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口先と裏切り、橋下 徹新党の正体

口先と裏切り、橋下 徹新党の正体①

 政策はまるで違うのに自民・安倍を担ぐ矛盾

 2012年9月4日日刊ゲンダイ

 解散時紀や候補者も決まっていないのに、橋下徹大阪市長率いる「維新の会」が次期総選挙で大躍進し、国会を席巻するかのような報道があふれている。

 こうした論調に惑わされているのか、「維新の会」には有象無象が押し寄せている。橋下らは今月9日連携を望む首長や国会議員らを集めて公開討論会を開催する。

 そこで自らが掲げた政策「維新八策」に対する踏み絵を踏ませて、候補者を選別する気だ。何やら独裁者気取りだが大半の新聞やテレビや週刊誌は橋下市長らの発言を受け売りするだけで、そこに見え隠れする矛盾や問題点を検証・批判しようとしない。

 橋下 徹とは何者なのか。維新の会は、何をやろうとしているのか。突き詰めていくといくつものおかしなことが出てくるのだ。

 政策がまるで違うのに自民党・安倍を担ぐ矛盾

 中でも見過ごせないのが最近急浮上している自民党安倍晋三元首相との連携話だ。党首を打診との報道もあった。

 これまで維新の会は、「環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)への考え方が異なる」として小沢一郎民主党元代表との連携を拒否した。「基本政策の一致」が大原則と、声高に強調していたものだ。

 しかし、維新の会と安倍の政策はずいぶん違うのだ。確かに安倍と維新の会は憲法改正や教育基本法などでは一致する。しかしたとえば原発政策ではどうか。

 少なくとも安倍は橋下のように関西電力との対決姿勢を鮮明にし、声高に再稼働に反対したことはない。原発再稼動容認の自民党の方針に異論を唱えたこともない。かなりの温度差があることは否めない。

 安倍は週刊誌のインタビユーで「橋下維新と協調し民自公談合連立を潰す!」(週刊ポスト・9月7日号)と勇ましかった。しかしその一方で7月末に行われた山口県知事選では自公推薦の候補者を支援。

 それも消費増税で余裕ができた財源で建設国債を発行し、積極的な公共投資を行う政策を訴えていたのだ。

 「維新の会」は現行での消費税増税反対だからここでも安倍との姿勢は大きく異なる。

 そんな安倍がなぜ党首候補なのか。結局「維新の会」の実態は政策集団というよりも、領土問題や、歴史問題で対外強硬姿勢を取る極右集団ではないのか。そんな疑念が出てくるのだ。

 維新八策は建前論か

 「安倍元首相との連携を進めているのは、堺屋太一氏と松井大阪府知事です。『維新の会にリーダーとなる国会議員がいないのでこのままだと烏合の衆になってしまう』という危機感から安倍さんを口説こうとしたと聞いています」(維新の会事情通)

 理念や政策の一致は、単なる建前論なのだろう。

元改革派通産官僚で橋下市長のブレーンでもある古賀茂明氏も「『安倍元首相は改革派』と思っていたので、

山口知事選での“公共事業バラマキ発言”には驚いた」と話している。

 「既得権益の打破」にひかれて「維新の会」に投票したら、第2次安倍政権になっていた-―。これじゃあ国民は騙されたことになる。  続く

 

 

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石川重弘カメラマン救出作戦②

石川重弘カメラマン救出作戦②

 

55回

 交渉に交渉の結果、日本にはマシンガンは一丁もないということで、この条件は蹴ったが、問題は「身代金」である。結局7000万円から3000万円まで引き下げはしたのだが、さりとて私らにおいそれと3000万円が工面できるはずもない。

 わたしは重い足を引きずって、多方面に頭を下げて歩く。同情はしてくれるが、「よし、出してやろう」と言ってくれる人は一人もいなかった。

 そこで私は、初めて後藤忠政氏に相談する。後藤氏は黙って私の話を聞いていたが、「判かりました。野村さん3000万出しましょう。しかし俺は誘拐されている石川という青年とは、縁もなければ義理もない。

 あくまでも野村さんの“浪漫”に賭けるんです。その位の金なら、私の家を担保に入れたって何とかなりますよ。思い切って、存分にマニラを駆け巡ってくればいい・・・・」これが後藤氏の私への返事だった》

[野村秋著介著『美は一度限り』二十一世紀書院]

 野村さんとの出来事といえば、もうひとつ糸山英太郎元自民党衆議院議員の襲撃事件なんかもあったなぁ。

 

糸山英太郎襲撃事件

 ◎糸山英太郎は中曽根康弘元首相の秘書を経て1974=昭和49年石原慎太郎・現東京都知事の後押しで自民党から参議院選に出馬し32歳で初当選した。

 1983=昭和58年から衆議院に鞍替えし、1996=平成8年、任期途中に辞職した。政界引退後は家業の新日本観光の会長に就任。

 仕手筋としても有名で、2010=平成22年に経営破たんし、上場廃止となった日本航空の個人筆頭株主としても知られた。

 又、故笹川良一(元、日本船舶振興会会長)とは姻戚関係にある。

 その糸山を、後藤組「良知総業」(良知政志組長。後の「良知組」。後藤の引退後、山口組直参に昇格)幹部が襲撃するという事件が起こったのは1986=昭和61年6月のことだった。

 この後藤組による「糸山襲撃事件」に至る顛末については、野村と生前、親交のあったジャーナリスト山平重樹による『人間ドキュメント 野村秋介』(二十一世紀書院)に詳しい。

 《昭和60年12月19日夜、野村は帝国ホテルへと急いでいた。先ほど後藤忠政率いる後藤組の若い衆から連絡が入ったばかりだった。

 「先生、今うちの親分が糸山英太郎と会ってるんですけど、刑事に取り囲まれて大変な騒ぎになってるんですよ」

 後藤が糸山と会うということは、野村には初耳だった。

 「どうしたんだ?」

「ええ、今日、糸山から親分のところにどうしても会いたいっていう連絡が入ったもんで、有ってるんですけどどうにも身動きが取れない状態なんですよ」

 「よしすぐ行く。ちょっと時間稼いどいてくれ」

 野村はここに至るまでの後藤と糸山とのいわく因縁を知っていただけに、糸山の焦りが目に浮かぶようであった。

 もともとこの問題は野村が当初から大きく絡んでいた。[そうか…パ―テイ―はもう明日なんだな]  続く。

 

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