スニーカー履いて

‘猫’も歩けば・・・今日はどんな出会いが?

日本の人形たち

2015-10-31 | 横浜


日本各地の人形の展示も もちろんありましたよ。
形・素材も様々なたくさんの人形が展示されていました。
たとえば・・


文楽人形

浄瑠璃芝居に用いられた操り人形。
(19~20世紀頃の制作)


竹田人形

和藤内
江戸時代に大阪・道頓堀で竹田近江によって始められたからくり人形芝居の
場面を写したといわれる人形で、誇張した面相と大胆なポーズが特徴。
江戸後期~明治初期頃に 多く制作されたようです。



とりわけ興味をそそられた、素朴な味わいの土人形たち☆

瑞浪人形(岐阜)



堤人形(宮城)



花巻人形(岩手)
          
立ち雛                       加藤清正

相良人形(山形)


堤人形・花巻人形・相良人形は 東北の三大土人形と称されます。
江戸時代に京都の伏見人形の影響を受けて作られ始めました。
彩色や形にそれぞれ特徴のある 味わい深い土人形です。




人間国宝の人形作家 平田郷陽(ごうよう)氏の作品も見られました☆


「熟柿」

(1955~1974年頃の制作)


「児戯興趣」

(1939年)


「粧ひ」

(1931年)

平田郷陽(1903-1981)
東京生まれ。 活(生き)人形師だった父の初代平田郷陽のもとで修行し、
2代目として独立。 青い目の親善人形の答礼として 市松人形の制作に
携わり、人形を芸術の域に高めた功労者。 1955年 人間国宝に認定。



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世界の人形たち

2015-10-31 | 横浜



ここには、世界のいろいろな国から集められた人形たちが展示されています。


ただ可愛らしいというのではなく、それぞれのお国柄・風俗が垣間見えて
おもしろく、世界旅行をしているような気分になってきます☆


その中から、いくつかご紹介してみますね。

イタリア



アイルランド                         イギリス
            


ロシア



ギリシャ                            エジプト
            


カメルーン

こんな土偶 ありませんでしたっけ?


ケニア



パプアニューギニア
            


マダガスカル



キルギス

初代館長 兼高かおるさんが寄贈されたそうです。


モルディヴ                       バングラディシュ
            


ボリビア

南米の福の神 「エケコドール」。
アラシタという祭りで売られる人形で、自分が手に入れたいものを
持たせてタバコをくわえさせると、願いが叶うと信じられています。
この人形は、相当たくさんの物を持たされていますね(笑)


アメリカ

ネイティブアメリカン ホピ族の木彫り人形「カチナドール」。
カチナとは、ホピ族の人達が信仰する大地や風、鳥や狼などの精霊。



そして、西洋人形といえばコレ!

19世紀中ごろから主にフランス・ドイツで制作された「ビスクドール」。
ビスクとは、ビスケットと同じ語源で フランス語で2度焼くという意味に
由来するとか。 成形したものをまず高温で焼き、彩色したのちに
今度は低温で再度、もしくは数回焼くという製法で作られました。




(続)




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横浜人形の家

2015-10-31 | 横浜



地下鉄・みなとみらい線の終点「元町・中華街」駅の近くにある
「横浜人形の家」に初めて入ってみました。


ここは、国内で唯一といわれる人形専門の博物館。
日本をはじめ、世界141ヶ国 約1万4千体の人形を収蔵するといいます。

発端は、1977年に
真珠王御木本幸吉翁の秘書・通訳だった大野英子さんが
個人で永年収集されていた、世界76か国の人形1981点を横浜市に寄贈。
それをもとに、1986年に当博物館が開館しました。


大きなくるみ割り人形に迎えられて入っていきます。



横浜と人形を語るうえで欠かせないのが、昭和の初めごろ
日米両国間で相互に贈り合われた友好の親善人形。

その当時 米国に広がっていた日本人排斥の風潮を憂えた親日家の宣教師
シドニー・L・ギュリック博士の呼びかけで、1928(昭和3)年 日本のひな祭りに
あわせて、米国から人々の思いがこもった13,000体の青い目の人形たちが
海を渡って横浜の港に到着。 
日本各地の幼稚園や小学校に贈られました。


青い目の親善人形ポーリンの像が
博物館入口に置かれています。


可愛い‘親善大使’たちは、特別なパスポートと切符を所持していました。


ビザ


答礼親善大使として、1983年に 横浜市民ら手作りの人形約600体が海を渡りました。
          

(続)




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旧伊藤公別邸

2015-10-29 | 横浜


久々に、野島にある「旧伊藤博文公別邸」を訪ねてみました。




京急「金沢八景」駅から、平潟湾に沿ってぶらぶら歩いていくと
「日本の橋100選」に選ばれた「夕照橋」で繋がる「野島」が見えてきます。





「旧伊藤博文公別邸」


内部の様子は、過去にご紹介したことがありますが・・
http://blog.goo.ne.jp/yemaozi-86/e/4a4eeb80670cc89e31179b2262ab2b25

http://blog.goo.ne.jp/yemaozi-86/e/5ba5c0790e0308c6b9149187d1bd3be6


客間の床の間の金屏風については、 確か まだでしたね。

1901(明治34)年に 当邸の管理者である町屋の松本房治氏へ贈られたもの。


「春畝」は、博文公の号。


傍らの説明書きによると、

宋学の始祖 周惇頤の『愛蓮説』
「 水陸草木の花を愛する者は多くいる。 晋の陶淵明は菊を愛し、
李唐より来る世人は牡丹を愛するが、私は蓮の花の 汚泥より
出でても染まらず、真直ぐに清く玩ばれないところを愛する。
私が考えるところ、菊の花は隠逸なる者なり。 牡丹は花の
富貴なる者なり。 蓮は花の君子たる者なり。」という内容だそう。



庭園

この季節は少し寂しいけれど・・・

            
牡丹園に、「時雨雲」という名の寒牡丹が1輪。



目の前に、東京湾が広がります☆。
博文公は来邸の際、船を利用したそうです。



海苔篊(ひび)

ちょうど 海から上がってきたウェットスーツ姿の人に伺ってみると、
ここで育てた海苔は、沖の方で更に成長させてから収獲するとか。

座敷から縁越しに この景色をみていると・・・はぁ~

          

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街角アート

2015-10-28 | 雑記



散歩の途中で見かけた 面白アート?



工事現場を囲っているパネルから、動物たちが コンニチハ~!
描かれたものではなく、貼りつけられた写真のようだけど
立体感があって、
なんか 楽しくなる~





ふ ふ ふ・・


    

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秋のバラ

2015-10-24 | 花散歩



「アメリカ山」に上ってみると・・ここにも バラが
港の景色に よく似合う光景!




春のような華やかさは少ないけれど、 秋バラは香りがいいですね☆

春芳



ホワイトクリスマス                    ブルームーン
          


桜霞






「港の見える丘」へ行ってみると・・




ここのバラは、純白の花嫁さんと ベストマッチ





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横浜・山下公園

2015-10-24 | 横浜


海風が心地よい山下臨港線プロムナード「開港の道」をぶら~り☆




みなとみらいのビル群を眺めながら・・




色づき始めた「日本大通り」のイチョウ並木






今日も 花いっぱいの「山下公園」




噴水の向こうに「マリンタワー」




バラ園のバラが咲いてきました
「氷川丸」と 横浜のバラ「はまみらい」






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ツノナス

2015-10-22 | 花散歩


この季節になると、よく花屋さんの店頭で見かける おもしろい実。

「ツノナス」
          
その形・色から「フォックス フェイス」とも呼ばれていますよね。


ちょうど今 花が咲いていると聞いて、見に行ってみました。


あ、確かに ナスの花だヮ☆


大きな葉の陰からチラリと覗くのは・・

なんと、実が生っていました! 
まだ青々していますが、ちゃんと耳もある~


熟してキツネ色になる頃、また見に来ようっと☆



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コスモス

2015-10-17 | 花散歩



「花の国」の‘コスモスまつり’





百万本のコスモスが、今 見頃です☆





















無料花摘み大会: 2015.10.25(日)
                14:00~16:00


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逗子・岩殿観音へ

2015-10-15 | 鎌倉・逗子・葉山


逗子に滞在していた泉鏡花が、しばしば訪れたというお寺へ行ってみました。




閑静な住宅街の奥、谷あいの長い参道を通って
            


石段を上り、「吉祥門」と呼ばれる山門を入ると

更に、急勾配の石段が上へと続いています。


観音堂への石段の途中に 「爪掘地蔵尊」
            
わずかに御姿が見える2体の石仏の傍らにある立札には、
「関東百八地蔵 八九番札所 爪掘地蔵尊 伝 弘法大師御作」とあります。



百余段の石段を上りきった所に 「観音堂」

現在の御堂は、1727(享保13)年に再建されたもの。

朱塗りが残っています。


海雲山 岩殿寺
曹洞宗
          開基: 徳道上人(奈良・長谷寺開基)
 行基菩薩
開創: 720(養老4)年
   本尊: 十一面観世音菩薩
今を去ること1300年の昔、徳道上人がこの地を訪れた際 彩雲に射す光に
導かれて岩峰で座禅を行っていると、十一面観世音の御姿が現われました。
その後 此処を訪れた行基菩薩もまた同様の体験をしたことから
自ら岩に観世音像を刻み、此処を霊場としたと伝わっています。

990(正暦元)年 花山法皇が御参詣、法要を営まれ、
1174(承安4)年 後白河法皇御参詣の際に、当寺を
坂東三十三箇所 第二番札所に定められたそうです。
源頼朝も篤く信仰し何度も参詣、朱印地を寄進したとか。




手前の池は、住職と懇意で観音信仰が篤かった鏡花が寄進したもの。


御堂の背後に、「奥の院 岩殿観音」

近づくことができないので よく分かりませんが、
行基御手彫りの観音像が祀られているようです。


背後の山に上る道は「立入禁止」になっていて 上ることができませんでしたが、
長い歴史に違わず、深い樹林に包まれた由緒ある霊場の佇まいを感じました。

境内で、こんな木の実を拾いました☆

スギ       ヤマグリ     ヒノキ
(合っているかな?)


当寺を何度も訪れていたという泉鏡花は、此処を題材に
『春昼』 『春昼後刻』などの作品を著したといいます。
あの文豪と同じ場所に 今居ると思うと、境内から見下す
景色にも 何か特別な感慨を覚えてしまう‘猫’なのでした。

なーんて、ちょっと文学を気取ってみた~


17,526歩



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逗子海岸へ

2015-10-14 | 鎌倉・逗子・葉山


12日のこと。
晴天に誘われ、急に逗子の海が見たくなって
JR横須賀線「逗子」駅から、海をめざしてぶら~りと。




R134の下を潜れば、もう海デス☆




の休日は、砂浜も沖もにぎわってるナ~




でも・・

期待した富士山のお出ましは無く・・・・


ならば、海はこれくらいにして 山の方へ行ってみよう!
と、回れ右!




途中でちょっと寄り道して、
逗子で人気のお豆腐屋「とちぎや」さんへ。


外のテラスで ひと息入れましょ♪

おとうふのケーキは、やさしいお味


このあと、泉鏡花ゆかりの観音堂を訪ねてみましょうか☆

(続)


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冠雪の富士山

2015-10-13 | 横須賀・三浦


11日、富士山頂に積雪のニュース
もう そんな季節になったんですねぇ・・1年は早い!


昨日は、雲に隠れて見ることができませんでした。
で、今日は?と期待して、いつもの富士見スポットへ☆




麓は雲に隠れていますが、冠雪した富士山が顔を出していました~


これから日毎に、どんどん陽が短くなっていきますね。
この冬は、どんな寒さになるんでしょう?

9,781歩



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バラの季節になりました

2015-10-10 | 花散歩


もう だいぶ咲いているのでは? と思って
「ヴェルニー公園」にやってきました。




今日は あいにくの曇り空だけど、
たくさんの人が来ていました。





ローズ ヨコハマ



プレンセス アイコ                     プリンス ド モナコ
            


プラッシュ ノアゼット



湘南ファンタジー                                         粉粧楼
              

        


停泊中の艦艇も、バラに負けじと 満艦飾☆







来週末(17・18日)には「ローズ フェスタ」が催されるそうです。




15,065歩 


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城ケ島②

2015-10-08 | 横須賀・三浦


海南神社を出て、街の中を歩いていくと・・





家並みの奥まった所に


城島山 常光寺

浄土真宗
開基: 僧 了善
   本尊: 阿弥陀如来
            創立: 1573(天正元)年
もともと阿弥陀堂があった場所に、堂を建立したと伝わります。
1540年頃 房総の里見義弘が北条軍に対し、此処に布陣したとのこと。
1936(昭和11)年の大火で焼失、1953(昭和28)年に再建されました。

当寺には、こんなエピソードも伝わっています;
その昔 源頼朝が洲崎で宴を催した際、土に挿した楊枝が やがて芽吹き
柏槇の大木となって、 三浦の五名木に数えられるまでに成長しました。
その後 老木となり枯れてしまいましたが、風邪薬として その幹を煎じて
飲むという風習が広まりました。 枯木は海南神社に置かれ、その後 当寺に
移されてありましたが、大火の際 本堂と共に焼失してしまったということです。



お寺を後に、海岸通りに出てみました。





雲ひとつ無い 本当に文句ナシの快晴~
やっぱり UV対策が必要だったかなぁ・・・・


交番が 灯台の形です。




土産物のお店が並ぶアーケードを過ぎて、その先の岩場へ出てみました。

白波の向こうに、さりげなく 富士山☆


さーて、このあとどうしようかな~と考えているところに
ちょうど三崎口駅行きのバス(1時間に2本の便)が来ました。
目標歩数にも達したことだし、今回は ここまでとしておきましょう


15,
800歩 




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三浦・城ケ島

2015-10-08 | 横須賀・三浦


京急線の終点「三崎口」駅から、三崎方面へ行くバス数台に
次々と追い越されながら、テクテク歩いて きっかり1時間。




島の入口「城ケ島大橋」を渡ります。
橋の上から、まだ雪のない富士山を見ながら☆


以前にも 城ケ島をご紹介したことはありましたね。
http://blog.goo.ne.jp/yemaozi-86/e/ffeb001af62534834f055f7746768b97
http://blog.goo.ne.jp/yemaozi-86/e/effeb5c109d0e400d9ebf25920689165

で、今回は 島の西側へ向かって歩いてみました。




海岸通りから道を1本入ると、時間がゆったりと
流れているような雰囲気の 静かな家並み。




と、右手に 木造平屋建ての白い建物がありました。

旧三崎小学校 城ケ島分校
(旧三崎尋常小学校 城ケ島分教場)

1931(昭和6)年 建造  市指定重要文化財
 教室(左側)と教師住宅(右側)の2棟が 鉤型に配置されています。
1971(昭和45)年 三崎小学校本校に統合されて廃校になりました。
現在は、県指定有形民俗文化財になっている漁撈用具471件を
保管・展示する「海の資料館」になっています。 (見学無料)

中に入ってみました。



当時の教室が残されています。


足踏オルガン                      木製学習机
          
木が多用されているせいでしょうか、何か温かみのある教室☆


隣の教室には、城ケ島漁撈用具コレクションの展示。


島の伝統漁法は、海士(男)による夏の「裸潜水漁」、冬の「覗突(みつき)漁」、
また小規模の「網漁(磯立漁・七目漁)」などで、アワビ・サザエ・イセエビ・
タコ・ヒラメ・カレイ・ナマコなどを 主に獲っていたそうです。

そうした漁に使う様々な用具が、なかなか興味深かったです!

覗突漁 鑑札

三浦郡役所が1909(明治42)年に発行した木札。

四本銛(モリ)

魚を突く漁具は、魚の大きさにより使い分けます。

突ん棒の銛


木製の箱めがね

三崎・城ケ島では桶屋が作ったので、丸型のものが多かったそうです。
板ガラスが使われるようになる1887(明治20)年以前は 箱めがねは
無く、海面に魚油や菜種油を垂らして海中・海底の様子をうかがったとか。

水中めがね

潜水漁に使われました。 気圧を調整するため、両端にゴム製の
空気袋が付いています。 昔は牛の胃袋が使われたそうです。

舫ちょう船
(「ちょう」=「舟」へんに「丁」の字)

6.45m ×1.99m
覗突漁・エビ網漁・裸潜水漁などで用いられた木製の手漕ぎ船。
「舫ちょう」は、小船に乗って箱めがねで海中を覗き行う漁のこと。



分校跡の向かい側に、石の鳥居と階段。


城ケ島 海南神社

元亀年間(19701972)頃 島民は「三崎海南神社」に参詣していましたが
海が荒れ渡航が困難なこともあるため、分霊を勧請し村社としたものとか。
祭神: 藤原資盈(すけみつ)公

境内からは、海を隔てて 三崎港が一望です。



西に向かって、もう少し先まで行ってみましょう☆

(続)



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