徐々に言葉のも慣れ、テストの成績もよかったので、いじめられるというところまでは至らなかった

大阪の学校に通い初めてカルチャーショックを感じたことがいくつかあったので紹介しておこう。一つは「生活」の時間か何かに先生がこんな話をしたことについてである。
「アメリカ人の人が来たら仲良くしてあげられますか?」「でけるー」。
「韓国人の人が来たら仲良くしてあげられますか?」「でけへーん」
先生も驚いていたが、私も驚いた。北海道にいたころは外国人の話をすることもなかったが、人種によって対応が変わることなど考えたこともなかったのである。どうして生徒たちが違う返事をしたのか、不思議でならなかった

もう一つは全く別の体験である。隣に座っていた女の子が消しゴムか鉛筆かを落としたので拾ってあげた。そうしたら「ありがとう」と言われたのである。それまで北海道では拾ってあげても「ありがとう」などと言われたことはなく、自分も言ったことはなかった。当然のような顔をして黙って受け取っていた。予想していなかったことを言われて少しどぎまぎしたのと同時にやはり嬉しかったことを覚えている。これは北海道と大阪の文化の違いを端的に表しているように思う

このクラスでは卒業前に2000年の1月に東京タワーで会おう、という誓いを立てた。このこと自体は覚えていて、実際に声もかかったのだが私は行かなかった。その後また引っ越して皆とは会うこともなく、想い起しても顔が浮かぶ人が一人もいなかったのである。行っても話題に困るだけのような気がした


ウィトラパーティー

2008-05-18 09:06:18 | 生活
昨日、関係者を招待して自宅でパーティーを行った。 24人を招待したので狭い我が家はいっぱいになった。

午後4時から7時までの予定だったのだが、大半の人が帰ったのは8時半頃だった。立食形式だったのでその間ほとんど立ちづくしだった。このブログの読者には昨夜参加された方もおられると思うが、私の家族を含めて、お疲れ様でした、とまず言いたい。

ホストとして予定外だったのは飲み物はよく出たが、食べ物はあまり出なかったことである。以前、外国人を10人ほど招待したことがあり、今回は20人以上なので2倍程度の食べ物を用意したのだが、10人のときと同じくらいしか出なかった。 日本人と外国人の違い、年齢の違いなどを考慮しても少なかったように思う。皆が帰った跡を見ると取り皿がほとんど使われていない。混み合っていたのと、食べ物と飲み物の置き場のバランス、取り皿の置き場所が分かりにくかったのがお客さんの食が進まなかった一因かと、これは反省点である。

招待客の中にも知り合いが少ない人もいて、うまくつなげることができたかも多少気になるところである。ホストをするとこのように、いろいろ考えなくてはならない点が出てくる。良い経験になる

日本人の英語力向上策 -個人の努力-

2008-05-17 05:23:56 | 社会
日本人の英語力を向上させるために個人の努力を促すのは比較的簡単である。親に子供の英語教育のための出費を促せばよい。

そのためには、大学入試の英語の比率を高めればよい。できることなら英語の長文を書かせるのがよい。テーマは日本語教育のところで述べた「何かについて説明させる」がよいと思う。 例えば「インドの山奥でピアノを見たことがない人に対してピアノとはどういうものか英語で説明せよ。英語は通じるものとする。」というような課題を出すのである。外形、大きさ、重さ、用途、使い方、価格、などの基本的要素がどのくらいきちんと説明されているかを判定する。

3年後からこういう試験を大学入試に導入する、と発表すればたちまち英文作成熱が高まるだろう。こういう長文作成の訓練が極めて重要であると思っている。 採点は大変でコストもかかるが英語の重要性は皆認識しているので、それほど強い反対は出ないのではないかと思っている。

大学入試の場合は口頭での発表をさせるのは難しいが、会社の入社面接には口頭発表を取り入れることができる。面接の15分くらい前にテーマを与えて考えさせればよい。大手企業がこのような入社試験を導入すれば大学生も努力するようになると思う。

日本の産業全体に役立つと思うが、いかがだろうか
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