スニーカー履いて

‘猫’も歩けば・・・今日はどんな出会いが?

鎌倉の紅葉

2012-11-30 | 鎌倉・逗子・葉山


数日来、急に冷え込んできました。
鎌倉の紅葉もそろそろ見頃でしょう、と行ってみました。


「北鎌倉」駅のホームから、すでにたくさんの人

「円覚寺」さんの前は、とても綺麗な紅葉☆ でも、すごい人です・・




「浄智寺」さんは、それほど混み合ってはいませんでした。



「曇華殿」を右手に見ながら、階段を上って山道へ
          




「天柱峰」を越えて・・




葛原岡へ






       
週末はきっと、紅葉狩りの人達でいっぱい
でしょうね☆


16,994歩




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小田原街歩き②

2012-11-28 | 神奈川


「西海子(さいかち)小路」を歩いていると・・


旧田中光顕氏別邸


伯爵 田中光顕氏(1843-1939)
元 土佐藩郷士で土佐勤王党の志士。 中岡慎太郎の陸援隊に参加。 
維新後は警視総監 貴族院議員。 先述「対潮閣」歌碑の短歌の作者。

広い敷地内には、小田原ゆかりの文学に関わる展示がいろいろあります。


「本館」

1937(昭和12)年 築  登録有形文化財
鉄筋コンクリート3階建ての南欧風洋館で、屋根瓦はスペインから輸入したものとか。
現在は、「小田原文学館」として小田原ゆかりの文学者に関する資料を展示しています。


「別館」

1924(大正13)年 築
木造2階建ての純和風建築で、現在は「白秋童謡館」として
詩人 北原白秋に関する資料が展示されてあります。


白秋の小田原時代の作品「赤い鳥小鳥」の碑。



「北村透谷氏碑」

北村透谷氏(1868-1952)は、小田原藩士の孫として誕生しました。
幼名は「門太郎」。 近代浪漫主義文学の先駆者。 27歳で夭折。

揮毫は、友人であり共に『文学界』を創刊した島崎藤村氏。


「尾崎一雄氏書斎」


尾崎一雄氏(1899-1983)は、
小田原出身の芥川賞受賞作家。

昭和20年代初期の建築で、市内にあった旧宅の書斎部分を移築したもの。
8畳・4畳半の和室と書庫など。 机など当時の調度品が置かれてあります。





相模湾に面した御幸の浜を走る 西湘バイパスのすぐ近くに

川崎長太郎小屋跡」碑
          


川崎長太郎氏(1901-1985)
徳田秋声に師事し、昭和20年代後半に活躍した小説家。
『裸木』『父島』『抹香町』などの作品を著しました。
昭和13年より海沿いの小屋に寝起きして私小説一筋を貫きました。

‘猫’は、 残念ながら川崎氏の小説というものを読んだことは
ないですが、碑には『抹香町』の一節が刻まれてあるようでした。



小田原には、まだまだ興味深い見どころがいろいろあるようです。
「老欅荘」 「古稀庵」 白秋ゆかりの「伝肇寺」 etc.
機会があれば、また・・☆
          


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小田原街歩き①

2012-11-27 | 神奈川


小田原には、1889(明治22)年に伊藤博文の別邸「滄浪閣」、
1900年には城跡に御用邸が設けられたことなどが契機となり、
著名な政・財界人や文人の邸宅が数多くあったといわれます。


お城のすぐ近くに、

清閑亭
(旧黒田長成氏別邸)


侯爵 黒田長成氏(1867-1944)は、旧福岡藩主の家柄で
貴族院副議長・枢密院顧問官などを務めました。



1906(明治39)年 築

大正初期頃の様式を備えた数寄屋風書院造の母屋と、
海を見下ろす庭園が残されています。 国登録有形文化財。








対潮閣」跡
(山下亀三郎氏別邸跡)

現在この建物は無く、跡地に一般の住宅が建てられています。

山下亀三郎氏(1867-1944)は、山下汽船(現・商船三井)の創業者。
「対潮閣」には、同郷の海軍中将 秋山真之氏(1868-1918)が度々
訪れ、秋山中将は49歳のとき 盲腸炎悪化のため此処で亡くなった由。

「釣鐘石」と石碑

右の石は対潮閣にあったもので、釣鐘型の空洞があるので
「釣鐘石」と呼ばれていたそうです。 左の石碑には、この石を
賞して田中光顕氏(後述)が詠んだ歌が刻まれてあります。

「うちたたく 人ありてこ曽 よの中に な里もわたらめ つりが年の石」 




「諸白(もろはく)
小路」
          
「この地名は、小田原城主 稲葉正則の時代、この地に上方の杜氏を招いて
諸白酒(よく精白した蒸米と麹米で醸造した酒)を造らせたことから生まれた
といわれる。 道の両側は武家地で、中級の藩士が住んでいた。」とあります。


諸白小路の中ほどに

三好達治旧居」跡
          
三好達治氏(1900-1964)
大阪出身の詩人。 1939(昭和14)年に鎌倉から移住。
この地を好み、この場所にあった小さな庭のある二階建の
和風家屋に住み、試作に精を出したといわれています。
現在は旧居の跡形なく、ただ石の標柱が立っているだけ。



静山荘
(旧望月軍四郎氏別邸)

非公開で鬱蒼たる緑に覆われ、中を窺うことはできません。

望月軍四郎氏(1879-1940)は、1910(明治43)年に証券会社を
設立した実業家。 銀行や保険会社の役員を経て、1930(昭和5)年
京浜湘南鉄道の会長に就任。現・京浜急行(株)の基礎を築きました。



諸白小路とT字に交わる、桜並木の静かな道は

西海子(さいかち)小路

昔、サイカチ(マメ科)の木が立っていたことから この名で呼ばれたとか。
江戸時代には両側に武家屋敷が並んでいたそうで、明治以降は別荘地と
して知られていました。 約50本の桜並木が400m程も続く道は、現在も
往時を偲ばせる雰囲気がありますね☆ 有名なお花見スポットのようです。


(続)




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水辺の鳥たち

2012-11-26 | 雑記


海岸や海にそそぐ河口には、いろいろな鳥たちがいます。
せわしなく動き回る鳥、ジッと思索に耽るように動かない鳥、
表情からは窺えない鳥の世界・・見飽きませんね。


カモメ

カモメにもいろいろ種類があるようで、よく見ると
羽や足の色、嘴の形・色などに違いがあるのに気づきます。
これは、オオセグロカモメ・・かな?


トビ

高い空を悠々と滑空している姿には、いつも
「カッコいい~!」と見とれてしまいます。
とても目がいいそうですね。 食べ物を攫われないように・・




ウミウとカワウは、見分けが難しそうです。
海にいるのはウミウ・・・なんて単純なものではないようで
海岸や河口辺りには、ウミウもカワウもいるということです。

ウミウの方が体が大きいと聞きますが、並んでくれないとねぇ(笑)
よく観察すると、顔の違いなどでも区別できるらしいのですが
近くでじっくり観察するという機会もなかなか無いですし・・・



こちらは、河口にいた鳥です。

カルガモ

嘴の先の色と顔の2本線で、これはすぐにわかりました。


これは?

初めて見ました。
ジッと佇んで、餌を待っているのか水面を見つめています。

散歩中の人達も次々足を止めて、口々に「何の鳥だろうね・・・?」
暫く見ていると、通りかかった男性が「ゴイサギだろう。まだ若いね。」と。

この鳥の名をご存知の方、教えてくださーい!


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休日の海岸散歩

2012-11-25 | 散策


昨日と打って変わったになりましたね。
気持ちの良いこんな日は、潮風に吹かれてみましょうか☆
ということで、海へ・・






そこそこ風もあるので、今日はたくさん出てますね~




気持ちよさそー!




あっちにも こっちにも・・








14,988歩



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ほととぎす巻

2012-11-24 | 雑記


先日 小田原へ行った際、おみやげに買ってきました。


小田原名物「ほととぎす巻」

「かながわの名産100選」に選ばれているそうです。
なんでも 明治の初め頃、お酒のツマミに考案されたという
100年余の歴史のある伝承の味。(みのや吉兵衛商店 製)
包装紙のデザインにも、レトロな味がありますね



どういうものかというと;
粉末にした落花生・砂糖・粉辛子・水飴・ゴマを混ぜたものを
シソの葉で3cmくらいの長さに1個1個手巻きしてあります。

1個 口にほうり込むと、最初に 落花生の香りと水飴の甘さ、

後から辛子がツーンときて・・それら全体をシソの酸味が包んで
いるという不思議な食味☆ こんな説明で伝わるかなぁ・・


変わったネーミングの由来が、包装紙に書かれてありました。
食べたあと 辛子の辛さで「ヒィー」となるところが、ホトトギスの
鳴き声に似ていることから、名付けられたそうです(笑)


今回、こよなくサンズイを愛する‘トノ’へのお土産に買ったのですが
結局 下戸の‘猫’の方が何故かハマってしまいました。
数食べたいというのではなく、無いと淋しい味・・って、わかります?
甘くて 辛くてヒィーです(笑)

あ~、食べたくなっちゃったナ・・・また小田原へ行ってこようっと 
(もちろん netでも買えますけどね)


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小当たり!?

2012-11-22 | 雑記


郵便受けに、見慣れない封筒の郵便物。

検察審査会制度?  

「このたび、あなたは〇〇検察審査会の検察審査員候補者に選ばれ、
検察審査員候補者名簿に記載されましたので、お知らせします・・」って、えっ??

これって、大当たり?
くじ運は弱い方だと思うんだけどナ・・(笑)




検察官が「起訴」して開かれる裁判に、一般から参加するのが「裁判員」で、
「不起訴」になった案件の審査に、一般から参加するのが「審査員」ってことかな。
そんな審査があるの、
知らなかった・・・


候補者になっても、実際に審査会議に参加する人は その中から更に抽選で
選ばれ、月に1・2 回審査会議に出席するのだとか。(日当・旅費が支給される)
その確率は約1割で、当たると別途通知を受け取ることになるようだ。

ということは、今回のは、大当たりではなくて 「小当たり」というワケ。
さて、「大当たり」になるかどうか、来年9月ごろまで 楽しみ(?)ができたナ





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菊御殿

2012-11-20 | 鎌倉・逗子・葉山


これが噂の‘菊御殿’




丹精されたいろいろな種類の菊が




溢れんばかり





スゴイ!




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旧東海道・小田原~箱根

2012-11-19 | 旧東海道


「板橋見附」交差点から旧道に入って行くと、
交通量も少なくなり、どことなく長閑な街道らしい趣のある道です。


黒っぽい味のある建物は、醤油醸造所のよう。
今も操業しているのかな?




やがて、道の右側の石垣の上に

宗福院地蔵堂

「板橋のお地蔵さん」と親しまれている地蔵像は、1569(元禄12)年
香林寺の文察和尚が身丈一丈(約330cm)の大坐像を造り、箱根湯本
宿古堂の延命地蔵尊(弘法大師彫造)を胎内に安置したといわれます。

現在の地蔵堂は黄檗宗慈眼寺仏殿を移築したもので、県指定重要文化財。
外観は二重屋根、堂の四周に裳階をめぐらした造りになっています。
此処の大イチョウも見事ですね~

「復興大黒尊天」

堂前に、天井まで届きそうな巨大な木造の大黒様。
ご利益ありそ~

          
  (左) 一刀流第6代 横田常右衛門豊房・第7代 名坂四郎治政宣の供養碑
(右) 明治の戊辰戦争で亡くなった官軍の13名の名が刻まれた慰霊碑




旧街道らしさの残る道をテクテク・・



「上板橋」交差点で 再びR1に合流します。
左手に「早川」の流れ。

小田原用水取水口

小田原用水(早川上水)はこの地で早川の水を取入れ、街道に沿って
城内・城下に流した上水道で小田原北条時代に造られたものです。
江戸時代になっても城下の飲料水として利用されたそうで、我が国の
歴史的価値の高い古水道施設として、今も残されています。




早川に沿って暫くR1を歩いて行くと、観光地らしい賑わいになってきました。
レストランや大きな蒲鉾屋さんが立ち並び、たくさんの人が歩いています。
何だか少しホッとして、‘猫’も観光気分になり・・・


だいぶ陽が傾いてきました。 西に向かって歩いているので、眩しい~
日本橋から87km




箱根登山鉄道「風祭」駅に着きました☆
が、
もう少し先まで歩いてみようと、また旧道に入って行きました。
本日の‘猫’は、結構ガンバってます!




「風祭」駅前を過ぎて暫く行くと、右手に

風祭一里塚」跡

江戸から21番目の一里塚があった場所です。
『新編相模国風土記稿』には、「東海道側に双堠あり 高各一丈 塚上に
榎樹あり 囲各八九尺 東方小田原宿 西方湯本茶屋の里堠に続けり」と。




暮れ始めないうちに・・・と 次第に足が速くなり、
どんどん進んで行くと 右手に

長興山 紹太寺」の参道入口

以前に訪ねたとき、美しい枝垂桜をご紹介しましたね。
で、今回はスルーして・・





箱根登山鉄道「入生田」駅に到着です。
今回は、ここをゴールといたしましょう。  お疲れサマ~~!



24,730歩




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小田原宿③

2012-11-18 | 旧東海道


R1沿いに宿内の中心部を散策し、「早川口」までやってきました。



「早川口」交差点から、JR東海道線の線路に沿って左折。
暫く行って道標に従い もう一度左折すると、住宅地の中に

早川口遺構

1590(天正18)年 秀吉との小田原合戦に備えて造られた
土塁と堀からなる大外郭「総構」の一部が残されています。

「早川口」は総構の南西に位置する虎口(城の出入口)で、その遺構は
二重戸張と呼ばれる土塁と堀を二重に配した構造になっています。
明治以降 屋敷の庭園になり かなり改変されてしまいましたが、外側の
高さ2.8m程の土塁や堀状の窪地に当時の面影が残っています。




「早川口」交差点まで戻り、東海道線のガードをくぐってR1を進みます。

ほどなく 左側に

寶聚山 随心院 大久寺




日蓮宗のお寺。
   創立: 1591(天正19)年
開山: 自得院日英
   開基: 大久保七郎忠世

大久保忠世が小田原合戦の論功行賞により小田原城4万5千石を
与えられて建立したお寺で、大久保家の菩提寺となりました。

大久保家の家紋



大久保一族墓所

初代 忠世・二代 忠隣など7基の墓石が並んでいます。



R1を挟んで、大久寺のほぼ向かいに

居神(いがみ)神社




祭神:三浦荒次郎義意
            木花咲耶姫命・火之加具土神

伊勢新九郎(早雲)に攻め滅ぼされた三浦氏当主 義意は、父 義同と共に自刃。
首が当所の松樹に晒されましたが、3年間瞑目せず通行人を睨み恐れられて
いました。 久野総世寺の忠室存孝和尚が松の下で読経し、「うつつとも夢とも
知らず一眠り 浮世の隙を曙の空」と詠むと、怨霊は成仏し「我これより当所の
守り神にならん」との
声がしたので、社を建立して祀ったと伝えられています。
ちょっとコワいお話・・


社殿左奥に、石碑が並んでいます。


        


鎌倉時代末期の作といわれ、市重要文化財に指定されています。 



居神神社の少し先に、

寂静山 光円寺

浄土真宗のお寺。
今から約750年ほど前に、僧 頼賢が「実相院」を開いたのに始まり
その後廃寺となりましたが、1633(寛永10)年 城主稲葉丹後守正勝の母
春日局が「実相寺」を建立。 明暦年間(1655~57)に「光円寺」と改称。

境内の大イチョウ

「見附の大イチョウ」として知られています。
このイチョウ、東海道線の車窓からもよく見えます。



板橋(上方)見附

この辺りに「板橋(上方)見附」があったようです。
光円寺の大イチョウが、旅人の目印になっていたのでしょうか。
小田原宿とは、ここでお別れです。 振り返って名残の1枚を  




「板橋見附」交差点でR1から右へ逸れて、旧道を進みます。
いよいよ箱根に向かって
 

(続)



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小田原宿②

2012-11-17 | 旧東海道


お城の「馬出門」を出てR1を跨ぐと、ほどなく・・

松原神社

祭神:日本武尊
              素戔嗚尊・宇迦之御魂神
        由緒や創立年代などは不明

古老の口碑によれば、後醍醐天皇(1318-39)の頃
この地に真鶴が棲み、鶴の森明神と称していたといいます。
天文年間(1532~54)に山王原村松原の海中より十一面観音が出現、
その託宣により本地仏として祀ったことから「松原大明神」と称しました。

小田原北条氏の尊崇篤く、その後も稲葉氏・大久保氏の庇護を受けて
代々小田原宿の総鎮守。 明治初め「松原神社」と改称しました。

「吉兆の大亀」

甲羅を撫でると心願が叶うという亀の石像。
制作年代は不明。 頭部(左側)が欠けています。
言い伝えによれば;
小田原の海岸に大亀が現れ、3代北条氏綱がこれを吉兆であるとして
当社に参詣し舞を奉納したところ、翌年の河越夜戦でわずか8千の
兵で、8万の関東管領上杉軍
を破って関八州平定を成し遂げたとか。



通りを隔てて、神社のほぼ向かいの少し奥まった所に

明治天皇宮ノ前行在所跡

小田原宿に4軒あった本陣の筆頭 清水金左衛門本陣跡。
明治天皇はこの本陣に、1868(明治元)年の御東行の際を初め
計5回ご宿泊になったそうです。 当時の敷地は約240坪とか。


R1の「本町交差点」角に

小田原宿なりわい交流舘

1932(昭和7)年築の旧網問屋を再整備した出し桁造りの建物で、観光客のための
案内所 兼 無料休憩所として、また市民文化活動の場として開放されています。


お茶のサービスもあって、ちょっと一休み




「交流館」から少し浜側へ行った所に

徳常院

曹洞宗のお寺。
当寺の地蔵尊は、1713(正徳3)年 江戸・増上寺塔頭の心誉常念が
作らせたという 総身が5mもある青銅製で、もともと
箱根芦ノ湖畔の
賽の河原に安置されていましたが、明治の廃仏毀釈で古物商の手に
渡り、東京に運ぼうとしましたが尊体が地を離れず、浜名主の夢枕に
立ったりしたため、有志が募金をして像を買い取り当寺に安置したとか。

また、八百屋お七の供養に恋人の吉三郎が作らせたものだと
いう伝説もあって、「吉三地蔵」とも呼ばれているそうです。




それでは、街道筋(R1)に沿って歩いてみましょう☆


左側に、歴史の趣を感じさせる建物

済生堂薬局小西本店

関東大震災で倒壊した明治時代の建物を大正年間に復元したもの。
石造りの薬種蔵を内包しているそうで、純和風の木造建築。


右側に、ひときわ目を引くお城のような建物

外郎博物館

中国伝来の小粒の丸薬「ういらう」を、600年来の製法で作り販売しています。
長年愛用しているという知人から
、‘猫’も頂いて服用したことがあります。
諸症状に効く万能生薬だそうですが、近年の環境変化により薬材が手に
入りにくくなっているため、1回に買える量に制限があるのだとか。
本日は、残念ながら定休日でした・・・


その先に、若者にも人気の有名店

柳屋ベーカリー


小ぶりながら、ずっしり重みのある「薄皮あんぱん」が人気です。 
「ちい散歩」の地井さんとか、芸能人も来店しているようですね。



道の左側に

ちん里う

明治初期に創業の梅干屋さん。
店先に、様々な種類の梅干や種が展示されています。
思わず酸っぱい唾液が・・・(笑)

またまた買物ツアーになりそうなので、この辺りで・・

日本橋から85km




では、ここで
城内の「郷土文化館」に展示されていた写真をご紹介しましょう。
現在のこの辺りと比較してみると、なかなか興味深いですね☆

江戸末期の小田原宿の様子

オランダ人写真家が撮影したもの。


明治初期の小田原宿の様子

横浜居留地の英字新聞に掲載されたもの。


(続)





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旧東海道・小田原宿①

2012-11-16 | 旧東海道


では あらためまして、旧東海道ぶらり旅の続きと参りまセウ



前回 小田原宿に入ったので、今回はJR「小田原」駅から。



先ずは西口前の早雲さんに敬意を表し・・

北条早雲公像

後世「北条早雲」と呼ばれる室町~戦国の武将 伊勢新九郎盛時( ?ー1579)
出自には諸説あるようですが、備中国(現・岡山県)出身といわれます。
小田原は、96年間にわたって繁栄した小田原北条氏の城下町。
銅像は、1990(平成2)年建立。




駅近の史跡と聞いたのですがわかりにくく、のっけからウロウロ・・
「おしゃれ横丁」という路地を入って行った所で、やっと見つけました!
        

北条氏政・氏照墓所

氏照(左)・4代氏政(中央)・氏政夫人(右)の五輪塔
手前に生害石  左に3人の法号を刻んだ笠塔婆型墓碑

1590(天正18)年 秀吉の小田原攻略で城は落ち、5代氏直は高野山に追放。
父 氏政と氏政の弟 氏照は自刃し、此処にあった氏寺の伝心庵に葬られました。




「お堀端通り」を歩いて行くと

国指定史跡 「三の丸土塁跡
          
 本丸・二の丸を囲むように堀と土塁を廻らして三の丸としていました。
この場所の西側に、三の丸入口の「幸田門」があったようです。
 

鐘楼

大手門跡の石垣には、大正時代に移築された「時の鐘」があり
午前6時・午後6時に鐘を打って時を知らせていました。
現在の鐘は、1953(昭和28)年製とか。



お城に入ってみましょう☆

「小田原城」は15世紀中頃に大森氏が築いた山城が前身で、その後
小田原北条氏の居城となり、秀吉軍22万の攻略に備えて城下を含む
全長9kmに及ぶ「総構え」を築き、最大規模の城郭となりました。

北条氏滅亡後は家康家臣の大久保氏、寛永年間に稲葉氏、その後
再び大久保氏と城主が変わりましたが、元禄大地震で倒壊焼失。
一部再建されて幕末に至り、明治初め廃城となりました。


銅門

二の丸の正門にあたり、本丸へと通じる大手筋に設けられています。
渡櫓門・内仕切門・土塀で周囲を囲む枡形門で、渡櫓門の銅板装飾が
その名の由来。  現在の門は、1997(平成9)年に復元されました。


常盤木門

本丸正門にあたる門で、最も大きく堅固な造りです。
傍らに立つ巨松に因んで、その名が付けられたとか。
1971(昭和46)年に復興されました。


天守閣

江戸時代に再興された際の雛型や引き図を基に、1960(昭和35)年に
市制20周年記念事業として復興。 3重4階の天守に付櫓・渡櫓を付した
鉄筋コンクリート製で、標高60mの最上階からの眺望はなかなか☆



左手遠くに、三浦半島も うっすらと・・




小峯曲輪北堀

江戸前期に「雷曲輪」、後期には「小峯曲輪」と呼ばれた曲輪が この
左手にあり、それを囲む堀(土塁と空堀)の北側部分が残っています。


報徳二宮神社

二宮尊徳翁が祀られています。 
1894(明治27)年 建造。

          
二宮尊徳(金次郎) 農政家・思想家 (1787-1856)
若い頃、藩家老 服部家に若党(中間)奉公をしており、当時 漢学塾に
通う服部家の若君にお供して、この近くを行き来していたとか。 後に 
城主大久保忠真に登用され、諸家・諸領の改革・復興に尽力しました。


では、お城を出て市内の史跡を巡ってみることにしましょう☆

(続)



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菊花展

2012-11-15 | 花散歩


菊の花が美しい季節ですね☆
今、あちらこちらで菊花展をやっているのを よく目にします。


小田原城の菊花展は、今日が最終日でした。

お城の散策がてら、菊花を楽しむ人達が訪れていました。

ひとくちに菊と言っても、いろいろな色や形の花があるんですね~
見るからに「手がかかっているな~」と思われる花の数々・・


これは 見事な懸崖仕立て☆




変わった菊が目に留まりました。 「古典菊」と呼ばれる種類だそうです。

「丁字菊」                        「伊勢菊」
          


「江戸菊」





菊に彩られたお
城の展示も☆ 




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電車の窓から

2012-11-13 | 散策


京急線「津久井浜」駅~「三浦海岸」駅の電車の窓から・・

アレっ?

さ・・く・・ら・・並木??
気になったので確かめたくて、次の駅で降りて行ってみました。




この辺りは、ミカンの木がたくさん植えられています。



鈴なり




めざす所も、どうやら観光みかん園の中のようで・・




まだ開園時間前なのか、園内には人影も見当たらず・・・
「立入禁止」のロープぎりぎりの所まで近づいて

みかん泥棒と間違われないように(笑)・・李下に冠を正さず? 
これ以上近づくのは やめておきましょう。


諦めて、少し離れた畑の畔から もう1度 


近くで畑仕事中だったお爺さんに 尋ねてみました。

「きれいですねぇ!」

「ああ。 何の花だかねぇ」

「桜でしょうか」

「桜じゃねぇよ 冬だもの」

「・・・・・・・・」
失礼しました~(笑)





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箱根湿生花園

2012-11-12 | 花散歩


ゴールの「箱根湿生花園」前に、予定より早く着いたので
バスを待つ間に、園内をぐるっとひと回り。





この季節、さすがに花は少なかったですが・・

「ツリバナ」
ニシキギ科



「ウメバチソウ」
ユキノシタ科



「ツメレンゲ」
ベンケイソウ科
          


「シンジュノキ」
ツツジ科




そして、ここにも「フデリンドウ」
リンドウ科





見事な紅葉が見られ☆



錦をまとった金時山☆




箱根の秋を満喫しました ♪



22,377歩



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