スニーカー履いて

‘猫’も歩けば・・・今日はどんな出会いが?

収穫♪

2010-06-29 | 雑記


‘トノ’のご道楽の庭の野菜たち、
ちゃんと育ってくれていたようです。


本日、初収穫しました



ちょっと育ち過ぎかなぁ・・



早速 収穫祭で~す(笑)

イボイボ胡瓜の丸かじりと、でカンパーイ!
柔らかくみずみずしくて、結構おいしかったよン
‘トノ’ ご満悦☆

まだ、しばらくは楽しめそうです。



     

早めに収穫して、‘もろきゅう’もいいよねっ!

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シーパラの紫陽花

2010-06-28 | 横浜


京急「金沢文庫」駅から、人工海浜が広がる「海の公園」の
松林の中を、ぶらぶら散歩しながら八景島まで。


広い砂浜の向こうに、
「八景島シーパラダイス」が見えてきました。



大橋を渡って島に入ると、
「第11回八景島あじさい祭」の最終日(27日)

例年に比べると、花はやはりちょっと少ないかなぁ・・
だけど、さすがに人はいーっぱい!


では、綺麗に咲いた紫陽花たちを見てやってくださいな☆



     


     





     





白い花は、人気の「アナベル」



     








     


色とりどりの紫陽花たちが、浜風に揺れていました。


ガクアジサイやセイヨウアジサイなど、その数約2万株。
県下最大規模の「あじさい祭」でした。

来年もまた見に来ようっと♪

15,156歩

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浄光明寺 再び

2010-06-27 | 鎌倉・逗子・葉山


前回 此処を訪れたとき、ご本尊 阿弥陀如来三尊像を拝観
したかったのですが、公開日が限られていてできませんでした。 
そこで公開されているであろうこの日に、あらためて出直しました。


泉谷山 浄光明寺

真言宗のお寺。

創建: 1251(建長3)年
開山: 真阿上人(勅謚真聖国師)
    開基: 北条長時(鎌倉幕府第6代執権)
    ご本尊:木造阿弥陀三尊像(国指定文化財)

1333(元弘3)年 後醍醐天皇の勅願所としての地位を得た一方、
浄土・真言・華厳・律の四宗の勧学院を建立し、学問道場となりました。

足利尊氏・直義(ただよし)兄弟の帰依篤く、「中先代の乱」で鎌倉を追われた
直義救援のため、勅許を得ず東下し鎌倉へ入った尊氏に追討の命が出た
とき、尊氏は近臣数名と共に此処に蟄居謹慎していたということです。


今回は、客殿横から境内の奥へと入ることができました。
石段を上がって行ったところに、

「仏殿」
(市文化財)

以前はご本尊が安置されていた阿弥陀堂で
1668(寛文8)年に再建されたものだそうです。 


仏殿の前に、2本の古木が聳え立っています。
そのうち左側のイヌマキは、創建当初に前栽として植えられた
ものといわれ、推定樹齢750年。市指定天然記念物です。
     


仏殿の左手にある空調付きの収蔵庫に、ご本尊の阿弥陀三尊と
通称「矢拾地蔵」の地蔵菩薩像(県文化財)が大切に安置され、
木・土・日・祝日の雨天でない日に限って公開されます。
(いずれも撮影不可)

阿弥陀三尊像(中央阿弥陀如来・右観世音菩薩・左勢至菩薩)は
1299(正安元)年頃の作といわれ、阿弥陀如来の衣に施された
「土紋」(粘土で模様を型抜きした中世鎌倉地方独特の装飾)や
長く伸ばした爪など、優美な宋朝美術の特徴を具えています。
この土紋を保護するため、日を限定しての公開になっているとか。
まなざしの優しい、温かみのある仏さまでした。

また、「矢拾地蔵」と呼ばれる地蔵菩薩像は、南北朝期の作で
右手に矢柄の錫杖を持つ珍しい地蔵菩薩像です。 


「大伴神主家墓所」
(市指定史跡)
鶴岡八幡宮の神主を代々務めた大伴家の墓所で
墓塔が、笏の形に鳥居と笏が刻まれた珍しいものです。



仏殿の裏から、
更に細い上り道を上がって行くと


市街を望む高台になっていて



大きなやぐら(洞穴)の中に、石造の地蔵菩薩像


「網引地蔵菩薩像」
(市文化財)



更に更に、長い石段を上がって行ったところに
「冷泉為相卿墓所」
     

冷泉為相卿は藤原定家の孫で、父為家の死後 遺領細川庄の存続で
異母兄の為氏と争い、その訴訟のために関東へ下向した母 阿仏尼の
後を追って鎌倉に移り住み、鎌倉歌壇の指導者として活躍しました。


ボダイジュの花をきっかけに訪れたお寺は、
大変由緒ある寺院だったことを知りました。

16,156歩

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鎌倉・薬王寺と岩船地蔵堂

2010-06-26 | 鎌倉・逗子・葉山


紫陽花の季節の鎌倉は、曜日に関係なく本当に人がいっぱい・・

駅も


通りも


人・人・・そして車・車・・




そんな人の流れを離れて、
いつものように長寿寺さんの横から、亀ヶ谷坂の切通しへ。
深い緑の中へ分け入っていくような、静かな雰囲気のこの道が好きです☆
     

亀も引き返すという?亀返し坂=亀ヶ谷坂を下ると、
右へ少し入ったところに

大乗山 薬王寺

説明板によると;
元は「梅嶺山 夜光寺」という真言宗のお寺でしたが、日蓮上人の
孫弟子 日像上人の時から日蓮宗に改宗、「薬王寺」となりました。
創建: 1293(永仁元)年
開山: 日像上人

徳川・蒲生家と縁が深く、寺紋に三葉葵が用いられる格式の高い
お寺でした。廃仏毀釈後に荒廃しましたが、現在の山容に再興され
厄除け・病気平癒の祈願寺として、善男善女の信仰を集めています。

徳川第11代将軍家斉公の時、幕府が施主となって江戸・雑司が谷に
建立された感応寺(のちに廃寺)に奉安されていた、全国五指に入る
大きさの日蓮上人像が、縁あって当寺に祀られてあります。


「駿河大納言忠長公供養塔」
     
寛永年間に 忠長公追善供養のため奥方の松孝院が莫大な
寄進をして建立した諸堂は、1720(享保5)年焼失しましたが
三葉葵の紋が付いた供養塔が残されています。

ご本堂裏の高いところにある、高さ3m余の宝筐印塔は

「松寿院殿・松嶺院殿墓所」
     
家康公の孫に当たる四国・松山城主 蒲生忠知公の
奥方(松寿院)と、息女(松嶺院)の墓所だそうです。



亀ヶ谷坂を下りきった所にあるお堂は、

岩船地蔵堂

堂内に祀られている舟形光背をもつ石造の地蔵菩薩像は
源頼朝公の息女 大姫の念持仏と伝えられています。

大姫は、木曽義仲の嫡男 義高と婚約を交わす仲でしたが
義仲追悼の折に父に婚約者を殺され、20歳の若さで
亡くなったという悲劇の女性。

1691(元禄3)年 堂改修の際に、木造の地蔵像が安置され
現在 外から前面の木像は拝観できますが、石像は
その奥に安置されているそうで、拝観できません。

(続)

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ボダイジュの花

2010-06-24 | 花散歩


行ってきましたよ、鎌倉・浄光明寺。
ボダイジュの花、咲いていました☆


山門を入った正面にある木がそうです。
近づいていくと、ほのかな甘い香りがしています。


生長すると10mぐらいになる木らしいですが、此処の木はまだ
そこまで大きくはないので、間近でじっくり花を見ることができます。
但し、甘い香りに誘われて蜂がたくさん来ているので ご用心 ご用心!


ボダイジュ(ボダイジュモドキ)
シナノキ科シナノキ属
中国雲南省原産
中国・インド・インドシナ半島・インドネシアなどに分布





お釈迦様が樹下で悟りを開かれたという伝説の「インドボダイジュ」は
クワ科イチジク属の常緑高木で、この木とは違う種類だそうです。

この木とインドボダイジュとの違いは落葉樹か常緑樹か、そして葉の形です。
インドボダイジュの葉は、先端が細く長く伸びています。

中国では寒さでインドボダイジュが育たないため、葉の似ている
木がボダイジュとされ、それが日本に伝わったといわれています。
日本へは、栄西禅師が持ち帰ったという説があるとか。



また、シューベルトの組曲『冬の旅』に出てくるボダイジュは
同じシナノキ科シナノキ属の「セイヨウボダイジュ」だそうです。

ボダイジュと呼ばれるものは、ほかにも何種類かあるようですね。
お勉強になりました~☆


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此処から

2010-06-23 | 横浜


以来 一度も足を運ぶことがなかったけれど、何かの拍子に
今はどんなになっているかな? 随分変わっただろうか?
と、ふと思い出される場所ってありませんか。

そんな場所の1つを、何となく訪ねてみたくなりました。


横浜市内の某所へ・・ 

あら~・・
小さな子供の手を引いて、毎日のように歩いていた
普通の交差点が、こんなふうになっていました~




これじゃ、何も残ってはいないかもしれませんね。
何しろ ン十年ぶりですからねぇ・・



おや、
見覚えのある建物・・交番が見つかりました! 
当時のままの外観です。 ナ・ツ・カ・シ~イ☆




あ、あれだ! ありましたよ~
ン十年ぶりのご対面!

当時新築だったアパートの、そう、あの窓☆

この場所から、私たちの生活が始まったのですねぇ・・
立ち止まって見上げながら、ちょっと‘しみじみ’



雨の日は、人を不思議な気持ちにさせるものかもしれません。
‘猫’の、ちょっとしたセンチメンタル・ジャーニーでした~



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三軒家園地

2010-06-21 | 横須賀・三浦


美術館の裏手は、樹木の鬱蒼と繁る山です。


山への入口に立つ道標には、「←三軒家園地」と。

園地? 公園があるのかな。

だれも歩いていなくて、ちょっとビビるけど・・今回は好奇心が優先! 
少し暗いけど、整備された広い道なので・・入って行ってみましょう。






は? これは・・

同じような構造物が並んでいます。  
片隅に、説明板がありました。

三軒家砲台跡


「ここ観音崎は東京湾側に突出した岬であるため、東京湾防備の
重要地点として明治13~28年の間、観音崎各所にレンガと
コンクリートによる15ヶ所の近代的砲台が築かれました。
これらの砲台は、日清・日露戦争時代に活躍したものです。」

「この砲台は明治27年12月15日着工 明治29年12月20日完成の
27加砲4門 12加砲2門の砲台で、原形に近い形で残されています。
地下庫、見張所、井戸、便所等もありましたが、昭和9年8月20日
廃止されました。」 
(説明文のまま)

これは先の大戦の遺跡ではなく、明治時代のもののようです。
100年以上を経ているとは思えないほど、しっかりと残っています。
(「加砲」とは、「カノン砲」だとか)


これが地下庫かな?
蔦や枯葉に半ば埋もれていますが、アーチ型の入口らしきものが・・
     


    
広場に出ました。 樹間に東京湾が見えています。

暫く人の手が入っていないらしく、草茫々のただの原っぱですが
ベンチなどもあって、ここが「園地」のメーンの場所かもしれません。






もう少し手入れをして小綺麗にすればいいのに・・・
という気もするけれど、歴史的建造物にとってはこうして
自然に抱き込まれているのが似つかわしいのかも・・?

道はまだ奥へと続いていましたが、ビビり‘猫’はこの辺りで退散!



あ、忘れるところでした。
観音崎のあじさいを見に来たのでしたね(笑)
咲いていましたよ~


例年に比べると、ちょっとまだ淋しいかな・・
     

     

     

馬堀海岸から観音崎まで、陽射しのなかを
19,848歩


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横須賀美術館

2010-06-20 | 横須賀・三浦


走水神社を出てバス通りを跨ぎ、観音崎ホテルの横から海岸へ
出てみると、「うみかぜの路」は気持ちのいい木製の遊歩道です。

観音崎ボードウォーク


遊歩道には、ブラジル原産のイペという広葉樹が使われています。
なんでも、繊維の密度が高く丈夫で水にも沈む重い木だとか。
表面がすべすべして気持ちよく、素足でも大丈夫そう☆



観音崎突端の燈台が見えてきました。


が、今回はそこまでは行かず、途中で再びバス通りにあがります。
通りの向こう側、広い芝生の先にあるガラス張りの建物は

横須賀美術館


2007(平成19)年4月に、観音崎公園内に誕生した美術館です。
目の前に芝生のオープンスペース、その先は海という絶好のロケーション☆
2007年度神奈川県建築コンクールで、一般建築部門最優秀賞を獲得。

建物側から見ると、こんな眺め
(白いフェンスの向こう側が、先程の遊歩道です)


イタリアのグラフィックデザイナー「ブルーノ・ムナーリ展」をやっていました。

館内からも海が見えますよ


もちろん屋上からも



建物1階にあるイタリアンレストランは、
テラス席がオススメ!


東京湾を行き交うさまざまな船を眺めながら、
ここらで‘猫’も、ちょっとひと息いれま~す♪


(続)

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話題のパワースポット?

2010-06-19 | 横須賀・三浦


旧道から少し奥まったところに、山を背にしてお寺が並んでいます。

本水山 覚栄寺

浄土宗のお寺です。
ご本尊は阿弥陀如来像
その昔 日本武尊東征の折の尽忠者を弔ったと伝わる十王堂跡に
1513(永正10)年 載誉尾道上人が念仏道場を開いたのに始まるとか。

境内の左側にある供養塔は、木喰修行の名僧徳本上人の
花押・直筆が刻まれたものです。
表面                    裏面
   
特徴のあるこの字、どこかで見たことあるなぁ・・
あ、思い出した!  川崎宿の「六字名号碑」でした。

本堂右奥に「滝の井戸」と呼ばれる湧水があります。
走水は昔から水の豊かな地域で、数軒ごとに井戸があるとか。
水道設備が整う明治末以前には、船を相手に四斗樽で水を商う
「水屋」という商売があったそうです。



走水山 大泉寺

曹洞宗のお寺。
創建: 1590(天承18)年
開山:伝英和尚(逗子・海宝院)
  開基:長谷川長綱(三浦郡代官頭)
ご本尊: 木造地蔵菩薩坐像
       (延命地蔵・室町初期)

三浦地蔵尊第30番札所
幕末期 大津陣屋が造営され、江戸湾警備に従事した川越藩の止宿として
また、その後の異国船出没などの非常時には定宿となったそうです。

漁村の寺にふさわしく、魚を入れた魚篭を持つ仏像も祀られています。
魚藍観世音菩薩像(説明板より)


境内のあちらこちらに水が流れ、門前には水かけ地蔵さんと水琴窟。
そういえば、このお寺も山号に‘水’が付いていますね。
    



ここへ来たら、やはり外して通るわけにはいかないでしょうね。

走水神社

日本武尊と弟橘媛命を祀る古社です。
以前ご紹介したので、説明は省略)

     

「庖丁塚」

走水の住人 大伴黒主が日本武尊に料理を献上したという
故事に因んで、1973(昭和48)年に建立されたものとか。

手水舎に流れ出る水は、30mの深さから湧き出しているミネラルを
含む真水で、富士山から幾歳月を経てこの一帯に湧き出しているとか。
飲んだり、社務所で購入したブレスレット?を清めている人もいました。

そういえば此処は、近年スピリチュアル何とかで有名なE氏推奨の
パワースポットとして、特に若い女性に人気のある場所と聞きました

この日も、幅広い年代の女性参拝者の姿が何人もありました。


スピリチュアルな雰囲気に触れたあとは、気分を換えて
海の方へ行ってみることにしましょう☆
(続)

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走水漁港へ

2010-06-18 | 横須賀・三浦


緩やかな上り坂の手前で、海岸へ下りてみました。

この辺りは伊勢町地区というようです。



この走水(はしりみず)海岸は 春は潮干狩り、夏は海水浴を
楽しむ人々でにぎわう所ですが、今は静かな浜辺。



突堤に通じる「伊勢町橋」の右前方に見える岬は
御所ヶ崎

その昔、第12代景行天皇が御座所とされた場所といわれ、この名。
また、日本武尊が東征の折、ここに臨時の御所を設け軍旗を立てた
故事に因み「旗山崎」とも呼ばれます。上総へ渡る際、弟橘媛命が
海神を鎮めるために荒れる海に身を投じたという伝説の場所ですね。

地元の人でしょうか。親子が水遊びをしていました。
泳いでいる若者もひとり・・・まだ、水は冷たそうです。
長閑な光景・・
‘猫’が生まれた瀬戸内の浜に、少し似ていました。



元の道に戻って坂を下ると、左手に「旗山崎公園」。
旗山崎台場跡


1590(天承18)年 徳川家康が関東に入封後、船手衆だった向井一族に
命じて此処に御船番を置き、江戸へ下る船の検査を行ったそうです。

その後1843(天保14)年に、江戸湾海防の任に当たった川越藩が
台場を築いて6門の大砲を配備し、異国船の侵入に備えたとか。


1886(明治19)年に陸軍が築いた半円形の低砲台が、林の中に
今も残されているそうですが、立入禁止で見ることはできません。
いろいろな時代の日本の歴史を内包する、静かな岬です。



「走水漁港」が見えてきました。


歩道橋を渡り、旧道の方へ入って行ってみましょう。

(続)

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馬堀海岸を歩いて

2010-06-17 | 横須賀・三浦


強い日差しが肌を刺すような夏の空です。
梅雨の貴重な晴れ間、出かけないわけにはいきませんよね
(笑)


観音崎の紫陽花は、今年はどんな具合かな?
せっかくの好天、海沿いを散歩しながら見に行ってみましょう。
このコース、去年ご紹介したことがありましたね~
では、重複する場所は説明を省略することにして・・
いざ!


京急「馬堀海岸」駅を出て、そのまま海の方へ向かうと
ほどなく、海岸線を走る道路につき当たります。

R16は、
別名「フェニックス通り」
フェニックスの並木が、気持ちいいほど真直ぐに続いています。



カナリーヤシ
ヤシ科ナツメヤシ属
カナリー諸島に分布するので、この名。
ヤシの中では、耐寒性が強いそうです。
別名:フェニックス

幹は彫刻したようにゲイジュツ的☆
     


道路に沿って海側に続く遊歩道は、先日ご紹介した「うみかぜの路」。 
振り返ると、遠くに市街が見えています。


潮風が、とてもいい気持ち☆
BUT・・日蔭が全然無いので・・・暑~い!!



やっと、木蔭が見えてきました。

走水水源池

レンガ造りの貯水池は、1902(明治35)年に軍用水道として
造られた設備で、市内第1号の国登録有形文化財です。

今日も、湧水を汲みに来ている人たちがいます。

カルシウム等が豊富で美味しいといわれる「走水の水」。
水栓が設けられていて、自由に飲むことができます。


此処はまた市内有数の桜の名所で、花の時期には
普段は入れない広場も公開され、大勢の花見客が訪れます。

駐車場横の桜の木の下の芝生に腰をおろして暫時休憩。
汗を拭いて水分補給したら、また観音崎をめざして
「出発進行~!」

(続)

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咲いたよ♪

2010-06-16 | 花散歩


先月、友人のお宅で分けて貰った鉢に
やっと1つだけ花が咲きました。


姿も色も、あまりに可愛らしいのでパチリと1枚



フクシア
アカバナ科フクシア属
中南米アンデス高原原産
別名:エンジェルズ イアリング
和名:ツリウキソウ(釣浮草)


春から初夏にかけて、葉の付け根あたりから花柄が伸び
特徴のある形をした花が 下垂して咲きます。この花を愛する
人はとても多く、2,000種以上の園芸品種があるそうです。
名前は、ドイツの植物学者の名に因むとか。
花言葉は「恋の予感・センスの良さ」

花びらにも見える4枚の反り返った部分は萼で、白いのが花。
雌蕊と雄蕊が長く突き出しています。(長過ぎて撮りきれなかった・・)


まだ蕾が付いているので、次々咲いてくれるかな。
楽しみ~~!


Yさん、咲いたよ☆

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英勝寺を拝観

2010-06-14 | 鎌倉・逗子・葉山


浄光明寺を出てJR横須賀線踏切を渡ると、目の前が「英勝寺」。 
このお寺、以前はたしか非公開だったと思います。
そんなわけで、その後も幾度となく門前を通りながら
これまで一度も拝観したことがありませんでした。


今日初めて、拝観料¥300を納め境内に入ってみました。

東光山 英勝寺

浄土宗のお寺。
創建: 1636(寛永13)年
       開山:王峯清因 (水戸頼房公息女)
開基:英勝院長誉清春
     ご本尊:阿弥陀三尊像 (運慶作)

鎌倉市内に唯一残る尼寺だということです。

英勝院は太田道灌の子孫の娘といわれ、徳川家康公のお供をして
関が原の戦に勝ったことから、家康公から名を賜り「お勝の方」と
呼ばれた側室。 
落飾して英勝院となったのちに家光公に願って
道灌の屋敷跡であるこの地を賜り、寺院を建立したのだそうです。


仏殿
ご本尊の阿弥陀三尊を祀っています。
四周の蟇股に刻まれた十二支の彫刻が楽しく、ぐるりと一周☆
     

鐘楼                        唐門
     
唐門の右奥の建物の中に、彩色が施された祠堂(廟所)がありますが
クリアでないガラス戸越しで、あまりよく見えませんでした・・
鐘楼・唐門・祠堂は1643(寛永20)年築とか。

建造物のいずれも創建当時の趣をよく残し、県指定重要文化財です。


順路の標に従って、境内の奥へ行ってみました。




書院


書院の横に広がる竹林の静寂
     


境内の一部がメンテナンス工事中で・・・ちょっと残念でした
また日をあらためて、ゆっくり訪れたいと思います。

北鎌倉駅~鎌倉駅を 寄り道しながら
15,304歩

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ボダイジュの花は?

2010-06-13 | 鎌倉・逗子・葉山


ビヨウヤナギの咲き乱れる道を通って、
     

‘猫’の好きな、亀ヶ谷坂切通しの道を抜け、



扇ヶ谷に出て、扇川沿いに少し歩いてから
閑静な住宅街を左に入って行くと、山門が見えてきました。

門前に「冷泉為相卿旧跡」とあります。


泉谷山 浄光明寺

真言宗のお寺です。

創建: 1251(建長3)年
開山: 真阿上人
開基: 北条長時
ご本尊:木造阿弥陀三尊像
      (国指定重要文化財)

鎌倉時代は北条氏の菩提寺として、建武中興後は
足利氏との所縁が深いお寺でした。裏山には、あの
「十六夜日記」の冷泉為相卿の宝筐印塔があります。


「不動堂」



人けのない静かな境内に、タイザンボク(泰山木)が
白い大きな花をたくさんつけていました。



そして、お待たせ! これがボダイジュ。 
まだ固い蕾ですね・・


開花は、下旬かな?


また、時期を見計らって来てみましょう。


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東慶寺の花たち

2010-06-12 | 花散歩


松ヶ岡御所東慶寺は、鎌倉で名にし負う花の寺。
イワガラミばかりでなく、今回もいろいろな花に出会いました。


ハナショウブは、今がちょうど見頃



八重咲きのドクダミや、シモツケも
     


いろいろなアジサイも咲き始めています。

クロヒメアジサイ



     

カシワバアジサイは見頃ですね



境内奥の人だかりは・・



イワタバコでした☆
今年は少し遅れているようですね・・





そういえば、楽しみにしているボダイジュの開花は?
ちょっと偵察に行ってみましょう!

(続)



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