スニーカー履いて

‘猫’も歩けば・・・今日はどんな出会いが?

港を眺めながら

2016-09-27 | 横浜



「山下公園」から 港の風景を楽しみながらぶら~り☆




「横浜港大桟橋」




帆船が見えます



「海王丸」でした~







「赤レンガパーク」



ギンナンがいっぱい!



ネコノヒゲ (シソ科)
        


キンモクセイ (モクセイ科)

もう そんな季節なんですね





晴れたり曇ったりの一日でした




14,299歩 




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「山下公園」のバラ

2016-09-27 | 花散歩


今日は たまらない蒸し暑さでした・・




「山下公園」

海からの風が ホントうれしい~!



秋バラが たくさん咲いています





          






また 夏のやり直しかな・・




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永遠番長

2016-09-27 | 雑記


日本大通りに
        



公園の中に





球場前に
        




そして 地下通路に



        







駅のホームにも








ハマの番長、25年間の現役投手を卒業。
いつかまた会おう、横浜で!





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「しょうぶ園」のヒガンバナ

2016-09-25 | 花散歩



やっと青空が見られましたね、お懐かしや~~


かなり蒸し暑いけれど、出掛けずにはいられません
「横須賀しょうぶ園」のヒガンバナが見頃と聞いて☆




おぉ~


  





赤のほかにも・・
白いのから











クリーム色まで




色とりどり☆





でも ヒガンバナと言えば、やっぱり燃えるような赤が

いいなぁ~!


「暑さ寒さも・・」って、今年は あてはまらないのかな?


27,624歩


 

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新宿・花園神社

2016-09-21 | 東京・川崎



何十年ぶりに、懐かしい場所を訪ねてみましょうかね~




「明治通り」沿いに、ビルに挟まれ ひときわ目立つ朱塗りの大鳥居。
その鳥居の前に、見覚えある狛犬さん☆
        


参道を進むと、拝殿が見えてきます。
「花園神社」

祭神:倉稲魂(うがのみたま)命・日本武尊・受持(うけもち)神

1590(天正18)年の 徳川家康江戸入りの以前に 吉野山より勧請されたと伝わり

内藤新宿が開かれると、総鎮守として江戸の発展を見守り続けてきました。

寛政年間(1789~1800) 朝倉筑後守が下屋敷を拝領すると 当社が敷地に囲い
込まれてしまうため、嘆願の結果 尾張藩下屋敷の庭の一部であった現在地に遷座。
そこが花園跡であるところから「花園稲荷神社」と呼ばれるようになりました。

1928(昭和3)年に「雷電稲荷神社」(祭神:受持神)を、1965(昭和40)年に
「大島神社」(祭神:日本武尊)を合祀し、「花園神社」と改称しました。
                    (Wikipediaより)


社殿は重なる火災のたびに再建され、1965(昭和40)年に現在のような
鉄筋コンクリート造に。 倉稲魂命はお稲荷さん、受持神は食の神とか。



「威徳稲荷神社」
        
夫婦和合・縁結び・恋愛成就の御利益があるといいい、
若い人にも人気のパワースポットだそうです。


「芸能稲荷神社」




「納め大明神」

当社で頂いた古いお札を納める場所。



「銅製唐獅子像」
          
江戸末期の鋳工
村田整珉の作。注連縄を浮き彫りにした台座は、石工 本橋吉兵衛の作。
1821(文化4)年 造立 区指定有形文化財


境内では いつも様々なイベントが催され、また 5月の例大祭や11月の
大酉祭(酉の市)などいろいろな行事もあり、年間を通して多くの人が訪れ
大変賑わいます。外国人の参拝者もよく見かけます。今日は幾本もの長い
パイプが縦横に組まれたりして、何やら作業をしているようでした。

‘猫’にも思い出のある懐かしい場所なので、暫し往時に帰って・・

お彼岸の墓参のあと、足の向くままブラブラと
20,769歩

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新宿・西向天神&大聖院

2016-09-21 | 東京・川崎



新宿6丁目辺りを、足の向くまま ぶら~りと☆




「文化センター」近くの、こんもりと樹木が茂る小高い場所に
いい雰囲気のお社がありました。

「西向天神社」

祭神: 菅原道真
1282(安貞2)年 明恵上人の創建と伝わり、東大久保村の鎮守社でした。
社殿が西向きであることから「西向天神」と呼ばれます。天正年間(1570年代)に
兵火で全焼しましたが、聖護院宮道晃法親王が東国下向の折 大僧都玄信に命じて
再興させたといわれます。その後荒廃していましたが、寛永年間(1630年代)に
徳川家光が鷹狩の際 荒廃を嘆き黄金の棗を下賜されたことから「棗の天神」とも。

社殿前、クスノキの大木の根元に 狛犬さん☆
いい味出してます 「宝暦十二年」の刻銘。 
        


境内一隅に、こんな石像も。



境内





天神社の地続きにあるのは、
「梅松山 大聖院 五大尊寺」

天台寺門宗
中世より春日部にあったお寺が当地へ移転したといわれます。
西向天神社の別当 天台宗本山派の江戸番所を務めていましたが、
明治維新の神仏分離令により 天神社から分かれました。

扁額



「紅皿の墓」
太田道灌が「高田の里」へ鷹狩に出掛けて雨に遭い、近くの農家で蓑を
所望したという あの山吹の里伝説に登場する少女のお墓と伝わります。

中世の板碑1基・燈籠(竿部)2基・水鉢1基・花立2基からなっています。
区指定史跡

        
燈籠や花立などに、12代守田勘弥ほか歌舞伎役者の名が刻まれています。

その後 道灌に城へ招かれ歌の友となった紅皿は、道灌の死後 尼となり
大久保に庵を結んで暮らし、死後その地に葬られたといわれています。

このお墓は もとは隣接するお寺にありましたが、がけ崩れのために
現在地に移され、江戸中期にはこの場所にあったことが知られています。


当寺へ上る道は、かの伝説に因み「山吹坂」と呼ばれているそうです。
        






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新宿・太宗寺の切支丹燈籠

2016-09-21 | 東京・川崎



以前、「月桂寺の切支丹燈籠」をご紹介したことがありました。
同じ新宿区内の別のお寺にもあるというウワサを聞いたので、
今回は そのお寺をめざして




それは 「新宿御苑」のすぐ近くにありました。
「霞関山 本覚院 太宗寺」
 
浄土宗
  本尊: 阿弥陀如来
    創立:1668(寛文8)年
開基: 僧 太宗
寺伝によれば、1596(慶長元)年頃 太宗という僧が開いた「太宗庵」が前身で
1628(寛永6)年に 安房国勝山藩主 内藤正勝の葬儀を行ったのを契機に、
正勝の長男 重頼が寺地を寄進し「太宗寺」となり、内藤氏が信州高遠に
移封の後も内藤家の菩提寺となっていました。( 以上 Wikipediaより )


門を入ると、すぐ右側に
「銅造地蔵菩薩坐像」

江戸六地蔵
第3番目の御像
1712(正徳2)年 造立 像高 267㎝
本体には、嘗ては鍍金が施されていたといいます。
夏目漱石が幼時に悪戯で御像に上ったと 著書にあるとか。
都指定有形文化財


まずは、お目当ての燈籠を見に行きましょう☆
正面奥の建物の 前栽の中に
「切支丹燈籠」
        
説明板によると;
1952(昭和27)年 当寺内の内藤家墓所から出土した織部型石燈籠の竿部分(脚部)。
(上部の笠・火袋部分は復元したもの) 
石質は白御影石で、江戸中期の製作とされています。 区登録有形文化財

「月桂寺」の燈籠から想像していたのと違って、新しいものかと思うような
石の色の白さ、形状と彫りの明確さが 正直ちょっと意外な気がしました。



ほかにも、
このお寺には 歴史的な見るべきものがいろいろあるのです☆

「内藤家墓所」

江戸時代信州高遠藩主 内藤家累代の墓所です。
       中央は 5代正勝の墓(寛永6年 造立) 区指定史跡
 右側は 13代頼直の墓(明治時代 〃)
  左側は 内藤家累代の墓(明治時代 〃)
1628(寛永6)年 正勝が葬られ、6代重頼が寺地を寄進し、
1714(正徳4)年 7代清枚(きよかず)以降 歴代の墓所として当主や
家族が葬られました。1952(昭和27)年に都の区画整理事業に伴い、
57基あった墓塔を現存の3基にまとめ 現在地に改葬されました。



閻魔堂

毎年7月15・16日に御開扉されますが、それ以外も正面扉に
あるボタンを押すと、1分間 堂内が明るくなり拝観できます。

「閻魔像」                  「奪衣婆像」
        
(いずれも説明板の画像)
閻魔像は 木造彩色で総高 550cm。都内最大の閻魔像です。
1814(文化11)年に安置されたとされ、製作もその頃と推定されていますが
数度の火災により 製作当初の部分は頭部のみ。体部は昭和8年に復元。
江戸時代より「内藤新宿のお閻魔さん」と庶民の信仰を集めています。

奪衣婆(だつえば)像も 木造彩色で総高 240cm。1870(明治3)年製作。
右手に亡者から剥ぎ取った衣を握り、その重さで罪の軽重を測るとか。
内藤新宿の妓楼の商売神として「しょうづか(葬頭河)のばあさん」と
呼ばれて信仰されていたそうです。 いずれも 区指定有形民俗文化財

格子扉越しに明るくなった堂内を覗くと、正面に赤い衣の閻魔像が鎮座し
左側に奪衣婆像が見えました。 奪衣婆は閻魔大王より小さい像ですが、
その顔はモノ凄く不気味で 閻魔大王より層倍の大迫力~~
悪童連の躾には 怖さできっと効果絶大、
間違いなし!
興味おありの方は、ご開扉の折に ぜひその目で御覧あれ。
‘猫’は、絶対ヤダ!



不動堂

頭に三日月を戴く不動像と、新宿山の手七福神の布袋像が祀られています。
堂内は暗く、2体の御像とも黒っぽいお姿としか見えませんでしたが、
不動像の頭部あたりに、小さくキラリと白く光るモノが見えました。

「三日月不動尊像」

(説明板の画像)
「弦月の遍く照らし大空を翔る飛禽の類に至るまで済度せむ」との誓願により
頭部に銀製の三日月を戴くため、通称「三日月不動」と呼ばれる不動尊立像。
像上の天窓から、三日月に光が当たるようになっているのだそうです。
区指定有形文化財

寺伝によると、この像を高尾山薬王院に奉納するため甲州街道を運搬中
休息に立ち寄った当寺の境内で 像が盤石の如く動かなくなったため、
お堂を建立し安置したと伝えられます。きっと此処がお気に召したのね☆



「塩かけ地蔵」
        
願い事をして塩を頂いて帰り、願いが叶うと お礼に倍量の塩をかけるそう。
1952(昭和27)年に 内藤家墓所から発見されたお地蔵さまだということです。


歴史的なものから民間信仰に関わるものまで揃った ミニ博物館のようなお寺でした。



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横須賀・大津陣屋跡

2016-09-19 | 横須賀・三浦


幕末期、ペリーの黒船来航以前にも 日本沿岸にはたびたび
異国の船舶が現われ、国内に緊張が高まっていました。



R134沿いにある「市立大津中学校」(陣屋跡)の
正門内に立っている説明板によると;

1842(天保13)年 幕府は江戸湾沿岸の警護を大名による守備で
固め、幕命を受けた川越藩主 松平大和守斉典(なりつね)によって
翌1843(天保14)年 「大津陣屋」が建設されました。


松平大和守斉典公像
(前橋・孝顕寺 所蔵)


(説明板より)

 
校門内に、石橋が保存されています。

旧陣屋内に掛けられていたもので、1978(昭和53)年にこの場所に
移設されました。「大津陣屋」を物語る遺構として唯一現存するものとか。



市内「大津コミュニティセンター」には、在りし日の「大津陣屋」の
大変精巧に復元された200分の1模型が展示されてあります。

「江戸湾海防本陣 大津御陣屋」 製作・山田 勉氏
説明によると;
陣屋の面積は当初は約9,800坪(約3.2ha)、嘉永年間(1848~54)に増築され10,510坪(約3.
5ha)。
周辺道路は、東表御門前が幅18m、南・西・北側は幅2.7m。「東表御門」は櫓づくりで太鼓櫓を
設置。東南角に「御蔵門」・南に「裏御門」・北北東に「御作事御門」・西に「無常(不浄)門」など
外門は計9ヶ所。 陣屋内には御殿・稽古場・事務所・馬場・長屋20棟などが建ち並んでいました。
さらに1854(嘉永7)年に 幅2.7mの堀を造り、石垣・土塁・柵で高さ2.7mの防御壁を築きました。

1868(明治元)
年 新政府により取り壊されるまでの26年間、川越藩・熊本藩・佐倉藩が
警護任務に当たり(最後は浦賀奉行所の管轄)、多い時は1,500人が詰めていたそうです。


陣屋跡近くのお寺に、任期中に亡くなった川越藩士のお墓が残されています。

嶂谷山信誠(しんじょう)寺


山門脇の 右から6基の墓石。

信誠寺の過去帳に記載があるとのこと。



その近くの路地にもありました。


        
左:「川越藩中 田中嘉兵衛建之」 右:「川越藩 内海金造以義建之」とあります。


このほか、市内走水の「大泉寺」・「円照寺」にもあるということです。        




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コスモスまつり始まりました

2016-09-17 | 花散歩


「くりはま花の国」の「コスモスまつり」が始まりました☆

  


 きれいに咲いている花もありますが、
赤・白・ピンク色は まだ咲き始め。



黄色の「レモンブライト」は よく咲いています。
全体としては、まだ 二~三分咲きというところかな。

それでも せっかくの連休、訪れる人は次々と。


ベストショットを狙って、カメラを構える人たちも






海へと続く道路の傍らの花壇は、だいぶ咲き進んでいます。



10,839歩



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中秋の月

2016-09-15 | 雑記



ぐずついたお天気が続いていますね。
朝の予報では 今夜は無月かも、と言われていたけれど・・


夜遅くなって、窓の外を見てみたら
見られました~!

ほぼ 真ん丸~

「 ゆきめぐり またも来て見む ふるさとの 宿洩る月は 我を忘るな 」 源 実朝


満月は、明後日だそうです。
それにしても、台風 気になる・・・



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初秋の水辺

2016-09-12 | 花散歩



夏の名残りをとどめながら、
日ごとに 秋の色が増してゆく「水辺公園」です。





エゴノキ
エゴノキ科

果皮にえぐみがあるので、この名とか。
春 枝いっぱいに白い花が咲き、とても綺麗です。



シモバシラ
シソ科
        
冬でもめったに凍らないこの辺りで、霜柱ができるのかな?



アサザ
ミツガシワ科




これは、夏の名残り。
スイレンに似た葉が、まだ池のほぼ全面を覆っています。 


ハギ
マメ科




コガマ
ガマ科

穂の長さが5~10cm位の小型のガマです。



ツルボ
ユリ科
        
野原で、秋を告げる野草のひとつ。
細い葉の間からシュッと伸びた茎に、淡紫色の小さな花をたくさんつけます。



まだ、ツクツクボウシの声も聞こえています。


「 すゞ風の 曲がりくねって 来たりけり 」  一茶



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三浦・宮川公園

2016-09-10 | 横須賀・三浦



京急「三崎口」駅を出て、さて今日はどこへ行こうかな・・
とりあえず 駅前のR134(三崎街道)を、
三崎方面へぶら~り☆




テキトーに交差点を左折し 歩いて行くと、広い校庭の小学校が。
校門がちょっと変わっていたので
「三浦市立岬陽小学校」

大きな石が並んでいます。
傍に立つ説明版によると、昭和39~42年 皇居の新宮殿建設工事の際
地下20mから数百本掘り出された巨石の一部で、江戸城築城当時の礎石
ではないかといわれるもの。どんな経緯で校門になったんでしょうね。




学校脇の坂道を下って行き、またテキトーな所で曲がったりしながら
ふと 電柱の表示板に「宮川」とあるのに気づき・・あ、そうだ!
今日は あそこへ行ってみよう~☆




畑地が広がる高台に出てきました。



「宮川橋」

前方右側に見えてきた2基の風車は、以前「盗人狩」など
岩礁歩きをした際、海側から見上げた あの風車です。
城ヶ島」からも よく見えてましたっけ。



風車のある公園に到着~
「宮川公園」

高さ35m 羽根の直径31mの巨大な風車が2基。


近くで見ると、ホントに大きい~!

1基だけ回っています。
そのためか、音は思ったほど煩くは感じません。


園内に、5つめのマイルストーンを発見☆
        
此処のテーマは「マグロと大根」。 分かりやすいネ(笑)


展望台からの眺め

「みうら宮川フィッシャリーナ」


涼しい海風に吹かれて、楽しかった岩礁歩きを また思い出しながら
今日はちょっと頑張っちゃいました~

24,962歩 



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秋色探して②

2016-09-06 | 花散歩


空模様を窺いながら、秋を探してちょこちょこ散歩☆


シュウメイギク(秋明菊)
キンポウゲ科



          



クコ(枸杞)
ナス科

薄紫色の可愛い花も咲いています。



ネズミモチ(鼠黐)
モクセイ科

初夏に 白い花が咲きます。
タマツバキ(珠椿)なんて素敵な別名もあるようですね。



クズ(葛)
マメ科
          
この花が咲きだすと、秋だなぁ と・・



ネムノキ(合歓木)
マメ科

絹サヤのお化けみたいな・・



カリガネソウ(雁金草)               ヤブミョウガ(薮茗荷)
クマツヅラ科                      ツユクサ科
          



マユミ(檀)
ニシキギ科

熟すと裂けて 赤い実が顔を出します。



ノブドウ(野葡萄)
ブドウ科

まだ色づいてない 若い実がいっぱい。


カキ(柿)
カキノキ科

そろそろですね~ ‘猫’の大好物デス☆




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初秋の海岸散歩

2016-09-05 | 散策


今日は暑かったですね~!!

でも、
台風の被災地の方々には申し訳ないような パキッとした青空で
気持ちのいい涼風も吹いていたので、海へ。




海辺のレストラン

強い陽射しのためか、さすがにテラス席に人影は・・
モクモクわき上がる 力強い入道雲は、まるで真夏のよう。




フグ? 
魚はたくさんいたけれど・・・





だ~れもいない 初秋の海岸でした。


13,263歩



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三浦・海南神社

2016-09-03 | 横須賀・三浦


三浦の海の守り神です。

海南神社

主祭神は、藤原資盈公
境内には 三浦七福神の弁財天も祀られています。
ご本殿は、只今メンテナンス中ですが。


        



御神木は、雌雄一対の大イチョウ

樹齢 約800年
源頼朝公の御手植えと伝わります。


雄株                        雌株
        
雄株の根元には「龍神社」が祀られています。


社の屋根を覆うように張り出すイチョウの枝が

龍神様の姿に見えると☆
あ、ホントだ~


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