スニーカー履いて

‘猫’も歩けば・・・今日はどんな出会いが?

港区・お台場

2008-11-30 | 東京・川崎

品川駅から歩き始め、運河伝いにレインボーブリッジを目指します。


平成5年にオープンした東京湾の新()名所、橋の構造は二重に
なっていて、上段は首都高速道路、下段は中央がゆりかもめの軌道
その両側に一般自動車道、一番外側が遊歩道になっています。


じつは私、橋を歩いて渡るのは初めてでしたが、風が強いうえに
車の騒音と排気ガスが気になって快適とは言い難かったです。
でも、眺望はとてもすばらしかったですよ!



品川埠頭


東京港第一航路


有名なあのビルも




橋を渡り終えてから、台場公園(第三台場跡)を散策しました。
ペリー来航を機に1年かけて造られた五角形の人工島です。
広々とした緑の中に砲台や住居跡が残されています。



人工の海浜とビル群との不思議なコントラスト



台場地区の「デックス」にある「台場一丁目商店街」を覗いてみました。
昭和30年代の下町の横丁を再現し、20余の店が並んでいます。
おもちゃ箱をひっくり返したような賑やかさ!


オート三輪の綿あめ屋さん





外に出て、自由の女神像の下を通り


さらに先へ歩いていくと、キリンの行列!



「船の科学館」の前に「宗谷」が係留展示されていました



あと少し歩いて「東京テレポート駅」まで
19,119歩と頑張りました~

コメント (3)

皇帝ダリア

2008-11-29 | 花散歩

昨年のちょうど今ごろ、高台にあるお宅の庭の木に
大きなピンクの花がたくさん咲いているのを見かけ、
下の道を通る度に遠目ながら「何の花だろう?」と
見上げていたことがありました。


今年はあちこちでその花を見かけ、
「皇帝ダリア」という名前を知りました。

「くりはま花の国」にたくさん咲いていると
聞いたので行ってみることにしました。


これこれ、この花!


こんなにたくさん並んでいます



「皇帝ダリア」 キク科
別名:「木立ダリア」「帝王ダリア」


高さ3~5mにもなる幹(茎?)から枝を伸ばします。
枝の付き方がおもしろいですね!




これが蕾




陽の当たる場所に咲いている花は
まさに「皇帝」の気品(?)




「昨年は台風の被害を受けてしまったが、今年は
その心配もなかったのでこんなにきれいに咲いた」と
公園管理の方も喜んでいらっしゃいました。

コメント (4)

海岸の散歩

2008-11-28 | 散策

お天気の回復が予報より早く、朝のうちに暖かさが戻ってホッ
日差しに誘われて海岸まで散歩に出かけました。


海辺は風が強く、白い波が立ち波音が響いていました。


ザッブ~ン!





海岸通りには、もう水仙がだいぶ咲いています



色の少ないこの季節、サボテンがけっこう目立ちます


海は、もうすっかり冬の色ですね。

コメント (2)

さざんか

2008-11-26 | 花散歩

散歩の途中、よそのお宅の庭に「さざんか」が
咲いているのをよく見かける季節になりました。



「さざんか」を見かけるといつも「焚き火」を
連想してしまうのは私だけかな~? 
きっとあの童謡のせいでしょう(笑)

  

そういえば、近頃は「焚き火」も「霜やけ」も
とんとお目に掛からなくなりましたけれど・・

「さざんか」は今年も季節を告げてくれています。



冬将軍はもうそこまで来ているようですね。

コメント (4)

紀伊白浜の海岸美

2008-11-22 | 他県

「橋杭岩」


海の侵食による大小40ほどの岩柱が約850m
にわたって並んでいます。

その昔、弘法大師が向かいの大島に渡る橋を架けようと天邪鬼に
手伝わせたところ、疲れた天邪鬼が鶏声を真似たため大師が夜明けと
間違えて橋を架けるのを断念し杭だけが残ったという伝説があるとか。


「三段壁」




黒潮寄せる紺碧の大海原に、
km
わたって屹立
する高さ50
60m大岩壁。

崖下の洞窟は、平安期の熊野水軍の船の隠し洞窟
あったと
伝えられます。
吹き曝しの岩場に立って
下を覗き込むと、吸い込まれそうな迫力!

岩場の上に弁財天社務所によるこんな立て札


これが水軍船(模型)



「千畳敷」


太平洋に向かって岩畳が広々と広がっています。
打ち寄せる
波で階段状に幾層にも削られた自然の匠のなせる岩の造形。


夕映えの「円月島」


紀伊白浜の代表的な景色が、夕日に
美しいシルエットを見せてくれました。




私たちの今回の旅もここで終わりです・・
大門坂から12,150歩でした

コメント (21)

熊野古道を往くⅤ

2008-11-21 | 他県

「大門坂」は那智大社に通じる古道です。

南方熊楠さんが3年間滞在し粘菌の研究を行ったという
「大阪屋旅館跡」の前を過ぎて、鄙びた感じの鳥居をくぐると
小さな赤い橋「振ヶ瀬橋」が俗界と霊界を隔てています。



杉並木手前の「大門茶屋」では有料で時代衣装を借りられます。
ツアーの女性が変身! ちょっとした撮影会になりました

後方左右の巨木は、幹周り8m 樹齢800年という「夫婦杉」
此処の杉たちも、南方熊楠さんのご尽力で残ったものだとか。


ここから約640mは、100本以上の杉木立と
緩やかな
467段の石段の坂道が続きます。




右手に「多富気(たふけ)王子」の碑 
最後の王子社跡です




大門坂を上った先にあるかなりな階段は、那智大社への
表参道。両側には那智黒など土産物を売るお店が並びます。


朱塗りの鳥居をくぐり「熊野那智大社」に参拝。
これでようやく熊野三山参拝が完了ました!


隣接する国指定重要文化財「那智山 青岸渡寺」
このお堂は、豊臣秀吉が再建したものだそうです。


境内から朱塗りの三重塔越しに「一の滝」が見えます。
雨上がりの霧が晴れて絵のような眺め


いにしえの参拝者も、あたかも天上に居る
ような心地がしたのではないでしょうか。




石段を下って滝への道を進んで行きます。今朝方の雨で濡れて
滑りやすい自然石の階段を一段一段注意深く下りて行きました。
おっかなびっくり振り向いてパチリ



とうとう到着しました!
「那智の滝」と親しまれているこの滝は
「那智四十八滝」のうちの
一の滝で幅13m 落差133m


日本一の直瀑は、今回の熊野参詣のフィナーレに
ふさわしい荘厳さをたたえた素晴らしい滝でした。


このあと、ツアーバスは紀伊白浜の景勝地を訪ねます。
あと少しだけお付き合いくださいね!

コメント (4)

熊野古道を往くⅣ

2008-11-20 | 他県

元来 熊野本宮の社殿は熊野川・音無川・岩田川に囲まれた
中州の大齋原(おおゆのはら)という所にあったのですが
1889(明治22)年の大洪水で被害を受け、流失を免れた
上四社の社殿が先刻訪れた現在の場所に移されました。

大齋原(旧大社跡)の大鳥居
高さ34mの大鳥居は平成12年に再建されたものです。
中辺路の途中 見晴台から見えたのはこの鳥居です。



鳥居を入って行くと緑の中の広い草地になっていて、洪水で
流失した中四社、下四社の神々が石祠に合祀されています。


嘗て此処にあった大社は11千坪の境内に512社が建ち
並び、回廊を巡らした桧皮葺の壮麗な社殿だったようです。

次に訪れたのは熊野三山の2つめのお社
「熊野速玉
(はやたま)大社」

参道の先の神門を入ると


鮮やかな朱塗りの瑞垣の向こうに、昭和に
なって再建
された社殿が建ち並び、熊野速玉大神・熊野結大神の
2柱の夫婦神を主神とする神々が祀られています。


熊野権現といえばカラス文字の護符「熊野牛王宝印
速玉大社の護符はカラス48羽で文字が描かれています。


熊野権現の使者 三本足の八咫烏は、神武天皇御東征の砌
熊野山中の道案内をしたという伝説で有名ですよね。よく
方向を知り未知の地への道案内をする鳥とされています。


日本サッカーとの由縁ははっきりしないそうですが、
草創期に関わった方が熊野に縁のある人だったらしい
という
話を語り部さんから聞きました。

発心門王子からここまで13,230
楽しい道だったので、疲れは殆ど感じませんでした

コメント (8)

熊野古道を往くⅢ

2008-11-19 | 他県

「発心門(ほっしんもん)王子」です。

以前は大きな鳥居があり、人々は門前で御祓いをして
身の引き
締まる思いで大鳥居をくぐり、いざ
熊野本宮の聖域へと入って行ったのです。


のどかな里山風景を眺めながら、舗装道を歩きます。
道端には
手作り工芸品を展示していたり
水流で動くユーモラスな鳥や人形があったり
   


「水呑(みずのみ)王子社跡」は廃校の傍にありました。


気持ちの良い杉林の道が途切れると
茶畑が広がり、柿の木には鈴なりの実。
   


やがて小高い丘の上に「伏拝(ふしおがみ)王子社跡」


ここから遠く本宮が見えるので、ここまで
辿り
着いた参詣者が感動して伏し拝んだのでしょう。


再び林に入り、趣のある石畳の古道を歩きます。



「右 高野道 左 紀三井寺」の道標がある「三軒茶屋跡

此処は高野山からの参詣道(小辺路)との合流点で、昔は関所が
設けられ、関銭のない者は路傍で待っていると、通りかかった
お大尽が施してくれたとか。神の前では皆優しくなったのですね。


少し先の見晴台から旧社殿跡「大齋原(おおゆのはら)」の
大鳥居が
望めます。旅人の喜びが伝わってくるようです。
さあ、あとひといき!



古道の林を抜けると「祓戸(はらいど)王子社跡」
此処で長旅の穢れを祓い、いよいよ本宮に向かいます。



「熊野本宮大社」は家津御子大神(けつみこのおおかみ)
主神とする12の神(十二所権現)をお祀りしています。




日ごろ信仰心の薄い私も、小さな達成感で
不思議なほど清々しい気持ちになりました。

コメント (4)

熊野古道を往くⅡ

2008-11-18 | 他県

箸折峠を下り、日置(ひき)川に沿って近露の集落に入ります。

此処も熊野街道の要所で、伝馬所が置かれ宿屋が立ち並ぶ
宿場町でした。後鳥羽上皇はここで歌会を開いたとか。
長い旅のつかの間の娯楽だったのでしょうか。

日置川近くにあるのは「近露(ちかつゆ)王子」
お社は現存しませんが、見事な筆跡の石碑があります。

南北朝時代、吉野に落ちて来た大塔宮護良親王を助けた
野長瀬一族の墓所など、歴史の香りが漂う山里です。


近露王子~継桜(つぎざくら)
王子の辺りは、往時の街道の
雰囲気が今なお色濃く残っているといわれています。
路傍には、行き倒れた参詣者を弔う小さな仏が・・
   
        

   
すべての枝がの熊野権現の方角に伸びているので
「野中の一方杉」と呼ばれる樹齢800年を超す巨木群に
守られるようにして「継桜王子」のお社があります。
   
明治時代の神社合祀の際、多くの社の樹木が伐採された中
南方熊楠(みなかたくまぐす)の運動のお蔭で伐採を免れた
貴重な
天然記念物の杉は、径8m余の幹が裂けたり洞ができたり
しながらも
堂々と立っています。「俺を見ろ、少し傷ついた
くらいでへこむな」と
いう声が聞こえたような気がしました。


その先にある藁葺の家はTVでお馴染みの「とがの木茶屋」
予約すれば食事や宿泊もできるそうです。



続いて、藤原秀衡ゆかりの「秀衡桜

参詣の途中 産気づいた奥方の出産した赤子を岩洞に残し、
赤子の無事を祈念して桜の枝を別の木に接いで行った秀衡が
参詣を終え戻ってみると、赤子は無事で桜も花が咲いていた
という言い伝えがあるそうで、これはその桜の子孫だとか。


この辺りに水道が引かれたのは近年になってからだそうで、
水の不便さが歌われた地歌が碑に残されています。
「一人娘は野中にやるな 野中吹きあげ 水遠い」

その頃 地元の人々が汲んだ湧水が
「野中の清水」

50200t/
を湧出し、日本名水百選に選定されています。
地元の人ばかりでなくどれほど多くの旅人の喉をも潤してきた
ことか。今も地元の人々の手で大切に管理されているそうです。


ひっそりと自然と共生する山里の人々の
暮らしに思いを致しながら歩きました。
滝尻王子からここまで10,559歩

コメント (4)

熊野古道を往くⅠ

2008-11-17 | 他県

まずは、事前の‘にわか勉強’で仕入れた情報と
現地で語り部さんに聞いたお話をご紹介しますね。

古来 自然崇拝の地だった熊野への参詣は、907年宇多法皇の
行幸に始まり、1090年白河上皇の行幸以来 京都の貴族社会で
熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)への
参詣が盛んとなり、江戸時代には庶民の間でも広く行われる
ようになって相次ぐ参詣者や巡礼で大変賑わったそうです。

さて、講釈はこのくらいにして・・

今回は参詣道の5つのルートのうち往時の雰囲気がよく残って
いる「中辺路(なかへち)」と呼ばれる参詣道の一部を歩きました。

見どころがいっぱいで、バシャバシャとシャッターを
押していたら、何と150枚以上にもなってしまいました。
そのうちの幾枚かを数回に分けてご紹介しようと思います。
雰囲気を少しはお伝えすることができるかな?


最初に訪れたのは「滝尻王子」

「王子」は熊野の神々の童子を祀った末社で参詣道に
点在していました。社であると同時に参詣者の休憩地
でもあり、最盛期には賑わった場所だったようです。

この滝尻王子からご神域に入ります。
   


杉林の中の道を辿って行きます。
   
ご覧の通り、これらの杉は当時のものではありません。
太極拳では「身法は杉の如く」というそうですね。納得~!


花山帝の法衣と経文を収めた宝篋印塔と「牛馬童子像」
   
神道では「王子」、仏教では「童子」というそうです。
「牛馬童子」の名は神仏混交の名残でしょうか。 
50cmほどの小さな像です。

帝をモデルにしたという像の頭部が心無い者に盗まれ
ようやく復元され取り付けられました。情けない・・


やがて人家が見えてきました。



箸折(はしおり)峠から見た近露(ちかつゆ)の集落です

静かな山間の集落は、どこか懐かしさのある
日本の原風景とでもいえる眺めですね。


杉木立の中の細道やアップダウンのある峠道は、ガイドさん
無しでは私はとても心細くて歩けそうもありません。

いにしえの貴人たちも輿や駕籠を下りて、
白装束で杖を手にこうして歩いたのでしょう。

コメント (4)

お知らせ

2008-11-12 | 雑記

ウォーキング友達のDさんの発案で
週末 熊野三山を巡ってきます。


ウチのトノが貸してくれた本で にわか勉強して・・(笑)


いにしえのやんごとなき方々の‘熊野御幸’とは
比ぶべくもない、ほんのサワリを数日歩くだけの
‘つまみぐい’のような旅ですが、仲間達と
久々の休日を楽しんできたいと思います。


ただ・・・
ツアーなのでゼイタクは言えないのですが、夜猫子に
とっては朝早いのが最大の難関で・・
さーて、起きられるかな~


では、週明けにまたお会いしましょう!

コメント (4)

冬が来た

2008-11-11 | 散策

Winter has come!
 
寒いですね~ 
皆さま、風邪にご用心くださいね!


駅に、こんなポスターが貼られています。
もうお酉さまの季節なんですね~



商店街にはクリスマス・ソングが流れ
街角の花屋さんにもシクラメンやポインセチアが並び


お店に入れば、もうクリスマス一色です





リスさんも冬支度に大忙し?



今日もどんより泣きべそ顔の
この秋は、ウォーキング日和の日が少なかったな・・
舗道ばかりを16,327歩

コメント (2)

公園の菊花展

2008-11-09 | 散策

今日もしゃっきりしないお天気で・・
散歩の途中で、案の定降りだしてしまい
公園のテントに飛び込んだら、菊花展をやっていました。






豪華




優美








華麗




可憐



色とりどりの花の饗宴は
思いがけない雨の贈り物でした。

14,463歩

コメント (4)

久しぶりに ぶらっと大磯Ⅳ

2008-11-06 | 神奈川

大磯駅から左手の坂道を下っていくと、程なく国道1号線にぶつかります。

アワビの貝殻を嵌め込んだ面白い石塀をみつけました。



1
号線右側の奥まった所
に初代衆議院議長中島信行夫妻、日本画家の
安田靫彦(ゆきひこ)
画伯が眠る浄土宗の群生山大運寺があります。



少し先の左側、火防の神 秋葉神社の小さなお社の横を入っていくと
富士裾野の仇討ちで有名な曽我十郎と虎御前の悲恋の逸話にまつわる
聖石「虎御石」が安置されている日蓮宗 宮経山延台寺があります。


その昔、子どものない大磯の山下長者が弁財天に願って授かった娘の
虎女が美しく成長し、遊女虎御前となって出会った十郎と恋仲となり
十郎亡きあと、尼になって曽我兄弟の菩提を弔った由縁のお寺です。
弁財天から授かった石が虎女の成長と共に大きくなり、十郎が刺客に
襲われた際にその身代わりになったという、穴のあいた「虎御石」が
山門の
正面にある法虎庵に祀られているそうです。



1号線沿いにある創業1870(明治3)年の蕎麦屋さん「古伊勢屋」


この辺りに大磯宿の本陣があり、虎御前のような遊女も多くいたそうで
当時は、この大磯で最も栄えた賑やかな地域だったのでしょう。


古伊勢屋の横を入ると、島崎藤村夫妻が眠る船着山地福寺に通じます。
道には「大磯歴史と味の散歩道」のタイルが嵌め込まれています。



地福寺に隣接する長~い石垣は旧岩崎邸のE・サンダース・ホームの裏手

開け放たれた門の向こうにホームの建物が見えます。



石垣の尽きた所から右に入ると、昼なお薄暗い切通しになり


左手に「愛宕神社」に上がる石段があります。


    
お社は意外に小さくきれいなものでした。


切通しの先にあるのは、鳥料理が美味しいと評判の「杉本」



その脇道を行くと、
JR東海道線の線路に行き当たります。
4,953歩の短い散策でした。

コメント (4)

秋深まる

2008-11-03 | 散策

晴れれば小春日和の暖かい日差しですが、今日のように
曇りの日は上着が欲しくなります。秋も深まりましたね~


散歩コースのムベの実も色づきました



アケビが笑っています



もうツワブキが咲いていますね
鮮やかな黄色は晩秋のイメージ



天神さまのお社で人だかり  
そうか、七五三ですね~


着物姿が可愛いお嬢ちゃん 元気に大きくなってね!



あらら、こんな所にもう冬桜?



年賀状が発売になると、何だかせわしない気分になってきます
カレンダーもあと2枚・・・今年の冬は寒いのかしら
そろそろ冬支度 セーターを出さなくちゃ

コメント (4)