スニーカー履いて

‘猫’も歩けば・・・今日はどんな出会いが?

プチGW

2011-04-30 | 散策


巷は 連休真っ只中ですね~

皆様は どのようにお過ごしですか
旅行にお出かけ派? それとも おウチでのんびり派?

え、‘猫’ですか?
‘猫’は例年の如く・・・そんなの関係ねぇ!の日々
ビンボー暇無し  がんばってお仕事しておりまする~
商売 商売


そんなワケで 更新も滞りがちですが・・
今日は 午前中気晴らし
に「はなの国」まで歩いてきました

大花壇のポピーとネモフィラは・・・ちょっと淋しいナ



その淋しさを補ってくれるかのように
入口のイベント広場で 三浦の太鼓グループによる

力強い演奏が繰り広げられていました ドドドド~




脇の階段道を上って行くと・・左右にシャクナゲの花 花
      






山道には
タツナミソウの群生



こちらも花盛り!
      


今日は人が多そうなので 足湯まで行かずに帰ってきました
でも久々に歩いて 体じゅうがスッキリしました~
やはり 家の中に縮こまっていちゃダメですね
短い時間でも歩かないと 心臓にカビが生えそう(笑)


帰り道
大通りのポピーは花盛り☆



11,801歩


コメント (4)

何、これ?

2011-04-26 | 横須賀・三浦


散歩の途中で見つけた不思議なもの


何の変哲も無い 普通の橋なんだけど・・



何、これ?

ブタの顔?・・・にしては耳が無いし
  ラクガキ?・・・にしては几帳面過ぎる


キョロキョロ辺りを見回してみると・・・
橋の袂に 半分雑草に埋もれた碑がありました。

碑文もはっきりとは読めないけれど、
半分想像しながら判読してみると・・

この‘ブタの顔’の正体は、
奈良時代後期に、この北側の台地にあった宗元寺という大寺の
七堂伽藍をイメージしてデザインしたものだということです。

この橋の名は「公卿(くごう)橋」。
「東亜橋」と呼ばれていた古い橋を架け替えたとき、
この地の文化遺産を形にして残したいとの思いから
このようなデザインが取り入れられたもののようです。

今でこそ、のんびりした静かなこの辺りですが
嘗ては三浦半島全域の政治・文化の中心地であったそうで
瓦や建物の土台に使われた礎石などが多数発見されているとか。


その瓦に描かれていた2種類の文様が
四隅の親柱に刻まれてあります。

あ、これね☆

忍冬蓮華紋                    蓮華紋
      

うっかり通り過ぎてしまいそうな小さな橋にも
地域の歴史が、ひっそりと残されていました。



コメント

横須賀・太田和つつじの丘

2011-04-24 | 花散歩


気持ちのいい青空♪


桜が終わると 今度はつつじの季節
今年も 「つつじの丘」にやってきました


あずまや周辺は・・

キ・レ・イ~!









斜面のオオムラサキは まだこれから


満開になると・・(去年の様子)



丘に上ると・・
右手遠くに 海が見えます



少し冷たい風が頬に快い 初夏のような1日でした☆

16812歩


コメント

旧東海道・藤沢宿④

2011-04-23 | 旧東海道


街道筋に戻り、今度は道の右側に入って行ってみました。

      

長藤山 妙善寺

日蓮宗のお寺です。

    創建: 1271(文永8)年
開山: 長藤日聞
   本尊: 日蓮聖人像
流罪になった日蓮が真蔵院(真言宗)というお寺に立ち寄ったといわれます。

そのお寺の住持 長藤が日蓮の弟子となり、1280(弘安3)年に改宗したとか。

江戸時代、徳川家康の藤沢御殿がこの辺りにあったとされています。



街道に戻って、200mばかり先の右側にある
交番(画像左の建物)手前の路地を入って行くと・・


突き当たりの小さな空き地(公園?)に
「伝・義経首洗い井戸

説明板によると;
『吾妻鏡』の記載には、兄頼朝に追われた義経は奥州平泉で自害、
首は鎌倉に送られて、首実検の後 片瀬の海へ捨てられましたが
潮に乗って境川を遡り、この辺りに漂着したのを里人が掬い上げ
洗い清めたとあります。 その井戸であると伝えられています。
また、此処から北へ20km辺りに義経首塚と伝わる遺跡もあったとか。

井戸の傍らに、「首塚」碑

碑の中央には「九郎判官源義経公之首塚」、その
右に「武蔵坊弁慶公之墓」 左に「亀井坊 伊勢坊 
片岡坊 駿河坊 各霊」と刻まれてあります。



路地を出て、その先の「白旗」交差点を右へ進むと
前方に、堂々とした石の鳥居が見えてきました。

白旗神社

祭神: 寒川比古命 源義経公

説明板によると;
創建年代は不明ですが、古くから相模一の宮の寒川比古命の
分霊を祀り「寒川神社」と呼ばれていました。 『吾妻鏡』によれば、
義経の首が実検後 里人に洗い清められ葬られたことを耳にした
頼朝の命で白旗明神として此処に祀られ、「白旗神社」となりました。

石段下を左へ回っていくと、たくさんの庚申塔。
此処に集められたものでしょうか。大きさも形もさまざま。


あの「ゑのしま道」道標も1基ありました。
何か懐かしいナ・・



藤沢宿の浮世絵に描かれているのは、この白旗神社かな?



「白旗」から小田急江ノ島線「藤沢本町」駅までは、あと少し。
藤沢宿の京方見附は、線路を跨ぐ陸橋の辺りにあったようで
藤沢宿とは此処でお別れということになります。 

その先は、また次回に!

23,914歩


コメント

旧東海道・藤沢宿③

2011-04-22 | 旧東海道

 
旧東海道のR467(旧R1)は、左に緩やかなカーブを描いてゆきます。



車の往来が激しく、正直言って歩いて楽しいというような
道ではないのですが、左右の所々にいつの時代のものか
分かりませんが 歴史を感じる古い建物が見られたりします。

右書き看板「石曽根」と読めます。石屋さん?


これも出し桁造りの大きな建物ですね。


こちらは土蔵造りで、紙屋さんのようです。




消防署の前に 赤い案内標が立っています。

藤沢宿坂戸町問屋場跡

この辺りが藤沢宿の中心部だったのでしょうね。
後から知ったのですが、同じような「本陣跡」の標も
近くにあったようです。 見落としてしまったらしく・・・


そろそろこの辺りかな・・と見当をつけて
左手の歯科医院の角を曲がり入って行ってみると・・

ぴったしカンカ~ン☆ 
今日は冴えてるカンピューター!


八王山 無量院 常光寺

緑に包まれた 浄土宗のお寺です。
  創建: 1572(元亀3)年
開山: 明蓮社光誉
本尊: 阿弥陀如来

参道の左に、2基の大きな庚申供養塔
いずれも火成岩製で、市指定有形民俗文化財
      
 右の塔は、1669(寛文9)年造立 高さ178cm 
  上部に阿弥陀如来を表す梵字 下部に猿と鶏
  左の塔は、1659(万治2)年造立 高さ 169cm
       頂部に日月 上部に阿弥陀如来の梵字 下部に三猿

その後ろに、真直ぐ天を指すカヤ(榧)の大木
      
樹高 25m  胸高周囲 5m  推定樹齢 約300年
この木を含め、市街にこれほど多くの巨木が集まっているのは珍しいとして
境内約7,900㎡(約2,400坪)の樹林は、市天然記念物に指定されています。

この常光寺には、弁慶の墓と伝わる石塔もあるらしいですよ。



近くにあるお寺を、もう一箇所訪ねました。

鳳谷山 祥瑞院 永勝寺

浄土真宗のお寺
創建: 1691(元禄4)年
       本尊: 阿弥陀如来(室町後期作)
親鸞上人が東国遊行の際に立ち寄った草堂が始まりとか。

本堂前に、親鸞上人像


山門近くの墓地には、「飯盛女の墓」


      
説明板によると;
藤沢宿には49軒の旅籠があり、そのうち27軒が飯盛旅籠で
繁盛しました。旅籠を営んでいた小松屋源蔵という人が当寺に
建てた飯盛女の墓は39基。うち38基が1761(宝暦11)年から
1801(享和元)年までに小松屋の墓域に建てられました。
このように供養されたものは少なく、珍しいものです。

宿場の賑わいの蔭にあった哀しい歴史の物言わぬ証人たち・・
‘猫’も手を合わせてお参りさせてもらいました。


(続)


コメント

旧東海道・藤沢宿②

2011-04-21 | 旧東海道


では、あらためて「遊行寺」を拝観することにしましょう☆
ここは以前、江ノ島参詣道を歩いた折にもご紹介しましたね。


通称「遊行寺」
正式名は藤沢山 無量光院 清浄光寺




黒塗りの冠木門をくぐり、
100mほどの桜のトンネルを抜けていくと、広~い境内



美しい芽吹きの大イチョウの向こうに、ご本堂

時宗の大本山です。
創建: 1325(正中2)年
  開山: 呑海上人(第4代)
昔 東海道を旅する人々は必ずここに立ち寄って参拝したといいます。


ご本堂前に、「宗祖 一遍上人像」



境内左手の重厚な門は、「中雀門」

説明板によると;
安政年間(1854~60)の建造で、度々の火災を免れた
境内で一番古い建物。 菊と葵の御紋が付いています。
春・秋の開山忌と新年にのみ開かれます。


門の向こう側は、枝垂桜が満開!


放生(ほうじょう)

この池に金魚や鯉などを放生すれば、家内繁栄・長寿の功徳があるとされ
江戸幕府の記録『徳川実紀』にも そのことが記されているそうです。
この池には、希少な「藤沢メダカ」も放たれているとか・・


境内右手には、「敵味方供養塔」

説明板によると;
「上杉禅秀の乱※」の戦死者を敵味方の別なく慰霊するため、
3回忌の1418(応永25)年 足利持氏の発願で建立されました。
※上杉禅秀の乱
鎌倉公方 足利持氏に対してその補佐役だった上杉禅秀(氏憲)が
1416年に起こした戦乱は、鎌倉から関東各地に広がりましたが
翌1417年に、禅秀らの敗北・自害によって終息しました。


ご本堂右側の緩やかな石段を上って行ったところに
「長生院(小栗堂)」

説明板によると;
歌舞伎や浄瑠璃でお馴染みの小栗判官と照手姫ゆかりのお堂です。

1423(応永3)年 足利持氏に謀反を起こし敗れた判官が、10人の家来と
共に落ち延びる途中 横山大膳の館に宿泊した際、大膳の企みで危うく
毒を盛られるところを照手姫に救われた判官は独り当寺へ逃れ、のちに
大膳を破りました。判官の死後 姫は当寺で長生尼となり余生を送りました。

建物の裏手に、
「伝・小栗満重公と十勇士之墓」
      

「照手姫之墓」


再び桜のトンネルを通って遊行寺をあとにします。


目の前の境川に架かる朱塗りの橋は、その名も「遊行寺橋」。

橋の向こうに見える、なまこ壁の蔵風の建物は
「藤沢橋自動車排出ガス測定局」。
交通量の多いこの辺りの排気ガスを測定しているようです。

遊行寺橋と並んで左手に架かる大橋「藤沢橋」で
旧東海道(R30)は右に折れてR467となります。

では、‘猫’も右に向かって旅を続けましょう!
(続)



コメント

旧東海道・藤沢宿①

2011-04-20 | 旧東海道


久々の旧東海道です☆

前回は、戸塚宿を出て原宿一里塚を過ぎた辺りで日が暮れて
しまいました。 何と、年を越す長逗留になってしまい・・・(笑)



そのままR1を下って行くと、横浜市から藤沢市へと入りますが
「東俣野陸橋」の手前で左に分かれるR30が旧街道筋です。

「西富歩道橋」を過ぎると、「遊行寺(ゆぎょうじ)」の上りになります。
現在のR30は、両側の高い崖に挟まれるようにして通っていますが、
往時の街道はこの崖の上を通り、今よりずっと急な坂だったとか。
旅人にとっては、きっと大変な難所だったのでしょうね・・

坂を上りきった左側に道標があります。

一里塚跡


右側にも、説明板が・・

崖上の高さまであった旧街道を掘削改修し、現在の道路になった
ことなどが図と文で記されてあります。江戸時代には道の両側に塚が
築かれ榎が植えられていたそうですが、現在は何も残っていません。



坂を下って行きます。



左側に、石段と鳥居が見えてきました。

諏訪神社


石段左右の狛犬さんの台座には
右書きで「日露戦役」 「凱旋紀念」の文字。
明治時代に奉納されたものですね。
      



1335(建武2)年 遊行寺の呑海上人が勧請したと伝わる
遊行寺の鎮守。また、藤沢宿大久保町・大鋸町の鎮守。
農耕・蚕業の神


祭神: 建御名方富神(タケミナカタトミノカミ)
八坂刀売神(ヤサカトメノカミ)


諏訪神社の向かいに遊行寺が見えていますが、

ここは、あとでゆっくり拝観することにして・・



少し歩いた先を左へ入ると
突き当たりにひっそりと、静謐な雰囲気のお寺。

三嶋山 感応院 瑞光寺


ご本堂前に、弘法大師修行像。

真言宗のお寺
市内最古の寺院で、相模国準八十八ヶ所霊場第一番御札所。

      創建: 1218(建保2)年
開基: 源頼朝
 本尊: 不動明王


境内の右手奥に、一間四方宝形造りのお堂。

「三嶋明神社」

美しい彫刻で飾られた木造のこのお堂は、お堂ごと
そっくり360°回転する珍しい造りになっています。
輪蔵と同じようなものでしょうか。 現在は回転禁止に
なっているようですが・・(回るの、見てみたい~!)


近くに、境川を背にしてこじんまりした神社があります。

船玉(ふなだま)神社

祭神: 弟橘姫命
説明板によると;
神社前の道は鎌倉へ通じる街道筋で、昔はこの辺りまで船が出入して
いたそうです。鎌倉3代将軍 源実朝が船を造らせるためこの辺りから
材木を伐り出したとか。 船大工や玉縄城御用の大鋸引きの職人が
多く住んでいたことから、「大鋸(だいぎり)」
の地名が残っています。


では さっきの場所まで戻り、遊行寺を拝観することにしましょう☆

(続)

コメント

春の横須賀しょうぶ園

2011-04-19 | 花散歩


花菖蒲にはまだ早いけれど・・
‘菖蒲’前の「しょうぶ園」も綺麗ですよ~


何よりまだ静かで、ゆっくり散策が楽しめます☆


見頃なのは、クリスマスローズに シャクナゲに・・






      



チューリップや シダレザクラも綺麗に咲いていました






ウコンザクラも 健在



ぬるんだ堰の水に 花びらが舞い落ちて

ウグイスと カエルの鳴き合わせ♪


のどかな 春の「しょうぶ園」です☆



コメント

春♪

2011-04-18 | 花散歩


春ですねぇ~


いろんな花がせわしげに 競って
咲きだしました


ソメイヨシノは終わってしまったけれど・・



サトザクラ系のサクラでしょうか?



可愛い ツタバウンラン
      


クサイチゴ・・かな?
      


キツネノボタン?
      


これは間違いなく・・(笑)
シロツメクサ



いろんな花が 歩く元気をくれるから・・



やっぱり 春はいいなぁ


コメント

ニリンソウ

2011-04-17 | 花散歩


ニリンソウが 今年も咲きました☆





      


同じ時期のサクラのように 華やかではないけれど
可憐さでは負けてない



夜空の星のように 一面に咲いていると
決して地味な花ではないですね


「 春なれや 二輪草の 花の群れ 」   一水

花言葉は「思慕・記念」だそうです




コメント (4)

大磯・路地歩き

2011-04-15 | 神奈川


大磯の住宅街を歩いています。




広い敷地に重厚な門構えの邸宅があるかと思えば、
純和風の落ち着いた佇まいのお屋敷もあり・・興味津々な‘猫’♪

あまりキョロキョロして、挙動不審なヤツと
見咎められないように・・気をつけながら(笑)

個人のお宅を撮影するのは憚られるけど
垣根なら許していただけるかな・・


路地に入って行ってみましょう・・




レッドロビンの生垣が、とても綺麗です


緑の葉の中に赤いのは、
何の花?・・と、
近づいて見たら、花ではなくて新芽でした。
何の木かな・・


よく手入れされて、とてもステキな生垣です☆



こちらも、いい雰囲気~



檜皮塀って
、近頃あまり見かけないかも・・


その内側にどんな建物が建っているか、などと
想像してみるの、楽しいじゃありませんか。

変な趣味?


コメント (4)

2011-04-14 | 花散歩


「桜」が続きますが・・

この春の桜は、いつもの年にも増して見る人の
さまざまな思いがこもっているかもしれません・・



散歩の途中で見かけた桜たちです













山も桜のモザイク模様








「 糸桜 夜はみちのくの 露深く 」  汀女


みちのくにも 桜が咲き始めたそうです。
疲れを癒し、生きる力を呼びおこす花となりますように・・

「 梅の花咲きて散りなば 桜花 継ぎて咲くべく なりにてあらずや 」
                              万葉集 巻五



コメント

横浜・大岡川の桜

2011-04-13 | 花散歩


今年も、大岡川の桜が綺麗に咲きました







あら~、いいですねぇ~☆
気持ちよさそう!

両岸の人たちから大注目を浴びていました・・



それにしても多いですねぇ・・余震。
神様、東北の人達をもうあまり苛めないで~




コメント

クスノキの下で

2011-04-12 | 雑記


神社の境内で、木蔭を作っているクスノキ。

大概は見上げるような大木で、ご神木 名木などとされていますが
葉がこんもり繁る姿は、どこかホッとするような優しさがあります。

      


古くから、「くすのき学問」という言葉があるそうですね。

「くすのき学問」
クスノキは、生長は遅いが大木になるように
進み方はゆっくりであるが、学問を大成させること。
                            (『広辞苑』 より)

ゆっくり着実に成長する、「大器晩成」ということでしょうか。


反対に、進み方は早いが学問を大成させないことの
たとえとして、「梅の木学問」という言葉もあるとか。

同様に
遅いが手堅く成した財産家を「くすのき分限」、
その逆は「梅の木分限」というのだそうです。
梅の木には甚だ気の毒ですけれど・・


‘猫’は、さて・・・
「梅」にも成れなかったし、まして「くすのき」などはね~

コメント (2)

横浜・清水ヶ丘公園

2011-04-11 | 花散歩


ヨコハマヒザクラが咲いている公園です。

入口を入って



右手のテニスコートの先に、桜の林
誰かが、オカリナの練習中?



駆け回りたくなる草地の広場・・・あの木は? 


モクレンでした~

      

そして
ヨコハマヒザクラの並木



クスノキの若葉が光っています
      


ソメイヨシノは 満開☆






丘の上には、1本のエノキ
公園に憩う人たちを見守っているよう・・


なだらかな起伏が楽しい、すてきな公園でした☆




コメント