毎年8月には、原爆記念日や終戦の日があって、太平洋戦争の報道が多くなる。特に今年は戦後70年で安倍総理の「70年談話」が出るとあって、盛り上がっている気がする。テレビなどの報道番組はほとんど例外なく「戦争体験を語り継がないといけない」と言っている。しかし、私にはどうも「語り継ぐべきモノ・コト」を取り違えているように思う。
取り違えの典型例がNHKの「原爆の日を覚えている人が少なくなった」という報道である。何月何日に原爆が落とされたかを記憶している人が少なくなった、として戦争の記憶が薄れていると言う。しかし、私は何月何日に原爆がどこに落とされたか、は殆ど記憶する必要のない情報であると思う。少しましな情報として、原爆でたくさんの人が亡くなった、とか、後々後遺症が出て体調を崩した人がたくさん出た、というのがあるが、これでもまだ最重要な語り継ぐべき情報であるとは思わない。マスコミはこの種の情報が一番大事だと思っているようであるが・・・。
私が重要だと思うのは「なぜ戦争を始めてしまったのか」「なぜもっと早く停戦に持ち込めないで原爆投下から無条件降伏というような事態になってしまったのか」「戦後の処理はどういう哲学の元に行われたのか」というような話である。これらについては殆ど報道されていない。
戦争開始は1941年12月8日の真珠湾攻撃と宣戦布告、とされているが、戦争開始に至った経緯としては1937年に開始された日中戦争以来の流れがあり、更に1910年の日韓併合あたりからの一連の日本の大陸へに進出の歴史が下地になっていることは間違いない。この時期の日本社会はどういう空気感だったのか、いわゆる政府発表や特定の思想を持った人の意見だけでなく庶民全体の感覚を知りたいと思う。今の北朝鮮のようにお上に逆らえないから皆が黙り込んだような状態だったのか、今の中国のようにある程度自由にものが言える状態ではあるが、取り締まりもある、という状態だったのか、その中で日本が戦争へと走っていったのは、一部のトップが暴走したのか、今のギリシャのように国民全体が圧迫感を感じて反発していた感じだったのか、というようなことを明らかにしていく必要があると思う。
次が戦争開始後、降伏に至るまでの過程である。この時期は非常事態であるので通常では起こらないようなことが起こったのは間違いないと思うが、国民に対する非人道的なことはどの程度あったのか。また、「勝てそうもない」という判断はかなり早くからできたと思うが、なぜもっと早く降伏できなかったのか。結果としては早く降伏したほうが良かったとは思うが、どちらが良いかということとは別に、なぜ焦土作戦で竹槍で機関銃を迎え撃つ、というようなところまで行ってしまったのかという政府内での力学は解明する必要があるだろう。
そして戦後処理である。日本は無条件降伏したので半分はアメリカ、半分はロシアになったとしても文句は言えない状態だった。その中で世界のパワーバランスで沖縄と北方領土を除いて日本が分割されないで独立国として残されたのは戦勝国側のパワーバランスや判断によるものである。日本国憲法第9条が制定された頃には、「X国に侵略されたらX国にされてしまうことを受け入れてでも戦争をしない」という気分があったのではないかと思う。
こういった状況を整理して語り継ぐのが戦争の記憶として残すべき事柄であると思う。
なお、日本の植民地化に関してであるが、シンガポールの博物館に行くと日本は完全に悪者の侵略者として扱われているのに対して、あのあたりを植民地化していた欧州各国はそれほど悪者にされておらず、むしろ文明を持ち込んだという様な展示のされ方をしている。お詫びもしていないと思う。統治の手法の違いではないかと感じている。
韓国に関しては、侵略されたという意識はずっとあったが、10年ほど前まではそれほど悪い印象ではなかったと私は感じていた。悪い印象になったのはイ・ミョンバク大統領以来の最近の韓国政府の方針のように感じている。