アメリカの対外政策や外交政策と関連する重要な言葉が二つあると思います。
一つは、「マニフェスト・デスティニー(Manifest Destiny)」という言葉です。
この言葉は、アメリカによるインディアン虐殺や西部侵略を正当化する標語だったということです。「明白なる使命」や「明白なる運命」などと訳されるようですが、今、ふり返ると、アメリカの帝国主義的領土拡大や、覇権主義を正当化するための言葉であったと思います。また、見逃せないのは、その考え方の背景に、アングロ・サクソン民族はもっとも優れた民族で、マニフェスト・デスティニー に基づく行動は当然であり、「天命」であるとする差別的な考え方があったと言われていることです。
もう一つは、ベトナム戦争当時、よく使われた「ドミノ理論(Domino theory)」という言葉です。
ベトナムが共産化すると、周辺の国がドミノ倒しのように次々と共産化していくという考え方を表す言葉です。
「我々はなぜ戦争をしたのか 米国・ベトナム 敵との対話」東大作(岩波書店)に、ベトナム戦当時のアメリカ国防長官、ロバート・マクナマラの言葉が出ていました。ベトナムとの非公開討議「ハノイ対話」で語ったものです。
”もしインドシナ半島が倒れれば、その他の東南アジア諸国もまるでドミノが倒れるように共産化するであろう。そしてその損失が自由主義社会に与えるダメージは、はかり知れないものになる”
それを理由に、アメリカは、秘密警察や軍特殊部隊を使って、南ベトナム民族解放戦線の人たちを虐殺するゴ・ジン・ジェム独裁政権を支援したのです。貧富格差や政権腐敗、仏教徒に対する弾圧などに対する不満から、ゴ・ディン・ジエム独裁政権打倒に立ち上がったベトナム人の思いなど問題ではなかったということです。人命や人権よりも、ドミノ理論が優先されたと言ってもいいと思います。
また、アメリカが、スカルノから実権を奪って大統領となったスハルトを支援したのも、ドミノ理論に基づくものであったと思います。スハルトが共産主義者やその支援者の大虐殺を行っても、それを黙認し、スハルトを支援したは、ドミノ理論抜きには考えられないことだと思います。
だから、アメリカは、民族解放戦線のように社会主義的な考え方をする組織や社会主義政権、共産主義政権などとは共存できないという方針を貫いてきたと言ってもいいのではないかと思います
でも、 「マニフェスト・デスティニー」や「ドミノ理論」の考え方に、高尚な哲学的な裏づけや法学的な裏づけ、また、政治学的な裏づけがあるわけではなく、領土の拡張や資源獲得を正当化するために政治家が利用した言葉で、差別的で野蛮な考え方に基づいていると思います。だから、民主主義や自由主義とは相容れない言葉だと思います。
問題は、アメリカの対外政策や外交政策が、今なおそうした考え方で進められていることだと思います。ウクライナのヤヌコビッチ政権転覆やロシアを敵とするウクライナ戦争も、そうした考え方と無縁ではないと思います。また、台湾を足場に、中国を追い詰めようとする姿勢も同様だと思います。
先日の朝日新聞社説に、「侵略戦争半年 ロ軍撤退しか道はない」と題する文章が出ていました。驚くことに、ウクライナ戦争でロシアと対するウクライナやアメリカに関しては、何の分析も考察も書かれていませんでした。だから、遠藤誉・筑波大学名誉教授の、”…事実の半分の側面だけしか見ていない”という言葉を思い出しました。そして、完全にアメリカのプロパガンダに沿った内容だと思いました。
「戦争プロパガンダ10の法則」アンヌ・モレリ:永田千奈訳(草思社)の「また戦争プロパガンダが始まった──日本語版によせて」に、下記のようにありました。ウクライナ戦争にも完全に当てはまる指摘だと思います。まるでウクライナ戦争に関わって書かれたものであるかのように思われました。
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また戦争プロパガンダが始まった──日本語版によせて
民主主義国家では、開戦にあたり国民の同意を得ることが必要不可欠である。昨年始まった戦争にもまた、世論を動かして参戦に同意を得るため、戦争プロパガンダの法則が巧妙に使われた。
戦争プロパガンダには、「『敵』がまず先に攻撃を仕掛けてきたということになれば、国民に参戦の必要性を説得するのにそれほど時間はかからない」という法則がある。2001年9月11日、アメリカ大統領はこの法則を即座に利用した。
ブッシュ大統領は、世界貿易センター・ビルへのテロ攻撃は宣戦布告と同じだと断じ、議会とメディアは第二の真珠湾攻撃だと位置づけた。
かくして、一ヶ月も経たないうちに、アメリカはアフガニスタンを空爆。ただし、これは「攻撃」ではなく「報復」だという。言葉の問題は重要だ。
この経緯を反アメリカ側から見れば状況は異なる。世界貿易センター・ビルへの攻撃こそが、アメリカがこれまでバグダット、スーダン、リビアでおこなった空爆への「報復」だというわけだ。
さらに、真珠湾攻撃を引き合いに出すのも妙な話だ。たしかに、ハリウッド映画に影響を受けた人々にとって、真珠湾攻撃は日本の裏切り行為であり、1941年12月、太平洋戦争開戦の原因となった奇襲攻撃として忘れがたいものだろう。
だが、アメリカ海軍上層部の証言によると、当時アメリカ情報部は、この「奇襲」をあらかじめ知っていたにもかかわらず、真珠湾の司令官にそれを知らせていなかったという説があり、この説を支持する歴史家も増えている。
アメリカの最後通告に対する日本国の返答も伝えられていなかった。つまり、情報を握りつぶすことで、日本が先に攻撃してきたことにし、アメリカの領土を攻撃した日本に対して「報復」するという体裁を整えたのだ。
続いての法則は、「敵側が一方的に戦争を望んだ」(第2章)というものだ。アフガン空爆から数日後、ル・ソワール紙は「タリバン、ビンラディン、アメリカに挑む」と書いた。「挑む」とは、「挑発する」「戦意を示す」ということだ。つまり、この見出しからは「10月7日にアフガニスタンが空爆されたのは自業自得だ」という認識が読みとれる。だが、ビンラディンの有罪を示す明白な根拠は何ら提出されておらず、アフガニスタン政府は、ビンラディンの有罪の証拠を示せば身柄引き渡しに応じる可能性もある、と言っていたのだ。
「敵のリーダーを悪魔扱いにする」という法則(第3章)も、そのまま、今回の報道にあてはまる。オサマ・ビンラディンは、いまや、第一次世界大戦中のドイツ皇帝、サダム・フセイン、ミロシェビッチと並ぶ存在となった。敵の指導者は常に、狂人であり、野蛮人であり、凶悪犯、殺人犯、怪物、人類の敵とみなされる。この悪党を捕らえ、降伏させれば、平和で文化的な生活が戻ると言わんばかりだ。まさに、現在のオサマ・ビンラディンを語る図式そのものである。
だが、忘れてならないのは、こうした「悪党」たちも徹頭徹尾、悪党扱いされていたわけではないということである。対立関係になる以前は、十分尊敬を集める人物だったということも多々ある。また、戦争終結後、一転して歓迎を受ける人物もいる。
コソボ空爆の3年前、パリでボスニアに関する条約が結ばれており、ミロシェビッチは、クリントンやシラクと乾杯の席に並んでいた。ネルソン・マンデラやヤセル・アラファトにしても、一時はやり玉にあげられながらも、その後ローマ法王やアメリカ大統領に歓待されるようになった人物である。
そして、ビンラディンも、かつてはアメリカで好意的に受けとめられていた時期があった。アメリカは彼を支援し、彼の経済力と手を結ぼうとしていたのだ。
他にも、「高尚な大義名分だけを語り、戦争の本当の目的は隠蔽される」という法則(第4章)がある。湾岸戦争のとき、西側諸国は、軍国主義への制裁、小国クウェートの救済、民主主義の確立をかかげてイラクを攻撃した。
西側諸国は、クウェートという国が、民主主義国家にはほど遠く、コーランがすべてを決める国であるという事実に目をつぶり、石油の利権争いや勢力拡大といったことにも、表向きにはいっさい言及しなかった。
今回のアフガニスタン空爆でも、実利的なことにはまったく触れられていない。アフガニスタンはロシアと中国の間に位置しており、石油パイプラインの通り道でもある。こうした政治的、経済的重要性について声高に語る者は少ない。
世論は、ひたすら「近代的民主主義国家」と中世全体主義を引きずる人々との文明戦争だと信じている。
その陰に潜む目的は隠蔽されてしまうのだ。
「われわれも誤って犠牲を出すことがある。だが敵はわざと残虐行為におよんでいる」という法則(第5章)も、もちろん踏襲されている。
すべてのアフガニスタン人が、罪のない人々を殺害したテロ行為に責任があるわけではない。それなのにアメリカはアフガニスタン空爆に踏みきり、タリバンによる暴力行為が大々的に報道される一方、空爆はテロリストだけを狙ったピンポイント攻撃で一般市民を巻き込むことはない、とされた。自国の軍隊は「紳士的な」戦争をおこなっているのに、敵はルールを無視して戦いを挑んでくるという論法だ。
聖戦という言葉には世論を動かす力がある。二つの宗教がぶつかりあう宗教戦争はもちろん、「祖国」「民主主義」「自由」といった旗印もまた、聖なるものとして考えられている。
今回の紛争には二つの面がある。ブッシュ大統領は「十字軍」という言葉を口にした。彼はまた、演説の最後に「神よアメリカを護りたまえ」と口にするなど、タリバンに対抗するかのように宗教色を強めている。
その一方で、また、この戦争は、非宗教的な民主主義国家という「神聖な価値観」を守るための戦いであり、善と悪との戦いであると位置づけられている。
かつての戦争と同様、国の指導者は、やがて、感動を呼び起こし、戦争の必然性を示すために、知識人や芸術家に協力を求めるにちがいない(そう、これもプロパガンダの法則なのだ)
もうひとつ「プロパガンダを支持しない者は、裏切り者または敵のスパイとみなされる」という法則(第10章)がある。
この戦争に賛同しない者は、アメリカに賛同しない者だとブッシュがすでに言っているではないか。
ただ一人、議会で大統領の武力行使容認決議案に賛成しなかった議員がいる。彼女の名はバーバラ・リー、民主党、カリフォルニア出身の黒人女性だ。そして、この日から、彼女は生命の危険に脅かされ、護衛なしに外出できない状態になった。
戦争を支持しない者にとっては、考えさせられることだ。
これらの法則はすでによく知られたことであり、戦争が終わるたびに、われわれは、自分が騙されたことに気づく。
そして、次の戦争が始まるまでは「もう二度と騙されないぞ」と心に誓う。
だが、再び戦争が始まると、われわれは性懲りもなく、また罠にはまってしまうのだ。
あらたにもうひとつの法則を追加しよう。「たしかに一度は騙された。だが、今度こそ、心に誓って、本当に重要な大義があって、本当に悪魔のような敵が攻めてきて、われわれはまったくの潔白なのだし、相手が先に始めたことなのだ。今度こそ本当だ」
2001年2月1日
ブリュッセル自由大学歴史批評学教授 アンヌ・モレリ