真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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私は「慰安婦」ではない ─ 万愛花の証言

2019年08月22日 | 日記

 徴用工の問題や輸出規制の問題、あいちトリエンナーレ2019の問題などに絡んで、また、いわゆる「従軍慰安婦」の問題が注目されています。でも、残念ながら、事実にも基づいた議論が深まる様子はありません。逆に、「慰安婦問題はデマ」とか「反日プロパガンダ」というような発言によって、感情的対立が煽られているように思います。

 
 広辞苑によると、いわゆる”従軍慰安婦”は”日本軍によって将兵の性の対象となる事を強いられた女性”です。将兵を慰安する気持ちがない多くの女性(少女)を、日本軍は”慰安婦”と呼んだのです。もちろん、”将兵の性の対象となる事を強いられた女性”は、ほとんど従軍する意志もなかったと思います。したがって、「従軍慰安婦」という呼称は、”将兵の性の対象となる事を強いられた女性”の意志や気持ちを無視した一方的なものだと思います。

 だから、国連人権委員会差別防止・少数者保護小委員会の戦時性奴隷制特別報告者、ゲイ・マクドゥーガルが、報告書の付属文書のなかで、日本の「従軍慰安婦問題」に関して、

1932年から第2次大戦終結までに、日本政府と日本帝国軍隊は、20万人を越える女性たちを強制的に、アジア全域にわたる強かん所(レイプ・センター)で性奴隷にした。これらの強かん所はふつう、「慰安所」と呼ばれた。許し難い婉曲表現である

と指摘したのは当然だと思います。「慰安所」とか「慰安婦」という表現は、女性の立場に立てば、まさに許し難い表現だということです。呼称自体が、女性の人権を無視したものであり、女性の立場に立てば、それらは、「強かん所」(レイプセンター)、「性奴隷」という表現になるのだと思います。

 そういう意味で、下記に抜粋した”私は「慰安婦」ではない”という証言は、重要な意味を持っていると思います。
 私自身も、どのように表現すべきか、いろいろ悩まされてきました。「従軍慰安婦」と括弧書きにしたり、日本軍「慰安婦」としたり…。
 一般的にはあまり使われていませんが、日本軍「慰安婦」(従軍慰安婦)を、括弧なしで表現すると、”日本軍性奴隷”になるのではないかと思います。
 下記は、『私は「慰安婦」ではない』戦争犠牲者を心に刻む会編(東方出版)から抜粋しました。
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 <証言──中国>
 私は「慰安婦」ではない
                                                    万愛花(ワンアイファ)
 日本が何をしたかを伝えたい
 私は万愛花です。私は日本の戦後補償に関する国際公聴会で証言するため、1992年に東京に来たことがあります。私は今回、日本人がやった悪いことを皆さんに伝えるために、再び日本に参りました。今日ここに集まった皆さんの中には、若い方がたくさんいらっしゃいますね。私、万愛花はここに来席した皆さま方にとても感謝しています。どんなに遠くても、私は話を聞きに来るべきだと思います。ご来場の皆さま方に心から感謝申し上げます。私を支持してくださいまして、ありがとうございます。
 私、万愛花が日本に参りましたのは、すでに亡くなりました中国のおじいちゃん、おばあちゃんたち、それから小さい幼い子どもたち…、あの戦争中に故なく殺されたたくさんの中国の人たちのためです。あの時中国で、日本軍が何をやったかを訴えるために、私は中国の被害者の代表として日本に参りました。
 そんな殺人者たちにも、それぞれ自分の父母がおり、おじいさん、おばあさんあるいは子どもたちもいるはずです。それなのになぜ中国を侵略してきて、言い尽くせない酷いことをしたのですか。「三光政策」というのは、「殺しつくす、焼きつくす、奪いつくす」というとても残虐な行為です。そんなことをして、何のいいことがありますか。
 私は優秀な共産党員です。日本の鬼は、私の青春、私の人生、私のすべてを踏みにじりました。しかも今に至るまで、知らん顔をしているのです。
 私はかつて1メートル60センチの背の高い女でした。それなのに、今はこんなに低くなりました。身体がすっかり変形してしまったんです。ここまで全部足です。
 ずっとこういうふうにしか歩けなかったんです。日本軍は私に共産党員の名簿を出せと迫り、私に激しい暴行を加えました。拷問しました。けれども、私にはそんなことはできません。私は決して教えませんでした。そのために、いっそう激しく暴行を受けました。
 今でも私は、毎日マッサージをしてもらっているんです。十年間以上もずっと毎日マッサージしてもらって、その時だけは、今も続く身体の辛さがわずかに癒されるようです。
 (万愛花さんの体や来日後の様子に関する通訳の説明部分 略)

 三回捕えられ、くり返された暴行
 私は十一歳で共産党に入党しました。私は、生家の貧しさのため、四歳の時に内モンゴルから山西省孟県羊泉村に養女として売られてきましたので、私のそばには身内は一人もいませんでした。それで、私は八路軍(抗日軍の呼称)のために、毛沢東主席のために、少しでも手伝いをしようと思い、積極的に抗日活動に参加したのです。
 私の住んでいるところは八路軍の本拠地でした。私は日本軍が知らないうちに、内緒で八路軍に、靴とか食料品とかいろいろ必要な物資を調達して運び、私は共産党のためにたくさんの貢献をしました。
 けれども私は三回、日本軍に捕らえられて、彼らの本拠地に連行されました。連行され、合わせると三ヶ月もの間監禁されて、夜となく昼となくひどい暴行を受けました。そのうえ、数多くの日本軍人に輪姦されました。その体験はあまりにも残忍で、とても言葉で表現できるものではありません。
 ある日、二人の日本の鬼が一人ずつ、押し倒した私の両手を引っ張りあげ、もう一人の日本軍人は私の頭を押しつけ、もう一人が私のわき毛、そして陰毛を一本一本全部引き抜きました。私はとても残虐な蹂躙をうけました。しかし、彼らがどれほど私を残酷にいじめても、私は共産党員の名前を一人も口に出しませんでした。死んでもいいと思いました。
 1943年、とても寒い真冬の12月に、私を残虐に輪姦して、身体のあちこちが骨折するまで暴行を加えたあげく、日本の軍人は冷たい川に私を裸のまま投げ捨てました。私の命は神様が救ってくれたものです。
 命は助かったけれども、その後の三年間、私はほとんど身動きできずに伏せっていました。そのうえ、歩けるようになってからも村の人々から「汚い女」と蔑みの目で見られ、村で生活できなくなり一人で逃げ出しました。今は、山西省に住んでいます。

 真の友好関係とは
 私は日本に来て、こういう事実を日本人に知らせない限り、死ぬに死ねません。
 日本軍がやったこのような悪質な行為を、私が日本に来て日本人に直接話さなければ、日本人は誰も知らないでしょう。
 私は1992年にも来日しましたけれども、今回来てみたら、この集会に参加している方々には若い人がかなり多いです。私が日本に来たのは、日本政府が一日も早く、自分の国がやった悪いこと、悪質な侵略行為について、犯罪行為だということを認めて、それから中国政府に対して心からのお詫び、謝罪をして欲しいからです。私たち被害者本人に対しても謝罪して欲しいです。
 いま日本は、聞いたところでは、なんとか中国と「友好」だそうですね。けれども、実際的な行動が見えなければ、それは成り立たないのです。本当に自分が悪いことをしたと認め、謝罪するのが一番良い方法です。そうしたら、中国と本当の「いい友達」になれるんです。謝罪しないということは、中国と友好ではないことのみでなく、またもう一度中国に侵略してくる、再び戦争をやるということではないでしょうか。
 日本にはいい指導者がいないのです。日本政府が悪いんです。日本のリーダー、政府の指導者がとっても悪いです。日本人であるから全部悪いとはいえません。日本人の中にも良い人もいます。それを見分けなければならないと私は思っています。日本軍であっても悪いことをしないで日本に戻ってきた人はいい人です。それから、日本の国民はいい人です。その人たちのお友だちも悪いことをしなければいい人だと思います。

 「慰安婦」と呼ばれるために新たな被害が
 私が92年に日本に来て国際公聴会に出た時、新聞に「慰安婦」という言葉が出てきました。それは中国にまでも伝わりまして、私はとても深刻な被害をこうむっています。
 私は「慰安婦」ではありません。私は身も心もきれいです。私は「汚い女」ではありません。それなのに、祖国で子どもたち(世話をしてくれる義理の若い者たち)、まわりの村の人たちが、すごく冷たい目で私を見るようになりました。
 私は知識もないんです。私は身内もないんです。しかし、私は「慰安婦」ではない。私は「汚い女」ではないことを証明しなければならないと思いました。あちこち走り回りまして、自分が共産党員であること、「汚い女」「慰安婦」ではないことを証明してきました。共産党員であることが証明されたために、私は党籍を回復し、いま優秀な共産党員であります。「慰安婦」では絶対ありません。
 私だけではないです。韓国をはじめ、世界各国のこういう悲惨な体験をしている女性たちは、みんな「慰安婦」ではありません。すべて、日本の鬼が悪いことをやって、強制し、苦しめたことなんですよ。私が少し違うのは、私が共産党員であるために、いっそうひどい暴力を受けたことなんです。
 かわいそうな姉妹たち。かわいそうな亡くなったおじいさん、おばあさんたち。その人たちのために、私は日本に来ました。
 皆さん方、記者の方たち、恩人の方たち。私はあなたたちに対して、私たち被害を受けた女性たちのために一生懸命頑張ってくれていることについてとても感謝しております。私は中国に限らず、日本軍に殺され、苦しめられ、亡くなった方たちのために、その方たちを代表してお礼申し上げます。
 皆さんにお願いがあります。私が話したことを大勢の人々に伝えてください。悪いことをした日本の軍人を追及してください。彼らを捜し出した時、もし既に死んでいても、その親戚がいるでしょう。死んだらお墓があるはずです。そうしたら、私、万愛花はお墓参りをいたします。
 日本に橋本という人間がいるらしいですね。あの人は政府の要人として、日本軍のお墓参りをしたそうですね。祀られている死んだ人たちは、何処でどのようなことをしたのか、そして何処でどうやって死んだのか、橋本という人は考えましたか? 先程証言したあの人(杉田さんのこと)も日本人でしょう? なぜあの人は戻ったのに、お墓参りをされている人たちは死んだのですか。彼らが何処で何をしたのか、あなたたち考えてください。
 私の話を聞いてくださって、ありがとうございました。

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