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杜屋の茶菓菜 vol.1

「最近杜さんのブログつまんな~い」
と浜名湖のうなぎさんに言われてしまったので
今作業中の結婚式のプチギフト作りを終えるまで、
とりあえず場つなぎにこのブログ「杜の茶菓菜」を始める2005年2月以前に
紙で発行していた日記風の「杜屋の茶菓菜」の原稿をアップしときます。
お暇な方は読んでみて下さい。長ったらしいですが。




「杜屋の茶菓菜 vol.1 ‘04.4.12.発行」
~お茶・菓子・果物・野菜・素材・酒・肴・酒菜などについてのひとりごとです。

一月一日(木)
十二月三十一日から夫の実家、奈良へ。夜、初もうでをしようと春日大社へ行く。その途中、近鉄奈良駅を出てすぐのところにひっそりとたたずむ「林神社」へ立ち寄る。街中に突然あるこの小さな神社は、実はお菓子の神様である。賽銭箱に1円入れ、気合をいれて手を合わせ、拝む。
奈良の両親がお土産に持たせてくれた、自家製の「丹波の黒豆入りおもち」。これが、1個、2個、3個と後を引くおいしさだった。数日後、奈良の家の庭のはっさくの木に実ったはっさく(はっさくマーマレードはこの果実で作っている。)を送ってくれたとき、この豆もちも同封してくれて感激しながら一人で食べた。
一月八日(木)
朝早く目が覚めた。ふと思いたって一人で海に行く。その距離自転車で約5分。
誰もいない広い砂浜には、初日の出参拝用に建てられた小さな鳥居がまだ残っている。徐々に明るく白ばむ東の空。ふりかえるとまだ暗い西の空の地平線間際には皓々と輝く満月。いつのまにか夫も来ていた。二人で鳥居の横の酒樽に腰かけ、日の出を待つ。ビーズのようにキラッと水平線上に日の光がさした瞬間、思わず一人で「オォッ!」と声を出してしまった。雲ひとつなく澄みきった空に上った太陽と、今まさに沈まんとする満月を交互に拝みながらその場を去る。
昼過ぎ、毎月ケーキを共同購入して下さる島田市在住の朗読家、森下つま子さんが遊びに来て下さったので、夜、仕事を終えた夫と三人で掛川の温泉へ行った。露天風呂からの満月の眺めが最高だった。
一月十日(土)
山口県岩国市の天然酵母パン屋「楽」さんから、もりだくさんのパンが届く。昨年夏、「楽」さんの妹さんと縁あって知り合い、一緒に岩国へ遊びに行ったことがきっかけで知り合った方。背が高く、ほっそりとした女性だが、全身を使ってパン生地をこねる姿が実にりりしい。自分で酵母を育て、自分のところの石うすを使ってひいた粉を使った「楽」さんのパンはどっしりとした豊かな味わいながらも、女性ならではの繊細で優しい風味がし、私は大好き。製作中の石窯で焼かれるパンを食べられる日を楽しみにしている。
一月十日(土)
静岡市丸子で紅茶作りをしておられる村松二六さんを訪ねる。突然の訪問にもかかわらず、実に気さくに丁寧に応対して下さり、特許を取ったという茶葉発酵機や、紅茶の苗木まで見せて頂く。その数日後に放映されたNHKテレビ、「試してガッテン」おいしい紅茶の入れ方特集で、村松さんのお茶もみ機がチラリと映されていた。
一月十九日(月)
青春18キップを使って東京へ。JR鈍行乗り放題のこの切符、一八歳の時しか使えないと思って(実際は年齢制限無し。)一八歳の時に初めて北海道へ行ってから、今まで果たして何十枚使っただろうか。東京まで片道4時間の道のりは、私にとってひとねむりの距離。浅草・合羽橋で菓子作りの道具と包装材料を持ちきれないほど買いこむ。
一月二十日(火)
前日東京からいったん帰宅して、本日は始発で名古屋へ向かう。18キップの有効期限がこの日までなのだ。あてもなく名古屋の街を歩いていたら、手芸用品の問屋街にたどり着く。「一体ここはお店なのか?倉庫なのか?」と思われるお店へ入ると店内には結構なお客さんの数。ここで、以前から欲しかった細目のピンキングバサミを発見。値札も何もついてないので、店員さんに値段を聞くと、「えーと、これは○○円なので、その3割引きで○○円です。」…どうやら全品卸値価格らしい。どおりで混んでいるはずだ。
一月二十四日(土)
通販で小袋で買っていた砂糖の消費量がハンパじゃなくなってきたので、業務用の大袋で売ってくれるお店を電話帳で探すと、お隣の磐田市にあった。さっそく訪ねると、二〇kg、三〇kgのさまざまな種類の砂糖袋の積み重なった倉庫まで案内して下さる。それまで焼き菓子にはさとうきびから作られた砂糖を使っていたのだが、「果物とかヨーグルトにはてんさい糖が合うよ。」との特に根拠のない夫の言葉を聞いて、てんさい糖に興味を持った。さとうきびは南国・鹿児島県産、てんさい糖は北国・北海道産。粗精糖の香りは、さとうきび糖の方は生き物っぽく、てんさい糖の方は黒い土のイメージ。精製糖の方は、てんさい糖の方があっさりしているような気がする。4年前の1月、沖縄、宮古島へ行き、3日間さとうきびの収穫作業を手伝ったことがあったが、そのとき刈ったさとうきびの切り口をなめて、「野菜の味」と思ったことを思い出す。これからは電話で注文すれば、配達料無料で届けて下さることになり、喜びに浸る。
一月二十六日(月)
自宅の前、道をはさんだ正面にある大きな新しい建物。「一体あれは何だろう?」と思っていたところ、近所の奥様から、あそこは知的障害者の方の福祉作業所で、クッキー作りなどをしていると教えて頂く。その方はボランティアとしてクッキー作りの手伝いをしているとのこと。私もこの日からボランティアに加わる。週に2回、1時間だけの作業だけど、お菓子作りの楽しさを改めて感じた。
一月二十六日(月)
以前からやりたいなぁ。と思っていた畑作業。我が家の庭はまるで小さな森のように樹々が繁っていて、いまさら畑にする余地はみじんもない。誰かうちの近くに畑貸してくれる人いないかなぁ。と思っていたところ、数日前町内会の寄り合いに参加した夫が、たまたま隣に座った隣のお宅の御主人に、さりげなーく私が畑やりたがっている、という話を切り出したら、「うちの家の横の畑、今そんなに使ってないから、使いたかったら好きに使っていいよ。」との、何ともありがたいお返事を頂いた。なにせお隣なので、うちから畑まで5秒の距離。この日は、あれ植えよう、これ植えようとの思いめぐらしながら、草取りをし、くん炭や灰を混ぜる。
二月四日(水)
箱買いしたりんごを干す。今年のりんご干し作業はこれで終了。皮をむいて4等分したりんごは1週間ほど天日にさらすと、びっくりするほど収縮する。これをカルバドス(りんごのブランデー)に漬けて保存しておき、ケーキの材料として使っている。
二月五日(木)
結婚してちょうど半年目。結婚式の類はいっさいやらず、私が平日のまっ昼間に一人で役場へ婚姻届けを出して結婚完了した半年前。「半年間、別れずに済んだお祝いをしよう!」とノリ気の無い夫をムリヤリ引き連れ、袋井市のレストラン「ピエーノ」へ。町の気軽な洋食屋さん、といった風のこのお店は、驚くほど値段が安いのに、ちゃんと一皿ずつ料理を出してくれる。今度は車じゃなく自転車で行って、二人でワインで乾杯したい。(自宅から往復18km。)
二月十日(火)
突然何を思ったか、仙台の実家の父親が、近所にある豆菓子のお店「玉川屋」の「焼きカシューナッツ」と「ぬれ甘納豆」を宅急便で送ってくれた。これらは私の大好物。やめられず止まらず一気に食べ尽くす。お礼に、バレンタイン用に作った「フランボワーズいりガトーショコラ」(メニューには載せてないもの。)お客様の注文分を焼いていたうち、焦げた失敗作を一台送ってあげた。
二月十四日(土)
私の車運転練習がてら、桜海老で有名な町、由比町へ。ちなみに我が福田町はシラスが有名。生の桜海老と生のシラスは静岡に来て初めて食べた。行列している桜海老料理の店を尻目に、その近くの農産物直売所で、低農薬の清見、デコポン、伊予柑を一箱分買ったら、「はるみ」を一袋おまけしてくれた。清見とポンカンのかけ合わせ品種という「はるみ」、果肉がさくさくしていて、果汁たっぷりでとてもおいしい。しかし値段が高い。
車をさらに走らせ、道の駅「富士川楽座」へ。店内で作っているというお持ち帰り寿司コーナーで買った「あぶりたこの握り」。これが以外なほどにおいしかった。その後、富士川楽座敷地内のみかん農家の直売所で無農薬のレモンを買い占める。そしてこのお店で初めて見つけた「ハムリンオレンジ」。アメリカ原産で、原種に近いオレンジだという。私のでかい手の親指と中指で○を作ったほどのかわいいサイズの無農薬ハムリンオレンジが、袋に詰め放題で400円也。しかし、小さすぎてマーマレードを作るのは大変だった。
二月十五日(日)
遠州の小京都、森町の「小国神社」へ。境内に大鍋に入った甘酒が置いてある。どうやらタダで頂いていいらしい。かたわらの紙コップにひしゃくでひとすくい入れ、たき火にあたりながら頂く。おいしい~。砂糖を使わずにお米だけで作った甘酒の味がした。
二月二十九日(日)
伊豆へドライブ。もう桜が咲いている。南伊豆町の桜まつりイベント会場で、「伊勢海老のみそ汁」をタダでもらった。濃厚なダシが出ていてとてもおいしい。しかも私のはちゃんと身も入っていた。(夫のは殻だけ。)桜並木を散策していて、共同温泉浴場前にあるタダの「足湯」(タダに弱い我ら)を見つけ、雨降っているにもかかわらず、おもむろに靴下をぬいで浸る。お昼ごはんは子浦の湾に面した磯料理の店「今津屋」へ。玄関入って正面のふすまをバッと開けると、目の前に広がる青い海。なんとも眺めのいいお店で食べたのは伊豆特産「はばのり定食」と、いろんな貝を甘辛く煮てごはんに炊きこんだ「磯炊き定食」。両方とも刺身付き。地元の魚介類を地元で食べるのってなんておいしいんだろう。帰り際、松崎町で橙(だいだい)とネーブルとニューサマーオレンジ(日向夏)を買う。しかし橙があんなに香りの強いものだとは知らなかった。
三月五日(金)
夫の仕事の出張にくっついて車で新潟へ。ガイドブックを見ると、いたるところで朝市をやっている新潟県。昨年十一月に行った際は、街中でやっている朝市へ行き、抱えきれないほどのさまざまな漬物を買った。その途中、「魚屋さんのやっているお惣菜屋さん」という名前のお店を見つけ、とびこむ。「おかずバイキング弁当」は空の弁当容器にその場で新潟コシヒカリの炊きたてごはんを詰めてもらい、おかずコーナーで好きなおかずを自分で詰められるだけ詰めるシステム。これでもか、というほど詰めたあげく、ごはんの上に海老カツ卵とじをどっさりのっけて、500円だった。今回もまたあそこへ、と思って大雪ふる中歩いていったら、お弁当はお昼限定で終了しており、残念無念。新潟から長野県白馬へ向かう。
三月六日(土)
半日券でスキーを終え、若栗温泉でひとっぷろ浴びる。その後、安曇野・穂高町のおやきのお店「あざか」へ。百様のおやきの存在する長野県だが、私はこの店のが一番好き。どっしりとした力強い皮で、小麦の甘味を味わえる。4種類ある具のうち、「野沢菜」がマイベスト。目立たない小さな店であるが、私達が店内で食べている間、予約していたらしいお客さんが二組来て、三〇個売れていた。
三月九日(火)
焼き菓子に使っている地粉は、車で約2時間の大井川町にある製粉会社で粉にしている。数日前、この製粉会社に行って直接地粉二五kg入り一袋を購入し、(それまでは別の小売店で買っていた。)杜屋のメニューと小さい焼き菓子をほんの少し差し上げてきたところ、後日営業の方から電話があり、今後は配送料無料で手に入れられるようになった。こんな細々とケーキ作りをしているところにも丁寧に応対して下さって、本当にありがたい。
三月十二日(金)
マーマレードを煮るのに使っている直径四十二cmの銅鍋、これにぴったり合うフタが欲しいと思っていたが、なかなか見つからない。やっぱ取寄せるしかないかなー。と思っていたところ。徒歩十分の場所にある、厨房機器のリサイクルショップで発見!しかも格安!!まず足元から探すべきだったか。
三月十三日(土)
ブルーベリーの苗を買ってきて畑に植える。以前頼まれて作った「フレッシュブルーベリーのタルト」はブルーベリー代だけで1600円もかかった。実りの日を夢見て土を掘る。ついでに苺の苗もちょこっと植えた。
三月十九日(金)
白馬で一日スキー。夫は次の日も休みなので、富山経由で観光しながら帰ることにした。ちょうど白馬連峰の裏側(西側)にあたる富山県宇奈月町の「道の駅・うなづき」へ。そこで車中泊することにする。なぜならそれは、その道の駅に地ビール園が併設されていたからだ。閉店40分前に到着し、お店にダダダッと駆け込んで、さっそく黒ビールとピルスナーとソーセージの煮込みを注文する。外のお店で飲むのは久しぶり。以前、仙台に住んでいた頃は仕事帰りに生中ジョッキをあおるのが楽しみのひとつだったけど、こちら静岡県福田町に引っ越してきてからは、自転車で6km先の磐田市まで行かないと居酒屋がないので、家呑み一辺倒であったのだ。…注文がきた。懐かしいジョッキを持ち上げて、口元に近づける。いい香り。そしておもむろにグイッ。…うまい!これはおいしい!夫と二人でみるまに空けて、もう一杯ずつ黒ビールとヴァイツェンを頼む。メニューを見れば、この黒ビール、どこぞの地ビールコンテストで入賞したらしい。黒部渓谷の清水を使った宇奈月ビールの黒。おすすめ。
三月二〇日(土)
富山湾に出て、西へひた走る。右手は蜃気楼が見えると噂の海、左手に黒部山系。流れる川の水は底までくっきり澄み切っていて、町のいたるところに「ご自由にお飲み下さい。」と書かれた清水が湧いている。観光マップを見ると、富山県は「一世帯の平均月収日本一・自家用車所有率日本一・持ち家率日本一」らしい。この雄大な景色を眺めていると、移住したくなる。
道すがら見つけた、海産物製造直売所で、釜揚げホタルイカを買う。ちょうどお店の人がずらりと台に並べたホタルイカをパックに詰めているところだった。近くの海っぱたに腰掛けて食べる。スーパーなんかで売っているのとは違って、みずみずしい。
「ホタルイカミュージアム」へ到着。ちょうどこの日から、生きているホタルイカの光るところを見られるという。取材のテレビカメラ正面に陣取り、照明を全て消した真っ暗な館内で、ホタルイカの入った網をひく。ポワポワポワーと発光したホタルイカの群生を目にして、館内一同、思わず「オーッ」と歓声。さっきまで「しょうゆかけてこのまま食べたいね」なんて言ってた隣のおじさんも素直に感激している。光っているホタルイカを一匹手の平の上にのせて見つめていたら、かみつかれた。
さらに西へと走り、福岡町へ。目的は安全でおいしい卵を使っている評判のケーキ屋さん「フェルベール」。お店に入り、物色していると、夫がショーケースの片隅の「カステラのみみ 150円」を発見!あんなにたくさん入って150円!?すぐさま買い求め、土日限定・卵ソフトクリームと一緒に近くのきれいな川原で食べる。二人でこのカステラのみみにやみつきになり、再びお店へ戻って、さっきもう一個あったハズのみみを探したら、すでにその姿は無かった。富山名物「黒ラーメン」を食べ、お土産に地酒三升買って帰宅。
三月二八日(日)
袋井市の法多山へ。「凶」が出ると評判の(以前夫は凶をひいたらしい。)おみくじをひく。何とおみくじ番号第一番・大吉!「100番まであるうち、1番の大吉は大吉の中の大吉です。」と係りの方。まだつぼみの多い桜の花を眺めつつ、名物「法多山だんご」をほおばる。(このだんご屋の横には、まるで遊園地入り口にあるような巨大なだんご券売機がある。)
いわずとしれた静岡県民の誇る回転寿司チェーン「魚河岸寿司」掛川店へ寄る。1時間待ち、ようやく席があく。本日のおすすめを書いた黒板には、「ホタルイカ」の文字。いつもは一皿二カンを夫と一カンずつ食べるのだが、これは一人一皿を注文。よくある沖漬けほどしょっぱすぎず、とろりと濃厚な味。
四月三日(土)
ネーブルとゆずと甘夏の苗木を購入し、庭に植え付ける。ここ数日中に芽吹き、いっそう森と化した各種の樹木おい繁る我が家の庭には(鳥が運んできた種や、食べた果物の種をほうっておいて成長したもの多数。種から育ったアボガドは、今や2階建ての屋根まで届く成長ぶり。)冗談じゃなく、新たな苗木を植え付ける余地など全く無い。と思われるところを無理やり玄関先と物置横に植え付けた。去年は金柑とレモンとはっさくの苗木を植えた。果たして結実まで何年かかることやら。これらの樹々に実った果実でマーマレードを作る日を夢みて。
四月四日(日)
奈良の夫の両親が、自分で山に行って取ってきたというたけのこを送ってくれた。数日前、仙台のおばから、祖母の弟がしとめてきたといういのししの肉が届いていたので、友人数人をよんで家でたけのご飯とぼたん鍋の宴会をする。地表に顔を出す前に掘ったというたけのこは、ナッツのような甘さ。少々毛が残っていたいのししの肉は豚肉のようでくせがない。
四月六日(火)
つるこけももの苗を購入。つるこけもも=クランベリーのことだと初めて知る。他、野菜の苗多数を6km先のお店で買って、自転車の荷台に積んで帰ってきたら、やはりいくつかひっくり返っていた。(十二日現在、無事に成長中。)

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杜屋の茶菓菜 vol.2


「杜屋の茶菓菜 vol.2 ‘04.9.30.発行」
~お茶・菓子・果物・野菜・素材・酒・肴・酒菜などについてのひとりごとです。~

四月二十三日(金)
岐阜県の白川郷へ。切り立った山並みの続くなかに、合掌づくりの家々が立ち並び、まるでそこだけ時が止まったかのようだ。あらためて、日本の民家の美しさを思う。それにしても、まるで映画村のように観光客が多い。「世界遺産」というフレーズがここまで人を集めるのだろうか。
手打ちそばを食べた後北上し、富山県側の世界遺産である、五箇山の菅沼合掌づくり集落へ。こちらはわりとひっそりしている。白川郷のように、軒先を改築してお土産物屋や食事処にしている家がほとんどない。岐阜県側と富山県側で文化財の扱い方が違うらしい。
平村の町にあった、レトロな風情のケーキ屋「江端屋」で「栃の実プリン」と「栃の実カラメルムース」を購入。「栃餅」は何度か食べたことがあるが、栃の実を使った洋菓子は初めて見た。「この辺栃の木って多いんですか?」とお店の人に聞くと、「この町の周りの山一帯栃の木なので、秋には実がたくさん落ちるから、それを拾ってきて水にさらしてアク抜きして使うんだけど、一個一個皮をむくのが大変なんです。」とのこと。栃の実は栗の実とどんぐりの中間位の大きさである。
さっそく車の中で食べる。プリンを一口。うーん、コーヒーの味に似てるかも。香ばしくて…と言いながら運転中の夫の口の中に放り込む。「穀物コーヒーとか、たんぽぽコーヒーとか、そんな感じの味だね。」どことなく懐かしいような、遠い記憶にあるような気がするのは、栃の実というものが、おそらく縄文時代から綿々と食べつがれてきたものだからではないだろうか。
氷見漁港の道の駅に車をとめ、道の駅上平で買った「イワナの握り寿司」を肴に酒をのんでそのまま車中泊。
四月二十四日(土)
氷見の道の駅の横に魚市場があり、その二階に早朝からやっている食堂があるというので、朝ごはんを食べに行く。一階では水揚げされたばかりの魚の競りの真っ最中。両手に一匹ずつ大きなブリのしっぽをつかんだおばさんが、ブリの鼻先をコンクリートの地面にズルズルひきずりながら歩いている。
魚メニュー満載の食事処「海寳」に入り、カツ丼、ラーメン、そばなど、ごく普通のものを食べている漁師や仲買人風のおじさん方を尻目に、「刺身定食」と「かぶす汁定食」を頼む。かぶす汁とは要は魚のあら汁の贅沢版らしい。かぶす汁が大きい丼に入っているのがかぶす汁定食で、かぶす汁が普通の汁椀に入っていて、少しばかり刺身の盛りが多いのが刺身定食であった。「なんか地味な色の刺身だなー」と思ってパクリと食べたら、これがうまいっ。新鮮そのもの生の味。そしてかぶす汁のため息をつきたくなるようなこのうまさ…。
道の駅の魚屋で、「私が沖で漬けました。」と値札に手書きしてあったホタルイカの沖漬けを一パックお土産に買って帰る。
四月二十五日(日)
我が家から徒歩五分の場所にある「ドルチェ倉庫」でのピアノソロコンサートへ。「木造で瓦屋根の、とてもすてきなたたずまいのこの建物は一体なんだろう?」と前を通る度に眺めていたが、町役場に電話して聞くと、終戦時に国有綿保管倉庫として使われていた織布工場の倉庫で、昭和五十年代に閉鎖された後、持主の方が福田音楽愛好会「アンダンテ」を作り、年に数回さまざまな音楽コンサートをやっているという。すぐにアンダンテの会員に申し込む。会費は夫婦二人で年二〇〇〇円。コンサートのチケットもケーキとお茶付きで会員は一人二〇〇〇円。六十人程が入りそうな天井の高い空間でマイクを通さないプロの生演奏に身を浸す。途中の休憩時間に出して下さったスタッフの方の手作りらしきティラミスもおいしかった。二〇〇〇円でこのレベルの演奏が聴けるなんて、かなりお得だと思う。ご興味ある方は是非アンダンテホームページ
http://www2.wbs.ne.jp/~andante/
ドルチェ倉庫を育てる会ホームページ
http://www5d.biglobe.ne.jp/~dolcesou/
をご覧下さい。
四月二十八日(水)
連日の強風により、我が家の庭の杏の実がポトポト落ちる。果樹用の農薬の中には「落果防止剤」なるものがあるらしい。熟す前の果実を落ちにくくする薬なのだろうか。人間の都合というものはこういったものまで作り出す。しかし、せっかく大きくなってきたのに、一晩でたくさん地面に転がっている様を見ると、薬に手をのばしたくなる気持ちも分かる。まぁ、自然の風が摘果してくれているのだと思えば気が楽か。
五月十日(月)
五月に入ってから苺が合計三十一粒もとれた。とよのか、伊豆っ娘、セリーヌなど今年植えた八株ほどの苺である。しかしこのペースの収穫量ではジャムの作りようもないので、かたっぱしからそのまま食べる。畑でつまんでそのまま食べる。新鮮さは最大の美味しさである。
五月十三日(木)
三月に御注文頂いていた、仙台市在住のお客様の御結婚披露宴用引き菓子とドラジェを発送する。日持ちのする焼き菓子といえど、あまり早くから作り置きはしたくないので、直前に一気に仕上げた。
もうろうとした頭で箱詰め梱包を開始しようとするが、重大なことに気が付いた。発送用の、大きくて頑丈な段ボール箱を用意するのを忘れていたのだ。会社に行く直前だった夫にうつろな表情でその旨を告げると、私が「あかずの間」と呼んで足を踏み入れないクローゼットから(夫の仕事関係の物品が雑多に詰め込まれていて、入るとくずれてきそうなのだ。)大きな段ボール箱を取り出してきてくれた。パソコンが入っていた箱である。助かった。
郵便小包の上限三〇kgギリギリに収まり、ゆうパックカードを使って送料無料で送る。(郵便小包一個につき一枚くれるシールを一〇枚ためると、一個無料で発送出来る郵便局のサービス。しかし、このゆうパックカードは二〇〇四年年十月以降廃止されるらしい。)
五月二十三日(日)
伊豆へドライブ。天城山の周辺をハイキング。神々しいほど大きな一本杉「太郎杉」の前で思わず息をのむ。
下田の道の駅二階の回転寿司「魚どんや」へ。キンメダイ、シマアジなど地魚がそろっている。ここで初めて食べた「スミイカ」、地味ながらもイイ味だった。
その後、道に迷ったあげく、南伊豆漁協直売所へ。ここでは、一階で買った魚介類を屋上でバーベキューをして食べることができるという。うきうきしながら行くと「今日は風が強いので、屋上は閉めてるんですよ。」と言われてしまい、「え~ガッカリ。これ目当てに来たのに~」とつぶやいたら、「お店の前に置いてるあのテーブルでも良かったら、炭火焼きは出来ますよ。」と言って下さった。
早速ネタを買い求める。落ちイセエビ(生きてないもの)一匹七〇〇円也。「焼くなら落ちでも充分うまいですよ。」と言われたのでそれを買う。それとサザエ六個。そしてアワビ。値段を聞くと、中くらいのサイズのもので一個二〇〇〇円だという。ちょっと迷ったが、小さいものを一個一二〇〇円で買った。
買っている間に炭火をおこして下さっていたので、おもむろに焼き網の上に並べる。じくじく焼けるサザエの香り。ぷりっぷりのイセエビ。日本酒片手に口に運べばどんなにうまかったであろうか。そしてアワビ。焼き網にのっけた当初はおとなしかったアワビが、ぐに~ん、ぐに~んと苦しげに身をよじりはじめた。生き地獄とはこの様であろう。ぐに~ん、ぐに~ん、……再びおとなしくなったところで、身を殻から外し、醤油と酒をチラリとたらして感謝しながらカプリとかみつく。もぐもぐもぐ…無言で夫に残りを渡す。夫もカプリ。もぐもぐ……「すごいよね。これはすごい味だ。」確かに、最高に美味しいというよりも美味しいという次元を超えている。「うーむ、生息している生き物の肉体に、そのままかぶりついた感じだなー…」グロテスクな私の言葉に夫も強くうなずく。今までアワビは刺身でしか食べたことがなく、コリコリしてるんだな、位にしか思わなかったが、実はこんなに美味しいものだったとは!これは確かに一個二〇〇〇円払っても惜しくはない。
五月二十九日(土)
ルバーブの苗を購入。ふきの一種で、ジャムやパイのフィリングにすると甘酸っぱくておいしい。どこに植えるか思案のあげく、畑の中でも一番日当たりのいい場所に植える。「冷涼な気候を好む」とラベルに書いてあることに後から気付いたが、まぁ大丈夫だろう、とそのまま放っておいたら、二ヶ月後、まんまとひからびてしまった。
六月八日(火)
夜、近所の高校三年生の女の子が、姉の結婚式用のお菓子のラッピングを手伝いに来てくれる。彼女は、五月にうちでお菓子作りを教えた時に、大量注文のお菓子のラッピングの大変さを切々と語ったら、ありがたいことに「学校終わった後でよければ、私手伝いに来ます。」と言ってくれたのだ。無理やりそう言わせたわけでは決してない。一人の人手が増えるとどれだけこちらは助かることか。自分一人で一年弱、杜屋の仕事を続けてきて痛切に感じたことである。
六月十日(木)
十二日に仙台市で挙式予定の姉の結婚披露宴用の引き菓子、披露宴用ドラジェ、送賓用ドラジェを車に積みこみ、夫とともに出発。十一日までに式場にお菓子を届け、当日は二人で式に出席する。「作るの大変だから、うちら二人の分のお菓子は数に入れなくていいよ。」と姉に言ったら、「流れ的に、ドラジェは無いとおかしいから、いらないんだったら式終わった後返して。」と言われたので、ちゃんと自分と夫の分も用意した。私の場合、お菓子一つ一つやマーマレードに貼りつけるラベルも全て自分でパソコンで作ってラベルシートにプリントアウトして切り張りしている為、お菓子を作るのと同じくらいラッピングに時間と手間がかかるのだ。
段ボール箱五箱分のお菓子とともに、一路仙台へ向けて下道をひた走る。(高速代を払うのがもったいないのでいつでもなるべく下道を行く。)一路といっても静岡→甲府→秩父→日光近辺→福島を抜ける複雑なルートである。途中の山道で鹿と遭遇。夕方の出発なので、栃木県で運転手の夫が睡魔に襲われダウンし、喜連川町の道の駅で車中泊。
六月十二日(土)
披露宴会場の来賓座席に置いてある紙袋の中に、私が作った引き菓子が納まっている。感無量である。
姉夫婦は、キャンドルサービスをしない代わりにドラジェサービスをすることにしたので、(ちなみにドラジェとは、本来はホールのアーモンドを砂糖でコーティングしたお菓子の名称であるが、ウエディング業界では新婦が来賓に手渡しする小さなお菓子の意で使われているらしいので、私もそうしている。)来賓の各テーブルをまわり、一人一人にドラジェを手渡しする。そして私の番がきた。夫にカメラを託し、姉が私にドラジェを手渡す瞬間を撮ってもらう。はなから杜屋のお菓子の宣伝用に写真を使うつもりだったので、姉にも協力してもらい、手渡した瞬間の姿勢で体を止めて、二人でにっこりカメラに向かって微笑む。
六月二十四日(木)
お隣にお住まいの方が、庭に実ったという「やまもも」の実を下さった。やまももは、去年浜松市の公園で一㎝大のものを拾ってきて果実酒を作ったが、頂いたのは三㎝大もある。「もっと欲しかったらあげるから取りに来て」とおっしゃるので、お言葉に甘えて、脚立を抱えてうかがった。三m程の高さの木に、鮮やかな赤紫色の実がたくさんついている。なにはさておき、木の実の収穫は楽しいものだ。さっそく持ち帰ってジャムにする。いちごとぶどうを合わせたような甘酸っぱさに、一種独特な香り。子供の頃、岩手の山の中で走りまわって遊んだときを思い出した。そう、深い森のような、山の香りがするのだ。
七月一日(木)
うちの畑でとれたじゃがいもでキッシュ(塩味のタルト)を焼く。三月に「北あかり」という黄色でほくほくしたおいしいじゃがいもを植えたのだ。ところが先月、芋掘りしてみて驚いた。ほとんどの芋がピンポン玉ほどの大きさしかないのだ。肥料が足りなかったのだろうか。悲しくてヤケになって熊手でざくざく掘り返していたら、さらに芋がキズだらけになってしまった。もったいないので、自家用にキッシュを作ったらおいしく出来た。
七月四日(日)
青森県の産地直売所で一本(一、八リットル)三五〇円で買ってきた、ストレートのりんごジュースの飲みかけを、冷蔵庫に入れずにそのまま常温で数日放置しておいた。ふと見るとびんの中に得体のしれない物体が浮かんでいる。どうやらカビらしい。もったいないことをした…と思いつつ、捨てようとしたら夫に止められた。「捨てないで~オレ飲むから。」「やめた方がいいよ。お腹こわすよ。」と言いつつ、コップについであげる。細かい泡が立ち上る。ニオイをかいでから、一口ぐびり。「ん!?炭酸になってる!おいしいー!」…なんと自家製(放っておいただけだけど)アップルタイザー(りんご果汁一〇〇%の炭酸飲料)が出来ていたのであった。
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杜屋の茶菓菜 vol.2 続き


「杜屋の茶菓菜 vol.2 ‘04.9.30.発行」
~お茶・菓子・果物・野菜・素材・酒・肴・酒菜などについてのひとりごとです。~

七月十一日(日)
北海道へ新婚旅行。もうすぐ結婚して一年がたつというのに新婚でもなかろうが、先月、夫の勤める会社の新婚旅行休暇制度は、結婚して一年以内にしか使えない、という事実に初めて気付き、慌てて申請した。フェリーに車を積んで、北海道へ行くことにした。
昨日新潟を出港して小樽へ早朝四時に着。そのまま車で一気に北上し、羽幌へ。目指すは羽幌港からフェリーで六十分の「焼尻島」。ちょうどこの日、「日本一のウニ祭り」をやっているという。高速船が欠航になるほど荒れた海を、ザバーン、ザバーンと波をかぶりぬれながらつき進む。あと十五分で到着、というところで船酔いのピークがきた。一人でしゃがみこみ、喉元まで戻ってきたものをかろうじて止める。つっツライ。ひ~…。
…やっと到着。ハンカチで口を押さえながら船を降りると、その目の前の港で既に「ウニ祭り」が始まっていた。要は地元産の海産物のバーベキューパーティーである。「早く、早く行かないと場所無くなっちゃうよ。」夫をせかす。…三十分前は今にも吐きそうで蒼ざめていた私が、焼きウニをもりもり食べる。我ながら現金なものだ。1個二五〇円のウニ、そしてアワビ、甘海老、サフォーク肉を炭火で焼いて無我夢中で食べる。「さて皆さん、浜鍋が出来ましたよー」とアナウンスが入った。ウニが入っている浜鍋なんて初めてだ。えもいわれぬダシが出ていて、こたえられないおいしさだった。
ガイドブックに載っていた「静かでキレイな海辺のキャンプ場」でキャンプすることにした。行ってみると、キャンプ場の看板はおろか、炊事場も、トイレすらないガケっぷちの野原だった。眺めだけは抜群である。しかし、「テントごと飛ばされてしまうのでは」と思うほどの強風で、寒くて寒くて眠れない夜だった。
七月十二日(月)
焼尻島を出る前に、港近くの「みなと食堂」でウニ丼を食べる。とても感じのいいお店の奥さんが、「昨日採ったものだけど、良かったら食べて」といってタコの刺身を出して下さった。こういうサービスをしてくれたお店はいつまでたっても忘れない。
前日のシケがうそのように、海が凪いでいる。海上に利尻富士がくっきり見える。難無く羽幌港に戻った。
旭川市の「優佳良織(ユーカラおり)工芸館」へ。かつて北海道を自転車で一人旅した時に、この織物に出会い一目ボレしたのだ。売店に入って物色する。何も買わずに外へ出る。やはり高価なものなので、気後れしてしまったのだ。「そんなに頻繁に来れる場所じゃないんだから、気に入ったものがあったら買えばいいよ。」と夫に言われ、再び売店へ戻る。日常生活で活用できるものを、と思い、クッションを買うことにした。一番好きな「流氷」の柄のが無かったので、注文して送ってもらうことにする。四個買う。一度にこんなに高価なものを買ったことが無いので、ドキドキしながらも「まぁ、結婚指輪の代わりだと思えば安いもんだよね。ね。」と夫に告げたら苦笑された。指輪はお菓子を作る時、いちいち外すのが面倒なので、私のほうから辞退したのである。
旭川ラーメン村に行き、道の駅・南富良野で車中泊。
七月十三日(火)
朝目が覚めて、気がつけば道の駅の裏一面ラベンダー畑だった。
富良野ジャム工房へ。二〇種類近くあった試食用ジャムを全て試食し、「グースベリー」ジャムを一本買う。工房横にあったジャム製作風景のビデオを見ていたら、煮詰めている最中の鍋に向かって扇風機の風をあてているシーンがあった。強火にかけ、かつ風で一気に水分を飛ばすことがコツなのだ。
北海道に行ったら食べてみたいと思っていた「ホワイトアスパラ」。どこのスーパーでも産直でも見あたらなかったが、富良野の外れの田舎道を車で走っている時、手書きで「ホワイトアスパラ」と書いてあるのぼりを発見した。物置小屋のような、小さな無人販売所であった。中に入ると、ホワイトアスパラはちゃんと根元を氷水に浸してあった。細いの太いの合わせて二〇〇円分買う。普通の束の四束分程の量である。
七月十四日(水)
持参したファルトボートで釧路川を下る。二人艇の前方に私、後ろに夫が乗る。自分では一生懸命オールを動かしているつもりでも逆にブレーキがかかってしまう。でも徐々に自力で前に進むようになってきた。
電車に乗って駐車場まで戻る。線路の上を鹿が横断して行く。
厚岸漁協直売所で通年販売しているという真ガキを買い、近くのスーパーで半額シールが貼ってあった釧路産新サンマとオホーツク産時鮭を買う。北海道のスーパーはどこに行っても地元産の魚介類の品揃えが豊富で、見ていて飽きない。さらにレジの女性も親切で、缶ビール一缶だけ買って「氷もらえますか?」と言っても、嫌な顔一つせず、にこにこしながらたくさんの氷を持ってきてくれる。
日本で一番早く太陽が昇るという根室市の先端、納沙布岬に車をとめ、そこで車中泊することにする。持参してきた七輪に炭をおこして、ホワイトアスパラ、カキ、サンマ、時鮭を焼いて食べる。ホワイトアスパラはしゃきしゃきしたとうもろこしのようで、甘い。
七月十五日(木)
「今静岡の日の出は四時四十分頃だから、ここは四時に起きれば間に合うだろう。」と思って起きたら、曇っていて朝日は見られなかった。しかし、ここ納沙布岬の日の出は三時五十一分だということを後から知った。四時起きでは間に合わなかったのである。静岡と納沙布岬でそんなに時差があるとは思わなかった。
根室市内の喫茶店で名物「エスカロップ」を食べ、花咲港で花咲ガニと毛ガニを買い求めて北上する。
知床半島、羅臼のキャンプ場でキャンプ。ここは道向かいに無料の男女別露天温泉があるので、大人気のキャンプ場だ。のんびりと湯に浸かって夜空を眺めていたら、流れ星が見えた。
テントの前に二人でしゃがんで花咲ガニと毛ガニをむしゃぶる。足のつけ根の身と毛ガニのミソが抜群においしかった。
七月十六日(金)
知床半島奥の「カムイワッカ湯の滝」へ。温泉の流れ落ちてくる中をそのままジャバジャバ上っていく。「酸性の温泉なので、流れのないところより湯の中を歩いたほうが滑らないよ。」と言われたが、やはり滑って恐ろしい。年に数回救急車で運ばれる怪我人もでるという。何とか無事に天然湯船となっている滝壷に到着したが、死ぬ思いだった。
オホーツク海に面した能取岬へ。五年前北海道を自転車で一人旅した時、ここで野宿するハメになった。夕焼けと日の出の美しさは今でも忘れられないが、岸壁から真下に見た海がこんなにきれいだとは気づかなかった。沖縄の海のように、青く緑に透みきっている。あまり観光地化しておらず、穴場である。
七月十七日(土)
電車「ふるさと銀河線」沿いの小さな町、置戸町の「オケクラフトセンター」へ。この町は、駅前や商店街に花がたくさん植えられており、整然とした美しい町だ。山林がほとんどを占めるこの町ではかつて、材木を製紙工場に売って収入を得ていたが、それでは近々山がボーズになってしまうと気づく。それがオケクラフトを生み出したらしい。地元に住んでいる人達に木工技術を習得してもらい、地元の山の木々を加工して、お椀を始め、さまざまな食器を作り出す。二束三文で売っていた材木一本から、一個三〇〇〇円のお椀がいくつもできる。この町の学校給食の食器は、このオケクラフトで一式揃えているという。子供の頃からこんないい器を使って給食を食べるなんて、うらやましい話だ。自分と夫用に、汁椀を買い求める。
お菓子の町とうたわれる帯広市の「六花亭本店」へ。マルセイバターサンドで有名な六花亭だが、ここ本店はなんといってもケーキが安い!普通でも二八〇円から三五〇円はするであろう生ケーキが、1個一七〇円前後である。しかも、二階はちゃんとした喫茶室だが、一階売店横には無料で飲み放題のホットコーヒーがそなえてあり、その場で買ったケーキを立ち食いできる。夫と二人で九個食べた。
七月十八日(日)
積丹半島で早朝から営業している「佐藤食堂しゃこたんなべ」へ。午前十一時までに行くと値段が安くなるという、ムラサキウニ丼とバフンウニ丼を注文すると、店員さんが「承知しました!ウニ丼赤白一個ずつー!」と厨房に向かって叫んでいた。色味の強いバフンウニの方が赤で、比較すると白っぽいムラサキウニの方が白なのだろう。ちなみにバフンウニ丼はムラサキウニ丼の二倍の値段である。確かにバフンウニの方が濃厚な味がするけど、ムラサキウニだって充分すぎるほどおいしい。
小樽発の帰りのフェリー出港時間までかなり余裕があるから、小樽市内を散歩でもしようか、と話していたが、小樽手前、余市町の「ニッカウヰスキー醸造工場」にはまってしまう。ここで一〇年ものの原酒を試飲する。ウイスキーは昔、水割りをがぶ飲みしてどエライ目にあったことがあるので、以来全く口にしたことがなかったが、この原酒に陶然となる。「ここ、余市醸造所限定販売ですよ。他では手に入りませんよ。」という言葉につられ、小瓶を一本買ってしまった。
フェリー出港時間に遅刻しそうになりながらも長い旅を終え、無事小樽を出港。しかし翌日新潟に着いてみたら、通ってきた道が数日前の集中豪雨のため、通行止めになっていた。別のルートを探し、夜二十三時過ぎようやく帰宅。
七月二十一日(水)
ついにはっさくの実も全部落ちてしまった。うちの庭に植えている柑橘の木は、はっさく、レモン、甘夏、柚子、ネーブル、シークワーサー、金柑の七種類である。去年植えたばかりなのにたくさん花が咲いたーやったーと思ったら、実を結んだのは数える程しかなかった。それでもはっさくは四個ほど三㎝大にまで成長したのに、ひとつ、またひとつと落ち、今日全部落ちた。やはり二年目ではまだ収穫には至らないか。ひきかえに、今日金柑の花が咲いた。他の柑橘と花の形はほぼ同じだが、サイズがふたまわり小さくてかわいい。
七月二十八日(水)
東京・上野動物園で飼育係をしている中学時代の同級生を訪ねる。今年からパンダの担当になったという。裏口から小屋にいれてもらい、金網ごしにさとうきびを与える。つぶらな瞳がとてもかわいいパンダだが、寝相の悪さは私のようだ。
七月三十日(金)
先日北海道へ旅行した際に注文しておいた、「活ホタテ」五〇枚が宅急便で届いたので、夫の会社の仲間をよび、夕飯にふるまう。活ホタテ一枚六〇円×五〇枚で三〇〇〇円である。この大きさでは破格である。しかし、レジで会計して度肝を抜かれた。何と送料が三七五〇円もかかるというのだ。何故そんなに高いのか?と問うと、航空便だから、と言う。普通のクール宅急便じゃ駄目なのか?と問うと、北海道→静岡は二日かかるから駄目だという。サイフから出していた五千円札を慌ててしまい、夫に一万円借りて支払いを済ませ、思わずため息をついてしまった。
ホタテ代金よりも高い送料を払ったホタテは確かにパクパク元気よく活きている。刺身、ベーコン巻き焼き、グラタン、ひもサラダ、ひもキムチあえ、ホタテ炊きこみごはん、ホタテ汁にして食べた。満足だった。
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杜屋の茶菓菜 vol.2 続きの続き

「杜屋の茶菓菜 vol.2 ‘04.9.30.発行」
~お茶・菓子・果物・野菜・素材・酒・肴・酒菜などについてのひとりごとです。~

八月一日(日)
長野県に住む知人が、自家製の野菜を盛りだくさん送って下さった。両手にとり、しげしげと見つめる。どうしてこんなに立派なのが出来るんだろう…。自分で作った野菜と比べ、少し悲しくなる。じゃがいもはピンポン玉大、とうもろこしはヒゲしか出ない、枝豆はさやに豆が入ってない、きゅうりは一回転する…わんさか繁ったのは青紫蘇とハーブだけである。買ってきた苗を植えればとりあえず実るかと思ったが、やはり一筋縄ではゆかないらしい。
八月四日(水)
夫が一人で埼玉県・所沢へ行く。ホンダF1チームのエンジニアディレクター・中本さんのお宅に、お話をうかがいに行ったらしい。モータースポーツにうとい私はそれがどれだけ無謀な行為であるか気づかない。
お土産に、自作のブルーベリーシフォンを持っていってもらったら、奥様から、ブルーベリーが底に沈まないようにする作り方を教えて欲しい、と言われたというので、すぐにメールで返答する。ブルーベリーに粉を少々まぶしてから最後に生地に混ぜるやり方もあるが、私の場合は、まずブルーベリーを半分に切り、メレンゲを混ぜる前に卵黄生地に混ぜこんでしまうのだ。ブルーベリーを細かく刻みすぎないのがポイントである。
八月五日(木)
結婚一周年記念日。結婚式、披露宴の類をやらないかわりに、半年毎・一年毎に二人で外においしいものを食べに行ってお祝いしよう、という約束をしたハズだが、そんな覚えは全くないと夫はシラをきる。私もこの日は忙しいのでやめようかと思ったが、こういうことは記念日のその日に実行しないと意味がないのである。
浜松市のレストラン「ミルポワ」へ。ビーフシチューがおいしい欧風家庭料理店。運転手の夫にすまないと思いつつ、私一人、赤ワイン片手にビーフシチューをつつく。
帰宅する前に、新しくオープンした「ジャスコ志都呂店」へ立ち寄る。夜十時をまわっていたため、魚介類のほとんどが半額になっている。そこで目をひいたのが「宮城県産・生本マグロ」。ジャスコオープン記念に1本丸ごと買いつけて、解体ショーでもやったのだろうか。中トロ、赤身、大トロと各種そろって皆半額シールが貼ってある。こんなチャンスでもなければ買うことのない大トロを一パック購入し、帰宅して日本酒を呑みながら頂いた。とろけるうまさとはまさにこのこと。大トロは脂の味が強すぎる、といわれるが、これはしっかり肉のうまみも味わえた。
八月七日(土)
全国的にも有名な袋井市の花火大会へ。先月北海道で箱買いしてきた缶ビール、「北海道限定・サッポロクラシック生」を片手に花火見物。途中から天気が荒れてくる。花火があがった空に雷の閃光きらめき、花火の音と同時に雷鳴とどろき鳴り響く。ものすごい迫力の花火大会であった。
八月十日(火)
車で長野、新潟経由で日本海側を北上。「道の駅・笹川流れ」で、今が旬の岩ガキが売ってないか土産物売り場を物色するが、値段が高い。外にでて、あてもなく歩いていると、道むこうから「~一ヶ二〇〇円だよ。」との声が耳に入ってきた。ん?よく見ると、若い夫婦がビニールのエプロンをつけて長靴をはいたおばさんと何やら交渉している。魚屋ではなく、魚問屋といった感じのところだ。道を横断して後ろから様子を眺めていると、岩ガキを取り出してきたおばさんが、金づちでたたいてナイフを入れている。どうやら岩ガキの貝柱を切って開けやすくしているらしい。「もう仕事終わろうとしてたところでしょ。悪いねー」と言いながら、彼らは二〇個買っていった。そこですかさず私も負けじと「すいません、こっちも岩ガキもらえませんか?四個でいいんですけど…」
その先の海に潜って遊んだあとに、日本海に沈む夕日を見ながら岩ガキを食べた。新鮮そのものの香りの「海のミルク」が口のなかにとろりと広がった。
八月十一日(水)
秋田と山形の県境に位置する鳥海山へ登山。今回で三度目である。といっても前回は二回とも頂上まで登らずに途中で引き返してきた。いつも無計画の行き当たりばったりの旅行をするため、たまたま鳥海山の近くまで来た時、「んじゃ登ってみっか。」という感じで登り始めるので、当然時間が足りなくなってしまうのだ。先月、北海道から帰ってくるフェリーの中で同室になった登山家のおじさんにその話をしたら、「山登りは人生と同じだよ。」と言われてしまったので、今回は頂上を目指すことにした。
ありの行列のごとくに多くの人が頂上に向かって歩いていく。かなり必死でやっとこさ達した頂上から、男鹿半島、白神山地、飛島などが見渡せた。一瞬、太陽に虹色の環が二重にかかった。
はればれとした気持ちで下山する。上りの時とうってかわって人の姿が見えず、まんまと道に迷ってしまった。夕方5時半にようやく駐車場に戻り、夕日を眺めてから、車で下る。
とっぷりと日が暮れた暗い道の脇に「……水」とかかれた道標が一瞬目に入ったので、車を引き返すと、涌き水などどこにもない。あきらめて行こか、と夫を促すと、「こっちから水の音がする。」と言いながら闇と化した林の中へ、ずんずん入りこんでいく。懐中電灯も無しに、沢にでも落ちたらどうすんだーと思いつつ、後を追う。するとそこにはちゃんとコップまで備えてある湧水があった。車に常備している水タンクにたんまり汲んでいく。
八月十二日(木)
秋田県・五城目町へ。数百年の歴史があるという朝市へ足を運ぶ。お盆のお供え用の飾りや果物を売っているお店が多い。その中で、紫色をした洋なしを見つけた。聞けば、いちじくと洋なしをかけ合わせたものだといって、試食させてくれた。…これは買わないことにする。
お惣菜のお店に「サンド一〇〇円」と書いてある三角形のフライが並べてある。次から次へと売れていく。サンドとは一体何ぞや?と思い一個買って揚げたてアツアツをほおばる。耳を落として薄切りにした食パン二枚でひき肉入りのじゃがいもコロッケの具のようなものをはさみ、斜め半分に切ってからフライの衣をつけて油で揚げたものだった。なかなかイケる。人気があるのもうなずける。
鈴木京香のJR東日本のポスターの舞台となった酒蔵「渡邊彦兵衛商店」で、吟醸酒の酒粕を買い、野菜の種屋で手作りの紙封筒に入れた辛味大根の種を買って朝市をあとにする。
琴丘町の道の駅へ。名物「こはぢゃソフト」を食べる。こはぢゃとは、ツツジ科の果樹「ナツハゼ」の方言だという。ブルーベリーとカシスの間のような、甘酸っぱい風味である。実をいうと、このソフトを食べるのは三回目である。昨年五月、東北一周旅行した際初めて食べて、そのおいしさに感激した。東北の道の駅を八十三ヶ所巡り、そのほとんどで名物ソフトを食べたけど、この「こはぢゃソフト」は堂々一位に輝いた。(ちなみに二位は道の駅・かみこあにの「ほおずきソフト」。)
ところが、昨年八月に二度目にこの「こはぢゃソフト」を食べた時は、最初のような感動が無かったのである。正直、「あれ、こんなもんだったっけ?」と思ったのだが、ソフトの為にわざわざここまで運転してきてくれた夫にすまなくて、言葉には出せなかった。
それが今回、ぺろっとなめて、ついお店の人のいる前で言ってしまった。「あっ!今日のはおいしい!」その言葉を聞いた夫が、「でしょーそうだよね。」と相槌を打つ。何が一体違うのだろう。今日のはなめらかなのである。凍っている粒子の一粒一粒が緻密な感じなのだ。しかし、舌ざわりの違いでここまで味の印象が変わるものなのだろうか。特にソフトクリームなど機械が作るものだから、そんなに変化はないものだと思うのだが、それは素人考えだろうか。よく出来たここの「こはぢゃソフト」は、酸味と甘みのバランスが絶妙で、口に入れた瞬間にスッと溶け、まるでおいしいケーキ屋のムースを食べているようだ、と思った。
バイクで東北ツーリング中の夫の友人から、タイヤがパンクしたので鹿角に滞留しているという連絡が入る。鹿角の道の駅で彼と落ち合い、道の駅内のレストランで一緒に食事をする。どこのファミレスにもありそうなサラダバイキングコーナーがあった。しかし何とここのは、全て地元鹿角産の朝採り野菜だという。トマトをはじめ、アスパラ、ブロッコリー、とうもろこしなど、一皿三〇〇円で食べ放題。みな味が濃くて甘みがあっておいしい。野菜の不足しがちな長期旅行者にはありがたい企画である。是非日本全国の道の駅でやってもらいたい。
この日の夜は、奥入瀬渓流北の一軒宿、蔦温泉に宿泊。最長十一日間連続で車中泊の旅をしてきた我々であるが、たまにはどっかいい温泉にでも泊まろうか、といってこの日の朝、ダメもとで蔦温泉に電話してみたら、たまたま今日だけ空いていたのだ。ここの温泉は源泉の上にそのまま湯船があるため、湯に身を浸すと足元からポコリ、ポコリ、と泡が上っていく。東北屈指の名湯である。食事も美味しく、宿の裏には散策できる原生林が広がっており、気持ちがいい。たまの贅沢とはこういうものだ。
八月十三日(金)
青森県八甲田山へ。一〇〇年以上の時がすぎた「八甲田山雪中行軍」。銅像の後藤房之介伍長は私の母方の親戚にあたる方である。像の前で手を合わせ、今や遠い過去となった事件に思いをはせる。
青森市の三内丸山遺跡へ。青森なまりのボランティアガイドのおじさんの後ろにくっついて、遺跡をまわる。縄文時代の人々の、日々の暮らしの豊かさを思う。この遺跡は、そもそも野球場を建設すべく、整地し始めたら発見されたという。新潟県の奥三面ダムのように、貴重な縄文遺跡の存在が認められていたにもかかわらず、ダム工事を途中で止めずに水の底に埋没させてしまう愚行をやってのける日本では、三内丸山遺跡は見事に保存されているのではないかと思う。
浅虫温泉の道の駅で温泉に入り、一階売店で売っていた下北半島・大間町のお寺の住職が作っているという地発泡酒をフロ上がりにあおる。下手な地ビールよりもおいしかった。そのまま道の駅で車中泊。
八月十四日(土)
朝六時に起きて、道の駅近くの食堂「ろくさん」へ歩いて行く。ホタテの直売もやっているこの食堂、昨年五月に青森旅行した際たまたま見つけ、「海鮮丼」と「焼き魚定食」を食べたのだが、隣のテーブルの人が食べていたホタテ丼が実においしそうだったので、「次回は必ずホタテ丼」と心に誓ったのだ。静岡から車で行くとなると往復二〇〇〇㎞はかかるが仕方あるまい。
私は念願の「ホタテ丼」を、夫は「ホタテ貝焼き定食」を頼む。笑顔のかわいい津軽美人の奥さんが運んできて下さる。丼ごはんにホタテの刺身がびっしりのった上にいくらまでのっかっている。そしてみそ汁。なにをかくそうこの店は、定食全てにホタテの稚貝のみそ汁がついてくるのだ。これがまた、絶品なのである。しかしよく見ると今回のは、稚貝ではなく大きい。みそ汁に使うのがもったいない位の大きさである。うほー♪前回来たのは五月。今は八月。この三ヶ月が大きさの差なのかも。今回はホタテの煮つけまでついている。たまらずに箸をとってかっこむ。半分残しておいて、夫ととりかえっこして食べるのが、我ら夫婦の外食時の掟なのだが、それを忘れてむさぼり食べる。その勢いに驚いた夫が慌てて私を制し、半分以下となったホタテ丼と半分以上残っているホタテ貝焼き定食を交換して再び食べ始める。こころゆくまで堪能した。
駐車場に戻る途中にあった「永井久慈良餅店」で、板かりんとうを自分用のお土産に買う。浅虫名物の久慈良餅もおいしいが、私はここの板かりんとうが好きなのだ。電車の切符をもっと細長くしたような形で、カリッとした食感と、ごまの香りに病みつきになる。
浅虫温泉駅前で、無料の足湯につかりながら、ここまで来て良かったと感慨に浸る。
八月二十一日(金)
我が家の裏の物置の横から、得体のしれないつる性の植物が勝手に一本生えてきた。じゃまなので、引き抜こうと思って手をふれたら葉っぱから独特なニオイがする。もしかしてゴーヤかも?と思い、そのまま放っておくことにした。それから約一ヶ月。今日のおかずはゴーヤチャンプルー。畑に植えた野菜はろくに実を結ばないのに、勝手に生えたこんなのに限ってしっかり結実してくれる。
八月二十四日(火)
夫の釣りキチの友人から「大きなカツオが釣れたから、夕飯食べに来て下さい。」と連絡が来た。なんと体長八〇㎝、体重一〇㎏のカツオだそうだ。刺身、タタキ、煮つけをお腹一杯頂く。てんこもりの刺身の横に、ちょこんと小鉢で出してくれたのはカツオの皮の湯引きだという。カツオの皮って硬そうだけど、食べられるのか?と思いつつ箸をつけると、これが未だかつて味わったことのないおいしさ。珍味である。酒がすすむ。尾っぽの近くの腹側の皮だけはこうして食べられるという。
八月二十八日(土)
我が福田町の花火大会。非常に知名度が低いので、仙台市の七夕前夜祭花火大会を見て育った私としては、信じられないほどお客さんが少ない。花火打ち上げ場所の目と鼻の先の河原に大きなシートを敷いて、二週間前に新潟で箱買いしてきた「エチゴビール」を片手に花火見物。台風が来ていたので、強風が花火の煙を一瞬で吹き飛ばしてくれて、とてもきれいだった。
九月五日(日)
七月に北海道旅行に行った際に一泊した、標茶の民宿「木理」さんから、サンマが一箱届いた。びっくりして開封し、手をつっこんでみると、ピッカピカの特大サンマが二十四匹も入っている。電話をして、「代金を支払います」と告げると、「この間いろいろ頂いたお礼です。安いので気にしないで下さい。」とおっしゃる。確かに旅行から帰ってきてから宿の前で撮った写真ともに送ったものがあるが、私の伊予柑マーマレードの小瓶一つと地元のウコンパウダー一つだけである。御夫婦ともに酒豪なのでウコンを送ったのだが、これも地元では格安で手に入るものだ。海老で鯛ならぬサンマを一箱釣ってしまったようなものである。かえって申し訳ないと思いつつ、友人をよび、刺身、〆サンマ、炭火焼、蒲焼、にんにくバター焼き、南蛮漬け、醤油漬け丼にして大変美味しく頂いた。
そしてまだ南蛮漬けが冷蔵庫に残っている三日後、宮城県気仙沼市からの宅急便が届いた。仙台の実家の母が、気仙沼港直送サンマを私達の為に注文してくれていたのである。なんとありがたし。再び友人をよび、右記のメニューをくり返して食べ尽くした。
気仙沼のサンマには、塩焼き用に大分特産のカボスもついていた。カボスとは、漢字で香母酢と書くということを初めて知った。すっぱい母の香り…。すえたような…?
焼き魚や鍋料理の風味付けに使うカボスだが、マーマレードにしてもおいしいらしい。たくさん手に入ったら試してみたい。
九月十七日(金)
仙台の叔母から電話がきた。
「またお菓子お願いしたいんだけど…スコビッティ一〇袋いいかしら?」
「…スコビッティじゃなくてビスコッティだよ。」
「あ、そうだっけ。スコビッティなんて、イタリア人の名前みたいだもんね。ハハハ…」
…そんな名前のイタリア人がいるかどうかは知らないが、確かにビスコッティはイタリア発祥のお菓子である。
しょっちゅうお遣い物として私のお菓子を注文してくれるこの叔母のおかげで、今や叔母の大学時代の同級生の姪御さんにあたるという方からも、直接注文のお電話を頂くようになった。誠にかそけき縁であるが、大切につないで行きたい。
九月二十六日(日)
浜松市福祉センターの調理室を借りて、二十五名様を対象にしたお菓子教室をやる。私がお教えするのだが、教室というよりは、皆で作ってその場で食べて楽しむ会、といった感じである。昨年に引き続き二回目だが、何度やっても自分の口下手さはなおらない。「お菓子を作る」ことと「お菓子作りを教える」こととは、天と地ほどの違いがあるのだ。でも、オーブンの前で残り時間をカウントし、「5,4,3,2,1,出来たー」と言って拍手している様子を見ると、こっちも楽しくなる。
九月二十七日(月)
イタリア出張から帰ってきた夫の会社の友人から「生ハムとチーズとスパゲッティとグラッパを買ってきたので、うちに食べに来ませんか。」と連絡がきた。やったー生ハム!私の大好物である。「一度でいいから生ハムをてんこ盛りにして食べたいと思っていたんですー。」と言ったら「そんなにないです。スミマセン。」と言われてしまった。
イタリアの蒸留酒、グラッパはブランデーと違い、あまりお菓子作りに使われないので、名前は知りつつも、一度ものんだことが無かったが、一発でやみつきになってしまった。華やかで典雅な香りのお酒をちびり、ちびりと頂く。アルコール度数が四十二度あるので、おちょこ一杯で酔いがまわってくる。グラッパおいしいなー帰りに酒屋に寄って買ってこうかなーでもきっと値段高いんだろうなーと思いつつ、重い腰をあげ、帰り仕度をして玄関を出かかったその時!「あ、良かったらこれ持っていって下さい。杜さんへのお土産です。」…何とまだ八分目以上残っているグラッパを丸々一本下さったのである!やったーグラッパ!るんるん気分で帰宅し、切子のグラスを取り出してあらためてのみ直そう、と思ったが、一口のんだら睡魔におそわれ、そのまま寝入ってしまった。
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杜屋の茶菓菜 vol.3

「杜屋の茶菓菜 vol.3 ‘05.1.12.発行」
~お茶・菓子・果物・野菜・素材・酒・肴・酒菜などについてのひとりごとです。~

九月十三日(月)
それまでお菓子の発送に利用していたゆうパックの料金が十月から改定されることになったので、これを機に今後はクロネコヤマト宅配便を利用することにした。「天下のクロネコヤマトが、うちみたいな小口のとこなんて相手にしてくれるわけないよなー」と思いつつ、ちらりと打診してみたら、あっさりOKしてくれて驚いた。
ゆうパックは集荷時間が早いので、今までは郵便局まで自分で持ちこんでいた。自転車の荷台にゴムひもで荷物をくくりつけて押していく、という文字通りの「自転車操業」だったが、クロネコヤマトは電話一本で料金変わらずに夕方でも集荷にきて下さることになり、突然出世した気分である。ドライバーの方に余りものや失敗したお菓子を差し上げていたら、その後注文して下さるようになり、うれしい限りだ。
十月十一日(月)
近所の「ドルチェ倉庫」(クラシック音楽のコンサートを随時開催している、古く情緒ある木造の建物)の館内の壁に、確か「果物の共同購入やってます。」と書かれた手書きのポスターがあったはず。お菓子に使う紅玉りんごが手に入らないかと思い電話で打診してみると、大変詳しく丁寧に説明して頂いた。有機肥料のみを使用し、化学合成された農薬は使わずに栽培された果物なので、皮ごと丸かじり出来るという。
早速紅玉りんごをお願いした。紅玉らしい酸味がしっかりあり、うまみの量そのものが多い。むいた皮に水を入れて煮だし、そのピンク色に染まった湯で紅茶を入れたら、うっとりするほど香りのよいアップルティーが出来た。(ちなみに杜屋の紅玉りんごジャムはこのりんごで作りました。)
この後頼んだ巨峰も抜群のおいしさだった。一般市場には出回らない「親子ぶどう」といわれる一房に大きい粒と小さい粒が入り混じっているものだが、食べ比べてみると小さい粒の方が味が濃くて甘い。ご近所の方におすそわけしたら、翌日「あんなにおいしい巨峰初めて食べた。杜さん一体どこで買ったの?」と言われた。
十月二十五日(月)
我が家の裏庭に毎年たくさんの実をつける種類不明の果樹がある。調べてみると、どうやら「グァバ」らしい。そのままかじると甘酸っぱくてなかなかおいしい。しかし種が多い。「ジャムに向く」と本に書いてあったので、ボールに山盛りとれた実を砂糖と煮て裏ごししてみたら、何とたったの一瓶しかできなかった。それほど種が多いのだ。それは未だもったいなくて食べずにいる。
十月三十一日(日)
合計五十kgはあろうか、と思われる巨大な荷物が三箱、どーんと届いた。全て渋柿である。私の母の実家、宮城県栗駒町の家の庭木に実ったものだ。去年売り切れた「干し柿のケーキ」をまた今年も作るつもりだ。柿の皮をむいて一月余り干し、それを刻んでブランデー漬けにしたものをバターケーキ生地に焼きこむ。干し柿の深い甘みとブランデーの香りのきいた、大人の味わいのケーキである。
早速皮むきに取り組もう、と思って箱を開けて「やられたっ!」と思った。柿のヘタの上にT字型の枝がついてないのである。干し柿は、そのT字部分にひもをくくりつけて干すものだ。この柿は、仙台に住む父と弟がわざわざ栗駒まで行ってもいできてくれたもので、干し柿をどうやって干すか知らない彼らは、ただ無我夢中でもいでしまったのだろう。
うーむ…と思案の末、長い竹串で横に串刺しにして、竹串の両端をタコ糸で縦につないでいくことにした。げんこつ大の柿なので、竹串一本に二個しか刺さらない。それを五本縦につなげると手にずしりとくる重さだ。竹串がたわんで折れるのはかわいいもので、案の定、二階ベランダの物干し竿にずらりとつるしたら、ステンレスパイプの竿がたわみ、今にも折れそうだ。
翌日、夫の父の実家、岡山からまたしても渋柿が一箱届いた。数日前、渋柿が実ったと聞いたので、欲を出して送って頂くようお願いしたのだ。まさか栗駒の柿がこんなに大量にあるとは思わなかったので…。こちらの柿は全部T字の枝がついている。さすがである。無謀かと思ったが、全てベランダに干した。竿は何とか折れずにすんだが、さすがに洗濯物を干すスペースが無くなった。
この様を見たご近所の方から「柿干してるんですね。」とお声をかけられた。こちら静岡は温暖な気候のせいか、あまり柿のれんを目にしない。
十一月十日(水)
六日前に夫と車で家を出て東北を巡り、車の中に寝るスペースもないほどの果物を仕入れて今日帰宅。果物の他に、秋田県鹿角市で「しぼり大根」を、岩手県紫波町で「暮坪(くれつぼ)かぶ」を見つけて買ってきた。どちらとも辛味が強く、おろして薬味として利用する野菜である。しぼり大根は、かぶのようにずんぐりむっくりしていて、暮坪かぶは、大根なみに細長い。夕飯に、蕎麦とサンマの塩焼きを用意し、二つのおろしを食べ比べる。夫と一致した結論は、サンマにはおろしても水分の出ないしぼり大根が、蕎麦には辛くもほのかな甘みを感じる暮坪かぶが合う。特にサンマとキリッと辛いしぼり大根の相性は抜群だった。水分がほとんど無いので、サンマの味が薄まることがない。
この旅行中に食べた山形の道の駅「白い森おぐに」の「木苺ソフトクリーム」は、秋田県の道の駅ことおかの「こはぢゃソフト」に匹敵する味だった。四種類の木苺入り、とのぼりに書いてあったが、ボイソンベリーなんて見たことも聞いたこともない。力強く野太い甘酸っぱさで、後味もしっかり残り、食べ応えのあるソフトクリームだった。
帰路につく前、夫が仕事で新潟大学へ寄るというので、その間私は構内の駐車場にとめた車の中で昼寝をして待っていることにする。シートを倒し、頭と上半身に広げた新聞紙をかけてうとうとしていたら、女子学生とおぼしき二~三人の声が近づいてきた。「ちょっと見て~あの車!あの並んでるのしいたけじゃない?」「ほんとだ、やだ~臭そう~」…彼女らは、私の存在に気付かないまま車の正面まで来て、笑い飛ばしながら去っていった。…臭そうとは失礼な。私達はいつも車で旅行に出ると、産直で地元の生しいたけを買い求め、フロントガラスの内側に並べておくのだ。すると数日で立派な干ししいたけが出来る。そんなに匂うこともないが、去年、青森県の十二湖の湖畔で偶然見つけた天然のしいたけを干したときは芳しい香りが充満した。
十一月十二日(金)
朝起きてテレビをつけたら、隣の磐田市が洪水にみまわれていた。確かに夕べはずいぶん雨降るなと思って寝入ったが、こんなにひどかったとは…。朝から「雨大丈夫?」との電話が相次ぐ。幸い福田町は大したことなかったが、磐田市では避難勧告がでたらしい。磐田市にある砂糖屋さんに注文ついでに様子を聞くと、あと十五分雨が降り続いていたら近くの川の水が堤防を越えるところだったという。東海地震も近々来る予定だし、いよいよ自然災害が他人事ではなくなってきた。
十一月二十一日(日)
私宛てに「御殿場高原ビール」から宅配便が届いた。開けてみると五〇〇ml瓶の生ビールが三本も入っている。懸賞に当たったのだ!くじ運の全くないこの私が当たるとは!…かわって私の姉は、懸賞王である。映画の試写会チケットなんてザラで、サザンの東京ドームコンサートチケットから果てはデジカメまで、恐ろしいほどに次から次へと当選する。どうやら応募ハガキの書き方にコツがあるらしいが、子供の頃から、「全国で六名様にプレゼント」というおもちゃの懸賞に当たったりしていたのだから、並じゃない。
かつて、姉も私も小学生の頃、二人で連れだって近所の商店街の福引に行ったことがあった。そこでも姉は二等の醤油を当てた。私はハズレのポケットティッシュである。なんでお姉ちゃんばっかり…とくやしくてたまらず、福引係りのおばさんの目の前でビービー泣いた。すると困りはてた係りのおばさんが、景品であるはずの洗剤を一箱私に下さった。そこで私はピタリと泣き止み、帰宅した。せつない思い出である。
十一月二十二日(月)
明日は町の社会福祉協議会が主催する「福祉まつり」の日だ。何と私のお菓子も屋台コーナーの一角で販売させてもらえることになった。こうした公の場で販売するのは初めての経験である。二時間きりの販売時間で、どれだけの量が売れるのか検討がつかない。結局、カットして個包装したケーキを計十一種類一五一個用意した。一つ一つに値札シールを貼りながら、売れ残ったらどうしよう…との不安にかられ、どんより暗く落ちこむ。
十一月二十三日(火)
外は快晴。十時半までに徒歩十分の会場へお菓子を持ちこまねばならない。みかん箱に三箱分ほどの量である。いまだにペーパードライバーの私は、自転車の荷台に積んで押して歩いていくことにした。ところが、いざ出発!と自転車のハンドルを握ったとたん、あろうことか箱は突然くずれおち、自転車も横倒しに!やはり無茶だったか…。慌てて箱を開けてお菓子の無事を確認し、意を決して車で行くことにした。一㎞も離れていない距離、一般人は笑うだろうが、この恐怖はペーパードライバーにしか分からない。問題は駐車である。広い駐車場があるが、お祭りともなれば混んでいるだろう。しかし悩んでいる時間はない。車に乗ってエンジンをかける。五分もかからずに会場についてみたら、何とラッキー!入ってすぐの所に三台分連続で駐車スペースが空いているではないか!一発で白線の内側にとめる事ができた。
フタをあけてみれば、私のお菓子は三十分足らずでほとんど売り切れ、時間内に見事完売した。天高く澄み切った青空の下、晴々とした達成感を味わうことが出来た一日だった。
十一月二十八日(日)
隣の隣町、大須賀町の名産品「よこすかしろ」は、地元で栽培したさとうきびを搾って煮詰めただけの茶色いお砂糖である。一般の黒砂糖よりもアクは少ないがうまみがあり、そのまま食べてもおいしい。この日は、さとうきびの収穫イベントがあり、誰でも自由に収穫させてくれるそうなので、夫と参加する。身長の一.五倍程の長さのさとうきびの根元を植木バサミで切り、葉と穂先を落として束ねる。味見してみようと思って落とした穂先を拾ったら、「根元の方が甘いよ。」と言われたので、直径三㎝程の根元部分を短く切りとり、歯でかじって固い皮をむき、がじがじかじる。上品でスーッとした冷たい甘さが口中に広がる。
午後二時から、「ドルチェ倉庫」でチェンバロのコンサートが開催された。いつも休憩時間にお茶とケーキが出るのだが、実はこの日のケーキは、私が作らせて頂いたものだ。いつも作っていた方が風邪をひかれたとのことで、急きょ私が代打を務めることになったのだ。何とも光栄なことだ。生菓子を、と言われたので、昔仙台の喫茶店で働いていたときによく作った、「りんごのロールケーキ」と「バナナチョコロールケーキ」を持参した。目の前で自分の作ったケーキを食べてもらうこの緊張感。何度体験してもドキドキする。
十一月三十日(火)
午前中、何気なくテレビのスイッチを入れたら、お菓子研究家として名高い藤野真紀子さんが対談していた。私は二十歳の時、この方の「フランス・パリ八日間お菓子の旅」という、ケーキ屋を食べ歩き、道具屋で買い物をし、製菓学校で研修をする、といったケーキ好きにとっては垂涎もののツアーに参加したことがある。見た目は美人でおしゃれで、エレガントの言葉そのもののような方だが、実際は底抜けに明るく、よくしゃべる楽しい方だ。
この日の藤野さんの話が身にしみた。アメリカ暮らしの間にお菓子作りを習い、日本に帰国していざお菓子教室を始めよう、と思いダイレクトメールを三〇〇通出したら、たった一人からしか受講希望の返事がこなかった。今まで作ったお菓子をふりかえると、成功よりも失敗作の方がはるかに量は多い。でも、失敗を経験して、失敗をしない方法を覚えるのだ、といった内容だった。今でこそ大人気のお菓子研究家として活躍しておられる方にもそんな時代があったのだ。
十二月十三日(月)
車で京都、丹後半島へ。この前仙台の祖母から「そんなに遊び歩いてばかりいて、一体いつお菓子を作るのだ。」と一喝されたが、それでも懲りずに今日も出かける。
日本海に面した町、「間人」を目指す。間人と書いて「たいざ」と読む。この町の誇る「間人ガニ」とはいわゆる松葉ガニのことだが、間人港からほど近い漁場で捕獲し、その日中にセリに運び込む、という抜群の鮮度をうりにしたものらしい。でも特にカニに執着したわけではなく、ただ行ったことのない西日本の日本海側に行ってみたかっただけである。
穏やかで昔ながらの風情が残る、小さないい町だ。と、突如「間人ガニあります。」と書かれた大きな看板が目に入る。店に入り、おそるおそる値段を聞くと一パイ九千円から二万円だという。「足二~三本だけ買うことは出来ませんか?」とたずねようかと思ったがやめた。私はそこまでの大金を出してまで、と思う。が、夫はここまできたからにはやはり食べてみたいらしい。
もう一軒見つけた魚屋に入る。「お歳暮」ののしがついたスチロールボックスがズラリと並び、お店の人が間人ガニを三バイずつ入れている。一箱五万円はするだろう。こんなお歳暮をもらう人が世の中にはこんなにいるのだ。こちらのお店には一パイ四千円の小さいものがあった。「やっぱり小さいと食べるとこないですか?」と聞くと「そりゃ大きいのに比べれば食べられる量は少ないけど、でもおいしさは一緒だよ。」と言われたのでこれを一つだけ買うことにする。五百円もまけてくれた。感謝感激。小さくとも、ちゃんと間人ガニの証の、船の名前が入った緑のタグが付いている。
かにバサミが売ってないか、通りすがりにあったスーパーへ入る。店内の一角に「こっぺガニ」という名の三つで千円の手の平サイズのカニがたくさん並べてあった。とりあえず三つ買い求める。その後、近くの食堂に入り、千円の日替わり定食を頼む。間人ガニ料理は二万円からと書いてある。隣の席のおじさま二人組が間人ガニの炭火焼きを食べており、思わずのどがなる。
帰宅してから、こっぺガニとは間人ガニのメスのことだと知った。みそ汁にしたら非常に濃厚なダシがでて、またお腹に抱えた外子と内子も珍味であった。肝心の間人ガニは、とても上品な味わい。小さい割に食いでがあり、身をミソにからめて食べた。
十二月二十五日(土)
ご近所の方々が、クリスマスケーキを注文して下さった。生クリームと苺のデコレーションケーキだ。しかし六号(直径十八cm)のケーキ一台あたり生クリームと苺代だけで二千円近くかかる。
生クリームというものはそれこそピンからキリまであり、味で選ぶなら、何といっても種類別「クリーム」と表示された純乳脂肪の生クリームが一番だが、①値段が高い②分離しやすい③日持ちがしない。対して純植物性脂肪の生クリームは①とにかく安い②分離しない③開封しなければ、かなり日持ちする。使い勝手でみれば、当然植物性脂肪の生クリームに軍配があがる。しかし、某喫茶店店主の言葉を借りるなら、『「感動」を犠牲にして「便利」を追求したものに、果たしてそこまでつきあう必要があるのだろうか。』
十二月三十一日(金)
夫の実家の奈良へ。朝到着したとたんに雪がわさわさと降り一気に積もった。たわわに実った庭のはっさくの実にも雪が覆いかぶさり、枝がしなっている。
奈良市街へ出かけ、まず真っ先に「林神社」へ足を運ぶ。ちょうど一年前に初めて参拝したお菓子の神様をまつった神社だ。
この一年、自分の身の程以上にお菓子の注文を頂くことができ、また、お菓子作りをしていたおかげで素敵な方々との出会いもあった。そもそも、親類縁者友人皆無のここ静岡県福田町という小さな町に嫁にきて、外で勤めもせず、子供がいるわけでもなしに、ご近所にお住まいの方々と気軽に話せるようになったのは、お菓子作りをしていたおかげでもある。
今まで、B型で三人姉弟の真ん中という天恵の資質を発揮し、自分の好き放題にやりたいことだけやって生きてきたが、今こうして在るのは非常に恵まれていることなのだということを忘れずにこれからも歩んでいこう。という誓いを心の中で唱えつつ、賽銭箱に一円入れ、手を合わせて拝む。
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