真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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関東大震災 朝鮮人虐殺数 その実態

2011年11月13日 | 国際・政治
 前回、田辺禎之助の「江東昔ばなし」(菁柿堂)から抜粋した文章に「…その空地に、東から西へ、ほとんど裸体にひとしい死骸が頭を北にして並べてあった。数は250ときいた。…」とあった(「関東大震災 仏文学者 朝鮮人虐殺死体目撃の記述」)。ところが 「政府による事件調査」(「現代史資料(6)関東大震災と朝鮮人」(下記資料1)では、「鮮人」と誤認して殺傷された「内地人」や「支那人」の死者を合わせても、東京全体で「65人」である。この数の違いはどういうことなのか。

 それは、「政府による事件調査 第4章 第4 犯罪事実個別的調査表」をみると見当がつく。資料1に2、3例を抜粋しておいたが、起訴された者の「犯人名」はすべて個人名であり、その「犯罪事実」は、自警団など民間人による殺害であることを物語っている。朝鮮人虐殺の主体は軍であったにもかかわらず「政府による事件調査」は、軍や警察によって虐殺された人数を含んでいない。「政府による事件調査」は、下記概説のように「昂奮したる民心は其良否を弁別せず順良にして何等非行なき者に対して害を加えたもの尠しとせざるは寔に遺憾とする所なり」と民間人による朝鮮人殺害のみを問題としている。下記資料2の「習志野騎兵連隊見習士官越中谷利一の朝鮮人虐殺回想談」は、そうした「政府による事件調査」の問題点を浮き彫りにしているものである。

 下記に抜粋した回想談の中には「…どの列車も超満員で、機関車に積まれてある石炭の上まで蠅のように群がりたかつていたが、その中にまじつている朝鮮人はみなひきずり下ろされた。そして、直ちに白刃と銃剣下に次々と倒れていつた。日本人避難民の中からは嵐のように湧きおこる万歳歓呼の声──国賊! 朝鮮人はみな殺しにしろ! ぼくたちの連隊は、これを劈頭の血祭りにして、その日の夕方から夜にかけて本格的な朝鮮人狩りをやり出した。」とあるのである。軍によって多数の朝鮮人が虐殺されたこと、また「犯罪行為に因り殺傷せられたるもの」でないことも明らかであるといえる。
 「日本平和論体系8 戦争に対する戦争」日本左翼文芸家総連合編・越中谷利一(日本図書センター)の中の「一兵卒の震災手記」には伏せ字が多いが、戒厳令下、ありもしない流言蜚語による鮮人襲来に対して、自警団や村民とも連絡を取り合い、主力部隊が水も洩らさぬ警戒配備について、逃げ惑う朝鮮人を銃撃した事実が記述されている。(下記資料2は、その内容の概略を江口渙氏がまとめたものである)。朝鮮人虐殺の主体は軍であった。したがって、「政府による事件調査」は、調査になっていないことになる。

 また、資料3の「朝鮮問題に関する協定 極秘」は、真実を隠蔽するための打合せが行われていたことを示しているといえる。伏せ字部分に何が書かれていたのかも、正確に知りたいところである。

 「現代史資料(6)関東大震災と朝鮮人」には、「政府による事件調査」の他に「人民による事件調査」としていくつか取り上げられている。その中の李鉄氏談「語り尽くせぬ当時の惨状」には、「我が同胞の被殺者数をも調べてみたが、それによると6千余名も殺されてゐることがわかった、しかし、これは我々が調べた東京、横浜、埼玉、千葉などの一部だけの数字が斯うなんだから、若しこれに他の地方でやられた虐殺者やそれに負傷者数などを加へるとすればその数何万何千になるか見当もつかない」とある。

 また、朝鮮総督府警務局によって「不穏冊子」と指摘された「虐殺」と題する冊子の中には、調査員一同(代表金健)の調査結果として、10月20日付で、被殺者数3680余人としている。さらに、独立新聞社特派員調査報告には、身体未発見者数と死体発見同胞数を合わせ11月28日の日付で、累計6661人とある。吉野作造は朝鮮罹災同胞慰問班から得た情報として10月末現在2613人と「朝鮮人虐殺事件」に書いている。いずれにしても、日本の政府が朝鮮人の自由な調査を許さず、遺骨の引き取りさえ拒絶した状況では、虐殺数を正確に確定することは不可能に近いが、日本政府の調査報告、「死亡233」という数字をはるかに超えていることは間違いないといえる。

資料1「現代史資料(6)関東大震災と朝鮮人」より------------
            19 政府による事件調査

        「罹災後に於ける刑事事犯及之に関聨する事項調査書」
 第4章 鮮人を殺傷したる事犯

 第1 概  説

1、未曾有の変災に際会して人心安んぜざるの時に当り鮮人の不逞行為喧伝せられたるが為鮮人に対する一般民衆の反感を激発し或は自衛の意を以て或は報復の目的に出で或は国患を除くの所以と為し鮮人を殺傷するの事犯を頻出するに至れり被害者中固より不逞の徒あり非行を為したるが為殺害せらるるに至りたるものなしとせずと雖昂奮したる民心は其良否を弁別せず順良にして何等非行なき者に対して害を加えたもの尠しとせざるは寔に遺憾とする所なり。
2、被害鮮人の数は巷間伝ふる所甚だ大なるものありと雖犯罪行為に因り殺傷せられたるものにして明確に認め得べきものは別表に示すが如くその数300を超えず加害者は捜査の結果概ね之を明にすることを得たるを以て其の情軽くして処罰の必要なきものの外は之を起訴し其の数実に400に垂んとす。


 第2 罪名及被告人員表(11月15日現在) 略

 第3 被害人員表
(創傷数略)
   庁名    死亡
   東京    39
   横浜     2
   千葉    74
   浦和    94
   前橋    18
   宇都宮    6
   計     233
 
        
 第4 犯罪事実個別的調査表(表形式を変更)
  ○庁名(東京) 日時(9月2日午後10時) 場所(府下吾嬬町亀戸275)
           犯人氏名(田中金義外1名) 被害者氏名(鮮人-氏名不詳)
           罪名(殺人) (犯罪事実 棍棒又は 割木にて乱打し殺害す)
  ○庁名(東京) 日時(9月2日午後3時) 場所(府下同町大畑509道路)
           犯人氏名(森田吉右衛門) 被害者氏名(鮮人-氏名不詳)
           罪名(殺人) (犯罪事実 路傍に呻吟し居るを木棒を以て殴打し
           殺害す)
   1行略
  ○庁名(東京) 日時(9月3日午後11時) 場所(府下巣鴨町宮下1522)  
           犯人氏名(小松原鋼二) 被害者氏名(閔麟植) 罪名(殺人) 
           (犯罪事実 独逸製12番猟銃を以て射殺す)

 第5章鮮人と誤認して内地人を殺傷したる事犯(創傷数略)
   庁名    死亡
   東京    25
   横浜     4
   千葉    20
   浦和     1
   前橋     4
   宇都宮    2
   福島     1
   水戸     1
   計      58

 第6章 支那人を殺傷したる事犯(創傷数略)
   庁名    死亡
   東京     1
   横浜     2
   宇都宮
   計       3

  
資料2「現代史資料(6)関東大震災と朝鮮人」より------------
  資料解説
            7近衛・第1師団の行動
            8近衛・第1両師団勲功具状

 震災時に於て近衛・第1両師団の行動をしることは極めて重要である。なぜなら虐殺の主体は軍隊であり、しかもおもに虐殺の行われた9月2日、3日に戒厳配置についたのはこの両師団だからである。
 ・・・
 次に当時見習士官であった越中谷利一氏の回想談を掲げてみよう。

「関東大震災のときに、東京を中心に出動した軍隊の総数がどのくらいだったかははっきりしていない。しかしいま記憶にある連隊の名だけでも、麻布一連隊、同三連隊、騎兵一連隊、世田谷輜重兵連隊、中野通信隊、習志野騎兵二ケ旅団、騎兵学校、四ツ街道砲兵連隊、佐倉歩兵五十七連隊、津田沼鉄道連隊、その他地方から一、二の連隊、工兵、憲兵等をかぞえることができる。とにかく、市内の連隊はもちろんのこと、東京周辺は、たいてい戒厳令勤務に服したのであつた。そして、「敵は帝都にあり」というわけで実弾と銃剣をふるって侵入したのであるから仲々すさまじかつたわけである。ぼくがいた習志野騎兵連隊が出動したのは9月2日の時刻にして正午少し前頃であつたろうか。とにかく恐ろしく急であつた。人馬の戦時武装を整えて営門に整列するまでに、所要時間僅かに30分しか与えられなかつた。


 2日分の糧食および馬糧、予備蹄鉄まで携行、実弾は60発、将校は自宅から取り寄せた真刀で指揮号令したのであるからさながら戦争気分!そして何が何やら分からぬままに疾風のように兵営を後にして、千葉街道を一路砂塵をあげてぶつ続けに飛ばしたのである。亀戸に到着したのが午後の2時頃だつたが、罹災民でハンランする洪水のようであつた。連隊は行動の手始めとして先ず、列車改め、というのをやつた。将校は、抜剣して列車の内外を調べ回つた。どの列車も超満員で、機関車に積まれてある石炭の上まで蠅のように群がりたかつていたが、その中にまじつている朝鮮人はみなひきずり下ろされた。そして、直ちに白刃と銃剣下に次々と倒れていつた。日本人避難民の中からは嵐のように湧きおこる万歳歓呼の声──国賊! 朝鮮人はみな殺しにしろ! ぼくたちの連隊は、これを劈頭の血祭りにして、その日の夕方から夜にかけて本格的な朝鮮人狩りをやり出した。」
〔日本と朝鮮 1963年9月1日号〕


 同氏には(「ある一兵卒の震災手記」解放1927年9月号)という創作もあるが氏に言わせると、「僕の処女作となつた小説はこれらのことを忠実に描いたものである。その意味で関東大震災時に於ける朝鮮人虐殺についての『日本文学の証言』の一つとして取り上げられているようである」といつている。
 内容の概略は江口渙氏が次のようにまとめている。


 「ある晩大きな川(多摩川─編者のむこうで朝鮮人が暴動をおこしたというので出動命令が出る。一隊の騎兵が月夜の街のなかを馬をとばせて川のそばに行つてみるといつこうに敵はあらわれない。しばらくして霧のふかい川のなかを人がわたつてくる水音がきこえてまもなく人影があらわれる。そこで騎兵が一せいに発砲する。だが敵は何の抵抗もしない。ただ悲鳴とともに倒れるだけだ。そして生きのこつた『敵』もこつちの河原までようやくたどりつくと地に伏して無条件降伏する」

 というのである。これが越中谷氏の体験記である。戦時編成の軍隊が主力を結集して文字通りの戦陣を張つたとすれば集団的大虐殺が行われるのはあたりまえである。


資料3「現代史資料(6)関東大震災と朝鮮人」--------------
                5 朝鮮人対策の推移
     3
   臨時震災救護事務局警備部打合せ
  大正12年9月5日午前10時決定事項
1、派出所及駐在所を復活し第2次検問所に当て自衛団に代わらしむること。
2、検問所は可成多数設置し警察官に依るの検問を実行し、必要あるときは軍隊
  の援助を仰ぐこと。
3、警察官及軍隊の警邏及巡察を充分なし、殊に軍隊に於ては喇叭を吹奏して軍
  力の充実を示すこと。
4、人民自衛団の取締を励行すること。
 イ、自衛団は警察及軍隊に於て適当に部署を定め総て之を其の指揮監督の下
   に確実に掌握すること。
 ロ、自衛団の行動は之を自家附近の盗難火災の警防等に限り通行人の推問、
   抑止其の他権力的行動は一切之を禁止し、勢に乗して徒らに軽挙盲動する
   が如きは厳に之を禁遏すること。
 ハ、自衛団の武器携帯は之を禁止し、危険無き場所に領置し置くこと。尚漸次棍
   棒その他兇器の携帯を禁止すること。
 ニ、自衛団を廃止せしむる様懇論し、可成急速に之を廃止せしめ便宜町内の火
   災盗難警戒の巡邏を許すに止むること。
5、鮮人の不穏行動に付きて殊更らに風説を為す者を厳重取締ること。
6、自衛団及一般民衆の武器、兇器の携帯を禁止し之を押収すること。


<参考>朝鮮問題に関する協定 極秘
                                       警 備 部
 鮮人問題に関する協定
1、鮮人問題に関し外部に対する官憲の採るべき態度に付、9月5日関係各方面
  主任者事務局警備部に集合取敢へず左の打合を為したり。
 第1、内外に対し各方面官憲は鮮人問題に対しては、左記事項を事実の真相と
  して宣伝に努め将来之を事実の真相とすること。
  従て、(イ)一般関係官憲にも事実の真相として此の趣旨を通達し、外部へ対し
  ても此の態度を採らしめ、(ロ)新聞紙等に対して、調査の結果事実の真相とし
  て斯の如しと伝ふること。
左  記
   朝鮮人の暴行又は暴行せんとしたる事例は多少ありたるも、今日は全然危
  険なし、而して一般鮮人は皆極めて平穏順良なり。
   朝鮮人にして混雑の際危害を受けたるもの少数あるべきも、内地人も同様の
  危害を蒙りたるもの多数あり。
   皆混乱の際に生じたるものにして、鮮人に対し故らに大なる迫害を加へたる
  事実なし。

 第2、朝鮮人の暴行又は暴行せんとしたる事実を極力捜査、肯定に努むること。
   尚、左記事項に努むること。
  イ、風説を徹底的に取調べ、之を事実として出来る限り肯定することに努むるこ
    と。
  ロ、風説宣伝の根拠を充分に取調ぶること。

 第3、ゝゝゝゝゝ 
 第4、ゝゝゝゝゝ
 第5、ゝゝゝゝゝ
 第6、朝鮮人等にして、朝鮮、満州方面に悪宣伝を為すものは之を内地又は上
    陸地に於て適宜、確実阻止の方法を講ずること。
 第7、海外宣伝は特に赤化日本人及赤化朝鮮人が背後に暴行を扇動したる事
    実ありたることを宣伝するに努むること。

註、爾後鮮人問題に付各方面絶へず連絡を取り、協議を行ひ、応急の措置を進め居りたるが、尚今後の措置に付、9月16日別紙諸項に就き協議を遂げたり。 



http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/"に投稿記事一覧表および一覧表とリンクさせた記事全文があります。一部漢数字をアラビア数字に変えたり、読点を省略または追加したりしています。また、ところどころに空行を挿入しています。青字が書名や抜粋部分です。赤字は特に記憶したい部分です。「・・・」は段落全体の省略を「……」は、文の一部省略を示します。 

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