ウィトラのつぶやき

コンサルタントのウィトラが日頃感じたことを書いていきます

日本の政治は変わりそうにない

2017-10-29 08:31:31 | 社会

先日、私が「野党は若者重視を打ち出したらどうか?」と書いたらば、複数の方から「それは自民党の派閥レベルの内容だ」というコメントをいただいた。私は非常に残念に思っている。

このブログにコメントを書くような人はかなり私の意見に共感する部分があって問題意識も高い人たちだと思っている。そのような人たちでも「野党は社会主義のような大きく自民党と異なる考えでないといけない」という考えだとすると、まず日本でまともな野党が育つことは無いだろう。今回の選挙結果を見ても、実際、「反自民というと社会党」という意識の人が非常に多いということが立証されている。このような人は高齢者が多いので10年くらいすれば変わってくるかもしれないが、10年はかかるだろう。

テレビを見るとどこでも「希望の党大敗」と言っているが、私の見方は全く異なっている。このブログにも書いてきたが、希望の党は選挙直前に結成された政党で政策も無ければ人材もいない。あるのは小池氏のイメージだけなので私は「10議席程度ではないか」と思っていた。ところが「民進党が実質的に解党して希望に合流」という方針を打ち出したので、メディアは一気に「政権交代まであるか」とはやし立てた。その後うまくいかなかった問題も私は希望の党という問題よりも民進党の問題だと思っているが、メディアは自分たちが盛り上げた希望の党のイメージに遠く及ばなかったので「希望の党は惨敗」という言い方をしている。私が問題視している細野発言を取り上げる人は殆どいない。

結果として、民進党の中でも「小池氏のイメージに頼らないとうまくいかない」と考えた人たち、骨のない人たちが希望の党に移ったのでこの程度は妥当だと私は考えている。問題はこれからどうするかである。以前として希望の党には人材がおらず、大きな動きは起こせないだろう。枝野氏は立憲民主を中立にしたいと考えているようだがそれは無理だと私は考えており、立憲民主は共産党に近づいていって、今回立憲民主に投票した人も立憲民主は批判するだけの政党だということを認識し次回は入れない、ということになるだろう。

問題はこれからの野党再編がどうなるかということであるが、うまくいきそうにない。国会では野党は自分の政策を打ち出すことなく、政府の小さな失策をつつく状態が続くだろう。政権交代が期待できるような状態があるとすれば、安倍総理が強引な政策に出て自民党内部で不満が高まり、自民党の分裂を含む再編しかないだろう。思ったよりも「自民党の派閥程度の考えは野党ではない」と考える人が多くて残念に思っている。


グーグルホーム、音楽が聴けなくなった

2017-10-26 16:18:22 | 生活

グーグルホームを使い始めて2週間以上経過したが、やはり用途はほぼ音楽を聴くことである。

その音楽は、Google Play Musicというアプリを使っているのだがそれが使えなくなってしまった。「音楽をかけて」といっても「済みません、エラーになりました」というばかりである。1日経過しても治らないので、グーグルに電話してみた。そうすると「2週間経過すると、支払い方法を登録しないと2週間で使えなくなります」ということだった。パンフレットには「3ヵ月無料」とあったのだが、それは支払い方法を登録した場合のことだそうである。「その登録の仕方は?」と聞くと、iPhoneの場合はSafariからGoogle Play Musicに入っていろいろと手順があるので後でパソコンのメールアドレスにやり方を教えます」ということだった。パソコンでも設定できるそうである。

改めてGoogle Homeのサイトを見るとSpotifyという無料音楽アプリがあり、こちらは無料で聞けそうである。これを立ち上げて当面音楽を聴けるようになったのだが、Google Homeの音声応答にはまだまだ改良の余地が大きいと感じた。少なくとも、「支払方法を登録してください」「登録の仕方はGoogle Homeのアプリのここを見てください」位のことを言うべきだと思う。

 


総選挙の結果を受けた野党の方向性

2017-10-25 08:06:45 | 社会

総選挙が終わって新しい枠組みが明らかになった。メディアでは自民党大勝と報じているが、公示前290名で当選者284なのでほぼ現状維持とみるべきだろう。民進党は総選挙公示後に立憲民主、希望、無所属に割れ、立憲民主だけが公示前の15名から55名と大幅に増えている。それ以外はいずれも公示前よりは減っている。この結果を見る限り安倍政権への批判票が立憲民主に流れたとみるべきだろう。以下は、私の政治信条に基づく今回の結果の解釈である。

立憲民主党は私から見れば日本社会党の再結成である。「まだ残党がこんなにいたのか」という思いである。以前書いたように、この党に「企業の競争力により国の経済力を強めよう」という発想はなく、国民の結果平等を目指す政党なので、一定の支持はあるが経済政策が無いため与党になることはあり得ないと思っている。今の小選挙制度の下ではいずれまた消滅するだろう。

希望の党は今回は失敗したが、準備不足で政策を持っていないので、仕方がないだろうと思う。今回はメディアの執拗な「立候補するか?」取材に続いて、小池氏の「排除する」という言葉を叩いて、これが選挙結果につながったと思うが、民進党左派を受け入れないことは必要なことであり、私は間違っていたとは思っていない。問題は「民進左派を受け入れない」ということをどういう言葉で表現するかで、自分が経済政策に方向性を持っていればその言葉を使ったのだろうが、それが無いので、集団的自衛権とか憲法改正とかで表現た。妥協して全員来ると嫌なので強い表現にした。それが間違いだったと思う。単に「左派は受け入れない」として玄葉氏との協議にゆだねればよかったと思う。希望の党としての本当の問題は細野氏の「長老は遠慮せよ」発言で、これは今後の野党再編に暗い影を落とすと思う。

成長戦略は難しい。規制緩和が必須で、官僚が抵抗するので、政治家側がよほどきちんとした方向性を出さないと骨抜きにされる。アベノミクスでも成長戦略はうまくいっていない。これを野党が打ち出せるようになった時が、日本の2大政党制の夜明けだろうと思う。

今回の選挙結果を見て私は野党連合に自民党との有力な対立軸が見えた気がしている。それは「若者のための政治」である。今回の立憲民主の躍進を支えたのは高齢者の旧社会党支持者のようで、若者は殆ど立憲民主を支持していない。若者は圧倒的に自民党支持が多く、立憲民主よりも希望のほうがかなり多い。「これは今更社会主義などあり得ない」という感覚ではないかと思う。

そこで将来の日本を活性化するために高齢者の負担を増やしてでも若者が今後活躍できる社会を作っていく、そのためには健全な競争社会の育成(成長戦略)が不可欠であると打ち出す。具体的には競争社会を奨励する。これには予算はいらないが味方となる官僚を探し出すことが難しい。予算面では財政健全化に向けて年金を抑える、予防医療に予算を付けて医療費削減を目指す、というような政策である。高齢者には自分の年金を心配する人も多いが、自分にとって不利になっても「若者のためなら良いか」と思う高齢者もそれなりにいると思う。思い切って若者向けの将来の日本社会のビジョンを打ち立てれば、野党の2大政党としての自民党の対立軸になりえるような気がする。



日本の金融業界の問題点

2017-10-23 09:55:23 | 社会

昨夜は台風通過で大雨だった。今朝、私は朝7時頃に家を出て2時間ほど歩いてウィトラに来た。家を出るときは雨模様だったので傘を持って出たが、結局さす必要は無かった。川沿いを歩くと増水していて水が勢いよく流れている。激しい流れを見ると何か活力をもらうような気がする。

前回、「日本政府の保護している業界は金融と教育だ」と書いた。教育に関しては何度か書いたので、今回は金融に関して書いてみようと思う。

高度成長期は銀行からの借り入れで製造業が成長し、日本の銀行は国全体の産業を動かす中枢的な役割を果たしていた。しかし、バブルがはじけて成長が止まると、銀行は大量の不良債権を抱えただけでなく、現在に至るまで再び成長軌道に乗れていない。これはバブルまでの成長は製造業界の力であって金融業界の力ではなかったことを意味していると思う。そしてバブル破裂以後の金融業界は、抜本的な改革ができていないと思う。

少子高齢化で今後の内需発展が見込めない上に、社債や株式など資金調達方法が多様化してきて企業の借り入れ需要が減少して、貸出金利は減少している。銀行は預金金利をほぼゼロにして国債を買って金利の差額を取るという安易な方法に走ったが、皆が国債を買おうとするために国債の金利も落ちている。銀行の業績は日銀の政策に大きく左右される。日本政府は過去には銀行は決して倒産させない、ということを自慢にしてきたが、バブル以降は少し考え方を変えている。それでも合併させるなどしてできるだけ倒産させないようにしている。

金融業界は現在大きな革新の入り口にある。ブロックチェーンをはじめとするFintechと呼ばれる新技術がシリコンバレーで続々と提案されており、政府のほうが問題意識をもって、金融業界の意識を変えさせようとしている。これは現在の金融、特に銀行が行っている業務の仕組みが非効率であり、インターネット技術で大きな改善が期待できると、多くの人が考えているからである。

JRから再建のために乗り込んで「りそな銀行」を再建した細谷英二氏は「銀行の常識は世間の非常識」といって銀行員の意識を変えたが、私も共感するところが多い。ユーザとして銀行口座から振り込みをしようとすると他の銀行なら400円の手数料を取られる。営業時間外ならその2倍である。外国送金だと数千円の手数料である。グーグルを使うと膨大な情報を得ることができる現代にあって不合理に手数料が高いと感じている。送金などは手数料無料でインターネットでいくらでもできて当然だと思っている。

最近、ブロックチェーン技術を使ったビットコインなどの仮想通貨が送金手数料無料などと言って注目を集めているが、私は仮想通貨よりも、電子商取引の世界最大手であるアリババの金融がはるかに現実味が高く、世界にインパクトが大きいと思う。アリババの金融事業は、インターネット業界からの金融事業への参入であり、既存の銀行のような不合理さが無い。信頼性は銀行よりも低いのかもしれないが、中国ではすでに大規模に活用されており、大きな問題は起こしていない。決済や送金だけでなく、預金や貸し付けの機能も持っている。利便性は高く、手数料は安く、預金金利は高く、貸し付けの判断も早い。現在は中国でしか事業をしていないが、これが日本に入ってきたら日本の銀行は全く太刀打ちできないだろう。中国でも従来型の銀行にとっては大きな脅威となっている。

日本の金融業界はアリババの金融手法に学ぶべきであると思う。



政府が保護する産業は衰退する?

2017-10-21 09:47:54 | 社会

10年以上前、アメリカの雑誌「タイム」か何かで、アメリカ政府が保護して、政府の資金をつぎ込んできた産業は衰退し、特に保護してこなかった産業が成長してきている、という記事を読んだ。国の資金を間違った分野につぎ込んでいる、という指摘だったと思う。どの分野が保護されてきたかは覚えていないが、マイナーな分野だったと思う。私は日本の農業のことが思い出され、強く共感した。

正確に言うと、衰退する事業分野に参入規制や資金援助をして衰退を止めようとしても止められない、新しい成長エンジンが必要だ、ということだと思う。更に言うと保護するとそれに甘えて一層競争力が弱くなる、ということもあるだろう。日本の農業は典型的な例で長く衰退が続いていたが、安倍政権で「企業の農業への参入」を促進する政策を打ち始めて、衰退が止まった、と理解している。

日本でも衰退しても政府が特に保護せずに、形態が入れ替わってきている分野もある。小売りの分野である。昔の肉屋、魚屋、八百屋などはどんどん廃業していきスーパーやコンビニに変わってきている。一時は「大店法」という法律を作って零細小売事業者を保護していたのだが、早い時期に大店法の規制をなくしたのが正解だったと思う。もっとも、大店法の廃止はアメリカの圧力だったらしいので日本政府の自主的判断かどうかは疑問が残るが・・。今では百貨店やスーパーが経営に苦しんでいるが、特に保護しようという姿勢を見せていない点は良いと思っている。

逆に政府が積極的に育成する産業分野もある。台湾の半導体などがその例である。日本も政府の半導体育成策が成功して一時は世界トップにまでなったと言われているが、私は、少なくともこの40年程度は日本政府が特定の分野に注力した、という印象は持っていない。全ての分野にそれなりの育成策を打ち、半導体分野が成功した、ということだと理解している。

現在、日本政府が保護している分野はどこだろうか? 典型的な例はタクシー業界であり、このままのやり方を続ければますます衰退するだろう。大きな分野では金融と教育だと思っている。

金融分野では銀行に参入規制をはじめ、様々な規制を行って、護送船団方式で保護してきた。最近では規制は緩んできているが、まだまだほかの分野に比べれば規制は強い。そして日本の銀行の国際競争力は低い。これも安倍政権は改良の姿勢を見せてはいる。

教育分野はもう一つの保護の強い分野である。この分野の規制緩和はうまくいっていない。今問題となっている加計学園の問題などは、「獣医学部の新設を行わせない」という規制があるから起きたことである。この規制緩和は本来なら「自由に獣医学部を作らせる」のはずであり、「自分の息のかかったところだけに獣医学部の新設を認める」はまるで規制緩和を逆手に取ったような行為である。本来あるべき姿は、「申請すれば自由に獣医学部を作れる」であり、作りすぎて倒れた時のリスクは申請者が覚悟し、閉校の時の学生の保護などを政府が考えるのが本来の姿だと思う。つまり獣医師会は規制緩和に反対する抵抗勢力であり、獣医師会の反対を押し切ったことを問題視するメディアはポイントを外している。加計学園を認めたこと自体は問題ではなく、京産大は認めなかったという特区の決定が問題だと思っている。

今、教育無償化の議論が盛んになってきているが、学校に資金援助する方向に向かうのなら問題だと私は考えている。資金を入れるなら、奨学金を大幅に増やすようなイメージで、本人または親に資金援助する形が良い。学校の選択の自由は国民に広く与えて学校同士を競争させ、競争に負けた学校は閉校する、というような形にするべきだと思っている。



囲碁界の注目すべき話題

2017-10-20 07:44:22 | 囲碁

囲碁ファンでない方は殆ど気にしないかもしれないが、最近気になる囲碁の話題が3つほどあった。

一つ目はグーグルのアルファ碁に関するもので、これまでアルファ碁は世界最強プロ棋士たちを圧倒的に打ち負かしていたのだが、グーグル内の新規開発で過去の人間の棋譜を学習させたバージョンが、予備知識なしで自己対局のみで学習させたバージョンに100連敗した、という話である。これは、これまで人間が延々と積み上げてきた知識は正しくない、少なくとも最善ではない、ということを意味するのだろうか? アルファ碁はいわゆるシンギュラリティの領域に近づいたということかと私は受け止めている。

二つ目は名人戦で挑戦者の井山九段が高尾名人に勝って7冠の全冠制覇したということである。井山氏は昨年7冠持っていたのを高尾氏に敗れて6冠に後退していたのだが、この1年間に6冠すべて防衛して、名人戦でも挑戦者になり再び7冠になったというニュースである。すべてのタイトルを取るということは相当の力の差がないとできないことで、2番手以降とはかなりの差があるとみてよいだろう。私は井山7冠の戦いの仕掛け方が好きで、応援している。

三つ目は18歳の六浦三段が、早碁ではあるが全棋士が参加する棋戦で優勝して一気に7段になったというニュースである。井山氏も同じ棋戦で優勝して四段から七段に上がったのだが、この頃このような飛び越し昇段が多いと思う。井山氏のようなめったに出ない特別な人は良いが、最近はこのような例が続出している。それは、大きな棋戦の挑戦者を争うリーグ戦に入れば七段にするという規定があるからなのだが、入団して3年くらいの若者が三段から七段に上がる例が続出している。これは昇段規定が甘すぎるのだと思う。

囲碁界では段位が下がることはなく、弱くなっても九段を続けられる。将棋界では段位が下がることは無いのだが、順位戦というリーグ戦で負け続けるとどんどん下位リーグに落ちていき、一番下位のリーグでも負け続けると引退を余儀なくされる。テレビによく出る加藤一二三九段がこのシステムで引退を余儀なくされた。囲碁界にはこのような仕組みもないので弱い九段がたくさんいて、九段と三段が戦って三段が勝つ方が普通という状態になると段位の権威が失われる感じがするので飛び越し昇段するのだろう。実際、飛び越し七段が年配の九段に負けることは殆ど無い。規定を見直す必要がある気がする。

若者がすぐに強くなるようになったのは囲碁AIの影響が大きいと私は考えている。人間が強くなるのは自分より強い人と戦って相手の打ち方から学ぶのが基本である。アルファ碁が出てきて自分より強い相手と戦う機会が増えてきて、若者がそれを吸収し強くなるのが早くなったと私は考えている。従って年配者が引退しないとすぐに皆が九段になってしまい、大部分が九段ということになってしまうと思う(今でも九段が一番多い)。若者が強くなるのは良いことだが、日本棋院の体質は改めるべき点が多いと思う。




グーグル・ホーム利用報告(その後)

2017-10-19 07:36:39 | 生活

グーグル・ホームを買って10日ほど経過したがその後の利用状況を簡単に報告しておく。

今はすっかり「簡単にBGMをかけるデバイス」になっており、それ以外の使い方は殆どない。しかし、BGM機能はなかなか便利である。例えば私はグーグル・ホームを使い始めてアストラッド・ジルベルトが好きになった。「ボサノバの女王」と呼ばれた歌手で私は以前から知っていたのだが、特に好きというわけでもなかった。しかし、「ボサノバはうるさくないのでBGMに良いだろう」と思ってかけてみると、期待通りにうるさくなく、BGMとして心地良いだけでなく、時々心にしみるような歌も入っている。自分でCDを買うことはまずなかっただろうし、ラジオでは彼女の歌を何局も続けて聞くことは無かっただろうから、グーグル・ホームあっての発見だと思う。


フェイク・ニュースへの対応について

2017-10-18 13:02:53 | 社会

選挙があるとフェイク・ニュースの問題が話題となる。インターネット上で拡散される嘘の情報で、昨年のアメリカ大統領選挙でこれが大きな話題となった。ドイツ政府などはFacebookなどに7日以内に削除するように求め、違反した場合には罰金を科するような法案を提出している。

しかし、どのような方法を取ってもフェイク・ニュースを根絶することは無理だろうと思う。基本的には受け手が判断するしかない。明らかに「嘘」であるニュースを流すのはアクセス数を取って広告料を取ろうという人たちが多く、こういうサイトに対する支払いを止める仕組みはぜひ作ってほしいものだと思う。フェイクニュースを流すとマイナス点が付き、それが一定数溜まると「この人はしばしばフェイク・ニュースを流している」というポイントを表示することもできるかもしれない。「食べログ」のレストラン評価者のランク付けの仕組みのようなものを使えばできるような気がする。それ以上の規制は不要ではないかと私は考えている。

受け手からいって注意が必要なのは大手のメディアや政府の発表だからと言ってそのまま信じて良いわけでは無いということである。特にアメリカ大統領の発表などは疑う人が増えているだろう。中国などでは政府発表や大手メディアの発表は「都合が悪いことは隠す」体質があることを国民が知っているので、政府からの情報でもそのまま信じることは無く、疑いを持ちながら見ている。こういう習慣を持つと「偽情報耐性」がつくので、大切な態度だろうと思う。

今の日本では「若者は新聞を読まないので心配だ」などと年配者は言うが、若者はSNSの情報をうのみにしているわけでは無く、「怪しい」と思ったら裏を取る行動はとっているのでそれほど心配する必要は無いと思う。むしろ年配者のほうが心配だ。

但し、若者の「裏を取る」行動がきちんとできているのかどうかは分からない。皆が言っているから正しいわけでもなく、やはり自分の感性に照らして正しいと感じる情報をつかみ取ることが必要である。私自身、このブログでメディア批判を何度か書いているが、メディアの情報を「おかしい」と思うことが増えたのは10年前に会社を退職してからである。それまでは社会問題をあまり考える心の余裕がなかったのでメディアの情報をうのみにしていた面が少なくなかった。

中国人は若い頃から流れている情報を疑う習慣が身についていると思うし、日本ではフェイク・ニュースに触れることの多い若い人のほうがむしろ嘘情報耐性は高いのではないかと思う。余りに清潔な環境だと、細菌やウィルスに対する耐性が弱くなる。フェイク・ニュースを減らすよりも、一人一人の嘘情報耐性を高めることが一層重要だと思う。



「自由」について考える

2017-10-14 14:53:47 | 社会

国会が解散されて選挙が公示される間に民進党が解体して立憲民主党ができた。メディアはこれを「民進党のリベラルな人たちが新しい政党を作った」という言い方をしたが、この「リベラル」という言い方に私は違和感を感じている。

「リベラル」はLibertyから来た自由を大切にする人たち、というような意味だと思うが、私の理解は立憲民主党に行った人たちは民進党の左派であり共産党に近い人たちである。そして共産党は日本の政党の中で最も「自由」のイメージから遠い政党だと思っている。なぜ、左派を「リベラル」と呼ぶのだろうか?

私が想像するに、戦争中の言論弾圧の中で、政府に媚びずにはっきりとモノを言う人たちをリベラルとよぶようになり、戦後はその流れで反政府の立場の人たちをリベラルと呼ぶようになった。長く、反政府の中心は社会党だったので左派をリベラルと呼ぶようになったのが今でも残っているものだと思う。

しかし、現在では世界的に見ても最も自由が大きいのがおそらくアメリカであり、最も自由が少ないのが北朝鮮だろう。中国もアメリカや日本から見たらかなり自由は少ないと思う。「左派」と「自由」は実態では反対である。メディアが実態とはずれた「リベラル」を使う理由として、左派を支持する朝日新聞やや毎日新聞は彼らのイメージ戦略として「左派」より響きの良い「リベラル」を使ったのだと思うが、中立のはずの日経新聞まで「左派」を「リベラル」と呼ぶのは見識を疑われると思う。

ところで、「自由」の英語にはLibetyとFreedomがある。Statue of Liberty(自由の女神)に代表される”Liberty”という言葉はアメリカの独立とつながっているイメージがあり、自ら意思決定をして行動する、というような意味合いである。その意味で”Liberty”には「自分勝手」というマイナスイメージも伴っている。

一方、Freedomに関しては心理学者、Erich Frommの「Escape from Freedom(自由からの逃走)」にその本質が良く描かれていると思う。この本を私は30年以上前に(日本語で)読んだのだが、そこで言うFreedomは「自分でモノを決めることのできる状態」だと理解した。そして自分で決めることは結構心理的な負荷になるので、誰かがレールを敷いて自由度を狭めてくれると、かえってそのほうが動きやすい。それが”Escape from Freedom”という心理状態であり、そこに国のような大きな組織が全体主義に向けて走り出すリスクがある、というような内容だったと思う。当時私は「日本人なら分かるがアメリカ人でもそうなのか」と意外に思ったことを記憶している。

この内容は最近でも人々の重要な行動要因になっている感じがする。定年退職して毎日が日曜日になった人にうまくレールを敷いてあげれば、自治会やボランティア活動に精を出すようになるかもしれない。最近問題となっているポピュリズムの制御にもうまく使えるかもしれない一方、危険な方向に走り始めるかもしれないと思う。

いずれにせよ「自由」と「責任」はセットで考えるべきである。各人の「自由」も「責任」も大きくするのが良い、というのが私の考えである。そのための教育は不可欠であると思う。



日産のリコールに思うこと

2017-10-13 07:26:55 | 社会

最近、日産自動車が121万台のリコールを発表した。リコール対象は初回の車検をまだ迎えていない2014年10月から17年9月までに製造された車で、国内で販売された24車種(軽自動車除く)におよび、費用は250億円になるという。問題は国内全ての車両組み立て工場で資格のない従業員が完成検査をしていたことにあるという。

日産車が特に問題を起こしたという話は聞いておらず「日産が自発的に申し出たのなら偉いな」と思ったのだが、国土交通省の抜き打ちの立ち入り検査で発覚したもので、国土交通省に指示されてリコールを発表したことは間違いないだろう。メディアは一斉に日産を叩いているが、私はちょっと違った印象を持っている。その印象を確認するために、ぜひ「リコールで何台の車に問題が見つかったのか」を後で発表してもらいたいと思っている。

私の違った印象とは「完成検査の資格は妥当だったのか?」という点である。作業はそれほど複雑ではないにもかかわらず完成検査資格を得るには非常に条件が厳しく、資格を持つ人材が不足していたために、補助人材を活用するようになり、それで問題が起きないので、次第に意識が甘くなったのではないか、という印象を持っている。つまり、そもそも「完成検査資格が不必要に厳しい」というルールのほうに問題があったのではないかという気がする。

もちろん、自動車は人の命を預かる機械なのでルール違反は許されず、今回の250億円かけてのリコールは必要だったと思う。ただし、補助検査員でもできて、問題を起こさないような内容ならば、検査員資格自体が見直されるべきであり、日産は検査員の要件を変えるように国土交通省に申し出るべきだったと思う。私は、それが言いにくいような雰囲気が自動車メーカと国土交通省の間にあって、そこが本質的な問題ではないかという気がしている。

121万台というとリコールが完全に終わるには相当長い期間がかかるだろう。それでも95%くらいが終了した時期に日産はどれだけ問題があったかを発表してもらいたいと思っている。こういうことを書くのは、日本人は「ルールとして決まってしまえば、どんなルールでも従わなくてはならない」と考える傾向が強く、ルール見直しを考えないのが日本人の弱点になっていると日頃私が思っているからである。

別の話として神戸製鋼がデータを改ざんしていたという話が大騒ぎになっている。こちらは改ざんなので全く許されない話である。事故はまだ起きておらず、顧客からのクレームを受けての調査だと想像しているが、社内の自主点検で見つかったというのが救いだと思っている。