ウィトラのつぶやき

コンサルタントのウィトラが日頃感じたことを書いていきます

Nokiaのトップ交代

2010-09-30 07:47:40 | 経済
NokiaのCEOが9月21日に交替した。

Nokiaは世界第1の携帯電話メーカで35%くらいの世界シェアを握っている。2位の韓国サムスンが20%くらいなので断トツである。しかし、業績は低迷していて、利益額ではアップルに抜かれている。その主な理由はいわゆるスマートフォン事業で失敗しているからである。新しいCEOはマイクロソフトでOfficeの責任者をやっていたStephen Elopと言う人である。

3か月前くらいからNokiaが新しいCEOを探している、という情報が流れていた。私はこのCEOを探しているNokiaというのは誰の事だろうと思っていた。Nokiaと言う会社はCEOが変わると会社の構造を作りかえるくらいの大きな変革をする会社である。Nokiaが携帯電話でトップになったのは前のCEOのヨルマ・オリラで、彼がCEOに就任した1991年にはNokiaは携帯電話では無名の会社で、むしろテレビメーカとして知られていた。それをテレビ事業を売却して、携帯電話に賭け、世界トップの地位を築きあげた。

今回解任されたオリペッカ・カラスボはオリラの後を受けてNokiaをインターネットカンパニーに作り変えようとしてOviを始めたりしていたのだが上手くいかず、道半ばで解任されることになった。ここで思うのは誰が解任したのかということである。取締役会であることは間違いないだろう。そこで取締役会のメンバーを見てみた。取締役会議長、いわゆる会長はヨルマ・オリラで前のCEOである。しかし他のメンバーは以下のようである。
Lalita D. Gupte:ICICI Bank Canada
Dr. Bengt Holmström: Professor of Economics at MIT
Prof. Dr. Henning Kagermann: SAP 
Per Karlsson: Independent Corporate Advisor
Sabel Marey-Semper: Peugeot Citroën 
Dame Marjorie Scardino: Economist Group
Risto Siilasmaa: Federation of Finnish Technology Industries
Keijo Suila: Finnair
会長のオリラを除くと、Nokia関係者は居ないどころか、業界すらみごとにばらばらである。

グローバルカンパニーの取締役会とはこのようなものかと改めて日本との大きな違いを感じた。

稚拙な政府の尖閣列島対応

2010-09-29 08:32:47 | 社会
沖縄地検が中国人船長を拘留途中で釈放したことによって国内で「弱腰だ」という批判が急速に高まっており、政府も強気の姿勢を見せ始めた。しかし、その言動を見ると「もうちょっとまともに考えられないの」という気がする。

仙石官房長官は「ボールは中国に渡してある」と言うが、いつ、どういうメッセージをつけて渡したのだろう。船長を開放したというのはどういうメッセージと解釈すれば良いのだろう。政府は、「国内法に基づいて対処する」と言いながら、沖縄地検が政治的判断で超法規的に釈放したことを追認する、というのはどういうことなのか、きちんと説明すべきだろう。

その後の中国からの賠償請求に対して断るとか、日本の巡視船に対する賠償を請求するとか、何か、国内の反対を抑えるためにちまちまとした対応を取っている感じで、中国に対してきちんと向き合っている感じがしない。

中国が、日本から見れば理不尽な要求をしてしてきており、これに対して直接的に対応はしているのだが、私はもっと本格的に対応すべきだと思う。例えば、インドとのFTAを加速するとか、ロシアのサハリンのガス田に対する開発を促進するとか、モンゴルに投資を拡大するとか、ベトナム・ミャンマーなどに投資するとか、レア・アースの中国以外での発掘開拓に資金をつけるとか、経済的な観点から、打てる手はたくさんある。そして、こういう政治情勢がこのような政策を推進するチャンスともいえる。このような政策は今回の尖閣列島問題への対応策だという必要は無い。しかし、言わなくても意図は伝わり、彼らは「日本は本気で怒っている」と感じるはずである。

日本経済にとっては円高が一つの大きな脅威になっている。私はこの大きな原因が中国政府がドルを売って円を買い始めたことだと思っている。中国は長年、元の対ドル比率を殆ど一定に保ってきたが、国内経済にも地力がついてきたと判断し元高を容認することを決めたのだと思う。その時にドルの価値が目減りしているので保有している外貨を一部円に換えておこうとしているのだと私は思っている。レア・アースの輸出規制も、元高に対する準備の一環だと思う。

以前も書いたが、この円高に対してドルを買い支える介入は得策ではない。中国のドル保有額は巨額なものでこれに対して対抗しようとしても疲弊するだけだろう。むしろ、上記のように積極的に海外投資をすることにより、円高メリットを生かすべきである。

このように政治情勢と経済情勢を結びつけて、国益を考えることこそが政治主導だと私は思う。こういう対応は、エキスパート集団の官僚にはできない。政治家が全体シナリオを描いて、官僚が実施に当たる、というのが本来あるべき姿なのに日本に政治主導は国民の高級官僚に対する嫉妬心をあおって実権を経験の無い政治家に移そうとすることに矮小化されている。

今回の問題で、与野党間で政党を超えた議論をするグループができそうだと言われている。そういったグループで本来の政治家と官僚の役割分担を再定義するようになれば不幸中の幸いになるだろう。

第3世代移動通信の標準化(1)

2010-09-28 09:21:31 | 昔話
これから何度かに分けて私の人生に大きな影響を与えた第3世代移動通信の標準化への取り組みについて、私個人の観点で書こうと思う。このブログは解説が目的ではないので気持ちの動きを中心に書こうと思う。

 
移動体通信はアナログ方式が第1世代、日本ではPDCと呼ばれたデジタル方式が第2世代、現在主流になっているWCDMA方式が第3世代である。アナログ方式のサービスが始まったのは1979年であるが一般に知られるようになったのは1980年代後半あたりからだろう。

大学に講義に行って、「私が入社した時にはインターネットも携帯電話も無かった」というと驚かれるが、通信の業界はそれだけ技術革新が速いということである。ちなみに固定通信での光通信も入社当時は無く、技術的には光通信の進歩が通信分野では一番早く、かつ革新的だったと思っているが、産業的に成功したのは携帯電話である。

私が移動通信の分野に入ったのは1983年で、第2世代のPDCがサービスを開始したのは1993年で、技術標準が決まったのは1991年なのでPDCの標準化にもかかわるチャンスがあったのだが、この時は私の上司が提案書を出したり、音声符号化のグループが音声の圧縮率と音質のトレードオフを考えて方式を提案するコンペに参加したりしていたのを横目で見つつ、自分は標準化には参加していなかった。

1994年秋、第2世代のPDC方式がサービスを開始して間もなくであるが、第3世代の移動通信方式の世界標準を作るべく、日本案を議論しよう、という無線方式検討会が呼び掛けられた。この会は自由闊達の議論を促進して、お互いに相手のアイデアを取り込んで自分のイメージするシステムを完成させるようなことを奨励していた。

NECからも提案書を出したが、全体で26提案が提出された。その中にはシステム全体ではなく、ごく一部の要素技術を提案しているようなものもあり、事務局が狙ったように相手のアイデアを取り入れて、自分の提案に不足している部分を補うというようなことが、次第に行われていった。この時、私はNECを代表して参加していたのだが、既に開発研究所に移っていたので、NEC案の作成は中央研究所に依頼していた。

この会議の中で、他の会社の提案で良いと思うところを取り入れたり、相手のおかしい点を指摘したりしてシステムとしてまとめていくのが私の役割だった。これは学会の議論よりはるかに手応えがあって面白く、私はどんどん引き込まれていった。

尖閣列島、結果が出てから意見を言い始めた人達

2010-09-26 08:08:53 | 社会
尖閣列島問題で沖縄地検が釈放を決定し、中国が更に強気に出てから色々な意見が出始めた。

政府は検察独自の判断だと言っているがそれを信じている人は少ないだろう。政府が国内法に基づいて判断すると言っているのに地検が独自に政治的判断をしたのなら、それもおかしな話である。野党からも弱気だという声が出始めた。
鳩山政権はアメリカ離れをして収語句と接近すると言っていたのではないか、その結果がこれか、中国に接近する、あるいは東アジア共同体として何か動いたのか、という気がする。

中国は国内にも多くの矛盾を抱えており、こういう問題に慣れている感じがする。このような問題に対しても、損得計算をきちんとして、落とし所のイメージも持ちつつ、状況に対応しているという感じがする。中国と台湾の関係などはその典型で、国として認めていない相手でありながら、経済的には強く結び付いている。こういう対応力が政治力というものではないかと思う。

それとは別に、今になって政府の対応を批判し始めた野党に私は割り切れないものを感じる。結果が出て、それが上手くいっていない事が見えてきてから批判をする、これは当事者意識のない評論家的な行動であると思う。社会の中でこういう人は多い。しかし、自分の考えを言わないでおいて結果が出てから意見を言う人を私はあまり信用しない。そういう態度を取る人が、重要視されるような社会は好ましくないと思っている。

私は知らなかっただけで、実は野党はそれぞれ情報を発信していたのかもしれない。マスコミが、各政党にインタビューをしてそれぞれの政党の考えはこうである、(意見がまとまっていないと言った政党も含めて)といった情報を流していれば、国民は一貫性を判断できて評価できるのに、と思う。マスコミ自身が、何らかの意見を言うことをためらっていたように思う。

前回書いた単眼的報道とはこういうことを言っている。結果が分ってから「こうすべきだった」と言うのは簡単である。だがそれを繰り返していては進歩はない。今回の個別問題とは別に、社会風土を作り上げるマスコミの態度に大きな問題を感じる。

村木局長事件捜査のフロッピー改竄に感じること

2010-09-24 09:08:12 | 社会
元厚生労働省局長の村木厚子さんの文書偽造事件で無罪が確定したと思ったら、今度はこの事件の捜査で大阪地検特捜部のフロッピー改竄事件が明らかになり、話題を呼んでいる。

私はテレビの国会承認で村木さんが答弁した時の印象で、「本当の犯人はこの人ではなく黒幕が別にいるのではないか」、と感じたものだが、少なくとも村木さん自身は不正をしていなかったということだろう。しかし、不正自体はあったのだからこの解明はうやむやにせずに追求すべきだろう。

それとは別に、大阪地検特捜部が捜査の過程で証拠となるフロッピーを書き換えていたことが明らかになり、これは検察の信頼性を揺るがすものとして大きな問題になっている。ただ、この問題に関しては私は少し違った角度から見ている。

もちろん、証拠書類を改竄するなど検察がやってはならないことであり、徹底的に排除すべきものなのだが、私の感想は「日本でもこの種の事件が公表されるようになったか」という感じである。私が若かったころの検察庁なら例えこのような事件が実際に起こったとしても、人知れず処罰されて表面には出てこなかったのではないかという気がする。

松本清張の小説で有名になった言葉「黒い霧」に代表されるように、かつての日本社会では権力者の不祥事はなるべく隠ぺいして無かったことにすることでイメージを保とうとしていた。「踊る大捜査線」の警察上層部などもそのようなイメージで描かれている。今でも国家権力側でこのような体質が感じられる国は少なからずあるが、今回、最高検察庁が大阪地検の不正を明らかにして、自ら調査に入ったことで、私は検察の体質が透明化されたことが明らかになったと感じている。

ただし、「踊る」の青島刑事のような熱血刑事もいなくなって、検挙率が大きく下がっていることも事実である。これが検察警察の透明化と関係しているのかどうかは分からないが、関係があるとしても影響はわずかで、検挙率が下がっているのは別の原因だと思う。検察と警察をごっちゃにしたような書き方だが、国家を背景にした権力機構という意味では共通で、そこで働く人の意識をどう導くかはまだ改善の余地があると思う。

単眼的な尖閣列島報道

2010-09-23 08:37:47 | 社会
尖閣列島の問題での中国との摩擦が連日話題になっている。この問題に関して改めて感じるのは日本のマスコミの底の浅さである。

私が知る限り、殆どの報道が中国がどういうリアクションをしたか、ということと日本政府は冷静に対処すべきと言っている、ということだけである。議論の深まりが全くない。

この問題は領土問題につながる複雑な問題であることは事実なのだが、多くの国民は「中国政府はやり過ぎだ」と感じて不満を心の内にため込んでいるのではないかと思う。私が思うのはどうしてそういう意見が表に出てこないかである。現在の政府の対応は事を荒立てずに、しかも譲らず粘り強く、というやり方でそれは立派な一つの対応だと思うのだが、もっと強気に出たらどうなるのか、譲ったらどうなるのか、ということが殆ど議論されない。「日本政府はもっと堂々と意見を言って対抗措置を打ち出すべきだ」というような意見が必ずあるはずだと思うのだがそれが紹介されてはいない。

もちろん、強く出ればうまくいくというものではない。かえって事態を悪化させる可能性も大いにある。しかし中国内では様々な意見が出てそれが日本に紹介はされていたりする。こういう点で日本政府、あるいは日本社会の単眼的傾向を感じる。それを作り出しているのはマスコミだと思う。

おそらく政府内部では議論はされているだろう。しかし、意見としては紹介もされていない。この辺りに日本のマスコミの議論の浅さ、あるいは日本社会の議論の浅さというものを感じる。色々な意見が出て、利害得失を評価して、最終決定に至る、これが本来の姿だろう。しかし、日本社会ではいろんな意見は表には出てこずに、最終決定だけが知らされる、これは政府だけではなく会社でもこういう傾向が強いと思う。

その結果、社会全体としては議論を交わすということに対する経験が蓄積されず、感情的な意見に左右されやすい社会になる、というのが日本社会の実態ではないだろうか。これを変えることは難しい。おそらく初等教育から見直していかないといけないと私は感じているのだが、当面はマスコミの対応が問題だろう。

菅新内閣の顔ぶれを見て

2010-09-22 08:24:30 | 社会
菅新内閣は先週設立された。私はアメリカに居てネットで情報を見ていたのだが、「だれそれが断った」とかいう経過情報が流れ過ぎだと感じていた。それはともあれ、新内閣は小沢外しをした、ということで国民の支持率は上がっている。小沢外しが明確に感じられるくらいにはっきりした人事をしたのは正解だったと思う。

私の感想を言うと、知らない人もいるがそう悪くは無いという感じがする。気になるのはこれで経済政策がきちんとできるのか、という感触である。

総務大臣は原口大臣から、片山元知事に変わった。原口氏が小沢系ということで仕方が無かったのかもしれないが、自治省系は強化されても情報通信系はどうなのだろう、国際的センスはどうなのだろうと思う。

経済産業省の直嶋大臣も、大畠大臣に変わった。直嶋大臣はまともにやっていたと思うのだが何か問題があったのだろうか。厚生労働大臣は評判が悪かったので変えて当然という感じがするは経済産業省は納得いかない感じがしている。

官房長官、幹事長は妥当だと思っている。玄葉氏が国家戦略担当大臣になったことに疑問の声が上がっている。本人の能力というよりも政調会長と国家戦略大臣を同一人物にすると国家戦略が利権争いの場になっていまうという意見である。これはもっともだと思う。

気になる人事は岡崎トミ子大臣である。消費者・少子化・男女行動参画大臣ならまだ分かるのだがこれに国家公安がついている。はたして有事の時にタイムリーに判断できるのかと思う。私としては消費者・少子化・男女行動参画大臣に蓮舫さんになってもらいたかった。この3組織は従来から女性大臣が多かったが仕分けの余地が大いにあると感じており引き締める必要を感じているからである。

もうひとつ、文部科学大臣に枝野元幹事長を入れてもらいたかった。日本の教育は劣化しておりこのままでは将来が無い。この作業は剛腕で無くてはできないので枝野氏に根本から見直してほしいと感じている。

全体としては大きな期待はできないがそう悪くも無いと言った内閣だと思う。日本経済は緩やかな下り坂を続けてきたが、鳩山内閣で下り坂の斜度が増した。これをこの政権で上向きにするだけの力は無いだろうが、せめて自民党時代の下りの速度に戻してほしいと思っている。政府が当面しのいでいるうちに新たな発想が出てくることを期待したいと思っている。

アメリカのCDMA開発チーム

2010-09-21 08:25:59 | 昔話
QualcommがCDMA方式を提案して2年も経った1992年頃にはCDMA方式が実用化され、少なくともアメリカでは存在感のある方式になることが確実になってきた。1993年になるとNECの事業部もCDMA開発に向けて動き始め、私が異動した開発研究所での仕事の内でCDMA方式の動作検証が最重要のアイテムになった。

NECの基地局部隊は国内のチームで開発に取り組んだが、端末のチームはアメリカのダラスに開発チームを作った。トップはアフリカから来た黒人のドクターの人だったが、チームの7割は中国人だった。これは一人優秀な人材を採るとその人が次々と友人などに声をかけて集めたからである。アメリカの中国人ネットワークの強さを感じた。CDMAは最先端の方式だったので興味を持っている人が多く、頭の良い優秀な人材が集まったが、開発経験のあるような人はなかなかとれず、事業部の開発チームとしては商用のセンスには乏しかった。

このチームは私の率いる開発研究所のチームとは密接に連携を取り合っていた。ある時私がダラスに行った時に週末をダラスで過ごすことになった。ゴルフをやらない人にとってダラスでやることはあまりない。私が囲碁と卓球が趣味だと言うと黒人のトップの人がチームメンバーに「囲碁と卓球をやるやつはいないか」と声をかけてくれた。

驚いたことに、中国人のメンバーで自宅に卓球台を持っている人や、囲碁がすごく強いという人が現れた。卓球をやる人はかなり多く、皆で卓球台を持っている人の家に行った。私は中学・高校と卓球部だったので日本人で私とまともに卓球ができる人は100人に一人くらいだと自負していたが、中国人では10人に二人くらいがいい勝負になった。

囲碁のほうは自分ではもっと強く、アメリカのアマチュア選手権でいいところに行くくらいで無いと勝負にならないと思っていたのだが、NECのアメリカのモバイル開発チームに結構良い勝負をする人が居て驚いた。勝つには勝ったが大変手応えのある相手だった。相手もまさかこんな所で自分に勝つ相手が出てくるとは思っていなかったと大変驚いていた。

中国人社会の懐の深さ、と言うと言いすぎかもしれないが、多様性を感じた時だった。

やっと来た秋

2010-09-20 08:32:59 | 生活
一週間ぶりに日本に帰ってきて歩いてみると、長かった夏も終わって秋になった感じがする。9月に入っても真夏日が続いていたのもさすがに終わり、最高気温は30度を切っている。

道端ではコスモスや彼岸花が咲いている。梨の実はほぼ収穫が終わり、栗のイガもちらほら下に落ちている。いつの間にか柿の実が大きくなっている。まだ色づいてはいないものの、これから甘みが出てくるのだろう。

秋になったとはいってもまだ湿度は高く歩くとむしむしする。それでも大汗はかかなくなった。今年は夏の気温が高く、台風も殆ど来ていないのでコメは豊作だろう。

やっと来た秋をこれから堪能しようと思い、ブログの背景も変更した。

San Antonioの写真

2010-09-18 11:33:08 | 旅行
現在、アメリカ・テキサス州のSan Antonioからの帰りにロサンゼルスの空港でこの記事を書いている。
これが、ホテルの窓から見たSan Antonioの街並みである。この方角は西側で夕日が沈んだ後の西の空が赤くなっていて建物がシルエットになっている図は実に美しいのだが写真を取り損ねた。San Antonioはこの写真の範囲が全てというくらいの小さな街で、3時間もあれば全て見て回れる。それなのに高層ホテルがたくさんあり観光客もたくさんいる。観光のあり方の工夫がされていると思う。

観光の目玉の一つ、水上タクシー。川沿いに遊歩道が整備されており、歩くこともできるのだが、このように水上タクシーに乗って説明を聞くこともできる

川沿いの風景。緑が豊か。私はSan Antonioというと砂漠の中に水を引いて街を作ったところのようなイメージを持っていたのだが、丘の上まで全体が緑豊かである。結構雨が降るらしい。昨日もかなり長時間雨が降って雨の中を歩いた。

教会のように見える茶色の建物は裁判所

これは教会。中に入ってみた。

教会内部。新しく、金箔もピカピカしている

やはり教会内部の絵画。人物は土着のアメリカインディアン系の人と思われる。教会にこういう人物が描かれるのは珍しいと思って撮った

アラモの砦。San Antonioでは最も有名な観光スポット。手前の低い教会のような建物とその左側の壁がアラモの砦である。後ろの高い建物はホテル

砦の中庭から砦を映したところ。あの建物の中にも入れるが撮影禁止。中にはテキサスの英雄150人の名前がある。
アラモはアメリカ人、特にテキサス人にとっては特別な意味があるらしい。まだアメリカができて間もないころで西へ西へと開拓を進めていた時期にこの辺りに住み着いたイギリス系の住民を排除しようとして先にメキシコを征服したスペイン人が攻め込んできたらしい。
3000人のスペイン兵に対して150人のテキサス兵がこの砦にたてこもって応戦した。その150人は全滅するのだが、彼らがスペイン兵をここで食い止めたことによって背後でイギリス系住民が軍を立て直すことができて、最終的には戦いに勝利した。その後、このテキサス地域はテキサス共和国になり、後にアメリカ合衆国の一つの州となる決定を住民投票で決定してアメリカの一部となる。この像はその中でも特に有名なデビークロケット

砦の内部。高さも低く、日本のお城より簡素である。18世紀に良くこれで戦えたものだと思う。

一緒に行った人にテキサスの歴史に詳しい人がいて教えてもらったが、歴史を知ると観光も一味違ってくる。