平成も今日を入れて残り3日になった。天皇の生前退位が決まったのは2年弱前の天皇の国民向けの「お言葉」がきっかけなのだが、その「お言葉」の解釈がテレビなどを見て物足らないと関しているので、私なりの解釈を書いておきたい。
元々、私は天皇にも天皇制度にも無関心だった。中学生の頃には天皇崇拝派の先生と天皇反対派の先生がいて色々と授業中に言われたが、どちらも「嘘くさい」と感じていた。天皇崇拝の先生はマッカーサーと昭和天皇の会談の話を出して「会談前と会談後ではマッカーサーの天皇に対する態度がまるで変った」と言っていた。私は「どうせ大げさに言っているのだろう」と聞き流していたのだが、後でマッカーサーの回顧録が発表されてそれほど嘘は無かったことが分かった。天皇反対派の先生は戦争責任を言っていたが私は「今は変わったのだから関係ない」と思っていた。
そんな訳で天皇にも天皇制度にも無関心でいたのだが、長い年月を経て次第に負のイメージは消えていき、正のイメージが増加してきたように思う。私が天皇に関して関心を持つようになったのは退位の意思を示す「お言葉」がきっかけである。この中で「私は『象徴天皇はどうあるべきか』ずっと考えてきました」と語られている。そして結論として「生前退位が望ましい」という結論を導き出している。当時の侍従も宮内庁も生前退位は想定していなかったので、周囲の意思に反して自らの考えを明確に示した「お言葉」だったと私は思っている。それまでは私は天皇に対して、周囲から「これをお願いします」といわれて「ハイハイ」とこなす人だと思っていたのだが、これを聞いて私のイメージは大きく変わった。周囲を傷つけないように最大限の注意を払って言葉を選びつつも自分の意思を明確に示す「お言葉」だったと思う。「これは素晴らしい人物だ」と私のイメージは変わった。
なぜ「生前退位が望ましい」という結論に至ったのだろうか? それまでは「象徴天皇は存在である」、つまり日本にとって「天皇が存在すること」何よりも重要だ、というのが侍従や宮内庁などの認識だったと思う。しかし、平成天皇は熟考の後「象徴天皇は機能である」という結論に至ったのではないかと私は解釈している。つまり「日本の良いところを体現して世界に示すこと」が象徴天皇に求められる機能だという結論に至ったのではないかと思う。機能ならば機能を果たせなくなれば交代するのが当然である。それが、「まだ元気なうちに交代する」という強い意志につながったのだと思う。
象徴天皇の初代は昭和天皇である。しかし、昭和天皇は実権を握っていた天皇から、戦争責任を取って象徴天皇になった。象徴天皇としては「国にマイナスとなることは一切しない」という受け身の姿勢で、「本来の象徴天皇はどうあるべきかはお前が考えなさい」というような会話が平成天皇との間で交わされていたのではないかと思っている。そして平成天皇は「象徴天皇の機能を果たしてこそ、天皇」という結論に至ったのだと思う。
令和の時代になって、更に天皇の位置づけに変化が出るか、おそらく変化はなく、あるとしても極めてゆっくりだろうと思う。私は一つ変化があるかもしれないと思っている点がある。それは「天皇も国民である」という意識である。現在皇族は国民ではない。平成天皇のお言葉のなかで「自らも国民の一人であった皇后がこちら側に来て私を助けてくれた」という表現がある。これは皇族は国民ではない。おそらく職業選択の自由もないという認識だと思う。しかし、2代続けて民間から妃を娶っており、ひょっとすると意識の変化が出るかもしれないと思っている。