スニーカー履いて

‘猫’も歩けば・・・今日はどんな出会いが?

江ノ島道④

2009-06-30 | 神奈川

寛文庚申供養塔の道を挟んだ向かい側にあるのが

龍口山 常立寺
1504~21年ころに創建された日蓮宗のお寺です。
文永の役(第一次元寇)の翌年 元より降伏勧告に遣わされ、
時の執権 北条時宗の命で斬首された5名の使者の供養塔と
伝わる五輪塔があり、モンゴル出身力士も慰霊に訪れるとか。
    
綺麗に整えられた境内に幾本もある枝垂れ梅が花の時期には
大変美しく、私も毎年のように見せて貰いに来ています。
     
じつはこの「江ノ島道」のことを知ったのも、友人を案内して
梅見に来て周辺を散策したのがきっかけなのです。


常立寺から少し行った二叉路に立つ道標の文字は
「従是右江嶋道 左瀧口道」「願主 江戸糀町」。
説明板には江戸時代中期の造立とあります。




左に行くと

寂光山 龍口寺
1271(文永8)年 日蓮上人龍口法難跡に1337(延元2)年 日法上人が
草庵を結び、祖師像を祀ったことに始まる日蓮宗のお寺です。


鉄筋コンクリート製の仁王門を入ると、右手に
三層屋根が美しい「大書院」。信州松本の旧藩邸で、
昭和初期に養蚕御殿だった建物を移築したそうです。



いよいよゴールが近くなってきました。

江ノ電「江ノ島駅」から江ノ島大橋へ続く「洲鼻通り」は観光客で
いつも賑わっています。通りの途中に「江ノ島道」の道標。
    


江ノ島大橋の袂まで来ました。島の展望台が見えていますね。
    


橋を渡り、左右に昔ながらの土産物店が並ぶ参道を
進むと赤い鳥居。 江島神社に到着しました!
歩いて来ると、いにしえ人の歓喜が伝わってくる気がします

江戸時代 盲目の杉山和一(わいち)さんがこの島で断食修行を
なさった折、石に躓いて倒れ、朦朧とした意識の中に現れた
弁財天に合掌して気が付くと松葉の入った竹筒を手にしていた
そうです。それをヒントに管鍼術を編み出し、将軍綱吉の信頼を
得て関東総検校に任ぜられるまでに出世なさったそうです。

彼の出世のきっかけとなったのが「福石」。
ここで拾い物をすると、福があるかもしれませんね
「江ノ島道」道標の最後の1基がここにありました。
    
島内の墓地には検校のお墓があります。

藤沢~江ノ島の参詣旅、如何でしたか?
最後までおつきあい下さり、ありがとうございました
26,482歩

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江ノ島道③

2009-06-29 | 神奈川

「江ノ島道」に戻り、さらに歩いて行きます。
左側のお宅の石垣、歳月を経ていそうですね~




「片瀬小学校」の傍に道標がありました。
弁財天を表す梵字の下に「ゑのしま道」と刻まれています。

此処の説明板によると;
管鍼術の考案者で江ノ島弁財天を深く信仰したといわれる
杉山検校(1610?~1694)が、江島神社参詣の道しるべとして
寄進したと伝えられ、市内にある10余基が市の重要文化財に
指定されています。すべて火成岩製の尖頭角柱型になっています。

左面は「二世安楽」            右面は「一切衆生」
    
生きとし生けるものすべての現世と来世の安楽を願うということでしょうか。


片瀬山 大聖院 泉蔵寺
嘉禄年間(1225~1227)に北条泰時が創建したと
伝わる真言宗のお寺です。ご本尊は不動明王。
境内に弘法大師像があります。
ご本堂は1849(嘉永2)年に再建されたものだとか。

門前にたくさんの庚申塔が並んでいました。
おそらく街道筋にあったものなのでしょうね。


此処で道は左右に分かれ、右へ行くと「諏訪神社下社」
左へ行くと「諏訪神社上社」です。 まずは右の下社の方へ


下校中の小学生達に混じってどんどん歩いて行くと、
やがて左手にこんもりと木々の緑が見えてきました。

諏訪神社 下社
ご祭神は八坂刀売命。
現社殿は1939(昭和14)年に改築されたものだそうです。

境内は人けがなく、ひっそりしていました。



もとの分かれ道まで戻って今度は左の道へ。
道端のこの庚申塔は、元から此処にあったものかな。


さらに先へ進むと、左側に石の鳥居が見えてきました。


諏訪神社上社
社殿まで長い石段が続いています。

ご祭神は建御名方富命。創建は平安時代に遡ります。
上下社とも信州の諏訪大社を初めて他郷に勧請したものと
いわれています。1984(昭和59)年に改築されています。



宝盛(ほうせい) 薬師院 密蔵寺」も真言宗のお寺です。 
鎌倉時代末 有弁僧正により開山。ご本尊は愛染明王坐像。
幾たびかの火災や震災の罹災を経て、開山700年の2005(平成17)年に
再建されました。山門前の碑には「弘法大師道」と刻まれています。
    

密蔵寺の少し先、また道が分かれている場所に
「江ノ島道」道標と庚申供養塔が並んでいます。



道なりに左の道を行くと、大変立派なお寺がありました。

龍口山 本蓮寺
595(推古3)年創建の真言宗のお寺でしたが、1303(嘉元元)年
日蓮宗に改宗しました。長い参道の先にある山門には金色の
葵御紋が輝いています。徳川家に所縁があるのでしょうか。

境内にはたいそう立派な公孫樹の巨木。 スゴイなぁ!
    

 
その先の左側にある囲いの中に、「江ノ島道」道標と松の木。

西行もどり松
西行法師が東国に下る際に通りかかったこの場所で
都を想って思わず松の木を西へ向けて捻ったとか。
以来、木が西の方角に傾いているのだそうです。
現在の松は、多分その何代目かの木なのでしょうね。



さらに少し先の道の反対側に庚申塔が。
お題目が刻まれているところから、日蓮宗系の庚申塔と
考えられています。銘から寛文年間(1661~1672)に
造立、1842(天保13)年に修造されたものらしいとか。


いよいよ江ノ島が近くなってきました。
あともうひと歩きデス!

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江ノ島道②

2009-06-28 | 神奈川

線路の反対側、藤沢駅南口に出てきました。

O百貨店横の「ファミリー通り」が江ノ島道の道筋のようです。



商店街を過ぎて少し行くと、左手に緑に囲まれた公園。

「砥上(石上)公園」
公園の片隅に庚申塔の碑が並んでいます。古道沿いに
あったものが、のちに此処へ集められたのかもしれません。

説明板によると、この辺りは鎌倉時代には「砥上が原」といい
江戸時代には「石上神社」や「石上舟渡し場」があったようで
西行法師や鴨長明の歌にも詠まれているとか。

ん?「砥上が原」の西行の歌・・・あ、思い出しました

以前茅ヶ崎を歩いたとき、市立文化資料館の門柱にあった歌
「芝まとふ 葛のしげみに妻籠めて 砥上が原に牡鹿鳴くなり」
あの歌はこの辺りで詠まれたものだったのですね!

「石上神社」は、この辺りが低湿地で浸水したために
この先の場所に移されたとのことなので行ってみました。


「石上神社」
鎌倉時代からのこの辺りの鎮守社。
1934(昭和9)年に此処へ移転してきたそうです。
    


再び「砥上公園」から左折し、R467を跨いで「境川」の川畔に出ました。
この川に沿って海まで、江ノ島道は南下します。


堤の桜並木の木蔭を気持ちよく歩き、「上山本橋」から対岸へ。
先述の「石上舟渡し場」があったのはこの橋の辺りのようです。



海に向かって左岸を歩いていると、境川へと流れ込む
小川に架かる長さ7~8mほどの小さな橋がありました。
「馬喰(うまくらい・うまくら)橋」
江戸時代、この付近は江ノ島参詣者の往来のほか
海上交通の拠点としても大層賑わっていたとのことです。
今は気付かず通り過ぎてしまいそうな目立たない橋ですが・・

「新編相模国風土記稿」には、源頼朝が馬の鞍を架けて
橋の代わりにしたところから「馬鞍橋」、また昔、馬がこの橋に
さしかかると突然死んでしまうことから「馬殺橋」と呼ばれて
いましたが、ある時 行者聖が橋の石を取り替えたところ
災難はなくなった という記述があるそうです。
(説明板の内容から)


大きな「新屋敷橋」を過ぎた辺りから、江ノ島道は川を離れて人家の
方へ入っていきます。対向車が来ると最徐行で行き交う細い道ですが、
今もどことなく往時の街道の面影をとどめていますね。



道の左側に「岩谷不動明王入口」と書かれた
道標が真新しくなって立っていました。

道標に従って左の道をどんどん進んでいくと、
人家の先の左側に石の鳥居が見えてきました。

「岩谷不動尊」
正式名称は「石籠(いしごめ)山不動尊」といい、嘗て
弘法大師が穴居修行をされたと伝わっています。
1695(元禄8)年 「石籠山救法教(ぐほうきょう)寺」を
快祐上人が開き、不動尊を祀ったといわれます。
    
快祐上人は1744(延享元)年にこの岩屋で入定、即身成仏なさったそうです。

洞窟は大のニガテ・・・早々に退散
もとの道へ戻り、江ノ島をめざして‘旅’は続きまーす。

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江ノ島道①

2009-06-27 | 神奈川

江戸時代 庶民の間に流行した「大山詣」。その帰りに江ノ島まで
足を伸ばし、弁天様にお参りしていく者も多かったそうです。

その藤沢宿から江ノ島へ到る参詣道を辿ってみようと思います。
まずは、その起点である藤沢の名刹「遊行寺(ゆぎょうじ)」から・・


朱塗りの「遊行寺橋」を渡り


黒塗りの冠木門をくぐって、緩やかな石畳の坂を上っていくと
    
境内はとても広~くて静かです。

「遊行寺」
正式には「藤沢山 清浄光寺(しょうじょうこうじ)」という時宗の総本山。
開祖 一遍上人が諸国を巡って踊念仏を広め「遊行上人」と
呼ばれたことから、このお寺は「遊行寺」といわれます。
1325(正中2)年 第四代呑海上人によって建てられました。




当寺のシンボル 大公孫樹

説明板によると、かつては樹高が31mあったそうですが
台風で損傷し、現在は樹高21m、幹周り710cmの雄株。
1971(昭和46)年に市の天然記念物に指定されました。
秋の黄葉はさだめし見事でしょうね~見てみたい!


再び遊行寺橋を渡ってR467に戻ります。
ここから左へ行く道が「江ノ島道」らしいですが・・
近くに良い雰囲気のお寺があったのでちょっと寄り道
寄り道は夜猫子の‘得意技’ですからね(笑)

「感応院」


源頼朝が鷹狩の際に、安穏を願って建立した真言宗のお寺。
藤沢市内で最も古い寺院だそうです。


本殿の懸魚(げぎょ)          三嶋大明神のお社も
    


再び「江ノ島道」に戻り進んでいくと、
「遊行通り」入口のロータリーに江ノ島道の道標。

当時盲人の最高位であった関東総検校の杉山検校が
寄進した48基のうちの1基で、正面に「ゑのしま道」
側面には「一切衆生」「二世安楽」と刻まれています。


遊行通り
普通の商店街ですが、銅板葺(?)屋根の電話ボックスがちょっとお洒落。
    

通り沿いの朱塗りの囲いの中に、小さなお社と庚申塔群がありました。
囲いの中に入れず説明板が読めないので、どんな謂れが
あるものなのか皆目わかりませんが・・古そうです。



そのまま商店街を進むと、JR東海道線の線路に突き当たりました。
江ノ島への古道は線路で分断されてしまっているようです。

地下道を通って向こう側に続く道に出てみましょう。

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「しらせ」を見に

2009-06-25 | 横須賀・三浦

折角なので、新しい砕氷船「しらせ」を見て行こうと
ヴェルニー公園に立ち寄ってみました。
見えるかな?

ここへは、先月半ばにバラを見に来て以来です。

切り戻したあとの二番花が咲いています。
やはり、どことなく少し寂しげ・・
「マダム ピエール オジェ」

「スィートドリーム」
    


「軍港めぐり」の観光船
たくさん人が乗っていますね。 結構人気があるみたい。


「しらせ」クンは?

あ、いた いた! 何だか嬉しくなっちゃいます~



20年以上南極への輸送に活躍した初代「しらせ」に代わり
2009年から登場した舞鶴生まれの2代目「しらせ」です。

この種の船舶に同じ名前が付けられるのは異例のこととか。
それだけ愛着をもたれているということでしょうか。
全長:  138m
全幅:   28m

喫水:  9.2m
最大速力:19ノット


「しらせ」クンに会えて気が済んだので、機嫌よく
公園の中を通って帰ることにします♪

「逸見波止場衛門」
旧横須賀軍港逸見門の衛兵詰所が保存されています。

高さ4mの八角形の鉄筋コンクリート製で、ドーム型の
銅板葺屋根。明治末~大正初期頃の建物だそうです。
右側に「軍港逸見門」、左側に「逸見上陸場」とあります。

外壁がタイル張りになっているので、目地を触ってみました。
あ、覆輪目地だ!

「覆輪目地」の説明を浄水場見学で聞いたばかりだったのです(笑)
タイルやレンガ積みのデザインの1種で、目地の断面を
カマボコ形に盛り上げてタイル面と同じ高さにしてあります。

ついでに、レンガの積み方についても教わりましたよ。
<フランス積み>            <イギリス積み>
1段に長手面と小口面を        長手面の段と小口面の
交互に並べる積み方           段を重ねる積み方
    
(画像は、ウェルシティ前広場で撮ったものです。)


公園の片隅に、軍艦の碑など海軍関連の碑5基があります。


その傍に正岡子規の句碑も

「横須賀や ただ帆
檣(はんしょう)の 冬木立」
1888(明治21)年 休暇で横須賀・鎌倉方面を訪れた折の
句で、句集「寒山落木」に収録されているそうです。


浄水場見学からあちらこちらと道草しながら
15,284歩

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横須賀・気になる建物⑤

2009-06-24 | 横須賀・三浦

逸見からJR横須賀駅に向かう途中で
また上下階で向きの違う建物を発見しました。

今まで気付かなかったけれど、結構あるのですね。




JR横須賀駅
構内に階段がないのが特徴で、‘平坦な、人に優しい駅’として
1997(平成9)年には「関東の駅100選」に認定されたそうです。

駅舎正面のシンボルマークは「カモメと錨」


横須賀線は、横須賀港へ軍関係の人や物資を輸送するために
1889(明治19)年に開業され、今月16日に開業120周年を迎えました。
開業当時は、横須賀→東京間
は約2時間を要したとか。
現在の駅舎は1940(昭和15)年に建てられたものだそうです。

「ラチス梁」と呼ばれる梁


駅前にある水道関連の鉄蓋は右書きでした。


駅舎の片隅に、三浦按針の供養塔がある塚山への道標
正面(日本語)             側面(英語)
    



横須賀駅前から汐入の方へ 少しだけ足を伸ばしてみました。

商店街でまた看板建築を発見!
ここにもまだ残っていました。



汐入~坂本方面へ向かう道沿いに


あります あります、出し桁造りの家のオンパレード!
こんなにたくさんある場所って、スゴい歴史的価値があるのでは?
    

    
立ち止まってはバシバシ撮っている変なオバサンに
訝しげな道往く人の目が・・・ハイ、もう帰りますデス・・


拙宅のような家は時がたてば‘ガタがくる’だけですが、
吟味された良い材料を使って丁寧に建てられた家は
歳月を経ても、いえ歳月を経るごとにますます
独特の味と風格を増していくものなのですね。

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横須賀・気になる建物④

2009-06-23 | 横須賀・三浦

シリーズ()4回目の今回は、嘗て横須賀海軍の発展とともに開け
今もその面影が残る逸見(へみ)~汐入(しおいり)界隈を歩いてみました。


江戸時代に 江戸から三浦半島に入る街道(浦賀道)が
通っていました。今もその雰囲気が感じられますね。


道沿いに、味のある建物が並んでいました。

鹿居商店
大正時代の建物だそうです。塩・酒などのお店。
以前 一階のお店を拝見したとき、壁に
レトロなポスターが貼られてありました。


二階部分
出し桁造りになっています。戸袋は一枚板ですね。



逸見館
明治中期の創業当時は旅籠屋。大正時代は行商人の
常宿として繁盛したそうです。震災で倒壊しましたが
古材を使って再建、旅館として営業を始めました。
戦時中は、応召の兵隊さん達が肉親と入隊前の
最後の夜を過ごした宿だったそうです。


板壁は、単に並べて打ち付けたのではなく
柱に嵌め込んだような細工になっています。

(小さな画像で分かりにくいかな?)



元「かたばみ写真館
現在は個人の住宅のようです。


3つ並んだ明り取り窓もいい感じですね!




京急線の線路の反対側に、もう1軒
出し桁造りのお宅を見つけました。


二階勾欄の繊細な装飾がステキです。




駅前の商店街に看板建築のお店がありました。

ゴンドラ
現在は洋品店ですが、以前は海軍さん相手の
カフェーだったとのことです。ハイカラな店名は
その名残でしょうか。細部まで凝った造りですね。
       



浦賀道沿いに、何とも良い雰囲気の神社がありました。

鹿島神社
創建は1410(応永17)年。ご祭神は武甕槌命(タケミカヅチノミコト)。
古くは別の場所にありましたが1891(明治24)年に焼失。
そこが海軍用地とされたため、此処へ移されました。
家康に仕えた英国人三浦按針(ウィリアム・アダムス)の
子ジョセフによって再建されたと言われています。
    





車道の傍らにひっそりと石碑が建っていました。

震災慰霊碑
関東大震災で亡くなったこの地区の人たちの慰霊碑です。
刻まれた犠牲者名の中に、いくつかの朝鮮名がありました。
    
震災当時、朝鮮人に関するさまざまなデマが流され、そのために
朝鮮人が迫害を受けた事件が各地であったと聞いていますが
此処では民族の別なくきちんと慰霊がなされています。

「それが我々の誇りです」と地元の方がおっしゃるように
この碑が、ここ逸見の素晴らしさを物語っていますよね。


このあと、JR横須賀駅に向かって もう少し歩いてみましょう。

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太極拳交流大会

2009-06-21 | 雑記

終日 梅雨らしい蒸し蒸しと鬱陶しい陽気のなか、
横浜にある体育館で 神奈川県太極拳連盟の
春季交流大会が開かれ、
所属する県内各地の
22団体から約500
名の愛好者が参加しました。




9時半から昼休みを挟んで夕方4時過ぎまで、各団体が
それぞれに工夫し
練習してきた演目を披露し合ったり
種目別の講習に参加したり、楽しい一日を過ごしました。


表演の様子(のほんの一部)です。
いろいろな演目があったのですが、ついつい
演技に
見入ってしまい 写真を撮っている余裕がなくて・・









私たちの
表演も結構うまくできたのでは? 
というのは自画自賛かな。

( 写真はありません。一応私も出たので当然ですが・・笑 )


T先生とI先生による「対練」の演技



講習会の様子(の一部)です。
「それでは皆さんもやってみましょう!」

ベテランの人も、見様見真似の人も・・みんな真剣!


ほかの会の方たちの演技を見て刺激を受けたり
顔見知りの拳友と「お久しぶり!」の会話が弾んだり
太極拳の楽しさを味わい、いっぱい元気を頂きました。
また次回まで、頑張ってレベルアップしたいなあ!

というワケで、「逸見」のご報告の続きは後日に。

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逸見浄水場

2009-06-19 | 横須賀・三浦

博物館の方の案内で、逸見浄水場を初めて見学しました。

この施設は、旧海軍が工廠拡張に伴う水源確保のため
1912(明治45)年~1921(大正10)年の歳月をかけて完成、
戦後 横須賀市に移譲されたものです。

横須賀から53km離れた神奈川県愛甲郡半原から
電力などは使わず、70mの高低差を利用して水を運び、
4日かけて9,800t/日を浄化するという施設ですが、
戦後の人口増による水需要の急速な増大と水源地の
水質の変化などによって、現在は休業しているとか。


坂道を上っていくと           眼下に逸見の街並み
    

坂を上りきったところに浄水場はあります。

インターホンで来訪を告げると、開門されます。
    

総合センターの建物内で職員の方の説明を受けました。


「建物内の展示物」
江戸時代の木管            市最古の水道管
    
木管は、長さ1.7m 外径22cmの四角柱に直径10cmほどの
穴をあけ、沢水を集めて流したもののようです。
土管の方は、明治9年造船所~走水水源 7kmに敷設された
口径5インチの常滑焼の水道管です。


「浄化施設」
水源地から送られてきた水は、この「着水井」に集められ

「緩速ろ過池」の砂地でゆっくりろ過され



    
「調整室」
    
殺菌・消毒して「配水池」に貯えられます。

「配水池管理室」
19世紀にウィーンで始まったセセッション(分離派)という
建築様式で、歴史的様式を乗り越えようという当時の世界
最新様式を取り入れた興味深い建築遺産であることから、
「調整室」と共に国登録有形文化財に指定されています。
    


「水道の歴史散歩道」
敷地内には、明治以降 約1世紀の横須賀水道史に
係わる機材などがオブジェのように展示されています。

「仕切弁」


「点検ハッチ」




「セグメント」と「シールドマシン」




「多重配管システム」


「海軍地上式消火栓」
地中に埋設される以前の時代のものです。
    

「竜頭栓水飲み」
各家庭に水道が普及する前、町の角々に置かれた共用水栓。



なお、少し離れたウェルシティ前の広場にも
軍の水道関連の遺物が展示されています。
ご存知でしたか? 
   



普段目にすることのない、というよりあまり関心がなかった
施設の見学でしたが、歴史的に貴重なものであることを
知りました。海軍の威光のスゴさもあらためて。

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花散歩⑬

2009-06-17 | 花散歩

昨夜の荒れ方は凄かったですね~!
‘cats and dogs’どころか ドラゴンが暴れ廻っていました。
ご近所に落ちたのでは?と思うほどの雷でしたし・・
皆さまのお宅の方では如何でしたか?


気分直しに、綺麗なお花をお届けしますね。

まずは定番のアジサイから

梅雨空に似合う滴るような美しい青です!


カシワバアジサイ(柏葉紫陽花)
アジサイ科アジサイ属
アメリカテネシー州~フロリダ辺りに分布しているそうです。
葉に切れ込みがあって柏の葉に似ているので、この名。
花も一般的なアジサイとはだいぶ違っていますね。
    


ギボウシ(擬宝珠)
ユリ科ギボウシ属
別名:ホスタ(Hosta)
日本を中心とする東アジアに分布しています。
シーボルトがヨーロッパへ持ち帰って以来
品種改良が進み、多くの園芸種が作出されました。
花言葉は「沈静」
    


ネジバナ(捩花)
ラン科ネジバナ属
別名:モジズリ(捩摺)
日本・朝鮮半島・中国などに分布しています。
螺旋状の穂状花序に可愛いピンクの花が咲きます。
白い花もあるとか。見てみたい!
    


八重咲きドクダミ
ドクダミ科ドクダミ属
一重の花を以前にご紹介しましたね。
    


ハルシャギク
キク科コレオプシス属(ハルシャギク属)
別名:ジャノメソウ(蛇の目草)
花言葉は「一目惚れ・陽気」
    


ナツユキカズラ(夏雪葛)
タデ科タデ属
中国・ヒマラヤに分布しているそうです。
夏~秋にかけて穂状花序に香りのある白い花をつけます。
遠くから見ると、まるで雪が積もっているように見えるので、この名。
    
ホラっ!



長崎ラベンダー
シソ科
長崎の学生が作出した品種だとか。通常のラベンダーより
耐暑性が強く、初夏~秋まで繰り返し咲くそうです。
    


八重咲きタチアオイ
アオイ科タチアオイ属
これも一重咲きの花をご紹介したことがありましたね。
一重咲きに比べて丈が低く、花はこのボリューム。
    


クガイソウ(九蓋草)
ゴマノハグサ科クガイソウ属
複数の葉が輪生して何層にもなっているところから、この名。
茎の先に総状花序を出して小さな花をたくさんつけます。
    


コリウス(Coleus)
シソ科コリウス属
インドネシア・スリランカ原産
別名:ニシキジソ(錦紫蘇)・キンランジソ(金襴紫蘇)
園芸種が多く作出され、葉の色・形・模様など多彩。
花言葉は「誘惑・恋の望み」
    


葉も茎も蕾も白く、目を奪われました。
「これ、何?」と、先刻まで名前が‘?’でしたが
お花に詳しい友人Tさんが教えてくれました。
感謝 感謝!


ヘリクリサム・シルバーミスト
キク科ムギワラギク属
南アフリカ原産
葉は卵型、葉や茎に細い毛が生えています。
グランドカバーや寄せ植えによく使われるとか。
抗菌作用のある薬草だそうです。
花言葉は「不滅の愛」

    

 

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この夏の楽しみ

2009-06-16 | 雑記

去年の夏 我が家の小さな庭で枝豆がちょっぴり穫れました。
うちの‘トノ’のお道楽、今年も何やら植わっているようです。
さて、今年は何かな?

    
これは分かります。 ぼつぼつ花が咲いていますね~
「親の意見とナスビの花は 千にひとつの無駄も無い」とか言いますよね。
この夏は好物の焼きナスが、さぁ、何回楽しめるかな?




これは黄色い実が生るミニトマト。
すでにもう 食卓に上っていて、見かけより甘みがあります。

これは、今朝の収穫分
欲張って、小さいのまで穫りすぎましたね・・




はて、これは何でしょう?
地面を這っているので 胡瓜ではないみたい・・
スイカ? まさか!(笑)


うちの庭は ちょうど野良猫の通り道になっているらしく
これまでしばしば‘置きミヤゲ’があって困っていましたが、

頼もしい助っ人がやって来ました。

野良クンの嫌がる超音波を発してくれるモノらしいです。
この姿には笑っちゃいますけど、彼が来て以来
オミヤの被害は無くなりました。頼もしいヤツ!
これからも しっかり頼むゼ~ィ

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花散歩⑫

2009-06-14 | 花散歩

関東地方も雨の季節になりましたね。
散歩の途中、あちらこちらで色鮮やかな紫陽花に出会います。

我が家の鉢植えの「墨田の花火」も、まだ小さな
株ですが今年も元気に咲いてくれました。


「紫陽花だけじゃないよ」とばかりに咲き競う
この時期の花たちを集めてみました。

アメリカデイゴ(アメリカ梯梧)
マメ科デイゴ属
別名:カイコウヅ(海紅豆)
南アメリカ原産
日本への渡来は意外に早くて、江戸時代とか。
鹿児島県の県木だそうです。 花言葉は「夢・童心」
    

タイサンボク(泰山木)
モクレン科モクレン属
芳香のある大きな白い花が高い枝に咲いていました。
花言葉は「壮麗」
    

テイカカズラ(定家葛)
キョウチクトウ科テイカカズラ属
別名:マサキノカズラ
日本・朝鮮半島に分布しています。
茎から付着根を出し、」樹木や岩を這い上って伸びます。
藤原定家が思いを寄せた式子内親王のお墓に
絡み付いていたという謡曲「定家」から、この名。
    

シャコバサボテン(蝦蛄葉サボテン)
サボテン科シャコバサボテン属
ブラジルに自生する「カニサボテン」と「シャコバサボテン」の
自然交配種で、茎の形が蝦蛄(しゃこ)に似ているので、この名。
花言葉は「冒険心」
    

クチナシ(梔子)
アカネ科クチナシ属
日本・中国・台湾に分布しています。
果実が熟しても口を開かないので、この名とか。
果実は毎年末、おせちの栗きんとん作りの時お世話になっています。
花言葉は「清潔・優雅」
    

チドリソウ(千鳥草)
キンポウゲ科チドリソウ属
別名:ヒエンソウ(飛燕草)
南ヨーロッパ原産
花が千鳥の飛ぶ姿を連想させるところから、この名。
花言葉は「信頼・軽快」
    

ユリ(百合)
ユリ科ユリ属
世界各地で育種が行われ、膨大な園芸種があります。
花言葉は「威厳・純潔」
    

カラー(Calla)
サトイモ科オランダカイウ属
別名:オランダカイウ(和蘭海芋)
南アフリカ原産  花言葉は「愛情・乙女の清らかさ」
花のように見えるのは仏炎苞。色は赤や黄色もありますね。
    

トリトマ
ユリ科シャグマユリ属
別名:シャグマユリ(赤熊百合)
花言葉は「胸の痛み・切実な思い」
管状の花が集まって下向きに咲いています。
別名は、花が槍などの飾りに付ける赤熊(しゃぐま)に似ているので。
    
  

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横須賀・立石

2009-06-12 | 横須賀・三浦

三浦半島の西海岸 立石に出ました。
海辺に沿って走るR134は車の往来がひっきりなしですが
安藤広重が「相州三浦秋屋の里」を描いた頃は、きっと
のどかな景勝の地だったのでしょうね~

「立石公園」
海岸から少し高くなった石垣の上の松林を縫うように
散策路が設けられています。駐車場はいつも満杯!

この辺りに元葉山御用邸付属のお茶寮があったそうで、
公園入口の立派な石門はその名残だそうです。
明治天皇母君英照皇太后お気に入りの場所だったとか。

「立石」

高さ12m、周囲30mの岩と、梵天鼻と呼ばれる岩の台地に
生えている松の間に富士山が見える筈なんですが・・・

此処は夕景色がとても美しくて、「立石の夕照」として
「かながわの景勝50選」にも挙げられているそうですが
私はまだ写真でしか見たことがありません。て言うか、
此処からの富士山さえ見たことがないのです。
余程 普段の行いに問題があるとみえて・・

再び国道を横断して山側に戻り、民家の横の道を入っていくと

石段の奥に、ひっそりとお社がありました。

「立石不動」

三浦不動21番札所ですが、創建は明治以降のようです。

境内の隅に碑がずら~りと

手前から2番目のコレ、どういう謂れがあるのでしょう?
スゴく気になったのですが・・


最奥から水音が聞こえてきました。
水量は多くありませんが、たしかに滝のようです。
「不動滝」


此処が本日のゴールです。お疲れサマ!
「不動滝」に始まり、「不動滝」でしめくくったツアーでしたね。
あー、今回もまた立石の富士は見られなかったなぁ・・
21,909歩

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横須賀・子安の里

2009-06-11 | 横須賀・三浦

湘南国際村から100段以上ある階段をトントンと下り
案内板に従って左折し、静かな山里に入って行きます。

「子安の里」は国際村ができる前に何度か来たことがあります。
炭焼き小屋があったり道端に野菜や花などを置いた無人の
販売スタンドがあったり・・楽しく歩いた記憶がよみがえります。


「軽部家長屋門」
長屋門は比較的裕福な農家が建てたもので、農具などの
倉庫として、また一部は家畜小屋として使われていました。

この門は2代目で、100年ほど前に秋谷の若命家から
古材を譲り受けて建てられたものだそうです。

子安の里は軽部一族が拓いた土地だそうで、そのため今も
軽部姓の家が多いとか。また、今回は行きませんでしたが
車道を挟んだ向こう側(秋谷)には小菅姓が多く、小菅家にも
築200年以上という大きな長屋門があるとのことです。


緑に埋もれそうになりながら歩いていくと、

所々で可憐な花に出会います。

ナツハギ?                   ヤマユリ
    


この道は、葉山にご滞在の皇后様が散策なさることも
おありだったとか。きっと御心を癒されたことでしょうね。



少し先の道端に売店がありました。店の奥の方で炭焼きを
しているそうで、ここで焼かれた炭や木酢液が野菜とともに
売られています。明治時代までは盛んに行われた炭焼きも
現在では、2軒を残すだけになっているそうです。


岐れ道の傍に庚申塔群


御幣を担いだ一猿の像
横須賀西海岸だけに見られる珍しいものだそうです。
江戸・享保年間に建立されたもののようです。
    


その少し先にもまた庚申塔群
供花のようにホタルブクロが咲いていました。


「子安観音」
子供を抱いた像は、子供の安らかな成長を願ったものでしょうか。
1789(寛政元)年に建立したもののようです。



関根川沿いの道を歩いていくと、お堂がありました。
「関根御滝不動尊」

かつては対岸の崖にありましたが、関東大震災で崩れたため
現在の場所に移されました。川向こうから引いている湧水は
胃腸病に効く霊水といわれ、ポリタンク持参で汲みに来る人が
絶えません。この水でコーヒーを淹れると美味だとか。


もう1箇所庚申塔群がありました。


ここにも御幣猿がいました。



このあと海岸線を走るR134 に出て、ゴールまでもうひと歩きです。

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葉山横須賀・湘南国際村

2009-06-10 | 鎌倉・逗子・葉山

雑木林の山道を抜け、近代的な建物が点在する高台に出ました。

「湘南国際村」は「歴史と文化の香り高い21世紀の緑陰型の
国際交流拠点」という位置づけのもと、三浦半島のほぼ中央の
葉山と横須賀に跨る山林を造成し、1994(平成6)年 開村しました。

豊かな緑の中にさまざまな研究・研修施設や
住宅・公園・店舗・診療所などが点在しています。


「湘南国際村センター」

村の中枢として、各種の会議・研修や宿泊施設、
レストラン・リラクゼーションセンター等があります。


「財団法人 生産性国際交流センター」



「国立大学法人 総合研究大学院大学」



「財団法人 地球環境戦略研究機関」


そのほか「社会福祉法人 全国社会福祉協議会中央福祉学院」など
何やら難しい名称の施設や、民間企業の研修施設もあります。


「グリーンパーク」
眼下に葉山の家並みと相模湾、晴れた日には富士山や
丹沢・伊豆・箱根の山々が一望できる公園です。
夕陽の絶景スポットでもあるようです。



居住地区には、瀟洒な注文住宅が建ち並んでいます。
現在約200世帯ほどの人達がお住まいだそうですが、
電線や高い塀もなく、手入れの行き届いた環境で
静かな落ち着いた高級住宅地になっています。


只今造成中の区域もあります。


売り地の看板も見られます。1区画いかがですか?


芝生の広場で上空のトンビに気を配りながら昼食

午後からは、横須賀側へ下っていきます。

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