スニーカー履いて

‘猫’も歩けば・・・今日はどんな出会いが?

春なのに・・

2020-02-28 | 雑記


午後から 買物に行ったスーパーで



あらら・・・

見事に 空っぽ!


何の売り場かと 見ると、今度は
ティッシュペーパーや トイレットペーパー、
キッチンペーパーなどの棚でした。

SNSの あの噂のせい?


なんだかなぁ~

せっかく 春なのに・・


      





ちょっと 落ち着こうよ・・


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「花の国」をぶら~り

2020-02-25 | 花散歩


家を出るときは 晴れていたのに、次第に雲が 出てきてしまいました。
変わりやすいのは、春になった証拠かな。

ハクモクレン(白木蓮)が 咲き始めました。
今にも開きそうに ふくらんだ蕾も カワイイ~
      




イマイチの空模様だけど、「花の国」をぶら~りと してみました☆

坂の途中の カンヒザクラ(寒緋桜)


      
濃い緋色が とても鮮やかで 目を引きますね。







アニソドンティア マルバス トロイデス
アオイ科
      
南アフリカ 原産
春と秋の長期間 ピンク色の花を 咲かせます。 草丈 1~2m
うつむき加減の か弱い乙女のような・・


ボリジ
ムラサキ科
      
原産地は 地中海沿岸
茎や葉は ふわふわの白い毛に覆われています。



梅園へ 行ってみましょう

せっかく見頃なのに、あ~ 曇り空が ザンネンだなぁ・・・


      













ロウバイ(蠟梅)が まだ咲いていました♪




ジャノメエリカ
ツツジ科

雄蕊が黒いので、別名:クロシベエリカ



やっぱり 晴れた日に 来ればよかったな ・・・


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河津桜が満開

2020-02-23 | 花散歩


新型肺炎ウィルスの拡散が、日毎 身近になってきました。

感染リスクが高いとされる 中高年齢者の ばっちりど真ん中にいる身は
人が多い所を避け、なるべく近場で サッサと用を済ませて・・・

せっかく 暖かくなってきたのになぁ~ 放浪‘猫’の 虫が 泣いてます。



河津桜が あちらこちらで満開になっていますね
今日は、あまり人が来ない 穴場を探して・・


















緑色の新芽が 出始めている木もありますね

そろそろ 終盤かもしれません。


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葉山・長者ヶ崎

2020-02-18 | 鎌倉・逗子・葉山


「峯山」の麓を巻いて 南へ南へ。



ズルズルぬかるむ 山道は、途中で 崩れていたりして
ちょっと スリリングな獣道


左手に、昔から 覗き込む者を引きずり込む 赤牛が
棲むという 底なし沼の伝説が伝わる 「大池」を過ぎ、
どんどん下って行くと・・

海が 見えてきた!

やっと 葉山の南側に 出られました~


イェーイ! 富士山



右手に伸びている岬が 長者ヶ崎☆






「長者ヶ崎」

岬を上から見ると、切り立つ岩が 大蛇の背のようで ‘長蛇ヶ崎‘。
また、峯山に棲む大蛇が 海上の尾ヶ島に 尾を現しているという
古くからの伝説もあり、長蛇→長者 になったと いわれています。 

嘗て 海辺にあった旅館は、御用邸に行幸があった際 宮内省の宿と
なり、泉鏡花の小説『草迷宮』や 志賀直哉の日記にも 登場するとか。
この岬が、
葉山町と横須賀市の 境界になっています。

「かながわの景勝50選」に選定されている景観☆
  


駐車場の一角に、見つけました!
マイルストーン

富士山、分かりますか?


岬の内側は 「長者ヶ崎海水浴場」



砂浜沿いに 「県立 葉山公園」

御用邸に隣接する 松林が美しい公園は、
嘗ては 御用邸付属の
馬場だったそうで、今も どことなく その雰囲気が 残っています。 

公園からの眺め

正面に 富士山、右手に 江の島が見えています☆


今日一日、久しぶりに よく歩きました~
18,234歩  




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葉山の里山道②

2020-02-18 | 鎌倉・逗子・葉山


この辺りは 梅の木が多いように 思われます。
紅梅、白梅、花が真っ盛りで、馨しい香りが 漂ってきます






御用邸水源地

この辺りは 湧水が豊かで、1913(大正2)年 特に良質で豊富な
湧水の地を買い上げ 御用邸の 生活用水にしていましたが、
1974(昭和49)年 施設損傷などのため 廃止されたそうです。

      




町の天然記念物に指定されている 梅の古木
      

白加賀系の ‘曙’ という品種で、樹齢 100年といわれます。(個人宅所有)
腰の曲がった翁のような 老木ですが、枝いっぱいに 花を咲かせています





星山の 庚申塔

榎の大木の根元に 石像が 並んでいます。
手前のは 1715(正徳5)年 造立。左右の腕が 万歳スタイル(笑)
葉山の庚申塔には このスタイルが よく見られます。




一帯を流れる「下山川」に沿うように、更に 歩いて行きます。
やがて、道の左側に 苔むした茅葺屋根を頂く 豪壮な門☆

茅山(ちざん)荘

荏原製作所の創設者で「即翁」の号を持つ 数寄者として知られる
畠山一清氏の別荘でした。 母屋は 千葉県にあった 江戸期の農家の
良材を選んで移築、門や観音堂を 鎌倉から移築するなど、粋を
凝らした造りの いずれも 茅葺の建物だそうです。(非公開)
現在は、所有者が 替わっているようです。


歩いていると、富士山が 見えたり隠れたり・・

昨日とは 打って変わって、風もなく 上々のお散歩日和です☆




無住の観音堂が ありました。(個人所有地内)

創建時期や由緒は 不明ですが、山里の趣が漂う 小堂には
聖観音像と子安観音像が祀られ、里人が管理しているとか。


お堂の左を 少し上ると、木造の祠。
伝 平兼盛の墓

全高125cmの
凝灰岩製の五輪塔。
「 忍ぶれど 色に出にけり~」で知られる 平安歌人。
従五位上駿河守に任ぜられたという 貴人のお墓が、
一体どのような縁で こんな鄙びた地に?


この辺りの 平(たいら)という地名も 関係があるのでしょうか?

平(たいら)の 庚申塔




稲荷神社の 赤い鳥居が見えてきました。
      
鳥居の先には、恐ろしいほど急な 長~い石段が 続いているので・・・
石段の下で、回れ~右 (笑) 




急な坂道を上り始めた所に、また 庚申塔がありました。

茅木山(かやぎやま)の 庚申塔

此処にも 万歳スタイル\(-o-)/が。 1680(延宝8)年の 造立。 




峯山(標高140m) 北麓の 高台にある 住宅地を抜けると、
高原状の 眺めの良い平場に 畑が広がっています。


水仙の咲く畦道で 小休止して 水分を補給したら、
さぁ、いよいよ海を目指して 山道を 歩きます!




(続)



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葉山の里山道①

2020-02-18 | 鎌倉・逗子・葉山


寒さも あと 少しですね。

河津桜も 満開に なってきました



春を待つ 自然豊かな葉山の奥座敷を 歩いてきました♪




JR「逗子」~「衣笠」駅を結ぶ 路線バスを利用し、
「滝の坂」バス停で降りて 歩き始めます。

バス停から 南側へ下りて行くと、すぐに 山門。


山門の扁額

日本画家 伊東深水氏の筆
この付近に 別荘がある(あった?)とか。 

「不捨山 摂取院 新善光寺」

浄土宗
本尊:阿弥陀三尊(秘仏)
源頼朝が 信濃善光寺参詣の折、善光寺如来の分身を請来し
鎌倉・名越の 北条時政の山荘に祀ったのが 始まりで、
文明年間(1469~87)に 当地に移されたと いわれます。

本堂内陣は 室町期の禅宗様式。 本堂・厨子・唐様の
四脚門は、ともに 県重要文化財に指定されています。


      

山門前に 六地蔵

葉山御用邸に ご滞在の皇族方が、散策で立ち寄られた
こともあるという 静かで雰囲気のある お寺です。




更に 道を辿ると、路傍にひっそり 庚申塔。

唐木作の庚申塔

右側の笠付き塔は 1672(寛文12)年 造立。帝釈天塔なのに
青面金剛が刻まれているのは 珍しいとか。


紅白の梅や菜の花、河津桜が あちこちで咲いている
のどかな里山の風景を 楽しみながら・・




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グリーンハウスで

2020-02-12 | 花散歩


グリーンハウスでは、どんな花が 見られるかな?
行ってみましょう!





入口を入ると、目に飛び込んでくる 色とりどりの華やかさ☆



ハイビスカス いろいろ

サリー


ピンクアイス                    ペブリーコースト
      



ドンベア・ワリッチー
アオギリ科



ドンベア・ティリアケア




キンカチャ(金花茶)
ツバキ科




アカバナハカマノキ(赤花袴の木)
マメ科
      
高さ 5~6mの高木に、先端が割れた ハカマのような形の葉と 赤紫色の花。
原産地は香港。 香港の 旗の紋章に なっています。
別名:ホンコン オーキッドツリー  
   バウヒニア・ブラケアナ
        オオバナソシンカ(大花蘇芯花)


バナナ



ビオラ
      
白兎みたいなのや 人の顔に見える模様のなど、種類さまざま☆

ブーゲンビレアも 色とりどり☆
オシロイバナ科


      



  

いつ来ても、気分が 上がります~

 

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は~るよ来い♪

2020-02-12 | 花散歩


フラワーセンターの花たちにも、少しずつ
季節のバトンタッチが 見られるようになりました



椿園では

笑顔



スイートハート                      大神楽
      


ひっそりと 季節に先駆けて、小さな花たちが

スノードロップ



キバナセツブンソウ(黄花節分草)



      


白花の セツブンソウも☆

今年も 会えたね ~♪


ユキワリイチゲ(雪割一華)

花数は まだ少なめ・・これからですね!


ボケ(木瓜)の花が とても華やかです☆

雪の峯                       ピンクレディ
      



サクラも 少しずつ咲き始めています。 楽しみ~
                     
      


は~るよ 来い、早~く 来い!



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梅見頃

2020-02-12 | 花散歩



「大船フラワーセンター」で、梅の花が 見頃になりました



スマホやカメラを構える 人たちに混じって、‘猫’も


道知辺(みちしるべ)




玉牡丹(ぎょくぼたん)                 花香美(はなかみ)
      



大輪緑萼

青白色の 大輪八重咲き

「 梅白し  暖かき日も  寒き日も 」 石鼎



一重寒紅




八重茶青                      鹿児島紅
      


内裏

花は 白色 花弁の裏側が桃色の 中輪八重咲き



唐梅(とうばい)                    緑萼枝垂
      



春日野

紅白の 咲き分け☆


「 わが春も 上々吉よ 梅の花 」 一茶

      


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西浦賀をぶら~り②

2020-02-09 | 横須賀・三浦


浦賀湾の入口近くにL字型の桟橋があります。

通称「陸軍桟橋」

この桟橋は 昭和10年代に出来たもので、戦後 たくさんの
引揚者が 祖国への帰還の第一歩を 踏み出した場所だそうです。

また、江戸時代 この辺りは 幕府の「船番所」が置かれていた場所です。
18世紀に入る頃から 国内の生活物資の生産が拡大、流通が盛んとなり
その変化に対応するため、1720(享保5)年 江戸幕府は 伊豆下田にあった
奉行所を
浦賀に移転し、人や物の出入りを 厳しく監視しました。


船番所間取り図

(浦賀郷土資料館 展示)
船番所には 牢はありましたが白洲はなく、裁きは奉行所で行いました。

「船番所」は 奉行所の出先機関として、奉行所に委託された廻船問屋100余軒が
昼夜を通して 全ての船の「船改め(乗組員と積荷の検査)」を行っていました。
その勢力は 江戸の経済を動かすほどで、港町浦賀の 繁栄につながりました。

今も残る 廻船問屋の建物



温暖な気候と豊かな自然に恵まれた ここ浦賀には、約9,000年前から
人々の生活が営まれていたことが分かっていますが、殊に 江戸時代には
三浦半島は幕府天領となり 湊町として大いに繁栄し、人々の往来に伴って
旅籠・料理屋・湯屋・髪結い・洗濯屋(遊郭) などが置かれ、相撲や芝居・
人形浄瑠璃などの寄席興行も盛んに行われ 大変賑わっていたそうです。

大正時代の街並み

干鰯問屋の様子

(浦賀郷土資料館 展示)
干鰯は 鰯を天日干しして作られた肥料で、主に 東海・近畿地方の
農家で 綿花や蜜柑の栽培に使用されたため、この近海で水揚げし
加工して出荷する 干鰯問屋が 最盛期には 30軒もありました。




そんな浦賀の人々に 今も 篤く信奉されている神社があります。

西叶神社


      




      



浦賀の歴史探訪は まだまだ尽きませんが、
今回は 一応ここまでと致しまセウ





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西浦賀をぶら~り①

2020-02-09 | 横須賀・三浦


「燈明堂」を後にして、マストが林立するマリーナを
右手に見ながら  バス道を 歩いて行きます。





家並の中に 石の鳥居が見えてきました。

「為朝神社」

祭神:鎮西八郎為朝
小じんまりした社殿が 歴史を感じさせる 静かな佇まいです。
創建は 江戸文政期(1820年代)と言われ、地元漁民が 海に漂う
為朝公の木像を
拾い上げて 地蔵堂に祀ったのが始まりとか。
ご神徳は、航海の安全と 疱瘡除けだそうです。

      

毎年 西浦賀に伝わる民俗芸能「虎踊り」が 奉納されます。

(説明板より)
幕府の奉行所が 伊豆下田から移転してきた折に 伝えられたといわれ、
近松門左衛門作『国姓爺合戦』の 和藤内虎退治を題材に、親子の虎・
和藤内・唐子・太唐人などに扮して 地元の青年や少年少女達が演じます。




「川間町内会館」の正面に、見事な鏝絵☆
昔日の 浦賀の繁栄が偲ばれる ‘遺産’のひとつです。
‘鳳凰’



色鏝絵 ‘松竹梅に鶴亀’

石川梅尾 製作(1959年)




更に進むと、フェンスに囲まれた広場?

「浦賀奉行所」跡

浦賀奉行所は 1720(享保5)年~1869(慶応4)年の 約150年の間 続き、
この間に、1人または2人の奉行 計54人が務めました。 奉行の下に
与力・同心が配され、当初の与力10騎、同心50人から のちには
その倍の人員が 船改め・海難救助などのほか、警察・裁判所・
地方(じかた)役所・後には 異国船に対する海防任務に当たりました。
現在は、堀の石垣と石橋の 一部が残るのみ・・

「浦賀郷土資料館」にある、当時のジオラマ展示



その規模は、東西45間(約86m) 南北40間(約75m)。
周囲に塀を廻らし、港の方向に 正門がありました。



浦賀湾が 見えてきました。

広い展望デッキで ちょっとひと休み☆



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浦賀燈明崎

2020-02-09 | 横須賀・三浦


JR「久里浜」駅前を流れる「平作川」の河口に架かる
「開国橋」を渡り、隧道を抜けて 浦賀方面へ。



ほどなく 右手へ入る道を 6~700mほど 歩いて「燈明崎」。



岬の左側に、白砂の浜と 真っ青な海が広がります☆



岬の突端に建つ「燈明堂(復元)」

只今 修復工事中・・先頃の暴風雨で 傷んだのかな?

「燈明堂」復元図

(説明板より)
今日の灯台の役割をした江戸時代の航路標識施設で、1648(慶安元)年
幕命によって、幕吏 石川六左衛門重勝らが築造したと伝えられます。

階下は番人小屋、障子貼りに金網で保護した階上に 直径36.4cmの
銅製の灯明皿を据えて 一晩に菜種油一升を灯し、その光は 4海里
(7.2km)に及んだとか。1872(明治5)年の廃止まで 約220年間
一日も休むことなく、夜間の海上安全を 見守り続けたということです。

当時の建物は 明治20年代に 風雨で倒壊。 残った石垣の上に
1989(平成元)年に 当時の姿を再現した 建物が完成しました。

燈明堂背後の山には、1811(文化8)年 幕命で 海防に当たった
会津藩によって 外国船に備えて 平根山台場が築かれました。



此処はまた 嘗て 浦賀奉行所の 処刑場で あったといいます


1840(天保11)年建立の 地蔵像 供養塔と 大きな題目碑。




ここからの景観は 抜群!



浦賀水道を通る さまざまな船を眺めながら、
の~んびり しましょ☆
















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早春の海岸散歩

2020-02-05 | 散策


今日は 海岸散歩☆
風は冷たいけれど、歩いていると ぽかぽか汗ばんできます。





海は まだ冬の色ですが、波は 比較的穏やか。



遥か沖の方に、あまり見かけない形の船。
作業船かな?




房総半島・鋸(のこぎり)山







暖かい春は もうすぐ
海岸散歩の機会が これからもっと 多くなることでしょう☆


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春待つ里山道

2020-02-01 | 散策


晴れても 風が冷たく やっと 冬らしくなった、そんな一日
里山に 春を探しに 行って来ました。




あちらこちらに 梅の花




      





蠟梅も








本日の散歩の おみやげは、
畑から 穫れたばかりの キャベツと菜花☆

立派なキャベツ、家で量ってみたら なんと1.7kg!
いい運動に なりました~~

「 過ぎて行く 日を惜しみつつ 春を待つ 」 虚子




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