ウィトラのつぶやき

コンサルタントのウィトラが日頃感じたことを書いていきます

コロナウィルス対応に感じる世界の分断

2020-02-15 17:27:25 | 社会

コロナウィルスは具体的に日本国内でも感染拡大の段階になった。もはや、水際作戦は継続したほうが良いのだろうが、それで感染拡大を防げると考える人はもはや居ないだろう。医療関係者も必死の努力をしていることだろうが、日本国内の感染拡大はもはや避けられないだろう。

私が日本の体制で最も気にしているのは検査能力の低さである。クルーズ船内ではどんどん感染が拡大しているにも関わらず、検査はまだ1000人にも達していない。これは検査能力が不足しているからに違いない、と思う。検査しなければコロナウィルス感染者かどうかは分からないので、実際に感染者がいても認定はされず、その人は普通の生活をしてウィルスを広めてしまう。これを防ぐためにインフルエンザ患者全員を隔離するような方法を取れば社会全体がマヒするだろう。中国では既にそういう状態になっていると思う。

対応として問題だと私が感じているのは、各国政府が独自の対応をして、「自国民への感染を防ぐ」という自国至上主義になっており、世界全体の感染防止というスタンスになっていない点である。私はこれはトランプ政権がいち早くこの方向に動き、安倍総理がそれに追随したために、世界全体がこのような流れになった、と思っている。本来は「世界が協力してパンデミックを防ぐ」という方向に動くべきである。私はWHOにそのような動きを期待したが期待外れだった。

現在、中国では毎日数千人の感染者が発見されている。おそらく一日に数万人の検査をして数千人が感染している、という状況だろう。日本と比べれば100倍程度の検査能力があると考えられる。これをどうやっているのか、情報交換しているのだろうか? このような問題は世界全体が緊密に情報交換して一体として感染の広がりを防ぐべきであるのに、各国政府は「自国民を護る」というパフォーマンスをしているのではないか、と疑いたくなる。

日本のテレビでは毎日のように高名な医師を呼んで対応方法を聞いているが、「発熱して咳が出たらどうしたらよいのですか?」という質問に対する医師の歯切れは皆良くない。インフルエンザ患者が皆、「自分はコロナウィルスではないか」と言われても対応できないことは分かり切っている。その一方で「風邪の症状くらいなら自宅待機しなさい」とも医師の立場としては言えない。歯切れが悪いのは仕方がないかと私は思っている。

国民の立場で考えると、特別に中国と深い接触がない限り、まだしばらくは検査をしてもらえないのだから、風邪の症状が出たら「病院に行くかどうかの判断は普段と同じようにする」しかないだろう。普段でも熱が出たらすぐに病院に行くわけではない(子供は別として)。様子を見て「重そうだと思ったら病院へ行く」というのが普通の判断だろう。病院へ行って帰って移されるリスクもあるので、病院へ行けば良いというものでもない。その上で「今年の風邪は重症化しやすい」と考えて、普段以上に風邪をひかないように注意するしかないだろうと思う。

現在の状況だと、日本も中国のようになる可能性は否定できないと思う。まず、検査能力の大花拡大を望みたい。


中国初の新型コロナウィルスへの対応に感じる違和感

2020-02-01 16:18:27 | 社会

私のような医療関係者でもないものが、このテーマについて書くことにためらいを感じているのだがどうも気になるので私の感じていることを書いておきたい。

中国初の新型コロナウィルスはまだ対応方法などは見つかってはいないものの、性質はかなり分かってきたと思う。それはSARSやMARSよりも致死率はかなり低いものの、感染力はかなり強そうだということである。従来のコロナウィルスとインフルエンザの中間くらいの性質だと言えるだろう。

私が気になっているのは政府が水際対策で日本への患者の侵入を抑えようと躍起になっていると感じる点である。私の感覚では水際対策は既に失敗している、と思われる。それは観光客のバス運転手やガイドの女性から陽性反応が見つかったことから言えるだろう。洪水を防ごうとして土嚢を積んでいるが、既に堤防の一部に穴が開いている。堤防の補修を続けることも重要だが、避難を呼びかけると言った次の段階の対策を考えるべき時期に来ていると感じる。具体的には武漢との関係が分からない人でも新幡ウィルスの関係があるかもしれないと検査をする体制を作るべきだと思う。

もう一つの気がかりな点は、国家エゴが前面に出ていると感じる点である。安倍総理は国会で「湖南省からの中国人の入国を拒否する」、というような発言をしてしている。しかし、本来の姿はWHOが対応ししようとしているように、国籍には関係なくウィルスの広がりを抑えるように動くことだろう。アメリカが露骨に自国人だけを保護する態度を示しており、それが他の国に影響を与えているように感じている。

仮に中国人で検査で陽性の人が見つかれば、追い返すのではなく、その人を入院させて治療するのが筋だろう。中国政府も湖北省の中国人の国外への移動は抑えようとしている。それでも来る人はそれなりの理由があるのだろう。検査をして問題ないと分かれば受け入れる、このあたりの基準は両政府間で話し合うというのが筋だと思う。

湖北省の日本人帰国のために特別機を飛ばすことが悪いとは言わない。しかし、「世界全体で協力して感染の広がりを抑えよう」という姿勢が感じられないのは寂しい感じがする。


民主主義の危機

2020-01-15 11:00:38 | 社会

2020年の最大のイベントは何と言ってもアメリカの大統領選挙だろう。私はここに民主主義の危機を感じている。民主主義を「民を主と考える政治信条」と捉えるならばこれは普遍性、持続性のある考え方だと思っているが、殆どの人は民主主義を「普通選挙によって国のリーダを選ぶ国の仕組み」と捉えていると私は理解しており、以下本文ではこの意味で「民主主義」を使用する。

私はここで「民主主義の危機」とは「選挙によって適切な人物が選択されない」ことを言っている。どんな体制でも常に適切な人物が選択されるように保証することは難しい。しかし、民主主義は他の政治制度よりも不適切な人物が選択される可能性は高いと思っている。特に近年は、いわゆる「ポピュリズム」が台頭してきており、そのような例が増えている。

民主主義は最初から不適切な人物が選択される可能性も考慮に入れて、三権分立などの権力者の力を抑える仕組みを導入している。しかし、不適切な人物が権力を握った場合、強い人物はそのような安全装置を壊そうとする。

米国の大統領の弾劾などは安全装置の一つであり、現在その弾劾審査が下院で可決され、上院で行われようとしているが、少なくとも日本のメディアなどは「大統領の行動は弾劾に値するか」は殆ど報道せずに「上院は共和党が強いので弾劾は成立しない。民主党は失敗した」というような報道ばかりである。これは米国大統領が一つの安全装置を壊したことを日本のメディアも追認していると私は感じている。

トランプ大統領が再選された場合、2期目では個人の経済的利益目的に動く可能性がかなり高いと私は感じている。これは何らかの形で暴露される可能性が高く、トランプ氏は「権力の座を降りた習慣に逮捕される」という立場に立たされる可能性も高い。そのような場合、殆どの権力者は自己防衛のために国の制度を変えようとする。これは自己目的で国の仕組みを壊すことで、例えば「大統領が3期以上務められる」ことを制度化しようとすることである。国民の怒りを外部に向けるために、意図的に他国との摩擦を起こすこともあるだろう。

米国では権力者のこのような行動に対して様々な安全装置を用意していたのだがトランプ氏はこれまでの様々なタブーを破っており、国民はそれに驚かなくなってきている。この「慣れ」は重大な結果につながる可能性が高いと私は思っている。今年の大統領選挙はその意味で極めて重要だと思うが、どうもトランプ氏が勝ちそうなので、私の懸念は実現する可能性が高まると心配している。


ゴーン氏の逃亡で感じたこと

2020-01-12 15:49:22 | 社会

年明け早々、元日産社長のゴーン氏がレバノンに逃亡したというニュースが流れ、本人の説明会やインタビューなども報道されているが、私の感じ方は他の人と少し違うと思うので書いてみる。

メディアの報道は「ゴーンは悪い」一色だが、私は日本の検察や報道にも違和感を感じている部分がある。ゴーン氏が悪くないというつもりは無く、彼が脱税その他をしていたのはおそらく間違いのないところだろう。私が問題に感じているのは日産の不正がほとんど語られず、全ての責任をゴーン氏に押し付けていると感じられる点である。

ゴーン氏のどれだけの報酬を払うかは日産という企業が決めることで、その決めた金額と政府への報告の間にが齟齬があった。金額的にはこの点に関わる部分が大きいと認識している。そしてこれは日産の犯罪である。日産内部での決め方に関して、問題があったことは事実だろうが日産として承認しているものなら、本来的には日産が責められるべきだと私は感じている。ゴーン氏への不成な報酬には会社をだました、背任行為の部分と、会社に承認させた部分とがあるはずである。承認したものに関しては取締役全員に責任があるし、監査の不適切さもあるだろう。

日産の不適切さに関しては「司法取引」という側面もあるだろう。しかし、それならその点を明らかにするべきだと思う。

報道はゴーン氏一人がこの事件を引き起こしたように言われている。ゴーン氏の発言もこの点には触れておらず、「クーデター」だとか「有罪率99&以上」とかいう説得力のないものになっている。ゴーン氏からすると「自分は一切悪くない」というためにあのような言い方をしたのかもしれないが、それには無理があり、「自分も悪かった」と認めないと、説得力のない逃げ口上にしか受け取られないと私は感じている。

日本で司法取引の歴史は浅く、問題を含んでいることもあるだろう。私は司法取引によって日本の司法が恣意的に動かされるリスクを感じている。


若者が高い能力を存分に発揮するには 第5回 個人の取れる行動

2019-10-28 10:32:35 | 社会

今回は、若者が経済の中心になる時代に個人の取るべき行動について考えてみる。トップ人材の若返りの話題は今回で打ち止めにするつもりである。

企業の幹部は前回書いたような企業を若返らせて競争力を高める行動が必要だが、一般会社員は自分の将来を考えてどういう行動をとるかを考えることになる。世の中はそんなに急には変わらないだろうから、現在、50歳以上の人は今から新しい人生設計をするよりも、今見えているモデルをどう微調整するかを考えることになるだろう。40歳くらいの人は、終身雇用制が崩れることを意識するべきだと思う。

政府は定年を延長する方向だが、個人で見ると収入がピークとなる年齢が下がってくる。現在、55歳くらいが収入のピークなのが50歳になり、45歳になり、と若返る。つまり早い段階から年収が減り始める、ということが起こると私は思っている。日本企業は能力や業績を評価して給与を下げる、というようなことが苦手なので、一定年齢になると自動的に給与を下げる、というような逆年功序列制を取る企業が増えるものと思われる。HuaweiやSamsungはそのような体制になっているようである。

そこで「どこまで現在勤務している企業に付いて行くか」は40歳くらいの人は考えておく必要があるだろう。20歳くらいの人は自分のキャリア設計をどうするかについて親の世代とはかなり異なる考え方をする必要が出てくると思う。

今年の夏、囲碁プロ棋士の坂井秀至八段(46歳)が、9月から無期限休業すると宣言した。坂井氏は京都大学の医学部を出て医師免許取得後に、囲碁のプロ棋士になった人で、今後、囲碁棋士としての活躍の場は減る一方だと考え、医師としてのキャリアを目指すという。大学を卒業してからプロ棋士になった人はかなりの人数いるが、坂井氏はその中では最も囲碁棋士として強い棋士になった。プロの囲碁棋士で坂井氏ほどの実績を上げた人が囲碁棋士を止めて別の道を目指すというのははじめてだと思う。他の棋士は勝てなくなっても囲碁の指導や普及と言った囲碁に関わることで生計を立て続けている。

棋士としてのピークの年齢が若くなると今後は坂井氏のようなキャリアを歩む人が増えてくるのではないかと思う。9月15日の記事で、現在の日本の棋士のベスト3は井山、一力、芝野の3氏だと書いたが、私は一力氏は坂井氏のようなキャリアを歩む可能性があると思っている。井山氏と芝野氏は囲碁一筋、という感じだが、一力氏はプロ棋士になった後で早稲田大学に進学しており、現在もまだ大学生である。中国のトップ棋士も彼らの中から実業界で活躍するような人が出てくるのではないかと思っている。

今回の一連の記事はトップになる人材について書いたものである。どんな分野でもトップになれるのはごく一部の人なので、目指したけれども途中であきらめる人が普通である。20代歳である分野のトップを目指したとしても大部分の人は成功せずに別の道で生きる必要が出てくる。その意味で新しいことにチャレンジする気持ちをいくつになっても失わないことが非常に重要になるだろう。

個人の哲学で最初から企業のトップを目指さないで特定分野のエキスパートを目指す人も多いだろう。但し、どの分野がAIに負けずに長持ちするかは良く考えておく必要がある。巷で言われている「単純労働はAIに負けるが、複雑な仕事は負けない」は間違っていると私は考えている。

現在の社長の談話などで「経営者を目指してはいなかったのだが、頑張っているうちに気が付いたらトップになっていた」というような話が時々出るが、このような事例は今後激減するだろうと思う。



若者が高い能力を存分に発揮するには 第4回 企業の取れる行動

2019-10-25 08:32:20 | 社会

今回は高い能力を持つ若い人物をトップに据えるために企業の取れる行動について考察してみる。

一番自然な手法は20歳代の若者が起業した企業が大きくなって世界的な存在感を持つような大企業に成長することである。米国のGAFAや中国のBATやHuaweiなどはこのパタンで、殆どの従業員は起業者よりも若く、トップが20歳代、30歳代でも社内的には何の軋轢もない。GAFAやBATに関しては起業家が高齢者に差し掛かってくる時期に来ており、活力が失われて他の会社に負けていくのか、何らかの手法で活力を維持していくのかが今後重要な問題となっていくだろう。

良く知られているように日本ではこのような若い起業家が作った企業が急速に大きくなっていくことができない。それは日本社会では主に高齢者が牛耳っている抵抗勢力が政府の委員会などを抑えており、新しいビジネスモデルを受け入れ難い社会になっている点が本質だと私は認識している。人工知能のプリファードネットワークスなどはアメリカや中国なら既に大企業になっていただろうが、日本の企業なのでいまだにベンチャー企業である。

しかし、トップの若返りによってパフォーマンスが上がるのなら、個別企業でもその手法を採用したところは業績が上がるはずである。以下では、現在高齢者が牛耳っている日本の大企業がどうしたらトップを若返らせることができるのかについて考察する。

・職位と個人の価値の分離
日本の企業では職位が上の人を「偉い人」と呼び、あたかもその人が全人格的に上位にあるように扱う雰囲気がある。これを「職位は単なる企業内の役割」と認識する風土を育成する必要があると思う。「さん」付けでお互いを呼び合うなどがまず手を付けるべきことだと思う。

・合議制の人事評価
もう一つ重要だと思うのは人事評価を必ず合議制で行うことである。会社員である以上、人事評価は極めて重要で、それを特定の個人に握られているとどうしても頭が上がらなくなる。私の経験では多くの日本企業で若い人の評価は合議制で決めているのだが職位が上がるにつれて合議制が少なくなり、次期社長の指名などは現社長が決めることが多いように思う。そうなると「能力」よりも「態度」が重視されることが増えてしまう。

・トップとしての能力評価
トップ人事を決めるには実績よりも能力評価が重要である。実績はどのような分野を担当しているかという運に左右される面が大きいので、そうではなく「どのような判断をしたか」を見てその人の能力を評価すべきである。それも一人の評価ではなく複数の人が「あの人は能力が高い」と評価するような人がトップとして選出されるような仕組みが必要である。そのための仕組みとして私は「合宿」が有効であると思っている。社長を選ぶには年に2回程度の役員合宿を行って議論を尽くす機会を持つべきである。2時間の会議だと、部下に命じた資料で乗り切れることが少なくないが、合宿となるとどうしても本人の考えが出てくると思う。

・社内を動かす力よりも判断力
前回書いたように社内を動かす力はどうしても経験の占める割合が大きくなる。それよりも判断力が優れた人をトップに選び、社内を動かすのは経験豊かな人が周りでサポートするべきだと思う。このような価値観は現在の社長がその気になれば社内で定着させることができるように思う。

このブログの読者に現在の役員や社長は殆どいないと思うが、そこそこの地位にある人はいるのではないかと思う。周囲と議論してみてはいかがだろうか?



若者が高い能力を存分に発揮するには 第3回 能力と年齢の関係

2019-10-21 14:11:26 | 社会

最近、私は人間の能力のピークは20歳代であるという思いを強めている。スポーツの世界ではこれが事実であることは既に認知されていると思うが、私の論点は頭脳活動においてもやはり20歳代がピークであると言う点である。日本社会も能力の高い人が責任ある仕事をできるように変えていく必要があると思う。これまで思いつくままにブログを書いていたのだが、このテーマでいろいろな側面を考えたほうが良いと考え、今回をこのテーマの第3回としたい。これまでの2回の内容は下記である。

第1回の9月15日の記事では、囲碁のプロ棋士の若返りを例にとって思考力も20歳代がピークであることを書いた。ちなみにその時取り上げた囲碁の名人戦では19歳の名人が10月8日に誕生した。

第2回の10月6日の記事では、社会で活躍するピーク年齢を若返らせるには高校や大学の教育を、卒業後社会の即戦力となるような人材を育成する必要があると書いた。

今回を第3回として、どのような能力が若年層に有利でどのような能力が中高年に有利かについて書いてみたい。

・記憶力: これは若い時がピークであることは疑いない

・記憶の総量: これには個人差が大きいが、全般的には40代後半がピークではないかと思う。但し、特定の分野では、トレーニングを積めば20歳代でピークに達することができると私は思う。

・思考力: これは脳内シミュレーションを行う能力である。これが判断力に直結していると思う。知識量に差がなければ20歳代がピークであることは間違いないだろう。但し経営のような複雑な問題のシミュレーションには非常に幅広い知識が必要で、おそらく40歳あたりがピークではないかと思う。

・フィルタリング能力: これは不要な知識は忘れて、必要な知識のみを留める能力で、この能力が高いと短時間で良い判断をすることができる。この能力は、使い続ける限り改善可能で、高齢者ほど高くなると思う。芸術のような分野で高齢者が高い能力を発揮するのはこのおかげだろう。但し「良い」ものが変化しないという前提条件が必要である。経営上の価値観などは10年、20年では変化していくので、高齢者が有利とはいえない

・人を動かす力: 立場上、命令できる立場に立てば人を動かすことはできるが、命令を受ける側が「この人のために頑張ろう」という気持ちになれるかは別物である。企業などでは対外的には論理が優先するが、企業内では、高い評価を得るには時間がかかる。

以上を総合して50歳代から60歳代が企業のトップとして動かしているのが日本企業の現状だと思うが、私は最も重要なのは思考力だと考えており、40歳あたりのトップを、50歳代、60歳代の優秀で経験豊かな人がサポートするのが、本来の望ましい姿だと思う。もちろんトップは最低10年程度の経営経験を積んでいることが前提である。



20歳代で世界トップレベルの社会人を育成するには

2019-10-06 17:21:41 | 社会

少し前に囲碁の世界トップ棋士の年齢は20歳代であると書いた。多くの人は「囲碁は特殊な世界だ」と考えているだろうが、私はそうでもないだろうと思っている。囲碁の世界でも30年前くらいまでは40歳くらいがトップと考えられていた。それが急激に若年化したのは勉強方法が変わったからである。つまり、勉強や経験を積み上げる方法を改良していけば、思考能力は運動能力と同じように20歳代が最大だと思っている。

現在の日本の社会システムでは大学を卒業した22歳か収支を卒業した24歳からキャリア経験を始め、プロになるのが30歳台になってからである。専門家としては30歳代が働き盛りで、40歳代になると管理職になり、専門的能力よりも判断力と折衝力が重要になる。専門職として能力を発揮し、管理能力の優れた人が50歳代になると幹部になる、その中で一人が60歳代で社長になる、というのが大部分の日本企業だろう。つまり日本企業では、かなり能力の落ちた人が采配を振るっている。

これを早めて、能力のある人には20歳代から判断力と折衝力を鍛え、30歳代前半から中核的な管理職として活躍できるような育成体制を取らないと日本企業は今後世界と戦っていけないのではないかと私は考えている。

囲碁のトップ棋士になるような人は、ほぼ例外なく10歳くらいから本格的にプロ棋士の訓練を始める。つまり20歳では既に10年間の専門家としてのトレーニング経験があるのである。私はほかの分野、例えば経理や研究開発、営業、経営といった分野でも10年も真剣にやれば、20年経験した人と同レベルに達することができると考えている。

若い経営者を育成するには、現在の日本の教育システムでは無理で、大卒、更に言えば高卒で即戦力となるような教育が必要だと思う。そのためには企業が投資した高校・大学というようなもので成功例を作るしかないと思う。全体的な教育システムを改革するには20年、30年かかるだろう。

そのような例は出てきている。高校で言えば角川/ドワンゴが始めたN高であり、大学は日本電産の永守氏が始めた永守学園である。いずれも、現在の日本の教育システムに合わせながらも即戦力となる卒業生の排出を狙っている。このような高校・大学が輩出した新人が活躍し始めて、似たような動きが多くの企業に広がるところからしか日本の教育は変わらないだろうと思う。



第4次安倍改造内閣に感じること

2019-09-13 14:53:42 | 社会

安倍総理が内閣改造を行った。新しい内閣に対する私の印象は「目玉は小泉進次郎環境大臣」というごくありふれたもので、それ以外で全般的な印象は側近を登用したのと幅広い派閥にチャンスを与えるが石破派は干す、というごく普通の印象で取り立ててブログに書くようなものは無いのだが、一点だけ他の人とはかなり異なるだろうと思う私の視点がある。

それは総務大臣高市早苗氏に関するものである。安倍内閣の総務大臣は新藤義孝氏、高市早苗氏、野田聖子氏、石田真敏氏と変わってきたのだがこの中では高市早苗氏が一番存在感があり、しっかりしていたと思われるので、高市氏に戻した安倍総理の判断はまともだというのが普通の見方だろう。私自身、高市氏が一番まともだと思っているのだが、気になっているのは彼女がかなり強く旧自治省のほうを向いている点である。

総務省は旧郵政省と、旧自治省が合体してできたもので、旧自治省系には地方創生という大きな課題があるので自治省のほうを向く人物を大臣にすることは選挙を考えても自民党総裁としては自然な判断だと思うのだが、このままだと日本の通信行政が大きく出遅れる点を私は気にしている。大臣にあまり興味がないと、政策は基本的に官僚の上げてきた提案に基づくことになる。しかし、総務省の通信系の官僚はかなり劣化していて、世界の動向が定まった後でないと動けない状況にあると私は考えている。その一方で通信は所謂デジタル革命の中心的部分で、最低でも世界の先進的な動きに付いて行くくらいでないと日本はかなりまずいことになる、特にこの2-3年が重要だと私は考えている。

日本の通信行政はこれまで総務省の官僚と旧電電公社(NTT)がリードしてきた。しかし、インターネット時代になって通信の主役は通信事業者ではなく、インターネットのサービスプロバイダになってきている。これから起こる様々な通信を巡る変化は、通信事業者にどう対応させるかではなく、その先にあるサービスプロバイダをどう育成するべきかになる。日本の通信官僚にはその視点はかなり弱いと私は思っている。

例えば、話題の5G移動通信に関していえば、電波をどのように通信事業者に割り当てるかではなく、事業者以外の一般ユーザが5Gを使えるようにする「ローカル5G」が重要になる。私は今の総務省にはこのような流れに対して適切に対応できないだろうと予測している。官僚の意識が低い場合、政治の側から官僚に圧力をかける必要がある。しかし、高市大臣はそのようなことには興味を示さないのではないかと懸念している。

通信官僚が通信事業者と結びついているのは日本だけでなく世界中で起きていることである。しかし、米国は進取の気性があるので比較的転換が早いだろうと思っている。欧州は日本と似ているが、通信事業者以外の声は日本よりも強い。中国は官僚(共産党)が産業全体を抑えているので、通信事業者の最適化ではなく産業全体の強化に通信をどう利用するかという視点を政治家が持っていると思う。日本はこういった点で出遅れるだろう。

このような傾向は通信分野だけでなくあらゆる分野で起こっている。AI、IoT、クラウドなどによるデジタル化の波に対する見識を適切に持って動いているには日本の省庁では経産省だけに私は見えている。そして日本は通信行政が総務省、IT行政が経産省と別れている点がますます政府全体の動きを遅くしている。私はICT行政全体を経産省に統合するべきだと思っているがそのような動きは簡単には出てこないだろう。

この2-3年で世界の通信行政が大きくは変化しないことを願っている。


Libraに対する期待

2019-06-20 10:00:40 | 社会

FacebookをはじめとしてVISA、MCなどが加わって、2020年から新たな決済機能「Libra」を立ち上げると発表している。この決済ではBlock Chain技術を利用するということで一部では仮想通貨と呼ばれているが、Bit Coinのようなこれまでの仮想通貨とはかなり異なっているようである。
最大の異なる点は所謂「マイニング」と呼ばれる新規通貨発行の仕組みを採用していない点である。私はBit Coinは良くできた仕組みだが、通貨発行の仕組みとして「マイニング」を採用している点がどうも気にいらなかった。だからと言ってそれに代わる仕組みも思いつかなかった。Bit Coinの最大の特徴は「通貨発行体」が存在せず、アルゴリズムで厳格に規定されている点である。それで政治状況や経済状況から通貨を発行するような恣意的な通貨量の増加を防いでおり、信頼できる通貨として価値が上がってきた面がある。その一方で、ある程度の通貨量の増加は必要で、少しずつ通貨発行量を減らしていくという手法はなかなか良くできている。但し、マイニングという暗号を解いたものに報酬を与えるような発行手法はどうも問題であると感じていた。
Libraがどんな通貨発行手法を採用するかは不明であるが、現在世界で流通している通貨との関連性を重視していくとのことなので、マイニングとはかなり異なるものになるだろうと思う。その一方で、中国のAlipayや日本のPayPayのように特定の通貨とリンクするものではなくなりそうなので、その意味では期待している。仮にLibraが米ドルベースというようなことになれば、これは単なるPayPayの米国版で、私にとっては全く幻滅で興味は無くなってしまう。

記事から想像するに、世界の通貨発行量の総額と何らかの形でリンクしていくのだろうが、具体的にどのような方法でリンクを取っていくのかは不明である。通貨間の変換レートは投機により変動するがあまり大きな投機の対象にならないように注意することが必要だろう。
もう一つのポイントは通貨発行体をどうするかである。仮にFacebookが発行するとすると、そこに利益が集中して好ましくない。その点、Bit Coinは通貨発行体が存在しないので実によくできている。通貨の立ち上げシナリオをどのように作っていくか、この点も興味深く見ていきたいと思っている。