ウィトラのつぶやき

コンサルタントのウィトラが日頃感じたことを書いていきます

ランナーズ・ハイ

2008-02-29 08:48:13 | 生活
長時間運動していると、突然気分が高揚し、疲れも吹っ飛んだ感じになることがある。これをランナーズ・ハイと呼ぶそうである。

私はこれまでの人生で2度、この状態になったことがある。
一度目はスキー場で(多分野沢だったと思う)、ノルディックコースをハアハア言いながら歩いて宿に戻る途中だった。春の日差しが暖かい山道を一人で歩きながら、突然なんとも言えない嬉しい気分になった。声を出して笑った。雪の中を転げ回りたい気分だったが、スキーを外すのが面倒だったのでそのまま歩いてきた。

2度目は宿川原に住んでいて頃に夜、多摩川の堤防をジョギングしていた時である。このときもなんだか嬉しくなって、いくらでもスピーを上げて走れそうに感じた。とはいっても私は本格的ランナーではなく、ちょっと走るだけであるが・・

ネットを見ると脳内に麻薬成分が分泌されるとか書いてあるが、自分の経験から言うと、自分の中に眠っていた野生の本能が呼び起されて、自然と溶け合おうというような感じである。それが何ともいえず気持のよい、うれしい感覚につながっているように思う。従って、トレーニングセンターのような屋内ではこの感覚はいくら運動をしても味わえないのではないかと思う。

鶴見川の鳥

2008-02-28 10:56:58 | 生活
毎日、鶴見川沿いに歩いていると、川にすむさまざまな鳥が目に入る。写真はこの川で見かけた最大の鳥で、鷺か、ひょっとしたら鶴の一種かもしれないと思っている。

この写真は昨年10月に撮ったものであるが、この鳥を最近見かけなくなった。代わりに以前は見かけなかったカモメを時々見かけるようになった。季節変動で、暖かくなればまた戻ってくると思いたいが、このあたりの冬は寒いといってもそれほど寒いわけではないので、環境が悪くなっていなくなってしまったのではないかと心配している。

愛ちゃん、頑張ったね

2008-02-27 09:10:41 | 生活
昨日、世界卓球の韓国戦をテレビで見た。よくやった、という感じである。

私は、中学・高校と卓球部であったので卓球が好きだし、試合中の選手の気持ちもある程度分かるような気がする。

愛ちゃんが第1試合を簡単に失い、平野さんもリードされた時はだめかと思ったが、そこから平野さんが盛り返して行って面白くなった。
第2試合を平野さんが勝った時点で見ている私も「これは最後の愛ちゃんで勝負になるな」と思ったくらいだから、愛ちゃん本人も当然そう覚悟しただろう。

予想通り、2-2で回ってきた最終戦、愛ちゃんは最初はガチガチでミスを連発した。しかし1セット目の後半、ラリーが続いて追い上げていったことで体が動いて硬さが取れていったものと思う。
それでも、セット数2-2で最後のジュースになったときにはどうしても硬くなる。そこで守りに入らず、されまでの姿勢を継続して、集中して戦ったことが勝利につながったものだろう。試合直後に彼女が涙ぐんでいたのもわかる気がする。

それにしても、平野さんは大したものである。私が最も感心したのはタイムアウトの時である。普通タイムアウトの時は監督やコーチからアドバイスを受けて、それにうなずくというパタンなのだが、彼女の場合は自分から戦況の分析、相手選手の分析を語って、監督やコーチに確認しているようだった。テニスのトッププロのような精神的強さを持っていると思う。まだ向上して世界でも上の方に行く可能性があると思う。

私が高校生の時に見た世界大会は、中国の荘則棟、長谷川、河野などが花形選手だった。男子ではあるが、昨日のテレビで見たレベルとはずいぶん違っていて、1ポイント取るのに大変な苦労をしていたと思う。ミスが多くなったのは用具が発達しすぎたからなのか、レベルが下がったからなのか・・


小樽時代 おしょろのウニ

2008-02-24 20:06:36 | 昔話
小樽は海に近かったのだが北海道は泳げるほど暑い日はほとんどなく、海で泳いだことは数えるほどしかない。

ただ、小樽時代で記憶していることとして、小樽の西側のおしょろという海岸に言ったことを覚えている。そこは岩浜で、泳ぐというより貝などの海の生物を取って遊んでいた。あるとき、私は泳げなかったので、たぶん父が採ってきたのだと思うが、ウニを取ってきて海岸で殻を和って食べた。そのときの味は、「世の中にこれほどうまいものがあるのか」と思うほどであった。ばふんウニであったと思う。

ちなみに、当時の小樽では馬車で荷物を運ぶのがまだまだあって、道に馬糞はいっぱい落ちていた。

数少ない小樽時代の記憶である。

無線通信の将来 無線技術の可能性

2008-02-23 14:19:35 | 経済
今回は、技術的に無線通信がこれからどの程度進歩する可能性があるかについて論じてみたい。

前にも書いたように、通信技術として、同じ伝送路を使って伝送できる情報量が、光ファイバーと銅線のように100万倍にもなるような話はないと思っている。A地点からB地点への無線伝送技術に関して言うと現状の技術はもう2倍もいかないほど理論限界に近いことが分かっている。

しかし、これは反射波や干渉信号のない場合の話であって移動体通信環境のように、いろいろと妨害要件のあるシステムではさらに改善の余地は大きいと考えている。しかし、それでも10倍は行かないような気がしている。

更に、現在の携帯電話システムのように空間的に複数の基地局を配置する場合の伝送容量の理論限界などはまだ分かっていない。もちろん、基地局数を増やせば伝送容量を増やせることは分かっているが、基地局数と、送信電力、使える周波数を一定とした条件下では、理論的に最適な方法を実現しても、いまのシステムの10倍程度までしか行かないのではないかという、気がしている。

それでは、伝送容量を画期的に増やすことができないのかというと、必ずしもそうではない。一つの方法は割り当てる周波数を増やすことである。これは行政の問題なので政府に頼らざるを得ないが、政府はその方向で動いている。

もう一つの方法は基地局を増やすことでこれは投資の問題なので経済性が大きな問題である。この点については前回触れた。機器のコストは技術が進めば下がるだろうが、工事のコストなどが問題である。 基地局数を増やす別の考え方としてアンテナ数を増やすという方法もある。アンテナ数を増やすと基地局を増やしたのと同様の効果が得られる。

現在アンテナの研究は、アンテナそのものをどういう形にするかといった研究と複数のアンテナがあったとしてそれをどう制御するか、という研究が中心になっているが、これらの技術からは大したものは出てこないように感じている。 むしろアンテナの概念を変えてしまうような研究が必要ではないかと思っている。

例えばビルの壁をアンテナにするとか、衣服をアンテナにするとかいった研究である。こういうものは、技術だけではなく社会的影響も大きく業界も複数にまたがるので大学が技術の種を作ることが大切だと考えている。 通信方式に関しては研究の余地はないのかに関しては稿を改めてまた書きたいと思っている。

体のツボ 足の裏

2008-02-22 09:38:43 | 生活
私はスーパー銭湯が好きで回数券を買って通っている。良く行くスーパー銭湯に寝そべって湯につかると足の裏に強くお湯が吹き出してくるジャグジーがある。

そこに、足の裏のいろいろな場所を当ててみると、場所によって異なった感覚がある。痛いところ、くすぐったい感じのところ、気持ちよい感じのところ、あまり何も感じないところなどさまざまである。そしてその異なった感触は、中国式「足裏マッサージ」に出てくる反射腱と部位ととよく合っている。
親指の裏が本当に目と関係しているのかどうかなどは分からないが、刺激に対して違う感覚を受けるというのは何か意味があるのだろうと思う。

私の場合には土踏まずに痛みを感じた。そこで自宅で風呂に入った際にその部分を両手で強く押してこするようにしてみた。最初は痛みがあったが何日か繰り返すと痛みを感じなくなった。これで健康になったのかどうかは不明だが、何らかの効果はあったように思う。

音楽の好み  Jazz

2008-02-19 16:37:58 | 生活
高校3年になると受験勉強の傍らラジオを聴くことが増えた。その中で私が好きだったのは神戸の放送局であるラジオ関西の「電話リクエスト」という番組だった。電話リクエストと言いながらリクエストというよりはしっかりした解説者が付いていて推薦したい曲をかけるという印象だった。月曜日はポップス火曜日はジャズ、水曜日は映画音楽、といった具合に曜日ごとにジャンルが分かれていてそれぞれ開設者が付いていた。その中で私が引かれたのが「いソノてルヲ」氏の解説するジャズだった。解説もよかったが聞き手の女性アナウンサーがなかなか良く、うまく解説者の持ち味を引き出していたという印象がある。当時は1960年代後半だったが50年代のジャズを多く紹介していた。

大学に入ってからは倉橋由美子の小説に出てきたシャンクレールという京都のジャズ喫茶に行ったりしていた。会社に入ってもしばらくはジャズが好きだった。レコード(30cmのLP版)もかなり買った。

会社に入るとときどき渋谷のジャズ喫茶に行っていた。あるとき、偶然NHKの渋谷のスタジオでやるジャズの生番組「セッション‘77」を聴きに行った。当時、鹿内タカシが司会をしていたように思う。日本人プレーヤーの演奏だが、全国放送なので気合が入っておりピットインなどでやるライブよりもむしろレベルが高く、しかも無料だった。また当日行っても入れるという条件の良いものだった。一度行くと帰りに次回のチケットをくれた。当時ジャズはマイナーだった証拠だと思う。今でもセッション2008をやっているようだが今はどんな感じなのだろうか?

1981年にニューヨークに留学した時は、黒人街でトラックに機材を積んで公園で行う無料のJazz MobileやCool Jazz Festival などを聴き歩いた。特にJazz Mobileは公園でシシケバブの屋台が立ったり、マリファナを売りに来たりしていかにもJazzという感じだった。

この頃には富士銀行から留学に来ていた古荘正朗氏とよく一緒に聞きに行っていた。古荘さんは当時25歳くらいだったが既に直木賞作家であった。若くして他界してしまったので作品は数えるほどしかないが、おしい人物であった。個別の演奏で印象に残ったのはオスカーピーターソンのカーネギーホールでの演奏だった。舞台に出てくるときはよたよたした老人の印象なのに演奏が始まると神技とも思える音の洪水になる。プロのすごさを見せつけられた。

ソレントの写真(3)

2008-02-18 17:23:35 | 旅行
この写真はソレントの海岸と街をつなぐ道である。
この道以外に海岸から山に登る道はなく、他は歩道の階段になる。
写真は、街から港へ下りてゆく途中で撮ったもので、つきあたりを折り返して港に向かう。突き当りには階段の歩道があり、それを上ると街の中心部に出る。

いかにも軍事用の防御を考慮した基地という感じがする。あまり良い写真が無いので掲載はしないが、街の中も、高さ2mくらいの煉瓦の塀で囲まれて、その中に家があり、中庭がある。道幅は車の片道通行がやっとである。一つの囲いは長さ100m程度もあり、複数の家が外壁を共有している。

やはり、よほど外部からの侵略、略奪がひどかったのだろう。ローマもその起源は男ばかりだったので周辺から女を略奪して、街を作ったそうである。

こういう街の構成は南ヨーロッパでは至る所にある。私はこういう街を見るたびに黒澤明の「7人の侍」を思い出す。あの映画は衣装からすると江戸時代のような感じだが、あのような略奪行為は江戸時代にはなかったのではないかと思う。日本の村はほとんど防衛を考慮して作られていない。

「7人の侍」のストーリーの原点は古代ヨーロッパにあったのではないかと考えてしまう。

ソレントの写真(1)

2008-02-18 17:03:04 | 旅行
日曜日に帰国した。

最後の方で何枚かソレントの写真を撮ったので掲載しようと思う。
この写真はソレントの山道にあるキリストの絵である。
日本でいえばお地蔵さまだろうか。

これは山の上にあるとても小さな教会の参道にあるものである。