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覚え書き7

岩手県北部にある浄法寺町は漆器の町。
瀬戸内寂聴さんの通う天台寺があるところと言えば分かるかもしれない。
きちんと作られたいい器を、大事に長く使う。そんな暮らしを大切にしていこうと思い、数年前に一度だけ訪れたことのある浄法寺町の漆器屋さんに立ち寄った。以前このお店で買った漆のぐい飲みがとても使い心地がよくて毎日使っているので、今度は漆のお椀を買おうと思いたった。
それにしても日本における漆の歴史は長いが、今どき国産の漆、しかも地場産の漆を使っているお店なんて数少ないのでは。それでもって輪島塗のように手を出そうにも出せないような高額では全然無い。製造者直売価格とはいえ、本当にこの値段でいいのかな?と心配になってしまう。

玄関で靴を脱いで上がる新しい立派なお店。
「どうぞお茶飲みながらゆっくり見てって下さい~」と気さくにお声をかけて下さったお店の奥様に、実は以前ここでぐい飲み買って~いつも年賀状頂いて~、と言ったら覚えていて下さった。

こちらは地震は大丈夫でしたか?岩手も沿岸地域は大変な状況ですよね。と震災のことを口にしたら、お店の方の息子さんが自衛隊員とのこと。ハイチ地震の支援に現地に行ってたんだけど、日本で震災起きてすぐに陸前高田、大船渡、釜石とまわって救援活動にあたってる。最初に陸前高田に行った時は、夜に現場へ移動したから状況がよく分からなくて。朝明るくなってみたら一面ガレキで驚いたって。現場の作業は大変みたいだけど、でも今おめだつ(あなたたち)が頑張らなくてどうするって言ってやったんですよ・・・
沿岸の人達は家流されて、家財も何もかも無くなっちゃって、まだ行方不明の人もたくさんいるし、助かった人の話を聞くとそれぞれの人それぞれにドラマがあって。本当に大変なことですよね・・・。

どうぞゆっくり手にとって見てって下さいね~。
下手に手で触って指紋をつけるのもはばかれるような見事な工芸品だが、遠慮なくあれもこれもと持ってみる。
そうこうしている時に新しいお客さんが訪れ、と同時にお店の方が歓声をあげた。
「あーーーお客さん!無事だったんですね!良かった!!」
ご夫婦で訪れたそのお客様、何と岩手県宮古市の方だそう。今回の津波で自宅が襲われてしまった。地震の数日前にこの漆器屋さんがその宮古のお客様のご自宅へ注文品を宅急便で送ったのだけど地震が起きてしまい、未払いのままで日が過ぎてしまった。もしかして津波で亡くなられたのかな、と思っていたとのこと。ご無事で本当に良かった。

その宮古のお客様いわく、津波をかぶった自宅を片付けてまだ使えそうな食器は洗ってるんだけど。津波って下水とかヘドロとかもみんな一緒くたになってるから。やっぱりキズついてザラザラになってるのもあるし。これもダメ、あれもダメ、という感じで処分したら、使える食器がみんな柄違いになってしまって。家族で食事するのに、やっぱりみんなの器が揃っていた方がいいなと思って食器の買い出しにきたんです。

私なんぞは食器は一枚単位でしか買ったことがないが、通常お皿は五客セットになっているものが多い。
そういえば昔ながらの祖父母の家は同じ柄の器が揃っていたな。

その話を聞いた漆器屋奥さん「食器って瀬戸物でもいいですか?!もし良ければ、同じ柄の瀬戸物がたくさん在庫あるから、必要なだけ持っていって下さい」どうぞどうぞお客さんも一緒に。と言われて私もお店の中の階段を上がり、ストックスペースへおじゃました。
段ボール箱にいっぱいの食器。定番のシンプルな柄の器が揃っている。お皿も大小、小鉢や丼椀、煮ものを盛るのに良さげな中鉢などなどみんな新品。一枚一枚新聞紙で丁寧にくるんであるのをほどきながら、これもどうぞ、こっちも良かったらどうぞと手渡す。家族分に必要な枚数だけを選んで箱に詰めていた宮古のお客様もうれしそう。お客さんも欲しいのがあればどうぞどうぞお持ち下さい。とすすめられたけど、揃いの食器。これは必要としている人がたくさんいるハズ。お気持ちだけ頂きます~と辞退して、お客様の選んだ食器の箱を店舗まで運ぶのを手伝った。

漆器はさんざん迷った挙句、中サイズのお椀、ケーキ皿、納豆鉢(スプーン付き)、黒と赤を1つずつと、カトラリー数種購入。ケーキナイフをおまけに下さった上、値段までまけて下さった。「えーーかえって申し訳ないからいいですよ~。このお店がつぶれたら困るし」と言ったら笑ってた。今回泊めてもらった仙台の叔母に全部を開け広げて見せびらかしていたら、納豆鉢を気に入ってくれたのでそのまま置いてきた。またいつか直接買いに行きます。
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覚え書き6

いつも旅日記はデジカメ写真を整理するところから始めていたが、膨大な写真を整理してる間に時間が足りなくなって、しかも旅の記憶も薄れていくので、今回はとりあえず文章だけで書けるだけ書いておこうと思った。

秋田の後は弘前へ夜桜見物。弘前城の桜の見事さは全国に知れ渡っている。夜7時過ぎても大勢の人。
通常、桜の寿命は70年~80年と言われているが、弘前城の桜は100年以上経た古木が300本以上あり、桜の木の管理方法も注目されているのだそう。桜の管理をする仕事って確か桜守(さくらもり)って言うんだよな。桜守という職種もきっと日本に古くからある仕事だろう。いい仕事だ~。もしも自分がまるで別の人生を歩むとしたら、花火師になりたいなと思ったことがあるけど桜守もいいな。

それにしても夢のように美しい。ちょうど満開花見頃。古木の枝垂れ桜に近寄ると、まるで巨大な桜のドームに覆われたように、360度視界と頭上全部桜色。うわ~とか、は~とか、すご~いとか、きれ~いとか、そんな言葉しか出てこない。
うちの玄関前にある杏の花は色も形も桜の花にそっくりで、毎年庭で杏の花を愛でるのは楽しみのひとつだけど、桜の木と何が違うかというと、花の付き方と花の量がまったく違う。桜は花が咲くだけで実はならない(品種によるが)。花を咲かせ実を結ぶために注がれる樹のエネルギーと、ただ花を咲かせるそれだけに全エネルギーを注ぐのとでは、花の数や勢いに差があって当然かもしれない。

弘前城の周りにお堀があり、その水面に桜が写った様相も素晴らしい。風で水面がかすかにたゆたい、幻想的に揺らめく桜の姿を眺めていると、この世からあの世をかいま見てるような不思議な気分になってくる。生と死は紙一重。隔てているのは水面一面だけ。そんな感じ。

パシャパシャと思いのままにカメラのシャッターを押したけど、この桜の感動はやはり現地に行って自分の目で見ないと感じられないだろう。
テレビやWEBの動画や本や雑誌の写真。
他の人の目線で切り取った画像からは絶対に分からないものがあると、今回あらためて痛感した。
弘前城の桜も。津波被災地現場のガレキの山も。
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覚え書き5

連休の中二日で秋田~青森~岩手とひとめぐりした。
秋田県大潟村といえば、知る人ぞ知る、知る人にとっては聖地のような場所なのかもしれない。
公道との交差が無いとてつもなく長いレースコースが存在する村。昔ソーラーカーレースに取り組んでいた夫はこの場所へ赴いた回数は数知れない程。でもずっと前に手をひいているので今回はただ見物にきただけ。ちなみに私はソーラーカーのレースだと現場に来るまで思いこんでいたのだが、今回はエコノムーブ、すなわち電池自動車のレースであった。と言われてもイマイチぴんと来ない車オンチの私。車両の形はソーラーカーもエコノムーブも同じに見える。モスラみたいな感じ?

工業高校や大学、個人での参加チームを含めメカ好き男子の園(とはいえ少数派だけど女性もいる)。こういうの好きな人はホントに好きだよな~皆目が輝いている。オットは昔お世話になった方や知人も複数いるので、どこどこのチームの誰誰さんが、とか色々説明してくれるのだけど右から左へ聞き流す。何か私、居場所が無い感じ。普段オットと一緒に私の行きたい雑貨屋さんやケーキ屋さん巡りをすると、オットは「俺外で待ってるから」と言って店を出てしまうことが多い。「だって何か女子の園みたいで居心地悪いんだもん。」レース場は、その逆パターンであった。

でも今回は予選で1位になったチームのドライバーの方がオットの知り合いで、しかもその方、去年の第一回暮らしの菓音イベントにも東京からはるばるいらして下さった上に第二回菓音のチャリティセットまでご購入下さった杜屋の大事なお客様。となれば雄姿を見過ごせない。
レース開始早々、ダントツのスピードでトップをキープ。トップでそのまま順調に終了。2時間の制限時間内の走行距離を競う。ゴールして車から出て満面の笑みでガッツポーズをする瞬間を見たかったが(実際そうだったのかは知らないが)、片道3kmあるコースの折り返し地点へてくてくと歩いて行って戻ってくる間にはるか先の方で終わってた。

売り上げを震災義援金に充てるというチャリティカレーをぱくぱく立ち食いしてたら、優勝を手にして爽快な表情のその方にぱちり写真を撮られてしまった。
ついでにちょっと立ち話。これで3年連続優勝だそう。三連覇!えーーそれはすごいですね!ベストエンジニア賞!おめでとうございます!そうそうちなみに(何もちなんでないのだが)菓音チャリティセットのご注文ありがとうございました。私のブログってお母様が見て下さってるんですか?いや自分です。ブックマークしてるサイトの中に杜屋さんのブログを入れてて、その中でも特によく見るリストの中に入れてあるんです。チャリティセットのお菓子もこの車作るの手伝ってくれてるメンバーの人達と一緒に食べました。皆おいしいって言ってました。それにしても文章上手ですね。(そこまで言ったっけ?)えへへぐふふと頭をかきかきお話してたら、地元誌の取材の方が近寄ってきたので我々はすみやかに撤収。


大潟村の東にある「道の駅ことおか」へ。ここの道の駅も多分5、6回は来てる。
何と言ってもお目当てはレストランの「こはじゃソフト」。これが私はめっぽう好きなのだ。ブルーベリーとカシスを足して割ったような酸味、なめらかでシルキーな口溶けがたまらない。ソフトクリーム的にとてもバランスが良く完成されている。しかも今どき¥250のお値打ち価格。
この地方で「こはじゃ」と呼ばれる果実は「ナツハゼ」と言う名前のツツジ科の果樹。この味に惚れこんで私は長野に借りてる果樹畑にナツハゼの苗を大量に植えたのだ。こはじゃソフトが紹介された新聞記事のコピーが店内に貼ってあった。なんとこの「こはじゃ」は栽培しているのではなく、山に自生しているのを秋に採りに行っているのだという。うーーむ。天然モノであったか~なるほど。だからこその自然の風味が後を引くというか体にしみるおいしさなのかも。ご当地ソフト、あなどりがたし。

以前は無かったクレープ屋さんが道の駅の駐車場に出店していて、メニューに「こはじゃバナナ」があったので買ってみた。クレープ生地にバナナと生クリーム、それにこはじゃのジャムがたっぷり入っている。実のままのジャム。ブルーベリーバナナクレープと同じ感覚でこれはこれでおいしかったが、こはじゃの実って意外と皮がしっかりしていて細かな種がたくさんある。こはじゃソフトは粒入りではなくなめらかタイプなので、ソフトクリームベースに加える前に裏ごししてるとか、なにかしらの手間をかけているのかもしれない。

そして「こはじゃバナナ」と一緒に「なまはげ」クレープなるものを買ってみた。我ながら食に関してはチャレンジャー。レタスと手づくりカツとタルタルソース、それに「いぶりがっこ」のスライスをちりばめてクレープ生地で巻いた塩味クレープ。「いぶりがっこ」は沢庵を煙でいぶした秋田名物の漬け物。
「なまはげ」か~ネーミングって難しいよな~と思いながらぱくっとかぶりつく。しっとり優しいクレープ生地にシャキシャキレタス、そこにいぶりがっこのポリっとした食感とほのかなスモーキーフレーバーが広がる。むむむ。もうひと口ぱくり。カツとタルタルソースもたっぷり。もうひと口。もう少しぱくり・・・あ、オットと半分こするつもりだったのに。「なまはげ」クレープ、これはB級グルメ的にかなりハイレベル。
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覚え書き4

実家より広い叔母の家に泊めてもらい、朝起きてテレビを見ていた。
「震災関連情報」がテレビ映像の枠の上に字幕みたいな感じで絶えず流れている。
地元宮城の情報が中心。「陸前高田でボランティア急募」などの文字も。
仙台駅ステンドグラス横に設立された助け合いジャパンの震災情報コーナーでは「GW中はボランティア受付休止」の情報も多かったが、人手が足りてる地域と足りてない地域の落差が大きいのかもしれない。
後日、気仙沼市の津波被害地域渦中にある方とお会いしたら「GW中に来るボランティアは頼りにならない人が多い」ということをちらりともらしていた。確かにそれは自分も含めてそうかも。でも「ボランティアしたい」という人手が集まる時に一気にその力を活用できないものだろうか。なんて思うが、そう単純なことではないらしい。「ボランティアしたい人」と「ボランティアして欲しい人」その調整の困難さ。

5月1日は私の誕生日。90歳超の祖母と1歳の姪含め一族総勢10人が終結。
「どこかでボランティアしたい」という話をしたら、姉が「自分はボランティアする、という気には到底なれない」と言った。
仙台で暮らす人は実際ものすごい揺れを体験して怖い思いをしてるし、過酷な津波被災地域の現場に足を踏み入れる気にはならないだろう。その気持ちも分かる気がした。
今回、東北入りしたその日に思いがけないツテが生まれて、気仙沼市と南三陸町の現場で3日ほどほんの少しだけお手伝いさせて頂くことが出来た。
無事終えて結論として思ったことは、人の労働の偉大さ。
ボランティアの手はあってもあってもあっても足りないくらいだと思った。
そして姉が言うことももっともだ。
壊滅状態なのは岩手、宮城、福島の海岸地域一帯である。内陸は沿岸に比べてはっきり言えば天国と地獄ほど違った。しかし東北内陸に住む人は、沿岸で被害を受けた人と親戚だったり知り合いだったり友人だったり、という縁を持ってる人が多い。そういう縁があれば、個人的に支援したり物を送ったりということを言われなくてもやるだろう。
だからこそ、縁の少ない東北以外の人、被災現場から離れた場所で暮らす人達が交代で長期広域にボランティアすることが大事だと思うのだ。
今回気仙沼のボランティアに参加されていた大学生さんは東京の方で、とあるNPO法人にボランティア登録して1週間交代で代わりばんこに現場へ入ってボランティアに来ているとのこと。震災被害の無い人だって仕事や学校や家庭があるし、鍛錬されている自衛隊員と違って一般人が延々とボランティア活動していては疲れる。「1週間交代」くらいが、ちょうどいいところかもしれない。
それがこの先何年も、1年、2年、3年・・・果たしてどのくらいかかるのかは私には計り知れないが、この先何年も続けば「手助けしたい」という意欲のある人の無償の労働力が、破壊された町を再生させる大きな力に成り得ると思う。

静岡県の社会福祉協議会でもボランティア募集してます。
http://www.shizuoka-wel.jp/content1/sinsai/
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覚え書き3

ハタチの時から通っていた焼き鳥屋さんが仙台にあり、そこの板前さんが独立して出したお店がオット共々大のお気に入り。仙台に帰省すると必ず行く。静岡に引っ越してからは1年にたった1度行くだけなのに、顔を覚えていてくれてうれしい。
いつ行ってもお客さん一杯で予約も出来ないことが多くて、好きなお店が大繁盛しているのはうれしいけど、気軽に入れなくなったら困るなぁ。そんな「あまり人に教えたくないお店」が、ホテル仙台プラザの横の
焼き鳥屋さん「土竜(もぐら)」。

しかし、ホテル仙台プラザがつぶれたなんて、全然知らなかった。しかもその近くの三井アーバンホテルもいつの間にか別のホテルになってた。一度も泊まったことないけどどっちも一流ホテルだったよな~。
プラザはそもそも閉業の予定だったけど震災があって閉業時期が早まったそう。やっぱり震災の後はお客さんの数が減りましたね~と親方さんの談。それでも奥のテーブル含めカウンターいっぱいのお客さんの談笑が響く。家呑みと違い、居酒屋さんで呑むのは他のお客さんもいて楽しそうな雰囲気の中で自分も楽しく呑めるのがいい。それもひとえにこの店の親方さんのにこやかで穏やかなお人柄のおかげ。

とりあえずビールをくいっ。焼き鳥をぐいっ。ふう。あ~やっぱり来て良かった。心からくつろげてほっとするこの居心地のよさは何なのだ。焼き鳥も鳥料理も日本酒も抜群においしいし、焼酎の品揃えもハンパ無いし、その上リーズナブル。焼き鳥のせせりと大動脈、はまるおいしさ。鶏のミックスもも焼き、いろんな部位が入っていてこれ一皿だけでも酒三杯はイケる。
え~っと一体何倍呑んだっけ。いつもシメに欠かせない焼き鳥丼と一緒に、今回は鶏スープもオーダー。焼酎のお湯割りを呑むような素焼きの細長フリーカップに入った鶏スープ。絶品。ご飯ものと一緒だと¥100。安い!うまい!幸せ!
行きは歩いてきたけど、帰りは匂当台公園から全線復旧開通したばかりの地下鉄に乗って帰宅。ホームと線路の間に新しく柵が出来ていた。
毎度のことだけどまた実家への道を間違った。帰省する度に新しい道路が増えている。見慣れぬ新しい建物があって、これ何だ?と思ったら、アンパンマンミュージアムだって。仙台駅東口の風景の、この15年の様変わりはすさまじい。
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覚え書き2

29日の夜に静岡発。仙台の実家へ帰省旅の行きも帰りも高速を使うのはこれが初めて。
特に渋滞もなく、帰りは仙台から7時間で静岡の自宅に着いた。早い!下道だとその3倍はかかるのに。
震災から2ヵ月弱。東北の道路状況がよく分からないまま出発した。
渋滞はしてないか、道路は復元されたのか、海岸線は通行出来ないのか。
被災現場へは行くべきではないのか。
途中のSAで寝て、30日に一路仙台へ。

青々と緑豊かな初夏の様相を見せていた山々が、福島の手前位から北上するに従って
桜まじりの萌黄色になってきた。頂上付近には雪。
自衛隊車両とともに、「災害支援」と書いた一般の車も多かった。
蔵王のSAで「ずんだ餡入り薄皮タイ焼き」を買って食べてたら自衛隊の人も並んでタイ焼き買っていた。
そうか自衛隊員さんも普通にタイ焼き買ったりするんだ~と思って遠目に眺めていたけれど
「お疲れ様です」の一言をかければ良かったな。支援活動する人を励ますのも小さな支援かも。
そうそう、今回は仙台の叔母に寝食を大変お世話になった。
今回の旅は休暇半分、ボランティア半分となったが、ボランティアをする人をサポートする人も欠かせないな~と思った。真っ当な食べ物、お風呂、寝床。

「ありとあらゆるものがひっくり返って散乱した」と聞いてた実家は親がきれいさっぱり家の中を元通りに片付けていた。一見何事も無かったかのようだが、壁に穴がぽっこり空いてたり床がざらざらに擦り切れていたりした。タンスや棚は半分の高さになっていた。マンションの外壁には亀裂が入った場所に白いガムテープが縦横無尽に張られ、建築診断?の「立ち入り警戒」みたいな紙が入り口に張ってあった。一番外壁にもヒビ。でも普通に生活。ガスも先月復旧。

東北に入ってから「がんばろう東北」「がんばろう宮城」という文字が目につくようになったけど、仙台の街中はあまりにも普通で大勢の人が普通に往来していて駅前のパルコとかお店も普通に賑やかに営業していて、あまりにも平穏で豊かな風景に正直ちょっと拍子抜け。屋根にブルーシートをかけているお宅は確かにいくつもあるが、建物と道路被害は今回通った場所で言えば、古川と北上川沿岸の登米のあたりの方がひどかった。言うまでもないが沿岸地域の被害はその比ではない。
震度7を記録した栗原市で暮らす祖母と電話で話をした。数年前の岩手宮城内陸地震の時に、瓦が落ちた屋根とタイルがバラバラにはがれたお風呂を、ん百万かけて直した。だから今回は揺れが強くても家の被害はほとんど無かった。前回お墓の石が倒れたけど、その時にがっちり固め直したおかげで今回は墓石も倒れなかった。

とりあえず仙台に帰省という口実で出かけたが、出来ることなら被災地でボランティアをしたいと思った。
でも事前に「ゴールデンウイーク中はボランティアが大勢くるからいったん受け入れを休止する」「海岸線は渋滞を避けるためにマイカーでの通行は控えて欲しい」という情報を耳にしていた。
微力でも手助けしたいけど迷惑をかけることはしたくない。東北の旅館やホテルはお客さんが激減して大変だと言うから、じゃあ車中泊やめてどこか温泉宿連泊でもする?東北でお金を使いまくる旅に切り替える?どうする?どうしようか?
まあちょっと様子を見てみるか。
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佐賀の苺農家さんから提供頂いた苺で作ったチャリティ苺ジャム、仙台のメリーズさんへ直接お届けする予定です。
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やっと仙台に着いた~目の前をるーぷる仙台が通過。
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