真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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陸軍中野学校 英国総領事館襲撃計画/神戸事件

2008年10月08日 | 国際・政治
 下記は「陸軍中野学校の真実 諜報員たちの戦後」斎藤充功(角川書店)の第2章、「神戸事件と伊藤少佐」および「神戸事件と中野学校」と題された部分からの一部抜粋である。
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神戸事件と伊藤少佐

 諜報員にとって破壊工作は重要な任務の一つで、陸軍中野学校では、敵地の工場や発電所、ダムなどに潜入して爆薬を仕掛けて破壊する破壊演習なども実際に行われていた。
 次に紹介するのは、未遂に終わったが、神戸の英国総領事館を襲撃する計画の全貌である。この事件は、中野学校の卒業生でもほんの一部しか知らない極秘の計画であった。
 今回、私は取材の過程で事件の全貌を記した手記を入手した。この手記を遺したのは第1期生の井崎喜代太で、「神戸事件」として聞き書きのスタイルで書いていた。事件に関わる重要な部分を紹介しておく。65年前の事件は、いかなる結末を迎えたのか
……

 「神戸事件」と称される事件が憲兵隊に未然に発覚したのは昭和15年(1940)1月4日であった。事件の首謀者は当時、中野学校の教育主任を務めていた伊藤佐又少佐(陸士37期)だ。
 彼はかねてからの反英、反ユダヤ思想の持ち主で、当時の国家機密であった五相会議(昭和8年10月に5回、首相、外相、陸相、海相、蔵相が集まって日本の基本国策と軍拡に関する問題を討議した会議)の内容がイギリスに漏れていると確信し、その情報ソースが、なぜか東京から離れた神戸英国総領事館にあると信じていた。
 伊藤少佐は、中野を卒業して間もない1期生3名(中尉)と在学中の2期生5名(少尉)、それに1期生の下士官学生4名の総員12名を選抜して、総領事館を襲撃する計画を立てていた。

・・・

 伊藤が起こしたこの未遂事件について、井崎は上海に出張したおりに、事件に参加した民間人から情報を得ていた。そして、この民間人から神戸事件の背景も聞かされていた。

 <彼中村武彦に拠れば、伊藤が神戸総領事館から獲得した証拠書類を中村が東京へ運び、彼の親分(彼らの愛国運動の指導者)天野辰夫氏に渡し、天野氏は此を近衛文麿公に届け、近衛公は参内して天皇陛下に上奏、天皇の御意によって政治一新を図るという計画であったという。
 天野氏は東京帝国大学時代からの上杉慎吉門下で、早くより愛国運動の理論的指導者の一人として高名、昭和8年7月の神兵隊事件に於いてはその最高指導者となった。中村武彦は國學院大學予科在学中に事件に参加、その後天野氏に最も近い立場にあった。私とは大学入学当時から同じ松永材教授門下として親しい同志的間柄であった。>

 伊藤少佐は愛国運動家らとも親交があり、神戸事件の背後には右翼との連携があったようだ。神戸事件の背後に愛国運動団体が存在していたことは、この聞き書きで初めて明かされる事実である。

 神戸事件と中野学校

 では、神戸事件は具体的にどのように計画されたものなのか。井崎は、同期の牧沢義夫中尉から次のような証言を得ていた。

 <実際行動についてやや細かく聞くことができた。彼(牧沢)によれば、参加者たちが畝傍御陵を拝して連判状に署名したが、伊藤少佐は実施計画については幹部と目される行き生達にさえ謀る(ママ)こともなく、武器の入手は、参加部隊はと質問されても明確性に欠け、終始曖昧のまま押し通した模様である。姫路師団の1カ大隊が出動、実力を以て総領事館を包囲制圧する計画とか、東京組の武器は神戸高等商船学校の兵器庫から奪うとか打ち明けられたと云う>

 牧沢の証言によれば、伊藤少佐は襲撃計画で最も重要な部分の動員と兵器の調達については曖昧な答しかしなかったという。牧沢にしてみれば、上官とはいえ一少佐の計画で「兵が動く」などとは、信じられなかったのであろう。重大な軍規違反である。
 姫路師団(第十師団)の1個大隊の動員に関しては、後日、上海の支那総領事館に勤務していた2期生の若菜二郎が井崎に、こう語っている。

 <伊藤さんは、これからかねて自分の理解者である姫路十師団長の佐々木到一中将を説得して、師団の兵力を動員して貰うと云ってでかけた>

 伊藤少佐は自分を理解している姫路師団長を説得すると若菜に語ったというが、師団長の佐々木到一は伊藤より四階級も上の将官である。そのうえ、伊藤とは軍の組織や命令系統も異なり、上官と部下の関係でもない。二人の接点といえば、前述の開楽炭鉱爆破未遂事件で、当時北支那方面軍憲兵司令官の職にあった佐々木に、事件を内々に処理してもらったことだけである。
 その恩義ある佐々木中将に、私的に「兵を動かす」という反乱罪にも等しい決起行動を相談したとは、私にはとても思えないのだが……。万に一つその事実があったとしても、憲兵司令官の職にあった佐々木は伊藤を叱咤して、計画の中止を迫ったのではないか。伊藤の計画が事前に憲兵隊に洩れていたのも、案外、佐々木の線からではなかったのかと想像する。

 ……以下略

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