ウクライナ研究者・藤森信吉氏によると、ドンバス地域は、1721年に探鉱者カーブスチンが石炭を発見して以来、石炭産業や鉄鉱関連産業の開発が進められ、帝政ロシアやソ連の工業を牽引する地域として発展してきたといいます。だから、この地域の労働者が、ロシアの革命運動をリードすることになったのだと思います。
首都キエフを中心に展開された「オレンジ革命」や「ユーロマイダン革命」に対するドンバス住民の反感が強いのは、そうした歴史をふり返れば、当然の流れであることがわかると思います。ドンバス住民は、一貫してロシア語の公用語化、関税同盟(ロシア・ベラルーシ・カザフスタン)への参加、NATO加盟反対といった政策を求めてきたということです。
それは現在も変わらず、親米的なゼレンスキー大統領が主張していることは受け入れないということであり、ドンバス地域やクリミアが、ウクライナに戻る気はないということだと思います。だから、たとえロシアを排除し、力ずくでドンバス地域やクリミアをウクライナに戻しても、ウクライナに真の平和は訪れないと思います。
下記は、「ウクライナを知るための65章」服部倫卓・原田義也(明石書店)から「50 ドンバス紛争 ──★「ドンバス人民の自衛」か「ロシアの侵略」か★──」を抜萃したものです。すでに、ロシアがドンバス地域の住民に対する年金、公務員給与を負担しており、さらに、ウクライナ側がドンバス地域への天然ガス供給を停止したため、ロシアが「人道的観点」からガスプロム社に命じて供給を肩代わりしているという事実も明らかにしています。
だから、ドンバスやクリミアが、ロシアに侵略され奪われたと断定することには問題があるのです。
ドンバス地域の人たちやクリミアの人たちには、戦争前から、ロシア帰属を求める声があり、ロシアも、ロシアに隣接するこの地域の人たちが、強引に親米政権の側に組み入れられることを受け入れられなかったのだと思います。
そういう意味で、ドンバス紛争には、アゾフ大隊を中心とするウクライナ側の軍隊の攻撃を受けて、ドンバス地域の人たちが、反撃するようになったという側面があることを見逃してはならないと思います。ヤヌコビッチ政権が民主的に親米政権に変ったのではなかったことが、影響しているのです。
また同じように、ハマスのイスラエル攻撃にも自衛権行使の側面があると思います。
国連安全保障理事会は、先日、パレスチナ自治区ガザ地区を実効支配するイスラム組織ハマスとイスラエルの軍事衝突を受けて緊急会合を開きましたが、議長国ブラジルが提出した「戦闘の中断を求める決議案」は採択されませんでした。アメリカが拒否権を行使したからです。
拒否権行使にあたって、アメリカのトーマスグリーンフィールド国連大使は、武力攻撃を受けた場合に自衛権を発動できるとする国連憲章第51条を根拠としました。でも、イスラエルのパレスチナ攻撃が自衛権の行使とはとても思えません。
むしろ、分離壁で「天井のない監獄」と言われる狭い地域に閉じ込められ、日々基本的人権を否定され、生存権さえ脅かされているガザのパレスチナ人を解放しようとするハマスのイスラエル爆撃の方が、逸脱しているとはいえ、自衛権行使の側面があるように思います。
報道によると、国連のグレーテス事務総長は、国連安全保障理事会の演説で、
”ハマスによるテロを「正当化することはできない」と指摘しつつ、「ハマスの攻撃は、何もないところから起きたわけではないと認識することも重要だ」と言及。パレスチナの人々は「56年間、息苦しい占領下に置かれてきた」とした上で、「自分たちの苦境を政治的に解決したいという希望は消えつつある」”
と述べたと言います。
でも、イスラエルのエルダン国連大使は、グレーテス事務総長の演説に、イスラム組織ハマスによるテロ攻撃を「容認」するような発言があったと主張し、辞任を求めたと言います。さらに、イスラエルのコーヘン外相も抗議の意思を示しつつ、記者団に「(グレーテス氏は)恥を知れ」と強調したということです。
私は、この問題に関する限り、グレーテス事務総長の演説に何の問題もないと思います。きちんと現実を踏まえた正しい主張をしているグレーテス事務総長に辞任を求め、「恥を知れ」とまでいうイスラエルの大使や外相こそ、あまりに身勝手であり、非民主的だと思います。
私は、グレーテス事務総長の批判は、「恥を知れ」というような言葉ではなく、グレーテス事務総長の演説のどこに、どのような間違いがあるのか、を明らかにすることだと思います。それができないから、「恥を知れ」などという乱暴な言葉が出てくるのではないかと思います。
イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相も、「ハマスを根絶やしにする」と言って、地上侵攻の準備を整えているということです。それが自衛権の行使として許されるとは思えません。
自衛権は、国内法の正当防衛と同じように、自分の身を守るための必要最小限度の実力行使でなければならないのです。グレーテス事務総長のいうように、イスラエルが法を遵守し、国連決議を受け入れて、ガザのパレスチナ人の正当な権利を認めれば、ハマスの武力攻撃はなかったということを踏まえるべきだと思います。
ウクライナ戦争も、イスラエル・パレスチナ戦争も、アメリカが停戦に反対し、戦争を支持する立場で関わっていますが、共通しているのは、戦争に至る経緯の無視であり、不都合な事実をなかったことにして、ロシアの軍事侵攻を非難し、ハマスによるイスラエル爆撃を非難する姿勢です。
だから、アメリカが主導すると、停戦ができず、軍事力によって決着させることになるので、問題の解決にはならないのだと思います。
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50 ドンバス紛争
──★「ドンバス人民の自衛」か「ロシアの侵略」か★──
2017年2月の首都キエフにおけるヤヌコビッチ政権崩壊と前後し、ウクライナ各地は無政府状態に陥った。特にウクライナ東南部の州では、キエフの新政権に反対する勢力が武装化し州庁舎等の公共施設を占拠した。ヤヌコビッチの地元ドンバスでも、地域党が支配していた州議会・行政府の権威が失墜し、権力の真空を衝く形でロシアの諜報員・扇動家が直ちに浸透、これと協働した現地の自治体関係者、治安機関、準軍事組織が中心となって州を単位とした「ドネツク人民共和国」「ルハンスク(ロシア語読みでルガンスク)人民共和国」創設が宣言された。その後、ウクライナ新政権との間で武力紛争が生じ、2015年2月にミンスクで停戦が合意された。以降、両人民共和国がドンバス2州の三分の一、約1万5千平方キロメートルを実効支配し続ける状態にある。人民共和国領内住民は、公式にはウクライナ国民であるため、ウクライナ・人民共和国間境界線(停戦ライン)に設定された数ヶ所の出入りポイントを通じて合法的に往来することが可能であり、往来数は数万人/日に達している。紛争激化時には多くの住民が域外に逃れ、停戦後、国内・国外避難民数は200万人に達したが、一部は故郷に戻り始めてる。両人民共和国の統計を合計すると、住民数は計370万人(2018年初現在)となっている。
両人民共和国はウクライナ政府及び国際社会から「侵略国ロシアの支援を受けたテロリストによる非占領地域」とみなされており、国際的な国家承認を受けていない。そのため、公式には一時的被占領地域、ATO(反テロ作戦)地域、ORDLO(ドネツクおよびルハンスク特別地区)と呼称される。ロシア政府も、両人民共和国を国家承認していないものの、ドンバス紛争を「キエフのファシスト・クーデターに対するドンバス人民の自衛行為)と定義しており、域内にロシア系住民(ロシア語話者。ロシア民族籍保有者)が多いことと相俟って、ウクライナ政府がコントロールできないロシア・人民共和国間の境界線を通じて援助を行っている。ロシアは人民共和国が軍事的に追い詰められた2015年8月に大規模な軍事援助を実施し、人民共和国の予算払底後の2014年春以降に財政援助を本格化させ、被占領地域の住民に対する年金、公務員給与を負担している。さらにウクライナ側が被占領地域への天然ガス供給を停止すると、「人道的観点から」ガスプロム社に命じて供給を肩代わりする等、人民共和国の存続に大きく関与している。ロシア政府による非公式な軍事支援は紛争の結果を招いており、国際社会による。大量生産の根拠となっている。
情報統制やウクライナ民族主義活動家による違法な反ロ行動が黙認されているように、ドンバス紛争はウクライナ政治に暗い影を落としている。また、人民共和国側に住む数百万人のドンバス有権者が国政に参加しないことから、いわゆる「ウクライナ東西分裂」が解消され、北大西洋条約機構(NATO)欧州連合(EU)加盟政策が確立される機会をウクライナ政府に与えている。一方、人民共和国では、ロシアの影響下でソ連を彷彿とさせる政治、経済、社会体制が作り上げられており。欧州統合に向けた改革を進めるウクライナ側との間で乖離が進んでいる。
紛争はウクライナ経済にも大きなな損失を与えている。消費者心理は悪化し、国防予算は膨らみ、ドンバスのインフラは損壊し、ウクライナ法人の資産は人民共和国側に統制され、外資はウクライナ進出を躊躇している。ウクライナ・被占領地間の通商は、2017年初頭にウクライナ側が経済封鎖を断行したことにより完全に遮断されてしまった。これにより、両者間の分業体制が崩れ、人民共和国のみならずウクライナ側でも工業生産の低下を見た。特に人民共和国内で生産される無煙炭が途絶したことにより、ウクライナ側の火力発電所は燃料不足に陥り、高コストの輸入炭への切り替えを強いられている。ウクライナ政府は、ドンバス復興費を150億ドルと見積もっているが、その一方で、被占領地域の補助金漬け産業と年金生活者を切り離す機会ともなっており、財政負担が軽減するというメリットも発生している。
紛争開始直後、正規軍、内務省部国家親衛隊および志願兵部隊からなるウクライナ側は人民共和国側に対し軍事的優勢に立ち、武力により被占領地「解放」を目指していた。しかし、2015年8月以降、ロシアが軍事援助を本格化させると、ウクライナは、イロヴァイスク、デバーリツェヴェにおいて軍事的大敗を喫し、欧米と協力した平和的手段による主権回復を目指す政策への転換を余儀なくされた。2015年2月にウクライナ・独・仏・露四国の首脳会談で合意された「ミンスク合意」(ミンスク2)」は、ドンバス和平策として、ウクライナの政治体制の変更、すなわちウクライナ憲法を改正した上で地方分権を行ない、大幅な自治権を与えられたORDLOを含むドンバス全域のウクライナ主権が回復されることを規定している。また、これら地域への財政支出の再開もウクライナ政権に課している。
和平交渉を主導したプーチン・ロシア大統領の意図は、人民共和国の独立を認めずに「ウクライナ連邦」内に押し込み、ウクライナの内外政、特にNATO加盟政策に影響力を及ぼそうとするものである。そのため、ウクライナだけでなく独立を果たせない人民共和国側も履行に消極的であり、欧米とロシアとが共同して紛争当事者へ影響力を行使できるかが紛争解決の鍵となっている。その意味では欧米ロシア間の関係改善がない限り、ドンバス紛争は解決されないことになる。
ミンスク合意2以降、大きな軍事衝突が起きていないが、散発的な小規模の戦闘は続き、死傷者数が増え続いている。2018年初時点で、紛争による犠牲者は1万人を超えている。また、被占領地域の住民の困窮化や衛生状態の悪化、政治的抑圧、さらにはこの紛争が新兵器の試験や社会実験の場と化している等、人道的に看過できない状態が続いている。