そろそろ見頃です☆
横須賀の「太田和つつじの丘」公園
入口から続く ツツジの‘壁’
あずまや付近のクルメツツジは、そろそろ終盤だけど
ヒラドツツジは満開!
オオムラサキツツジの丘は・・
右も左も
丘の上から☆
木々が若葉をいっぱいつけて 美しい季節ですね!
それぞれが個性的で、若い‘いのち’が漲っている感じがします。
これは「カキ」の若葉。
軟らかな葉先は、天ぷらにして食べられるんですよね☆
「ネグンドカエデ」
カエデ科
木全体に、黄緑色の花が咲いたみたい。
「何だろう?」と思うくらい、遠くからでも目を引きます。
「スモークツリー」
ウルシ科
ケムリノキ シロクマノキ ハグマノキとも。
薄桃色の花の時期も ステキです。
「トウカエデ/ハナチルサト」
カエデ科
毎年 白い姿を見たくて、楽しみにしている木。
公園の奥で、精いっぱい存在をアピールしています。
あ、「ケヤキ」の葉に虫コブ・・・・
ケヤキハブクロフシというらしいですが
北条早雲の大庭城攻略にまつわる こんな言い伝えが残っています。
城の付近一帯が沼地のため 攻めあぐんだ北条方は、付近に住む
老婆から、引地川の堤を切れば 沼は干上がることを聞き出しました。
しかし、秘密が漏れるのを懼れ、その老婆を斬殺してしまいます。
「舟地蔵」
城を落とすことが出来た北条方が、老婆を供養する
ために建立した と言い伝えられているお地蔵さま。
舟型の台座に乗っているところから こう呼ばれています。
道路を挟んだ向かい側に 「舟地蔵公園」
花壇や児童遊具・ちょっとしたグランドなどがあります。
いつ来ても、季節の花が咲いている 美しい公園です。
花と言えば・・藤沢市の「市の花」は、藤だそうですね。
公園にいた人から 藤の綺麗な場所があるという耳より情報☆
個人のお宅らしいのですが、花の時期に限り見せて頂けるとか。
まだ陽も高いことだし、尋ね尋ね行ってみることにしましょう
公園から、南西方向への道を500~600mほども歩いたかな。
道路の左側に、ホントに目立たない(笑)案内表示を発見!
観光園ではないので、殊更目立つ必要はないんでしょうね。
そこから住宅街に入って行くと、すぐに分かりました。
たしかに個人のお宅のようですね。
「端山藤園」
ひと声おかけして、中へ・・・
敷地内は、色とりどりの藤 藤 藤☆
甘い香りが漂っています~
最後に思いがけなく綺麗な藤をたっぷり楽しめたので、元気百倍!
えーぃ、辻堂駅まで歩いちゃえ~☆
27,965歩
「れんげの里」から引地川を渡って、R43(藤沢・厚木線)に出ます。
けやき並木の通りをどんどん南下していくと、右側に
「大庭城址公園」
1985(昭和60)年に開園した総合公園です。
総面積 12.6ha
「大庭城」は、平安末期 「大庭御厨」と呼ばれる伊勢神宮の荘園を
管理していた 大庭氏の拠点であったと伝えられています。
室町時代中頃に、扇谷 上杉定正の執事 太田道灌が本格的な
築城を行ったとされ、その後上杉朝良の時、北条早雲に攻略され
その持城となりましたが、後北条氏の滅亡により廃城となりました。
「大庭城址之碑」
「からぼり跡」
大庭城は、台地上を東西に横断する3本の空堀で4つの郭に分かれていました。
「掘立柱(ほったてばしら)建物跡」
石柱は、1968(昭和43)年の発掘調査で確認された高床建築の柱穴の
配列を示したもので、実際の柱穴は 地下50cmに保存されているそうです。
桜の名所として知られている公園ですが、今は名残りの八重桜と新緑の季節。
そして藤の花☆
広い園内のあちらこちらにある藤棚で、とても綺麗に咲いていました。
いつ頃からか めっきり目にすることがなくなりましたねぇ、レンゲソウ・・
小田急「善行」駅 西口から、ぶらぶら歩いて30~40分かな?
「善行団地」を抜け坂を下って行くと、田園風景が広がっています。
「引地川」近くにある「石川ポンプ場」の周辺には
一面のピンク色の絨緞
此処では貴重な水田を守るために、2001年から 農閑期(秋)に
約4haの田んぼにレンゲソウの種約100kgを蒔き、春に鋤込む
ことで有機肥料(窒素)の効果を得る取り組みが行われているとか。
毎年 花の時期には「石川れんげの里まつり」が開かれ、期間中は 自由に
田んぼに入って花摘みができ、「れんげの里」として親しまれています。
道を隔てたこちらの田んぼには、同じマメ科の
「ベニバナツメクサ」の花も☆
こういう景色も、いいなぁ~
今日の「花の国」
今年も たくさんの鯉のぼりが元気よく
ネモフィラの海を泳いでます
近隣では シャーレーポピーも ☆
もうすぐG.W.ですね~☆
天候も まぁまぁのようですよ。 皆さん、楽しいプランは おありですか?
16,228歩
「三浦富士ハイキングコース」入口にある群生地で
今年も、ニリンソウの花が可憐な姿を見せてくれています。
例年より花数が少し少ない気が・・・気のせい? だと いいけど。
来年も たくさん見られますように!
山頂広場はベンチもあり、お弁当には最適な場所ですが
今日は すっかり‘大山銀座’の賑い
まだあまり空腹でもないので、「見晴台」で食べることにして
拝殿と奥の院に 下りの安全を祈願し・・
11:50 早々に出発☆
「不動尻 見晴台」方面へ下ります。
下りは‘猫’のニガテな階段
一段一段の高さと幅が 歩調に合わなくて、疲れるゥ・・・
大山の肩
獣除けのネットが張られています。 時々下界を見下ろしながら・・
所々に、可憐なマメザクラ
12:40 「見晴台」が見えてきました。
標高 683m
あら~此処も満員大盛況だなぁ!
道路改修中のため、工事資材もたくさん置かれています。
見晴らしも ま、こんなところか・・・
おにぎりタイムはやめ、下りながらバナナを頬張ることに。
ちょっとお行儀悪いけど・・・
モミの林の中、片側ガケの細い道を下ってゆきます。
幼木が大切に育てられています。
おー怖っ~
途中、「崩落死亡事故現場」と書かれた立札があったりして・・・
大山を軽く見てはいけません。道を譲りあって 慎重に・・!
「二重滝」が見えてきました。
自然の巨岩が二段に分かれ、上流の断崖からの湧水が二段の岩壁に流れ
出るところから二重滝と呼ばれ、 修験者の禊の場所であったといいます。
滝の傍に、「二重社」
阿夫利神社の摂社で、祭神は殖産・灌漑・雨乞いの神。
水をつかさどり、俗に龍神にも例えられるとか。
説明板によると;
関東大震災前まで、二重滝の滝壷の辺に樹齢1,000年を超える
老杉があり、毎夜丑の刻に参って この木に呪いの相手を模った人形を
打ちつけたという 凄愴の「呪いの杉」伝説が伝わっているそうです
赤い鳥居の小さなお社を左に見ながら
ほどなく 右手にある石段を上って、13:15 下社に到着☆
がんばったご褒美は、茶店で「とうふソフト」
¥250ナリ
あとは楽チン
下りのケーブルカー+バスで「伊勢原」駅まで。
よくがんばりました~ 19,171歩
今年に入ってから思い立って、時間を見つけ少しずつ歩き繋いできた
「大山街道・田村道」は、先月 漸く「阿夫利神社下社」まで辿り着きました。
こうなったらもう、上まで行くっきゃないでしょう!
というワケで、
今回は 大山山頂の「阿夫利神社本社」をめざすことに☆
前に登ったのは いつだったかなぁ? と記憶を辿ってみると
えっ、もう10年も前のことでした・・・今回は体力 ダイジョウブかぃな??
「ダメだと思ったら、途中で引き返してくればいいじゃないか」と トノ。
たしかに! では自分のペースでゆっくり行くことにしまセウ☆
今回は下社までケーブルで上り、そこから歩き始めます。
週末の晴れ間とあって、「伊勢原」駅からのバスもその先の
ケーブルも乗客の長い列。 これなら歩くのも淋しくないナ♪
登山口(10:25)
標高 696m
明治の初め頃まで、夏季以外は登ることができなかった
そうで、半分閉じられた扉は その名残りだといいます。
いきなり急な石段を上っていくと
「白山神社」
「(阿)夫利大神」の碑が建っています。
「大山修験(山伏)は山中で行う修行の中で、白山神社を
拝するのがその一過程であった」と説明板にあります。
近くに 歌碑が一基
「 豊作を たたへ 大山 仰ぎけり 伊代次 」
俳人 滝沢伊代次氏の句でしょうか。
ここから 次第に山道になります。 さぁ、ぼちぼちと参りましょうか。
路傍に「〇〇丁目」と刻まれた標柱が立ち、それが路程の目安。
8丁目の「夫婦杉」
左右同形の巨木で、推定樹齢500~600年。
14丁目「ぼたん岩」
足元に見られる球体の岩が、牡丹の花のように見える
ところから、その名。 海底で出来た岩だそうです。
15丁目「天狗の鼻突き岩」
岩に直径15cmほどの穴があいています。
天狗さんの仕業でしょうかね。
16丁目「追分」
「蓑毛」との分岐地点で、標高992m。
「石尊大権現」の碑は、1716年に建立されたもので、
総高3m68cm。 麓から強力さん達が担ぎ上げたとか。
江戸時代の大山信仰の深さを表す立派なものです。
20丁目「富士見台」
富士山を眺めるには絶好の場所だそうで、
広重の浮世絵「不二三十六景」にも描かれています。
が、今日は・・・
こんな立札にも励まされつつ、今度は鉄製階段を上り・・
あ、鳥居が見えてきた~!
最後の胸突八丁を上りきると・・2つ目の鳥居 28丁目☆
山頂、着いたどー 標高 1251.7m
「雨降りの木」 「奥の院」
眺望はやっぱり・・・だけど
無事に登りきって、「江ノ島」からの大山街道をめでたく踏破できました。
やったぁ~! (11:40)
(続)
「妙本寺」のすぐ近くにあるのは、
「妙巌山 本覚寺」
化粧直しが終わり、すっきりときれいになった仁王門。
左右の仁王像はまだお引越しが済まず、お留守でした。
只今は、本堂の改修をしています。
創建: 1436(永享8)年
開山: 日出上人
本尊: 釈迦三尊
源頼朝が、幕府鬼門の鎮守として夷堂を建立した場所で
佐渡配流から戻った日蓮聖人が、此処を住まいとしたと
伝えられています。 その後鎌倉公方 足利持氏が寺を
建立して日出上人に寄進、日蓮宗に改められました。
第2代 日朝上人が身延山久遠寺から日蓮聖人の分骨を
受け、当山に祀ったことにより「東身延」と呼ばれています。
日蓮上人御分骨堂
「慧雲(えうん)山 常栄寺」
別名「ぼたもち寺」
「これやこの 法難の祖師に 萩のもち ささげし尼が すみにしところ」
塚本柳斎という人の歌だそうで、境内に 歌碑があります。
日蓮宗
創建: 1606(慶長11)年
開山: 日詔上人
中興開基: 日祐法尼
本尊: 三宝祖師
源頼朝が由比ヶ浜の鶴の放鳥を眺めるために桟敷を設けた
山の麓に、鎌倉幕府第6代 宗尊親王の近臣 印東祐信夫妻が
住み、夫の死後 尼となった妻は「桟敷の尼」と呼ばれました。
1271(文永8)年 捕えられて龍ノ口の刑場に引かれて行く
日蓮聖人に、桟敷の尼が胡麻ぼたもちを捧げたといいます。
1606(慶長11)年 日詔上人が寺を建立し、桟敷の尼の
法名「妙常日栄」に因んで 寺名を「常栄寺」としました。
置かれていた僧侶の学問所 宝篋堂壇林が、1689(元禄2)年
池上本門寺に移されたため、紀州徳川家家臣 永野重良の娘
日祐法尼が講堂を再建して、寺を復興したということです。
境内に
右の大きな石塔は、日祐法尼のお墓。
左の2基は、印東祐信夫妻のお墓。
前のは、塚本柳斎の歌碑だそうです。
「八雲神社」
祭神: 素戔嗚尊 稲田比売命
永保年間(1161~62) 新羅三郎源義光の勧請と伝わります。
後三年の役で兄 源義朝に加勢するため奥州に向かう途中に
立ち寄り、当時疫病が流行していたことから「厄除けの神」と
して名高い京の祇園社を勧請し、祈願したことに始まるとか。
以来、「鎌倉の厄除けさん」として崇敬を集める神社です。
本堂前の天水盤
昭和天皇御在位60年を祝い 1986(昭和61)年に奉納されたもので
説明板には「武州鋳物師 鈴木文吾氏により『惣型法』にて鋳造さる。
東京オリンピック聖火台も同氏が鋳造した。」とあります。
15,908歩
鎌倉・比企ヶ谷の「妙本寺」
朱塗りの二天門が すっぽり新緑の中☆
御衣黄
鐘楼も 一面のシャガに包まれて
ときどき無性に 此処へ来たくなることがあるのは
この 深い緑のせいかもしれません
このところ 初夏のような陽気が続いています。
気づけばもう、4月も半ばですもんね。
「初夏のような」より、まさしく「初夏」なのかな・・
「花の国」のシャクナゲが、一気に咲きだしました。
花言葉は 「威厳 荘重」
「 石楠花の 恥じらふごとく 揺れ交す 」 杉田久女
題経寺のすぐ裏手は江戸川堤。
寝転んで日がな一日、空を眺めていたくなる緑の土手
土手沿いに「寅さん記念館」
時間の関係で、今回は残念ながら見学はパス。
いつか、ゆっくり「寅さんワールド」にひたってみたい!
記念舘から見下ろす場所に、立派な長屋門の邸宅☆
「山本亭」
浅草でカメラ部品製造の合資会社を経営していた山本家が
関東大震災で被災したため、此処に取得した建物を改修・
整備して4代にわたり住んだ邸宅を、1988(昭和33)年に
葛飾区が取得。1991(平成3)年より一般公開しています。
延床面積396㎡ 木造寄棟造2階建て 瓦葺
書院造に洋風建築を取入れた 大正末~昭和初期頃の建築。
長屋門 袖部屋の窓 応接室(洋間)外側の窓
旧玄関(内側から)
廊下天井の明り取り
舞の間(和室)
鳳凰の間(洋室)
風車模様の寄木床 白漆喰折上げ天井
洋室 天井と照明
主庭
約400㎡にマツ・ツツジなど約400本の樹木が植栽され、
鯉の泳ぐ池の背後には 築山が設けられ滝が落ちると
いう典型的な書院庭園になっています。
茶室(別棟)
大桜のあとで寄ったため、見学時間がタイトで ちょっと残念・・
でも、出会いが盛りだくさんの楽しい1日だったなぁ☆
20,345歩
寅さんのふるさと 葛飾柴又☆
京成線「柴又」駅から、帝釈天の参道を行けば・・
「二天門」が見えてきます。
「経栄山 題経寺」
日蓮宗
創建: 1629(寛永6)年
開山: 禅那院日忠 題経院日栄
本尊: 大曼荼羅
このお寺は、本堂内外をはじめ建物の至る所に見られる
木彫装飾が とにかくスゴイんです!
殊に本堂内の、大正末から昭和初期にかけて法華経説話を基にした
10人の名工の手になるという1.27m×2.27mの彫刻10枚が圧巻☆
圧倒されて言葉も出ません・・・