真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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捕虜(俘虜)「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」 日本軍 NO1

2014年11月24日 | 国際・政治

OCNブログ人がサービスを終了するとのことなので、2014年10月12日、こちらに引っ越しました。”http://hide20.web.fc2.com” にそれぞれの記事にリンクさせた、投稿記事一覧表があります。青字が書名や抜粋部分です。ところどころ空行を挿入しています。一部漢数字を算用数字に変更しています。(HAYASHI SYUNREI)   

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 『南京の日本軍──南京大虐殺とその背景』藤原彰(大月書店)によると、日本も加入し批准した「陸戦ノ法規慣習ニ関スル条約」に違反し、日本軍は大量の捕虜の組織的虐殺を行ったという。そして、そこにはアジア人蔑視の思想があるという。

 今回は、『南京戦史資料集』(偕行社)『南京戦史』(偕行社)から、捕虜に関わる記述を抜粋した。
 資料1の「交戦法規の適用に関する陸軍次官通牒」で重要なことは、日本が

”現下ノ情勢ニ於テ帝国ハ対支全面戦争ヲ為シアラサルヲ以テ「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約其ノ他交戦法規ニ関スル諸条約」ノ具体的事項ヲ悉ク適用シテ行動スルコトハ適当ナラス"

として、国際法違反を逃れるために敢えて宣戦布告をせず他国を攻撃する方針をとったのではないかと思われることである。日本はいろいろな場面で宣戦布告をすることなく「事変」「事件」という言葉を使いながら軍を進め、戦闘行動を展開し、敵兵はもちろん多くの投降兵や武器をすてた敗残兵、便衣兵を捕らえ「捕虜」とした。しかしながら「事変」「事件」に関わる戦闘行動は「戦争」ではないので、その投降兵や武器をすてた敗残兵、便衣兵は国際法的には「捕虜」(以前は「俘虜」と呼ばれた)ではない。したがって、その扱いについては「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約其ノ他交戦法規ニ関スル諸条約」に拘束されないというのである。

 盧溝橋事件において日本軍に敵対した中国国民革命軍第二十九軍を膺懲するという戦闘行動は戦争でないということはわからないことはない。しかしながら、特定の軍組織ではなく、「支那膺懲」をかかげ、相手国の首都「南京」を爆撃するような戦闘行動が「事変」や「事件」であるというのは、いかがなものかと思う。中国側も「戦争という体裁」を望まなかったというが、それを言い訳にすることは許されないことだと思う。そして、日本軍は多くの「捕虜」とするべき人たちを刺殺し銃殺したのである。刺突訓練で殺されたり、拷問によって殺された人たちがいたことも忘れてはならないと思う。

 資料2は「旅団命令ニヨリ捕虜ハ全部殺スヘシ」と記録された歩兵第六十六聯隊第一大隊の『戦闘詳報』の一部である。重要なのは「旅団命令ニヨリ…」とはっきり記されていることである。

 資料3は「中島今朝吾日記」に記された捕虜殺害に関するものである。「歩兵ハ既ニ之ヲ斬殺セリ」や「捕虜7名アリ直ニ試斬ヲ為サシム」・「時恰モ小生ノ刀モ亦此時彼ヲシテ試斬セシメ頸二ツヲ見事斬リタリ」とある。また、「大体捕虜ハセヌ方針ナレバ片端ヨリ之ヲ片付クルコトヽナシタレ共千五千一万ノ群集トナレバ……」や「佐々木部隊丈ニテ処理セシモノ約1万5千、太平門ニ於ケル守備ノ一中隊ガ処理セシモノ約1300其仙鶴門附近ニ集結シタルモノ約7~8千人アリ尚続々投降シ来タル」などの記述があることも見逃すことはできない。

 資料4の問題点は、難民地区さえも掃蕩の対象とし、「敗残兵ヲ捕捉殲滅セントス」ということである。もちろん難民地区に逃げ込んだ敗残兵は武装していない筈である。

 資料5にも、「数百の敗兵を引摺り出して処分した」や「下関に於て処分せるもの数千に達す」などとある。「捕虜ハセヌ方針ナレバ片端ヨリ之ヲ片付クルコトヽナシタ」る結果であろう。こうした資料に目を通すと、「南京大虐殺はなかった」というような主張が、国際社会で通用しないことを痛感させられる。

資料1ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
           通牒、訓示、作戦経過概要、戦時旬報、戦闘詳報、陣中日誌等の部

第一、中央(陸軍省・参謀本部)

○交戦法規の適用に関する陸軍次官通牒

   交戦法規ノ適用ニ関スル件
 陸支密第198号  昭和12年8月5日
   次官ヨリ駐屯軍参謀長宛(飛行便)
今次事変ニ関シ交戦法規ノ問題ニ関シテハ左記ニ準拠スルモノトス
右依命通牒ス
         左記
一、現下ノ情勢ニ於テ帝国ハ対支全面戦争ヲ為シアラサルヲ以テ「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約其ノ他交戦法規ニ関スル諸条約」ノ具体的事項ヲ悉ク適用シテ行動スルコトハ適当ナラス


二、但シ左ノ件ヲ実施スルハ現下ノ状況ニ於テ当然ノ措置ナルヘシ
 1,自衛上必要ノ限度ニ於テ適性ヲ有スル支那側動産不動産ヲ押収没収破壊シ或ハ適宜処分(例ヘハ危険性アルモノ、長期ノ保存ニ堪ヘサルモノ押収後之カ保管ニ多大ノ経費、労力ヲ要スルモノ等ヲ換価又ハ棄却スル等)シ
     「但シ土地建物等ノ不動産及私有財産(市、区、町、村ニ属スル財産ヲ含ム)ハ之ヲ軍ニ於テ没収スルコトハ適当ナラス」
  2, 自衛ノ為又ハ地方良民等ノ福祉ノ為緊急已ムヲ得サル場合ニ於テ前項ノ物件等ヲ利用スルコト


三、右述ノ外日支兵干戈ノ間ニ相見ユルノ急迫セル事態ニ直面シ全面戦争ヘノ移行転移必スシモ明確ニ判別シ難キ現状ニ於テ自衛上前記条約ノ精神ニ準拠シ実情ニ即シ機ヲ失セス所要ノ措置ヲ取ルニ遺漏ナキヲ期ス


四、軍ノ本件ニ関スル行動ノ準拠前述ノ如シト雖帝国カ常ニ人類ノ平和ヲ愛好シ戦闘ニ伴フ惨害ヲ極力減殺センコトヲ顧念シアルモノナ  ルカ故ニ此等ノ目的ニ副フ如ク前述「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約其ノ他交戦法規ニ関スル諸条約」中害敵手段ノ選用等ニ関シ之カ  規定ヲ努メテ尊重スヘク又帝国現下ノ国策ハ努メテ日支全面戦争ニ陥ルヲ避ケントスルニ在ルヲ以テ日支全面戦争ヲ相手側ニ先ンシ  テ決心セリト見ラルゝカ如キ言動(例ヘハ戦利品、俘虜等ノ名称ノ使用或ハ軍自ラ交戦法規ヲ其ノ儘適用セリト公称シ其ノ他必要已ムヲ得サルニ非サルニ諸外国ノ神経ヲ刺戟スルカ如キ言動)ハ努メテ之ヲ避ケ又現地ニ於ケル外国人ノ生命、財産ノ保護、駐屯外国  軍隊ニ対スル応待等ニ関シテハ勉メテ適法的ニ処理シ特ニ其ノ財産等ノ保護ニ当リテハ努メテ外国人特ニ外交官憲等ノ申出ヲ待テ之  ヲ行フ等要ラサル疑惑ヲ招カサルノ用意ヲ必要トスヘシ

五、地方ノ行政治安維持其ノ他官公署等ノ動産不動産ノ保護ニ関シテモ軍政ヲ布キ或ハ軍自ラ進ンテ之ニ関与スルヲ避ケ前述ノ趣旨ニ鑑  ミ努メテ北支明朗化ニ害ナキ支那側人士ヲシテ自主的ニ之ニ当ラシメ軍ハ現地ニ於ケル唯一ノ治安維持ノ真ノ有能力者トシテ之ニ必  要ナル内面的援助ヲ与ヘ其ノ実ヲ挙クルヲ可トス又支那側ノ神社仏閣等ノ保護ニ就テハ勉メテ注意アリ度


六、右諸件ノ実施ニ方リテハ機ヲ失セス之カ具体的報告ヲ提出スルモノトス
追テ右諸件堀内総領事ニモ伝ヘラレ度外務省諒解済

               (『陸支密大日記』s13~1)
資料2ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
                  第四 第十軍

○歩兵第六十六聯隊第一大隊『戦闘詳報』
12月13日
八、午後二時零分聯隊長ヨリ左ノ命令ヲ受ク
    左記
  イ、旅団命令ニヨリ捕虜ハ全部殺スヘシ
    其ノ方法ハ十数名ヲ捕縛シ逐次銃殺シテハ如何
  ロ、兵器ハ集積ノ上別ニ指示スル迄監視ヲ附シ置クヘシ
  ハ、聯隊ハ旅団命令ニ依リ主力ヲ以テ城内ヲ掃蕩中ナリ
    貴大隊ノ任務ハ前通リ

九、右命令ニ基キ兵器ハ第一第四中隊ニ命シ整理集積セシメ監視兵ヲ附ス
  午後3時30分各中隊長ヲ集メ捕虜ノ処分ニ附意見ノ交換ヲナシタル結果各中隊(第一第二第四中隊)ニ等分ニ分配シ監禁室ヨリ50名宛連レ出シ、第一中隊ハ路営地南方谷地第三中

隊ハ路営地西南方凹地第四中隊ハ露営地東南谷地附近ニ於テ刺殺セシムルコトヽセリ
  但シ監禁室ノ周囲ハ厳重ニ警戒兵ヲ配置シ連レ出ス際絶対ニ感知サレサル如ク注意ス
  各隊共ニ午後5時準備終リ刺殺ヲ開始シ午後7時30分刺殺ヲ終リ
  聯隊ニ報告ス
  第一中隊ハ当初ノ予定ヲ変更シテ一気ニ監禁シ焼カントシテ失敗セリ
  捕虜ハ観念シ恐レス軍刀ノ前ニ首ヲ差シ伸フルモノ銃剣ノ前ニ乗リ出シ従容トシ居ルモノアリタルモ中ニハ泣キ喚キ救助ヲ嘆願セルモノアリ特ニ隊長巡視ノ際ハ各所ニ其ノ声起レリ 

資料3ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
                  中島今朝吾日記
                            第十六師団長・陸軍中将15期
12月13日  天気晴朗 

一、天文台附近ノ戦闘ニ於テ工兵学校教官工兵少佐ヲ捕ヘ彼ガ地雷ノ位置ヲ知リ居タルコトヲ承知シタレバ彼ヲ尋問シテ全般ノ地雷布設位置ヲ知ラントセシガ、歩兵ハ既ニ之ヲ斬殺セリ、兵隊君ニハカナワヌカナワヌ

一、本日正午高山剣士来着ス
   捕虜7名アリ直ニ試斬ヲ為サシム
   時恰モ小生ノ刀モ亦此時彼ヲシテ試斬セシメ頸二ツヲ見事斬リタリ

一、大体捕虜ハセヌ方針ナレバ片端ヨリ之ヲ片付クルコトヽナシタレ共千五千一万ノ群集トナレバ之ガ武装ヲ解除スルコトスラ出来ズ唯彼等ガ全ク戦意ヲ失ヒゾロゾロツイテ来ルカラ安全ナルモノヽ之ガ一旦騒擾セバ始末ニ困ルノデ
 部隊ヲトラックニテ増派シテ監視ト誘導ニ任ジ
 13日夕ハトラックノ大活動ヲ要シタリ乍併戦勝直後ノコトナレバ中ゝ実行ハ敏速ニハ出来ズ、斯ル処置ハ当初ヨリ予想ダニセザリシ処ナレバ参謀本部ハ大多忙ヲ極メタリ

一、後ニ到リテ知ル処ニ依リ佐々木部隊丈ニテ処理セシモノ約1万5千、太平門ニ於ケル守備ノ一中隊ガ処理セシモノ約1300其仙鶴門附近ニ集結シタルモノ約7~8千人アリ尚続々投降シ来タル

一、此7~8千人、之ヲ片付クルニハ相当大ナル壕ヲ要シ中々見当ラズ一案トシテハ百 2百ニ分割シタル後適当ノケ処ニ誘キテ処理スル予定ナリ

一、此敗残兵ノ後始末ガ概シテ第十六師団方面ニ多ク、従ツテ師団ハ入城ダ投宿ダナド云フ暇ナクシテ東奔西走シツヽアリ

一、兵ヲ掃蕩スルト共ニ一方ニ危険ナル地雷ヲ発見シ処理シ又残棄兵器ノ収集モ之ヲ為サザルベカラズ兵器弾薬ノ如キ相当額ノモノアルラシ
 之ガ整理ノ為ニハ爾後数日ヲ要スルナラン

資料4ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 
極秘
歩七作命大111号

  歩兵第七聯隊命令           於:南京東部聯隊本部 12月15日午後8時30分

一、本15日迄捕獲シタル俘虜ヲ調査セシ所ニ依レハ殆ト下士官兵ノミニテ将校ハ認メラレサル情況ナリ
  将校ハ便衣ニ替ヘ難民地区ニ潜在シアルカ如シ
二、聯隊ハ明16日全力ヲ難民地区ニ指向シ徹底的ニ敗残兵ヲ捕捉殲滅セントス
  憲兵隊ハ聯隊ニ協力スル筈
三、各大隊ハ明16日早朝ヨリ其担任スル掃蕩地区内ノ掃蕩特ニ難民地区掃蕩ヲ続行スヘシ
  第三大隊ハ部下各中隊ヨリ各一小隊ヲ出シ第一大隊長ノ区署ヲ受ケシムヘシ
四、戦車第一中隊及軽装甲車第七中隊ハ待機スヘシ
五、予ハ16日午後以後最高法院西方約1粁赤壁路聯隊本部ニ在リ
                       聯隊長 伊佐大佐
 
資料5ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
               佐々木到一(ササキトウイチ)少将私記
                              歩兵第三十旅団長・陸軍少将(18期)
九、南京入城以後 

◇12月16日
  命に依り紫金山一帯を掃蕩す、獲物少しとは云へ両聯隊共に数百の敗兵を引摺り出して処分した。
  市民ぼつぼつ街上に現はる。
◇1月5日
 査問会打切、此日迄に城内より摘出せし敗兵約2千、旧外交部に収容、外国宣教師の手中に在りし支那傷病兵を俘虜として収容。
 城外近郊に在つて不逞行為を続けつつある敗残兵も逐次捕縛、下関に於て処分せるもの数千に達す。
 南京攻略戦に於ける敵の損害は推定約7万にして、落城当日迄に守備に任ぜし敵兵力は約10万と推算せらる。

           
              


 

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