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忘れないこと

杜屋販売会イベント「暮らしの菓音」も次回で三回目となる。
回を重ねるごとに、一番準備が大変だったのはやっぱり一番最初だったと思う。
とは言っても通常業務と並行してイベント準備を進めるのは簡単ではない。
(かく言う私は学校生活で部活と勉強を両立出来なかったタイプ)

「早く準備を進めなくちゃ~」と4月から焦っていたわりに手つかずだったのは
自分自身の気持ちの切り替えが上手に出来なかったからだと思う。
3月11日以降、震災のことが常に頭の片隅から離れない。
そして5月頭に宮城県沿岸の津波被災現場を訪れた翌日静岡の家に帰宅して、
こちら静岡の日常生活があまりにも平和で平穏で、逆に違和感を感じた。
「こんな当たり前に普通に暮らしていていいのかな」と。
気仙沼で同じボランティアした方の中にもどうやら同じ思いを抱かれた方がいたようだ。

時を同じくして、宮城県にお住まいのお二人のお客様と
ご注文の件を含めてメールのやりとりをさせて頂いた。
ぱちっとスイッチを入れ替えるように気持ちの切り替えが出来るわけではない。
「忘れないこと」が大事なのだとあらためて思った。
宮城県のお客様からのメール、一部抜粋して紹介させて頂きます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
実際の風景を見た方とテレビの箱でしか見てない方とでは、
大きな差が出来てしまったと思っています。
今回志津川に行かれたということで、見て感じたことを
ブログに載せて下さり、嬉しく思っています。
私が被災者というわけではないのですが、今は忘れ去られるということが、
本当に怖くてたまりません。テレビも元に戻ってきてますし・・。
震災直後から津波被害の有る無しでの温度差は、親しい人との間でも大きいものです。
戦後や阪神大震災、ありとあらゆる災害の被災者や何かの被害者の方が
よく言われていた言葉を改めて、本当に身を持って感じています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
テレビ番組が元に戻るにつれて,私も「忘れられてしまう」と感じていました。
それがいかに不安になるか,今まで考えもしなかった感情です。
同時に,もう震災特集番組はたくさんだ・・・と思う自分もいます。
自分自身で「忘れないこと」が大事なんだ・・・,となんだか救われた思いです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「災害を忘れないこと」は、当たり前のことへの感謝につながる。
日々の暮らしを少しだけ彩り、楽しむということ。
そういう気持ちで、第三回暮らしの菓音の準備も楽しんで取り組もうと思います。
収益の一部は、前回同様東日本大震災の支援金へ充てます。
そうすれば暮らしの菓音を続ける限り震災のことを完全に忘却することもない。


杜屋販売会+αイベント「暮らしの菓音(カノン) vol.3」

 ◆ 日時 : 6月19日(日)12:30~16:00
       (ピアノ&チェロ演奏 13:30~/15:00~)
 ◆ 会場 : 磐田市福田「ドルチェ倉庫」
 ◆ 主催・お問い合わせ : 焼き菓子&マーマレード 杜屋

駐車場について会場アクセスフライヤー
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暮らしの菓音「会場アクセス」

(前回アップした記事の使いまわしですが、臨時Pの場所は同じです)

駐車場係より、会場周辺の写真をアップいたしました。
狭い道が多いので、ゆっくりと走行頂き、 行き過ぎてものんびり運転下さいね。







お気をつけていらしてください。



杜屋販売会+αイベント「暮らしの菓音(カノン) vol.3」

 ◆ 日時 : 6月19日(日)12:30~16:00
       (ピアノ&チェロ演奏 13:30~/15:00~)
 ◆ 会場 : 磐田市福田「ドルチェ倉庫」
 ◆ 主催・お問い合わせ : 焼き菓子&マーマレード 杜屋

駐車場について会場アクセスフライヤー
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暮らしの菓音「臨時駐車場について」




◆ ◆ ◆ 「第三回 暮らしの菓音」駐車場のご案内 ◆ ◆ ◆

付近地図は→こちら

ドルチェ倉庫敷地内の駐車場は狭いため
ご高齢の方、車椅子の方、障害のある方を優先させて頂きます。
一般のお客様は上記の臨時駐車場をご利用下さいますようお願い致します。(前回と同じです)

ドルチェ倉庫入り口前の道を100mほど南に進んだ場所にある、
JA遠州中央福田南支店の西隣の空き地を6月19日当日のみお借りします。
30台程度は駐車可能な広い空き地ですが、周りの道路が狭いため
徐行運転の上、通行にはどうぞお気をつけ下さいませ。

当日は駐車場案内の看板ポップ等ご用意しようと思いますが
初めてこの町にご来場の方にとっては、住宅が多く
道路がうねっていて目印も少なく、微妙に分かりにくい場所ですので
事前にあらかじめ駐車場の場所を地図やカーナビ等でご確認頂けましたら幸いです。

会場ドルチェ倉庫とは徒歩3~4分ほど離れており、
雨など荒天の場合はご迷惑をおかけ致しますが、
お客様のご理解ご協力を頂きたく何卒お願い申し上げます。

臨時駐車場西側の道は狭いので、JAの東側の道路から出入りした方が、
道路が広く運転しやすいです。
車は東側から出入りして人は西側を行き来すると近道です。



杜屋販売会+αイベント「暮らしの菓音(カノン) vol.3」

 ◆ 日時 : 6月19日(日)12:30~16:00
       (ピアノ&チェロ演奏 13:30~/15:00~)
 ◆ 会場 : 磐田市福田「ドルチェ倉庫」
 ◆ 主催・お問い合わせ : 焼き菓子&マーマレード 杜屋

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第三回「暮らしの菓音(カノン)」のお知らせ



早くも一ヶ月切りました。
「第三回 暮らしの菓音(カノン)」
6月19日(日)午後、前回同様ご近所のドルチェ倉庫で開催予定です。

「暮らしの菓音(カノン)」は、杜屋一日販売会+αのイベントです。
うちのご近所にある木造音楽ホール「ドルチェ倉庫」を会場にお借りして
杜屋のお菓子とジャムを音楽とともに楽しんでもらおうという企画。

今回は、地元音楽家さんによるピアノ&チェロ演奏と同時に、
京都の木工職人さんがジャムスプーンなど木のカトラリーの
展示販売と制作実演をして下さることになりました。

思いがけずつながったご縁に感謝しつつ、楽しいひとときになることを願っています。
また詳細や準備の過程等このブログでご案内していこうと思います。
どうぞお楽しみに。

→ 「暮らしの菓音vol.3」フライヤー
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影響

静岡県舞台芸術センター「SPAC」の方からお電話を頂いた。
「今回の震災、杜屋さんのご実家の方は大丈夫でしたか?」
・・・あれ?私仙台出身だってSPACの人に言ってたっけ?ブログ見てくれたのかな?

「おかげさまで、実家は壁に穴あいた程度で家族も全員無事でした~」
と言いつつ、こうして人に気にかけてもらうのってうれしいな。と思った。

「そちらの公演の方は、やっぱり震災の影響とかありますか?」
「海外の劇団の方、特にヨーロッパの人はやっぱり放射能のニュースに敏感なので・・・」
海外劇団公演予定の内容が変更されたり、という影響は多少出ているとのこと。これはもう仕方がない。
でも、来月6月4日から始まる「ふじのくにせかい演劇祭」は、
たまたま今年は国内の演劇団体の公演を多く予定していたので、さほど変更せずに済んでいるそう。

公演のある時のみ営業される静岡芸術劇場2階のカフェ「シンデレラ」で
また今期も杜屋のビスコッティを使って頂けることになりました。
「ふじのくにせかい演劇祭」来月6月4日から7月3日まで。
演劇ファンの方、そうでない方も、この機会にぜひ劇場へ。

静岡舞台芸術センター「SPAC」のサイトはこちら。
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覚え書き14

「どうしよう何しよう」と言いながら何も決まらないまま実家へ帰省した今年のGW連休。
思いがけず現地で見つかったご縁で、多数の方、特に気仙沼の小野寺先生には大変お世話になりました。
また、ふゆみずたんぼボランティアに参加された方の事後報告を拝読して、
あらためて自分がとても意義のあることのお手伝いをさせて頂いたと思いました。
ここにご紹介しつつ、心より御礼申し上げます。
  

■ 今回お世話になった宮城県気仙沼市大谷中学校ふゆみずたんぼ担当の小野寺先生のブログとHP↓

  http://chinomori.exblog.jp/

  http://www7.ocn.ne.jp/~sophia/


■ ふゆみずたんぼボランティアに参加されたNGO団体ナマケモノ倶楽部スタッフさんのブログ報告↓

  http://www.voluntary.jp/weblog/myblog/275
  (2011/04/30から05/06の記事「ふゆみずたんぼ報告」 ML作成も感謝です)


■ ふゆみずたんぼボランティアに参加された方のブログ報告↓ すごく分かりやすいです。

  気仙沼『ふゆみずたんぼ復元プロジェクト』レポ その1
  気仙沼『ふゆみずたんぼ復元プロジェクト』レポ その2
  気仙沼『ふゆみずたんぼ復元プロジェクト』レポ その3
  気仙沼『ふゆみずたんぼ復元プロジェクト』レポ 最終回


■ 「ネイチャーボイセス」の演奏をコーディネートし、ふゆみずたんぼボランティア募集を教えてくれた
   宮城県にある「NPO法人田んぼ」のサイト↓

  http://www.justmystage.com/home/npotambo/345.html
   ネイチャーボイセスの皆さんと木の花屋さん、そして初対面のボランティアの方々含めて
    大勢で夜中まで理事長さんのお話をうかがえたのは、まるで大人の寺子屋のようでした。



■ 宮城県の避難所でジャズピアニカライブを実現された、神戸を拠点に音楽活動されている
  「ネイチャ―ボイセス」のサイト↓

  http://www.tommycho.info/jp.html


  「ネイチャーボイセス」リーダーのトミーさんのブログに、私達の姿もちらり↓
   http://tommycho.blog85.fc2.com/blog-entry-115.html

  ネイチャーボイセスさんが演奏された宮城県登米市のRQでもボランティア募集中↓
   http://www.rq-center.net/



■ 「ネイチャーボイセス」の方とのきっかけを下さった長野の漬物屋「木の花屋」さんのサイト↓

  http://www.konohanaya.com/
  社長・専務ご夫妻様には数年前から公私ともどもお世話になっています。今回南三陸町の避難所で漬物を配られてました。
   そもそも今回のボランティアの発端は、東北自動車道福島走行中に木の花屋さんから頂いたお電話。感謝です。


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覚え書き13

7日の午前中、学生さん達の猛烈な肉体労働により水路が完成。
田んぼの上の方から放水すると瞬く間に今掘ったばかりのビオトープに水が行き渡っていく。
気持ちのいい五月晴れの日ざしが滔々と流れる水に反射する。
思わず「いい景色だ~」とつぶやいた。現場監督の先生もうれしそう。
お昼ごはんに現地の方が作って下さったカレーライスを私達までご馳走になり、一足お先に田んぼへ戻ってきてみたら、男の子が満面の笑みでそこに立っていた。あっという間に水が満ちたビオトープにいてもたってもいられない様子で、長靴でばしゃばしゃと水に踏み込む。ずぼ。うあー落とし穴だー。長靴に水が入っても楽しそう。
屈託のない笑顔を見せてくれたこの少年君は、「冬水田んぼの活動で学んだこと」という作文を書いて「2010年地球にやさしい作文・活動報告コンテスト」(読売新聞社主催)」で内閣総理大臣賞を受賞したそう。素晴らしい栄誉だ。
http://www.yomiuri.co.jp/adv/sakubun/prize.htm
しかし彼の家は津波で全壊、祖父を失ったとのこと。屈託がないわけはない。
そもそも、このふゆみずたんぼ復旧を思い立ったのは彼の「また田んぼやりたい」という一言が発端だそう。

あぜ道できれいに縁取られた田んぼに水が満ちる。復旧して本当に良かった。
その周囲はまだまだガレキの散乱している風景だけど、この田んぼでこの土地の子供達が稲を育て、穂が伸び米が実るその様子をこの土地の大人の人達も眺めることが出来れば、それだけで復旧のシンボルになるかもしれない。そうなってほしいと願う。

今回私がやらせて頂いたボランティアが「いいとこどり」だと思ったのは、復旧作業を終え、田んぼに水が行きわたるまで見届けることが出来たこと。
それと、6日が本来作業お休みだったことで他の人がおらず、ふゆみずたんぼ担当の先生と直接色々お話することが出来たこと。
「やろう」と先生が決断して、ボランティア募集をかけて、大勢のボランティアが集まって、地元の人達も参加して、結果として予定よりも早く予定よりも広い範囲を復旧させることが出来て大成功だ。
しかし、先生の御苦労とプレッシャーは決して小さくなかったと思う。赤の他人同士のボランティア。県外からバスや電車で来た人達を車で送迎し(最寄の大谷海岸駅は被災したので、数キロ離れた気仙沼駅まで送迎された)、学校の教室に宿泊出来るよう手配し、老若男女取り混ぜた大勢の人に説明して作業の指示を出しながら、自分も現場で手を動かし体を動かして労働する。その上この先生ご自身も津波でご自宅に被害を受けていた。
もし私が先生の立場だったら、怪我やトラブルの可能性を考えただけで、知らない人にボランティアを頼むなんて二の足を踏んでしまいそうだ。
しかし、先生の「やろう」というご決断は偉大だった。
今回ボランティアとして参加させて頂いて、そして他のボランティアさんの話を聞いたりして思った。
もしも今後自分が、例えば東海地震が起きたりして自宅が津波に流されて(うちは海まで徒歩数分)自分が被災者の立場になることがあったら。本当に困ったことになったとしたら。
意地をはらず怖がらず、素直に他人に手助けを求めようと思った。
困った時はお互い様。「人の役に立ちたい」「人の手助けしたい」邪心なくそう思っている人は、この世の中けっこうたくさんいるもんなんだな~と今回参加してあらためて知った。またそういうボランティアしたい人は、人の手助けをすることで自分の心も満足し幸せになれる。
ただひと口に「ボランティア」と言っても、状況、作業内容、人の性格などピンキリで、簡単に言い尽くせないことは百も承知だが、今回のこのボランティア作業は、強い意志と采配力をお持ちのこの先生のおかげで、とても恵まれたやりやすい現場だったと思う。

他人が困ってる時に手を貸し、自分が困っている時は人の手を借りる、ということ。
そんなお互い様の手助けが昔の日本にはどこにでもあった。「結い」という名で。
しかし昔の結いは、狭い範囲の集落や同じ村内など限られた地域の顔見知り同士のものだった。なので今回の大震災のように、広い範囲の大勢の人が同時に被害を受けた場合、地元の人同士の結いで助け合うことは難しい。
インターネットが発達した現代は、ネットでの呼びかけに対して全国から一ヶ所に見知らぬ者同士が集まることが出来るようになった。道具としてのネットは大いに活用し、そして実際やることは昔の「結い」さながらの体を動かす労働。それがいい。

自分がいざ困った時に遠慮や我慢をせずに見知らぬ人に手助けを乞うためにも、自分が元気な時に出来るだけの力で他人の手助けをしたいと思った。
自分が手助けした人に、自分を手助けすることを求めるという訳では決してない。
「手助けされた人→別の他人を手助けする→手助けされた人→また別の他人を手助けする」
という感じ。大勢の見知らぬ人同士がずらーーっと横長に並んで手をつなぐイメージで、「手助けのつながり」が連鎖となって、長い長い先の方、人の列が見えないくらい先の未来にまでもつながって行けばいいなと思う。
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覚え書き12

気仙沼市大谷中学校の前にある、ふゆみずたんぼ復旧作業ボランティア。
4月29日から5月8日までのボランティア募集期間中、私が参加させて頂いたのは5月6日と7日のたった二日のみ。しかも実は6日は休息日だったところを押しかけたので、6日のボランティア参加は私とオットだけ。
「お休みの日に無理やり押し掛けてスミマセン」「いや少しでも作業が進むのはありがたいから」
総監督であり現場指揮官でもある大谷中学校の先生とオットと私の三人で黙々と作業する。
見た目よりも重いガレキを載せた一輪車をよっこらしょとよろけながら持ち上げ、ガレキ集積所までの坂道をヨタヨタと歩いていたら、1階部分を津波で流されたご自宅の片付け作業をされていたおばさんが「御苦労様~大丈夫?無理しないで少しずつ運んで、疲れないようにしてね」と声をかけて下さった。その一言に胸がじんわり。ご自分の方が大変な状況なのに、赤の他人を労わる言葉をかけて下さるその優しさが身に染みた。

一転、7日は30名を超す大勢の学生ボランティアさんが駆け付けた。
今回私が参加させて頂いたふゆみずたんぼのボランティア、言ってみれば「いいとこどり」だったような気がする。5日までに参加されたボランティアさんの手により、田んぼに復旧すべきところは全部終わっていた。7日はパワーみなぎる若い人達がスコップで一斉に土を掘り上げ、田んぼのあぜ道を作り、ビオトープになる池を作り、そこへ水を通す水路を作ってくれた。
自分で実際やってみると分かる、スコップでの土掘り作業の大変さ。若い男子学生さん達のその肉体労働の圧倒的な威力には目を見張った。野球部もしくはガソリンスタンドのお兄ちゃんのような掛け声を上げながらわっせわっせと瞬く間に土を掘る。この労働力には逆立ちしてもかなわない。若者ってスゴイ。人数がいるってスゴイ。人海戦術って実際これだけの短時間でこれだけの成果があるのか。
それにしても、男子も女子もみんなチームのように仲良く和気あいあいと作業をしている。手を動かしながらもぺちゃくちゃ話も止まらず楽しそう。
聞けば、ほとんどみんな個人で参加している大学生で学校も出身地もバラバラ。京都に本部を置くNPO法人でのボランティア募集に応募して、1週間単位で来ている。宿泊は?岩手県一関市にあるマンションをNPO法人が借り上げて、その部屋で共同生活してる。食事は?基本的に自炊で、食材はNPO法人が提供してくれるので、女子は交代で料理当番して、男子は料理が得意な子が作ってる。お昼ご飯はおにぎり作ったりして現場に持ってきている。お風呂も部屋にあるけど小さいので、近所の銭湯に歩いて行ったりしてる。
声が大きくて会話が上手で他の人達に役割分担をきちんと伝えていて、自分も真っ先にやるべき作業をやっている、こういう人がリーダーになるべき人なんだろうな~という雰囲気をかもしている女の子に、道具の片付け作業をしながら話を聞いた。何か皆さんすごいまとまってますよね。何度もボランティア経験があるんですか?
震災のボランティアは今回初めてです。最初来た日はやっぱりみんなバラバラで、NPO法人の人もバタバタしてて、何をどうすべきなのかよく分かんない感じだったんだけど、やっぱりこういう作業って指示を出す人がいないと効率悪くて先に進まないから。
この年になると分かるリーダー、指示を出す人の重要さ。特に他人同士の場では嫌われ役になりがちだけど、あえて嫌われ役を買って出る人も必要なのだ。ハリセンボンの春菜を痩せてかわいくしたようなリーダー役のあなたは偉かった。
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覚え書き11

「ボランティアするからってそんなに恐縮しなくてもいいと思うよ」
と、お世話になった現地の方のお言葉に何とはなしに救われた。
少しでもやれることあればやらせてもらいたいと思ったけど、かえって迷惑ではないだろうか。
被災現場に赴く前のそんな気持ちがふっと軽くなった。

「ふゆみずたんぼ」の復旧作業ボランティア。
「ふゆみずたんぼ」って単語。私は知人が関わっているので知っていたが世間一般的にはどうなのだろう。冬季に田んぼに水を張る。野鳥の飛来を促進し、糸ミミズなど水生生物を育み、生き物の力を借りて土壌を肥沃にする。農薬を使わずにお米を育てる。ふゆみずたんぼは農薬だけではなく肥料も使わない。
農薬や肥料の力に頼らずに作物を育てるということに、ボランティア云々ではなく共感した。

大谷のふゆみずたんぼは、大谷中学校の生徒さんをはじめ大谷小学校、幼稚園の子供たち皆で関わってお米を育てる。それが「ハチドリ計画」という教育の一環だということすら知らなかった。

「ふゆみずたんぼ復旧作業緊急募集」
ゴールデンウィーク中4月29日から作業開始のところを私は5月6日に行ったので、それまでのボランティアさんの労力により周囲とは一線を画すほど既にきれいになっていた。予定よりも早く作業が進んだので、当初は田んぼ1枚の復旧の予定だったのを結果としては合計4枚復旧したとのこと。

「たんぼのガレキ撤去」と言葉で書くと簡単だし「ガレキ」と書くとたった三文字だけど
巨大津波を被ったその田んぼからは、ありとあらゆるものが発掘された。
屋根の瓦。壁材の石膏ボード。電気コード。洋服。靴。食器。すり鉢。ボールペン。ソーイングセット。写真。雑誌。レコード。CD。任天堂DS。中身が入ったままの酒。袋に名前が書いてあった薬。そしてホタテ貝の殻。ムール貝。アサリ。アワビの殻。珍しいものでアルマジロのはく製。
スコップで土をすくうと、とめどなく出るガラスの破片。
「ガレキ」とひと口に言うけど、元々はこの土地で日々生活していた方達の家や家財道具だ。かけがえのない大切な思い出が詰まったものを「ガレキ」ではなく、何か他の言い方、ふさわしい言葉がないだろうか。という話を現地の方から聞いた。履歴「りれき」なんてどうか。「ガレキ」ならただ発掘してガレキ置き場に運ぶだけだけど、「暮らしの履歴」なら、発掘したものを吟味する余地が必要とされるかもしれない。
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覚え書き10

あれからちょうど1週間。
先週、気仙沼で2日間だけガレキ撤去のボランティアをし、翌日8日静岡に帰宅した。
今までと全く変わらない自宅での平穏な暮らし。1週間ぶりで庭の木々が緑色濃く輝いている。
初めて被災現場に足を踏み入れた時は「これ夢か?」と思ったけど、実はこの平穏な暮らしの方が夢に近いのかもしれない。
津波被災現場と、無事な地域と、あまりにも大きいギャップ。
あの被災現場では、何もかも無くした人、いまだ行方不明の人、一面ガレキの景色を毎日眺めて暮らしている人が多数いるというのに。こんな平和に普通に何事も無かったように暮らしていていいのかな。
戸惑いの気持ちが今でも胸にある。

気仙沼市南部、大谷海岸。
郷里仙台を離れてから、宮城県も町村合併が進んだ。宮城を離れて久しい私にとっては「本吉郡本吉町大谷海岸」の方がなじみが深い。ちなみに南三陸町も合併して新しく出来た町名なので、端的に「志津川」の方が分かりやすい。以前、遠藤周作(好きな作家)の関係で訪れた隠れキリシタンの里、東和町もいつの間にか南三陸町になっていた。

大谷海岸は電車の大谷海岸駅を降りるとすぐ目の前が海水浴場になっている。その駅に続く線路も、まるでミニチュア鉄道模型の線路を指でつまみあげたかのように、ひっくり返ったりくずれたりしていた。駅のすぐ横にある道の駅大谷海岸の建物は外観が残っていたが1階部分と窓ガラスは破砕。仮店舗で産直とラーメンの営業してて、お祭りの時に見かけるような仮設トイレが設置されていた。
ちなみに今回、沿岸地域に足を踏み入れるにあたって心配の種のひとつはトイレであった。いまだ水道が復旧していない地域、沿岸に近い場所の道の駅や公園などの公衆トイレは使えるのだろうか。スーパーやコンビニで買い物してトイレを借りる、と言ってもそもそもお店は営業しているのだろうか。
極力「キジ打ち」で現地を汚すことは避けたい。最悪の場合「ジップロック活用」の覚悟であった。が、とりあえず今回車中泊した道の駅林林館と道の駅米山のトイレは普通に使えた。ただ、林林館の女子トイレは通常であったが、男子トイレは大の方が故障していたようだ。早朝から自衛隊の人達がたくさん立ち寄っていたが車椅子用のトイレに並んでいた男性の方が多かった。そういえば数年前、新潟中越地震の少し後に新潟の道の駅を通った時に、たまたま道の駅のトイレ掃除担当の方と話した。地震直後は水道が止まり、道の駅に用を足す人が殺到してトイレが大変なことになり、その掃除が言葉で言えないほど大変だったという。
いざという時のトイレ問題は切実な課題。山登りする人はトイレ袋を持ち歩く。
今回は訪れた避難所の小学校、体育館、大谷中学校、すべて仮設トイレが設置されていた。

津波をかぶった田んぼのガレキ撤去作業。そのボランティア募集は、同行した南三陸町でのジャズピアニカコンサートをコーディネートされてたNPO法人の方に教えて頂いて知った。これって1日とか2日だけでもいいですか?いいです。女でも出来ますか?出来ます。
でも果たしてお役に立てるのだろうか、邪魔にならないだろうか、足を引っ張るだけではないだろうか・・・未経験の被災地ボランティア。でもやっぱり参加を決めた。
今回初めて南三陸町の現場に足を踏み入れた時、トンカチで頭をガンと殴られたようなショックを受けた。でも、いつでもどこでも初めて体験することは必要なのだ。やったことのないことに取り組んで、例え相手に迷惑をかけようとも。

結論として言えば。
たった二日だけ。中年女子の非力な力での肉体労働。それでも参加して良かったと心から思う。
今回の自分のボランティア作業を、静岡における何かに例えて言うなら、富士山頂上までの長い長い登山道のうちのたった1mをきれいに掃除して整えて、という作業だろうか。
たった1m。登山者が1、2歩、歩を進めればそれで終わり。だから何?
でも、1mきれいにする人が50人集まれば?50人が何日も作業を続ければどうなるか?
「人手」「労働力」「人海戦術」
そのすごさを今回のボランティア作業に参加して目の当たりにした。

と同時に私は、微力だけど現場でボランティア作業してお役に立った、というよりも
実はものすごく自分にとって意義のあることに加担させて頂いたという気がする。
帰宅してから、同じ現場で作業した他のボランティアさんの報告ブログを拝見してその気持ちが一層強くなった。
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