スニーカー履いて

‘猫’も歩けば・・・今日はどんな出会いが?

横浜・大桟橋通り~海岸通り 

2008-09-28 | 横浜

銀杏並木が美しい日本大通りや平行して真直ぐ伸びている大桟橋通りを
海に向かって散策するのが、横浜らしい雰囲気が感じられて好きです。



横浜をモチーフにした歩道の絵タイル



横浜海岸教会は1933年に再建された建物

 

その先の横浜開港資料館は 旧英国総領事館(1908年)


来航100年を記念し「白船来航」の展示をしていました



ここまで来たら、やはりハマのシンボルにご挨拶して行きましょう。
  
‘キング’こと 神奈川県庁本庁舎(1928年 高さ49m)国登録有形文化財



‘クイーン’こと 横浜税関本庁舎(1934年 高さ51m



‘ジャック’こと 横浜市開港記念会館(1917年 高さ36m)国重要文化財
   


この建物は、内部も大変素敵なのです。

開港の端緒となった黒船ポーハタン号のステンドグラス


展示室入口にあるステンドグラス


   

天井の漆喰装飾とシャンデリアもレトロな味
   
今日は講演会があるようで、開演を待つ人達が
大勢いらしたので早々に退散しましょう。
  

いつ来ても、道端でスケッチを楽しむ人に何人も出逢います。
人々に愛されて止まない横浜らしい横浜が此処にはあるのですね。

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横浜・伊勢佐木町  

2008-09-27 | 横浜

「伊勢佐木モール」の名で親しまれている伊勢佐木商店街の‘顔’とも
言える横浜松坂屋デパートが、来月26日に遂に閉店してしまいます。

「横浜でお買物」といえば伊勢佐木町だった遠い(!)青春時代を
あれこれ懐かしく思い出しながら、お別れに行ってきました。


伊勢佐木モールは人がいっぱい



横浜松坂屋は、市指定の横浜歴史的建造物だそうです


中が見えないエレベーター    昇降階の表示がおしゃれ
   

エスカレーターの装飾は波と船を連想させます


全館セール中でとても賑わっていましたが、格別買いたい物も
なかったので、デパートを出てあちこちのお店を覗いてみたあと
横浜公園の方へ足を伸ばしてみると、何やらにぎやかな音楽が♪


「ヨコハマwai!wai!フェスタ2008」というイベントが開催中でした。


昨年まで「ヨコハマふるさと祭り」として行われていたものを
今年は、名称も内容もリニューアルしたのだそうです。

横浜市内で活動する各団体・組織が活動の
PRを目的とした催しで、
資料展示・物品販売のほかゲームに参加できるコーナーなどたくさんの
テントが並び、舞台ではダンス・パフォーマンスが行われていました。

「虎舞士」というグループの演舞


なかなか迫力ある舞ですが、シャッターチャンスが難しい・・


演舞を撮影するサポーター(?)


明28日は「よこはま技能まつり」が開催されるようです。

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鎌倉古陶美術館

2008-09-25 | 鎌倉・逗子・葉山

JR北鎌倉駅から線路沿いに円覚寺の前を明月院の方に向かう道の、いつも
前を通り過ぎながらちょっと気になっていた建物に今日は入って見ました。


入館料¥500を支払って、時代劇に出てくる櫓のような門()を入ると
すぐ庭になっていて、その左側に美術館の建物への入口があります。





中に入るとすぐの所に、古めかしい額が上がっていました。徳川家
第16代で元貴族院議長 徳川家達(いえさと)氏の書だとか。


館内の撮影OKというのは嬉しいですね~


館内は少し落とした暖色の照明で、参観者はほかには誰もいないようでした。
この建物は古民家を移築して改装したものらしく、太い柱や剥き出しの梁、
さりげなく置かれた家具類にもオーナーの思い入れの強さが感じられます。





欄間の彩色彫刻



2階の展示室には、13~14世紀頃の備前・信楽・常滑・瀬戸・丹波・
越前・加茂・珠洲など国内の焼物や同時期の中国の焼物が並んでいました。

これらは13世紀常滑焼の大甕


13世紀中国(南宋)・景徳鎮の牡丹唐草紋瓶子


14世紀(元)・竜泉窯の青磁


青磁の観音像


青磁の人形燭台


13世紀(宋)・江西省吉州窯の梅花天目



今回はこれらの展示品でしたが、オーナーが蒐集した沢山の
陶器が適宜入れ替えられて展示されているとのことでした。

梅雨の頃、建物奥の庭に100種類もの紫陽花が咲くそうで、
その季節にはきっと、訪れる人も多いことでしょう。

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佳き日に 

2008-09-23 | 雑記

   今日は大安
 横浜の某ホテルで行われた知人の結婚披露パーティーに出席しました。

ホテルの窓から
 


 若い新郎・新婦はお二人ともなかなかの美男・美女カップルで、ご両人の
  友人達が大勢出席した賑やかなパーティーは、大変楽しく盛り上がりました。
  若い人たちって、みんなで盛り上げて雰囲気を楽しむのが本当に上手ですね。                 


お料理はフランス料理で、盛り付けもとてもお洒落で綺麗だったので
「よ~し、全部のお皿を激写するゾー!」と張り切ったのですが・・
美味しくてそのうちすっかり忘れてしまい、撮れたのは前菜だけ

 

 食欲が充分満たされてから最後のデザートになったら、なんと別室に
  デザート・バイキングが用意されていて「どうぞお好きなだけご自由に」。

  色とりどりのスウィーツの前で気持ちはいきなりピークのハイテンション、
 でも現実は、奈何せんおなかの方が・・・ んー、ザンネ~ン!
    食べるのは若い人たちにお任せしておきましょう。 
   


最後にそれぞれのご両親に、新郎・新婦の誕生時の体重と同じ
重さの熊のぬいぐるみが贈られて(これが当節流行のようですね)
めでたくお開きとなりました。 結婚式っていいものですね。



 今回は‘食いしん坊猫’のblogになってしまいました~
月末にある健康診断がちょっと心配

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山口蓬春記念館へ  

2008-09-19 | 鎌倉・逗子・葉山

のろのろ台風が関東へも近づいて来ていて、予報では今夜辺りから荒れる
そうなので、降り出す前にちょっとだけウォーキングして来ようと思います


葉山の山口蓬春記念館へしばらくぶりに行ってみました。こじんまりした
美術館ですが行くたびに違った絵やデッサンが展示されていて、四季折々の
花が咲く庭や落ち着いた館内の雰囲気もどこかホッとできるような場所です。

画室や海を臨む二階の居室がいい雰囲気ですが、撮影できなくて残念!
記念館入口付近の様子をご紹介しますね。

意表をつく門構え


アプローチのおしゃれな石段


記念館入口 左はテラスになっています


テラスの先には、広くて明るい画室 
机も絵筆も、使いかけの道具がそのまま残されていて
ちょっと席を立った画伯が戻ってきそうな雰囲気です


庭には紅白の萩がこぼれんばかり



蓬春記念館からバス通りを隔てた向かい側に神奈川県立近代美術館葉山館が
あります。この建物が出来るまでは蓬春記念館の二階からの海の眺めが
とても素晴らしかったので、ちょっと残念ではありますが・・



まだ雨は大丈夫そうなので、もう少しこの辺りを歩いてみましょう。


懐かしい構えの店がありました

    

ちょっと路地を入ると素敵な家に出逢ったりします


波音のする方へ行ってみましょう
    

きれいな砂浜に出ました 向こうの長い白壁は御用邸


葉山といえばやっぱり此処ですよね




御用邸付属邸跡の「葉山しおさい公園」は昭和天皇が皇位を継承された
いわば昭和発祥の地として、葉山町の史跡となっています。


5,500坪の園内には、小滝のある庭園や潮騒が響く黒松林があります。 
   

今上天皇ご成婚の記念に建てられた潮見亭



とうとう雨が落ちてきたので、今日の散策はここまでにして

急いで家に帰ります。14,589歩のウォーキングでした。

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いつもの公園へ  

2008-09-16 | 散策

いつもの公園にも確実に秋の気配が漂ってきました。今日は日差しも
強くないせいか、ウォーキングの人たちもいつもより多いようです。


池の黄色い花はアサザ。浅い所に咲くからとも
朝早くに咲くからとも言われています。


散歩がてらカメラを楽しむ人たちがたくさんいます。
ここは被写体には事欠きません。





この方も狙ってます!



見まわせば、あちこちに‘秋’






これは 外れにあるガーデニングのお店



もう少し遠くまでひと回りして帰ろうかな・・

春にはみごとな花のトンネルになる桜並木
秋は歩道に枯葉の絨毯が 足元でカサコソ


というわけで、今日のお散歩は11,680歩。


オミヤのお野菜は 〆て¥300也(含 オマケ)

坊ちゃんカボチャは1個¥200。 手のひらサイズだけど
3倍の栄養価。レンジでチンすると皮もワタも食べられます。

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和田長浜(なはま)海岸~ソレイユの丘  

2008-09-13 | 横須賀・三浦

京急主催の沿線ウォークが年に6回開催されていて今回はその3回目だそうです。


以前歩いたことのあるコースですが、久しぶりだし、今回は長浜海岸で
ゴミ拾いをしながらのウォークとのことで 私も初めて参加してみました。


京急三崎口駅前で受付を済ませ、貰った地図を見ながらめいめい自分の
ペースで歩き始めます。駅から30分ほども歩くと和田長浜海岸に出ます。
三浦・横須賀両市にまたがる全長約600mの砂浜が続く静かな海岸です。

あの岬の向こうまで行きます。


係りの人からビニール袋とスポーツドリンクを渡されてゴミ拾い開始。
張り切って見回すも、空き缶・ペットボトルなどの目立つゴミは先発
した人達にすでに拾われてしまったのかほとんど見当たりません。
それでもタバコの吸殻や花火の残骸、お菓子の袋や包み紙などを
見つけて拾いながら、50分くらいかけて砂浜と岩礁を歩きました。

岬の突端。ここから先は岩場を歩きます。


さらにあの岬まで・・むむ、がんばるゾ!


海底に堆積した600万年前の古い地層が隆起・褶曲によって陸地と
なり、風や潮流で浸食されて独特の荒々しい景観を形成しています。
白い頁
(けつ)岩と黒い凝灰岩が層を成す海蝕台と海蝕洞が特徴で、
「かながわの景勝
50選」に選ばれているそうです。



岩場からあがると、夕日の絶景ポイント荒崎公園に到着です。
ゴミ拾いはここで終了!


のどかな雰囲気の漁港を左に見ながら、
ここで海岸線から
離れてソレイユの丘まではあと
30分ほどの道のりです。

横須賀市民俗文化財「飴屋踊り」が毎年7月に奉納される熊野神社



ソレイユの丘は、戦時中に飛行場が建設されたものの完成時には終戦となり
米軍の接収を経て1985(昭和60)年に返還され、2005(平成17)年再開発されて
現在のような規模の大きな体験型の市民公園となったものです「まきば・水・
街・村」の4エリアから成りいろいろな体験や
遊び・食事・入浴も楽しめます。

駐車場の向こうが公園の入口です


プロバンス地方をイメージしたという広い園内


次々と記念写真のモデルに。
なかなか人気者のマスコット


牧場には馬もいます


ゴッホの絵に出てくるような橋もありました


ここでゴールしてバスに乗ってもOKですが、多くの人は
三浦海岸駅まで歩いて行きます。
もちろん私も! 
さらに
40分ほど歩いて無事にゴールイン
完歩したご褒美は京急電車のかわいい缶バッジ。


本日の歩数は
25,189歩。慣れない砂地と岩場を歩いたので
きょうはちょっとばかり疲れました~ 

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朝の散歩 

2008-09-09 | 散策

朝夕、急に秋らしくなってきましたね~ 散歩の足も自然と弾みます♪

 
 
公園への途中にコスモスがたくさん咲いていました。あぁ、秋だなぁ!




公園に着きました。園内は今、ジニア(百日草)が真っ盛り。




その向こうのクレオメも見頃です。  そろそろ彼岸花も咲き始めました。

   


ランニングする人たち がんばって~!




黄花コスモスも元気いっぱいです。




パンパグラスの穂が 陽にきらきら輝いています。




ツキヌキニンドウは青い空に向かって




最初はちょっと公園までのつもりだったのですが、とても気持ちが
良かったので 遠回りして海岸通りまで足を伸ばしてしまいました。


海岸通りへ出ました 今日は 波も穏やか。




俳優H.Mさんの素敵な別荘が海に面した高台にあります。



潮風に吹かれながら歩くのは とても爽快な気分
この時ばかりは 海が近くて良かったな~と思うのです。

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富岡でちょっと道草 

2008-09-07 | 横浜

大正・昭和初期の富岡には多くの著名人の邸宅があったそうです。
一年中温暖な気候と海に近く静かな環境が好まれたのでしょうか。

作家の直木三十五氏も、ここ富岡に住みここで亡くなっています。

氏の住居とお墓があるらしいので、地図を片手に訪ねてみました。


静かな住宅街の坂の上にある住まいは、今はH氏邸となっており
外観はほぼ当時のままだそうです。門の傍らに立派な碑があります。





案内板の説明によると、碑文の「芸術は短く 貧乏は長し」は氏の
随筆「哲学乱酔」の中の「は短く 貧乏は長し」をアレンジし、
遺稿から集字して刻んだものだということです。

富岡に移住したのは1933(昭和3)12月、翌年2月に亡くなった
とのことですから、ほんの短い間のお住まいだったのですね。


最初は、坂を下ったところにある慶珊寺にお墓があったそうですが
後に、氏の希望だった「海の見える禅宗の墓地」長昌寺に移された
とのことなので行ってみたいと思います。慶珊寺には、江戸城内での
刃傷で自刃した豊島刑部明重父子の遺徳を偲ぶ供養塔がありました。




慶珊寺の山門を出ると、すぐ脇に大きな石碑が建っていました。


案内板によると、三民主義を唱えた孫文が大陸を脱出しここ富岡の
浜に上陸したことを記念するもので、揮毫は岸 信介元首相です。


臨済宗 富岡山長昌寺の境内の奥まった場所にお墓はありました。



自然石に「故直木三十五之墓」と刻まれた立派なもので、毎年2月に
氏の代表作「南国太平記」に因み「南国忌」という慰霊祭が行われます。

傍のお堂は昔、池に茂る芋の中から観音様を拾い祀った「芋観音」です。



このほか伊藤博文氏の別邸もあると聞いたのですが、現在
整備修復中なので来春の完成を待って訪れてみましょう。

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「二松庵(にしょうあん)」を訪ねて  

2008-09-06 | 横浜

大正・昭和を代表する近代日本画の大家川合玉堂画伯の別邸が、横浜市の
有形文化財の指定を受けて金沢区富岡に保存されており、毎月第一土曜日に
限って一般に公開されています。 敷地面積約2,000坪の深い緑に囲まれた
邸宅は、京急富岡駅から徒歩数分、坂を上ったところにありました。

建物や画伯に関する詳しい説明については、下記URLからご覧くださいね。

http://www.city.yokohama.jp/me/kanazawa/oshirase/gyokudo.html


駅を出て、すぐ目に入った看板にしたがって左の道に入ります。


坂の上に、竹林や雑木に囲まれた風雅な冠木門がありました。


10時の開門を待って中に入り、受付で資料を貰ったあとボランティア
ガイドの男性のユーモアたっぷりな説明で、庭から邸内を見学しました。

ただ時節柄 蚊の攻撃止むところを知らず、これには本当にマイッタ!


母屋は寄棟の茅葺(一部瓦葺)平屋建て



玄関には、画伯が好んだ良寛の書から集字した「雙(双)松庵」の額






控えの間の額は画伯の作品「長閑」(複製)







数寄屋造りの10畳広間 床の間の掛け軸は「虎」(複製)






囲炉裏がある大間の茶室



舟底天井で欄間に満月形の格子窓 襖に半月形の引き手



手斧(ちょうな)の跡も独特の味わい




採光と眺望を考慮した東南の明るい角部屋が画室です。





「出船」が描かれた昭和32年ごろは画室から
海がよく見えた
そうですが、埋め立てが進み現在は甍の波と高層ビルの群れ。

「出船」(複製) 額のガラスが光って見難いですが






画伯の好みで自然の趣を取り入れて作られた庭は当時と比べて
異なる所も
あるものの、全体的には大正中期から昭和初期に多く
あった富岡の別荘建築の雰囲気がよく
遺されているそうです。






「二松庵」の由来となった庭の2本の老松は枯れてしまって今は無く、
また「紅白梅」図のモデルといわれる紅梅白梅も、残るはただ1本
だけとなって時の流れを感じますが、落ち着いた佇まいに心和む
ひとときを過ごしました。紅葉の季節にまた来てみたいと思います!
  


  

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海辺の町・浦賀Ⅳ 

2008-09-04 | 横須賀・三浦

鏝絵というのは左官職人が鏝で民家や土蔵の壁に漆喰によって施した
彫塑で、漆喰だけを使った白一色のものや顔料と膠を混ぜて着色した
色漆喰による鏝絵もあります。絵柄も説話・物語や身近な動物、また

空想上の動物などがモチーフになっています。昔から漆喰細工、鏝細工、
壁絵、泥絵などと呼ばれるものがあり、江戸中・後期から防火対策として
幕府が土蔵造りを奨励したことから左官の需要が増えて盛んになり、
江戸
末期から明治にかけて活躍した「伊豆の長八」と呼ばれた名工・
入江長八の頃から「鏝絵」という名称が始まったとされるようです。

鏝絵は依頼主が望んで描かせたものもありますが、多くは左官職人が

仕事のお礼として一家の幸福と繁栄を願って描いたもののようです。

以上、今回‘にわか勉強’で分かったことを偉そうに書きました。
明治時代の
洋館の柱や天井
にも、素晴らしい漆喰装飾が施されているのを見かけますよね。


江戸末期から明治にかけて、回船問屋が多く土蔵造りが盛んで漆喰壁を
塗る
左官職人も多かった浦賀にも「伊豆の長八」に比肩する高名な漆喰
鏝絵職人が
いたそうで、それが「三浦の善吉」こと石川善吉という人です。


浦賀の鏝絵に興味を持ったきっかけは、「西叶神社」社務所にあるこの絵でした。
大きな水甕に落ちた子を賢い子供が甕を割って助けるという、中国の逸話を
表現した鏝絵で、昭和5年 三浦の善吉こと石川善吉の作と伝えられています。


 

割られた甕から流れ出す水と童子を心配そうに木の上から見守る童子



西叶神社に近い「東福寺」には、色鏝絵があると聞いて行ってみました。


本堂欄間が8点の鏝絵で飾られていました。

亀と鶴



唐獅子

飛天



昭和7岩田辰之助37才の作品。飛天や動物の目がちょっと怖かった・・



同じ西浦賀で猿田彦を祀る「大六榊神社」にも、お社正面の左右に鏝絵があります。


   
三浦の善吉・吉蔵父子合作の上り龍・下り龍と鶴 



大六榊神社に行く途中に、鏝絵に飾られた「川間町内会館」がありました。


 
1階の鶴亀と松竹梅の色鏝絵には「石梅作」と銘があります。
昭和34年 三浦の善吉の息子さん 石川梅尾52才の作品です。

2階部分の鳳凰です。 ただ「スゴイ!」の一言。



東浦賀にも鏝絵が残っていました。

園城山法幢(どう)」の本堂正面の唐獅子は、
大正12年 岩田辰之助・徳太郎兄弟合作
 



最後に、三浦の善吉の手になる極めつきの鏝絵をご紹介しましょう。
須佐男命を祀る「八雲神社」向拝の龍です。



明治35年 善吉48歳の作

そう思って見ても俄かには信じ難い、木彫のような鏝絵の傑作です。

こんなにスゴいものがあることを今回初めて知りました。
もっとアピールすればいいのに・・・


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海辺の町・浦賀Ⅲ 

2008-09-03 | 横須賀・三浦

渡し船で対岸の東浦賀に来ました。ここは最盛期には干鰯問屋が軒を連ねて
いたそうで、狭い地域にたくさんの寺社が密集していることに驚きます。

    
のどかな港町の風情があり、あちこちで道端に井戸を見かけます。


海岸伝いの道を、対岸の西叶神社から遷された東叶神社へと向かいました。

石段脇にある蘇鉄は、源頼朝が源家再興願意成就の御礼に伊豆から移植奉納
したものと伝えられています。西叶神社で授かった勾玉を、ここ東叶神社で
授かった守り袋に入れてお守りにすると願いごとが叶うそうです。

本殿裏の祠は、海難など難事の際に身代わりとなって人々を救う身代わり弁天。


拝殿から200余の石段を上った明神山に勝海舟断食跡の碑がありました。



Uターンして湾沿いに京急浦賀駅の方へ向かっていくと、徳田屋跡があります。
浦賀の旅籠の草分け徳田屋は現在は何も残っておらず、時代が風雲急を告げる頃
吉田松陰が師の佐久間象山と協議した場所であることを記した碑が建っています。



三浦稲荷は江戸の人気力士雷電が相撲興行を行ったとか。
干鰯で栄えた往時のこの地の様子が偲ばれます。

(以前の見学ツアーで撮ったものです)


向拝の彫刻は狐?

そのほか、小林一茶が寺に葬られた初恋の女性 寿女の墓参に訪れたという
記録が残る専福寺など、この辺りには多くのお寺が並ぶようにしてあります。


赤い鳥居の東耀稲荷は火防の神。土地の里神である須賀神社も合祀されて
いて
小さなお堂の四方の欄間や内部格天井に手の込んだ彫刻が残されて
います。鳥居の傍らにも青いポンプ井戸がありました。


 

 


説明板にあった格天井の写真。

   
瓦屋根の左右先端に飾られている大黒天と恵比寿天。
小さな像ですが、見る方もつられて笑顔になりますね!

今回は彫刻や鏝絵を訪ねて歩いたため、寺社巡りみたいになりました。
お寺や神社に格別興味があったわけでも無いのですが・・

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海辺の町・浦賀Ⅱ 

2008-09-01 | 横須賀・三浦

西叶神社社殿の見事な彫刻は安房国千倉の彫刻師後藤利兵衛によるものだそうで、
当時の浦賀の繁栄を髣髴とさせる大変豪華な作品はぜひ後世に残したいものです。

  
実際に見ると、なかなか迫力がありますよ!

社殿向拝の格天井には28の彫刻

   

社殿両横の紅梁上で屋根を支える力持ちの力士さん

また以前、ここの社務所にある漆喰の鏝絵が素晴らしいと書きましたが、今回
さらに別の鏝絵が残されている寺社なども訪ねてみましたので、後日まとめて
ご紹介
したいと思います。こちらも必見ですよ!(と、ちゃっかり宣伝?)


西叶神社の近く、浦賀湾を見下ろす高台にある曹洞宗のお寺 延命山東福寺は
案内板に
よると江戸幕府より二石の御朱印地を賜り、歴代の浦賀奉行も就任時には
必ず参拝に
訪れたという格式のあるお寺です。欄間に彩色の鏝絵が残されています。



また、江戸
.中期を代表する画家 酒井抱一が描いた大亀の絵馬があるそうです。

これは案内板にあった写真。


さらに進むと、1891(明治24)開園という市内最古の愛宕山公園があります。
右から「浦賀園」と読める地味な石のプレートが時代を感じさせますね。


階段を上っていくと「咸臨丸出航の碑」などがあり、海を見下ろす眺望が抜群です。


公園を下りて向かったのは通称「陸軍桟橋」。江戸時代、船改めを行った
「船番所」跡です。開放的なウッドデッキに座ってお弁当を食べたくなります。




片隅に、戦後外地からの引揚者56万人を受け入れたことを記す記念碑が
あります。華南から
引揚げて来た船内でコレラが大発生、故国を目前に
して亡くなった人々も多くいたことが記されてあります。




桟橋の近くに、浦賀湾を跨いで対岸の東浦賀まで乗せてくれる
渡し船の船着場があります。大人1人150円也のミニ船旅です。




船から見る浦賀湾です。潮風がとても快い~!

次回は、東浦賀の様子をご紹介しますね。

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